November 8, 2004

明日からビルマ

こんにちは。やっと今日、国境の町メーサイに着き、明日からビルマに入ります。

ビルマ難民についてのことで書いた記事(このHPでも紹介したPECのこと)が、11月19日発売の週刊金曜日に掲載されることになったので、機会があればご覧いただけるとうれしいです。

それでは、短いですが、報告まで。

雄生&素子

Posted by ykon at November 8, 2004 9:19 PM | パーマリンク | コメント (1) | トラックバック (0)

November 2, 2004

写真なしですが

こんにちは。二度目のチェンマイの日々は、あっという間に時間がたってしまっています。ここ数日は何をするわけでもなくだらだらと過ごしてしまい、これはそろそろ移動しなければと、6日辺りから再びビルマ国境付近まで行き、今度はビルマにちゃんと入国する予定です(ビザ更新のためではなく)。

前回書いたように、ビルマでは最近政変があって、ちょっと現在の状況が読めないということもあり、今回は国の東側に一週間ほど滞在するだけの予定です(国の中心部には、数ヵ月後にもっとゆっくりと行ってみる予定)。

ところで、イラクでの香田さん人質事件はぼくらにもショッキングでした。事件発生後から、NHKが見られる食堂に通い、またネットで調べたりしてその経過を追っていましたが、最悪の結果となったことを知り、大きな衝撃を受けました。

ニュージーランドワーホリの後の中東の旅ということで、ちょっと似たようなものを感じるところもあり、またバックパッカーということもあり、他人事とは思えないようにも思いました。

今回、彼の行動は「全く理解に苦しむ」ということばを実によく目にしました。確かに、今、旅行者としてイラクに行くことは無茶だと言われても仕方ないとは思いますが、でもその一方で、彼の気持ちは、自分も含め多くの個人旅行者たちにとって全く理解できないものではないようにも思いました。

一般に危険だ、危険だと言われているところも、実際に行ってみたらもちろん普通に人が日々の営みを持っているはずであり、どこもかしこも危険だらけの場所なんてないんだ、という印象というのは、実際に旅をしてみると感じることが多々あります。ぼくらも、オーストラリアで旅行代理店の人などに「何しに行くんだ?」と何度も言われた東ティモールに実際に着いてみたときもそんなことを特に感じました(もちろん東ティモールとイラクとは今全く事情が異なりますが)。

香田さんは、イラクの前にイスラエルにいたということでしたが、おそらくイスラエルでそんなことを感じていたのではないかと、ふと思ったりします。イスラエルに行った旅人、またイスラエル人が、「イスラエルではテロのことばかりがニュースになってどこにいっても爆発ばかり起きているように思ってるかもしれないけど、そんなことはない。ガザ地区とかそういう、危ないといわれているところにいかなければ平和なところだ」といっていたのを思い出します。勝手な想像ですが、彼もそんなことを実際に感じて、「イラクが危ないっていっても、バグダッドは大丈夫なんじゃないか」と思っていたのではないか、という気もします。

でも今回の事件の結果を知って、やはりイラクは事情が違ったのだな、ということを改めて感じさせられました。

ところで、ビルマに滞在中はインターネットの状況が全く読めなく、Eメールなども全て政府側に読まれていると聞くので、ビルマから戻るまではHPの更新、Eメールでの連絡もあまりできなくなるかもしれませんが、ご了承ください。

それではまた!

雄生&素子

Posted by ykon at November 2, 2004 11:09 PM | パーマリンク | コメント (1) | トラックバック (0)

October 27, 2004

再びチェンマイに

こんにちは。数日前再びチェンマイに戻ってきました。気づいたらタイ・ビルマ国境付近に一ヶ月以上もいたことになり、久々の都会です。ここでは、ぼくが一つ原稿を仕上げないといけないため、毎日カフェに行くという日々が続いています。

ところで、行く行くと二ヶ月ほど前から言っていたビルマには、まだ行くことができていませんが、そうこうしているうちにこないだ政変が起きてしまい、ビルマは今緊張状態になってしまいました。

ビルマは、アウンサンスーチーを代表とする民主化勢力が、軍事政権に対して長年闘いを続けています。1990年にアウンサンスーチー率いる野党NLDが選挙で大勝利をおさめたものの、その結果を無視した軍事政権が今も権力を牛耳り、アウンサンスーチーは昨年5月から3回目の自宅軟禁になっています。

 今月起きた政変というのは、キンニュン首相が突然捕まり、更迭されたというものです。彼はアウンサンスーチーや他の少数民族との話し合いにも積極的だったいわゆる「穏健派」だったのですが、それが、話し合いなどする気のない「強硬派」たちによって自宅軟禁にされたのです。早速強硬派のソウウィンが新しい首相となり、今後ビルマの民主化の道はさらに遠のいたと一般には見られています。キンニュン元首相の奥さんが自宅軟禁から逃げようとして殺されたとか、いろいろと噂も飛び交っていて、今後どうなっていくのか気になるところです。

そんな話を耳にしながらビルマ難民の人たちと話していると、一部の権力者によっていかに多くの人生が翻弄され苦難を強いられているのか、ということをつくづく感じさせられます。

というわけで、ビルマから中国へ抜ける国境がどうなっているのかも不明だということもあり、また年末年始、日本に一時帰国しようかという案が出ていることもあり、これからどう移動しようかをちょっと考えているところです。

