最近、ほんとに天気の悪い日が続いてまいっています。9月になってやっと春だ、と思っていたのですが、晴天は数日しか続きませんでした。「水がきれいになりました」などと思わず書いてしまいましたが、今はまた汚くなりました。最近は、風がやたらと強く、その上激しく雨が降る日ばかりです。ボランティアに行っても、海は荒れてイルカも来ないし、客もまばらでほとんどすることがない日が続いています。ボランティアの主な仕事は、イルカが海辺にやってきたときにそれがどのイルカなのかをヒレの形や傷などを見て確認することや、お客さんにいろいろと説明することなので、イルカも客もこないと、ほとんどすることはありません。天候には関係なくやらなくてはならないのはカメの餌付けぐらいでしょうか。
ところで最近、ぼくらがボランティアをしているドルフィン・ディスカバリー・センターの、なあなあさがちょっと目に付くようになってきました。ボランティアベースで運営されているものなので、ある程度は仕方がないとはいえますが、しかしそれにしても、というときがたまに……。センターはイルカの専門家によって成っているというわけではありません。一人海洋生物学者がいるものの、彼がここに来たのは一年半ぐらい前で、もともとイルカが専門ではないようです。彼を中心にイルカのリサーチが行なわれているのですが、実働部隊はどうしてもボランティアにならざるを得ず、データの取得もいい加減になってしまっています。例えば、毎日海の水温を計ることになっているのですが、ぼくがある日温度計を持って海に入ろうとすると、ボランティアのまとめ役のおじいさんが来て一言。
「水温は五日ぐらいは変わらないから、いいよ、前日と同じってことで」
そんな感じでデータが蓄積されていくわけです。
そして彼はよく言います。
「疲れないように仕事をしなさい。ゆっくりやりなさい」
と。
その雰囲気をある意味みなが共有しているからこそ、ボランティアの人がたくさん集まり、みなが気楽に楽しく続けていけているのだとも思います。そしてそんなボランティアたちに支えられて組織が成り立っているわけであるから、ある程度のいい加減さは仕方ないのかもしれません。ぼく自身もいい加減な方なので、今の状態の方が間違いなく居心地はいいのですが、それでも、「ちょっとそれは意味ないんじゃないかなあ……」と思うような仕事が続くと、やはりもうちょっとなんとかならないものかとも思ってしまいます。
オーストラリアの人は、若者から定年後のおじいさんまで、ボランティア活動は盛んです。2000万人近い人口のうち、400万人以上がボランティア活動をしているとか。もしかしたら、どこもなかなかなあなあ(ほんとに想像ですが)で、そんな雰囲気がうまく人を引き付けているのかもしれません。しかし、彼らの存在が、まだ若いオーストラリアの社会を動かす大きな力になっていることは間違いないようにも感じます。
(マイク。定年退職後、いくつかボランティアを掛け持つ生活をしています)
疲れず、楽しく。実にオーストラリア的な職場なわけです。
(みんなで建築。こっちの人のなんでも自力で作ってしまう手腕はすごいです。地震がないから可能なのかも?)
こんにちは、久しぶりに更新します。
こちらの生活の様子をアップしようと思っていたのですが、なかなかできず、すみません。
今日は宿で出会った変わった人を紹介しようと思います。
(スウェーデンからやってきたダン)
彼は、シドニーから大陸横断鉄道でパースに到着し、そのパースから200キロ南のバンバリーまで自転車で来たといいます。そして、これからシドニーまで自転車で帰るそうです。そこまではよくある話で、この宿にいる1ヶ月半の間に、オーストラリアをチャリで回っている人々に何度も会いました。
日本人でも、チャリでオーストラリアを1周したカップル、キックボードで1周した人(彼はこちらの新聞にも紹介されたようです)、スーパーのショッピングカートで1周した人などがいると聞きました。最後のショッピングカートの人は、目的が何なのかよくわかりませんが…。
話がちょっと外れましたが、彼のすごいところは、ここから故国のスウェーデンまでチャリで行く、ということです。途中、陸続きでないところは船か飛行機で移動するとして、オーストラリア→フィジー→インドネシア→シンガポールに入り、アジア、中東を経由し、スウェーデンまで帰るそうです。予定期間は3、4年とのこと。私たちが日本に帰るころに、彼もスウェーデンにようやくたどり着くということになります。この自転車旅行は、パースから始めたばかりなので、どういうペースで進むかわからないとのことですが。
彼は、今まですでに2年半( ロシア、モンゴル、中国など) 旅をしているとのことで、途中で仕事をして、旅の資金を作ってきたとのことです。スウェーデン人ですが英語がペラペラで、中国では英語の教師を1年以上していたそうです。そして、ここバンバリーでも、運良く建築現場の仕事が見つかり、4日滞在の予定を2週間に延ばし、1日120ドルほど稼いでいます。
私たちがアジアに行ったとき、せっせとチャリで移動している彼を追い越すことになるかもしれません。その時は、再会を祝ってお酒でも飲もうと話しています。
(ヒゲは中国にいたころから伸ばしているとか)
それでは、このへんで。次はちゃんと生活の様子をアップします。
素子
(これが私たちの宿のラウンジ・レセプション。今回の話には関係ありませんが)
最近、捕鯨について長めのものを書こうと思い、いろいろと下調べをしています。
イルカ、クジラに何か関連した話はないかなあと思ってたところ、バンバリーのそばにオーストラリアの捕鯨の最終基地があることが分かったからです。
捕鯨は実に奥の深い問題です。政治や文化が激しく絡み、これほど西洋人と日本人が必ず対立するネタはないのかもしれません。
「日本人は、なぜクジラを捕るんだ?全くひどいやつらだ。絶滅してしまいそうなのに。それにあんなに賢い動物を。」
「これは日本の食文化だ。減らない程度に捕ることがどうしていけない?」
簡単にいうとこんな対立になるわけです。そこに政治、文化、科学が絡み、クジラはその題材にされているだけ、といえなくもないような展開になっています。こないだもイギリス人二人と、スウェーデン人とぼくたち二人と激論になりました。英語のせいもあり、なんとなくぼくらがいいくるめられてしまったのは残念でしたが…。
ぼくは別に捕鯨バンザイというわけではないんですが、どうしても西洋人たちのいう理屈に納得ができず、クジラを捕ったっていいではないかという気になってしまうのです。
ところで、オーストラリアは1978年に捕鯨をやめて、それから反捕鯨国となったようです。英語系の国の中ではオーストラリアが最も最近までクジラを捕っていたとのことです。その中でさらに最後の最後まで捕鯨をしていた場所が、ここバンバリーから南に200キロぐらい行ったアルバニーというところなのです。
最後の最後までクジラを捕り続けてきた(英語系の)西洋人たちに、アルバニーで話を聞きたいと思っています。彼らの生き様が今、少々気になっているわけです。
またまた思いつきの更新になってしまいました。あ、生活のこと、書くの忘れてました。今度は二人で更新しないと……。
ちなみに、2週間ほど前、初めてこっちで髪を切りました。すいてくれ、というのが伝わるか不安でしたが、一応伝わり、まあまあの出来でした。しかし切り終わったあと、まるで流さずそのまま整髪料をつけて終了。当然のことながら、髪が服の中に入る入る。ちくちくしました。
ではまた。
最近全然イルカ来ません。ボランティアが暇です。
雄生