(夕暮れの教会)
アテネから東に船で8時間ほど来たエーゲ海の浮かぶ島、アモルゴス(Amorgos)島にいます。ギリシャの他の島もおそらく似たり寄ったりで、特にここだけがすごいわけではないのかもしれませんが、とりあえずぼくらにとってはマジで、
アモルゴス、最高!!
です。ここ数日、この旅で最も贅沢な時間を過ごしている気がします。まだシーズンオフで泳げるほどあったかくはないし、海のきれいさで言っても、オーストラリアのエスペランスや東ティモールにはかなわないな、という印象なのですが、なんと言っても、完全に白と青で統一されたこの街並みの美しさには圧巻です。決してツーリスティではなく素でこんな感じになっていて、また、ケバケバしさがなく、とてもシンプルであっさりした白と青の爽やかな美しさが、とても気に入っています。「グラン・ブルー」の撮影地に選ばれた理由が、よく分かりました。
(島にある全ての村が、このように白と青で統一されている。空とも、ギリシャの国旗ともマッチしたとても爽やかで美しい世界)
(小さなビーチがいくつもあって、そのそばには、小さな教会がポツポツと立っています)
毎日、外に出るたびに、宿の前の同じ風景を見て、きれいだなあ、きれいだなあ、と感じているのは、これまで初めての経験のような気がします。そしてそれはとても幸せなことだなあ、とつくづく実感してます。
(ぼくらの"家"に続く道)
しかもいまはシーズンオフのため、観光客はとても少なく(もともとそれほど観光客の多い島ではないらしいです)、すごい居心地のいい宿が、かなりお手ごろな値段で泊まれてます(ベッドルーム二つにキッチン、リビングがついた、新しくとてもきれいな家を丸ごと借りて、二人で一泊25ユーロ。ぼくらのこれまでの感覚で言えばかなり高いけれど、それでもこのクオリティなら全然安いと思える環境です)。メシは結構高い割りにどこもいまいちっぽいので、ほとんど自炊。
(今日の昼食はこんなオーシャンヴューのベランダでリゾット!)
話は戻りますが、アテネからのフェリーのこと。17時半にアテネを出発して、深夜1時すぎにアモルゴスに着くことになっていて宿も決めていなかったので、さて着いたらどうしようかと思っていたのですが、なんとぼくらはアナウンスを聞き逃し、降り遅れてしまいました。やばい!、と思って荷物を持って走って出口に向かったら、「何やってるんだ?もう出港しちゃったよ」といわれ、どうしよう!?と思っていたら、「朝またアモルゴスに戻ってくるから、そのときに降りなさい」と。ちゃんと降りていたら、深夜におろされて海辺でウロウロすることになりそうだったので(港は建物も何もないただの海辺)、実はこれはとてもラッキーでした。
(アモルゴスの港カタポラ)
(港からうちまでは歩いて5分もかからない。これはその途中にある家)
もう今日で3泊目。昨日は、1日車を借りて、島の北から南までほぼすべてを走破(南北50キロぐらいしかないので)。久々に運転して疲労困憊でしたが……。今日は、散歩して、ドラマみて、仕事の原稿を仕上げて、ととてものんびり。
(昨日唯一、ちゃんと交流できたおじいちゃんとその孫。なぜかかなりひと気のない島で、英語もほとんど通じないため人との接触があまりないのが残念)
(島の中心をなす村ホラ(Hora)ここもすべて真っ白)
このままここで暮らしてしまいたい……、と思わせるような場所で、前回も書いたとおり、村上春樹や池澤夏樹が、ギリシャで暮らしていたというのがとても納得です。確か「ノルウェーの森」はギリシャで書かれたんじゃなかったかと記憶してますが、こんなところで小説書いたら、とてもはかどりそうだなあと想像しました。
多分あと一日この島にいて、それからもう一つ別の島によってから、アテネに戻ります。こんな贅沢な気分を味わえる日々は、ぼくらにとってはそうそうないような気もしています……。
(日の暮れゆく港カタポラ)
(アテネが誇る巨大な遺跡の一つ。これは"Temple of Olympian Zeus"。ゼウスに捧げられたtemple。2000年ぐらい前のもの。この場合templeは日本語だとどう訳すのだろう?)
