(ウランバートルにはこのような淡いピンクの建物が多いイメージ。ロシア風?晴れた空とのコントラストがきれいです)
ウランバートルもとりあえず今日で終わりになりました。
夜にトナカイの人たち目指して移動を始めます。前回書いたようにこちらで車などをチャーターして2週間などの日程を組んで行くつもりだったのですが、昨日、8年前に自力でそこまで行った昆明の友達からメールをもらい(えみちゃん、ありがとう!)、なんとかなりそうだったのでぼくらも自力で行くことに決めました。トナカイ遊牧民がいる一番そばの町まで列車と乗り合いジープなどで行って、そこから馬とガイドしてくれる人を探して山に入ります(現地のゲストハウスで馬などの手配をしてもらえるようです)。数日前までは、もう自分たちでは行きようもない気がしていたものの、よく調べてみるとそれなりに方法はあって、その方がずっと安く、日程も短くできそうです。今日の夜行列車で約11時間、翌朝到着する街からさらにジープか何かで10時間ほど、さらに車を乗り換えて4時間ほどとかなりハードですが、必要に応じて、どこかで泊まりながら進みます。
(ウランバートル駅前)
(モンゴル風焼きうどん。麺がきし麺風。ちょっとぱさぱさ)
以下は、例の国境で出会ったモンゴル人ブルネに連れて行ったもらったモンゴル料理のレストラン。なかなかいいレストランで、以下の料理に加え、さらに東欧風カレー、ビール、モンゴルミルクティ(塩味)などをたのんで1人400円程度だったのでやはり安いです。
(「バンタン」というお粥風スープ。米の代わりに小麦粉の小さな塊が入ってた。二日酔いに効くらしいです。塩味でとてもおいしかった)
(パイのような皮のしたに小龍包みたいなのが入ってるモンゴル料理。スープ餃子?)
(「フーシュー」だったかな?モンゴル肉まんを焼いて薄く広げたもの)
(定番のモンゴル肉まん。「ブーズ」という名は中国語の「包子(バオズ)」からでしょう)
友達に薦められて日本で買っていった「心臓を貫かれて(上・下)」(マイケル・ギルモア、村上春樹訳)を読み終えて(かなり面白かった!殺人罪で死刑になった男の弟(著者)が、「呪われた」自分の家族について描くディープなノンフィクション)、新たに読む本がなくなったので何かと交換したいものの、重いからと上巻だけ北京に置いていったのがちょっと間抜けでした。下巻だけだと、いくら「面白い!」と言ってみても、交換するのに説得力がないので......。
というわけで、ブログの更新も少し止まる可能性ありですが、またネット環境を見つけ次第更新します!
(上巻は北京。さて、下巻はどこに落ち着くのか?)
(こっちでも朝青龍が一面に。その隣に週刊誌の記事が。「朝青龍/いますぐマ(マに会いたい?)」 普通のことなんだろうと思いますが、路上の売店で見たらなんか新鮮でした)
ウランバートルも早くも4日目。国境とかだと一日一日あんなに違ったのに、いまは毎日事務的な作業で終わってしまってます。主にやっていることは、モンゴルの奥地への旅の準備と、ロシアビザ取得準備。
ずっと苦戦していたロシアビザはウランバートルで比較的簡単に取れることが判明!直接ロシア大使館に行ったら、すべてモンゴル語(かロシア語?)で、英語が一言も書いてなく、全くどうしていいか分からずあきらめようとしたのですが、宿のオーナーに聞いたら、お金払えばある旅行代理店で簡単にやってくれるとのこと。その代理店に行ってみると、確かにその通りでした。ただ、3週間滞在できるビザで100ドルとなかなか高めなのですが、ここまでいろいろやってできなかったので、1万円ちょっとでやってくれるなら安いものだと、そこに頼むことに決めました。なのでモンゴルの次は北上してロシアに入ることになりそうです。ロシアを東へ移動して、その後再び南下して中国の黒竜江省へ戻り、そこから一気に列車で中国西部のウイグル自治区まで行くつもりです。変なコースになりますが、同じ道を戻る必要がなさそうなのでうれしいです。
