26日、パリからまたオランダの小さな村アクセルに戻ってきました。
アクセルの友達クリステルの家はすっかり自分の家のような気分になってしまい、「ただいま~」「おかえり~」みたいな雰囲気でした(笑)。というわけで夜9時半ごろに帰ってきてから、イモをゆでてパンを焼いてビールを開けて、簡単に夕食。クリステルは、彼氏と別れてからひとりで家で過ごすのを嫌がっていましたが、忙しくして元気に一週間をすごしていたようでした。
さて、パリ。1週間だけだったけれど、なかなか充実した楽しい日々をすごせました。それもまずは出産間近なのにもかかわらず丸々1週間泊めてくれたアリシアと彼氏のザビエルのおかげでした。前に書いた理由で、ベッドルームのベッドをぼくらが占領し、彼ら二人がリビングのソファーベッドに寝るという大恐縮の展開で1週間をすごしたのですが、アクセルに戻ってからクリステルに聞くと「それはよくあることだから、彼らがいいというなら問題ない」とのことなのですが、その辺はさすが西洋人という感じです。
(パリの街で見かけた巨大なデモ。サルコジへの不満が書いてあったような感じですが、何かは不明。滞在中もストライキがあり、フランスっぽかったです)
いろいろあっていっぺんには書きづらいけれど、やはり一番楽しかったのは、アリシアをはじめ、バンバリー時代の友達やその家族に再会し、彼らとゆっくり過ごせたことです。アリシアのほかに、パリであった友達はスイス人のフローリアン。彼は、4年前ぼくらがオーストラリア縦断のために買ったあの緑のバンを見つけてきてくれた人物。そんな話をすると、4年のブランクがすぐに消え去りましたが、フローリアンが当時一緒に旅をしていた、ポルトガル人のかわいい彼女のことを聞くと、「エヴァ?それはめちゃくちゃ昔の話だなあ~はははー」っていうことだったので、やはり4年は短くないです。
(フローリアンと、ルーブルで。彼はイケ面さわやかスイス人看護士)
フローリアンのバースディパーティ、アリシアの友達のバースディパーティに呼んでもらえたため、パリジャン・パリジェンヌとは結構話したけれど、聞いていたより(また旅での印象より)ずっとみな英語を流暢に話すように感じました。少なくとも「ここはフランスだからフランス語を話せ」みたいなことは店でもどこでも一度も言われなかったし。ま、それってフランス人に対する単なるジョークなのかな?京都人についてのほうきやお茶漬けネタみたいな……。
(フローリアンのバースディパーティ)
(アリシアの友達フィリップのバースディパーティ。友人たちの年齢層が、20代~30代だったのが、30代~40代になりつつあります。うーーむ、、、)
ちなみにクリステル(オランダの)に、オーストラリアとかでも一般に日本人があまり英語を話さないことに関して、「日本人は傲慢だから英語を話さない、という見方も西洋人の間でされている」と聞いてびっくりしました。日本人は日本語に誇りをもっているから、みたいな。そんなことは日本人的にはほとんどないと思うのですが、フランス人がそのようなイメージ(フランス語に誇りを持っている?)で見られているからか、日本人もそのように考えられてもいるとか。とても意外でした。
それからびっくりだったのは、アリシアのお母さんの家。なんと、セーヌ河の上に浮かぶ船の上に住んでるんです!っていっても決して家が買えなくて、とかそういうことではなく、フランスやオランダでは、河に船を浮かべてそれを家にして暮らすというのが、そんなに特殊なことではないようなのです。
(船の家が浮かぶパリ郊外。パリ市内のすぐ西側。セーヌ河。ずっと隙間なく船の家が並ぶ)
(アリシアのお母さんの家がこれ)
アリシアの家族も、お父さんが20年近く前に貨物船を買って、それを家に改造していったとのことで、アリシアも確か10年前後住んでいたとか。そして中に入ると、すごい快適で広い家になっていてびっくり。ベッドルームが2、3あって、仕事部屋やリビング、キッチンもあり、完全に家。甲板は優雅なテラスみたいに改造してあり、水や電気もマンションに暮らすのと同様の設備が整っているとのこと。ネット完備。しかもその上、ちゃんとエンジンが生きていて、船はそのまま動かすことができるというのだからすごいです。前に下流から上流に「引っ越し」たとき、そうしたとのことでした。別に夏だけとかではない唯一の家として船を選ぶというのは、実に大胆というか、日本人にはない発想なように思いました。ちなみに、「ブーーン!」とモーターボートが河を通ると家が揺れ、最後は軽く船酔い気味にになりました(笑)。