21日に従弟が帰りました。イスタンブールからアテネにかけて、ダラダラしがちないつもに比べてかなり密度が濃かったため、1週間とは思えないほどいろいろとあったような気分になりました。
(従弟の最後の夜にエレクトラと。日本食とギリシャ料理をシェアしてナイスディナー。従弟が日本から持ってきてくれたほんだしと味噌で、ぼくらも久々の日本の味を満喫しました)
アテネについてからは3人で、エレクトラとグレケリアというとってもフレンドリーなギリシャ人女性の家に2泊。たったの2、3日だけだったのに、二人とは旧知の友達だったというぐらいに親しくなれた気がして、離れがたかったぐらい。
(エレクトラと。なかなかこんなに2日で親しくなれる人もいないなあ、というぐらいいい出会いでした)
でも従弟が帰るともに、ぼくらもエレクトラたちの家を出て、いまは日本好きの26歳ギリシャ人男性コンスタンティヌスの家にお世話になってます(名前がみなギリシャっぽい!)。彼もまたとてもいいやつで、毎回毎回、会う人に恵まれてるなって感じてます。ちなみにギリシャ人、とても日本文化好きが多い印象。昨日、コンスタンティヌスの友達たちと大勢で会ったのですが、その中にいた30歳の女性が「子どものころ日本のアニメとともに育ったから」と言っていて、何のアニメかを聞いたらなんと「キャンディー・キャンディー」。コンスタンティヌスも「おれもキャンディー・キャンディーは見てたよ」と。まさかキャンディー・キャンディーがギリシャで知られているとは意外でした。あと、グレケリアは「デスノート」が好きで、その彼氏も松本大洋の「鉄コン筋クリート」がいいと言っていたし、メジャーな"AKIRA"や宮崎駿もの以外も、日本アニメの浸透ぶりには驚かされてます。
(コンスタンティヌス。とっても陽気で親切。彼を通じて、さらに多くのギリシャ人、アメリカ人、コロンビア人、スペイン人などとも会えて、アテネはなかなか交流満載)
さて、従弟がいるうちにアテネの名所は大体見てきました。やっぱりギリシャといえば、なんといっても、アクロポリスのパルテノン神殿! 幼少期から歴史の教科書とか資料集でいやというほど目にしてきたものだからってこともあって、さすがに実物を目の前にしたときは、なかなか感激でした。大学のときに、一般教養でギリシャの歴史みたいなのを取ったら(「環境社会学」とかって授業だったかな)、受講者が自分ひとりで、先生とマンツーマンでギリシャの歴史を詳しく女性の教授に習ったのを覚えています。そのときはにわかに詳しくなっていたはずだけど、10年経った今、全く記憶になく実に残念。実物を見たら、いろいろ思い出すかなとか淡い期待もあったのだけど、その気配全くなし。あの先生にいまあったら、がっくり肩を落とされそうです。
(パルテノン神殿!長期に渡る改装中でやたらと金属の足場などが見えちゃってるのが残念……)
(パルテノン神殿のあるアクロポリスの丘の上から見たアテネの南側。左手前に見えるのが古代の劇場跡(カタカナ表記を見てないせいか、全然名前が覚えられない……)で、ここから劇というものが始まったとか。)
でもやはりギリシャ時代の遺跡というのは、シロウトにとっても圧巻です。ソクラテスやプラトン、ピタゴラスらがこの辺をウロウロしていたかもしれない……と想像するだけで、ゾクッとできるような場所でした。
明日からは、アテネを離れてエーゲ海の島に行く予定。リュック・ベッソンの「グラン・ブルー」の舞台となった(撮影に使われた)小さな島があってそこに行きます。ギリシャはやっぱり島が本当にきれいみたいで、久々に(インドネシア、東ティモール以来?)極上の海が見られそうで楽しみです。
(明日24日夕方の船でAmorgosに向かう予定。船で8時間ぐらい。「グラン・ブルー」は二人ともとても好きな映画で、かなり期待が高まります!ここからまたアテネに戻り、そのあと少しずつ西に向かっていく予定)
これからテントも購入予定。ギリシャ、イタリアをはじめ、ヨーロッパにはキャンプできるところが多いので、コストダウンのためにも、キャンプという選択肢も活用しようと思ってます。
(アテネはなかなかカッコいい街で気にいってます。雑然とした近代的なワイルドさと、重厚な古代遺跡が隣り合っていて、ギリシャって感じです)
ギリシャは、アテネの雰囲気もとてもいいし、住みたいなと思わせる場所です。村上春樹も池澤夏樹もギリシャに住んでいたのですが、なんか分かる気がします。って言いつつ、まだアテネぐらいしか見てませんが……。
ここ数日は仕事の原稿書きに集中してますが、なかなかうまくいかずストレスたまり気味……。近々、久々にいくつかの企画が一般の商業誌に登場できそうです。
(テッサロニキ(アテネではなく)のアリストテレス像。こういうのをみると、ギリシャ!って気分になります)
イスタンブールで更新してからまだ6日ですが、今日(19日)すでにアテネに着きました!