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写真は、メーソット最後の夜。PEC(以前の文章参照)で学ぶカレン難民の若者たちと一緒に西洋レストランに行きました。お礼もかねてぼくらがご馳走したのですが、17人でおなかいっぱい食べて、5000円以下という安さ。初めて食べたというピザ、スパゲティーなどをみんなとても喜んでくれて、ぼくらも幸せな気分に浸れました。

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(アイスクリームは彼らにとって特別な食べ物のよう。みな何杯かこころゆくまで食べていました。これは、もとカレン軍の兵士だったビクトリー。)

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(ジュリアナ、ジュナ、スターライトの三人と。ジュナに「アップルパイ食べる?」と聞くと、「それなに?」とよく分からない様子だったけど、出てきたら「おいしい!」と感激してくれた)

メーソットには二週間もいて、毎日彼らと会っていただけに、別れてからとても寂しくなりました。PECとカレン難民のことは、近々雑誌に書くので、機会があれば見てください。

ではまた。

チェンマイから
雄生&素子

Posted by ykon at October 27, 2004 3:19 PM | パーマリンク | コメント (1) | トラックバック (0)

October 22, 2004

メーソットもいよいよ最後

メーソットに来てはや2週間も経ってしまいました。ほぼ毎日のようにPECに行って生徒と話したりしています。さて、前回書きそびれた残留日本兵の話ですが、今もメーソットに住んでいる二人の残留日本兵の方に会ってきました。

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(そのうちの一人中野さん。手に持っているのは戦前日本から持ってきたお守りで、これが、唯一戦争中から今まで残っているもの)

この辺り(タイ・ビルマ国境付近)には残留日本兵の方が数人いらっしゃったそうですが、知る限りその多くがビルマからインドへと攻め込んだ「インパール作戦」の参加者のようです。「インパール作戦」は世界戦史上でも最も過酷かつ無謀な作戦の一つといわれているようですが、確か10万以上の日本兵が参加し、そのかなりの人数がマラリア、赤痢、餓死などの戦闘以外の要因で死んでいったとのことです。敗走した道には、多くの日本兵の死体が転がっていたため「白骨街道」と呼ばれた道がいくつかあります。彼らはビルマからタイへ国境を越えて逃げてきたのですが、多くがビルマ国内またはタイで終戦を知ることになります。そして、「残留日本兵」と呼ばれる人たちは、様々な理由で、そのときからビルマまたはタイに残りました。メーホンソンで聞いた件も含めて3件、それぞれ理由は異なりました。

・「日本に帰っても自殺しなければならないと思った。またカレ二族の人に助けられ、恩を感じたため(メーホンソンの故人の奥さん談)」
・「日本が負けたら、自分は帰らないと戦中から決めていた」
・「帰ろうと思っていたのに、ビルマから日本兵を積んだ船がイギリス軍に爆撃されたということを聞いて、帰るのをやめてしばらくビルマに残ることにしたのがきっかけ」

といったところです。とにかく、結構な人数が残留を決めたらしいです。

メーソットで会った二人はいずれも、ビルマの山岳民族の村に5年ほど隠れ(ビルマ軍・イギリス軍に見つかると連れ戻される、殺されると思っていた)、その後、より住みやすいタイに移ってきたとのことでした。そして二人ともビルマにいた間に結婚し、今にいたります。

二人とも戦後、その存在は日本に知られ、日本から帰るように説得されたりして、一度は日本に帰っています。しかし、すでにタイに家族も子どももいるために、こっちで暮らすことをきめたわけです。

しかし、メーホーンソンでその家族に会った、すでに亡くなった方の場合は少々事情が異なります。彼は、日本にも奥さん、子どもがいた上に、ビルマにも三人の奥さんを作り、その最後の奥さんと暮らしていたようです。彼はその後、カレニの民族自決闘争に兵士などとして加わり戦っていました。そして彼の本名は奥さんも誰も知らず、周りからはただ「ラペ」と呼ばれていました。亡くなる数年前には、日本からその子どもたちと見られる人が会いに来ているのですが、彼は最後の方は日本語も話せなくなっていたようで、本当に彼らがその父親だったのか、確認はできず、DNA検査などをするということにまでなっていたようです。残念なことにその先どうなったのかは、ぼくらが会った現地の家族は知りませんでした。

メーソットで会った残留日本兵の一人、坂井さんはブラジルで生まれ育ったものの、戦争前に一年だけ日本に戻ってきていて、そのときに軍に徴集されたとのこと。そしてタイに50年以上……。人生不思議なもんだと感じます。

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(坂井さん。戦前ブラジルに残っていれば、おそらく戦争に行くことはなく、つまりタイに行くこともなかったはず)

明日ついにここを発って、再びチェンマイへと向かいます。その後もう一つ行きたい場所(正確には戻りたい場所ですが……)があって、それで今度こそタイは終わりになるはずです。すでに二回目のビザ更新も済ませてしまいました。

ではまた。今回は写真が少ないですが。

雄生&素子

Posted by ykon at October 22, 2004 5:15 PM | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

October 12, 2004

カレン難民キャンプ

メーホーソンを出て、さらに南のメーソートという、ここもまた国境の町に来て5日目となりました。

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(メーホーンソンからメーソートへは、トラックを改良したような乗り物、ソンテウで6時間。いきなり変な写真からすみません)

