February 27, 2008

「スターリンに乾杯!」&半年ぶりの海!<Batumi-Black Sea, Georgia>


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(昨日、バトゥミでバスを降りると目の前は黒海!)

ついに黒海沿岸に到着!でもまだグルジアです。

昨日、首都トビリシから一気に黒海沿岸のバトゥミ(Batumi)までミニバスでやってきました。黒海が見え始めたときは、「うお~~!」とかなり興奮しました。海を見たのはいつ以来かなと思ったら、多分半年前の上海以来。後ろに雪山を望みながら見る海はやはりひと味違って、ほんとに黒海なんだなあという感じです。


(バトゥミはほんとにグルジアの端っこ。数キロ行ったらもうトルコのはず?)

バトゥミは港町で、ここからロシアやウクライナへ船が出ています。まさにここから船に乗ったらもう本当にヨーロッパ側に入ると思うと、とても感慨深いです(ぼくらは船には乗りませんが)。

街並は、いかにも港町という陽気さが漂い、なんだかマレーシアとかオーストラリアの海辺の町を思い出しました。気温もぐっとあったかくなり、かなりテンションが上がります。人の雰囲気も他のグルジアとは違って(詳しくは後述)、なんだか明るくいい感じです。

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(バトゥミはこんなトロピカルな町。ヤシの木なんていつ振りだろう......という感じです。オーストラリアみたい!)

グルジアに来てから今回が最初のブログアップになるのですが、すでにもうグルジアも終盤。本当はもっと見たいところがあったのですが、雪で道が閉ざされていたりしたために、首都トビリシの近くの数箇所のみ見てさっさと先に進んでしまいました。小さな国なの、一日の移動で端から端までいけてしまいます。

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(首都トビリシを丘の上から見た風景。街並みはとてもきれいなのですが、それからは想像のつかない、気の抜けない街です......)

さっと通りぬけてしまったもう一つの理由は、実はグルジアが思っていた以上に雰囲気が悪かったということ。もともと、首都トビリシは治安が悪くて旅行者を狙った強盗とか(しかも暴力が伴うことが多いというのが、ブルーです)が頻繁にあるという噂をよく耳にしていたので、なんとなくいやだなあと思いつつ入国したのですが、実際首都トビリシに降り立つと、じーっとにらみつけてくる柄の悪い若者が多く、なんだかヤンキー高校の校内に紛れ込んでしまったような印象を受けました。「ガン飛ばしてんじゃねーぞ!」とか聞こえてきそうな、ちょっと懐かしい雰囲気だったりもしましたが(笑)、町中がそんな感じなので、やはり落ち着きません(こちらの先入観もあったかもしれませんが)。夜、街を歩いてて、殴られて荷物を取られたという話もかなりの数あるようでした。

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(トビリシから30分ほど行った先のムツヘタ(Mtskheta)の教会で)

その上、アジア人蔑視が強いのか「ジャッキー・チェン!」とか「チン・チョン・チャン!」「メイド・イン・チャイナ!」とかそういった類いの掛け声が次々に懸かり、いやな感じ。イランとか他の国でも言われたことは多々あったのですが、グルジアではよく笑い声が伴ったり、なんとなくバカにしたような雰囲気満点なのが伝わってきました。しかも、トビリシのあるレストランに入ると、まだ客がいるのに「もう店はやってない、7時までだ」といわれ、そのときは、ああそうか残念、と思って出たのですが、翌日再びいくと、また客がいるのに「もう終わった、8時で注文は終わりだ」と......。これはいわゆる人種差別ってやつか?と思い、久々にかなり頭にきて、そのあと他の店で食事を終えたあと、戻って確かめに行ってしまいました。「まだみんな食べてるのに、終わりってどういうこと?おれが日本人だからですか?」と。そしたら、どうもほんとに終わりらしいような雰囲気もあって誤解だったのかもしれないのですが、なんとなーく、そうでないような気も......。ロシア語の会話だったためちゃんと分からなかったので勝手なことは言えませんが、トビリシ全般で、そんな風なあまり心地よくない経験が続いてしまいました。

自分がアジア人っていうこと、そして蔑視される対象になるということを久々に実感させられ、なかなか重苦しいものを感じました。

ちなみに「ジャッキー・チェン!アチョー!」といわれるとなんか心地よくないけど、「ナカタ、ナカタ!」って言われると、そう感じないのは、ぼくのジャッキーとナカタに対する気持ちの違いなのかな......?とか思ったり。

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(ゴリの中心に立つ巨大なスターリン像。やはり偉大すぎたせいか、台座はやたらと高いのに、その台座にはスターリンとも何も一言もかかれていなく、妙に孤独な印象を受けました)

一昨日、トビリシから1時間半ほどのゴリ(Gori)という町に行きました。ここはあのスターリンの故郷として有名な町で、おそらくいまは世界で唯一の、大きなスターリン像が立ち、スターリン博物館もあります。

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(スターリンのデスマスク)

スターリンが岡田真澄にソックリということには異論は少ないかと思いますが、若い頃の写真もやはりなかなかのイケメンでした。博物館はロシア語とグルジア語の説明しかないため、そんなことを考えながら写真を楽しむしかないわけですが、でも世界中で悪名をほしいままにしてしまっているスターリンが、こうして偉人として大事にされている町があることを知るのはとても新鮮でした。

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(やはり俳優のような若きスターリン)

そして驚いたのは、ゴリから12キロほどの小さな田舎の村で、その辺のおじさんに誘われて、10人ぐらいの男衆が酒盛りしているところに参加したときのこと。その小さな小屋の中に古いスターリンの写真が飾られていて、乾杯するとき、「スターリンに乾杯!」という感じで、スターリンに向かって杯を掲げていたのです。聞いてみると「もちろんスターリンはいい男だ!」とかそういう話になり、世間がなんと言おうがここではスターリンは英雄として語り継がれているようでした。

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(酒盛りの現場。奥の壁の中央に架かるのがしみがついて破れかかったスターリンの写真。これに向かってみんなで乾杯!大きなビンに入った黄色い液体はワイン。グルジアはワインが有名で、このあたりじゃみな自家製。2杯も一気飲みさせられて、少々きつかったです...)

村では、ウシ作戦を決行して民家宿泊を試みたものの、あえなく失敗。泊めてくれそうになったおじさんが一人いたのですが、彼の家に伺おうとすると、中で息子が「だめだーー!!」というような、猛反対の雄叫びを上げていて、申し訳なくなって退散。別のおばさんは「明日うちに泊まりにきなさい」と言ってくれたものの、明日っていうわけにもいかずで......。やはりこちらから泊めてくれ、というのはなかなかハードルが高いです。

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(ゴリから訪れた村、アテニ(Ateni)。こういう集落が集まって一つの村になっている)

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(村の教会。7世紀の建築らしい。修理中とかで閉鎖していたところもわざわざあけてもらいました。中の壁画も1000年以上前のものと思うと、さすがに歴史の重さを感じます)
ゴリもやはり町の若者は感じが悪く、柄の悪い連中に笑われたり、叫ばれたり。こんな中でアジア人が生きていくのはつらいなあ、と思っていたら、中国人がやっている小さな商店を発見してびっくり。入ってみると、なんと上海人が二人で店を切り盛りしていました。こんな環境のせいか、いつも以上に中国人が懐かしく、親近感が沸いて、久々に中国語を使って話しかけました。「ここでの生活はどう?」と聞くと、「中国に比べてグルジアは発展してないから、中国の方が暮らしはいいよ」とのこと。彼らもきっと、よく馬鹿にされたりしているのだろうと思いますが、本当に中国人はどこにでもいてたくましいなあと思わされます。

いずれにしても、そんなこんなで、あまりいいイメージをもてないままグルジアは終盤になってしまったのですが、昨日黒海が見えたときは、グルジア入って一番の興奮が押し寄せました。やっぱり海はいいなあと実感。リゾート地っぽい雰囲気で、ホテルも久々にちょっとお金を出して快適なところにし、夜も海辺のレストランで優雅なディナー。たまにこういうのが入るとやはり大きなリフレッシュになります。

あと、黒海にもイルカがいるらしいということで、素子がかなり意欲的になってます。果たしてここから見られるのか、どうか?