(これがリビング。↓はベッドルーム。かなり快適そう)
(左の船がお隣さん。みな犬を飼っていて、何軒も隣の船の犬がやってきたり。たまに「家ごと」移動している人も)
それからパリ観光でいえば、やはりルーブルやオルセー美術館の超大御所の作品は、「おおー、出た!」とその存在自体に興奮できるものがたくさん。ただ、ルーブルはあまりにも作品数が多すぎて、しかも通路の途中にゴロゴロあったりするので、300年前の巨匠の力作にもかかわらず、ほとんどありがたみが感じられなくなってきてしまう、という問題点があったような……。あれをまともにじっくり見ようとしたら1週間あっても足りないのでは?という印象です。でも9ユーロのチケットは1日しか有効じゃないので、ぼくらのようなド素人は、まさに超ビッグネイムをじかに見る、っていうことだけで終わってしまいました。そのルーブルの名実ともに親玉である「モナ・リザ」は、さすがに有無を言わせぬキングの貫禄で、完全に別格扱い。作品自体はなかなか小さくて、素人的にはその裏に展示されている別のポートレイトとの絵としての出来の違いはよく分かりませんが、その扱いの違いは、大横綱と幕下の差どころじゃないというか、「モナ・リザ」が蓄積してきた歴史的価値(芸術的価値以上なのでは?)のものすごさを実感できました。その一方で同じ部屋にある他の絵が少々かわいそうな気も……。
(永遠に続く記者会見のような雰囲気に包まれた「モナ・リザ」。まさに"King of the Kings")
(ベルサイユ宮殿の王妃の寝室。フランス革命で、激昂した市民がこの宮殿に集まったとき、マリ・アントワネットは、左にみえる小さなドアから逃げ出したとか。このドアは、壁の模様に溶け込む隠し扉みたいになっていた)
そして、もうひとつのサプライズは、パリから帰る前日、アリシアたちに日本食を作るために日本食材店に行ったら、なんと優に10年以上は連絡を取ってなかった中学の友達にばったり!十数年のブランクを感じさせずに近況を報告しあえ、地元でも会うことなかったのにパリで起きたこの偶然にお互いびっくり仰天でした。(ちなみに8年前インドで、高校のバスケ部の後輩にばったりあったこともあります!旅中は、東京にいるより行くところが限られてくるから、むしろ会いやすいのかもしれませんが)
あとはやっぱりパリは食べ物が本当においしかったです。もちろん高いレストランとかには行ってませんが、家で食べるパンとチーズが本当に美味しくて、すっかりチーズ好きになってしまいました。フローリアンはフォアグラからメインディッシュ、チョコレートケーキとアイスまで作ってくれ、しかも1978年のワインを開けてくれて(彼の30歳の誕生日だったため)、フランスの夜を満喫。しかしフランス人は食べる時間が本当に遅いようです。アリシア邸でも大体夕食を食べ終わるのは11時半ごろ、フローリアンのパーティではデザートが出てきたのが夜中の1時半ごろ!よくこれで太らないなと不思議ですが、フランスではオランダ、ドイツなどと比べて全然太った人を見かけませんでした。
あと4,5日クリステルのところにお世話になった後、いよいよ移動だ!と思って、昨日やっと、4年前に東ティモールとラオスで仲良くなったアムステルダム出身のオランダ人に連絡したのですが、彼はいまアメリカのサンフランシスコに住んでいることが判明。なので、アムステルダムもどうしようか、と検討中。
パリの町を毎日ヘトヘトになって歩き、すでにルーブル、ベルサイユ、オルセーという超メジャーどこをこなしましたが(まさに「こなした」という感じ)、その話はまた次回においといて、四川での地震について。
四川の地震は、発生以来、ずっと非常に気にかかっています。ビルマ(ミャンマー)のサイクロンも同様に大変なのですが、やはり中国で起きていることはチベットでのことと同様で、自分にとっては格段に身近に感じられます。
そしていまこのブログを書きながら、非常に悲しいお知らせが友人からメールで入ってしまいました。ここにいきなり書いていいのか分からず躊躇していますが、前回書いた、友人の非常に身近な人が、たまたま地震の前日にまさに震源地そばの実家に帰っていて、おそらく家の下敷きになったとのことでいまも行方不明とのことです。そのお母さんは遺体で発見され、お父さんのみが無事だったと。。。ぼくは直接知らない人だけれど、友人から話をたびたび聞いていたので、あまりの最悪の事態に衝撃を受けています。友人に「彼女は大丈夫?」ってメールをしたときも、彼女は成都で働いているから、とりあえずは大丈夫だろうと思いながら書いたのですが、まさかたまたま前日に家に帰っていたなどとは想像もつかないことでした。。。