14日に従弟がイスタンブールに到着して、15日はイスタンブールを見学して、16日からは怒涛の移動の日々でした。21日に従弟がアテネから日本に飛ぶため、19日にはアテネに着いておきたかったので。車を乗り継ぎ、船にも乗って、田舎の村か島でも見てまわりながら、もっとすんなりいけるかと思っていたのですが、なかなかうまくいかず(車も乗せてもらえず、船も日程が合わず)、結局ギリシャに入ってからは電車とバスを次々乗り換えてひたすら南進、という数日になってしまいました。
(イスタンブールのオールドタウン)
(イスタンブールのニュータウンの目抜き通り)
(イスタンブール。ボスポラス海峡を渡るフェリーから見たヨーロッパ側。写真ではあまり伝わりませんが、本当に雰囲気のあるいい街でした。好きな首都ランク1位かも?)
(従弟と食べたオリーブオイルのトルコ料理。少量ずつすきなものを取って、パンと一緒に食べる。ケバブとは違ってさっぱりしていて、なかなか美味)
16日はイスタンブールからトルコ側の国境の町エディルネ(Edirne)まで行き、一泊。イスタンブールからエディルネまでの250キロほどは、順調にトラックや乗用車を乗り継ぐことに成功し、相変わらずのトルコ人の親切さを堪能しながらの移動になりました。
(イスタンブールからエディルネまで乗せてくれたトラックの運転手と、分かり際に。これまた陽気で気さくな人物。左は従弟)
(国境を越えてギリシャ側に入ってすぐのところ。両国側とも公園にようなのどかな国境でした)
17日、ギリシャへと歩いて国境を越え、ここからも同じようにトラックで……と思っていたのですが、これが予想外に大難航。大きな幹線道路までテクテク歩いて、ここぞというところで1時間以上待ったのですが、全く誰も停まってくれず。その代わりに警察が2度も「なにやってんだ?」って感じで現れて、「バス停に行きなさい」とたしなめられる始末。しかも2度目なんて、2台のパトカーがぼくらを見つけると寄ってきて、尋問したあとまたもとの方向に戻っていったので、おそらく誰かから「変な連中がいるから、見に行ってくれ」と通報でももらってやってきたような……。そんな展開と、強風に疲労困憊させられ、あきらめようということになりました。
それからはバスに乗って、アレクサンドロポリ(Alexandroupoli)というギリシャっぽい名前の街まで行ってまた一泊。3人とも激しく疲労していたものの、宿を探しているとき、笑える中国人に遭遇。ギリシャで2年ほど商売をやっているらしい男性で「宿探しにつきあってやる」ってことになって、ギリシャ語が話せる彼がぼくらの代わりに交渉してくれたのですが、なぜか気づいたら4人で泊まるための交渉を開始。「4人2部屋で60ユーロだ、これ以上安いところはないよ。ぼくも一緒だ」と。「おいおい、なんであんたまで入ってるんだ?」とぼくら。3分前にばったり出会った中国人と従弟がいきなり二人で泊まるっていう展開もありえないので、別のホテルの3人部屋に泊まりましたが、あの中国的な強引な勢いが久々に懐かしく面白かったです。
(電車の車窓から見たギリシャの田舎の風景。白い家が続いて、ギリシャはイメージどおりの世界でした)
(テッサロニキは海沿いの都市。この先につながるのがエーゲ海。)
翌日さらに、テッサロニキ(Thessaloniki)という街まで電車で6時間ほど移動したのですが、そこには中国人街らしきものがあり、中国人がやたらといて、夜久々に中華を食べて、「やっぱり中華はうまい!」と3人で軽く感激しました。中国語も久々でかなり衰えを感じましたが、中国人はギリシャ人に比べたらやはりぼくらには身近な存在。グルジアの田舎町にも中国人が店を開いていたけれど、どこの住人にでもなってしまえる彼らのタフさはすごいです。しかも、全くギリシャっぽくならず、中国の雰囲気をそのまま移植してしまっているのが驚異的。中華料理屋は看板も何も出ていないビルの二階にあり、上がっていくと、そこは完全に中国の安食堂の世界……。自分たちがギリシャにいることをすっかり忘れてしまう1時間ほどのディナーでした。
テッサロニキから船に乗ってアテネへと思っていたものの、時間的に全く無理で(というのは19日までにアテネに着かないといけなかったため)、結局18日の深夜発の夜行バスでアテネへ。そして今日の朝到着。いまは、カウチサーフィンで見つけた25歳の女性の家に泊めてもらっています。若い女性二人で住んでる大きな家で、二人ともとても親切なギリシア人。そういえば、イスタンブールで後半泊めてもらったのは、超フレンドリーで面白いトルコ人のナイスガイ二人の家。しかも、ひっきりなしにいろんな外国人が出入りして、香港人、ぼくら、アメリカ人、トルコ人で、毎日わいわい賑やかに過ごしていました。2ヶ月ですでに30人のカウチサーフィンの人が泊まりに来ていて、誰もにカギを渡して、次々にいろんな人を好きに出入りさせているというのは、驚きの寛大さです。なんか問題起きないのかな……ってこっちが心配してしまうぐらい。
