こんにちは。
ジャカルタから直接フローレス島までいってしまう予定が、うまくいかずバリで足止めをくらってしまいました。すでにまたバリの前と同じ宿に3泊していて、今日やっとフローレスまで行けることになりました。
今回はちょっと僻地まで行くつもりなので、マラリアなどが心配で、バリではその薬などを調べて回っていました。ですが、ジャカルタで泊めてもらったドイツ人一家によく効くらしい薬をいただいたので、結局それに頼ることにしました。あとは虫除けをマメに塗り、蚊帳を使い、できるだけ長袖長ズボンを着用して……という感じでなんとかなると思います。実際にその辺りに行った人の中でマラリアになったという人はあまり聞かないので。
フローレス付近は海がとても綺麗でシュノーケルでマンタが見られるとかいう話もあるのでそれが楽しみです。
では、今回は短く写真もなしですが(バリでは全く写真撮らなかった…)。
また!
ゆうき&もとこ
こんにちは。一昨日、マレーシアから再びAir Asia に乗って、ジャカルタに戻ってきました。今回のジャカルタ滞在は、前にも書いたとおり、オーストラリアで知り合ったドイツ人家族のうちに泊めてもらえることになっていて、私たちにとってはかなり優雅な生活をさせてもらっています。快適な部屋から三食の豪華な食事まで、本当にお世話になりっぱなしで申し訳ないぐらいですが、随分と甘えてしまっています。
(アンドレアとヴォルクマールの二人と。大きくてとてもいい人たち)
(今泊めてもらっている部屋)
(ホテルのようなリビングの外には巨大な庭とプールが…)
この家の三人の子どもたちはみなドイツ人学校に通い、両親がその学校の先生をしています。小さな二人の子どもたちとはオーストラリアでも会っているのですが、彼らはドイツ語とインドネシア語しか話さないため、いまいち会話ができず残念です。しかし、お土産に持っていったガンダムのプラモデル(シンガポール、マレーシアでどこにでもありました。オモチャ屋さんに行くと、ほんとにいかに日本のオモチャが偉大かを実感できます)を気に入ってくれたみたいで、(年齢的に自分たちでは作れなかったので)急かされながら一緒に作りました。
(4歳のベンジャミンとともにガンダム作り。)
(5歳のステファン。朝6時半のスクールバスで学校に行くため、6時半に就寝!)
今後の予定は大体決まり、ここから東の方に戻って小さな島々を巡り、その後は、スワウェシ島⇒ボルネオ島(インドネシア側)⇒ ボルネオ島(マレーシア側)⇒ボルネオ島(ブルネイ:世界一金持ちと言われる国!)⇒ボルネオ島(マレーシア)と移動して、
その後余力があれば、再びインドネシアへ戻り、スマトラ島へ行こうかと思っています。興味のある方は地図で確認してもらえるとインドネシアの全体図がよく分かるかもしれません。ボルネオ島は、オランウータンをはじめとする野生動物がたくさんいるジャングルなどに行く予定です。
はじめは2週間ぐらいと思っていたインドネシアですが、今では2ヶ月でも足りなく思えます。これらの島々への移動生活を始めると、もしかしたらその間はこのサイトの更新はできなくなるかもしれません(メールもどうなることか…)。
でも出来る範囲でまた更新するので、たまに見てもらえればうれしいです。
それではまた!
雄生・素子
昨日、マレーシアのジョホールバルに再び戻ってきました。
ところで、今はスターバックスにいるのですが、ここでは、コーヒーを買えば無線LANカードを貸してくれて、ノートパソコンを持っていけば無料でネットにつなげることができます。それでこんなところに座りながら、さっきは友達とチャットをして、兄とリアルタイムで何度かメールのやり取りをして……。ほんとに不思議な世の中です。
ところで、今回、マレーシアとインドネシア間で乗った飛行機がAIR ASIAというのですが、安くマレーシア付近を飛びたい方にはとてもお勧めです。今回、ジョホールバルとジャカルタの往復で、一人4000円ほどでした!