またその一方で、NHKでディレクターとして働く四川省出身の友人からもメールがあり、彼は15日から現地で被災者の密着取材を行なっているとのこと。そして、それが明日(24日)のNHKスペシャルで放送されます。
「中国・四川大地震 ~最前線からの報告~ 」
2008年5月24 日(土) 午後8時00分~9時13分 総合テレビ
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080524.html
NHKワールドでも放送されるということなのでパリから見たいと思いつつ、アリシア邸にはテレビがないため、とりあえずは無理ですが、是非後日ネットで見たいところです。もし番組を見て感想をもらえたら、ディレクターの友人に届けますので、よかったら是非。
また、ぼくが長年かかわってきた日中をテーマにした映像制作団体「東京視点」も四川大地震で支援活動を開始しています。
http://tv.people.ne.jp/n-TOKO-J/zisin.html
ここに寄付金のルートなども一覧になって載っています。
とりあえず思いついたままに。
(パリ・モンマルトル、昨日遊びにいったアリシアの友人宅そば。駅のそばからこういう建物がずっと並んでいるから、駅のすぐそばにも人がたくさん住めるんだろうな、って想像)
パリはやはり、他の首都や大都市とは興奮度が違いました。パリはニューヨークとかと同様に、やっぱりただの大都市以上の特別な空気があるように感じながら、ここ数日を過ごしています。とりあえず、メジャーな観光スポットを次々とこなしていますが、エッフェル塔とか凱旋門とかは、ここまでメジャーになるとそれが目の前にあるっていうことだけで、盛り上がることができますね。実際に見てみると、特に凱旋門は小さくて拍子抜けしたし、また表面に描かれている彫刻が微妙に中学校の卒業制作風に見えて、ローマやアテネのものに比べてしょぼいような気もしましたが(って、それはいいすぎかな?!)、とにかく見ているだけで、なんだかよく分からない興奮がありました。ま、でも、それだけではありますが。
さて、いま泊めてもらっている人もオーストラリア時代の友達。彼女はアリシアといって、パリ出身のユダヤ系フランス人。お父さんはポーランド人でお母さんはイタリア人という多国籍な人物。ぼくらよりちょっと年上でいまは妊娠8ヶ月。
(アリシアはお腹が大きくて大変だけれど、一日は3人でパリ散策)
19日夜、バスでパリに着いたあと、教わったとおりに地下鉄に乗って彼女の家までやってくると、その中心ぶりにびっくり!パリのかなり中心に近い地下鉄の駅から徒歩1分ぐらいのところのアパートで、東京でいえば、たとえば代々木上原から徒歩1分みたいなイメージ。その立地だけあってこじんまりとしたアパートだけれど、これぞ花の都パリ生活、っていう雰囲気がします。
彼氏と二人で暮らしていて、ベッドルームはひとつのみ。ぼくらは居間のソファベッドで寝るつもりだったのですが、彼氏の出勤が朝早く、バタバタするからその方が便利だということで、ぼくらが彼らのベッドルームを占領し、アリシアと彼氏が居間のソファベッドに寝るという大恐縮のありえない展開になってしまいました。これはさすがにぼくらも申し訳ないなと、ホステルに移ろうと考えていましたが、本当に問題ないと言ってくれるのでお言葉に甘えてしまっています。カウチサーフィンと友達訪問の連続で、すっかり厚かましくなってしまったというか、良くも悪くも、どこでもすぐに馴染んでいついてしまうくせがついてしまったように思います……。
中途半端だけど、とりあえずここまでアップします。
明日はルーブルへ。
まだ同じオランダの友達クリステルの家です。
もう2週間が経ち、いよいよルームメイト的になってきて、ウザがられるんじゃないかと思いつつも、そうでもないようで、3人で楽しく過ごしてます。でも、さすがにそろそろアクションを起こさねばと、明後日月曜日からはパリへ一週間の予定で行くことに。パリにいる友達も同じくバンバリーのボランティア仲間で、泊めてもらう予定の女性に連絡したら、妊娠8ヶ月とのことでびっくり。ってびっくりすることではないのだけど、クリステルたちが別れたのと同様に、4年の間にみなそれぞれの人生が進んでるんだあと感じさせられました(それも当たり前なのだけど)。
(15~16日にブリュッセル(Brussels)へ。アクセル(Axel)からブリュッセルは車で1時間。来週月曜からいよいよパリ!)
