いまは、京都の素子の実家にいます。つまり、前回書いた大腸ポリープが、細胞検査の結果、とりあえず非腫瘍性のものであることが分かり、予定通り出発できることなったというわけです。ほっとしましたー。次回は1年後ぐらいにまた内視鏡をやればいいということらしくて。素子はもちろん、ぼくも元気に出発できそうです。
で、その出発が、いよいよ明日。
まずは上海まで飛ぶことは決まってるのですが、そのあとはまだチケットなし。上海の市内に出るのはかなり面倒なので、そのまま空港でチケットを買って北京まで行く予定ですが、うまくいくかな。。。で、北京からとりあえずはウランバートルまで列車で行って、そこから旅がスタートです。
この数年の経験をいかして、出来る限り荷物を軽くしようと、「とりあえず持っていこうか」というものはすべて持っていかないという方針でパッキングをし、また、いろいろと新しい機器を買い揃え、出来る限りコンパクトになるように試みたものの、それでも、それほど減りません。何しろ今回は寒そうな地域が多いので、防寒具だけでもかなりのものになってしまってます。東南アジアはTシャツ+αぐらいでよかったのに。。。
では、次回は中国かモンゴルから!
そろそろ右上の地図も更新しないとな、と思ってます。
東京に来てから更新が滞りがちでしたが、やっと昨日あたりで予定していた仕事などが概ね片付き、今日は荷物の整理をしたりして過ごしています。しかし、整理をしていたら、03年から05年まで書いていた7冊の日記うち1冊が見当たらないことが判明、いまそれを探し回っていたのですが、もうあきらめようと、ブログに逃げています。どこかにあるはずなんだけど、やっぱり上海の引越しで間違えて捨てちゃったのかな、、、もう仕方ないけど、なかったらほんとに残念です。
今回の東京滞在は、ある本のための取材をするというのが主な目的の一つだったのですが、それが途中で思わぬ重大な問題に突き当たり、いろいろと悩んだ挙句に自分は下ろさせてもらうことにしました。とても残念でもあり、また申し訳なくもあったのですが、自分の立場的に、自分にとっても、依頼者側にとっても、自分が書いたらいい結果を招かないと判断して辞退させてもらいました。取材・企画のほんの初期段階でのことだったのでなんとか身を引かせてもらうこともできて、結果としてはこれでよかったと思っています。この2週間ほどは、その後始末などのための日々でした。いろいろな方にご迷惑もおかけしてしまったし、また自分自身もなかなか大変でしたが、いい経験、いい勉強になりました。
さて、まず、そういうことがあった一方、大腸内視鏡検査も今回やりました。05年、06年で計3回やっていて、ポリープが出来やすいらしい、ということで今回旅立ち前にもう一度やってみたわけです。もしポリープがさらにあれば、さっと取って、すっきりして日本を出れるかなあ、と思ったら、なんと数がかなり増えていて、形的にその場では取れないものまで見つかってしまいました。。。で、いま、その細胞検査中。検査の結果、がんに変わる可能性がないポリープであることが分かれば、ほっといて無罪放免となるわけですが、もし、そうでない場合は、とりあえず近いうちに入院&手術ということになりそうです(といっても、内視鏡でやるので、簡単なはずですが)。もともと8月1日には東京を出て京都へ行って、6日日本を発つつもりだったものの、もし手術となれば、あと一ヶ月ぐらいは東京滞在を延ばすことになりそうです。いやあ、めんどいです。ポリープがあるだろうことは分かっていたものの、この展開は予想外。。。
ま、でも、見つかったってことは、検査やった甲斐があったってことなので、喜ばないといけないのかもしれませんね。
というわけで、まだ今後の予定は不明ですが、気持ち的にはもう東京も終盤のつもりです。でも、東京に一ヵ月いることになればこっちでも仕事をしなければならないので、いろんな媒体へ積極的に営業しないとなーと思ってます。それで仕事が広がるかもしれないし、そしたらポリープのおかげですね。
ま、流れに任せるしかありません。
今日はこれからちょっと仕事を片付けてから、友達とメシ食って、友達のライブへ。