それから、もう一つの作業がモンゴル奥地への旅の準備。もともと、いつも通りバスや列車を乗り継いで自分たちで動きたいように動こうと思っていたものの、モンゴルではそれはほとんど不可能なことが分かってきました。モンゴルには計49000キロほどの道があるものの、そのうち1700キロしか舗装されていないらしく(05年の情報ですが)、実際長距離バスなどの公共交通機関はほとんど走っていません。列車もまたしかりです。なので、奥地に行こうとすると、ちょっとお金はかかるものの、グループを組んでウランバートルからジープかバンなどのタフな4WDをチャーターして行くというツアーしか方法はないようです。
さて、ぼくらが行こうとしているのは、モンゴル北部の大きな湖のそばの山奥に住むトナカイ放牧をする少数民族の人たちのところ。ロシアとの国境のそばをトナカイとともに移動してクマなどの肉を食べて暮らすという、モンゴルでも数百人しかいないらしい人たちで、話を聞いて二人とも相当惹かれました。でも、かなり僻地のためウランバートルからは片道ジープで3日ほど、それから馬で山奥を2,3日もいかなければならないというハードな行程(遊牧民なため、馬に乗って彼らを探さないといけないわけです)。もちろん政府にもそれなりに保護されているところなので、彼らの生活は壊さないように、少人数でそっとお邪魔するという感じになります。山奥なので夏でも寒く、準備も大変です。それをツアー会社に、専門のガイドやドライバーとともにオーガナイズしてもらうとすると、さすがになかなかお金がかかるわけです。いまは、そのお金を安くするべく、一緒に行く人を数人探しています。カフェに張り紙をして、行きたい人を募集中。そしてツアー会社にも、どうやったらもっとも安くできるかを交渉中というわけです。出発は火曜の予定。
それに加えて、いくつか原稿を書いたりしているうちに、ウランバートルでの日々は上海みたいに過ぎていっています。
食べ物、単調です......。
あ、でも今日、国境で助けてもらったモンゴル人のブルネと再会しお勧めのモンゴル料理屋に連れて行ってもらって、初めてそれっぽくておいしいモンゴル料理を食べられました。
(雰囲気が伝わるか分かりませんが、ウランバートルはこんな感じ)
(昨日と同じ地図ですが、一応再掲)
今日は、ウランバートル2日目。ロシアの影響が建築物などにかなり見られる感じで、こじんまりとしながらも、なかなか雰囲気のあるいい街並です。人々も上海に比べておしゃれなイメージ。快適そうなカフェも多いし、しばらくのんびりしてもいいかも?と思わせてくれます。
さて、このウランバートルに着くまでーー。
<12日>
この日、国境の中国側の町・二連浩特を発つときは、「1時間ぐらいでさっさと国境を越えて、モンゴルに入ったらすぐにバスか列車か飛行機か何かを探して、さっとゴビ砂漠まで行こう。で、ゴビ砂漠から車でウランバートルまで北上だ」なんてのんきなことを考えていました。が、国境を越えたら、そんなことが全く不可能なことが分かりました。
(国境まで来て、歩いて渡れないこと判明)
まず、午前10時すぎに国境に着き、北朝鮮の要領で歩いて渡ろうとしたら車でないとダメだと言われ、軽く足止め。そこで乗せてくれる車を探すも、よくみると、どの車も猛烈に人と荷物が押し込まれていました。みな、同様に車を探して国境を越えているわけです。1時間ぐらい車が見つからなかった挙句、やっと大型バスに乗せてもらって国境越え。そこまではそれなりにスムーズ。
(中国側で国境越えを待つ車の列。どれも人と荷物がすし詰め状態)
(バスに乗って国境のゲートを越える。バスを一度下りて、ここで中国の出国審査)
国境で一緒になったポーランド人、オーストラリア人、日本人とぼくらとあわせて5人でモンゴル入りを果たしたときはすでに2時。ポ人とオージーは問題なくウランバートル行きのチケットを手に入れたものの、ぼくらはバスでの移動を考えていたためうろうろしてみたものの、バスなどないらしいことがわかり、またそこらへんの車に途中の町まで乗せてもらうことを頼んでも、高すぎて無理。で、じゃあ、列車で行くか、と思って遅ればせながら列車のチケットを買いに行ったら、なんと売り切れ。明日の朝7時に売り出すのでそこに並べといわれてしまいました。一泊するしかないことが判明......。
(モンゴル側、ザミーン・ウドの駅。写真の二人、ポーランド人とオージーはこのまま列車でウランバートルへ......)
