原発の様子が少し収まってきたようで、ほっとしてます。是非このまま収束に向かってほしいです。でもその一方、日がたつにつれて、被災者の方々のこと、津波の映像、東京の家族や友だち、京都に来ている友だち、何も揺れを感じていない自分、ネット上での情報、テレビの映像、いろんなことがますます頭を渦巻くようになっています・・・。遠く京都にいる自分でもそうなのだから、被災者の方のご苦労はどれほどのものかと、言葉になりません。
そして今日は、地下鉄サリン事件から、16年の日。ほんとに生きているといろんなことが起き、いろんな人がいろんな人生を送り、亡くなっていったんだなあ、ということを実感します。
そんなことを考えつつ、最近こんな本を読みました。
『ボクは吃音ドクターです。』(毎日新聞社、菊池良和著)
吃音(どもり)はぼくにとっても高校時代から10年間ほど悩み続けた問題だったため、この本を見つけたときは、すぐ興味を持ちました。そして著者の名前に若干聞き覚えがあって、どうしてだろう、あ、もしかして・・・と思い、8,9年前のメールを見てみると、やはり。著者は以前ぼくが吃音のルポを書いたときに会っていた人でした。自分が初めて書いたルポルタージュが吃音に関するもので、そのときに取材させてもらった方でした。それ以来だったので、びっくり、懐かしく、うれしい「再会」でした。
本書の著者の菊池良和さんは、幼いころから吃音で悩んできた方。でも吃音を扱ってくれる病院はないし、吃音は原因もよくわかってないため、彼は、「よし自分が吃音を研究しよう」と医者を目指し、医者になりました。
この本は、そんな菊池さん自身の吃音とともに生きてきたこれまでの人生を描きつつ、医師、そして第一線の研究者として、吃音について書いた本です。菊池さんのご苦労、熱い思いや優しさがとてもよく伝わってきます。
吃音は、原因もわからないし、周りの人からみるとどうってことないように見えたり、でも、本人にとってはときに非常に深刻な悩みであることがあります。何しろぼく自身にとっても、6年ぐらい前までは、とても大きな悩みで、旅に出る大きなきっかけの一つにもなっています(「遊牧夫婦」の続編にはそのことを詳しく書く予定です)。
菊池さんの吃音は、ぼくに比べるときっと重くて、簡単には比較できないけれど、書いてある悩みはかなりの部分共有できるもので、以前苦しかったときの気持ちを思い出しました。実際、どの集団にも100人に1人の割合でいると言われる吃音者が、どのように苦しんでいるかを知るのに、とてもいい本です。
ちなみに、有名人で吃音で悩んだ人は結構いて、たとえば以下のような人があがります。
キャスターの小倉智昭、作家の井上ひさし、重松清、大江健三郎、そして、田中角栄。また、マリリン・モンロー、ブルース・ウィルスも。あと、最近の映画『英国王のスピーチ』も吃音のある王の話。
これらの名を聞いただけでも、吃音がいかに一見わからないものか、不可思議なものかが、想像できるかと思います。興味のある方は是非菊池さんの本、読んでみてください。
菊池さんは、あとがきで書いていますが、この本を書いている途中で脳出血を起こしました。後遺症が残ったものの、奇跡的に回復し、いまも吃音の研究を続けています。菊池さんのされてきたご苦労は、ただならぬものがあると思います。心から応援したいです。そして、自分もがんばろう、という気持ちを強く沸かせてくれる本です。
ぼくも、いつか吃音についてはまとまったものを書きたいと思っています。是非、広く知ってもらいたい問題です。
震災から一週間。
一週間前のあのときは、まだこの震災のことを知らなかったというのが不思議なくらい、頭の中はずっと地震と津波のあの映像ばかりが何度も蘇る日々を過ごしていました。自分は京都にいて、揺れも全然感じていないし、被災地はもちろんのこと、東京の混乱すら実際に体験していない身なのにこう感じているので、地震、津波を体験された方々の気持ちはいかほどのものかと思います。
東京出身の自分は、家族が東京にいるし、友だちや知人も東京の方が圧倒的に多いので、なんだか何も体験しないで過ごしてしまっている自分が、これでいいのかな、っていう気持ちにもなってしまいます。
何かできることはないのだろうか、といろいろ考えながら過ごしていましたが、ここ数日の間に随分と東京から京都へと一時的に避難する友だちやら本格的に移住を考えている人やらに会う機会が増えてきました。