一昨日から昨日にかけては、ぼくの妹の友達でベルギー留学中の女性に会いに、ブリュッセルまで行きました。ブリュッセルといえばEUやNATOの本部というイメージでしたが実際にはそういうのはほとんど見ることなく、世界3大がっかりとして名高い小便小僧を見たり、ビール飲んだり、ワッフルやムール貝を食べたりという超定番の観光コースを満喫。「小便少女」というのもあるのがウケました。
(小便少女。近くにいた日本人観光団体のガイドの説明によれば、客寄せのためにあるレストランが小便少女を作ったらしいけれど、大して客寄せにはならず、店はつぶれ、そのために少女も檻の中に閉じ込められてしまったとのこと。ちょっと憎らしい顔で檻の中で永遠に小便し続けなければならないのはちょっと同情に値します……)
(ブリュッセルのノートルダム大聖堂(でいいのかな?)の中)
(観光客が集まり、カップルが肩を寄せ合うGrand Plaza(多分)。全然地名とかチェックしてないので、間違ってるかもしれません)
妹の友達も、流暢なフランス語を操りつつ、ベルギーライフを満喫している様子でした。ベルギーは、イケ面、美人が多いかなと思っていたものの、彼女に言わせると「微妙だ」とのこと。オランダは確かに微妙だとぼくも素子も思っていたのですが、彼女はオランダは「イケ面ばかり!」と目を輝かせていました。なんて話しているうちに、だんだんベルギー、オランダ、ドイツなどの違いが少しずつわかってきたような。。。
(妹の友人「のっく」さん。自分は夜逃げでもしてきたようなスタイルになってますが、実はこのちょっと前に大雨に降られ、洪水のような街中を歩いて全身びしょぬれになり、靴をサンダルに履き替えたり、服を脱いだりしたためです。のっくさんはそんな雨の影響を全く感じさせない日本人女性らしいきれいな身なりをキープしてるのがすごい。このあとのっくさんとは別れ、ぼくらはなんとか見つかった安ホテル(クリステル曰く「マクドナルドのようなホテル」で、まさにその通り)で、シャワー&洗濯、というブリュッセルの夜)
オランダのいますごしている小さな村の人々の生活について何か書きたいなと思って、クリステルの友達や家族とちょくちょく会って話しをしながら、構想を練っています。ここは確か人口8000人ぐらいの村。クリステルと歩いているとかならずパブや通りに知り合いがいて、声をかけられるというようなところ。やはりそういう場所だけに保守的な人が多く、しかもプロテスタントとカトリックが分かれる境界線付近であるからか、会話の中に宗教の話はいつも耐えません。お母さんが、娘に教会に行くように説得する一方、信心深い息子が教会を変えたことに気を揉んだり、といったような。宗教が頭の中に全くないぼくらのことがちょっと想像がつかないっていう話になったり、宗教と現実を切り離すのに何年もかかった、という話を聞いたり。
そしてその一方、近くにはオランダ最大らしいコーヒーショップがあって、フランス人、ベルギー人、オランダ人がよく晴れた日の日中から、外でバリバリマリファナを吸っているという光景。そんな両方の世界が同じ場所に存在していることが自分にはとても新鮮です。とても限定された一地域だけど、クリステルのおかげで、オランダを肌で感じられてるような気がします。
(コーヒーショップで写真を撮らせてもらったベルギー人カップル。彼らはおそらく典型的なコーヒーショップ常連客。ベルギーに持ち込んでいいのか?などいろいろと話したものの、間違いなく違法のことだらけだったので、念のため彼らの写真とともにここで書くのはやめときます)
(ジョイントを巻いてるところ。白昼堂々のこの光景はオランダならでは)
(彼らはオランダ人。「こんないい天気に、ジョイントとビールでいい気持ちになって最高だよ!」)
ところで、チベットのことに続き、中国、ビルマ(ミャンマー)での地震・サイクロンの災害のあまりの大きさに驚愕しています。近くにいそうな知り合いに連絡をしたところ、日本で働く四川出身の友人の家族は大丈夫だとのことでしたが、今回の旅で知り合った日本人の友人の彼女(らしき人)は四川出身で、しかも出身地が震源地に近く、その友人もまだ連絡が取れていないとのことで心配です。。。四川省もビルマも行ったことのある土地であるだけに、遠くの出来事とは思えずとても気になっています。昆明にしばらく滞在中の旅仲間の友人は、四川省へ被災者支援に向かったようです。こちらでも、テレビをつけると中国かビルマのニュースがかならず飛び込んできます。