この航空会社はチケットなし、席の指定なし、機内サービスなし、と徹底していて、それでコストを大幅に下げています。だから、早めにいって、いい席をとらないといけない、飲食したい場合は中でお金をだしてかわないといけない、などの不便はあるものの、機内は全く快適で問題ありません。ちょっと違った雰囲気で面白いので、機会のある方は是非利用してみてください。HPは、www.airasia.com です。
それではまた。
雄生・素子
写真なしもなんなので、以前載せなかった東ティモールの写真を二枚ほど……。
(首都ディリの夕日)
(国連車が数多く止まっている外国人用のカフェの前で、商売をしている子どもたち)
マレーシアから二泊ほどだけシンガポールに来てみました。ジョホールバルから見たらシンガポールはほんとにすぐそこでだということが分かったので、行ってみることにしました。
(ジョホールバルの宿の窓から。川(?)の向こうに見えるのがシンガポール、のはず)
ジョホールバルから国境まではほんとに5分あるかないかぐらい。マレーシアの出国審査をバスに乗る前に済ませて、一度バスから降りてシンガポールの入国審査。それからまた別のバスに乗り換えてから町の中心部までは30分ほどだったような。
(ここがシンガポールの入国審査場。近い割りに乗り換えやら手続きやらで疲れました)
シンガポールは、聞いていた通りというかそれ以上の大都会でした。メインロードであるオーチャードストリートは、銀座より大きく表参道よりきれいに見えました。
(シンガポールの中心部。伊勢丹、高島屋などのビルはその大きさにも圧倒されました。久々の都会だったからかもしれないけど)
(半年以上ぶりの待ちに待ったシュークリームを発見。日本の味がしました。この後ろにはなんとモスバーガーが……。)
それでは、そんなところで。
今日またバスでジョホールバルに戻ります。そして二泊してから再びインドネシアです。みなさまお元気で。
雄生・素子
こんにちは。今は大都会ジャカルタから書いていますが、予定通り、今日からビザの更新など諸事情により一時マレーシアに行きます。ジョホール・バルというシンガポールのすぐそばの町に飛びますが、ここは、7年前(?)に日本代表がフランスW杯行きを決めた場所というイメージだけが強く残っています。実際には何があるか全く不明で、どうするかは全く決めていないものの、うれしいことにダーウィンで知り合った友人と会えることになりました。前に書いたと思いますが、ベルギー人とイギリス人のカップルで、二週間ほど一緒の宿に泊まりながらバン売りに励んだ仲間です。しかし彼らは三週間経っても売れず、結局哀れに思った宿の女主人に代わりに売ってもらうということを決めてダーウィンを発ちました。それから6週間が経っていますが、売れたのかどうか……。とにかく彼らとの再会はかなり楽しみです。
(彼らと別れる前日の夜(5月1日)、ダーウィンの宿で。ヨーリスとスージー。とても懐かしい写真)
ところで、インドネシアに入ってからはそのような友達がほとんどできていません。それがとても残念なのですが、その原因は、例えばバリは、観光客が多すぎて逆にお互いに話しかける雰囲気ではなかったこと、また、今までに泊まったインドネシアの安宿にはキッチンやラウンジがほとんどなく、宿の中での他の旅行者との接触が少ない、ということなどにあるように思います。
オーストラリアでは、ボランティアの日々はもちろん、バン生活でもかなりよい友達に恵まれたし、また、東ティモールでは宿の人々と家族のように過ごしていたので、それがなんとも寂しいです。
そんなわけで、ジョホール・バルでのヨーリス、スージーとの再会は楽しみです。そして20日にジャカルタに帰ってからは、オーストラリアのバンバリー(ボランティア生活で7ヶ月滞在)で知り合ったドイツ人の家族のうちに泊めてもらうことになっていて、それもまた大きな楽しみです。
(バンバリーで、そのドイツ人家族と別れたとき。もう5か月ぐらい前のこと。まだ髪がある……)