おそらく明日、トルコへと国境を越えます。

Posted by ykon at February 27, 2008 7:18 PM | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

February 22, 2008

明日はもうグルジア<Yerevan No.2, Armenia>

イェレバンライフも今日で最後、というかアルメニア自体、今日が最後となりました。

アルメニア北部の田舎も周ろうかどうしようかと、いろいろと考えていたのですが、結局、ま、いいか、ということになり、今日の夜行列車で一気にグルジアの首都トビリシまで行ってしまうことにしました。

イェレバンでは特になんにもしてないような気がするのにすでに5日目、という首都っぽい日々でした。でも、例のウシ人脈もあって出会いは豊富でした。

牛山さんは、イェレバンであるイラン人のお宅になんと3週間も(厚かましい!)居候していました。そのイラン人アミールさんは、90年代に日本で働いていた人で、あらゆるシチュエーションで「ダイジョーブ!」を連発する面白い日本語を操るとても親切な人物。彼も、牛山さんを道で見かけて、「ぼくの家、ダイジョーブ、何日でも泊まって、ダイジョーブ!」と誘ってみたものの、まさか3週間もいられることになるとは予想していなかったはず。アミールさんは、食事までいつも作ってくれていたようで、ぼくらも遊びに行くと、すぐに食事を作ってくれました。手伝おうとすると、「ダイジョーブ、ダイジョーブ。座ってて、ダイジョーブ!」と何から何までやってもらってしまい、ぼくらも厚かましくも言われるままに、食って飲んでダベるのみ。

彼もやはりイスラム教徒なので「アミールさん、祈りますか?」と聞くと、「え、うん……、祈らないよ、ダイジョーブ!祈らない、ダイジョーブ!」と予想通りの答。豚肉も酒も「ダイジョーブ、豚肉も酒も、日本でやったよ。ダイジョーブ!」でもパチンコの話になると「パチンコは、ちょっとやったけど、30分で1万円うばわれた。ちょっとだけ、ダイジョーブ、でもたくさんは、ダイジョーブない!」とのこと。

ちなみに、彼も日本にいたときは観光ビザで思わず2年も滞在してしまい、見つかって強制送還されたとのこと。さすがのアミールさんも、1ヶ月ほどのビザで年単位の滞在はダイジョーブじゃないようでした。

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(アルメニア式コーヒー。左の小さな鍋で直接煮立てて、エスプレッソのような小さなカップで飲む。イェレバンには本当にカフェが多くて、コーヒーもケーキも店の雰囲気もかなりレベルが高くてうれしかったです(この写真はタテフの家庭のもの))

ぼくらが今日まで泊めてもらっていた会計士ステファンのところでは、一昨日、十数人のヨーロッパ人が集まってパーティに。19日にちょうど大統領選挙があったために、その監視人(キルギスでの挑戦が懐かしい!)としてアルメニアに来ていたノルウェー人、デンマーク人がステファン邸に集結。その他、アルメニア在住のドイツ人、スロバキア人、インド人など、そしてもちろん地元アルメニア人とぼくらも。

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(ステファンちでのパーティ。ぼくらはこの部屋の奥にタダで寝泊りさせてもらいました)

アルメニアは、90年代に独立して以来、アゼルバイジャンとも戦争をしたし、経済的にも決して最高の状態ではないために、NGOやボランティアとして働く西洋人が結構いる様子。一応は民主化されているものの選挙もあまり公正に行われているようではないようです。選挙翌日から、街なかでも不正を訴える大規模なデモや集会が開かれていました。

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(大統領選挙の無効を(たぶん)訴える集会)

07年末に大統領選挙があったグルジアでもそのあと大荒れになっていたけれど、この辺はどこもソ連崩壊後から現在まで問題は山積なままなようです。

メグリやゴリスで年配の3人の人に「ソ連時代とくらべていまはどうか?」と訊いてみましたが、そのうち2人は「ソ連時代がよかった」という答えでした。

「ソ連のときは、仕事の心配をする必要がなかった。明日も明後日も必ず仕事があって、何も心配せずに、ただ毎日、職場と家を往復すれば、それで生きていけた。病院もタダだったし。でもいまは、子どもの学費も、病院も、すべてお金がいるし、今月いくら稼げるかも分からないし……」と、宿を経営する女性が言っていました。

「ソ連よりそりゃいまの方がいいよ。何してもいいんだから。ソ連が崩壊して生活は全く別なものになったよ」と言ったタテフ村の男性も「でも仕事はやはりソ連のときがよかった。この村にも、コンデンサーを作る工場があって、そこで120人も働くことができた。いまは、バスの運転、学校、病院、郵便局ぐらいしか仕事がなくて、そんなの大した人数にならないしね」と。

ソ連時代は暗黒社会のようなイメージがあるけれど、実際にその時代と現在の両方を経験した人にとっては、そう単純なものではないんだろうなと感じます。

アルメニアはアゼルバイジャンのみならず、トルコとの関係も非常にまずく国境は閉鎖中。というのも、第一次大戦時、民族浄化の名のもとにトルコが150万人ものアルメニア人を虐殺・追放したという歴史があるからとのこと。一部には「史上最も残虐な出来事」とも言われるようですが、ここに来る前は全く知らなかったし、そもそもアルメニアがどこにあるのかも全然分かっていなかったってな具合なわけで……。虐殺博物館はとても見ごたえがありました。

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(虐殺博物館のモニュメント)

また、アルメニアは英語を話す人の割合が実に高くてびっくりでした。さあロシア語だ!と思ってやってきたものの、ぼくらのロシア語よりもアルメニア人の英語の方がうまい場合が多く、結局英語になってしまうことが多いです。

あ、そういえば、美人大国と聞いていたアルメニアでしたが、それほどでもなかったような……。自分の印象としてはロシアのハバロフスクの方が、またイランの方が圧倒的に綺麗な人が多かった気がします(イランはそんなとこでも、期待値を大きく上回り、びっくり)。でも明日から行くグルジアは、本当に美人大国らしいです。今日の夜行列車で国境を越えます。


(今夜の夜行列車でグルジアの首都トビリシ(Tbilisi)に向かいます。ほんとはもっとゆっくりと北上したかったものの、時間的な問題などがあり、一気に進むことに。久々の列車です)

Posted by ykon at February 22, 2008 8:47 PM | パーマリンク | コメント (3) | トラックバック (0)

February 20, 2008

乗せてください!泊めてください!<Yerevan, Armenia>

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(タテフの村で日曜ミサに向かう子どもたち)

アルメニアも一週間。一昨日(18日)、首都イェレバンに着きました。昨日は大統領選挙があり、その影響で今日あたりからちょっと不穏になるかも、、、なんていう地元の人の話も聞きましたが、平穏な都会ライフを送っています。

イェレバンでは、地元アルメニア人の会計士の仕事場にある空き部屋に泊めてもらっています。アルメニアの他の民家同様、部屋がかなり寒いのが難点ですが……などと、タダで泊めてもらっているぶんざいなのに大きなことをいえる立場ではなく、宿を提供してもらっているだけでとてもありがたく過ごしています(ホントに)。

前回書いたように、ゴリスで、半年振りに牛山さんという独特なキャラの旅行者に再会したのですが(中国・モンゴル間の国境で足止めくらったときに一緒だった人)、アルメニア入ってからは、彼のおかげで、ぼくらも次々に民家に泊めてもらう生活が実現できています。

この牛山さんの旅の仕方がなかなかすごいんです。移動はほぼ全てヒッチ、宿泊も民家をノックして「泊めてください」とあわせた両手を頬の横に持っていくジェスチャーで頼むか、ヒッチで乗せてもらった車の人の家にそのまま転がり込むという、目に余る厚かましさ(笑)。とても好感のもてる人物であるせいか、または荷物がビニール袋と小さなリュック一つだけという現地人からも同情を買ってしまう貧乏風なスタイルのせいか、やれ「うちに泊まりなさい」とか、やれ「乗ってけよ」とか言われて、物価の高い国はほとんどそれで渡り歩き、中国からここまで7ヶ月ほどの旅で使ったのはたった2000ドル(ぼくらはその2,3倍使ってます)というので驚きです。

