アムステルダムを出て、再びドイツに戻ってきました。いまはオスナブルック(Osnabruck)という、全く縁もゆかりもない街にいます。大学時代の友達が暮らすブレーメン(Bremen)が次なる目的地なのですが、アムステルダムからブレーメンへダイレクトに行くと列車代がかなり高かったため、ベターな方法を模索した結果、オスナブルック経由ということになり、ついで安宿もこっちの方がぐっと安かったためにここに宿泊まですることに。
ヨーロッパの電車は、買い方によって値段がずいぶん違ってきます。特別ディスカウントプライスとか、1日乗り放題チケットとか、早めに予約すると安いやつとか、ナントカ格安チケットみたいなのが、実はかなり充実してます。それらを有効に使うと、たいていは正規の半額ぐらいではいける場合が多いようなので、工夫にも精が出ます。ちなみに、いままで行った欧州諸国ではドイツが一番オプションが多い印象。
www.bahn.de
がとても使えます。1ヶ月ほど前、ドイツで泊めてもらった近藤さんに教えてもらったのですが、ここで3日前に購入すれば大抵かなり得!
さて、アムステルダム。
(運河と自転車がアムステルダムのシンボル)
いままで来た首都の中で、ここが最も首都っぽくないのどかな雰囲気を持っているように感じました。超メジャーな都市の割りに規模が小さいというか、中心となる中央駅から10分も歩くとすでに閑静な住宅街のようになっているのは新鮮でした。
(アムステルダム中心部。古くてかわいらしい家屋の前で、人々がのんびりと時を過ごす)
市の最も中心部から同心円状に運河がいくつものの円を描くように流れていて、その川沿いに昔ながらのオランダ建築の住宅が立ち並び、人が自転車でチャリチャリ往来、っていう風景は、古くから変わらぬアムステルダムを代表する光景。しかも使われているチャリがほとんど、昭和の自転車みたいなレトロなやつ。そして、アンティーク雑貨を売る雰囲気のいい雑貨屋がいくつも並び、素子は大喜び。代官山か、こぎれいに整頓したシモキタってところでしょうか。「アンネの日記」のアンネ・フランクの隠れ家となった家も、そんな界隈に建っています(とてもいいミュージアムになっています)。
その一方で、観光の中心となる地域は、噂にたがわぬインパクトの強いものでした。乱立する「コーヒーショップ」は、田舎に比べると、その数と、通りに充満するマリファナのにおいこそ、思っていた以上の盛況ぶりでしたが、やはりびっくりだったのは、Red Light District、いわゆる合法の売春街です。日本でも風俗街はもちろん珍しくはないけれど、アムステルダムのすごいのは、人がいっぱいの通り沿いにガラス扉の小さな部屋がいくつもあり、そこに過激な格好の娼婦たちが一部屋に一人ずつ立って客を誘っていること。その露骨さと開けっぴろげさは、はじめて見たときは唖然としてしまいました。観光客も多いため、ほとんどの人はその様子を見て素通りするだけで、女性がただガラス扉の向こうで微笑みかけてくる様子は、言い方が悪いかもしれないけれど、ちょっと「人間動物園」と言える雰囲気だった気も。しかしあまりにもオープンなため、怪しげな雰囲気すらしないともいえます。
(明記されてないけど、このBULLDOGもコーヒーショップのはず。そしてその横の小道に見える赤い蛍光灯のガラス扉の中で娼婦が客を誘う)
(Red Light Districtは決して危ない雰囲気ではなく、ぞろぞろと観光グループも歩いているような場所。そのアンバランスさが面白い。娼婦の写真撮影は厳禁)
ソフトドラッグにしても売春にしても、オランダの考え方は「規制してもどうせやる人がいるんだから、それだったらいっそのこと合法にして表に出して、ちゃんと管理しよう」ということのよう。だから娼婦にも労働組合があって、売春も堂々とした一つの職業でありビジネスであり、地下組織が入る隙も小さいのだとか。その実に現実的な発想はうまく機能しているようでもあるし、なかなか見事だなと思います。でも、いまキリスト教系の保守政権となっているオランダでは、このRed Light Districtもコーヒーショップもちょっとした危機にあるとか。いろいろと理由をつけられて閉鎖に追い込まれている店が多いらしく、このままいくと近いうちにこういうオランダらしい文化も影を潜めてしまうかもしれません。ま、確かにあのRed Light Districtは、敬虔なキリスト教徒にとっては忌々しい以外の何物でもないというのも分からないでもありません(笑)。
