明日、いよいよ昆明を出発します。
準備好、友達とのお別れ好、といった感じで、あとは大家と部屋の保証金の清算をしたりするだけになりましたが、マンションの管理費をぼられていたことが昨日発覚。大家からひと月80元と言われ、1年分すでに大家に支払っていたのですが、昨日マンションの管理室に行ってみると、本当は60元だと言われ……。管理のしっかりしたマンションなので、多少高くても仕方ないのかな、と思っていましたが、大家にぼられているとは思いませんでした。しかも大家はまだそのお金をマンション側に支払っていないらしく、管理室の人に早く払うよう言われた。今日一応話をつけて、お金を返してもうら予定です。それが最後の山場かな?っていっても一年分で240元、つまり4000円程度でしかないのですが、昆明では結構な額なんです、ほんとに。日本の2、3万円ぐらいの感覚でしょうか。
明日は早朝の便でまだ暗いうちに家を後にする予定。いよいよ昆明ともお別れです。また来る機会あるかな・・・・・・?
(青空散髪屋。大理で)
昆明を出るまでもうあと5日となり、毎日バタバタしてます。っていうか、やっと昨日辺りから焦って出発の準備を始めたという感じですが。最後の最後で家のネット契約の金が切れてしまい、今は家でネットもできず。
もうあと数日と思うと、いつも見る風景もなんだか新鮮に見えたりして、ほんとに離れるんだなってことを実感します。
しかし、自分の持ち物の整理をして、上海に送るものと日本に送るものを分けてみたところ、昆明に来てからはほとんど何も物を買ってないことを実感(雄生)。整理は1時間ぐらいで終わってしまいました。ほとんどすべての持ち物がバックパック一つに入ってしまいそうなことを知って、なかなかシンプルな生活を送ってるなと感じました。
その他こっちで購入したDVDプレーヤーなどの家電はほぼ全て友人らに安くで譲ることに。大家さんが買い取ってくれるかな、と思って、こないだ一度大家(彼は警察官)を家に呼んで、見てもらったものの、「全ていらない」と一蹴。しかも、一つ一つ、「どれどれ、見せて、音聞かせて」とか言って期待を持たせておきながら、「でも、全部持ってるからいらない」だって……。二胡も売りたいんだけど、と言ってみたときも、「ちょっと聞かせてくれ」なんていうので、弾いたところ、
「これいくらなの?」
--500元ぐらいで売りたいと思ってる、というと、笑いながら
「20元ならいいよ」
と全く失礼極まりない。ほとんどからかわれてました。
ま、でもその後ほとんど引き取り手が見つかったのでよかったです。二胡はまだだけど。
ちなみに、昨日、まだオーストラリアにいたころに買った使い捨てカメラがまだ手元にあって、現像してみたところ、こんな写真が出てきました。キャサリンゴージという渓谷でカヌーに乗っていたとき。ヒゲが犯罪。でも懐かしい。
(2004年4月ごろ)
それじゃあ、次回はおそらく東京か京都から!
(マージャンするおじいさん。大理で)
(昆明の象徴、金馬坊<ジン・マー・ファン> 一緒に仕事をしている中国人カメラマン、アレックス撮影)
いよいよ昆明も残り二週間になり、マジで終わりムードが高まってきました。時期的に一年の大きな区切りではあるので(1月下旬の春節が中国の一番大きな休暇)、友人たちも次々にどこか別な場所に移動し始め、人との別れの連続。ちなみに、昆明にいる日本人の友人たちは、年齢層はけっこう高いのに(仲良い人たちはだいたい同世代で30前後)、ふらふら系が多いため、昆明からの行き先もまちまち。自分たちのように上海や広州にいって仕事を探そうかな派ってのも結構多いし、一度日本に戻ってちょっと金をためてまた旅に出ようという永久バックパッカー系、株で資金を調整しながらさらに別の国へとさすらっていくモノなど……。また、昆明はドラッグ(ハード系まであらゆる種類)がかなり自由に手に入るため、外国人全般では、そのままはまって(中毒?)完全に昆明にチンボツしている人、パスポートを売ってその資金で暮らしている人、外国人の起業がまだまれである昆明でビジネスを起こす人、他国で捕まって追放され中国に移住してきた人、など、かなりアウトローに生きている人たちも多い。 駐在員などというのは、いるのかもしれないけど、ほぼ全く見かけないに等しいです。ま、その辺が昆明の面白さなんだと思います。
その昆明とももうお別れ、今度は国際都市上海か、と思うと、楽しみ半分、緊張半分といったところ。雲南省はほんとに気楽に生きられるところなので、上海に行ったらプレッシャー多そうだなあ、と。。。。物価も高いし。