(ちょっとみない間にとてもきれいになった地元の成城学園前の駅ビル)
(その駅ビル内にできた三省堂では、中で座ってゆっくり快適に本を読めるので、毎日帰りに寄るのがちょっとした楽しみ)
上海出てから一度も更新しないまま、2週間も経ってしまいました。
ふたりで東京に戻ってきて以来、ああだこうだでやることが多くて、バタバタしていました。
素子は、12日から京都の実家へ。ぼくは今月末までは東京にいます。東京にいる間にいろいろと仕事があったり、次の旅への準備もやりだすと何気にいろいろあるもんですね。とりあえず買うものは大体買い揃えて、モンゴルのビザも申請は出来たところ。ロシアはもうぼくはほとんどあきらめています。
ただ、ロシアを抜かすと、一筆書きできるルートにならなそうなのが残念。モンゴルは中国側からの出入り口が一ヶ所しかないので、同じ道を往復することになりそうで。。。ま、いきなりモンゴルまで飛んで、モンゴルからスタートすればいいんですが。
今回東京では、いろんな編集者とも会う機会が結構多いのですが、新しい雑誌での仕事などはなかなか進まず。また、一つ大きな仕事の話があって、ここ一週間ぐらいはそのための取材メインで動いてたのですが、それも、思わぬ展開になり、今後大きく展開が変わる予感。結局、ああだこうだと忙しくしつつも、なかなか新たな進展が見出せずですが、仕事を通じて、また、それ以外でも、人との出会いがいろいろと会って、楽しく過ごしてます。
上海はどうしてるかな、っていまもよく気になります。日本帰ってきてみて、日本の良さを改めて感じたり、いやなところを思い出したりしてますが、そのたびにいつも中国が比較対象になり、そのたびに中国が懐かしくなったりしてます。離れたから思うのかもしれませんが、中国的適当さは、自分には何気にあってるんだろうな、という気がしてます。
日本もそろそろ後半戦。充実させないと。
久々の東京。蒸し暑くなってるとのことでしたが、上海が異常に暑かったため(6月から連日35度を超えてて、さらにかなり蒸し暑い!)、東京は涼しく感じ、快適に過ごせてます。でも、上海では食べ物も何も日本とそれほど変わらないものを食べられているので、そういった面では、昆明や東南アジアから帰国したときに比べて、感動が少ないです。それだけいまは都会生活してるってことかな。。。
今回は、素子もぼくも何気にいろいろと忙しくなってしまい、用事をこなしているだけで日々終わっていってるような。今日の夕方から二人で京都に移動し、素子は11日に関空から上海に帰国、ぼくは10日か11日に東京に戻って15日に上海に戻ります。
今回東京では新しいノートPC購入予定。今使ってるPCは2002年ごろからつかってて、すでにモニターにはいろんな線が入ってたり、USBも一つ壊れているし、めちゃめちゃ遅いし、と風前の灯火状態なので。でも、この三年間、ずっとバックパックに入れてかなり過酷に扱ってきた割にはよく働いてくれました。というわけで、Thinkpadをとても気に入っているので、今使っているやつの後継機種(では多分ないんだけど、)的なThinkpadのX40っていう小さなやつが、1月帰国時に12万円台であったので、それを買おうと思ってヨドバシカメラに行ってみたら、もうそれは置いてないとのこと。。。すでに古い部類になっていて、他の店でも見当たらずがっかり。でも、いずれにしても買わないといけないので、もうちょっと奮発して……と思ってます。
日本もいよいよ終盤を向かえ、明日出発ということになりました。
今回はずいぶんといろんな友達に会うことができたようにも思いますが、まだまだ会いたかった人も多く、もっと日にちがあればよかったなとも感じてます。でも、ちょっと日本に未練を残しながらの出発の方が旅気分を保ったままでいられるので、ま、これでいいのかもしれません。
明日、昼の12時に大阪港を出る蘇州号に乗り2日後に上海入りです。関空から飛行機だと2時間程度で着くのに、あえて船で48時間かけて行く理由は、情けないながら、はっきり言ってほとんど金銭的理由です(もちろん、船旅自体も楽しみなのですが)。
次に帰ってくるときはもう少し金銭的な面が充実しているように、今年は二人でがんばって働いて稼ぎます!