(「コーヒーショップ」はカフェよりもレストランよりも多いんじゃないかというぐらい、乱立している。そして各種セックスショップもすごい数。レインボーの旗が目印となるゲイ関係のショップやバーも大充実)
ソフトドラッグに関してはEUからの圧力も強いのかもしれません。オランダが合法にすると、みな隣国にも簡単に持ち込めるようになってしまうので。
前にも書いたけれど、EUになって、このようにヨーロッパ全体の均一化が進んでしまうのはやはりどこか残念です。やはりそれぞれ歴史や文化を持っているのでその個性が死んでしまわない範囲での統合化が望ましいように思います。フランス、スイス、ドイツ、オランダ、イタリア、ギリシャ、どの二カ国をとっても、人の考え方や文化、ライフスタイルなど、、大きく違っているように感じます。やっぱりその方が面白いな、って思います。
(夕暮れ時、ワインを飲みながら商談のような雰囲気。オランダ人はたいてい、こっちが英語で声をかけると、頭の切り替え時間ほとんどゼロでネイティブばりの英語に切り替わるのがすごいです)
ちなみに、最近よく思うのは、IKEAやH&M(H&Mは日本上陸まだだったり?スウェーデン発のユニクロのような服ブランドです)などによって、本当に世界中の家具や服装までが均一化されているということ。どこの国の誰の家にいってもいつも、自分たちが上海で使っていたのと同じ洗濯カゴやコップ、皿があったり、どこの国にいっても、同じTシャツや下着を見つけたりして、この状況ってどうなのかな、って思ってしまいます。あと数十年もしたら、みな同じ服を着て、同じ家具のある同じ家に住んで、みたいになってしまうんじゃないかな、、ってことはないにしても、旅をしたらそれぞれの国の違いを十分感じられるぐらいの差異があることはやはり大切なことなんじゃないかなって思います。とはいえ、自分こそがまさにIKEAやH&Mのヘビーユーザーなので、全く持ってそんなことを言えた立場にはないのですが。。。
それから最近もう一つ感じているのは、ゲストハウスもかなり大手化が進んでビジネスビジネスしてしまっているところが多い、ということ。もちろんこれだけ旅行者が増えればビジネスとなるのは当然だし悪いことではないんだけれど、自分にとっては、ゲストハウスはそれぞれのオーナーの個性や人柄、旅行者への理解や共感がにじみ出てこそ魅力的になるのだけれど、最近ヨーロッパで泊まっているゲストハウスは、超大規模のものが多く、全く持ってゲストハウスらしいよさがなくなっているように思います。確かに、きれいで快適なことが多いのだけど、あまりにシステマティックで融通がきかず、スタッフは旅行者が何を欲していて、どういうサービスがうれしいのか、ということが分かっていないバイトの人ばかり。しかも基本的には、たとえばキッチンをつくることによって旅行者がお金を無駄に使わなくてもいいようにする、みたいなのが旅行者にとっては重宝されるゲストハウスの姿勢なのに、大手のところはむしろレストランで食事をさせるためにキッチンは一切なしだったり、ドミトリーではとても助かるロッカーも有料にしたり、とにかく、ビジネス優先の戦法に出ているような気が。。。ま、細かなところを有料化することでコストダウンして宿代を安くしているのかも、と解釈できるけれど、でも、かなり本質的なところを削っているから、これじゃ本末転倒だよな、って思います。
彼ら的には、「そんな文句言うやつは泊まらなくても結構だよ!」というところだろうけれど、情けないのは、それでもそういうところがネットでも見つけやすいために、ぶつぶつ文句を言いながらもそこに流れ着いてしまうことです。不甲斐ないです。でも、オスナブルックで泊まってる宿は久々に、個人経営のゲストハウスらしい宿で、うれしいです。バンバリーでぼくらが働いていた宿に雰囲気が似ていて懐かしい……。
明日(8日)はブレーメン。友達と一緒に一日過ごして、翌日ドレスデンの友達のうちへと向かいます。これまたバンバリーのボランティア仲間で、ドイツ人・イギリス人のカップル。
パリでの一週間を含めるとほぼ丸々1ヶ月家となっていたオランダ・アクセルのクリステル邸もいよいよ最後。これだけ長くいたせいか、ちょっと自分の家を離れるような気分になり、今日の朝この家をあとにしたときは2年半ほど前昆明を離れた暗い早朝の風景を思い出しました。