この町は、カレン族というビルマの少数民族の独立闘争と深い関わりのあるところです。ビルマでは、アウンサン・スーチーに代表される民主化運動とともに、長年続く少数民族たちの「民族解放」を目指す闘いがあります。

その中でももっとも活発な独立闘争を続けていることで知られるのがカレン族です。カレン族は戦後、武装闘争を開始してからすでに50年以上がたち、今もカレン民族同盟(KNU)などの組織が武装してジャングルに住みながら、彼らを潰しにやってくるビルマ国軍と戦っています。
しかしこのカレン族の戦いはもはやひどく複雑なものになってしまっています。KNUの指導層も腐敗は目立ち、内部抗争もあり、そして彼らの要求が達成されることはほとんどありえないともいわれ、カレン人のKNU離れも進んでいます。
そして戦いに巻き込まれたカレン人たちが多く、タイビルマ国境付近の難民キャンプでの生活を余儀なくされています。

そしてメーソートは、そんなカレン問題に関わる人々のタイ側の窓口となっています。難民キャンプもそばにあり、カレン難民をたすけるためにNGOなどもいくつもあるようです。

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(右側がビルマ、こちら側がタイ。地元の人たちは川を泳いで行ったりきたりしている人も多いとか。中央の黒い点は泳いで渡っている地元の人)

その中に、難民キャンプのカレン人たちが自ら立ち上がれるために高度な教育を与える、ということを目的で開いている小さな「学校」、PEC:Peace Education Centerがあり、そこを訪れるのが、メーソートにきたぼくらの主な目的でした。運営しているのは、日本人とカレン人の夫婦、東さんとスウィートさんです。彼らは難民キャンプから10人程度の勉強熱のある人を選抜し、彼らを自宅に住まわせながら、一年間程一緒に暮らしながら教育しています。

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(居間、ダイニング、教室を兼ねる部屋で熱心に教える東さん)

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(平日はNGOで働くスウィートさんも週末に生徒達を集めて授業を開くことも。2,3週間後には隣接するクリニックで生徒達が英語を教え始めるそうです。そのためのトレーニング風景)

まずどうしても必要となる英語を半年ほど集中的に教え、それから徐々にカレン族として自らが立たされている立場や世界の状況を自ら考えられるように、民主主義とは何か、今カレンがそのために闘っている「民族自決やナショナリズム」といったものは、どういうものなのかということを教えています。

そして生徒たちはとても真剣に勉強し、確実に成果は上がっているようです。もともと通訳がいないと東さんと話ができなかった子たちも、半年後、一年後には、なかなか流暢な英語を話すようになっていますし、去年PECを卒業した子の中には、その後さらに勉強を深めようと、カナダのトロント大学へ行くことが決まっている子もいます。

私たちは、メーソートでは、日々PECで授業を見学したり、ディスカッションに参加したりして過ごしています。

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(週1回のディスカッションのクラスに私たちも参加しました)

東さんとスウィートさんは、生徒からは一切お金を取らず、なんとこの教育をほぼすべてを自分たちの貯金で行なっています。

また、メーソートの町からバイクで1時間ほどのところにある難民キャンプにもつれて行ってもらいましたが、難民キャンプといっても一つの巨大な村という感じで、中には店もあり、ひとびとは基本的な生活物資に困ってはいないようです。ただ、キャンプの外には容易には出られない、ただそこで生活しているだけで、教育を受けたとしてもそれを生かす機会が殆どないなど、彼らの自立への道はまだまだ厳しそうです。

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(国道沿いに3キロほどの一帯にタイで2番目に大きいメーラキャンプがあります)

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(道路沿いの空き地でサッカーする難民の子どもたち。後ろはキャンプ)

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(キャンプの中。家と家が密集していますが、ごく普通の村という感じ)

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(キャンプの中で遊ぶ子ども達)

さて、メーホーンソンでは残留日本兵の妻と孫娘から大変興味深い話を聞くことができましたが、メーソートには残留日本兵の方がまだ元気に暮らしていらっしゃるということを聞き、先の東さんの紹介で明日会いに行くことになりました。
そのことはまた後日書きます。

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(メーホーンソンで出会った日本兵の妻のギャンさんと孫娘のポーパ)

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(メーホーンソンからバイクで南に1時間半のクンユアムでも残留日本兵の奥さんに会うことができました。8年ほどの結婚生活の後、日本兵はタイ当局に逮捕されその後の行方はわからないとのことです)

まだまだ話題は尽きることなく、あと1週間以内にはまたビザを更新して、もうしばらくタイにいることになりそうです。

それでは、また!