いまぼくらが泊まっているところも牛山さんが前にイェレバンで知り合った人を紹介してもらった、というわけです。

アルメニアやグルジア、そしてこれから先のヨーロッパは、この「ウシテク」を少し取り入れないと金銭的にちょっと厳しそうなので、ぼくらもノックして民家に泊めてもらうという方法を少し実践してみようかと思っていますが、これがなかなか、体力と精神力が要りそうです。

こないだ、牛山さんと3人で、ゴリスの街なかで手当たり次第にこの方法を試したときのこと。声をかけてきた車の人に試しに、「今日、泊まるところがないんだけど、泊めてくれないか。ホテルは高くて、お金がなくて……」などと言ってみると、「金がないのか?金がないやつは道路で寝なさい」と厳しくしかもある意味まっとうなことをピシャリといわれ、世間は甘くないことを早速実感……。そういうこと何度か言われたらぼくらはすぐくじけてしまいそうなので、やはりイランのように向こうから誘われないとなかなか泊めてもらうっていうのはしづらいですが、でも、この方法でガンガン推し進める牛山さんはとても素敵な出会いをいくつもしているので、こういう方法もカードとしてもっていたら旅の幅はさらに広くなるだろうな~と感じました。

さて、話は5日前に戻って、その牛山さんと再会したゴリスから。

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(タテフはこんな感じののどかな村。周囲を雪山に囲まれ、こんなところで育ったら、すごい自然派キャラになりそうだなあと、エセ自然派として想像)

再会した数時間後に、ゴリスから30キロほど離れたタテフ(Tatev)という村へ行きました。30キロなのにバスで2時間かかるという厳しい山道の先にあるタテフには、9世紀(か5世紀?)にできた教会がいまも建っていました。崖の端に建つこの教会の中で子どもたちとともに日曜ミサに参加し、10世紀のフレスコ画の跡を見ると、いやあ、いよいよヨーロッパだなあと感じました。

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(9世紀(か、5世紀)に建てられたという教会。向こうの山から見ると崖っぷちに建っていることが分かりすごいらしいです。シンプルな石造りは、アルメニアの教会に共通らしいです)

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(その中。光の入り方がとても神秘的な雰囲気を演出)

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(教会の中の小さな部屋での日曜ミサ。ロシア正教とかに共通する煙に満たされ、これまた神秘的な空間に)

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(これはタテフのまた別な教会。1646年の建築物で、アルメニア的には新しい部類に入りそうなものの、いまは使われていない。)

タテフまでぼくらはバスに乗り、B&B民家に泊まったものの、牛山さんはここでもバスには乗らず、ヒッチ&ノック戦法。しかし、途中吹雪になり、何台も車が引き返すような悪天候で「さすがにこれは無理だろう」と思っていたのですが、そのしぶとさには脱帽でした。彼は途中までの車を見つけ、あとは15キロの山道を歩き、最後は暗闇の中、狼を恐れながらなんとか村に到着。しかも、泊めてもらった家は極寒でほとんど眠れず、まともな食事もなく、というハードな展開に。やはり相当タフじゃないとウシテクは実践できないなと実感しました。

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(タテフの学校で見た「バレー部」。まさに「バレー部です!」)

一方ぼくらはB&Bで手作りの豪華な食事とウォッカなどで快適な民家ライフを送り、そこに2泊するつもりだったものの、1泊した翌日、昼飯を食べながら宿のおばさんに宿・メシ代の確認をすると、約束以上のかなり法外な額を請求され、全然折り合いがつかなかったため、急遽ぼくらもそこを出て、その日のうちにゴリスまで戻ることに。その日は日曜でバスがなかったため、期せずして、いきなり牛山さんとともにヒッチすることになりました。

すでに夕方で、暗くなったら道も見えないしおしまいだな、とちょっと焦り気味でしたが、ウシテクのおかげもあって運よくすぐ車が見つかり、ぼくと素子は二人で助手席に乗るというギュウギュウ詰め状態で1時間走って無事ゴリス着。で、宿探し。教会で泊めてくれ、といって断られ、結局牛山さんが二日前にヒッチした挙句泊めてもらったリッチなお医者さんの家に、3人で押しかけることに……。

さすがに断られるかなと思っていたものの、「バレー部です!」と入っていくと、3人で行ったのになんとびっくり大歓迎!「おお、バレー部です!バレー部です!」と。

笑い上戸の絵描きの奥さんとアルメニアで一番手術数が多いというベテラン外科医とその息子たちとともに、豪勢な食事でとても楽しい夕食に。「アクタガワはすごい、バショウが好きだ」というかなり日本通の家族と、日本ネタでいい盛り上がりをみせ、あとはゴリス名産のフルーツウォッカをしこたま飲まされて……という夜でした。

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(ゴリスのお医者さん宅で。右端が牛山さん。インパクトの高い怪しい風貌と穏やかかつ人当たりのいい魅力的な人柄を武器に、厚かましくてディープで素敵な旅を果てしなく続けられそうな好人物)

翌18日にぼくらはバスで首都イェレバンへ。牛山さん紹介の爽やかな若き会計士に連絡を取り、彼の仕事場の空き部屋に落ち着いた、というわけです。イェレバンは英語を話せる人の率がかなり高く、またNGOやボランティアとして働いている西洋人も結構います。これもまたほとんどウシ人脈ですが、彼らと会ったりしながらこれから数日過ごす予定で、出会いが多くて楽しそうです。

牛山さんに始まり牛山さんに終わるかもしれないアルメニア。おかげで、人との出会いがかなり多く、旅の新たな方法が開拓されそうな予感です。

イェレバンの写真はまた次回。

Posted by ykon at February 20, 2008 4:47 PM | パーマリンク | コメント (3) | トラックバック (0)

February 16, 2008

「バレー部です!」<Goris, Armenia>

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(国境の町メグリ。古い石造りの教会がヨーロッパに来たっていう感じ。教会は17世紀のもの)

13日にイランから国境を越えてアルメニアに入りました。

川の向こうはすぐアルメニアという国境なのですが、国境を越えるといきなりキリスト教の西洋世界になっているので不思議なものです。アルメニアには独自の文字があり、言葉はアルメニア語なのですが、やはり旧ソ連、ロシア語も広く通じます。国境職員はロシア系なのか(実際そのようです)、お互いにロシア語で話していたし、少しでも意思疎通ができる世界に戻ったのは旅する上でうれしいものです(その一方、イランの印象がとてもよかったので、イランを離れるのがちょっと寂しかった!)。

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(イラン側から見たアルメニア。川の向こうはすぐアルメニア!)
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(国境のイラン側)

イランのタブリーズから国境までは、バスはほとんどなく、乗り合いタクシーを乗り継いでいくことになりましたが、とても順調。国境の川沿いを30分ぐらい走るのですが、川の向こうはアルメニアだったりアゼルバイジャンだったり。国境がとても複雑に入り組んでいることがわかりました。

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(国境の橋から。右がイラン、左がアルメニア。とてもきれいな国境でした)

国境越えもスムーズ。川を越えるだけの国境のため、二国間のノーマンズランドは橋しかなく、久々に歩いて渡れる国境でした。

写真を撮っているのがバレてしまい、アルメニア側で一枚削除させられましたが(10枚ほど撮っていて見つかった1枚以外は、再生ボタンを逆に回してイランの写真を見せることで辛うじてセーフ)、その対応もとても紳士的。「写真はだめだよ、ぼく。これは消しなさい」って諭される子どものようでした。

アルメニア側に入り、10分ほどまたタクシーに乗ったら、Meghri(メグリ)に到着。ホテルもレストランもほとんどないらしいので、ホームスティさせてくれるらしい家族を訪問。いきなりだったのですが、夫婦と娘さんが温かく迎えてくれました。奥さんはドイツ語の先生、旦那さんは栄養士(もしくは植物学者?)か何かで、奥さんは英語を話すし、旦那さん、娘さんもロシア語は流暢。