(見慣れたアクセルの風景とももうお別れ)
というわけで、実は今日6月1日の朝、すべての荷物を持って家を出たのですが、家から5分ほどのバス停で1時間近くバスを待った挙句、おかしいなと思って通りがかった人に聞いてみると、「バスはストライキで今後数日はバスは走らないよ」とのことでびっくり。今日アムステルダムまで行くつもりで、ベルギー・アントワープから(クリステルのうちからはここが移動の拠点として便利)のバスチケットを買ってあったのに、アントワープまで行く手段がなくなり、もう一泊することに。
というのも、昨日31日からクリステルは他の街で結婚前の弟のパーティや仕事があってすでにいなく、家はいまもぼくら二人。実は一ヶ月前にここに着いたときもちょうどクリステルがいないときで、家までの行き方とカギの隠し場所を教えてもらって、クリステルなしで2日も過ごしていました。そして、この家を出るときも、昨日家を出発するクリステルを二人で家で見送って、さらに二人きりで一泊してから今日の朝、主のいない家を自分たちで戸締りして出発するという展開でした。
家のドアはオートロックでカギは中に置いたままだったので、そのまま家には戻れず、ロッテルダムにいるクリステルに公衆電話から電話して、合鍵を持っている近所に友達に連絡してきてもらって……再び、家の中に戻ってきました。明日はクリステルが帰ってきてアントワープまで送ってくれるというので、バスのチケットを買いなおして、もう一日だけここにお世話になることにしました。といってもまた二人だけなわけですが。
でも明日こそは出発します。アムステルダムへ。クリステルとはまた7月に、スイスの共通の友達カップルの家で合流します。
(30日の夜、最後のクリステルと一緒の夕食には、近所の友達カップルも呼んでささやかな寿司パーティ。オランダ人は海鮮なんてからっきし食べないと思っていたけど、ムール貝はこの辺(といってももちろん海沿い)が世界で有数の産地のようで、しかも魚屋のサーモンもニシン(これはスモーク)も、もちろん寿司用ではないけれど、それなりに寿司っぽくておいしかったです。巻きものはテリヤキチキンとサーモンアボカド、奥の軍艦巻きはナマ肉のペースト(オランダ風)とかにサラダ。このあと、クリステルの大好きな「ジャパニーズカレー」も堪能。食べ放題日本食店みたいな組み合わせだけど)
というわけで今日も一日、本を読んだり、いろいろと調べごとをしたり、映像みたり、なんてことで終わりました。特に今日は久々にネットで、TBSの「情熱大陸」を4,5本も見てしまいました。「情熱大陸」は二人ともとても好きで、いつも日本に帰ったときにだけ楽しみに見ていたのですが、いまは海外からも見られる手段があるので、久々にそれを満喫してしまいました。
最近ぼくは、この5年間をどうやって今後に活かしていこうか、今後どうやって生きていこうかっていうことを気付くといつも考えているような気がします。ここ数ヶ月でいよいよ日本での日々が見え出しているというか、腰をすえて働き、拠点を持って生きる日々へと気持ちがかなり向かっているのですが、実際にどうやったらこの海外での日々が一番活きるのか、自分にはまだよく分かりません。
そんな直接的に活かす必要なんてなくて、この5年はこの5年でいいんじゃないかとも思ったりもするけれど、やはり、20代後半から30代へと人生の中で最も貴重な時間のひとつとも言える日々をこうやって生きてきたからには、この経験を今後にうまく活かした生き方ができたらもっともいいなって思います。同年代の友達を見ると、みなそれぞれ自分の世界、専門の領域を持って生きているなって思うことが多いし、日本に帰ったら特にそういうのを求められる年齢であることを考えると、さて自分はどうするべきか、っていうことを考えてしまいます。
特に「情熱大陸」を見ると、何かに熱く打ち込んでる生き方はいいなあ、って感じ、自分もこの旅があったからこそっていう生き方を今後できれば、ってすごく思います。「情熱大陸」見るといつもそんなやる気が沸いてきて、さあ、今夜の残り数時間も有意義に使いたい!って思いながら、まずはブログを書いています(笑)。
アムステルダムには2,3泊して、その後、ドイツ・ブレーメンで働くぼくの大学時代の友達に会いに行きます。