雄生・素子

Posted by ykon at October 12, 2004 6:47 PM | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

October 2, 2004

「首長族」の村、中国人村、残留日本兵

メーホーンソンに来てから、特に毎日を充実して過ごせている気がします。
タイ北部はホントにいろんな顔があって、全然飽きません。

タイが好き、という人は多いと思いますが、東ティモールから北上してみて、タイが人気がある理由がなんとなくわかってきた気がします。
まず、ホントに旅行がしやすいんです。それはある意味でツーリスティックになってしまっているということでもありますが、その度合いはマレーシアほどではなく(マレーシアは観光地化されすぎという印象)、また一方で、インドネシアほどエネルギーがいらなく(でもインドネシアは、だからこそとても魅力的なのはもちろんですが)、しばらく旅をするには程よいように感じるのです。
北部に来てから、物価はインドネシアぐらいなのに、食べ物はなかなか多様でとてもおいしいし(インドネシアは種類がほとんどない)、安宿もとても快適なところがどこでも見つかるし(今は大体二人でバス・トイレ付きで一泊350円~500円くらい)。

しかもその上、この辺はちょっと自分で足を伸ばすと、いろんな文化や人が見られるのです。

おとといは、いわゆる「首長族」(カレン族)の村にいってきました。メーホーンソンの付近では、おそらく最もよく知られる観光スポットとなっていますが、そのこと自体、賛否両論あるようです。そのことについては後述しますが、とりあえずぼくらはバイクを借りて、町から一時間ぐらいかけて村まで行ってきました。

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(村への道は結構ひどく、舗装されていない石と泥の坂道や、川の上も経なければなりませんでした。まだ雨季だからかもしれませんが…)

村は、予想以上のツーリスティックな雰囲気でした。村人が普通に生活しているところを観光客が写真を撮る、という風景を想像していたのですが、なんと、ほとんどの家がみやげ物屋なのです。そして店の店員がみな写真どおりの姿で座っています。

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(村の通り。ほとんどの家がみやげ屋さん)

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(親子で土産を売っている)

あるガイドブックに、ここは「human zoo(人間動物園)」だと、批判的に書かれていましたが、まさにその通りで、あまりいい気分のするものではありませんでした。あまりジロジロ見るのも悪い気がするし、でも、彼らを見に来ているのは明らかなのだし……。

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(と書きつつも、誘われるままに衣装を着けてみました)

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(一方、雄生は首輪に頭が入らず断念…)

彼らの多くは、ビルマから逃げてきた政治難民なのだそうです。ビルマは前にも書いたかと思いますが、戦後、独立に向けて動いてきたものの、今は軍事政権の圧政の下にあり、100以上とも言われる少数民族の中で、いくつもの民族が分離独立に向けてビルマ政府軍と戦いを続けています。中でもカレン族は、すでに50年以上も戦い続けていて今もビルマから国境を越えてタイへと逃げてくる難民が絶えないといいます。「首長族」の人びともその背景の中で、タイ-ビルマの国境付近に住んでいるらしく、そして彼らは、観光客を呼び寄せることで生計を立てているようなのです。この村への「入場料」が250バーツ(700円ほど)、その他、みやげ物の収入もあります(この収入はその一部が、カレンの軍隊へ回っているという話も聞きます)。
ところで、「首長族」を見に行くことに賛否両論があるのは、ある一部の人々が見世物となるためにビルマから強制的に連れて来られたという事件があったりしたためのようです。

そのような背景を考えると複雑な気持ちになりますが、彼らの生活には、観光客からの収入が欠かせないということ、また、「首長族」の人の多くは自分からタイに来ていて、こうして観光スポットとして生活をするのが一番いいと考えているらしいという情報を信じて、ぼくらは行くことにしました。

とにかく、そんな背景があります……。

ところで、村の奥には学校があり、そこでは子どもたちが、英語、ビルマ語を習っているらしい風景が見られました。半屋外の簡素な教室で子ども達は熱心に学んでいました。

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(黒板に書かれているのはビルマ語)

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(ビルマ語の文字と英語の勉強)

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(彼女たちは算数の問題集に取り組んでいました)

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(村には、耳長な人たちが住む一帯も。彼らはカレン族ではなく、カヨウ(Kayor, Kayow)族というらしいのですが、彼らがカレンの人と一緒に住んでいるのは、観光で生計を立てるためでしょうか)

そして昨日は、今度はまた町からバイクで一時間ぐらいのところにあるメーオウ(Mae Aw)という村に行ってきました。これまた中国で共産党との戦いに敗れて逃げてきた国民党の人たちなどがいる中国人の村です(前回のメーサロン参照のこと)。

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(途中の山道の風景。ウシたちがのんびりくつろぐ)

ここは本当にきれいなところでした!アジアに来てからもっとも風景のきれいな場所の一つかもしれません。急な山道をずっと登った上にあるのですが、途中の山の斜面には、お茶の葉がずっと並んでいて、またウシやバッファローがその周辺をのんびりと歩いています。村の入り口を過ぎると急に漢字と中国語の世界となり、きれいな湖(貯水池)の周りではポニーが歩き、その向こうには古い木造の家が、ポツリポツリと並んでいます。

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(メーオウの全景。標高は分かりませんが、かなり高地なはず)

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(廃校になっていそうだった小学校。その壁には中国語が)

おそらく、今目指している中国南部の山地はこんな雰囲気なのだろうなという気がする一方、日本の田舎を思わせるようでもあり、なんとも懐かしい気分になりました。

そのきれいな町並みに感激しながら、村の学校を訪ねると、三人の子どもたちが村を案内してくれるということになりました。三人のうち二人は中国系、一人はタイ人。そして彼らに「国民党の人は?」と聞くと、この町で唯一らしい、もと国民党軍人のおじいさんのうちに連れて行ってくれました。この劉さんというおじいさんと、筆談による会話を試みましたが、やはりそう簡単にはいくはずもなく……。聞いてみたいことは山ほどあったのに、とても残念でした。