(イスタンブールで泊めてもらったセルジャン(右下の人)のうちで。左側は香港人とアメリカ人。久々に料理しました)
さて、アテネ。とりあえず今日、パルテノン神殿の周囲を歩きましたが、ユネスコのマークにもなっているパルテノンを見たときは、さすがに感慨深いものがありました。この辺でソクラテスやプラトンがたむろしていたのでは……なんて想像しながら、ぶらぶらと散歩を楽しみました。
(イスタンブールからだいぶ移動しました。イスタンブールからエディルネ(Edirne)までがトラック、アレクサンドロポリ(Alexandroupoli)まではバス、テッサロニキ(Thessaloniki)までは電車、アテネ(Athens)までは夜行バス。連日の移動はなかなかハードでした~)
アテネでは今日大きなストライキがあり、その様子はBBCニュースでも流れていました。ギリシャのニュースなんてBBCで見たことなんてほとんどないのに、ちょうど着いた日にテレビでアテネを見るというのはなんかびっくりでした。その他、先月訪れたアルメニアの首都イェレバンでも、大統領選挙のあとにデモから暴動になり、8人が死亡して、非常事態宣言が出されたというニュースをみ、また4ヶ月ほど前に訪れたチベットもいまあんなに大変なことになっているのは本当にびっくりです……。いろんな出来事がとても身近に感じられて、いろんなことが気になります。
しかし、ぼくらの当面の問題はヨーロッパの物価の高さ。もう完全にアジアでのことを忘れないとやってられません。今後の旅の展開にも大きく影響してきそうです……。
従弟も21日には帰国なので、残すところあと2日ほど。とても早いです。従弟のおかげで、いつもとはちょっと違った気分で新鮮に旅を続けられています。
10日に、イスタンブールに着きました!
前回いたメルスィンから電車で二十数時間、久々にかなり長い移動となりましたが、首都の駅とは思えないとてものどかなトルコらしい終点駅で電車を降り、目の前にボスポラス海峡が広がっているのを見たときは、おお~ついにここまで来た!という感動が湧き上がりました。でも、なんだか達成感も出てしまい、疲労が溜まっていることもあって、もう旅も終わりかなって気分になってきたのも確かだったり……(正直、少々疲れてきました~)。
(東部は小刻みに移動したけれど、今回は一気にイスタンブールまで。列車は時間はかかったけれど、バスよりもぐっと安くて、しかも快適。これからまた南西部に下って、船でギリシャに渡りたいと思っていますが、いまの時期、どうも船がなさそうで陸路になるかもしれません……)
イスタンブールは聞いていたとおりに独特な雰囲気を持ったとてもナイスな街です。ボスポラス海峡を挟んで西がヨーロッパ側、東がアジア側と街が大きく分かれていて、昨日まではアジア側に住んでいるトルコ人夫婦の家に泊めてもらっていましたが、フェリーに乗ってボスポラス海峡を越えてヨーロッパ側に入る度に、「これがあのボスポラスか~」と思わずにいられませんでした。これから歴史でならった大御所の地名が続出しそうで、それもなかなか楽しみです。
(イスタンブールのアジア側の端に立つハイデルパシャ駅。こここそがアジアの終点?)
イスタンブールは大都会なだけあって、さすがに人の感じは田舎のように「いやあ人がいい!!」って印象は受けてませんが、それでもトルコの好印象は変わらず、印象の良い国ほぼトップの座をいまもキープしてます。前回書いたCouchSurfingで見つけた同世代のトルコ人夫婦の家に泊まっているのですが、彼らがとてもいい人たちであることもその要因の一つです。
彼らは37歳&29歳(たぶん)の新婚さんで、快適なマンションに住んでいて、こんなところにタダで泊めてもらっていいの?というぐらいの居心地のよさ。一昨日は、奥さんの両親の家にディナーに招待してくれて、いろんなトルコ料理を満喫。
(お母さんがぼくらのために、丸一日かけていろんなトルコ料理を作ってくれました!たとえば下写真の手前のはメンチカツのようなのですが、ころもにいろんなスパイスやら麦の一種やらが入っていて複雑な味。トルコ料理ってケバブだけかと思ってたら、そうではないことが分かりました)
昨日(12日)は実はぼくらの結婚5周年(早い!)記念だったのですが、薦めてもらった魚料理の店に二人で行くと、なんと彼らがサプライズで、店の人にぼくらのためのデザートを用意してもらっていて、食後にケーキが出てきて「さあ、ろうそくを!」と二人でろうそくの火を吹くことになりました!思わぬところでお祝いをしてもらうことに。感激でした。本当は、久々に寿司でも食べに行こうと言っていたところ、かなり高い上に味の良し悪しも分からないために、結局手ごろな店で地味に落ち着いてしまいそうだったのですが、彼らのおかげで、なんとか記憶に残る一日になりそうです。(ちなみにここまで5回の結婚記念日は、オーストラリア(モンキーマイア)、昆明、上海、上海、そしてイスタンブール。詳細を思い出そうとしても、上海の2回はいまいち思い出せず……。なんでだろう。来年は……日本かな?)