(愛犬はるともしばらくお別れ……)
帰国してから早いもので2週間が経ってしまいました。日本帰ったら、あれもやろうこれもやろう、といつも思うのですが、毎度のことながらだらだらしてしまって、思うようにことが運びません。そして最後の1週間にばたばたしてしまう。またいつものパターンです。
日本に帰って友達と会って、皆ほとんど変わっていないことにほっとしつつ、久しぶりなのに、そんなに久しぶりに会った感覚がしないのはなんでかな、とちょっと不思議に感じたりしています。そして、何を食べても美味しく、どこに行っても快適空間が広がっていることにかなり満足(特にトイレ)。やっぱり日本っていいですね。
昨日念願の美容院に行き、髪をばっさり切り、そして、ついに中国から買って帰った虫下しの薬を飲みました!今のところ何も出てきてません。友達が同じ薬を飲んで、副作用でじんましんが出たって言ってたけど、それもなし。薬の説明書には、”まれに口から虫が出ることがあります”とあったので、かなり恐れていたのですが、それもなさそう。すっきりした身体で上海に臨めそうです。
今回都合が合わなくて会えなかった皆様、次回はぜひ!
も
MAP内の旅の記録を追加しました。
これで一応、2003年6月の旅の始まりからいままでの行程すべてが見られます。
昆明は毎日穏やかな気候が続いています。最低10度、最高20度ぐらいでしょうか。でも空気がとても乾いているので、日陰に入ると肌寒くなります。オーストラリアのパースやバンバリーの春、秋を彷彿とさせます。
来週火曜からいよいよ学校スタート。雲南師範大学に通うことになってます。
こんにちは。
京都からです。明後日でいよいよ京都も最終日、那覇へと移動します。
沖縄では宮古島にいる友達に会おうと考えていて、那覇3泊、宮古島2泊の後に台湾へと向かうことになりそうです。
ところで、前々から早く載せようと思っていたこれまでの移動経路(2003年7月後半のバンバリー到着から2004年12月半ばの一時帰国まで)をとりあえず今載せておきます。今後は、いつでも移動経路をトップページからすぐにみられるようにする予定です。
白線が陸路で移動したところ、色付の線が飛行機などで移動したところです。
オーストラリアでイルカのボランティアをしていたのが大陸南西部のバンバリー(Bunbury)、そこからバンで移動した先が北端のダーウィン(Darwin)、これから中国で滞在するのが、雲南省の昆明(Kunming)です。
2003年6、7月の日本からバンバリーまでの経路は入れ忘れてしまいましたが、旅自体はオーストラリア大陸東側のシドニーから始まっています。
これによってぼくらの旅が少しでも想像しやすくなればと思います。また、この地図を見ながら過去のブログを見返してもらえればうれしいです。この移動経路情報は今後さらに充実させていきたいです。
では、また!
雄生&素子
こんにちは。
日本に一時帰国してからすでに4週間ほど発ち、いよいよ明日東京を発つことになりました。といっても素子はすでに京都の実家にいるので、ぼくだけのことですが。
明日ぼくも京都に行き、一週間ほど滞在してから13日に那覇へ。4日ほど沖縄に滞在後、宮古島、石垣島経由の船で台湾へと向かう予定です。そして二月半ばから中国雲南省の昆明での生活が始まります。詳しくはまた、日本滞在の日々のこととともに改めて書きます。
しばらく日本にいたら、やはり家族・友人がそばにいる環境のよさを実感しました。この一ヶ月の間に多くの人に会えて、とても幸せでした。でも、会いたいと思いながら連絡できずじまいだった人も結構いたことは残念に思ってます。
いずれにしてもこの一ヶ月が自分たちの今の生活を改めて見直すいい機会になったことだけは間違いありません。そして今また中国での生活へのモチベーションがかなりあがってきてます!
今は一人で荷物を詰めていますが、例によってなかなか進みません……。2003年に東京を出たときも、前日の夜中まで中学の友人たちと地元で飲んでいて、それから荷物を詰めてました。あれから一年半も経ってしまったとは。
当初の予定は3,4年って考えていたので、それから考えるともう半分近くきてしまったのですが、でもぼくはまだ気分は序盤です。
ではまた。
雄生
☆日本に帰っている間は更新せずでしたが、これからはまた更新頻度をもとにもどすので是非、たまに見てみてください!今年もよろしくお願いします!
今まで全てのページからコメントを書き込めるようになっていましたが、ジャンク書き込みがあまりにも増えてきたため、最新の7ページくらいのみからの書き込みしかできないように設定しました。
今後とも書き込み是非是非お願いします!!!