全くなにもなさげな町でちょっと離れるとまるで砂漠のようだったし、当然のことながら全く言葉は通じないし、文字も読めず、しかも疲労困憊で、いやあこれは参ったなと、かなりがっくりきたものの、もうどうしようもないので宿探しを始めるも、なぜかどこもいっぱいで部屋がない......。これはもしかするとモンゴル初日から野宿か??というところまで来ましたが、ま、そこは最終的にはなんとかなるもので、うろうろを続けたら、駅から7キロ離れたところにツーリストキャンプなるものがあることが分かり、そこのゲル(モンゴル式のテントのような住居)でなら泊まれるとのことで、車でそこへ。
(正面のグレーのバンでキャンプへ向かう。駅からちょっと離れるとすぐに砂だらけの世界。そしてまたすぐに草原が広がる)
駅からちょっと離れたらほんとに砂だらけで、町といっても、砂の中に現地の人たちが住むゲルがたくさんという風景。しかもさらに離れると今度はもうずーーーと草原。そして草原の中に突然現れたツーリストゲル地帯でぼくらはモンゴル初日の夜をむかえることに。水も満足にない場所でしたが、夕日はきれいで、とても広大なモンゴルらしい風景が楽しめたので、明日チケットが取れるのであれば、ま、こういう展開も悪くないなと......。もうそのときには、ゴビ砂漠を経てウランバートルへ、などという軽い気持ちはなくなり、とにかく、ウランバートルまで一気に行ってしまおう!と決めていました。そして明日7時前に駅に行くべく、早々と寝ましたーー。
(ツーリストキャンプのゲル。モンゴル初日からゲルになるとは予想外)
(ぼくらが泊まったゲルの中。ツーリスト用になっているのかもしれませんが、雰囲気はチベットのテントと似た感じ。中にベッド三つ)
(夕日もなかなか)
<13日>
(早朝、チケットを求めて駅に並ぶ。朝7時前)
ゲルの中でいろんな虫にさされながらも(なぜかゆうきのみ。いまも苦しんでます^^;)、朝5時半に起き、前日からいろいろと助けてくれた英語を話す親切なモンゴル人が付いてきてくれるとのことで、一緒に6時半に宿を発ち、駅へ。着くとすでに行列が出来ていたものの、特に何も心配せずに列に並び、チケット売り場へ。建物の中に入ると、みなとにかく前へ行きたがるため、列が乱れ、すると驚いたことに、スタンガンを持った警官が、「バリバリッ、バリバリッ」とそれで威嚇し、叫びながら列からはみ出ようとする連中を注意。口論も絶えず騒然とした雰囲気に、「モンゴル人、ワイルドだなー」と思ったり「将棋倒しになったらマジでやばいな」と考えたり。でも、今日チケットが手に入ることを疑っていないので、基本的にはそんな様子を楽しんで見ているわけです。
(チケット売り場ビル内。下から上に向かって並ぶ。この階段の途中で抜かそうとする人に警官がスタンガンで威嚇し、騒然とした雰囲気に)
だんだん列が進んで、カウンターが近づくにつれて、一緒に来てくれたモンゴル人が、「いま放送で、『○○行きのチケットは売り切れた』って」などと不吉な情報を随時教えてくれるように。そして、だんだん雑然としてきて、最後は列も何もなくなり、完全に中国的われ先に状態になったとき「ウランバートル行きもすべて終わったって......」と彼。明日また買いにこなきゃならないことに。......全く予想だにしてない展開に、かなりショック。仕方ないので、もしかしたらあるかもしれない、という淡い噂があるウランバートル行きのバスを探すため、そのモンゴル人に手伝ってもらいバス停に行くと、バスは一台もおらず、地面はやはり砂漠のよう。こりゃだめだとあきらめました。
(ほとんどのチケットが売り切れ、最後に窓口に人が群がっている様子。こうなっちゃうとぼくらはもうどうすることもできず......)
(モンゴル人はなぜかこんな芋虫競争のようにつめて並んでいた。まるで少しでも窓口に近づけば順番が早く回ってくるだろうと願っているかのように。または、割り込み防止かも?)