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(学校にいた子どもの一人。彼は中国系)

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(国民党の軍人だった劉さん。デジカメの写真をその場で見せると、初めて楽しそうに笑ってくれた)

これから中国にいって、しばらく定住する場所もこんなだったらいいのにな、と二人で話していました。

ところで、第二次大戦後ビルマに残留し、現地の人と結婚した日本兵がメーホーンソンにいたという話を聞き、たいへん興味を持ち、ここ数日調べていました。その日本兵本人は六年ほど前に亡くなっているのですが、その家族がまだこの辺りに住んでいるということを聞き探していたところ、一昨日、彼の息子とその孫である女の子とに会うことができました。写真だけはあったものの、息子も彼の実名や日本での過去は知りません。彼がタイで戦後どんな半生を送ったのか、わずかでも知りたく、明日はその孫娘の案内で、その日本兵の奥さんの住む村まで(バイクで二時間ほどだとか)行ってきます。実はこのことが今もっとも、ぼくのメーホーンソン滞在の中心的話題となっています。

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(メーホーンソンのある寺にあった日本兵の慰霊碑)

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(と、その寺の仏像。明るくかわいい)

それではまた!

雄生・素子

Posted by ykon at October 2, 2004 6:00 PM | パーマリンク | コメント (2) | トラックバック (0)

September 28, 2004

いよいよ中国が近づいてきた!

今は、タイ-ビルマ国境付近のメーホーンソンという町にいます。ここは、タイの中でも最果ての地域で、いろいろな山岳民族が住んでいるところです。タイとビルマが国境で区切られているものの、民族は国境をまたがって存在していて、実際にはタイ人、ビルマ人、などというより、○○族の人、という分け方の方がしっくりくるようです。

民主化運動のアウン・サン・スー・チーでよく知られるビルマは、軍事政権によって国が握られていて、強制労働や強制移住などさまざまな人権侵害によって国民は苦しめられています。そして中でも特にひどい仕打ちを受けている少数民族の人々が国境を越えてタイに逃げてきていて、彼らの難民キャンプが国境付近のタイ側、つまりこのメーホーンソンの付近など、広い範囲に存在しているようです。ぼくらはできれば、その難民キャンプでなんらかのボランティアなどができないかと考えています。英語を教えたりしている西洋人が結構いるようで、彼らからそんな話を聞き、ぼくらもそんなことを考え始めました。それがメーホーンソンまでやってきた主な目的でもあります。

さて、瞑想修行を終えてからのことを写真とともに簡単に書いておきます。

まず、チェンマイですでにタイに来て一ヶ月近くになっていたので、メーサイというタイ-ビルマ国境の町にビザの更新に行きました。

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(タイ側の国境。この先にビルマへつながる橋があります)

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(UNION OF MYANMARの文字。ここからビルマ(ミャンマー))

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(上がビルマ語、下がタイ語。ビルマの文字は丸くてかわいい)

タイ側のメーサイとビルマ側のタチレクの間には川があるだけで、メーサイの安宿街からはビルマがすぐ目の前に見えます。川の向こうのたった100メートルぐらい向こうにいる人がビルマ人で、使っている言葉も違うのかと思うと、国境というものの不思議さをつくづく感じさせられます。他の国は遠く海の向こうである日本人と、川の向こうは他の国というような大陸で生まれ育った人たちで、国に対する考え方が違うのはまた当然のことのようにも思えてきます。

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(タイ側から撮った写真。中央の川の向こうがビルマ。泳いでも渡れそうですが、さすがに見張ってるらしき警察の姿がチラホラ)

ビルマには、来月には本格的に入国する予定ですが、今回数時間だけ入国して来ました。国境の町タチレクでは通貨もタイバーツなので、あまり大きな変化は感じませんでしたが、タイに比べて道路の舗装具合が突然悪くなったのが印象的です。なんだか東ティモールを思い出させる道路でした。

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(ここはビルマ。この後大雨に降られ、道はかなりぐちゃぐちゃに)

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(これは、タイ側の写真ですが、滞在中に降った雨で、川が増水し、町は半洪水状態に。川のそばの多くの家は浸水してこんな様子に)

ビザを更新した2日後には、バイクを借りて、世界一のアヘン産地として名高かった「ゴールデン・トライアングル」にいってきました。そこは、メコン河ともう一つの川を境に、タイ、ラオス、ビルマの3ヵ国がぶつかっているところで、3ヵ国が一度に視界に入るところでもあります。

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(ゴールデン・トライアングル。ぼくらのいる手前側がタイ。写真左手奥に見えるのが、ビルマ。そして中央のメコン河の右側の対岸がラオス)

アヘンの生産は今ではタイ側ではされておらず(ラオスはまだやっているとか)ただの観光地となっているのですが、でも、ここのアヘンを求めて民族間や国の間などで多くの戦いが繰り広げられ、今の歴史にも大きく足跡を残しています。
タイ北部をバイクやバスで走っていると、ひどく頻繁に警察によるチェックポイントがあり、身分証明書の提示を求められます(バスも停められ、全員チェック)。とはいえ、外国人に対するチェックはさほど厳しくありません。というのも、これは以前から活発である民族間の争いなどのためで、その争いの背景にはアヘンの密売などが深く絡んでいるようです。