大変遅くなってしまいましたが・・・
結婚パーティの写真ページのご報告です
合計11ページのサムネイル一覧があり
そこから写真にリンクしています
それと同時に,これからしばらくの間
近藤夫妻とのタイムリーで気軽な接点の場として
何かしらのツールを提供できないかということで
この様なサイトをもうけさせていただきました
たまには彼等のつぶやきを見に来てください
そして,たまにはメッセージを届けてあげてください
2003/6/17 sunouchi
これは、これまでに雑誌などに掲載されたぼくのルポ・記事などの一覧です。機会があればご覧いただければ幸いです。
主な掲載誌
<ルポ・写真>
『週刊金曜日』『読売ウィークリー』『中央公論』『世界』『望星』など
<連載>
『自然と人間』(「人びとの海」)
『Link Club Newsletter』(「国境を往く」)
『SQUARE』(「近藤雄生のこんな生き方」)
<その他記事、エッセイ>
『ENGLISH JOURNAL』『日経キャリアマガジン』『Book Japan(書評)』『キョースマ!』『朝日コム』『ダカーポ』『The Japan Times Junior』など
<書籍>
『深海の生きもの衝撃ファイル』(宝島社)(執筆担当)
(近藤雄生<コンドウユウキ>・ライター [ email: ここをクリック ] )
《2009年》
『深海の生きもの衝撃ファイル』(宝島社)(5月11日発売)
(一冊全文執筆)
『The ROYAL』 2009年5・6月号 (リーガロイヤルホテルのPR誌)
「リーガロイヤルからはじまる旅 先人の足跡をめぐる
文学の早稲田、小江戸の川越。」
(pdf 1.9MB)
『週刊金曜日』 第745号(4月3日発売)
「アルプスの麓に生きるチベット人 動乱から半世紀、いまスイスに」
(pdf 1.6MB)
『キョースマ!』 2009年春号 (3月6日発売)
「この人たちの、通勤・通学・練習路 紫式部/野口みずき/佐藤優/西田幾多郎/益川敏英」
(pdf 1.8MB)
『中央公論』 2009年2月号 第百二十四年第二号 (1月10日発売)
「ヒマラヤから、アルプスへ」(グラビア)
(pdf 1.6MB)
『Link Club Newsletter』 2009年5, 6月号 Vol.164 (ネット・プロバイダーの会員誌)
「世界中の旅人がつながった!―旅の概念を変えた「カウチサーフィン」とは?―」
『Link Club Newsletter』 2009年3, 4月号 Vol.163
「《国境を往く》 地中海の向こうの夢の地へ――モロッコからスペインへ」
(pdf 1.5MB)
『ブックレビューサイト・ブックジャパン』 (2009年6月3日アップ)
<書評 『街場の教育論』(内田樹)>
「この本を書店で見つけても買わないで――という「街場」的教育提言。」
『ブックレビューサイト・ブックジャパン』 (2009年5月25日アップ)
<書評 『最後の冒険家』(石川直樹)>
「冒険とは何か。生死の境界線を見た2人の男が、その生き様で示す。」
『ブックレビューサイト・ブックジャパン』 (2009年5月7日アップ)
<書評 『できそこないの男たち』(福岡伸一)>
「男のアノ場所にある"すじ"が何を意味するか、知ってますか?」
『ブックレビューサイト・ブックジャパン』 (2009年3月30日アップ)
<書評 『正社員が没落する―「貧困スパイラル」を止めろ!/反貧困―「すべり台社会」からの脱出/ルポ 貧困大国アメリカ』(堤 未果、湯浅 誠)>
「貧困が広がれば、いつか自分も没落することを理解するために。」
『ブックレビューサイト・ブックジャパン』 (2009年3月17日アップ)
<書評 『旅する力 深夜特急ノート』(沢木耕太郎)>
「深夜特急が、ついに終点に向かって汽笛を鳴らして走り出す。」
『自然と人間』 2009年1月号
「人びとの海 インパーフェクトな世界で」(最終回)
『SQUARE』 2009年 2,3月号
「近藤雄生の"こんな生き方" (17) 最終回」
(pdf 586KB)
《2008年》
『中央公論』 2008年6月号 第百二十三年第六号 (5月10日発売)
「中国に息づくイスラム教」(グラビア)
(pdf 508KB)
『週刊金曜日』 第721号(10月3日発売)
「中国 異教徒たちの風景」(フォト・ルポルタージュ)
(pdf 923KB)