じゃ、もう一泊か!?でも、もう一泊してみたところで何も進展はしてないのです。このまま無限ループに入ってしまうのではないか......。先には進めないし、中国に戻ることもできない、完全にアリ地獄にはまってしまったような気分でした。しかもそのときはまだ午前11時ごろ。今日もまだ丸一日ある!
(チケットが取れなかったあと、わずかな望みをたくしてバスを探しに行くも、なんとバス停はこのありさま。バスの姿なし!素子と話しているのがずっとぼくらを助けてくれたモンゴル人のブルネ。奥はもう一人の日本人旅行者)
駅で二人で呆然としながら、日陰で座っていると、西洋人の女の子たちに助けを求められました。聞くと、彼女たち(3人)はウランバートルから来たものの、中国へ国境を越える前にこの駅でちょっと列車を下りてトイレに行き、戻ろうとしたら、なぜか列車に乗車を拒否され、列車がそのまま行ってしまったのだとのこと。そして列車の中には他の友達が。
彼女が「3時間後に中国側の町から北京行きのバスに乗ることになっているのに、どうすればいいの??」と泣き出してしまったので、まあまあまあと、手助けをすることに。自分たちは中国語が話せるから何かできることがあるかもしれないと、一緒に必要な情報を聞き出し、彼女たちを中国側まで乗せてくれる車を探して、心配そうに国境へ向かう彼女たちを見送りました。ああ、彼女たちは自分たちよりも大変だな、と正直ちょっと気持ちが和らいでしまいましたが(笑)、それもいかがなものかという気がしますね......。
そんなこんなでこの日も過ぎつつあったのですが、最後に思いがけなく日本語を話すモンゴル人夫婦が登場。彼らが親身になってぼくらを助けてくれ、最終的には彼らの助けで駅長さんへじきじき直訴状(?)を出して、明日はぜーーーったいにチケットが取れるように取り計らってもらえるようにお願いしました。それを終えてちょっとほっとし、また夜はツーリストキャンプのゲルへ。
疲労がすごかったし、シャワーも有料なのでやめて、体を拭いて早々(9時ごろ)に就寝。が、素子が3時ごろお腹の不調を訴えたため、真っ暗闇の中、草原の離れた場所にあるトイレへ。ぼくも一緒にそこまでついていき、素子はなんとかましに。でももし体調が回復しなかったら、明日チケットが取れたとしても出発できないかもしれず、そしたらもうモンゴルはあきらめて中国へ戻ってゆっくり休もうかとも思ったり。しかし、その夜みた星空はかなりきれいでした。満天の星の中に天の川がきれいに見え、とても低い位置にあった北斗七星とオリオン座が印象的でした。流れ星も5分足らずの間に5つほど見え、そのうち一つは「シューッ!」と音が聞こえそうなほど、太く長くきれいな残像(?)を残し、感激しました。
<14日>
(今日こそは!と意気込む2度目の朝)
さて、朝のチケット取りのリベンジ戦開始。素子は体調回復を目指して休養する中、ぼくがまた6時半に宿を出て駅へ。一応予約してあり、8時にくればいいといわれたものの、決して安心はできず、早めに駅へ。昨日と同じように並び、なんとか昨日ぼくらの交渉の仲介をしてくれた女性職員のもとへたどり着くと、パスポートとお金を受け取ってくれて「下で待ってなさい」と。同じ状況に見舞われていたもう1人の日本人とともに、言われたとおりに、下で待ち、たまに様子を見に行き、あれこれ心配しつつも、2時間ほど待たされた後に、ついにチケットを取得!感激はひとしお、手元にあったクッキーで祝いました。キャンプに戻ると素子は体調をだいぶ回復させていたので、昼ごろにキャンプを出て、あとは駅で17:50までのんびりと出発待ち。
(これが念願のチケット!)
