こんにちは。今回は、前回書けなかったシパダン島の話しから…
世界中のダイバーの憧れの地といわれるシパダン島までの道のりは、かなりハードでした。天気の関係で海が少し荒れていたのもありますが、マブール島を経由してシパダン島に着くまで1時間強、10人載り程度の小さなモーターボートは波の動きなど気にせずただ猛スピードで突っ走ります。高波から波間に叩き落される時の、お腹を下から突き上げられたような衝撃が2秒に一度襲ってきます。一緒に乗っていたアメリカ人のおばさんは”オーマイゴーーーッド!!!”と叫びつつ、この体験を国のみんなに見せようと(このツアーには参加しないように言いふらしてやる、という意味)必死にハンディカムを回していました。船にはめっぽう弱い素子は、やはり船酔いしてしまい、シパダンについてからしばらくこのような状態に。
しばらくして気を取り直し、早速海に入りましたが、透明度があまりよくなかったせいか、魚はあまり見られませんでした。しかし昼食後のシュノーケルでは太陽が出てきて透明度も良くなり、20センチくらいの銀色の魚(アジ?)の数百匹の群れや、体調1メートル半はあるとも思える大きな海ガメも多々見られました。シュノーケルでは東ティモールの海とどっこいどっこいといったところでしたが、ダイビングはやはり格が違うのか、先ほどまで文句ばっかり言っていたアメリカのおばさん(ダイバー)も”エクセレント!”を連発し、また友達とこのツアーに参加するわ、とまで言わしめてしまう程でした。
(マブール島。右側に見えるのがこのツアーの宿泊場所。リゾートではなく、1泊3食付きで一人約1800円。にも関わらず、普段泊まっている一人450円程の安宿と同レベルだったので、とても泊まる気にはなれませんでした。)
シパダンの後、ジャングルで出会った人たちとの再会などもありつつ、翌日にはコタキナバルへ戻りました。そのまた翌日、6カ国目(7カ国?)となるブルネイへ向いました。初めてのボートでの国境越えとなりました。
ブルネイは噂に聞いていたとおり、物価は高く、観光していてもそんなにエキサイティングになるようなところではなかったですが、町全体が豪華という感じ。首都近郊はもちろんですが、辺鄙な田舎町でもこのような豪勢な家が立ち並び、さすが石油大国という印象を受けました。
そして、王様の写真が街のいたるところにあり、店に入ると王様とお妃様の写真が上座に飾ってあり、切手までも全て王様。電光掲示板でも王様が笑っている映像が次々と流れます。
数年前に王さまの兄弟のスキャンダルもありましたが、王室の悪口はタブーとされていて、町には秘密警察もいるとか。それでも、税金、土地、医療、教育、年金すべて無料だからか、王室を悪く思っている人はほとんどいないようでした。
基本的な生活が補償されているせいか、熱心に働いている人の姿はあまり見ませんでした。泊まろうと思っていたユースホステルでは3時間待っても受付の人が来ず、結局違うホテルに泊まることに。通りがかりの人には“これがブルネイ時間だよ。早く慣れるようにね”と言われ、一緒に待っていた日本在住のポーランド人も、日本のペースにすっかり慣れてしまっていて、かなりイライラいしていました。
また、多くがムスリムのこの国ではアルコールは禁止されています。加えて最終バスが午後6時ということもあり、日が落ちてからは街はかなり閑散としてしまいます。なんだか活気のない国だな、という印象を持ったのはそのせいもあるのかもしれません。
(きれいな街並みと川一本挟んだところには、ブルネイ名物の水上集落があります。このブルネイ川に、国の人口の10分の1にあたる3万人が暮らしているそうです。集落には、学校、病院、警察、消防署、モスクなども揃っています。)
(水上集落で出会った通学途中の子ども達)
(町はとても近代的でした)
(夜はネオンがともされ、さながらディズニーランドのような雰囲気になります)
3日間のブルネイ滞在を経て、ボルネオ島の北西側のマレーシア・サラワクにやってきました。現在はミリというところにいますが、ここは国立公園や民族の村などを観光する拠点とされていて、観光客も割りと多いです。が、最近二人とも旅に疲れたのか、観光に疲れたのか、お金を払ってまで行きたくなるようなところが見つからず、それなら無理せずにさっさと移動してしまおうということになりました。今日の夜行バスでサラワク州の州都であるクチンに向います。14時間の長旅です。クチンでは、世界2番目に大きな花、ラフレシアを見られればと思っています。ただそんなに頻繁には開花せず、開花しても2、3日だけだそうですが。どうなることやら。
(サラワクに向う途中、バス停で出会ったブルネイ人のおじいさん。戦争中サラワクに住んでいて、日本の教育を受けたとか。「君が代」を歌ってくれました。アジアを旅していると、日本語は忘れたが歌は歌えるといったご老人に時々に出会い、半世紀前のアジアでの日本の存在の大きさを実感します)
それではまた!
雄生・素子