『週刊金曜日』 第709号(7月4日発売)
「チャドルの内側にある自由
イメージと乖離するイランの日常と市民の思い」
(pdf 429KB)
『週刊金曜日』 第700号(4月25日発売)
「チベット最新情勢 伝えられない現地の生活
半世紀にわたる抑圧が生んだ"騒乱"」
(pdf 833KB)
『週刊金曜日』 第697号(4月4日発売)
「ウズベキスタンの小さな日本語学校」(カラー)
『MOM』5月号(イオングループのカード月刊会員誌)
「世界のWOW」(中国のバスについて短いコラム)
『Link Club Newsletter』 2008年9月号 Vol.159
「《国境を往く》 見えない国境 --統合が進むEUを駆ける--」
『Link Club Newsletter』 2008年6月号 Vol.156
「《国境を往く》 大国に囲まれた、白人たちの小さな国で --アルメニアとグルジア--」
『Link Club Newsletter』 2008年4月号 Vol.154
「《国境を往く》 複数の国境を内包する中央アジアという巨大な「国」。」
『Link Club Newsletter』 2008年1,2月号 Vol.152
「《国境を往く》 国境から国境へ、大陸をつなぐロシアを駆ける」
『自然と人間』 2008年11月号
「人びとの海 帰る場所」
『自然と人間』 2008年9月号
「人びとの海 時効なき罪 アウシュビッツ見学記」
『自然と人間』 2008年7月号
「人びとの海 別離と変化 オランダの小さな村で」
『自然と人間』 2008年5月号
「人びとの海 欧州の美の陰で ギリシャのロマたちの暮らし」
『自然と人間』 2008年3月号
「人びとの海 イラン・イスラムの複雑な素顔」
『自然と人間』 2008年1月号
「人びとの海 聖地カイラスに生きる」
『SQUARE』 2008年12, 1月号
「近藤雄生の"こんな生き方" アフリカ編(16 )」
『SQUARE』 2008年10,11月号
「近藤雄生の"こんな生き方" アフリカ編(15)」
『SQUARE』 2008年8,9月号
「近藤雄生の"こんな生き方" 質問回答編(14)」
『SQUARE』 2008年6,7月号
「近藤雄生の"こんな生き方" トルコ・EU編(13)」
『SQUARE』 2008年4.5月号
「近藤雄生の"こんな生き方" イラン編(12)」
『SQUARE』 2008年2,3月号
「近藤雄生の"こんな生き方" 中国~旧ソ連編(11)」
《2007年》
『週刊金曜日』 第673号(10月5日発売)
「中国コピー事情 存在するものすべてにニセモノがある」(フォト・ルポルタージュ)
(pdf 998KB)
『日経キャリアマガジン』(日経HR) 2007年6月号
「海外で鍛えるコア・スキル(上海)」(海外で働く人の実例紹介記事)
『BICYCLE NAVI』(二玄社) MAY 2007
「WORLD BICYCLE SATELITE CHINA」(中国の自転車事情に関する短いコラム)
『読売ウィークリー』(読売新聞社) 2007年2月18日号(2月5日発売)
「大研究 中国の野望とリスク/巨龍の足元にあふれる『民工』たち」 (特集の中の現地取材ルポ)
(pdf 787KB)
『読売ウィークリー』(読売新聞社) 2007年2月11日号(1月29日発売)
「中国でも総合格闘技! 寝技を操る日本人選手の夢」
(pdf 900KB)
『Link Club Newsletter』 2007年11月号 Vol.150
「《国境を往く》 中国-モンゴル 二大国に挟まれた遊牧民たちの処世術」
『Link Club Newsletter』 2007年9月号 Vol.148
「《国境を往く》 一枚の紙に秘められた力 国境を通過する通貨」(←pdf)
『Link Club Newsletter』 2007年8月号 Vol.147
「《国境を往く》 タイ-ビルマ 川のほとりに広がる数奇なる人生たち」(←pdf)
『Link Club Newsletter』 2007年6月号 Vol.145
「ふたりで生き、ふたりで撮る 写真家夫婦 榮榮&映里」
(←pdf)
『Link Club Newsletter』 2007年5月号 Vol.144
「《国境を往く》 東ティモール―インドネシア 過去の困難と現在の試練を映し出す国境線」