(発車前の列車。左に見える建物が駅舎)
でもちょっとびっくりだったのは、その日国境を越えてきたばかりの西洋人数人が、なんとその日中にちゃんとチケットをゲットして同じ列車に乗っていたこと!え?なんで!?って気分でした。結局ぼくらは非常に運が悪かっただけで、普通は何事もなくその場でチケットを取れるのかもしれません(>ナガオさん そうですか?)。
ま、いずれにしても、ぼくらにとってザミーン・ウドは、抜け出すことのできないアリ地獄のような町でした。
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ザミーン・ウドでいろいろと助けてくれた英語のうまいモンゴル人は、ウランバートルの食品会社の輸入業務担当の人物だったのですが、かれによると、モンゴルの大きな問題の一つは、輸入した商品を国境から都市まで運ぶ交通手段が不足していることで、ときに、モンゴルへと国境を越えてから中央まで移動する手段を確保するのに、2,3年かかることもあるとか(聞き間違えかも?)!いずれにしても自分たちが国境で身動きできなくなったのも、そんな状況と似ているような気もしたし、また、朝から長い列に並んで、数少ないチケットを争奪するというのは、ソ連が崩壊したあとのロシアの物資不足の状況についてテレビで見た映像とだぶりました。というわけで、これも一つの貴重なモンゴル体験だったように思います。モンゴルには強いロシアの影を感じます。
さて、かなり長くなってしまいましたが、ウランバートルまでの列車の旅は、窓が壊れて閉まらないコンパートメントで砂嵐に襲われ、砂まみれになりながらの16時間。ハードなことも多いですが、でもモンゴルって感じで充実してます。
(列車からの風景はずっとこんな。頻繁にゲルや動物が見える)
(たまたま同じ部屋になった日本語を話すモンゴル人ガイドの女性と。この部屋が夜砂まみれ。口の中にも砂......)
ここで、ロシアのビザも取れるかもしれないらしく(宿の主人によれば、ウランバートルでは、ちょっと高いけど金さえ払えば面倒な書類は何もいらない!とのこと。ちゃんと確かめないと分かりませんが)、取れれば、北へ向かってロシアへ抜けます。またその前に、モンゴルの奥地へと足を運ぼうとも考えています。
ウランバートルの写真はまた次回!
今朝の列車で首都・ウランバートルに着きました!
中国からモンゴルへ国境を越えて、ゴビ砂漠を経て、バスなどでウランバートルへ……などと考えていたものの、全くそれどころではありませんでした。なんと、国境を越えてから、次の町に移動しようにも、列車のチケットは売り切れ、バスはなし、ヒッチハイクは高すぎ、と八方ふさがりになり、国境のモンゴル側で、チケットを取るために2泊もするはめに。2日目は、朝5時半におきて列車のチケットを買いに行ったものの1時間半以上待った挙句自分たちの番のちょっと前ですべて売り切れ。。。しかも、ホテルはどこもいっぱいで、初日はほんとにどうなることかと、なかなか精神的にもハードな日々でした(笑)。まさにアリ地獄のような国境でした。いい出会いなどもありましたが。とりあえず詳細&写真は、明日あたりにアップします!
下が、北京からの行程地図です。さっき作りました。
(北京、大同、二連、ザミーン・ウドにすべて2泊ずつ。)
今日は洗濯&シャワーですっきりし、モンゴルの情報集めをしています。ウランバートルは、こじんまりとした町な印象です。食事が数日相当偏ったので、いま、野菜を食べられるところを探してます。
(人力三輪車(輪タク)のおじさん。どことなく、大杉漣に似てた。「結婚は、高くてできないよ!10万元相手の家に払わないといけないからね!」恋愛結婚でもそんなに大金いるの?「うーん、恋愛の場合は5万元だな」)
ネット環境の都合でいつ更新できなくなるかも分からないし、旅中はなんだかんだで結構時間&ネタがあるため、3日連続更新になってます。
今日は二連浩特で、洗濯したり、休んだりしてダラダラ過ごしてます。体力を回復させ、明日国境を越える予定です。
話は昨日に戻りますが、大同から二連浩特まで7時間のバス旅の途中、景色は驚くほどの広大な草原が延々と続いていました。車内は人と荷物で溢れ、なかなかハードな移動でしたが、外の風景、涼しい風、心地よい気候が、気分をやわらげてくれました。
(二連浩特に着く1,2時間は、ずーーっとこんな草原。360度、どこまでも何もない草原というのは初めて見たような?!)