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(バイクで走っていたら突然現れた巨大な金の像。なんか新興宗教っぽい雰囲気のする建物のある大きな敷地内に入ってみると、子ども仏僧たちが。金の像は、「フューチャーブッダ(未来仏)」いうらしく、その実体がなんなのかは結局不明でしたが、中国の宗教だとかで、子どもたちは中国語を話していました)

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(バイクで上った山の上にあった典型的なタイのプラタート(仏舎利が入っている)。)

アヘンの売買で生き延びてきた人たちは、実はタイ、ビルマ、ラオスの人たちだけではありません。その一つの例として挙げられるのが、ぼくらがメーサイの次に行った、メーサロンという山中の村に住む中国人たちです。ここはもちろんタイなのですが、かなりの数の中国人がいて、中国語の方がよく話されているんです。

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(山の上に広がるメーサロンの町)

というのもここは、第二次大戦後、中国国内で起こった共産党と国民党との間の内戦に負けた、国民党軍が逃げて作った村なのです。中国南部の雲南省へ攻めてきた共産党軍から逃れるため、まずビルマへ、そしてついにタイまで逃げてきて、メーサロンに落ち着きました。台湾にいる国民党軍からの指令を待って、いつか中国へ攻めようと考えながら暮らしているうちに、ついつい50年が経ってしまったとか。今でもその当時の軍人で生き残っている人もいました。

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(国民党軍の退役軍人クラブ(?)「栄民之家」。蒋介石、孫文の写真やその他旗などが方々に)

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(彼らと感じで筆談。結局対した会話はできず、ここが何なのかは後から調べてわかりました。中にいたのは、負傷した兵士やらその家族だとか)

その間に彼らが生活の糧としていたのが、アヘン生産でした。もちろん今ではそれは終わり、その代わりがお茶の栽培となりました。ここは、ほんとにタイとは思えないし、なんだか日本の田舎町といった感じもあり、不思議な場所でした。

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(これもメーサロンですが、この人は中国人ではなく、ここに昔から住んでいる少数民族の一つであるアカ族の人。観光客へアクセサリーを売りにきます)

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(メーサロンの町からちょっと離れると、アカ族など少数民族の人たちの住む集落があり、こんな感じの家に住んでいますが、村にはちゃんと電気も通っていて、中からはテレビらしき音も聞こえました)

またまた長くなってしまいましたが、こんなところで。

雄生・素子

Posted by ykon at September 28, 2004 4:14 PM | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

September 27, 2004

パイから

こんにちは。
チェンマイを出てからしばらく更新してないと思ったらすでに10日ぐらいたっていました。

チェンマイからは、ビルマとの国境の町メーサイに行き、ビザを更新しました。一日だけでしたがビルマにも入国し、その後数日メーサイに滞在したあと、今度は、これもタイ―ビルマ国境ながら中国人の町、メーサロンに数日滞在していました。そして、昨日メーサロンを出て、パイという町に到着し、これからメーホンソンというところに向う予定です。

詳細はまた後日アップします。しばらく更新してなかったのでとりあえず報告まで…。

雄生・素子

Posted by ykon at September 27, 2004 11:40 AM | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

September 17, 2004

メディテーション報告(長文)

一昨日、寺での「メディテーション(瞑想)修行」から戻ってきました。
4泊だけの滞在でしたが、やはりこれがなかなかハードでした。あれこれ規則があり、睡眠は6時間以内、殺生しない、男女一緒にいてはいけない、午後は食べてはいけない等々。

とにかくメディテーションのみの日々でした。座るのと歩くのと、二種類のメディテーションを繰り返し繰り返し、一日8時間ぐらい、朝5時すぎから夜9時前ぐらいまでやっていました。二日目が一番精神的にもきつくて、そのときは二人とも帰りたくて仕方がなかったのですが、その後徐々にメディテーションの意味や効果が見えてきて、また適度に休んだりすることも覚え、だいぶ楽になってはきました。

メディテーションの仕方は、日本で知っている座禅とは少々違いました。きちんとした姿勢で半跏などの形で足を組むのではなく、一応足は組むものの自分の楽な姿勢でいい、ということでした。そして自分の呼吸や体の細かな動き、心の変化の一つ一つを意識することによって、今のその瞬間(過去でも未来でもなくという意味)に集中します。歩いてのメディテーションは、足の動きに意識を集中して、といった感じです。

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(みな白い服を着てのメディテーション中の風景。ちょっと怪しげですが、そんなことはありません。飛ぶ練習などはしていないので…。他の人もほとんどがバックパッカーらしき人たち。右端には修行中の幼いタイ人も)

でも、鎌倉の円覚寺で座禅をしたときみたいに、特に誰かがいつも見ているわけではないし、姿勢が悪いと怒声を浴びせられるわけではないし、休みたかったらいくらでも部屋に戻っていて休んでいてもいいので、その意味では自由なのですが、そうすると逆に激しい自分との戦いになり、なかなかきつかったです。