一方、オランダではぼくらが来て以来、普段はありえないぐらい晴天が続き、誰もがびっくりしていました。世界の異常気象の一環っぽいですが、それも昨日ぐらいで終わり、ブリュッセルで大雨に降られたのに続き、今日はこちらも一日中、小雨。やっとオランダらしくなったとクリステルが言っていました。
(10日以上出っ放しだった太陽もついに姿をくらましました。クリステルの家の前で、昨日16日の夕方)
(食事もすっかり家の中が基本に)
オランダに着いて、もう10日目。
(いまいるのがAxel。いつの間にかヨーロッパの端まで来てしまいました。この辺は、他のオランダとは陸続きでなく、ベルギーとのみ陸続きでつながっています。そんなこともあって、ここは言葉も習慣も半分ベルギーのようなところみたいで、車で10分もいけばもうベルギーです)
泊めてもらっている友達は、03~04年のオーストラリア・バンバリーでのイルカボランティア仲間のオランダ人カップル。彼らとはバンバリーから大陸北端のダーウィンまでのバンでの旅中もよく一緒になりとても仲良くなっていたので、是非いつかヨーロッパかどこかで再会をと思っていた二人でした。
しかし残念なことに、なんと二人は1ヶ月ほど前に別れてしまっていて、二人の住んでいた家にはいま彼女一人しか住んでいないことが分かり、びっくり。4年というのは決して短い時間ではないし、いろいろと変化が起こりうるけれども、あの二人だけは決して別れないんじゃないかというぐらいお似合いの仲良しカップルだった(しかも、彼らは結婚してなかったとはいえ、もともと今後も結婚する予定は特になく一緒に暮らし続けるつもりだったので、日本的に言えばほとんど夫婦みたいなもの)ので、なんとも残念でぼくたちもショックでした。
8年付き合って突然一人になってしまった彼女クリステルは、もちろんかなり落ち込んでいましたが、ぼくらが来たのが気をまぎらわすのにちょうどよかったみたいで、大歓迎してくれました。そんなわけで、彼女とそのことやその他のことを毎日いろいろと話しながら、一緒に出かけたり、飲みに行ったりしながらすごしています。ダラダラと泊めてもらっているのと同時に、少しは彼女の気晴らし的存在になれているので、よかったなとは思ってます。
クリステルは、「私はひとりでいることに慣れてないから、これからひとりでいることに少しずつ慣れていかないといけない」と話しながら寂しそうにしていますが、こんなつらい出来事に直面したとは思えないほど、いまは表面的には元気に過ごしているように見えます。それが、ぼくらに気を遣っているせいではなく、ぼくらがいることで本当に気が休まっているからであれば、いいのですが。
(クリステルの実家で。右はお父さん。みな天気がいいと庭で食事)
でも、ぼくらにとっても彼女の家で3人で、まるでこの村に住んでいるかのような日常を送ることは楽しく、オランダ人の日常生活の中に入り込めている気になれます。
いまいる場所はベルギーのすぐそばで国境まで車で10分ほど。驚くのは国境というものがまるでなく、いつベルギーに入ったかもよく注意していないと分からないこと。一昨日、ベルギーを代表する都市アントワープ(Antwerpen)まで車で行ったのですが、別の国という感覚ゼロ。ベルギー北部はフレミッシュという言語を話すのですが、それはオランダ語とほぼ完全に同じみたいで、オランダ人的にも全く違和感がないとのこと。あと、これは有名なのかもしれませんが、アントワープに行って初めて、そこがあの「フランダースの犬」の舞台だったことを知り、結構感激しました。一番大きく目立っていた大聖堂が、少年ネロがたどり着いて凍死した場所だって知って思わず興奮。ま、とはいっても物語なのですが。。。
(アントワープの大聖堂。「フランダースの犬」もう一度みてみたくなりました。ちなみにこの辺ではあまり有名ではなく、しかも前ニュースで読んだ情報によれば「フランダースの犬」は西洋世界では「負け犬」話的な厳しい読まれ方をしているとか……。悲劇としてネロに同情しながら読むのは日本人独特らしいです。厳しい世界だ。。。)
