こんにちは。クアラルンプールもすでに9日目となりました。都会にいると、大して何もしないうちに気付いたら日にちが過ぎているという感じです。最近は、都会にいる間は、都会らしい生活を楽しむというのがパターンになっています。とはいっても、安宿生活には変わりはなく、スターバックスや大型デパートに出入りするぐらいのことですが。そして、心地よい場所を探してそこで原稿を書いて送ってしまうのも、都会生活のリズムになっています。その間に彼女はウィンドウショッピングにいそしんでいます。
(クアラルンプールの中心地。世界一高いツインタワーにあるデパートの中から。人の雰囲気も日本みたいです)
(でもぼくらが泊まっているチャイナタウンはこんな感じ。)
(で、これがぼくらの宿。外見はかなり汚いですが、中はなかなか綺麗で快適です。
ちなみに、一泊二人で900円ぐらいです)
(ご飯はこんな感じのものを食べていて一人100円ぐらい。写真は二人分。肉や魚をつけると値段が倍ぐらいになってしまいますが……。だから、タンパク質は豆腐が中心になってます)
ちなみに、クアラルンプールでは結構観光客狙いの犯罪が多いんです。驚いたことに、ぼくらのいた宿で、なんと二日間で二人の人(日本人とベルギー人)がそれぞれ日本円で30~40万円ほどの金額を騙し取られてしまいました。二人とも、町で上手く言いくるめられて家に連れて行かれ、そこで賭博をやらされて……ということのようです。まあ、ついていかなければいいのですが……。日本人は特にターゲットのようなので、クアラルンプールに来る人は是非ご注意を!
あと、インドネシア、東ティモール、シンガポール、マレーシアを比べてみると、過去にどこの国の植民地だったかが今の国の状況にとても影響しているようです。前に人に聞いたことなのですが、それをとても実感してます。
インドネシア、東ティモールはそれぞれオランダ、ポルトガルの植民地で、マレーシアとシンガポールはイギリスの植民地でした。
聞くところによると、オランダは主に貿易目的で植民地を捉えたために、あまりその土地の文化などは気にしなかったのに対して、ポルトガルは植民地の布教に力を入れたとのこと。それは鎖国時代の日本で、ポルトガルが日本で布教を強く進めたために秀吉に追い出され、オランダは商業の方に力を入れたために、出島での行き来を許されたというからもよく分かります。
そして確かに、オランダの植民地だったインドネシアの主流な宗教はイスラム教であるのに対して、ポルトガルの植民地だった東ティモールはキリスト教なのです。
ぼくたちがこの間いったインドネシアのフローレス島は、なんとなく東ティモールに雰囲気が似てるなと思っていたら、どうも当時ポルトガルの宣教師たちがはじめにたどり着いた場所だということでした。そのせいか、フローレスはインドネシアでありながらも今もキリスト教の影響がとても強く残っているように見えるのです。
日本も400年前にもっと自由にキリスト教を入れていたとしたら、こんな雰囲気になっていたのかなと思うとなんだか不思議な気がします。この辺りに来てみて初めて、秀吉やらの政策の影響が今の自分たちの生活にも強く残ってるんだなということを実感しました。
ちなみにイギリスは、よくも悪くももっと植民地に手を加えたようで、今となっては経済的にも成功している国が多いとのことです。シンガポール、マレーシアなんかをインドネシアと比べてみると、確かにそうかもしれないと納得させられます。そしてポルトガルの植民地はどこも大きな問題を抱えているとか……。
ところで、ぼくらは明日早朝、ボルネオ島へと向います。日本でも良く知られているコタキナバル(「動物奇想天外」のプレゼント旅行の場所で有名?)というリゾート地に飛んで、そこから付近のジャングルへと足を伸ばそうと思っています。野生のオランウータンなどが見られるようです!
それではまた!
雄生・素子
※町のペットショップで、大量のネズミとカメとドジョウ(?)を発見!
(近づくと、出してほしいのか群がってきた……)
(食用?)
