March 9, 2013

娘と二人の一週間。その始まりの夜に<Kyoto, Japan>

今日、ちょっと急な展開があって、少なくとも一週間、娘と二人ですごすことになりました。

いつも通り保育園に迎えに行って、娘に事情を話して「今日はお父さんと一緒に寝ような」というと、「いや、お母さんがいい。お母さんと寝る」と言って不安そうな顔をしていたものの、すぐに納得したのか、わかったー、っていう感じになって、また遊び出しました。

そのまま、友だち夫婦とその息子と、ぼくら二人の5人でご飯を食べに。
途中、お母さんに電話する、といって電話したものの、1分半ほどで「じゃーね、バイバイ」といって自ら切ったので、なんだ、案外全然大丈夫そうだなとほっとしました。
それから、家に帰って一緒に風呂に入り、断続的に「お母さんがいい、お母さんと寝る」とは言うものの、けろっとしたまま、大好きなパズルで遊んでいました。

「お母さんと寝たいー。お母さんは?」
と時々いうので、じゃあ、ベッド入ったらお母さんに電話して話しながら寝ようかー、というと、
「うーん、やっぱり電話しない。寝たら夢の中でお母さんに会えるし、そよ、すぐ寝る。お母さんがそういってはった」
と。その言葉に感心しつつ、じゃあ、パズルを終えて、じゃあ寝ようかというと、
「うん!」
と元気にベッドの中へ。でもその前に「やっぱりお母さんに電話する」と。

横に並んで布団に入ると、「きゃきゃー!」と楽しそうに笑ってます。
じゃ、お母さんに電話しようか、と携帯で妻に電話をかけて、呼び出し音が鳴った状態で電話を娘に。ちょっと笑顔で呼び出し音を聞いているので、この調子だったらまたすぐ「おやすみー」といって、電話を切ってくれそうだなと、安心してみていました。

しかし――。

「もしもし、そよ?」
と、妻が電話に出た瞬間に、娘の笑顔が一瞬で崩れていきました。
みるみるうちに悲しげな顔になり、

「お母さんー!お母さんがいい!お母さん!お母さんー!」

そう言いながら、凄まじい号泣を始めたのです。
全然予想していなかったので、ぼくはただただ驚きました。
でも、「ああこれまでずっと我慢していたのか、、、」
ということがその瞬間にすべて見て取れ、
その顔を見ながらもらい泣きしそうになってしまいました。

「お母さんー、お母さんー、お母さんー!」

しゃくりあげ、鼻水を出し、せき込んで、
はあはあぜいぜい言いながらの、まれにみる大号泣。

そして妻と二人でいろんな方法でなだめながら、最後には、
まだ1歳ぐらいのときのように、ぼくの腕の中に抱っこして、
ゆっくりと揺らしているうちに、しゃくりあげながら、
少しずつ目を閉じていきました。

そして、背中をぽんぽんとたたきつつ10分ほどもそうしていると、
耳元でしっかりと電話を握る手の、力が少しずつ弱まって、
「お父さん、持ってて・・・」と消え入りそうな声で言い、
しゃくりあげる声が、だんだんと寝息にかわっていきました。

ときどき、またかすかな声で、
「おかあさん・・・、おかあさん・・・」
と言いながら、いつしか、完全に寝入りました。
妻はその間もずっと受話器の向こうで、寝息音を。

「やっと寝たみたいだよ」

そう妻に告げて、時計を見ると、電話してから45分がたっていました。

なんだかいろんなことを考えた夜でした。

娘の成長、母親という存在の大きさ、父親の無力感。
という言葉だけでは表せない、なんとも言えない気持ちです。
ただ、忘れないうちに書き留めておきたいと思い、これを書きました。

忘れられない夜になりそうです。

しかし、これから1週間どうなるのか――。
かなり不安でいっぱいです。

Posted by ykon at March 9, 2013 1:34 AM | パーマリンク | コメント (2) | トラックバック (0)

March 6, 2013

職人たちの深淵な世界に感動<Kyoto, Japan>

村林由貴さんの襖絵展は、連日大盛況の中、終了しました。2週間で4000人以上の方がいらっしゃってくださり、村林さんはじめ関係者一同、みなとても喜びつつ、こんなに大勢の方に注目していただけたことを感謝しております。

プロジェクトは、まだあと少なくとも1年半は続きます。
これから壽聖院本堂に取り掛かり、そのあとに、退蔵院本堂となります。

それまで引き続き、ご支援をよろしくお願いいたします。

さて、自分は引き続き取材を続けていますが、いまは、襖を作る職人の世界について取材し書いてます。襖絵の中には、どんな人や技術がひそんでいるのか。

今週月曜は、その取材で、茨城県の水戸へ、京都造形芸大の青木芳昭教授のご自宅を訪問しました。青木先生は、画材についてはおそらく日本で最も造詣が深い方であり、彼が、このプロジェクトの素材について統括しておられます。

「400年持つ襖絵を」というコンセプトを実現するために、どんな仕様の紙、墨などを使えばいいのか。青木先生が職人の方々と相談しながら決まった最高の素材が、このプロジェクトでは使われています。

青木先生は、ご本人も画家であり、描き手の立場として、素材の重要性を実感してこられ、とことん素材にこだわって絵を描いてきた方。墨、硯、紙、膠、顔料、筆など、おそらく日本で、もしくは世界でも最も膨大なコレクションを持つだろう方で、ご自宅には、驚愕してしまう貴重な品々の数々が、所狭しと並べられていて、衝撃的なほどでした。

描き手にとって画材を知ることは極めて重要であることが青木先生と話すととてもよくわかりました。

「歴史に残っている作品は、残るべくして残っている。それは使ってる素材がいいから。最高の芸術家はみないい素材を知っている。ゴーギャンはタヒチに行って、いいキャンパスがないと、ジュート麻に膠をまぜて、素晴らしいキャンパスを自ら作った。セザンヌは、貧しい時代から最高のキャンパスを使ってるし、ミケランジェロもまたいい石で彫っている。若冲も、使っていた絵具がすごい。だから2,300年経ったいまも色が鮮やかなまま」

彼らはいい素材が分かるから、それで絵を描き、彫刻を彫る。だから彼らのもとには自然にいい画材が集まってくる。するとそれが何百年経っても、物理的にそのまま残り、作品が歴史に残る。
そして作家が歴史に名を残す。

芸術家が職人たちの仕事を知ることの重要性はまずそこにある。日本では、芸術家が素材についてほとんど知らないのが大きな問題だと、青木先生は考えます。大学でもほとんど教えられていない。描ければ素材などなんでもよい、という空気すらある。でもそれでは絶対にいけない。

本物の素材を知り、それを使うことがいかに重要か、心より納得しました。
自分は全く絵に縁のない世界で生きてきましたが、ゾクッとくるような感動を得ました。

墨、紙、襖の世界には、非常に長い歴史、伝統、人々の足跡が詰まっています。その世界について、プロジェクトと絡めながら、来月出る芸術系雑誌に書きます。

自分が感じた感動を最大限表現するには、どうすればいいか。いま毎日悩んでます。

Posted by ykon at March 6, 2013 1:50 PM | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)