あと、オランダといえばもちろん「コーヒーショップ」が有名。「コーヒーショップ」といっても普通のカフェではなく、マリファナなどのソフトドラッグ類を合法的に買って使える場所です。家のそばにも大きなコーヒーショップがあったので、ちょっとのぞいてみると、これが合法的に存在しているのが笑えるっていうか驚きっていうか、そんな感じの空間。合法のものなので、もっとさわやかにただ、コーヒーの代わりにマリファナ吸ってるだけかなと思ったら、イメージ以上にそういう雰囲気が漂ってて、おお、って感じでした。まあ、でも確かにコーヒーの代わりにマリファナ吸ってるだけなんですが。。
行ったコーヒーショップが驚いたことにオランダ最大だということ。いまいる地域がベルギーの国境そばで、ベルギー人やフランス人がそのためにたくさんやってくるから大きくなったんだとか。
でもこの地域はかなり田舎だし、敬虔なキリスト教徒も多いので、コーヒーショップの存在を嫌がっている住民はもちろん多く、いつでも議論になっているとのこと。ちなみにこの辺は、プロテスタントとカトリックのまさに境界でもあるというなかなか面白い場所です(ここより南がカトリック)。
他にもオランダは、アムステルダムには観光客にも有名な赤線地域があったり、安楽死も合法という、すごいリベラルぶり。薬物などに関しては、オランダはあえて一部合法化し政府が管理することによって、若者が危ないドラッグディーラーなどから薬物を買うことを防ごうという狙いがあって、実際にそれはうまく機能しているらしいです。オランダでは、マリファナなどはみな若いころに興味を持ってコーヒーショップにいってやってみるけど、何度かやったら、まあそんなもんかとわかるし、多くの人は興味を失ってその後は全然やらなくなるとのこと。
ただ、EUになって国境がないから、オランダで買ってそれを他の国へ持ち込む人が多いから、当然他の国はオランダに非合法化するように圧力をかけます。そんなこともあってか、現在の保守政権は、赤線地域も事実上閉鎖に追い込み、コーヒーショップも危ういかも?という状況らしいです。
(ベルギー・オランダ国境1。ここから向こうがオランダ)
(上の看板のもうちょっと手前のここが、クリステルによれば本当の境界らしい。というのは、道路の白線のつけ方や道の整備度がここで急に変わるから。地元の人もいまいちよく分からないらしいです)
クリステルは、EUになって経済的にはお互いにいいんだろうけど、こうやってEU全体の規制によって国それぞれの個性が消されていくのはなんか寂しい、ヨーロッパの各国はそれぞれ長く異なった歴史と独自の文化を持っているのだから、と言っていました。
(国境2。右に見える白い小さなポールが国境を示すとのこと。写真手前と左奥に延びる道はベルギーで、写真右奥に向かう道がオランダ。でも、このポール一本じゃ、国境線は分からないなと思っていたところ、もうひとつのポールを発見↓)
(これは上の写真の中央奥にある民家の庭。こんなところにポールが!この2本をつなぐ線が一応国境ということになっているんだけど、そんなことは、自分ちの庭にポールがある彼しか知らないんじゃないか、、と思ったり。ちなみに彼は、飼ってるニワトリを追っているところ。ベルギー・オランダをまたいでの大逃走)
(無事捕獲!ちなみに彼はオランダ人)
(国境3。やっぱり白いポールの向こう側がベルギー)
クリステル邸での生活ももうちょっと続きそうですが、最近、マジで何やってるんだろう、自分たちは、っていう気分も強くなってきてしまったというか、なんというか。毎朝夜、裏庭にテーブルとパラソルを広げて暖かな日差しの下で優雅に食事して、平日の日中から湖でカヌーを漕いで、昨日はクリステルの友人たちとバーベキュー。
と、まるでバカンス自慢のようになってしまいますが、あまり一ヶ所にいてずっとこんな生活を続けているとなんかしないといけないような気になってくるのは、やっぱり日本人だなあ、と自分でつくづく思います。って、いまさら何いってんだって感じですが(笑)。もうすっかり旅ではなくなっていて、自分の気持ちにもかなり大きな変化が訪れていることを実感してます。