『Link Club Newsletter』 2007年4月号 Vol.143
「《関係性の未来》 上海にイギリスがー「テムズタウン」へようこそ!」(←pdf)
『Link Club Newsletter』 2007年4月号 Vol.143
「《another eye》 オーストラリア「ハットリバー公国」訪問記」(←pdf)
『Link Club Newsletter』 2007年3月号 Vol.142
「《国境を往く》 中国と北朝鮮の国境に架かる橋」
(pdf 1.2MB)
『ちゃぐりん』(家の光協会) 2007 年7月号
「世界の市場と朝ごはん 中国」(リレー連載。上海の市場と朝ごはんを紹介する子供向け記事)
『海外キャリアの歩き方』(転職応援サイト イーキャリア)
「第21回 中国 人材コンサルタント 石城戸舞さん」(2007年4月3日公開)
『自然と人間』 2007年11月号
「人びとの海 トナカイ遊牧民―ある家族の決断」
『自然と人間』 2007年8月号
「人びとの海 2時間後の贈り物」
『自然と人間』 2007年6月号
「人びとの海 北京「直訴村」の風景」
『自然と人間』 2007年4月号
「人びとの海 「民工」の暮らす部屋」
『自然と人間』 2007年2月号
「人びとの海 28歳の新たなる挑戦 -後編-」
『SQUARE』 2007年12,1月号
「近藤雄生の"こんな生き方" 中国編(10)」
『SQUARE』 2007年10,11月号
「近藤雄生の"こんな生き方" from モンゴル(9)」
『SQUARE』 2007年8,9月号
「近藤雄生の"こんな生き方" from 東京(8)」
『SQUARE』 2007年6,7月号
「近藤雄生の"こんな生き方" from 上海(7)」
『SQUARE』 2007年4,5月号
「近藤雄生の"こんな生き方" from 上海(6)」
『SQUARE』 2007年2,3月号
「近藤雄生の"こんな生き方" from 上海(5)」
『上海ジャピオン』(ネット版『上海ヴォイス』) 2007年7月20日 154号(上海の日本語週刊新聞)
「特集 1泊2日で楽しむ太陽島」
『上海ジャピオン』 2007年6月22日 150号
「特集 上海の海で遊ぼう!」
『上海ジャピオン』 2007年5月25日 146号
「特集 夜行列車で行こう!」
『上海ジャピオン』 2007年4月20日 142号
「特集 ふらり、魯迅公園を歩く」(上海虹口の魯迅公園を紹介する特集記事)
『上海ジャピオン』 2007年3月23日 138号
「特集 ふたりでめぐる泰康路」(上海のアート街・泰康路の田子坊を紹介する特集記事)
『上海ジャピオン』 2007年2月16日&2月23日 134号
「特集 春節は上海博物館へ!」(上海博物館を紹介する特集記事)
『SUPER CITY SHANGHAI』 2007年5月号(上海の月刊日本語情報誌)
「中国・路傍の人々 路上の障害者たち」
『SUPER CITY SHANGHAI』 2007年4月号
「中国・路傍の人々 小道に溢れるいくつもの人生」
『SUPER CITY SHANGHAI』 2007年3月号
「中国・路傍の人々 都市という「異国」で働く民工たち」
『SUPER CITY SHANGHAI』 2007年2月号
「中国・路傍の人々 『どくろ杯』の著者・金子光晴が暮らした「余慶坊123号」のいま、むかし」
『SUPER CITY SHANGHAI』 2007年1月号
「中国・路傍の人々 バラ売る人びと」
《2006年》
『ji ジャパニーズインベスター』(フィナンシャルメディア) No.51 2007 Winter(2006年10月発行)
「海外発 マネーレポート 世界の教育投資 中国で広がる極端な教育格差」
『読売ウィークリー』(読売新聞社) 2006年8月6日号(7月24日発売)
「上海名物「ニセモノ」市場の閉鎖」
(pdf 432KB)
『読売ウィークリー』(読売新聞社) 2006年4月30日号(4月17日発売)
「フォト・ルポ上海 近未来ビルの直下で物乞いして生きる人々」
(pdf 504KB)
『The Japan Times Junior』 2006年9月12日発売 Vol.1 No.2
"Breakfast around the world"(世界の朝ごはん) --中国・徳欽でチベット文化を味わうぜいたくな朝食--