(泊めてもらっている夫婦・アルプとセラップ(左の二人)とその家族。ディナーの後で。知的で穏やかな雰囲気のとても素敵な家族でした)
しかも驚いたことにこの夫婦、旦那がフリーライターで奥さんがケータリング会社勤務という組みあわせで、なんと上海当時のぼくらと全く同じ!奥さんの働く会社と素子が働いていた会社がトルコでもライバル会社のようで、そんな偶然にもびっくりしました。彼らと話しているうちに、トルコのこともいろいろと知るようになってきましたが、びっくりしたのはこんなに物価が高いのに、イスタンブールでは多くの人が月収400ドルほどでやりくりして暮らしているらしい、ということ。ガソリンが1リットル300円近く(!)するため、まず交通費が高く、400ドルではとても無理なんじゃないかという気がするのですが、これもまた中国のようなマジックがあるのかもしれません。。。
3日泊めてもらった彼らの家を今日出て、今晩からは別のまた同世代のトルコ人の家にお世話になります。イスタンブールは、バックパッカー用の安宿がドミトリーで10ユーロ前後もしてしまうような物価なので、カウチサーフィンは本当に助かっています。しかも、ちょっとだけだけど、この街に住んでいるような錯覚に陥ることができるし、友達も増えるし。
西に移動するにつれ、よくも悪くも、非常に常識的な世界になってくるため、なかなか刺激を得るのが大変です。地元の人と知り合ったりするなどしてなんとか自分たちで盛り上げていこうとしてますが、いまいちパンチに欠ける日々になりがちです。何も不便はなく快適だけど、不思議なことも起こらない、っていうような。でも、そんな日々を繰り返していくうちに、またもとの生活に順応していくのかもしれません。
明日14日からは従弟が合流します。ちょっと駆け足だけど1週間でアテネまで行く予定のため、トルコも残りわずかです!
(市内の地下に広がる1500年ほど前の貯水池の中で見つかったメディウサの頭の像。なぜかさかさに作られていて、この状態で1500年とか置いてあることを思ったら久々にゾクッときました)
(アンタクヤのそばの街で見た初めての地中海!)
いまは地中海沿いのメルスィン(Mersin)という街にいます。ここの前は、シリアとの国境に近いアンタクヤ(Antakya,もしくはHatay)にいたのですが、もうそこからすっかり春または夏の陽気!最近は連日20度を越える日々で、今日はついにTシャツで出歩きました!
周囲はヤシの木に囲まれ、目の前は地中海。そんなシーサイドカフェの無線ランでネットをアップしてますが、もうこうなるとマイナス20度の世界はホントに全く別世界の出来事のようです。。。やっぱり海はいいなあとか、あったかいのは幸せだなあとか、しみじみとそんなことを感じてます。
(もう桜も満開!)
トルコに入ってからここメルスィンまで乗せてもらった車は計17台(多分)。途中で長距離バスを一度とミニバスに2回ほど乗ってますが、前回のアップ以来も全く変わることなく人の親切さに恵まれながら過ごしてます。
街が大きくなると車探しがなかなか大変です。まだ車どおりの多い街中の路上で車を物色していると、だれか親切な人が寄ってきて「バスターミナルはあっちだよ」とか言われてうまく断れずにそのまま案内されてしまったり、「いや、バスには乗らないんです。普通の車をここで待つから……」とか言ったら「どういうこと?もう、勝手にしろ」って感じで怪訝な顔をされたり、ということもあります。
なのでとりあえず郊外に出ないといけないのですが、それが一番面倒です。大きな荷物しょって、歩くか市内バスに乗るかして、高速が始まるようなところまでいくのですが、大きな街になると歩くのが大変だし、市内バスに乗るにも、ちょっと街を出たところまで行きたいというのがぼくらにはほとんど説明不可能だし。。。
でも、一端その段階をクリアできれば、もうあとはラクショーです。でも昨日は、せっかく高速入り口のポールポジションを確保し、これはもらった!とウハウハしていたものの、方向が違って……。
あと、最近ホテルの代わりに利用し始めたのがCouchSurfing, HospitalityClubという、旅行者同士、お互いに無料で家に泊めあうネット上のネットワークです。登録して、自分の行く予定の街を検索すると、そこの会員が見つかって、連絡して泊めてもらう、という流れです。これが、たとえばイスタンブールレベルの街だと会員が1000人レベルでいるし、メルスィンの前に泊まったアンタクヤ(全然小さな町!)にも十数人もいて、もうこれは利用するしかない!と、始めました。まだアンタクヤでCouchSurfingを使って2泊しただけですが、アンタクヤでは、そのおかげで多くの地元の人とも知り合って交流できて、とても楽しく過ごせました。田舎のホームスティとはまた違った、都会の人々の生活に入り込めます。物価の高いヨーロッパでは、これがハードに活躍しそうな予感です。イスタンブールもすでにカップルの家に予約済み。
興味のある人は、是非チェックしてみてください。ちなみに、ぼくらはいまこんな状況なため、こちらが日本で泊める場所を提供することはできませんが、それでも問題ありません。日本に帰ったら是非ホストしたいですが。
数日後にはイスタンブールにいる予定です。14日にイスタンブールから一週間ほどぼくの従弟が合流し、一緒にアテネまで行きます。
(トルコ人、本当に親切です!)