26日、パリからまたオランダの小さな村アクセルに戻ってきました。
アクセルの友達クリステルの家はすっかり自分の家のような気分になってしまい、「ただいま~」「おかえり~」みたいな雰囲気でした(笑)。というわけで夜9時半ごろに帰ってきてから、イモをゆでてパンを焼いてビールを開けて、簡単に夕食。クリステルは、彼氏と別れてからひとりで家で過ごすのを嫌がっていましたが、忙しくして元気に一週間をすごしていたようでした。
さて、パリ。1週間だけだったけれど、なかなか充実した楽しい日々をすごせました。それもまずは出産間近なのにもかかわらず丸々1週間泊めてくれたアリシアと彼氏のザビエルのおかげでした。前に書いた理由で、ベッドルームのベッドをぼくらが占領し、彼ら二人がリビングのソファーベッドに寝るという大恐縮の展開で1週間をすごしたのですが、アクセルに戻ってからクリステルに聞くと「それはよくあることだから、彼らがいいというなら問題ない」とのことなのですが、その辺はさすが西洋人という感じです。
(パリの街で見かけた巨大なデモ。サルコジへの不満が書いてあったような感じですが、何かは不明。滞在中もストライキがあり、フランスっぽかったです)
いろいろあっていっぺんには書きづらいけれど、やはり一番楽しかったのは、アリシアをはじめ、バンバリー時代の友達やその家族に再会し、彼らとゆっくり過ごせたことです。アリシアのほかに、パリであった友達はスイス人のフローリアン。彼は、4年前ぼくらがオーストラリア縦断のために買ったあの緑のバンを見つけてきてくれた人物。そんな話をすると、4年のブランクがすぐに消え去りましたが、フローリアンが当時一緒に旅をしていた、ポルトガル人のかわいい彼女のことを聞くと、「エヴァ?それはめちゃくちゃ昔の話だなあ~はははー」っていうことだったので、やはり4年は短くないです。
(フローリアンと、ルーブルで。彼はイケ面さわやかスイス人看護士)
フローリアンのバースディパーティ、アリシアの友達のバースディパーティに呼んでもらえたため、パリジャン・パリジェンヌとは結構話したけれど、聞いていたより(また旅での印象より)ずっとみな英語を流暢に話すように感じました。少なくとも「ここはフランスだからフランス語を話せ」みたいなことは店でもどこでも一度も言われなかったし。ま、それってフランス人に対する単なるジョークなのかな?京都人についてのほうきやお茶漬けネタみたいな……。
(フローリアンのバースディパーティ)
(アリシアの友達フィリップのバースディパーティ。友人たちの年齢層が、20代~30代だったのが、30代~40代になりつつあります。うーーむ、、、)
ちなみにクリステル(オランダの)に、オーストラリアとかでも一般に日本人があまり英語を話さないことに関して、「日本人は傲慢だから英語を話さない、という見方も西洋人の間でされている」と聞いてびっくりしました。日本人は日本語に誇りをもっているから、みたいな。そんなことは日本人的にはほとんどないと思うのですが、フランス人がそのようなイメージ(フランス語に誇りを持っている?)で見られているからか、日本人もそのように考えられてもいるとか。とても意外でした。
それからびっくりだったのは、アリシアのお母さんの家。なんと、セーヌ河の上に浮かぶ船の上に住んでるんです!っていっても決して家が買えなくて、とかそういうことではなく、フランスやオランダでは、河に船を浮かべてそれを家にして暮らすというのが、そんなに特殊なことではないようなのです。
(船の家が浮かぶパリ郊外。パリ市内のすぐ西側。セーヌ河。ずっと隙間なく船の家が並ぶ)
(アリシアのお母さんの家がこれ)
アリシアの家族も、お父さんが20年近く前に貨物船を買って、それを家に改造していったとのことで、アリシアも確か10年前後住んでいたとか。そして中に入ると、すごい快適で広い家になっていてびっくり。ベッドルームが2、3あって、仕事部屋やリビング、キッチンもあり、完全に家。甲板は優雅なテラスみたいに改造してあり、水や電気もマンションに暮らすのと同様の設備が整っているとのこと。ネット完備。しかもその上、ちゃんとエンジンが生きていて、船はそのまま動かすことができるというのだからすごいです。前に下流から上流に「引っ越し」たとき、そうしたとのことでした。別に夏だけとかではない唯一の家として船を選ぶというのは、実に大胆というか、日本人にはない発想なように思いました。ちなみに、「ブーーン!」とモーターボートが河を通ると家が揺れ、最後は軽く船酔い気味にになりました(笑)。