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(メグリのホームスティ先の家族。みな親切でした)

メグリは人口5000人のとても小さな町ですが、石造りの家が山にへばりつき(ちょっとイランのマースーレーみたい)、古い教会やお城があったりといい雰囲気。

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(教会の神父さん(でいいのかな?)アルメニアはキリスト教でもArmenian Apostolic Churchという派が最大。アルメニアは世界で最も早く公式にキリスト教を採用した国として知られます(AD 301年))

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(教会の絵はどことなくアジア風。教会で地獄が描かれている絵などあまり見たことない気がしますが、どうでしょうか)

到着した日、旦那さんのゲボルグに町を案内してもらい、携帯電話のシムカードを買って(これでアルメニアでも上海で買った携帯が使えるようになります)、ネット屋も見つけました。宿もないこんな僻地でもまたネット屋が2軒……。本当にインターネットの広がりというのは驚くべきものがあります。

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(アルメニアの文字。うーーん、なんとも言えません。。。が、最近、漢字こそ世界で最も不思議かつ特殊な文字のような気がしてきました。「数千文字あって、実際いくつあるか分からない!」っていうと、みな、なんでそんな文字をあなたたちは使いたがるんだ、といい、確かにそうだなあと納得してしまいます。それに比べると、アラビア文字もキリル文字も全然平易なような)

家では、おいしいアルメニア式コーヒーやらここの名産のザクロ、イチジク、カキなどを出してくれ、夕食は、すべて庭で作っている野菜で満たされた超オーガニックディナー。そして、手作りワインとウォッカ。イランの単調なケバブライフから、川を越えたらこういう食生活をしている人がいるというのはやはり国境の不思議さを感じます。

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(何から何まで手作りなのには驚き!チーズ、赤ピーマン、キャベツ、トマト、豆、胡桃、パン(写真上)、カキ、ナシ、カボチャ(右)(写真下)、その他、桃のコンポート、ワイン、ウォッカもすべて自家製でした。久々に超豪華な気分)

とはいえ、アルメニアの田舎はいまもとても貧しいらしく、奥さんは、とてもこれだけの食べ物を買えないから作っているとも言っていました。首都イェレバンで大学に通う息子さんと娘さんの学費を払うために、奥さんは日中、学校でドイツ語を教えたあと、家で家庭教師をし、旦那さんもすでに退職したのか、いまは運転手をして少しお金を稼ぎながらやりくりしているとのこと。二人合わせて月収は300ドル程度で「旅行もしたいけど、私たちにそんなお金はないし、いいなあ」と奥さん。

こういうときに、自分たちの旅のことを聞かれ、「日本を離れて5年経って、いまは中国から半年かけて旅してます」なんてノンキなことを言うのはとってもはばかられるような気がしてしまいます。ただ自分たちが日本に生まれたというだけで、実際どうしてもお金持ちという立場になってしまうことに、いつもながら複雑な思いを抱かされるし、こんな生活をしているのがちょっと恥ずかしいような、なんだか申し訳ないような気持ちにさせられます……。

などと殊勝なことを書いてみましたが、さて、今回のタイトル。
友人からすでに聞いていたのですが、「バレー部です!」と元気よく言うと、アルメニア語の「こんにちは!」の意味になるのです!

実際に「バレー部です!」とこの家族に言ったら、「あら、知ってるのね、アルメニア語!バレー部です!バレー部です!」と言い返され、ほんとだ!と爆笑しました。

そんな感じで、温かい家族の中で楽しくメグリでの日々を過ごしました。部屋がとても寒いのがきつかったですが……。

ここに2泊して、昨日(15日)の早朝7時のバスで100キロほど北のゴリス(Golis)へ。
途中、久々に2000mオーバーの雪山を越え、一面の雪景色。気温もぐっと下がり、ちょっと中央アジアを思い出す寒さに……。

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(途中バスから見えた雲海!山の谷間が雲で満たされ、そこに朝日が昇りはじめ、とても幻想的でした)

ゴリスの町はとてもきれい。雪山に囲まれ、並木道と石造りの古い家。西洋らしい重厚な歴史を感じます。しかしここに来て、アルメニアの物価の高さを実感!食べ物はまだ安いのですが、宿が高い!町の人に聞いて、一番安い宿を探しても一人16ドルとか、そういうレベル……(実際もっと安いのが一つあったのですが、そこはさすがにひどいみたいで選択肢に入れず)。宿10ドル程度(これでもバックパッカーには結構きついのですが(笑))って聞いていたのにこの4年ほどでアルメニア通貨ドラムの価値がドル換算で2倍ほどになり、ドルで考えると物価が相当高騰していて、厳しいです。

アルメニアは、隣のアゼルバイジャンとは犬猿の仲で、アルメニアのビザがパスポートにあると、アゼルバイジャンには入れなくなります。両国の間には自称の独立共和国があり、アルメニアはそれを支持、アゼルバイジャンとその国は一触即発状態(…までではないかもですが)。アルメニアはキリスト教国で、アゼルバイジャンはイスラム教国。アルメニアはロシアと強く結びつき、アゼルバイジャンは、カスピ海の豊富な石油を餌にアメリカから大きな援助をもらっているとのこと。そして、アルメニアの北にあるグルジアとも、またいろいろとあるらしいです。コーカサス地方(この三国のこと)は小さいけれど、民族が多く、歴史も複雑でなかなか大変そうです。

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(ゴリスの街並み)

さて、昨日は普通の宿(B&B)に泊まったものの、宿の奥さんが、娘さんの誕生パーティに呼んでくれ、ぼくらも娘さんの家にお邪魔して一緒に豪華な夕食。その娘さんというのが34歳で、すでに5人の子どもがいて一番上は16歳!宿の奥さんはまだ51歳なので、なんと彼女は35歳でおばあさんになっていたということになります!それはさすがにびっくりですが、やはりいつもながら大家族は楽しそうでいいなあ~と羨ましくなります。

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(下列の左の女性が51歳の奥さん。で、子どもを挟んで右側の女性が34歳の娘さん。で、彼女の上にいるベージュのセーターを着た女性と一人挟んでその左隣にいる女性が、その娘さん(16歳と14歳)!最初は完全に姉妹かと思い、びっくり!)

イランに続き、アルメニアもまたとても人が親切。最近、結局どこの国の人も大抵の人はとても親切なのかもなあと感じ始めています。

今日、モンゴルでしばらく一緒だった日本人の牛山さんと半年ぶりに再会。これから一緒に、5世紀ごろの教会が絶壁に残る山奥の小さな村タテフ(Tatev)に行ってきます。さすがにすごい年季の入った代物のようで楽しみです。1、2泊して、またゴリスに戻って、そのあと首都イェレバンに向かいます。


(アルメニアは本当に小さくて、町から町の移動もほとんど数時間でおしまい。いま、牛山さんが、隣の自称独立国(この地図じゃ表記不可)に数日行こうとぼくらを説得中。ぼくらはまだ全然気持ち的に盛り上がってないのですが、どうなることか……)

Posted by ykon at February 16, 2008 5:24 PM | パーマリンク | コメント (6) | トラックバック (0)

February 12, 2008

豪快なイラン人俳優宅へ!<Tabriz, Iran>


一昨日(10日)アルダビル(Ardabil)で人の家に1泊させてもらってから、昨日、イラン北西部の都市タブリーズ(Tabriz)に着きました。タブリーズからアルメニアに入る予定で、イランももうここで最後。イランを出るのがとても名残惜しいほどこの国では人との出会いに恵まれ、一昨日泊めてもらったアルダビルの一家もその一つ。

彼らとはラシュトのレストランで偶然出会って、その勢いで「うちに来なよ!」と誘われました。この家族は、39歳&25歳の夫婦と1歳の娘さん一人の三人家族。バスを乗り継いでアルダビルまで行って、電話をすると、この3人に加えて奥さんの兄(27歳)で英語を話すイマンが合流してぼくらを迎えてくれました。