そして午後は何も食べてはいけないということもきつかったのですが(ご飯は、朝飯7時、昼飯11時の二回で終わり)、ぼくが特にきつかったのは、メディテーションしていない時間でも他の人とはむやみに話したりしてはいけないということです。ぼくらが二人が別々の部屋であることはもちろんのこと、基本的には話してもいけないし、一緒にいてもいけないのです。ご飯もみんなで食べるわけではなく、それぞれ部屋などに帰って誰とも話さず一人で食べる。そして自分が食べ物を味わっているということを頭で認識しながら食べる。ちょっと二人で話しをするときは、目立たないように建物の裏に隠れて話したりしてました。一方素子はといえば、夕食なしが一番堪えたらしく、メディテーションしていても「お腹減った、お腹減った…(自分の状況を認識して唱えろと言われていたので)」ばかりを考えてしまうので、メディテーションに集中するという理由で部屋でお菓子を食べていました。

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(雄生の部屋。写真では分かりませんがけっこう汚いところでした。木のベッドに毛布をマットレス代わりに使っていました。またトイレ、洗面所の水は泥水に近いような茶色。しかしその水でシャワー、歯磨き…)

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(素子の部屋。新築のようなかなり綺麗な部屋。中にあったのは座布団を長くしたような薄っぺらなマットレス1つと毛布3枚に枕だけ)

ホントはこの寺にいる間は音楽を聴いたり本を読んだりしてはいけないといわれていて、とにかくメディテーションするか一人でじっと休むかだけにしなければいけなかったのですが、そんなわけにもいかず、部屋では読書がはかどってしまい、一日一冊ぐらいのペースで、最近手にいれた文庫本を読みまくっていました。それが一番の楽しみだったので

またこの寺(ワット・プラタット・ドイ・ステップ)にはカナダ人仏僧がいて、彼がぼくらの指導をしてくれました。カナダ人のお坊さんに英語で説法を聞くというのは、新鮮でした。

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(イギリス人バックパッカーに教えを説くカナダ人仏僧のプラ・ノア<プラとは仏僧のタイ語(?)>。毎日1回彼にメディテーションの状況を報告してアドバイスを受けます。25歳、プラ歴3年。20歳のときにこの世界に目覚める)

寺の境内を歩いていると、早朝には霧がかかった中で子どもたちが歌うように読経する声が聞こえ、夜にはチェンマイの夜景が一望でき、とてもきれいで幻想的な空間でした。帰るときには、やっと解放されたという喜びがありましたが、それとともに少々寂しさもあり、この別世界での日々が不思議で魅力的な時間だったことを実感しました。
ちなみに、ここでの滞在はすべてタダです(寄付制度)。おかげでかなりお金をセーブできました。

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(5日間を終え、最後の修了式。実際は21日間のコースだったので、私たちはほんの一部しか体験していないことになります。プラ・ノアから“もう一日だけいない?”とかなり言われましたが、あれこれ理由をつけて出てきました)

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(チェンマイの町を一望。ガイドブックではこの景色で有名)

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(明け方と夜は昼間とは違った幻想的な雰囲気。写真は夜)

タイ滞在ももうすぐ一ヶ月となり、明日にはビザを更新しに、一度ビルマ(ミャンマー)への国境を越える予定です。ここからバスで5時間ほど北に行くともうビルマです。その付近には、いろんな少数民族が住み、ビルマからの難民たちの村があり、また第二次大戦後の中国での内戦(共産党と国民党の戦い)に負けて逃げてきた国民党の人々が作った村などもあり、かなり違った世界が広がっているようで楽しみです。

そしておそらくまた一度チェンマイに戻ってきてから、本格的にビルマへと入っていくつもりです。その後は、いよいよ中国……。

では、そんなところで。
雄生・素子

Posted by ykon at September 17, 2004 8:23 PM | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

September 10, 2004

タイ仏教の修行へ……

3日前にバンコクを出て、今はタイ北部のチェンマイにいます。ここもまた大きな観光地の一つなのですが、バンコクとは異なり、北方の山岳民族の影響が現れていて、また違った雰囲気の町となっています。

また、チェンマイは仏教寺院が多いことでも知られ、昨日、おとといとバイクを借りて、二つのお寺にいってきました。

タイは国民の90%以上が仏教徒の国で、タイ仏教は、おそらく下の写真のようなオレンジ色などの服装をしたお坊さんで知られています。学術的な分類的で言うと、確か日本の「大乗仏教」とは異なる「小乗仏教」(間違っていたらご指摘下さい…)。その特徴は、記憶によれば、社会全体に対して働きかけるというより、より自分自身の精神面の鍛錬を主な目的としたものだったような。細かくは分かりませんが、とにかくタイ仏教では、瞑想(meditation、日本で言えば座禅にあたるのでしょうか)を中心に置いていて、精神的な安定を得ることを第一の目的としているようです。

一昨日行ったワット・スアンドックという寺(ワット=寺)では、お坊さんたちと話すことが出来たのですが、話しているうちに彼らの生活に興味が出てきて、

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(ワット・スアンドックの本堂の中。日本の渋いブッダに比べてどれも金ぴかでちょっとコミカルな表情をしているのが特徴か)

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(乗り合いバスに乗り込むお坊さんたち。お坊さんたちはすべての交通機関は半額ぐらいで乗れるとのこと)

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(一時間ほど話をしたお坊さん。この寺では、お坊さんと外国人の交流プログラムがあって、英語を学ぶ彼らがその練習もかねて、いろいろと話してくれます)