(これがリビング。↓はベッドルーム。かなり快適そう)
(左の船がお隣さん。みな犬を飼っていて、何軒も隣の船の犬がやってきたり。たまに「家ごと」移動している人も)
それからパリ観光でいえば、やはりルーブルやオルセー美術館の超大御所の作品は、「おおー、出た!」とその存在自体に興奮できるものがたくさん。ただ、ルーブルはあまりにも作品数が多すぎて、しかも通路の途中にゴロゴロあったりするので、300年前の巨匠の力作にもかかわらず、ほとんどありがたみが感じられなくなってきてしまう、という問題点があったような……。あれをまともにじっくり見ようとしたら1週間あっても足りないのでは?という印象です。でも9ユーロのチケットは1日しか有効じゃないので、ぼくらのようなド素人は、まさに超ビッグネイムをじかに見る、っていうことだけで終わってしまいました。そのルーブルの名実ともに親玉である「モナ・リザ」は、さすがに有無を言わせぬキングの貫禄で、完全に別格扱い。作品自体はなかなか小さくて、素人的にはその裏に展示されている別のポートレイトとの絵としての出来の違いはよく分かりませんが、その扱いの違いは、大横綱と幕下の差どころじゃないというか、「モナ・リザ」が蓄積してきた歴史的価値(芸術的価値以上なのでは?)のものすごさを実感できました。その一方で同じ部屋にある他の絵が少々かわいそうな気も……。
(永遠に続く記者会見のような雰囲気に包まれた「モナ・リザ」。まさに"King of the Kings")
(ベルサイユ宮殿の王妃の寝室。フランス革命で、激昂した市民がこの宮殿に集まったとき、マリ・アントワネットは、左にみえる小さなドアから逃げ出したとか。このドアは、壁の模様に溶け込む隠し扉みたいになっていた)
そして、もうひとつのサプライズは、パリから帰る前日、アリシアたちに日本食を作るために日本食材店に行ったら、なんと優に10年以上は連絡を取ってなかった中学の友達にばったり!十数年のブランクを感じさせずに近況を報告しあえ、地元でも会うことなかったのにパリで起きたこの偶然にお互いびっくり仰天でした。(ちなみに8年前インドで、高校のバスケ部の後輩にばったりあったこともあります!旅中は、東京にいるより行くところが限られてくるから、むしろ会いやすいのかもしれませんが)
あとはやっぱりパリは食べ物が本当においしかったです。もちろん高いレストランとかには行ってませんが、家で食べるパンとチーズが本当に美味しくて、すっかりチーズ好きになってしまいました。フローリアンはフォアグラからメインディッシュ、チョコレートケーキとアイスまで作ってくれ、しかも1978年のワインを開けてくれて(彼の30歳の誕生日だったため)、フランスの夜を満喫。しかしフランス人は食べる時間が本当に遅いようです。アリシア邸でも大体夕食を食べ終わるのは11時半ごろ、フローリアンのパーティではデザートが出てきたのが夜中の1時半ごろ!よくこれで太らないなと不思議ですが、フランスではオランダ、ドイツなどと比べて全然太った人を見かけませんでした。
あと4,5日クリステルのところにお世話になった後、いよいよ移動だ!と思って、昨日やっと、4年前に東ティモールとラオスで仲良くなったアムステルダム出身のオランダ人に連絡したのですが、彼はいまアメリカのサンフランシスコに住んでいることが判明。なので、アムステルダムもどうしようか、と検討中。
まだ同じオランダの友達クリステルの家です。
もう2週間が経ち、いよいよルームメイト的になってきて、ウザがられるんじゃないかと思いつつも、そうでもないようで、3人で楽しく過ごしてます。でも、さすがにそろそろアクションを起こさねばと、明後日月曜日からはパリへ一週間の予定で行くことに。パリにいる友達も同じくバンバリーのボランティア仲間で、泊めてもらう予定の女性に連絡したら、妊娠8ヶ月とのことでびっくり。ってびっくりすることではないのだけど、クリステルたちが別れたのと同様に、4年の間にみなそれぞれの人生が進んでるんだあと感じさせられました(それも当たり前なのだけど)。
(15~16日にブリュッセル(Brussels)へ。アクセル(Axel)からブリュッセルは車で1時間。来週月曜からいよいよパリ!)