39歳の旦那はロミーという超気さくなコメディアンみたいな人物なのですが、彼がなんと映画監督&俳優だとのこと。最初に会ったときから「ミー、フィルムディレクター、アクター」と言っていたものの、冗談のうまいおっさんかななんて思っていたのですが、彼が一緒にDVD屋に連れて行ってくれ、「おれの映画をプレゼントしてやる」ってことに。店が閉まっていてその場では買えなかったものの、店に貼ってあるポスターの大物っぽい役者を指差して「これ、おれ」と。微妙に顔が違う気もするので、つんつくや矢沢永作みたいなそっくりさんで売ってるコメディアンかなとか素子と話してましたが、話を聞く限り本物のようで、その後タブリーズに着いてから、そのDVDを購入して確認作業。

写真の掲載をやめました
(本人と、ポスターの中のロミー。髪型、髭、身のこなしはそれっぽいです。ノートにサインもくれて、それもまたそれっぽかった。)

動いてるところを見ると確かにロミーっぽいのですが、実に微妙で、いまいち確信ももてず。DVD屋の店員にそのDVDの表紙の顔を指差して「彼の名前はロミーか?」と聞くと、「ロミー?いや、違うよ。ロミーなんてやつは知らないね」って感じのことを言われるし......。でも、あそこまで言っていたのだから、多分本人なのだろうと思います。ちなみに、ロミー監督作品の一つの英語名は、イマンの怪しげな英語によると"Surprise Apple"とのことなので日本語であるとすれば「驚くべきリンゴ」か「驚いてるリンゴ」かなにかでしょう。もし日本で目にする機会があればお知らせください!しかもロミー、ほんとに映画界の大物なのか、「キアロスタミは友達だよ」とのこと。彼のジェスチャーによると「テヘランに行けば、泊めてもらえる仲」らしい。どうなんだろう......。

さて、そのロミー家。アルダビルのバス停まで車で迎えに来てもらい、家に着くと、ぼくらが降りる代わりに奥さんと娘さんも乗ってきて、「さあ行くぞ!」って感じなので、これから外でディナーか、と思いきや、なぜかそのまま2時間以上も車で街なかをウロウロ!1時間ぐらいした段階で、「どういう展開だよ、これ?!」と思っていると、どうもロミーは、ぼくらのためにシャンパンを振舞うべく、シャンパン入手に画策していることが分かりました。

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(途中、こんな絨毯の美術品屋へも立ち寄る。シャンパンのための時間稼ぎの一環?でも、この絵がすべて絨毯でできているのがすごかったです!イランの特殊工芸なのかな?)

「イランでシャンパンなんて、OKなの?」と聞くと、「何言ってんだよ、OK、OK、ノープロブレム!シャンパン、ビアー、全部OK!」と、ロミーもイマンもそんなノリ。
イランでは、店にアルコールは一切売っていないので、シャンパンの入手はなかなか大変。まずは、小さな子ども洋服屋の主人に謎の電話番号を広告の裏紙にもらう(「それ、シャンパンテレフォン?」と聞くと、ロミーは「がはははー、そうそう、シャンパンテレフォンだ!」と大ウケ)。でもそこにかけるだけではだめなのか、しばらくまた町をウロウロすると、謎の売人みたいな人物が車に乗り込んできて、彼の指示でわけのわからない裏道を走り回り(なんだか同じところを走ってる気もしたけど)、途中で止まり、ロミーと売人が外に出て、ロミーが結構な大金を売人に渡すと、売人は闇の中に走っていく。すると、すーっと売人の側に謎の車が停まる......。で、戻ってきた売人の手には、一本のウィスキーが......(シャンパンではなかった)。実にアングラなやり取りで、まるで港の麻薬密売現場のようでした。「見ろ、上物だろう」と、さすが大物映画俳優、なんでもありって感じでした。

その後、晩飯ケバブ屋さんにいくと、ロミーは駐車時に車を溝に落とし、明らかに大丈夫じゃないのに、イマンが「ノープロブレム、ノープロブレム!」と、相変わらず絶好調。そんなノリのまま小さな宴会開始。さすがに外で酒を飲むのはイランではありえないと思っていたのに、「友達の店だから大丈夫!」だと、ロミーはプラスチックのコップにウィスキーをコーラのようにゴボゴボつぎだして、まずは一気飲み!「ぷはー、うめえー!」ってな具合で、もうイランのイメージ、変わる変わる!さらに、ロミー、イマンと、例のイスラム教の話を始めると、
「イスラム? そんなのもうイランにはないよ!ファック・オフ・イスラム!ですよ」とまで言ってしまうイマンのには驚きでした(笑)。彼らはこれまで会った中でも特にイスラムから遠いようでした。家族の一部はアメリカに住んでいて、イマンもNYに2年住んでたからというのも関係がありそう。イマンはアメリカ大好きっぽくて
「アイラブアメリカ!オンリーアメリカ!」を連呼。「豚肉、ベリーデリシャス!」とも。

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(翌朝の朝食。右がイマン。クリームミルクというペースト状になったミルクと蜂蜜を、焼きたてナンに塗ると激ウマ!この辺は、イラン北西部では、クリームミルクやらアイスクリームやらが多くて、乳製品がいけてる雰囲気)

アルコール自体久々だったのに、ロミーとともに、強いウィスキーをストレートでジュースのように飲んでしまい、ぼくらは二人とも家に帰るとすぐにダウン......。とてもイランにいるとは思えない夜でした(笑)。イランは本当に幅が広いことを彼らに教えてもらいました。

翌日、タブリーズに行く際は、バスのチケット代まで絶対に自分たちが払うからと譲らず、何から何まですべて面倒を見てもらってしまいました。ぶっちゃけたとてもいい人たちで、その親切さにはまたまた感動でした。

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(アルダビルからタブリーズまでの間はずっとこんな風景。寄ってみたい!と思わせる村が多数。雪景色もまただいぶ続きました。タブリーズは今日、雪でした。)

タブリーズに着くと、アルメニアはもうかなりそばです。ネット屋では店員と値段のことで軽くもめると、ロシア語らしき単語が出てくるので、「ロシア語話すの?」と聞くと、「お、あんたもロシア語はなすのか?」ってことになり、全然話せないけど、ちょっとうれしくなり、「おお、ロシア語で話そうじゃないか」って感じに。旧ソ連圏が再び近づいてきたことを実感しました。


(多分明日からアルメニア。アゼルバイジャンの飛び地や、自称の独立国家があったりとかなり国境は入り組んでいます。イランから国境を越えてすぐの小さな町Meghriから順々に北上予定。アルメニア、まだ何があるかよく分からないけど、イランとはまた大きく変わりそうで楽しみです。アルメニアの首都はイェレバン(Yerevan))

さて、明日ついにイランも終えて、アルメニアへ国境を越えます。直行バスで一気にイェレバンまで、って思っていたけど、ツーリストインフォセンターで中古のロンプラ(ガイドブック)をみつけ、アルメニア部分を読んだら、やっぱり小さな町を転々としていった方が面白いだろう、ということになり、ちょこちょこ進むことに。明日はメグリ(Meghri)に泊まる予定。モンゴルで一緒だった日本人旅行者ともに約5ヶ月ぶりに再会できそうで楽しみです!