それでは今度はマレーシアからになりそうです。
雄生・素子
ジャカルタではほとんど写真を撮ってませんが、雰囲気だけでも……↓
(ジャカルタは久々の大都会。人、車、砂埃、排気ガス、クラクション、ゴミの嵐のような場所ですが、特にこの川はひどかったです。小さな町に体が慣れてしまって、悪臭と排気ガスに少々頭痛気味。)
(7月5日の大統領選挙に向けてどこもポスターだらけ。右が有力候補らしいススロバンバン氏。他の候補には東ティモールでの虐殺などの責任を問われているウィラント氏がいて、それは東ティモールで大きな波紋を呼んでいます。)
(昔ジャカルタがオランダ領だったころ栄えた場所にある駅。『東インド会社』なんていうのは、歴史の教科書だけの世界と思っていたら、この付近にその建物(オランダ東インド会社の倉庫か何か)があったりと、なかなか歴史を感じさせる場所でした。かなり汚いけど。)
今、ジョグジャカルタという町にいます。4日前、バリからバスで12時間ほどかけてスラバヤという町まで行ったのですが、そこでは特に目的もなかったので、数時間滞在した後、電車を見つけてさらに5時間ほど西へ行ったジョグジャカルタというところまで来ました。
(早朝4時半ごろにスラバヤのバス停に下ろされてから、すぐに電車の駅まで移動しました。まもなく到着の電車を待つも、かなりの疲労度)
ジョグジャカルタは、カンボジアのアンコール・ワットと並び賞されるボロブドゥールという仏教の遺跡で知られる町で、もちろんそれを見に行きました。
(ボロブドゥール全景。8世紀に造られたものの、その後1000年ぐらい土の中に埋まっていたとか。100年前ぐらいに二度ほど大修復を行なった末、今の姿に)
(ピラミッド状の建物の大部分にこのようなレリーフが彫られています。これは仏陀の生涯の一部。右側にどっしりと構えているのが仏陀。奥さん選びのときの図)
(上から見た眺め。大きな火山が見えます。インドネシア中から観光客が来ていて、外国人を見るのが珍しい人も多いらしく、一緒に写真を撮ってくれと頼まれました)
前回に書いた通り、結局、15日には一度マレーシアへととび、20日にまたインドネシアに戻ってくることにしました。それからさらに一ヶ月ほどはインドネシアに滞在する予定です。マレーシアにいる間には、オーストラリアのダーウィンで、一緒にバンを売っていたベルギー人、イギリス人のカップルと再会することになっています。結構一緒に過ごした時間が長かったので、また会えるのを楽しみにしています。
二時間後には電車にのって、朝3時半にジャカルタに着きます……。
それでは。
雄生・素子
こんにちは。いよいよ今日バリを出ることになりました。
ここには10日以上も滞在したのにもかかわらず、結局ほとんど何も見ないでおわってしまいました。仕上げないといけない原稿があったこともあり(久々に連載以外の記事も書きました。それは「週刊金曜日」6月11日号に掲載されるので、よかったらご覧下さい)、かなりの時間をパソコンに向かって過ごしていました。また、日本語の文庫本が簡単に見つけられたため、本を読んで過ごした時間も相当長かったような……。いずれにしても、バリという場所をあまり身近に感じることもないまま終わってしまいました。
今日朝おきて、バリの写真をほとんど撮っていないことに気付き、宿の周りで何枚か撮りました。歩いて一分もかからないぐらいのところに、2002年の爆弾事件の追悼碑があるので、それを載せておきます。
(バリの観光の中心クタの朝。ここはいつも観光客でいっぱいですが、高級リゾートという風なバリはこことはちょっと違う場所にあります。右手に見えるのが爆弾テロの追悼碑)
(碑には死者全員の名前が書かれています)
日中になるとこの碑の前にはいつも観光客がいますが、その中の少なからぬ人々がこの碑の前に並んで記念撮影をしている様子が、もっとも印象的な「バリ」の風景として記憶に残っています。