一昨日から昨日にかけては、ぼくの妹の友達でベルギー留学中の女性に会いに、ブリュッセルまで行きました。ブリュッセルといえばEUやNATOの本部というイメージでしたが実際にはそういうのはほとんど見ることなく、世界3大がっかりとして名高い小便小僧を見たり、ビール飲んだり、ワッフルやムール貝を食べたりという超定番の観光コースを満喫。「小便少女」というのもあるのがウケました。
(小便少女。近くにいた日本人観光団体のガイドの説明によれば、客寄せのためにあるレストランが小便少女を作ったらしいけれど、大して客寄せにはならず、店はつぶれ、そのために少女も檻の中に閉じ込められてしまったとのこと。ちょっと憎らしい顔で檻の中で永遠に小便し続けなければならないのはちょっと同情に値します……)
(ブリュッセルのノートルダム大聖堂(でいいのかな?)の中)
(観光客が集まり、カップルが肩を寄せ合うGrand Plaza(多分)。全然地名とかチェックしてないので、間違ってるかもしれません)
妹の友達も、流暢なフランス語を操りつつ、ベルギーライフを満喫している様子でした。ベルギーは、イケ面、美人が多いかなと思っていたものの、彼女に言わせると「微妙だ」とのこと。オランダは確かに微妙だとぼくも素子も思っていたのですが、彼女はオランダは「イケ面ばかり!」と目を輝かせていました。なんて話しているうちに、だんだんベルギー、オランダ、ドイツなどの違いが少しずつわかってきたような。。。
(妹の友人「のっく」さん。自分は夜逃げでもしてきたようなスタイルになってますが、実はこのちょっと前に大雨に降られ、洪水のような街中を歩いて全身びしょぬれになり、靴をサンダルに履き替えたり、服を脱いだりしたためです。のっくさんはそんな雨の影響を全く感じさせない日本人女性らしいきれいな身なりをキープしてるのがすごい。このあとのっくさんとは別れ、ぼくらはなんとか見つかった安ホテル(クリステル曰く「マクドナルドのようなホテル」で、まさにその通り)で、シャワー&洗濯、というブリュッセルの夜)
オランダのいますごしている小さな村の人々の生活について何か書きたいなと思って、クリステルの友達や家族とちょくちょく会って話しをしながら、構想を練っています。ここは確か人口8000人ぐらいの村。クリステルと歩いているとかならずパブや通りに知り合いがいて、声をかけられるというようなところ。やはりそういう場所だけに保守的な人が多く、しかもプロテスタントとカトリックが分かれる境界線付近であるからか、会話の中に宗教の話はいつも耐えません。お母さんが、娘に教会に行くように説得する一方、信心深い息子が教会を変えたことに気を揉んだり、といったような。宗教が頭の中に全くないぼくらのことがちょっと想像がつかないっていう話になったり、宗教と現実を切り離すのに何年もかかった、という話を聞いたり。
そしてその一方、近くにはオランダ最大らしいコーヒーショップがあって、フランス人、ベルギー人、オランダ人がよく晴れた日の日中から、外でバリバリマリファナを吸っているという光景。そんな両方の世界が同じ場所に存在していることが自分にはとても新鮮です。とても限定された一地域だけど、クリステルのおかげで、オランダを肌で感じられてるような気がします。
(コーヒーショップで写真を撮らせてもらったベルギー人カップル。彼らはおそらく典型的なコーヒーショップ常連客。ベルギーに持ち込んでいいのか?などいろいろと話したものの、間違いなく違法のことだらけだったので、念のため彼らの写真とともにここで書くのはやめときます)
(ジョイントを巻いてるところ。白昼堂々のこの光景はオランダならでは)
(彼らはオランダ人。「こんないい天気に、ジョイントとビールでいい気持ちになって最高だよ!」)
ところで、チベットのことに続き、中国、ビルマ(ミャンマー)での地震・サイクロンの災害のあまりの大きさに驚愕しています。近くにいそうな知り合いに連絡をしたところ、日本で働く四川出身の友人の家族は大丈夫だとのことでしたが、今回の旅で知り合った日本人の友人の彼女(らしき人)は四川出身で、しかも出身地が震源地に近く、その友人もまだ連絡が取れていないとのことで心配です。。。四川省もビルマも行ったことのある土地であるだけに、遠くの出来事とは思えずとても気になっています。昆明にしばらく滞在中の旅仲間の友人は、四川省へ被災者支援に向かったようです。こちらでも、テレビをつけると中国かビルマのニュースがかならず飛び込んできます。