二連浩特の町は、中国語、モンゴル語の混じった世界。モンゴル語の文字は多分ロシア語と同じと思われます。それ以外に全く想像もつかない絵のような文字もいつも併記されているので、それがモンゴルの元来の文字なのかもしれません。
(新旧入り乱れ、国境らしい賑やかさのある町)
(ちょっと裏道はこんな建物が並ぶ)
(漢字の上にあるのが、モンゴルの文字?五福の左がわにはロシアの文字。モンゴル語はロシアの文字を使ってるようす。)
食べ物は、チベットのバター茶みたいなのと、羊肉が主みたいで、チベットを思い出します。料理屋のモンゴル人の女の子は、朝青龍に似ててびっくり!とはいいすぎですが、そう思ってみるせいか、どことなく似た感じが。。。でも、朝青龍はこっちには戻ってこないみたいですね。「ウランバートルで見かけたらすぐに分かるね」なんて話していたのですが。
明日はモンゴルに入ります。
結局今日の朝8時半のバスで大同を出発し、7時間バスに揺られて、国境の町・二連浩特に着きました。
途中ずーーーーっと草原で、最後2時間ぐらいは本当に全く何もない土地が続き、想像通りのモンゴルが近づいてきました。が、国境の町に着いてみると、何気に宿もきれいで、ネット環境も充実。今も自分のPCを接続できたりして、なんだか不思議な感じです。とりあえず、非常に疲れてしまったので、ここに2泊ほどしてから国境を越えようかと。
昨日アップできなかった写真をアップします。
(大同の夜の街中に浮かぶ中国建築)
(雲岡石窟。この穴の中に50000体の仏像が)
(雲岡石窟の仏像)
(雲岡石窟の仏像)
(雲岡から移動して、このバイクで万里の長城跡へ)
(これが万里の長城。この辺は修復されずにほったらかしにされてきたため、ボロボロになってます。でも、なかなか雰囲気あり)
(長城の上から。ちょっと分かりづらいのですが、かなり広大な風景に感激。左側に赤い屋根が広がる村をこのあと散策。)
(村の民家に入って、いろいろと食べ物を出してもらって、なぜかそれを二人だけで食べてました。左の大きな鍋の中のは、モロヘイヤのような植物が中に入った餅?→なかなか厳しい味。手前の緑豆粥はなかなかさっぱり。)
(このおばちゃんが料理を出してくれた人。田舎らしい、温かみの感じる出会いでした)
昨日、北京からバスに6時間近く乗って、いまは大同にいます。
バス停を降りてから、さて、宿探し。とりあえず、現れたおっさんの車に乗って、手元の古いガイドブックのコピーに載っていた宿に行くも、すでにつぶれていました。近くの商店で、安くていい宿はないか、ときいたところ、「それなら、ラオジャン賓館がいい!」と言われ、そこに行くも、いまいち。その斜向かいのかなり安い宿の部屋を見るも、病院を改造した宿の薄汚い部屋の中にはゴキブリが。すかさず職員が足で踏み殺すも、素子の目はごまかせず、即却下。で、どうしようかと、途中目にしたちょっとよさげのホテルに泊まっちゃおうか、とタクシーに乗ったところ、タクシーの運転手が「そこはやめとけ、九龍賓館にしろ」と強く勧めるので、じゃあ、そこにするかと、流れに任せて決めたのがいまの宿。値段は自分たちの基準よりはちょっと高めなものの、ま、それなりに快適に過ごせるのでよかったなと。
……と、こんなわけで、宿探しも久々でなんだか慣れず。でも、前よりも二人ともいい意味で旅に対する力が抜けた感じがして、流れにまかせて楽しくやってます。
今日は、朝から雲岡石窟と万里の長城へ。
雲岡石窟は中国語の教科書にも出てきた有名な場所で、50000体以上ある仏像はなかなかの迫力。しかも1500年ほど前に作られたもの、というのがすごいです。
万里の長城は、石窟からまたローカルバスに乗って30分ほど行った新栄という田舎町に。バス停から、おっちゃんのバイクの後ろに乗せてもらって(三人乗り!でもゆっくりなので安全でした)10分ほど。ここは、よく写真などで出てくるところとは違って、おそらく全く修復とかもなされていない、ボロボロになった土の長城。広大な草原の中に、土の壁がずっと続いている風景はなかなか見ごたえがあり、かなりいい感じでした。
もちろん、すべて写真を撮ったのですが、いまいるネットカフェでは、自分のPCをつなげず、写真をアップできず残念!また次の機会にアップします。
そのあとは、新栄の村で、人の家にあがっていろいろ不思議なものを食べさせてもらってから帰ってきました。
宿にかえったら二人ともぐったり。。。
明日、モンゴルとの国境の町まで移動するか、しないか、まだ迷ってます。
いずれにしても明後日には国境まで行きます。
ではまた!