今日これからバスで12時間かけてバリより西にあるジャワ島のスラバヤというところまで行きます。ここから東の島々へ、と思っていたのですが、ビザの更新をすることができないことが分かり、その他諸事情のため、とりあえず先に西へ行き、一週間後に一度ジャカルタからマレーシアに飛んで、数日後に再びインドネシアに戻ってくることになりそうです。
それではそんなところで。
雄生・素子
(島の南側の崖に建つヒンズー教の寺院で。サルがいっぱい)
(その寺院で)
こんにちは。今はバリにいます。
久しぶりに日本人をはじめとする沢山の観光客の中で過ごすことになり、先月とは全く違った世界を楽しんでいます。
もともとは東ティモールのディリから直接バリに飛ぼうと思っていたのですが、そうするより、ディリからバスで国境を越えて西ティモールに渡り、そこから飛んだ方が格段に安い(二人でUS$300ドルほどの差!)との情報を得て、そうすることにしました。
(このバスで国境まで。中は快適でしたが、細い山道を時速100キロで突っ走るドライバーに驚愕。)
前回書いたように、サッカーの代表監督とともに行くはずだったのですが、彼がどうしてもその日にはいけないことになり、結局二人で国境を越えました。
(東ティモール側から見た国境。右に見える小さな小屋で出国手続き)
(東ティモール出国後、"No man's land"と呼ばれる場所を数百メートル歩いてインドネシア側へ。右側には美しい海が広がっています)
(ここからインドネシア側となるようです)
インドネシアから東ティモールに入るときはかなりチェックが厳しいと聞いていたので、逆もそうかと思っていたら、インドネシア側のチェックは意外と簡単でした。しかし、国境辺りから、バスのサービスの一環かと思っていた荷物運びの人々やらにお金を請求されたり、いよいよアジアらしくなってきたように感じました。
(彼らがさっさと荷物をもっていってしまいます。で、あとから3ドル、といった感じ。ちなみにこれは外国人料金のようですが)
新しい国に入ったばかりのときは、物価の感覚が分からないためついついボラれがちになってしまいます。
バスの乗り心地は結構厳しく、ディリから目的地クパンまでの13時間はかなり疲れました。
(インドネシア側からこのバスに乗り換えました。その後もう一度乗り換えあり。だんだんバスが混んできて、車内は荷物でごった返していました)
西ティモールのクパンは、ぼくらのように通過地点としてのみくる人が多いようで、観光客はほとんどいませんでした。何泊かしようかと思ってもいたのですが、実際にちょっと町を歩いてみたら、正直ここに留まっているのがめんどくさくなり、一泊した後にバリへと飛びました。
大雨のために飛行機が遅れ、数時間空港で待ったことがクパンの一番の印象となってしまいました。
さて、バリですが、今はバリ一番の観光メッカのクタというところにいます。二人で45000ルピア(US$5くらい)という、安宿に泊まっていますが、シャワー、トイレ、天井据付ファンと朝食までついていて、居心地もまずまずで、すっかり気に入ってしまいました。ただ、意外なことに、夜は結構涼しくなるので、水シャワーが少々辛いといえば辛いですが。
バリでも東ティモールと同じく、バイクを借りて日帰りで行ける範囲で行動してみました。昨日一昨日で、首都のデンパサール、ちょっと高級なビーチリゾートのサヌール、海沿いの崖の上に立つお寺があることで有名なウルワトゥ、その反対岸の町ヌサドゥア、ベノアまで足を伸ばしました。行く先々、観光客が数多くいて、やはりバリはバリだった、と思った2日間でした。島の北の方にいってみたらまた違うのかもしれませんが。
(クタの中心地から少し離れたフィッシュマーケット前の漁船たち。同じ通りには一キロぐらいシーフードレストランが隙間なく並んでいて、夜は観光客で賑わっていました<下の写真>。ぼくらも久々にちょっとリッチな食事を楽しみました)
もう少しここに滞在した後、再び東の方に戻って小さな島々を船で巡っていく予定です。海がどこもとてもきれいだとのことなので、シュノーケルをするのを楽しみにしてます。
それでは、そんなところで。
雄生・素子