Posted by ykon at February 12, 2008 7:44 PM | パーマリンク | コメント (6) | トラックバック (0)

February 10, 2008

イラン人の親切さ&には本当に感激<Rasht, Iran>

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(雪に包まれたMasuleh。山の斜面にへばりつくように家が並ぶ。段々状になっているため、各家の屋根がその上に住む人にとって道となっていること)

いまは、Masuleh(マースーレー)という小さな村のそばのRasht(ラシュト)という町にいます。マースーレーに行くためにまずラシュトに一泊して、再びラシュトに戻ってきてもう一泊。


(いまいるRashtは、まさにカスピ海のすぐ隣。でも町からはちょっと距離があるようで、カスピ海はまだ見れてません。今後アルメニアあたりから、さらに地図がこみいるので、下に拡大地図を載せました)

マースーレーは、山の斜面に家が建つ美しい村ということで行ったのですが、これが予想以上にツーリスティな雰囲気で(土産物屋いっぱい)、しかもイスラムの休日である金曜日に行ったせいかイラン人観光客がとても多くて、いかにも観光で栄えている「村」という雰囲気満点でちょっとがっかり。でも、確かに雪山の中の独特な村できれいだったし、ホームスティのような宿もとても居心地がよく、のんびり散歩して人と話したりしてすごし、まるで日本の温泉宿に来たみたいな一日でした(温泉はないけれど)。

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ラシュト、マースーレーに来てからも、人との出会いに恵まれています。イランに入ってからずーっとだけど、イラン人には予想以上に親切にされることが多くて本当にびっくりしてしまうほど!一日一日、イラン人の印象がうなぎのぼりに上がっています。

ラシュトからマースーレーまでの1時間ぐらいの道のりでは、乗り合いタクシーの運転手が全くタダでぼくらを現地まで運んでくれました。お金を払うと言っても「いいから、いいから!」といって決して受け取ろうとせず。外国人が珍しくて、ただ親切にしてあげたかった、というようなことを言っていましたが、それ以上全然強引なところもなく、笑顔で写真をとってメールアドレスを交換したぐらいでお別れという、本当に親切な人でした。最初、乗り合いタクシー乗り場で彼に会ったとき、彼だけ他の運転手に比べて随分安い値段で、「OK,OK」っていうので、何か裏があるのでは?って思い、また不敵な笑みを浮かべていてちょっと怪しげに見えたので、大丈夫かな?と思ったりしましたが(しかも途中、他の客が降りてぼくら二人だけになったとき、絶妙なタイミングで"Do you know Saddam Hussein?"とか聞かれたので、え?どういうこと??とビクリ。なんでそんなこと聞くんだろうと、Why, Why? と聞き返しまくってしまいました(笑)。そしたらまた「フフフ」と不敵な笑み)。

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(彼がそのタクシードライバー。マースーレーについて、降りるとき。途中、いきなり拉致コースに入ったらどうしようかと、銃を突きつけられたときのシミュレーションとかまで軽くしてしまいましたが(笑)、絵に描いたような善人でした)

本当に何も要求せずに手を振って去っていったのは驚きで、疑って申し訳なかったな、って思った次第。

村を散策しているときには、家の中から日本語で呼びかけられ、「うちでお茶でも飲んでいく?」って言われたのでお言葉に甘えてお邪魔すると、彼は92~93年まで大阪で大工をやっていたという人物。そういえば、自分が高校ぐらいのとき、イラン人といえば上野でテレホンカード、っていう時代があったなあと思い出し、日本での話をいろいろと聞きました。
「私はパチンコが好きだったから、毎日ビール飲んで、パチンコやって……、日本は楽しかったなあ~」と彼。

当時、イラン人は成田で15日の観光ビザを取得でき、そのまま1年とか2年とか滞在して働くことが出来たとか。っていっても、それって不法滞在でしょ?見つかったらまずかったんじゃないの?と聞くと、
「全然問題ないよ、何も文句は言われない。15日のビザで1年いても、全然大丈夫だよ」
って言ってました。そんなわけないのでは……と思いつつ、それ以上突っ込んでも彼も日本語でちゃんとした説明はできそうになかったので分からなかったのですが、そういうのが当時は大目に見られていたのでしょうか。パスポート見せてもらっても、労働ビザとかもらっていた形跡はないし、出国のとき、それで問題になっていないのが不思議。他のイラン人でも、よく20年前は簡単に日本に行けたからよかったってよく言われるのですが、どうしてなのか、ご存知の方がいらしたら教えてもらえるとうれしいです!

彼は、日本では豚肉も食べたし、もうムスリムもなにもあったもんじゃねーって生活をしていたみたいです。いまは祈ってるのかって聞いたら、「まあ、ときどきね。毎日祈るのは古いシステム。いまはもうみんなそんなことはしないよ」と、前回書いたメガネ屋さんと同じことを言っていました。

彼もまた、「イラン政府は全くひどい。テレビでやってることも嘘ばっかりだよ」と。「アメリカが好きってわけじゃないけど、イランのシステムを変えてくれるんだったらうれしいな」と。アメリカの横暴さはひどいけど、イラン人の気持ちってのもまた複雑なんだなあと感じさせられます。

彼は、アヘンもやるし、酒も飲むし、祈らないしで、ムスリムの風上にもおけない気さくな笑える人物でしたが、決して彼が特殊ではないんだなあ、というのをだんだん感じてきています。

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(夜はこんな風に。なんか山火事が起きてるみたいですが)

そのあと、晩飯を食べに小さな水タバコ屋さんにいくと、隣に座った夫婦の旦那が、テヘランの大手日系電機メーカーで働く人物。彼は英語がとてもうまかったので、日本人と一緒に働く上で感じる違いについて、イラン人の気質についてとかいろいろと話が弾みました。面白かったのは、彼が「日本人は白か黒のどちらかしかない、イラン人はその間に様々なグレーがある。そこに違いがあって、一緒に働くと難しいことがある」と言っていたのが印象的で面白かったです。日本人的には、それは一般に自分たちが欧米の人に感じることですよね?だから、そのような指摘をされるのがすごく意外に感じたのです。

イラン人のあまり押し付けがましくない親切心、きちっと仕事をする風であるところも含めて、イラン人って結構日本人に感覚近いのかな?って思ったり。ぼくらがイラン人に対して、とても居心地のよさを感じるのも、そのせいかもしれないと感じています。たった2週間ほど旅行しただけの感想なのでなんともいえませんが、とりあえずぼくはそんな印象を受けてます。

そして彼にもイスラム教の話を聞くと、彼もほとんど同じ答え。若者は全然祈ってなんかいないし、それどころかイランでは若者の薬物中毒が大問題だと。「酒はイランでは手に入れにくいけど、薬物はほしいと思ったらすぐに手に入るし、安いんです。だから、みな薬物に手を出してます。ぼくの妻も、ぼくにタバコを吸わせないように目を光らせてるけど、タバコをやめたら薬物に走るんじゃないかって心配してるんですよ、はははー」と。
確かに、前に泊めてもらったタクシー運転手も、「見つかったら終わりだよ」なんていいながら、食後にはずっとハシシを吸っていたし、上の大工さんもアヘンセットがキッチンの棚から、「はいっ」って感じで出てきました。見つかったら死刑とかとも聞いていたのに、イランでは薬物の普及率は本当に高そうな感触を受けています。

さて、その日系企業の彼と話しを終え、ぼくらが店を出る段階になると、
「支払いは私がします。初めてここに来たあなたたちに、どうかごちそうさせてください」と言われ、びっくり。そしてここでも結局お言葉に甘えることに……。イランにも日本のような社交辞令文化があるようなのですが、ここではみな本気で言ってくれているようでした(と判断しました)。

今日はこれから、ラシュトから5時間ぐらい先にあるアゼルバイジャンとの国境付近の町アルダビル(Ardabil)まで行きます。実はラシュトに来た日に夕食を食べたレストランであった家族に、「うちに泊まりにおいで!」と誘われ、とてもいい感じの人たちだったので、是非にと、お邪魔しに行くというわけです。あまり言葉は通じなそうでしたが、夫婦と娘さんの明るい人たちで楽しみです。


(グルジア、アルメニア、アゼルバイジャンは3つ合わせてコーカサス(カフカス)諸国と呼ばれますが、その拡大図です。今日はRashtからArdabilまでの移動。5時間ほど。明日、その少し西の町に移動し、そこからアルメニアに入ります。ちなみに、左の黒海の上の小さな黒枠内はなんだかわからなかったのですが、とりあえず湖っぽく塗っておきましたが、もしこれ、陸地だったりして間違いだったらご指摘ください!)

