April 15, 2014

ソウル紀行文1<Seoul, South Korea>

今度、あるフリーペーパーで海外紀行文の連載をいただきました。
隔月で1週間ほど海外に行って現地の様子を思うままに書くというもの。
2008年に日本に帰ってきてから全然海外に行けてなかったので、とてもありがたいお仕事です。
その第一回目として、4月2日~8日までソウルに行ってきました。本当に久々のバックパッカー気分で、とても興奮し、楽しみました。その様子をライブでfacebookにはアップしていたので、ちょっと遅れましたが、こちらにも順次転載しようと思います。(いまのSNSに慣れると、このブログで写真をアップするのがなかなか億劫になってしまい、ついアップしないまま終わってしまいます。。とりあえず今回もテキストだけですが。。)

(以下、4月2日に書いた分です)

今日からソウルに来てます。
長旅で使っていた大きなバックパックを久々に背負って関空を歩いていると、2003年に、全く先の見えないまま妻と二人で旅立ったときの気持ちが蘇ったりして、本当に懐かしい気持ちになりました。

一方、一人での海外旅行はじつは2000年、学生時代にインドにいったのが最後で、それもまた新鮮でした。
でも、なんだろう、旅立つときの気持ちは、当然かもしれないけれど、2003年のときとは全然違いました。期間の長さが違うし、仕事だってこともあるし、または通信手段の発達のせいもあり、年齢もあるかもしれない。よくもわるくも全然緊張感がありません。

20代前半から半ばに旅してたころって、もっと切実な緊張感やドキドキ感がありました。なんだか漠然とした不安とか、気持ちの不安定さ。そういうのが旅をする怖さになることもあったけれど、でもああいう感情って、旅においてはとても重要な要素だなって感じました。

通信手段の大きな変化の影響もきっと大きい。自分はスマホを持って海外に行くのは初めてなのですが、韓国は空港を降りて、地下鉄に乗って町に出る間、いたるところでwifiがつながるし、日本にいるのと、そう変わらない気分。97年、「ストーカー」時代、オーストラリアに向かう途中に傷心の状態でソウルを経由して一泊したときは、空港にすごい客引きがいて、そこで自然に安宿が見つかったので、今回も、客引きと流れに任せれば宿に着くかなと思っていたら、インチョン空港は、非常に洗練されていて客引きなんてまるでいなくて、あれれと拍子抜け。

そのまま、町に出て学生街に降り立つも、誰も旅行者を相手にしてくれる様子はなし。駅から30分ほど歩いて、目星を付けたゲストハウスに行ってみるも、応答なしであきらめる。それからまた20分ほど歩いて別のゲストハウスに行こうと思ったら、今度は、地図の場所にゲストハウスがない。近くを探してもどこにもない。そこで、ああ、どうしようか、明洞にでも行くしかないか、、と思っていたら、ようやく初めて、guesthouseと書かれた看板が見えたので、入ってみると、女性が二人。「部屋はありますか?」と英語で聞くと、よくわからない感じだったので、どうしようかなと思っていると、二人は中国語を話している! 中国人留学生だったことが判明し、詳細をいろいろ聞くことができ、そこの宿に泊まることに。いまは8人ドミにはぼく1人。旅行者はいまのところほとんど見てないのが意外です。

しかしこういう宿探しの感覚とか、本当に懐かしい。バックパック背負って汗かきながら歩き回り、そして、しまいにケンカになったり、とあのころの感覚を思い出してうれしくなり、なんども一人でにやけてしまいました。

夜は、日本人女性と韓国人女性の二人と夕食を。日本人の方は、昔ぼくの本を読んでブログに感想を書いてくださっていた人で、今回、ソウルに来るにあたって、そういえば、ソウル在住の人が感想書いてくれてた!って思い出して連絡してみたら、会うことに。そして友だちも連れて来てくださいました。

日本では、嫌韓ムードを感じる記事ばかりが最近目に付くけれど、実際にはどうなんだろうと聞いてみると、二人とも、全然そんなことないって言っていたのがうれしかった。中国の反日問題のときに中国に住んでいても感じたけれど、メディアで見るとの実際の状況というのは本当に違う。だから、やっぱり来てみるのは本当に大切だなと、改めて実感しました。

と、記録がてら(紀行文を書くための滞在なので)、1週間、できるだけ旅の様子を書いていこうかと思ってます。

韓国人の方に、いろいろおすすめの場所を聞いたので、明日はそのあたりにいってみようかと思ってます。

(続きをまたアップします)

Posted by ykon at April 15, 2014 3:31 PM | パーマリンク | コメント (3) | トラックバック (0)