October 25, 2015
『PHPスペシャル』2015年10月号「伝えることへの不安は、伝える喜びになる」pdfアップ
『PHPスペシャル』2015年10月号(9月10日発売)の話し方特集に寄稿したエッセイ
「伝えることへの不安は、伝える喜びになる」
を、pdfでアップしました。
http://www.yukikondo.jp/articles
吃音の話を軸に、自分にとっての「伝えることの意味」について書きました。少なからぬ人から反響をいただいたこともあり、いろんな方に読んでいただければ嬉しいです。
ちなみに、何度か紹介していますが、この小文の中の話の中心となっているミーガンワシントンのTED映像は以下です。10回以上は見ていますが、いまも見るたびに胸がいっぱいになります。
「なぜ私は人前で話すのが怖いのか」
October 6, 2015
『考える人』宇宙特集<Kyoto, Japan>
10月3日発売の『考える人』2015年秋号の宇宙特集に、「宇宙に染み出す地球の暮らし」という小文を寄稿しました。
http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/mokuji.html
学部時代に専攻して以来、宇宙とはずっと疎遠でしたが、最近宇宙関係の取材執筆をする機会も増えていて、宇宙飛行士など、当時思っていた夢を思い出すことが増えてます。
こないだも、これから宇宙で始まる最新の宇宙線観測についての話を取材したら、とても面白く刺激的で引き込まれました。宇宙物理の話などは、その道をわずかとはいえ志そうとしていたにもかかわらず、当時は「難しくてとても、、」と思ってしまい、結局その世界を断念してしまったわけですが、厳密な計算などは置いておいて概念的なところだけを学んでみると、案外難しくなく、理解しやすく、そしてものすごく面白いことに今更ながら気づかされます。
学生時代は、厳密に迫ろうとしすぎたせいか、本質的な面白さをちゃんと理解する前に、理論のところで断念してしまった気がします。そういうところはとりあえずすっとばしても根本の考え方はそれなりに理解できるし、そういうところに目を向けることができれば、宇宙や物理や数学の面白さは、きっと誰にでも感じられるものなのではないかと思います。
たとえば、ニュートン力学の世界観と相対論の世界観って、根本的に何が違うのかということを学生時代の自分はきっとうまく説明できませんでした。ニュートン力学については、運動方程式を用いて物理の問題は解けるけれど、ただそれだけ、という感じ。でも、いまは、たぶんもう問題は解けないけれど、
・ニュートン力学は
「空間と時間は誰が測っても平等に同じ。それが絶対的な基準である。そこを出発点としてすべての物理法則ができている」
と考えるのに対して
・相対論は
「空間も時間も絶対的なものではない。見る人によって異なる。では何が絶対かと言えば、光の速度である。光の速度だけは、だれが測っても平等に同じ。それが絶対的な基準である。そこを出発点としてすべての物理法則ができている」
と考える。
ということはわかるようになりました(たぶん、これでよいかと、、)。
そういう根幹の違いによって描く世界観が違ってくるということさえわかれば、案外すんなりといろいろ見えてくる気がするのに、全然そういう風に理解できてなかったように思います。今思うと、あまりに基本的なことなのに、入試問題の解き方とかばかりに目がいってると、もっとも大切なところがスルーされてしまってたりすることがあることに気づかされます。まあ、結局自分の真剣度がその程度だったということになると思うのですが。
いずれにしても、『考える人』は、いつもそういう根本的な考え方を教えてくれるというか、全く知らない分野についても知的好奇心を掻き立ててくれるとてもいい雑誌です。こういう雑誌は数少なく、貴重な存在で、今回も宇宙の面白さを垣間見るには、いい特集になっているように感じます。
ぼくも今回、地球の生活に生かされている宇宙の技術について調べたら、思わぬ発見がたくさんあって、宇宙の面白さを再確認。学部時代の友人がJAXAに勤めていてこの分野の専門家になっていて、彼に取材できたのもうれしいことでした。
特集以外も、連載陣は是枝裕和さん、池澤夏樹さん、高野秀行さん、石川直樹さんなど豪華で、いつも読み応えたっぷりです。
August 24, 2015
「吃音と生きる 4 新人看護師はなぜ死んだか」新潮45 9月号に
8月19日発売の『新潮45』9月号に、先月号に続き連載ルポの最新回
「吃音と生きる4 新人看護師はなぜ死んだか」
が掲載になりました。
2年前、北海道で吃音を持つ男性看護師が自死されました。その痛ましい出来事は、新聞やテレビで広く報道され、大きな話題となりました。その真相に、いま自分ができる限り迫りました。病院側はいまも口をつぐんでいますが、到底納得できません。
今回の記事には、複数の方の深い思いが詰まっていることを、取材しながら、書きながら、何度も痛感しました。その思いをどうすれば一番よい形で伝えられるのか、悩みに悩みながら、全力で書きました。
ご本人の無念さ、彼の生きてきた34年間、身近な方々の思い、吃音の問題の深さを多くの人に知ってもらいたいです。
July 18, 2015
「吃音と生きる」第3回(『新潮45』8月号)
本日発売の『新潮45』8月号に、「吃音と生きる」第3回が掲載になりました。
(このブログもですが、この連載自体も第2回から1年がすでに経ってしまって。。
連載の第1回、第2回は、ここからpdfでダウンロードできます)
今回は就労をテーマにしています。吃音者がそれぞれ就労する上でどのような苦悩と戦っているのか、その一端を是非知っていただければと思い、書きました。今回は5人ほどの吃音者の人生を追っています。
この取材を始めてからすでに2年以上が経っています。この連載の中で、最も中心的な存在として登場してくださっている高橋さんは、2年前に初めてお会いした時には、短い会話をするのも大変なほど重度の吃音を持っている方でした。
が、2年間の訓練を経て、いまでは信じられないほどに改善され、先週、「名古屋きつおんサポート」の主催で行われたイベントに登場したときには、そのあまりの大きな変化(訓練前の映像が流され、そのあとご本人が登場)に、会場は驚きに包まれました。非吃音者以上の流暢さで10分ほど話しつづけたのです。
高橋さんは一度、ビルから飛び降りた経験もあり、本当に死の淵まで行ったことのある方です。その方が変化を遂げていく様子をここ2年間追い続けながら、自分も吃音に対する考え方が少しずつ変わっていくのを感じています。
その一方で、吃音と向き合いながら自らの道を切り開こうとあがきつづけても、叶わず、自ら命を絶たれる方もいらっしゃいました。
吃音というのは、本当に人の人生を深く左右するものであることを、そうした人々、そして自分自身の人生を思っても、とても強く感じます。
その苦悩を、少しでも多くの人に知ってもらえたらと思っています。
今回の原稿の続きは、次号9月号に掲載になる予定です。今号で書いた生き続けることが叶わなかった一人の男性に焦点を当てます。彼がなぜ亡くならなければならなかったのか。そのことを自分なりに理解するために先月北海道に行きました。納得などいきようがないし、あまりにも辛い出来事であるという思いだけが募りました。ただ、取材を続ける中で、彼の声がふと聞こえてくる瞬間がありました。その声を、なんとか文章として形にできればと思っています。いま、毎日悩みに悩みながら、書いては消して、書いては消してを繰り返しています。
是非、読んでいただければ嬉しいです。