一方、オランダではぼくらが来て以来、普段はありえないぐらい晴天が続き、誰もがびっくりしていました。世界の異常気象の一環っぽいですが、それも昨日ぐらいで終わり、ブリュッセルで大雨に降られたのに続き、今日はこちらも一日中、小雨。やっとオランダらしくなったとクリステルが言っていました。
(10日以上出っ放しだった太陽もついに姿をくらましました。クリステルの家の前で、昨日16日の夕方)
(食事もすっかり家の中が基本に)
オランダに着いて、もう10日目。
(いまいるのがAxel。いつの間にかヨーロッパの端まで来てしまいました。この辺は、他のオランダとは陸続きでなく、ベルギーとのみ陸続きでつながっています。そんなこともあって、ここは言葉も習慣も半分ベルギーのようなところみたいで、車で10分もいけばもうベルギーです)
泊めてもらっている友達は、03~04年のオーストラリア・バンバリーでのイルカボランティア仲間のオランダ人カップル。彼らとはバンバリーから大陸北端のダーウィンまでのバンでの旅中もよく一緒になりとても仲良くなっていたので、是非いつかヨーロッパかどこかで再会をと思っていた二人でした。
しかし残念なことに、なんと二人は1ヶ月ほど前に別れてしまっていて、二人の住んでいた家にはいま彼女一人しか住んでいないことが分かり、びっくり。4年というのは決して短い時間ではないし、いろいろと変化が起こりうるけれども、あの二人だけは決して別れないんじゃないかというぐらいお似合いの仲良しカップルだった(しかも、彼らは結婚してなかったとはいえ、もともと今後も結婚する予定は特になく一緒に暮らし続けるつもりだったので、日本的に言えばほとんど夫婦みたいなもの)ので、なんとも残念でぼくたちもショックでした。
8年付き合って突然一人になってしまった彼女クリステルは、もちろんかなり落ち込んでいましたが、ぼくらが来たのが気をまぎらわすのにちょうどよかったみたいで、大歓迎してくれました。そんなわけで、彼女とそのことやその他のことを毎日いろいろと話しながら、一緒に出かけたり、飲みに行ったりしながらすごしています。ダラダラと泊めてもらっているのと同時に、少しは彼女の気晴らし的存在になれているので、よかったなとは思ってます。
クリステルは、「私はひとりでいることに慣れてないから、これからひとりでいることに少しずつ慣れていかないといけない」と話しながら寂しそうにしていますが、こんなつらい出来事に直面したとは思えないほど、いまは表面的には元気に過ごしているように見えます。それが、ぼくらに気を遣っているせいではなく、ぼくらがいることで本当に気が休まっているからであれば、いいのですが。
(クリステルの実家で。右はお父さん。みな天気がいいと庭で食事)
でも、ぼくらにとっても彼女の家で3人で、まるでこの村に住んでいるかのような日常を送ることは楽しく、オランダ人の日常生活の中に入り込めている気になれます。
いまいる場所はベルギーのすぐそばで国境まで車で10分ほど。驚くのは国境というものがまるでなく、いつベルギーに入ったかもよく注意していないと分からないこと。一昨日、ベルギーを代表する都市アントワープ(Antwerpen)まで車で行ったのですが、別の国という感覚ゼロ。ベルギー北部はフレミッシュという言語を話すのですが、それはオランダ語とほぼ完全に同じみたいで、オランダ人的にも全く違和感がないとのこと。あと、これは有名なのかもしれませんが、アントワープに行って初めて、そこがあの「フランダースの犬」の舞台だったことを知り、結構感激しました。一番大きく目立っていた大聖堂が、少年ネロがたどり着いて凍死した場所だって知って思わず興奮。ま、とはいっても物語なのですが。。。
(アントワープの大聖堂。「フランダースの犬」もう一度みてみたくなりました。ちなみにこの辺ではあまり有名ではなく、しかも前ニュースで読んだ情報によれば「フランダースの犬」は西洋世界では「負け犬」話的な厳しい読まれ方をしているとか……。悲劇としてネロに同情しながら読むのは日本人独特らしいです。厳しい世界だ。。。)