(北京の宿の裏道で)
旅を始めて2日目。昨日は予定通り、北京までたどり着くことができました。上海の空港ですぐに北京までのチケットを購入、国内線の空港(虹橋空港)までバスで移動して、1時間ほど待ってから搭乗。しかし、機内で1時間半ほど待たされ、結局北京に着いたのは夜9時ごろ。なかなかしんどい移動だったけれど、無事に初日の目的は達成しました。
前に泊まった快適な安宿に泊まってぐっすりと休んだものの、今日は二人ともなんとなく腰が重くて、朝からさてどうしようか、という感じ。久々の長期の旅生活へ慣れるまで、気持ち的にもからだ的にもちょっと時間が必要かもしれません。
とりあえずモンゴルまでの列車のチケットを買うべく、町を見ながらふらふらと北京駅へ。しかし駅では買えず、しかるべきところまで雨の中をまた歩いて移動したものの、ウランバートル行きは、月曜、火曜で、今日出たばかり。そしていろいろと考えているうちに、バスなどでジワジワとモンゴルへ近づくのも悪くないということになり、明日は大同(ダートン)という石窟で有名な町までバスで移動予定。北京から400キロほど。大同で、石窟やら万里の長城の微かな跡などを見てから、またバスで国境の町まで行くことになりそうです。ちなみに、北京からウランバートルまで一気に列車で行くと30時間ほど。ぼくらは何日後にウランバートルまでいけるかはまだ不明。
北京はやはり上海より中国らしい趣があっていいなあ、と実感。胡同(フートン)と呼ばれる小道を歩いていると、ああ中国だな、って風景がいっぱいでうれしくなります。
(北京の裏道「胡同」沿いの家の中。「四合院(スーハーユエン)」と呼ばれる典型的な北京の家。出てきたおじいちゃんに寄れば、築300年ほどだとか。この門の中が次の写真)
(四合院。門を入ると、このように四方に家が建ち、それぞれに家族ごとで住んでいる、ということだったはず・・・・・・。)
朝飯は、ローカルな店で肉麺みたいなのを食べたところ、やたらと肉が少なかったので(細切りの破片みたいなのが4,5切れのみ!)、「肉少なすぎじゃないか?」ときいてみると、「いまは肉が高いから仕方ないんだよ」と言われました。
(北京駅前。今年1月に上海行きの列車にのる直前にチケットをスられてしまい、にわかに一緒に帰るはずだった友人たちを見送ることになってしまった思い出の場所)
(偽ディズニーランドとして話題をほしいままにした石景山遊園地はまだ健在のよう。バスの中の広告です)
いまは、京都の素子の実家にいます。つまり、前回書いた大腸ポリープが、細胞検査の結果、とりあえず非腫瘍性のものであることが分かり、予定通り出発できることなったというわけです。ほっとしましたー。次回は1年後ぐらいにまた内視鏡をやればいいということらしくて。素子はもちろん、ぼくも元気に出発できそうです。
で、その出発が、いよいよ明日。
まずは上海まで飛ぶことは決まってるのですが、そのあとはまだチケットなし。上海の市内に出るのはかなり面倒なので、そのまま空港でチケットを買って北京まで行く予定ですが、うまくいくかな。。。で、北京からとりあえずはウランバートルまで列車で行って、そこから旅がスタートです。
この数年の経験をいかして、出来る限り荷物を軽くしようと、「とりあえず持っていこうか」というものはすべて持っていかないという方針でパッキングをし、また、いろいろと新しい機器を買い揃え、出来る限りコンパクトになるように試みたものの、それでも、それほど減りません。何しろ今回は寒そうな地域が多いので、防寒具だけでもかなりのものになってしまってます。東南アジアはTシャツ+αぐらいでよかったのに。。。
では、次回は中国かモンゴルから!
そろそろ右上の地図も更新しないとな、と思ってます。