いまもまだ前回と同じウルファ(Sanliurfa)にいます。すっかり春らしい気候の中、大きめの街でいろいろと用事をこなしてます。一つは、村でなくなったお金の件で、もうちょっと粘ってみようと宿のオーナーと、ウルファに住む村の家族の親戚の人に協力してもらって話し合いました。でも、やはり何も進展はありませんでしたが、まあ、やることはやったかなっていう感じです。
ところで、前回も書きましたが、トルコに来て、無線ランがかなり充実していてびっくりしてます。泊まった二箇所の安宿の両方ともに無線ランが入っていて、いまも宿から。しかもかなり快適な接続で、こんなことはこの旅初かも(中国もたまに宿に無線ランあったけど、どこも遅かった)。ネットって普通はこんなに速いもんなんだって先進国の基準を思い出してます。っていっても、上海の家のネットもかなり遅かったからまだぼくらはきっと日本とかの本当の速さは知らないようにも思いますが……。
今日はこれからまた車を探してぐんぐん西へ向かいます。どこまで進めるか分からないし、どこに泊まることになるかもわからないのですが、トルコはなんかそんなことも関係なく気楽に旅できる雰囲気があります。
昨日宿では久々に大学生の日本人旅行者に遭遇。彼によれば、イスタンブールなどは旅行者だらけということで、そんなことでついに春がきたんだなあということを実感しています。冬の服も近々処分して、身軽になって先に進みます!
(ウルファから40キロほど南に行った古代都市ハラン(Harran)。旧約聖書の大御所預言者(でしたよね?)ヤコブやらが住んでたりした街のようで、5000年前の石造建築が残ってたりしてすごいです。でもぼくは「ヤコブの井戸」という名所で滑って井戸に半分落ちて泥だらけに(笑)。写真の草原の奥の方はシリアです)
グルジアからトルコに抜けて、いま4泊目を迎えています。
(グルジアからトルコとの国境まではずっときれいな黒海が)
グルジアのバトゥミから黒海を右手に見ながら数十分もミニバスで走ったらもうトルコとの国境でした。とても簡単な国境をさっと越え、トルコ側に入ると、国境職員がいきなりとてもフレンドリーで感じがよく、おお、トルコいい感じかな……?と思っていたら、本当にその通り!というか、なんでこんなに次々ちょー親切キャラが次々に出てくるんだろう?!と驚いてしまうぐらい、いい人だらけのこの国にびっくりしてます!
(これが国境のグルジア側。右手は黒海。数百メートル先はトルコ)
イランもすごかったけど、それ以上の超好印象を受けつつ、トルコの日々を過ごしています。
(いまいるのがウルファ(Sanliurfa)なので、こうしてみると、トルコは一気に移動してしまってます。ウルファまで乗り継いだ車が10台、バスは1台、ミニバス1台。トルコ1泊目がYusufeli,2泊目はMardinに向かう夜行バス、3泊目がKapakli,4泊目がSanliurfa)
さて、国境を越えて最初の町ホパ(Hopa)に着くと、最初に驚かされたのは物価の高さ!トルコは高いと聞いてはいたけど、バスで数時間の町まで行こうとターミナルでバスの値段を聞くと、なんと一人25ドルほど!って、日本だったらそのくらいは普通なのだと思いますが、これまで旅してきた国と比べると全くびっくり仰天の値段(ってのは言いすぎかもですが(笑))で、耳を疑ってしまいました。ボられてるのかと思いきや、誰に聞いてもそう言うし、確かのよう。しかもその町は、最初の目的としていた場所の中継地の中継地ぐらいで、第二の中継地までは60ドル!って言われて、これはまずい、どうしようかと、ちょっと二人で青くなってしまいました。
そこで、これはもうぼくらも牛山さんに倣って、なんとか乗せてくれる車を探しながら行くしかないなあ、と話しながらとぼとぼ歩いていると、いきなりベンツから声がかかり、「どこまで行くんだ?乗ってけよ!」と。お言葉に甘えて乗せてもらい、数十キロ先で降ろしてもらったあと、今度は本格的に自分たちでやってみようと、ちょっと町のはずれまで歩いていって、笑顔で手を振って親指を挙げていると……、2,3台目の小さなトラックが止まってくれた!