さらに昨日行った、ワット・プラ・タット・ドイ・ストープ(発音の仕方不明)とかいう寺でも、彼らの一人(カナダ人のお坊さん!)と話していたところ、その寺では、外国人用に数週間お寺に泊り込みで瞑想するというプログラムがあることが分かり、明日からそれに参加することにしました。といっても、数週間も時間は取れないので、おそらく3日(これが最低の日数)から5日ぐらいだけになると思いますが、とにかく、一度彼らの生活を体験してこようと思っています。朝から晩まで瞑想の上、晩飯はなしで午前中にしか食べ物を食べてはいけないということで結構きつそうなのですが(特に、午後は何も食べないなんて耐えられるのかどうか…)、どんなことになるのか楽しみです。
ちなみにその寺はタイ仏教においてタイ北部では重要な寺の一つらしく、600年前に作られたブッダ像などがおいてありました。

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(ワット・プラ・タット・ドイ・ストープの仏像。この中央の大きいやつが600年前のものだとか。でも金ぴかなので、そんなに古いというのはいまいち実感できません。この仏像はちょっと顔が露骨に笑いすぎなような気が…)

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(このお寺の一番の見所。この形をしているものを一般に「ストゥーパ」というようで、この中に仏舎利が入っているとか)

寺での生活を終えたあとは、一度ミャンマーへの国境を越えてビザを更新してきます。その後タイ北部をもうちょっと見たあとで、今度は本格的にミャンマーへと入ります。そしてできれば、陸路で中国へ抜けようと思っています(できるかどうかはいってみないと分かりませんが…)。

それでは、そんなところで。

日本では大きな地震や台風が来たとのことだけは新聞で読みましたが、みなさん大丈夫でしょうか……。猛暑の上にいろいろと続いて大変なようですが、くれぐれもみなさまお元気で。

また町に戻ってきたらHPを更新したいと思っています。

雄生&素子

Posted by ykon at September 10, 2004 5:51 PM | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

August 30, 2004

タイで高校・大学時代の友人と再会

マレーシアから国境を越えてタイについてからすでに一週間以上が経ちました。

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(マレーシア側国境。この青い建物の中でマレーシアの出国審査。)

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(出国審査のあと、歩いて橋を渡ってタイ側に。その橋からの眺め。左側がマレーシア、右側がタイ。)

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(この看板の先がタイ。全く読めないタイ語ワールドの始まり…)

この国境付近は実はイスラム過激派の活動がかなり活発なところだったようで、5月には150人ほどの死者が出る事件がありました。マレーシア側の国境の町で、色々な人に安全かどうか聞きまわったところ、通過するだけなら大丈夫だろうということになりました。国境の近くの駅は銃を持った兵隊のような人たちも見られ、今も気が抜けない地域となっているらしいです。

その国境から人力車みたいなのでちょっと行ったところから4時間ほど電車に乗って、ハジャイという南部の商業都市へ。

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(ハジャイで。イスラム教国のマレーシアでは見られなかったこんなブタの丸焼きが、中華料理屋の裏にあり、タイへきたことを実感)

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(屋台で、このチキンライスが20バーツ(約60円)。漬物風の野菜やスープまでついてこの値段は、マレーシアに比べるとかなり安く感じました)

ハジャイに三泊したあと、15時間ほどバスに乗ってバンコク到着。5年前に来たときのイメージと比べると随分ときれいになったように感じました。特に、「バックパッカーの聖地」などという言い方もされる(?)カオサンロードを見てそう感じました。

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(ここが有名なカオサンロード。なぜここだけがこんなになったのかはよく知りませんが、とにかくバンコクの他の場所とは全く違った、旅行者の通りです)

それにしてもバンコクにはさすがに旅行者が多く、特にカオサンロードはバックパッカーであふれています。でもカオサンロードは、宿はともかく、食べるところは他の通りに比べてかなり値段が高騰していて、もはや安さを求めて人が集まる場所とは思えないようになっていました。すでにただの観光地になっていて、サーファーのいないバリのようでした。

タイ、マレーシア、インドネシアと比べてみると、インドネシアが圧倒的に貧しいという印象を受けています。タイ、マレーシアはどこにいっても道は舗装されているし、観光業の発達も著しいように思います。

で、やっと本題…。
高校時代の友人に会いにバンコクからバスで3時間ほどのラヨンという町にやってきました!ぼくらの結婚式以来だったのですが、こんなところで会えるとはなかなか感激でした。
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(阪本真人くん。久々の再会に話もはずむ。)

某大手企業に勤め、すでにタイに一年近くいる彼に丸一日何から何までお世話になってしまいました。昼は海沿いのシーフードレストラン、その後は果樹園で南国の果物食べ放題に連れて行ってもらい、一日でラヨンを大満喫しました。

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(晩飯は焼肉食い放題の店。ホントに久々にこんなに肉を食べた!!というぐらい食いまくりましたが、それでも一人400円程度という驚きの安さ)

今日もう一日ラヨンにいてから、明日バンコクに戻ります。その後は、まだ未定ですが、近々ミャンマーに行く予定です。

それでは、また。

雄生・素子

Posted by ykon at August 30, 2004 3:05 PM | パーマリンク | コメント (3) | トラックバック (0)