asahi.com(朝日新聞社)のコラム<世界のウチ> (2006年8月16日掲載)
「昆明の豊富なミネラルウォーター、そのウラには......?」 (プロフィール)
(中国・昆明、エッセイ系記事)
asahi.com(朝日新聞社)のコラム<世界のウチ> (2006年6月28日掲載)
「太陽だけじゃ、やっぱりつらい」
(中国・昆明、エッセイ系記事)
asahi.com(朝日新聞社)のコラム<世界のウチ> (2006年1月25日掲載)
「『春城』の盲点」
(中国・昆明、エッセイ系記事)
『上海ジャピオン』 2006年11月17日 122号
「第4回 寄ってこ!!北九州」(北九州市に関する見開き広告 全4回シリーズ)
『上海ジャピオン』 2006年11月10日 121号
「第3回 寄ってこ!!北九州」(北九州市に関する見開き広告 全4回シリーズ)
『上海ジャピオン』 2006年11月3日 120号
「第2回 寄ってこ!!北九州」(北九州市に関する見開き広告 全4回シリーズ)
『上海ジャピオン』 2006年10月27日 119号
「第1回 寄ってこ!!北九州」(北九州市に関する見開き広告 全4回シリーズ)
(取材、文章<連載エッセイ+見どころ紹介文>執筆、一部写真を担当)
『上海ジャピオン』 2006年8月25日 111号
「特集 国慶節の旅(後半) 一瞬の死闘」(インドネシア・ラマレラのイルカ漁に関するエッセイ。ネット版はココ)
『SUPER CITY SHANGHAI』 2006年11月号
「中国・路傍の人々 俺たちと話せば、今の上海が見えてくるよ」
『SUPER CITY SHANGHAI』 2006年10月号
「中国・路傍の人々 誰か助けてください」
『SUPER CITY SHANGHAI』006年9月号
「中国・路傍の人々 路の上の"しぶとい面々"」
『SUPER CITY SHANGHAI』 2006年8月号
「中国・路傍の人々 息子をたずねて三千里」(新連載)
『SUPER CITY SHANGHAI』 2006年7月号
「特集 決定版 うちの子に合った塾はここ!」(このリンク先に一部掲載されてます)
『SUPER CITY CHiNA ビジネス』 2006年7月号
「おススメ古本」、「掘り出し物に名著あり」(書評3つ)→「掘り出し物に名著あり」はこの号から毎号掲載
『ダカーポ』(マガジンハウス) 596号(2006年11月22日発売)
「北朝鮮半入国」(dacapo ORIGINAL 海外版、中国・上海、エッセイ系記事)
『ダカーポ』(マガジンハウス) 592号(2006年9月20日発売)
「Eがつく『MBA』コース」(dacapo ORIGINAL 海外版、中国・上海、エッセイ系記事)
『ダカーポ』(マガジンハウス) 590号(2006年8月16日発売)
「月180円の部屋」(dacapo ORIGINAL 海外版、中国・上海、エッセイ系記事)
『ダカーポ』(マガジンハウス) 585号(2006年6月7日発売)
「ニセ・ブランド品」(dacapo ORIGINAL 海外版、中国・上海、エッセイ系記事)
『ダカーポ』(マガジンハウス) 579号(2006年3月1日発売)
「火鍋の激戦区」(dacapo ORIGINAL 海外版、中国・昆明、エッセイ系記事)
『SQUARE』(進学塾SAPIXの情報誌) 06年12月/07年1月号
「近藤雄生の"こんな生き方" from 上海(4)」
『SQUARE』 2006年10,11月号
「近藤雄生の"こんな生き方" from 上海(3)」
『SQUARE』 2006年8,9月号
「近藤雄生の"こんな生き方" from 上海(2)」
『SQUARE』 2006年6,7月号
「近藤雄生の"こんな生き方" from 上海」(自分史的なエッセイ。新連載)
『子ども英語』(アルク)2006年7月号
「みんなともだち What Do You Ask Her?」(英語教材記事 リレー連載に参加)
(昆明の小学生の話)
『hu-ism (上海風)』(上海画報出版社) 2006年5月号
「タクシーの背中に」(「季節の香り」欄、エッセイ)
『望星』(東海大学出版会) 2006年5月号
「悠久の時を生き、一瞬の死闘に賭ける」(ルポ・四百年の古法で捕るクジラやイルカ――インドネシア・ラマレラ)
(pdf 1.2MB)
『自然と人間』 2006年12月号