今日も、東京の知人が、京都に拠点を移すということでこっちに来ていて、一緒に飲みに行くと、6,7人いた中で、地震を全く体験していないのは自分ともうひとりだけで、あとはみなから東京から来た人たち。東京がいかに緊迫した雰囲気であるか、そして他にも関西へ移り住もうとする人の話をいろいろと聞いて、実に多くの人が、西へ移ってきていることを実感しました。そしてまた、いかに関西の様子が平穏なのか、いかに地震を体験した人たちがみなそれぞれに厳しい日々を過ごしているのかを。
数日前も、東京の仲のいい友人が、若干のパニック状態になったらしくて、突然家族を連れて京都にやってきました。そして、ぼくらの家に一日泊まってから、翌日東京に帰って行きました。結局、こっちに来てみても、実際に移り住むわけにもいかず、生活は東京にあるし、帰るしかない、ということだった感じです。
しかし、ではそれは無意味な移動だったのかといえば、決してそんなことはなかったようです。彼は一度京都に来て、京都の平穏な様子を見て、すごい気持ちが落ち着いたようでした。うちに泊まって夜一緒にテレビを見ながら、東京には帰りたくないな、といっていたものの、東京に戻ると、すっきりしたというか、まあ、なんとかやっていくよ、っていう気持ちになったと電話をくれました。
もうひとり、別の友人も同じく思い立って急に避難するように関西にやってきたものの、1泊した後に家がある神奈川に戻り、落ち着いたよ、と連絡をくれました。
たった1泊でも、ちょっとだけでも西へ移り、京都などの普通の日常の空気を吸うのは何気に効果があるのかもしれない、と感じました。
京都でも、電池がなくなったり、少しずつ売り切れたりするものがでてきていますが、それでもいまなお平穏な空気で満ちています。それがいいのか悪いのかはわかりませんが、しかしいま切羽詰った気持ちになっている方は、ちょっとだけでもこの空気を吸いにくると、また元気を取り戻せるのかもしれません。
京都にいる自分たちのできること。それは、地震の緊張感から離れてこっちにやってくる人を温かく迎え入れ、少しでも気持ちを楽にしてもらうことのなのかもしれないな、と思い始めています。
『遊牧夫婦』の続編の執筆がだいぶ進んできてますが、全体の雰囲気をどうするかでいまかなり悩み中。全体の構成、流れは自分の中でかたまりつつあるものの、細部をどうしていくか、どう肉付けしていくか、いろいろと悩ましく、ここ数日、なかなか先に進めないでいます。
そして、打開策を見出すべくいまいろんな本を読んでいますが(といっても読むスピードが遅いのですが)、最近面白い本が複数あり。特に今秋から大学で紀行文の講義を一つさせてもらうこともあり、最近は紀行文を中心に読んでて、以下もすべて広い意味での紀行文。
昨年末に読んで、これはすごい!と思ったのは、
『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む 』(角幡唯介、集英社)
世界最後の前人未踏の地とされるチベットの凄まじい峡谷を探検する著者のノンフィクション。その探検の内容はもとより、ストーリーや構成などが非常に面白く、本として極めて完成度の高い傑作だと思います。これは本当におすすめです。最後まで興奮しながら読めました。
そして、その後に読んだのが
『脱出記―シベリアからインドまで歩いた男たち』(スラヴォミール ラウイッツ )
これもまたすごい内容。第二次大戦中にソ連軍につかまり捕虜となってシベリアの収容所に送られたポーランド人の著者が、仲間とともに脱走し、なんとインドまで歩いて逃げるという実話!これも相当な迫力とドラマで、かなり面白いです。人間死ぬ気になればこんなことまでできるのかと、衝撃を受けます。
さらに最近読んだのが、
『黄泉の犬』(藤原新也)
これも、藤原新也らしい迫力に圧倒され、引き込まれまくりました。自分のインドでの体験をもとにオウム真理教について書いた本で、凄みのある描写がズシリと胸に残りました。
三つとも、ちょっとでも興味の惹かれた人は、決して読んで損はないと思いますので是非。ぼくも、続編、これらの本に刺激を受けつつ、そして負けないように、全力で仕上げます。
そしてまだまだ読みたい本が山積。。ああ、もっと読むスピードが速ければ、、と願わずにいられません。。