(昨日のバーベキュー。日差しが長く、いまは夜9時すぎまで明るいので、毎日夜もこの庭で食事してます)
いまはドイツ。今日の午後ボンにつきました。ドイツ統一前、ここが西ドイツの首都だったとは思えないほどこじんまりとした街に感じますが、なんといってもここはベートーベンの故郷。今日早速、彼の生家に行ってきました。日本語の音声ガイドがかなり充実していて、ゆっくりとベートーベンの人生を彼の生家の中で一緒に体験することができました。ミケランジェロにしても、ベートーベンにしても、天才と言われる人たちの努力と情熱は凄まじく、やっぱり人生を何かに捧げて熱く生きてきた人っていうのは魅力的だなと改めて感じさせられます。
(もうすっかりヨーロッパの中枢にいます。いまは移動の度に国境を越えているのに、移動もスムーズで、国境を越えたという感覚も全くなく、ヨーロッパはそういう意味で新鮮です。ボン(Bonn)はこの地図に入らなかったのですが、Wiesbadenのもうちょっと北にあります)
さて、今日の朝までは、フランクフルトのそばのWiesbaden(ウィースバーデン)っていう小さな町で、素子の元同僚(彼女も近藤さん!)と、そのドイツ人のだんなさんの家にお世話になっていました。家も街もとても素敵で居心地がよくて、近藤さんご夫妻にもとても親切にしてもらって、4日ほど毎日楽しくすごしました。
(近藤さんとだんなさんのウリさん。二人はフランスで出会った)
さすが日本人女性が暮らす家だけあって、日本の調味料や食材もそろっていて、久々に日本のカレーや餃子をいただき、ぼくらも日本食チックなものを作り、お椀で味噌汁を飲み、日本っぽい茶碗でご飯を食べ、幸せな気分に浸れました。二人にはシュニッツェルというとんかつのようなドイツ料理やドイツ特産の白アスパラガスを調理してもらい、またおいしいチーズやソーセージもいろいろ食べさせてもらってドイツの味を堪能しました。
(二人の作ってくれたシュニッツェルと白アスパラガス。味はもちろん、家の照明などもとてもいい感じで、豪華ディナーという雰囲気満点でした)
(ソーセージ。フランクフルトといえばソーセージ、というイメージを持っているのは実は日本人だけだとか……。ぼくらももろにそういうイメージでしたが)
公園などを歩きながら、ああ、ヨーロッパだなあ~、と日々実感。中央アジアやイランやコーカサス地方など、最近通ってきた国々のことを思い出すと、あの混沌とした世界と、この整然としたヨーロッパが、同時に存在していることがなんだか不思議になるぐらいです。
スイス、ドイツと、街で落ち着いて暮らしている人の生活を垣間見ると、やっぱり、居心地のいい家があって、気心知れた知り合いが近くにいて、安くておいしいカフェやレストランを知っていて、職場など日々行く場所があって、休みの日に休暇の喜びをかみ締められて、毎日そばを通ってその木の様子の変化に季節の移り変わりを感じられる生活っていうのは、いいなあって改めて思わされました。
(ウィースバーデンの町並み)
(ウィースバーデンの駅前)
いまぼくはもう正直、地図上でどこをどう移動していようが、飛行機を使おうが、そういうことがほとんど気にならなくなってきてしまいました。友人に会って、何年かぶりに近況を語り合い、みながどんな生活をしているのかを垣間見て、自分もそれなりに仕事をして、ということが一番の楽しみになっているように思います。
自分たちもどこかに腰をすえて生活をしたいなあ、と強く思い始めるようになっていて、こうして、旅が終わっていくのだなあ、ということを実感してます。
と、最終回みたいな内容になってしまいましたが、まだまだ友人巡りが当分続きそうです。そしてその後、できれば数ヶ月から半年ぐらいどこかにアパートでも借りて滞在したいと思っているのですが、その具体的プランはまだ見えてこず……。
明日はベルギーを経由してオランダに行きます。今度もまたバンバリーで仲の良かった友人の家へ。バンバリーの人と会うたびに、旅が始まった03年の記憶がよみがえり、旅がひとつの輪として完結に向かうような気がしてきます。