「人びとの海 28歳の新たなる挑戦」
『自然と人間』 2006年10月号
「人びとの海 中国・ニセモノ産業の一風景」
『自然と人間』 2006年8月号
「人びとの海 上海の日本人経営者の嘆き」
『自然と人間』 2006年6月号
「人びとの海 『誰か助けてください』」
『自然と人間』 2006年4月号
「人びとの海 変わらない上海の裏道で」
『自然と人間』 2006年2月号
「人びとの海 昆明に生きる『大家族』」
『ちゃぐりん』(家の光協会) 2006 年5月号
「世界の農家の子どもたち」(リレー連載に参加。昆明の農家の小学生を紹介。子供向けの記事)
『ENGLISH JOURNAL』(アルク) 2006年4月号
「海の向こうで見つけた私」(人物紹介 リレー連載に参加)
(昆明でカフェを経営する友人、尚子さんを紹介する記事)
《2005年》
『世界』(岩波書店) 2005年9月号
「『ラペ』と呼ばれた日本人――ある残留兵の戦後」(タイ・メーホーンソン)
(pdf 2.1MB)
『週刊金曜日』 第554号(4月22日発売)
「雲南省・昆明レポート 相手への想像力こそ問題解決の決め手」
(記事)
『自然と人間』 2005年12月号
「人びとの海 タイ・ビルマ国境に残る元日本軍人 『残留』という選択」
『自然と人間』 2005年10月号
「人びとの海 第12回 祭りのあとで (中国・チベット編)」
『自然と人間』 2005年8月号
「人びとの海 第11回 二胡とともに乗り越えた過去 (中国編)」
『自然と人間』 2005年6月号
「人びとの海 第10回 昆明の若者たちと「日本」 (中国編)」
『自然と人間』 2005年4月号
「人びとの海 第9回 中国系南アフリカ人エドワードの帰郷 (中国編)」
『自然と人間』 2005年1月号
「人びとの海 第8回 日本人祖父が遺したもの (タイ編)」
『沖縄タイムス』 1月25日 「悲劇の記憶の貴重さ感じる」
(日本・沖縄、投稿記事)
《2004年》
『週刊金曜日』 第533号(11月19日発売)
「国境の向こうに帰る日のために ビルマ難民とともに生きる日本人・カレン人夫婦」(pdf 597KB)
『週刊金曜日』 第519号(8月6日発売)
「60年後の間隙 オーストラリア・カウラ日本人捕虜暴動事件の跡」(pdf 544KB)
『週刊金曜日』 第511号(6月11日発売)
「二歳になった国 独立2周年を迎えた東ティモール」(pdf 1.19MB)
『望星』(東海大学出版会) 2004年2月号
「罪と、時代と 『生体解剖』の軍医として生きた男の『いま』を追う(下) 」
『望星』(東海大学出版会) 2004年1月号
「罪と、時代と 『生体解剖』の軍医として生きた男の『いま』を追う(上) 」
(日本)
『自然と人間』 2004年11月号
「人びとの海 第7回 タイに生きる白人仏僧 (タイ編)」
『自然と人間』 2004年9月号
「人びとの海 第6回 ラマレラのラマファたち (インドネシア編)」
『自然と人間』 2004年7月号
「人びとの海 第5回 世界一若い国のサッカー監督 (東ティモール編)」
『自然と人間』 2004年5月号
「人びとの海 第4回 プリンス・レナードの知られざる公国 (オーストラリア編)」
『自然と人間』 2004年3月号
「人びとの海 第3回 オーストラリア最後のクジラ捕り (オーストラリア編)」
『自然と人間』 2004年1月号
「人びとの海 第2回 故郷・ジンバブエから遠く離れて (オーストラリア編)」
「東京ビデオフェスティバル2004」(ビクター主催)にて、優秀作品賞受賞
短編ドキュメンタリー映像 「ある二人の戦後」(共同制作者:吉田史恵)
《2003年》
『週刊金曜日』 第469号(7月25日発売)
「なんとか治したい 吃音矯正所にすがる人々」(←pdf 「日本吃音臨床研究会」HP内)(ここからもダウンロードできます→pdf 627KB)
(日本)
『自然と人間』 2003年11月号
「人びとの海 第1回 オーストラリア日系2世・三瀬幸次郎の生きた20世紀 (オーストラリア編)」
《2002年》
『季刊中帰連』 第23号(12月発刊) 「永富さん、安らかに」(元日本兵・永富博道氏追悼文)(pdf 935KB)
《2001年》
『SEVEN』(朝日新聞社)
2号(ニュース記事)
6号(ニュース記事、特集記事)
7号(特集記事)