(最初に乗せてくれたトラックの人。笑顔が素敵なイケメン同年代)
一度成功したら、もうあとは次々に乗り換えてあっという間に初日で4台を乗り継いでしまいました。どこでも探し出して2,3台で必ず車が停まってくれ、笑顔で「カム・イーン!」という感じ。巨大なトラックとかが多かったので、そんなに距離は進みませんでしたが、ほとんど2分の1ぐらいの確率で乗せてくれることに本当に驚いてしまいました。こんなに簡単に乗せてもらっちゃっていいのかと申し訳なくなるぐらいでした。
(こんな感じで立っていると、5分以内には必ず誰かが停まってくれる!)
というわけで、初日は全く国境から南に150キロぐらいの山の中の小さな町に泊まりました(ユスフェリ(Yusufeli))。町に着いてもいい人続出で感激の連続。ちょっとしたしぐさとか言葉のかけかたとかがとても親切な感じがするのです。グルジアの印象がよくなかったから、ますますそう思ったのかもしれませんが、翌日からその印象は増すばかりでした。
(トルコの食事は、いまのところこんな煮込み系にパンやライスというのが主流なような。それからもちろん、ケバブも)
2日目も、さらに先を目指して車を探すと、看護士・先生の夫婦&息子が乗る車に乗せてもらい、そのあとは、フセインみたいな見た目の気のいいおっちゃんが一気に120キロほど乗せてくれて、見事最初の中継地となる大きめの町に到着しました(エルズルム(Erzurum))。
その調子でさらにぐんぐん行こうと思ったのですが、残りの距離と宿代などを考えて、あとは夜行バスで宿代を浮かして最初の目的地、マルディン(Mardin)まで行きました。夜行バスは超快適できれいなデラックスバスで、トルコ、EU入りを目指しているのもダテじゃないなという感想。ぼくら的には、もうこの雰囲気と物価だけで、EU入りを合格にしたいぐらい。あ、ネット環境も超良好。いまも宿で無線ラン。ちょっとした町なら多くのカフェに無線ランが入ってるっぽいです。
(マルディンの街並み。非常に歴史ある町らしかったのですが、宿の高さに負けて、さっさと移動してしまいました……)
そんなわけで2日目はバスの中で夜を越し、3日目の早朝6時ごろマルディン着。ここはトルコ南東部でシリアとの国境近く。すでにトルコ縦断となりました。ちなみに、トルコを含むガイドブックをグルジアで買ったものの、トルコのことはあまり載ってなく、この辺は軽くネットで調べた以外ほとんど情報なしでやってきてしまったのですが、そしたらマルディン、町の雰囲気はよかったのですが、もう宿が高くて高くてびっくり!歩いてて現れた宿のほとんどが2人で100ドルとかそういうレベルで、聞きまくってやっと見つけた唯一のボロい安宿が、なんとシャワーなし&汚いシーツ(モトコジャッジ、ひと目でアウト!)で30ドルとかで、唖然……。で、これはいよいよ、と荷物を背負って、疲れた体で、民家を当たりまくるが全然だめ。。。情けないながら会う人会う人に「泊まるところがなくて……」とジェスチャーで当たってみるも、「ホテルはあそこだよ」といわれるのがオチ。バスの疲れもあって(5年前は、夜行バスとか、座って寝るとか全然大丈夫だったはずなのに、この疲労の残りかたはなんだろう?!)残念ながら、もうマルディンは断念して、さらに小さな村みたいなところへ行くことに。で、またトラックに載せてもらって転々としながら最後にたどり着いたのが、カパクリ(Kapakli)という小さな小さな集落でした。ここで出会った羊飼いに、見事歓迎され、この日の宿とさせてもらいました~。
(泊めてもらった羊飼いの家)
どうやってこのカパクリに落ち着いたかといえば、トラックに乗って幹線道路を走りながら、その脇にポツリポツリと見えてくる小さな集落を見ながら、「お、あそこはヒツジと子どもがいっぱいで雰囲気よさそう!」とかそんなことだけで「ここでぼくら降ります!」と停めてもらったというわけです。でもそれが正解だったようで、羊飼いの一家ととても楽しい一日を過ごすことができました。
(カポクリまで乗せてもらったトラック。「こんなとこで降りたら泊まるところないよ!」と何度も念を押されたけど、最後は面白がって、おろしてくれました)
(丘の上からみたカポクリ。ここに15家族、130人ぐらいが住んでいるらしい。きれいに舗装された幹線道路のすぐ脇でこのような生活をしているのが、なんだか当たり前のような不思議なような)