(ドジョウなのかよく分かりませんが)
ちなみに、ラブラドールレトリバーが1万円ちょっとで売っていました。
一昨日深夜、無事にクアラルンプールにつきました。
インドネシアからここにきたら、本当に大都会で驚いています。特に、インドネシアで最も伝統的な雰囲気の残っているといわれるスンバ島からの移動だったためか(計3日近くかかりました…)、その違いはひどく大きく見えました。
ところでそのスンバ島ですが、ここは本当に、まあいってしまえば、弥生時代というかなんというか、とてもとてもそういう古代の雰囲気の残っている場所でした。前にも書いたとおり、行くところに行けば、上半身裸の女性がいて、男性(子どもも)は腰に刀、子どもたちはバッファローやウマにまたがっているのです。
(川で水浴びをするバッファローたち)
また、観光客も非常に少なく、どこを歩いていても、「ハロー・ミスター、ハロー・ミス!!」という声がかかります。
(こんな感じで。そしてカメラを見せると大喜び。しかし「ハロー・ミスター!」というのは誰が言い出したのか……。インドネシアではちょっと田舎にいくとどこでも耳にします)
私たちは、ある小さな町(ペロ)を拠点にしてスンバの伝統的な村々を訪ねて回りました。ペロから一時間半ほど、こんなところ(写真)を歩き続けて見えてきたのが、
(草原を抜けると)
(海に出て<石の建造物はお墓です>)
(そして腰ぐらいまであるこの川を歩いて渡ると)
ワインヤプという村でした。この辺りの村では、下の写真のような高い屋根の家が多く、聞くところによると、この屋根の高い部分の中に亡くなった祖先の遺物をいれていて(未確認ですが)それが天国に近ければ近いほどよいので、頑張って高い屋根を作っているそうです。高いものでは、30メートルぐらいとのことでした。
そして、一夫多妻制の残るこの村では、男性はだいたい5人ほどの奥さんをもらい、だから子どもが10人から20人ほどもいるとか。そしてその親も含めた数十人の大家族が、この竹と木だけで作られたこの家の中に暮らしています。
(前列中央の奥さんも私たちがやってきたときは裸でした)
中は例えばこんな感じでした。
(これがキッチン。いろりっていうのでしょうか、この下で火をおこします)
(年老いた女性は家の中でイカットという織物をしていることが多い)
(食事の様子。食べているのは犬肉と米)
(これはウラホンボというまた別の村。村には水もなく、水を得るために数キロ先の他の村までいかなくてはならない。どこの村にいっても、たいてい村人全員でのお出迎えとなり、写真を撮るというとすぐにこんな感じに)
一見似たように見えても、村によって人びとの雰囲気は違っていました。気持ちよくみなで迎えてくれる村があれば、写真を撮るなら金を払え、とかなり強引に迫ってくる村もありました。
しかし何を言われようが、そこには私たちとの文化や習慣の大きな違いがあるので、それによって、この人たちはいい人で、彼らは良くない、というような判断は決してできないように思いました。
ちなみに、インドネシア語はとても簡単とよく言われる言語で、ぼくらも少しずつ覚えていきました。確かに文法はメチャクチャ単純で、単語さえ覚えればすぐにある程度は会話ができるようになります。とはいえ、ぼくらは買い物や非常に簡単な会話ぐらいができる程度ですが、マレーシアも言葉はインドネシアとほぼ同じなので、マレーシア滞在中にさらに覚えていければと思っています。
それではまた。
クアラルンプールから
雄生・素子
こんにちは
なんていっている場合ではないことが起こってしまいました。二ヶ月近く平和に過ごせていたインドネシアで、最後の最後になって、盗難にあってしまいました!バスでバリからジャワ島まで向っている途中、足元に置いておいたカバンの中からカメラと現金5万円を盗まれてしまいました……。カバンの中には、重さが変わらないように、水のボトル2本が入っていました。それに気付いたのはバスを降りて5分くらい経ってからで、そのときにはバスは影も形もなく……。現金はともかくとして、ずっと大事に使っていたカメラ、スンバ島で撮った写真がなくなったのは本当に痛いです。
不幸中の幸いというか、パスポートは残っていたので、今日出国する予定はかわらなそうです。HPの更新は、いつものデジカメを使って続けられるのでまた見てください。
今日は時間がないため、写真は載せませんが、今度、スンバ島の様子をお伝えします。本当に、上半身裸の女性や、刀をぶら下げた男性、バッファローにまたがるこどもたちがいました。
ではまた!
素子
こんにちは。
フローレス島から10日ほどかけて、そこからさらに東のレンバタ島のラマレラという小さな村に行ってきました。人口3000人ほどのこの村は、なんと今も小さな木造の船で捕鯨をしているんです!こんな船でどうやってクジラを捕るのか、というぐらいの船なのですが、400年も前からほとんど変わらぬ方法でクジラ、イルカ、マンタ、ジンベイザメなどを捕って暮らしているのです。特にクジラは、肉を食べるだけでなく、体内の脂肪を乾燥させた形で保存し、それを山に住む人々との物々交換でとうもろこしや米などと替えています。男が海で獲物を取り、女が山へいってそれを交換する、という生活を今も変わらず続けているんです。
クジラは年間数十頭ぐらい捕れますが、ぼくらがその村に滞在した一週間ほどの間には、捕れませんでした。しかし、着いた前日ぐらいにジンベイザメ、滞在中にはイルカが2頭、マンタが1頭捕れました。
ぼくは(サメがうじゃうじゃいる海での船の転覆などが心配で素子は行かず…)、そのイルカ漁の船に乗って、イルカを捕まえる場面を見てきました。100頭以上とも思われるイルカの大群に小さな船で銛とともに突撃していくときは、自分は去年オーストラリアで毎日イルカと生活してきたこともあり、なんとも複雑な心境になりましたが、しかし、まさに人とイルカの命を賭けた闘いという感じがして胸がいっぱいになりました。
銛撃ちは、イルカめがけて銛を撃つとともに、自分も一緒に海に飛び込むんです。そして何度も失敗しながら、半日かけてやっと1頭捕れる。人は生きるためには、生き物を殺さなければならない、ということを改めて実感させられた瞬間でした。
(銛撃ちは船の先端に立ってる人。激しく揺れる船でびくともせずに足だけで立ちながら、獲物を狙います。そして銛とともに海の中に飛び込みます)
(銛がイルカに命中して、銛撃ちがそのイルカを捕まえてきたところ。これからイルカを叩いて殺しました……)
ところで、ラマレラはかなり奥地で、移動がとても大変でした。行きは二日かけて、帰りは、朝5時に出発して夜9時まで、大混雑したトラック、船、バスに揺られてきました。
ちょっと疲れましたが、インドネシアもビザの期限があと10日ほどなので、明日からもうひと頑張りして、スンバ島というインドネシアで最も伝統的な生活が今も残っているという島までいってきます。女性が裸で、男性はまだ刀を脇に差して生活しているとか。その様子を見てきます。
それではまた。
雄生・素子