あと、オランダといえばもちろん「コーヒーショップ」が有名。「コーヒーショップ」といっても普通のカフェではなく、マリファナなどのソフトドラッグ類を合法的に買って使える場所です。家のそばにも大きなコーヒーショップがあったので、ちょっとのぞいてみると、これが合法的に存在しているのが笑えるっていうか驚きっていうか、そんな感じの空間。合法のものなので、もっとさわやかにただ、コーヒーの代わりにマリファナ吸ってるだけかなと思ったら、イメージ以上にそういう雰囲気が漂ってて、おお、って感じでした。まあ、でも確かにコーヒーの代わりにマリファナ吸ってるだけなんですが。。
行ったコーヒーショップが驚いたことにオランダ最大だということ。いまいる地域がベルギーの国境そばで、ベルギー人やフランス人がそのためにたくさんやってくるから大きくなったんだとか。
でもこの地域はかなり田舎だし、敬虔なキリスト教徒も多いので、コーヒーショップの存在を嫌がっている住民はもちろん多く、いつでも議論になっているとのこと。ちなみにこの辺は、プロテスタントとカトリックのまさに境界でもあるというなかなか面白い場所です(ここより南がカトリック)。
他にもオランダは、アムステルダムには観光客にも有名な赤線地域があったり、安楽死も合法という、すごいリベラルぶり。薬物などに関しては、オランダはあえて一部合法化し政府が管理することによって、若者が危ないドラッグディーラーなどから薬物を買うことを防ごうという狙いがあって、実際にそれはうまく機能しているらしいです。オランダでは、マリファナなどはみな若いころに興味を持ってコーヒーショップにいってやってみるけど、何度かやったら、まあそんなもんかとわかるし、多くの人は興味を失ってその後は全然やらなくなるとのこと。
ただ、EUになって国境がないから、オランダで買ってそれを他の国へ持ち込む人が多いから、当然他の国はオランダに非合法化するように圧力をかけます。そんなこともあってか、現在の保守政権は、赤線地域も事実上閉鎖に追い込み、コーヒーショップも危ういかも?という状況らしいです。
(ベルギー・オランダ国境1。ここから向こうがオランダ)
(上の看板のもうちょっと手前のここが、クリステルによれば本当の境界らしい。というのは、道路の白線のつけ方や道の整備度がここで急に変わるから。地元の人もいまいちよく分からないらしいです)
クリステルは、EUになって経済的にはお互いにいいんだろうけど、こうやってEU全体の規制によって国それぞれの個性が消されていくのはなんか寂しい、ヨーロッパの各国はそれぞれ長く異なった歴史と独自の文化を持っているのだから、と言っていました。
(国境2。右に見える白い小さなポールが国境を示すとのこと。写真手前と左奥に延びる道はベルギーで、写真右奥に向かう道がオランダ。でも、このポール一本じゃ、国境線は分からないなと思っていたところ、もうひとつのポールを発見↓)
(これは上の写真の中央奥にある民家の庭。こんなところにポールが!この2本をつなぐ線が一応国境ということになっているんだけど、そんなことは、自分ちの庭にポールがある彼しか知らないんじゃないか、、と思ったり。ちなみに彼は、飼ってるニワトリを追っているところ。ベルギー・オランダをまたいでの大逃走)
(無事捕獲!ちなみに彼はオランダ人)
(国境3。やっぱり白いポールの向こう側がベルギー)
クリステル邸での生活ももうちょっと続きそうですが、最近、マジで何やってるんだろう、自分たちは、っていう気分も強くなってきてしまったというか、なんというか。毎朝夜、裏庭にテーブルとパラソルを広げて暖かな日差しの下で優雅に食事して、平日の日中から湖でカヌーを漕いで、昨日はクリステルの友人たちとバーベキュー。
と、まるでバカンス自慢のようになってしまいますが、あまり一ヶ所にいてずっとこんな生活を続けているとなんかしないといけないような気になってくるのは、やっぱり日本人だなあ、と自分でつくづく思います。って、いまさら何いってんだって感じですが(笑)。もうすっかり旅ではなくなっていて、自分の気持ちにもかなり大きな変化が訪れていることを実感してます。
(昨日のバーベキュー。日差しが長く、いまは夜9時すぎまで明るいので、毎日夜もこの庭で食事してます)