ちなみにマルディンからこのあたりのトルコ南東部は、クルド人、トルコ人、そしてアラブ系、アルメニア系の人も暮らす多民族地帯。砂漠っぽい荒涼とした茶色い風景が続き、アラブっぽい雰囲気(素子は緑っぽいイメージとのことですが)。ついこないだ、トルコ軍がイラクにいるクルド人の過激派グループ(PKK)を掃討するためにイラク入りしたとのニュースを聞きましたが、この辺も非常に複雑な歴史と現状を抱えているような様子を感じました。
泊めてもらった羊飼いの家も、アラブ系だかクルド系だかでなんだか複雑な感じ(ただ言葉が通じてないだけで実は複雑じゃないかもしれませんが)。
(夕食風景。絞めたばかりのチキンのご飯と、トマトジャガイモスープ。とてもおいしかった)
食事の仕方とかは、イランとほとんど同じでした。でも、男女分かれて別々の部屋でみんなで雑魚寝というスタイルはちょっと新鮮でした。
(朝食。すべて自家製(たぶん)のヨーグルト、クリーム、卵、蜂蜜、オリーブをナンと一緒に食べる。ディップして。あとはチャイ)
たった15家族ぐらいしかいない集落なので、次々にいろんな人がやってきて、「おお、ジャポンか!」ということになり楽しく過ごしたのですが、一泊した翌朝、出発前にトラブル発生。素子のバッグが明らかに開けられた形跡があったとのことで、中を確認すると日本円2万円とポーチが一つなくなっていて……。バッグが開けられていたことから、明らかにここでなくなったと思われ、ぼくらもさすがにこの状況を伝えたのですが、家族や村の人たち大勢が集まってきて、みなで「いや、誰もそんなことはしない」「でも、バッグが開いていたのは確かで……」とか、というやり取りが続いてしまいました。いろんな状況的に、多分この子だろうな、というのはぼくらの中であったものの、むやみには疑えないし、言葉もほとんど通じないために微妙で婉曲な言い回しもできないしで、結局うやむやのままに。家族のほとんどの人は関係ないはずだし、みなとっても親切にしてくれたのでこんな終わりかたをするのはとても残念だったのですが、気持ちのよくない最後になってしまいました。
実はイランでも一度、タクシー運転手の家に泊まったときに、ぼくらが出かけている間に、素子のバッグが開けられて中を探られていた、ということがありました。そのときは何もなくなっていなかったので、多分女の子の一人が興味本位で覗いただけだろうということに落ち着いたのですが、やっぱり物がなくなってしまうとそうも言ってられません。
でも、逆にいうと、全く外国人などと出会うことがない人たちの集落で「泊めてくれ」と半ば押しかけるわけなので、向こうにとってもこっちのことが気になって、悪気がなくともいろいろと見てみたくなる、というのも当然と思わないといけないのかもしれません。お互いにこういういやな気持ちにならないためにも、荷物の管理はこっちでちゃんとしてないといけないな、という教訓にもなりました。
(カポクリ出発前。最後はにこやかに別れられたので、それはよかったです)
しかし、そのあともまた、いいトラックの運転手に乗せてもらって、いまいる大きな町・ウルファ(Sanliurfa)までたどり着きました。ここでも、たまたま会った警察に「まあ座れ座れ」とお茶を、そのそばにいたおじさんにパンをご馳走になり、そのあと、安ホテルを探してうろついていたら、車で通りがかった学生が「乗ってください!」とやってきて、一緒にホテルを探してくれたり(おかげでいいのが見つかった!)、またレストランですらも「これは私からです」とお茶が出てきたりして、本当にトルコ人の親切心には驚かされてばかりです。
(カポクリからウルファまではこのトラックで。聞くと彼は、駐イラクの米軍へ石油を運んでいるとか。このトラックの石油をこの日、トルコの米軍基地まで運んで、そこから翌日ヘリなどの護衛付きで、トルコからイラクへ国境を越えてティクリートまで行くようです。まさにゲリラの標的になるトラックなんじゃないか……と思いましたが、「大丈夫だよ!」というノリでした)
トルコ、いまのところイランを超えて、最も感じのいい国トップの座に躍り出てます。「トルコはいい!」ってよく聞いていたけど、ここまでとは!とびっくりしてます。この印象が、さて西に行くに連れてどう変わっていくか、自分でも楽しみです。
ウルファまで、乗せてもらった車はすでに10台。
(ウルファの町で)