Posted by ykon at February 10, 2008 3:49 PM | パーマリンク | コメント (4) | トラックバック (0)

February 6, 2008

明日テヘラン出発予定<Tehran No.2, Iran>


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(街なかにホメイニ師なども顔も多いけど、実は結構アーバンなライフを楽しんでいるらしいテヘランのイラン人)

テヘランもいろいろやってたらあっという間に今日で6泊目。なんかあまり何もやってないような気がするのに、なんだか毎日忙しかったような。

毎日町の南北を行ったりきたりしてただけで、とても疲れます、テヘランは。地下鉄、バス、乗り合いタクシーなどを乗りつがなければならず、バスは行き先の文字読めないし、分かりづらいし、乗り合いタクシーも同じ行き先のを粘り強く探して、その上ぼられないように気をつけたりと、それだけでエネルギー使います。唯一地下鉄はとても簡単快適に乗れるのですが、これも痒いところには届かない程度にしか敷かれてないし。

いずれにしても、テヘラン4、5日歩き回って感じたのは、イランって思っていた以上に発展したきちっとした国であることです。英語を話せる人は他の国に比べてかなり多い印象だし(少なくとも、今回旅した中国、モンゴル、ロシア、中央アジアと比べたらダントツ多い)、駅や郵便局やネット屋さんなど、働いている人全般、仕事がとても速く、サービスもかなりいいです。例えば、駅でちょっとチケットの売り場とか聞くと、すぐに売り場の人に連絡してくれて「あの人のところにいけば、分かるようになってるから」とか、ネット屋でも、ノートPCをつながせてくれっていったら、電源の蛸足から予備の椅子とかまでをさっさっと用意してくれたり。サービスのレベルが、明らかにこれまで行った国より高い気がします。
というのも、この半年の間に行った国がすべて旧ソ連&中国という(旧)社会主義系の国だったせいかもしれません。やはり社会主義系の国は「サービスの悪さ大賞」の座はほしいままなのかもしれません。

それからもう一つ驚かされているのは、テヘランに来てみて、女性の格好がマシュハドなどにくらべてかなりブロークンであること。頭を隠しているのは同じなのですが、いかにギリギリまで髪を出せるかって感じで、若い子は頭の半分ぐらい出ている子が多く、髪を染めている女性も結構います。あ、これは前回書いたような。
で、イスラムの教えってのもかなり形骸化している気がするので、こういう人たちもみな、朝昼晩とお祈りしてるのかな、、と疑問に思っていたところ、メガネ屋の軽快な27歳男性がズバリ。

「祈り? そんなのしてるわけないじゃないか。90%の人はそんなのやってないし、イスラム教なんてほとんど気にしてないんだよ」と驚きの発言。

「おれ?祈らないよ、もちろん。はははー」
と、とても軽快に爽やかに、イランのイメージを変えてくれました。肌を出してはいけないはずの女性のノースリーブのドレスとかも売ってるので、ああいうのはどこで着るのか?と聞くと、

「イランでも家の中では、パーティもダンスも酒も、なんでもあるんだよ。ドレスだってパーティで着るように売ってるんだ。もちろん、そんな場では頭のスカーフなんてつけるわけないよ。若者はみんな、イスラム教のことより、アメリカみたいな楽しい生活を求めてるんだよ。アメリカ人のことだってすきだし、みなアメリカに行きたがってるんだよ」
とのこと。

マジで??!って気分でした。イランは大抵の人が反アメリカでっていうようなイメージを持っていたし、少なくともマシュハドやネシャブーでは、かなり強いイスラムの雰囲気を感じ続けていたので、とても意外でした。それから、タクシーの運転手とか、会った人何人かに「毎日祈るのか?酒は飲むのか?」ときいてみると、「祈ってはいるけど、酒は飲むよ、そんなハードムスリムじゃないしね、おれは」っていう答えが平均的だったような。イランのムスリムといえどもかなり幅広いようです。でもまあこれくらいの方が、すんなり理解できるというか、納得っていう感じです。

もちろん、チャドル姿の女性も多いですし、アザーンも聞こえるし、イスラムの雰囲気は十分にあるのですが。

昨夜は久々にリッチなディナーを食べに、要予約のナイスなアジアンレストランへ。別に味はそれほどでもないものの、寿司もあるし、雰囲気も東京・青山の店みたいで、リッチな気分が味わえました。値段もそれなりでしたが……。

というわけで、テヘランでもまたイランの新たな側面をかなり体感できました。そして、ちょうどぼくの仕事の締め切りが複数重なってしまって、昨日、今日は半分ぐらいは原稿書き。テヘラン以降ではネット環境に不安が残るので、テヘランにいる間にやれることをやっておこうと思ってます。

というわけで、明日は上の地図のMasulehという小さな村へ向けて出発予定。なかなかきれいなところのようですが、寒さがぐっと厳しくなりそうなのが微妙に心配です。その後もう一つ、いまも土の中に(?)人が住んでるという村にも寄ってから、次はアルメニアに入国予定。アルメニアの次はグルジア、そして黒海を越えていよいよヨーロッパ!
ゴールが近づいてきました!

Posted by ykon at February 6, 2008 10:45 PM | パーマリンク | コメント (4) | トラックバック (0)

February 3, 2008

民泊はやっぱり楽しい<Tehran, Iran>

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(ネシャブーの街なか)

1月31日、首都テヘランに着きました。電車を降りたら、その暖かさにびっくり!
コートも2つとも脱いでフリースのみで町を歩けて、おお~ついに冬は終わり!?と大感激。これまでずっと寒さとの戦いのような日々だったので……。でも多分テヘランが今回の旅で最も緯度の低いところだと思うので、まだまだ油断はできませんが(イラン南部は行く予定ないため)。

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(泊めてもらったタクシー運転手一家。彼らに加えて、娘の旦那とかいろいろ現れてさらに大人数に)

さて、聖地マシュハドからは予定通り、2時間ほど列車に乗って、マシュハド駅のお姉さんに教えてもらったネシャブー(Neyshabur)駅で下車。その親切なお姉さんに書いてもらった「この二人の日本人はイランの村の生活を見てみたいので、誰か一泊させてあげてください」というペルシア語の紙を持ってタクシーに乗ると、結局そのタクシーの運転手が「うちに泊まってけよ!」って誘ってくれて、ネシャブーから5キロほどのアブサディ(Abu Saadi)という村の彼のうちにそのままなだれ込み一泊させてもらうことに。土壁の家が並ぶ村って感じで、人の雰囲気も生活もそれっぽくて、なかなかラッキーな展開でした。

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(一泊したアブサディ村。北側には山が見え、あの向こうがトルクメニスタン。東に行くとアフガニスタン)

運転手の子どもたち夫婦が充実している大家族で、友人らも、突然日本人が現れたことを聞きつけたのか、いろんな人がやってきて賑やかな一日。わずかに、ほんとーにわずかに英語を話す少年と、ぼくらのボキャブラリー10ぐらいのペルシア語で、地味に、しかしお互い想像力を駆使しつつ、誤解しまくりの強引な「会話」。でもやっぱりこういうのが旅をしてて一番楽しいひとときだなあと改めて実感。女の子の多い家で、素子は女の子たちとご飯を作りを手伝ったりして、ぼくは男衆と、やれ水タバコだ、やれナントカだ、さあメシだ食え食え、あとは座ってろ、ガハハハーみたいな、男中心社会にどっぷり。正直そういうのは落ち着かないのですが(いや、ほんとに!)、開けっぴろげで仲良さそうな家族の中で、ぼくもうかうかするとそういうキャラになりかけそうでした(笑)。

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(夕食。イランでは絨毯の上にテーブルクロスみたいなのを敷いて、それをテーブル代わりにして食べる。この日はトマトソースのスパゲティとナン、それにトマト味の漬物。酒は一切ないので飲み物はコーラなどの炭酸飲料が主流)

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(すっかり家族と仲良くなり、素子も姉妹の一人のよう。もちろん言葉は全く通じてないのですが)

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(翌朝、小学校を訪問。女の子たちの服装がとてもかわいかった)

言葉が通じないし習慣も違うせいでちょっとしたゴタゴタもあったけれど、でもとてもよくしてもらって、やっぱり田舎に来てよかったなと実感。

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(アブサディの村人)