今日、昆明を出る前最後の雑誌の取材を一応終わらせ、ほっとしてるところです。来週、再来週で原稿を三つほど完成させる予定なのでちょっと忙しそうな気もするけど、合間をぬって昆明からの引き上げ準備に奔走します。
それから、先月来た電気代の請求額が突然3倍になり、びっくり。間違いだろうと、電気代を払わずに電気局に問い合わせたりとぐずぐずしているうちに、一昨日夕方6時ちょっと前に、突然いきなり電気を止められてしまう。焦って電気局に聞いてみると、6時までに金を払って、手続きをすれば、今日中に復活するかも、と言われるも、電話を切ったころにはすでに6時となりあきらめる。で、その夜は、ろうそくで過ごす羽目に。翌朝すぐに電気代を払い、手続きを済ませ、夜帰ってみると、まだ電気がつかない。マジで??と思ってブレーカーを見てみると、ブレーカーが落ちていたので、元に戻したら電気復活。
そのときにやっと、実はただブレーカーが落ちただけだったのかも、ということに気づきました。ブレーカーを調べなかったとは、まったくバカな二人です。もうすぐ電気を止められるかも、という先入観が強すぎました。
雄生
今ちょうど、従弟を空港まで送って帰ってきたところです。
遊びに来てくれた人を空港まで送るのはこれで3回目ですが、毎回、帰りのバスは寂しさあり。人を見送って空港からバスで帰ってくると、自分はこの町に住んでるんだなあということを改めて実感しますが、でも昆明での日々も、もうあと二週間ほど……。今週来週は、帰国準備と残りの仕事を片付けるので忙しそうです。
さて、年末年始(30日、大晦日、元旦)は従弟とともに大理(ダーリー)へ。昆明から300キロほどの雲南省の代表的な観光地なのですが、それまで行ったことがなかったので、この機会に行くことができてよかったです。
バスで片道5時間ほど。大理は白族(バイ族)という少数民族の自治区(?)のようなところで、城壁に囲まれた古城が町になってます。のんびりした小さな町で居心地がいいため、沈没するバックパッカーが多いことで知られてますが、確かに快適なところ。いい感じのカフェが多く、また「ガンジャ、ガンジャ?」といって寄ってくる少数民族姿のおばさんたちが多かったのも印象的。
町には、毛沢東語録や毛沢東バッジなど、毛グッヅがいっぱい。昆明ではほとんどみないので、新鮮。
着いた初日は、いきなり「大理らしい」一日を経験し、従弟も大満足の様子でぐっすりと就寝。かなりの爆睡。
次の日、大晦日は少数民族の村へ。大理は町自体はかなりツーリスティックなものの、ちょっと外れるといい感じの中国らしい風景となり、そこから三輪バイクに一時間ほど乗って、絞り染めで知られる周城という村へ。
町からちょっとはずれるとすぐにこんな風景。なんかちょっとチベットっぽい感じ。
三輪バイクの中で。
村はかなりローカルな雰囲気で、中国っぽさ満点。あまり町の風景を撮らなかったのが残念ですが、大体以下のような感じ。
路地。数百年ぐらい変わってなさそうな建物や人びと。
ある家の玄関から中を覗いたところ。
公民館的なとこの庭で麻雀などに興じるおじいさんたちの姿が圧巻。格好や雰囲気がまさに昔の中国っぽかった。
染物屋で。買いたかった(けど買わなかった)絞り染めと少年。
染料
手織りをするおばあ
左がおばあ。右の人の着ているのが典型的な白族の民族衣装。
さて、それから大理の町に戻って、従弟のお土産探し。その途中で見た風景がこれ。
中国では、すぐ点滴を打つんですが、その状態でなぜか道端で休んでいる人が。もちろん、周りに病院など全くなし。このまま歩いている人もたまに見かける。
で、大晦日の夜は外国人の集まるバーで。気づいたら2006年。
そして元旦。大理最後の日。帰る前に町外れのマーケットを見にいって、ご飯食べて、またバスで昆明へ。
従弟は中華料理全般に毎回感動してくれるので、こっちもうれしくなる。これは2006年初の朝食。大理の地元の店で。「うまい!辛い!」
昆明に戻ってからの一日は、従弟に友人たちを紹介し、飲みに行ったりと半ば日本のような生活になってしまったかも。長期の旅行者たちとオールしたあと、寝不足の従弟が名言を。
「いやあ、やっと分かったよ。こういうことを言うんだね、チンボツするっていうのは」
これはかなりウケました。
今ごろは広州かな……。こっちもまた日常に戻らないと。。。
今年もどうぞよろしく!