しかし翌日、その家を出てからまた思わぬトラブルに巻き込まれて(?)しまいました。テヘラン行きの電車が夜11時半発だったため、とりあえず荷物を駅に置いて、町を散策。入ったちょっと落ち着く飯屋では、金額が予想以上に高くて、これはボッタクリカフェだろうと主人と交渉。薄笑いで明らかに「ボリました」って顔してるのに、うまく話せないので、同じメニューを頼んだ客が出るまで待つからね、ってことにして見学。みると、確かにぼくらが言われた値段と同じ料金を払っていたのだけど、その客が外で待ってたり、そのお金だけレジにしまわなかったりと怪しい状況証拠たっぷりだったんだけど、どうしてもシッポがつかめず。「な?おれ嘘ついてないだろう?」って顔のオーナーが、何気に愛すべき人物に見えてきたりして、しょうがないや、と思って言われた金額を払うと、なんだか満面の笑みを浮かべて札を数えだし、「はははーおれの勝ち」って表情。最後はなんか笑えて来ちゃいました。

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(イラン人はお茶(紅茶)を飲むとき、角砂糖を一つ丸ごと口に入れて、それを口の中で溶かしながら飲む。一杯で2,3個食べるとか。ケーキ屋も多く、イラン人はとても甘党の印象)

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(水タバコ)

で、トラブルっていうのはもちろんこのことではありません。

そのあと、適当にバスに乗って田舎の村まで行ってみようと思って町をうろついていると、突然パトカーが、「西部警察」ばりのドリフトで「キキキーッ」とぼくらの前に急停車。そしてパパイヤ鈴木の弟かスーパーマリオの従兄弟みたいな警官が出てきて、ぼくが手に持っていた一眼レフを指して「ノーフォト、ノーフィルム、カム・トゥー・ポリス!」というちょっとまずそうな展開に。イランではカメラ持って歩いてはいけないなんて聞いたこともなかったし、そこでは全く写真も撮ってなかったので、わけがわからず「なんで?」となり、この旅一番の大モメ開始。イランには、警官と称してパスポートや金品を奪って逃げるやつがいると聞いていたので、パスポートの提示を求められたとき最初コピーを見せました。そしたら本物を出せといわれ、周りには早くも50人ぐらいの人だかりができていたので、まあ大丈夫だろうとしぶしぶパスポートを出すと、それを「人質」に警察まで来い!という展開になりそうだったので、ぼくもパスポートから手を離さずにいると、なんとパスポートをグニャリと握りつぶされてしまったのです!

ここでぼくはほとんどマジギレしそうになってしまいました(イラン来てからこういうこととても増えた気がします……)。で、二つ折りになりながらもなんとかパスポートを奪い返し、「日本大使館に電話させろ!」と電話しようと思うも、「とにかく署まで来い!」の繰り返しでらちがあかず。ちなみにこの頃には群集の中から英語を話せる高校生が出てきて、彼が通訳をしてくれてました。

その後、公衆電話から電話はさせてもらえたものの、なぜか通じず(なんでだろう??)。署まで来いといわれ続けたものの「絶対にいやだ」と言い張り、そしたらハイランクな様子の私服警官が現れ、「彼が外国人担当だ」というのに、一言も英語が話せないのもなんか怪しく感じ、パスポートも渡したら返してもらえなそうだったし、握りつぶされたのがほんとにありえなかったで、パスポートを渡すのを拒否していたりしたら、そのまま押し問答2時間ぐらい……。最終的にはぼくもパスポートを見せ、その一方、英語のうまい新たなおっさんが登場し、ぼくらをなだめるように"welcome to iran! where have you been in iran? no problem, no problem, hahaha--" と超友好的手もみ状態で急接近……。

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(ネシャブーのバザール)

そんなわけでした。それで完全に疲労困憊して、バスに乗って田舎にいくというのももうやめ、店でお茶飲んで、メシ食って、さっさと駅に戻って、11時半発の列車を待ちました。駅に戻る途中で、昨日泊めてくれたタクシーの運転手とばったり再会し、全く言葉が分からずとも笑いあえたら少し気持ちが回復し、さらに駅で、パソコン開いて、マクドナルドのハンバーガーを朝昼晩30日連続で食べ続けたらどうなるか、という実験的ドキュメンタリー"Super Size Me"(予想以上に怖い結果にびっくり!)を見ていたら、先ほど警察との間を通訳してくれた高校生の少年がやってきて「二人に会いに来たんだよ」と。そしてプレゼントに、イスラム教徒がお祈りのときに使うという数珠のようなものをくれました。「昨日会えて、うちに泊まってくれたらよかったのに。お母さんも二人をうちに招待しなさいって言ってたよ」その予想外のやさしい気遣いはとてもうれしいものでした。

その後駅では警察もいろいろと親切にしてくれ、少年とは2時間ぐらいお互いの生活について話しあってから別れ、ぼくらは11時半発の列車に乗車。なかなか密度の濃い、2日間が過ごせました。

列車は快適な寝台で、翌朝起きると、そばのベッドだったジョージ・クルニーとショーン・コネリーの間のような、超渋く誠実そうな大学の先生と話しているうちに、彼が「今日まだホテルが決まってないんだったらうちに泊まりにこないかい?」と誘ってくれたので、喜んでそうさせてもらうことに。

テヘランに着いてから、その暖かさに「やっと冬が終わった!」と感激し(と言っても、多分気温は一桁ですが)、彼、マクスッドとともにテヘラン郊外の彼の家へ。奥さんと9歳の息子と生後15日の娘、そして甥のエリート大学生フセインに温かく迎え入れられ、とても楽しい一日を過ごせました。帝王切開で子どもを産んだばかりなのにてきぱきと家事をこなしている奥さんを素子が心配すると、フセインに「ぼくの家族の女性は、病気でもよく働くから心配しなくても大丈夫なんだ」と言われ、「ああ、そうですか」とは頷けない気持ちながらもイランの女性のあり方を見たり、イランではトイレ(和式)は男も小便を必ず座ってすると聞いて驚くと、「立ったら周りに飛び散らないのか?」と突っ込まれ、「いや、うん、……ぼくもここでは座ってするよ」と苦笑い。息子レザーは、素子から習った日本語の単語をたくさん書き取り、「チューリップ」の歌も覚え、おもちゃのピアノで「咲いたー、咲いたー♪」と間違いなく弾けるようにもなってしまいました。

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(マクスッド一家の家での昼食。肉、イモ、野菜など混ぜてペースト状にしたイラン料理を振舞ってくれました。名前は忘れましたが。あとヨーグルトにほうれん草を入れて食べるのですが、これが意外にいい組み合わせでとてもおいしかった!)

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(夕食。イラン風ピザ。お好み焼きと似た味で、これもおいしかった)

ちなみに、ジョージ・クルニー似のお父さんマクスッドは、50歳ぐらいに見えるのに39歳だと聞いてびっくり。イラン・イラク戦争で3年ほど戦って苦労したせいで、白髪になってしまったとか。イランでは25年働くと定年で年金をもらえるらしく、15歳から働きだしたマクスッドは来年40歳でもう定年!!あとは死ぬまで年金がもらえるらしいです。すごいですよね。マクスッド家族の写真も載せたかったものの、マクスッドに「ぼくと妻の写真は、ブログには載せないでくれ」といわれたので、残念ながら。何か宗教的な問題のような感じでした。

で、翌日2月1日にテヘラン市内の安宿に。

テヘランは、人口1000万ほどの大都会。さすがに都会だけあって、女性の服装もマシュハドや田舎に比べてかなり自由度が高いです。頭に布をかぶらないといけないのは同じなのですが、多くの若い女性が頭を半分ほど出していて、髪を染めている子もいたり、布もグッチやヴィトンのスカーフだったり。髪を隠すきまりも半ば形骸化していそうな雰囲気を感じ、彼女たちも本当に早朝日の出前に起きてアッラーに祈りを捧げているのだろうか、という疑問が沸いてきます。

テヘランで、ちょっとしたビザの問題が発覚して、その解決のためもあってもう数日滞在することになりそうです。


(テヘラン・マシュハド間が1000キロほど。東京-広島ぐらい?Neyshaburはマシュハドから2時間ほど。テヘランの次は、おそらくまた少し小さめな村・Masulehへ向かいます)

Posted by ykon at February 3, 2008 5:03 PM | パーマリンク | コメント (7) | トラックバック (0)