明日、いよいよ昆明を出発します。
準備好、友達とのお別れ好、といった感じで、あとは大家と部屋の保証金の清算をしたりするだけになりましたが、マンションの管理費をぼられていたことが昨日発覚。大家からひと月80元と言われ、1年分すでに大家に支払っていたのですが、昨日マンションの管理室に行ってみると、本当は60元だと言われ……。管理のしっかりしたマンションなので、多少高くても仕方ないのかな、と思っていましたが、大家にぼられているとは思いませんでした。しかも大家はまだそのお金をマンション側に支払っていないらしく、管理室の人に早く払うよう言われた。今日一応話をつけて、お金を返してもうら予定です。それが最後の山場かな?っていっても一年分で240元、つまり4000円程度でしかないのですが、昆明では結構な額なんです、ほんとに。日本の2、3万円ぐらいの感覚でしょうか。
明日は早朝の便でまだ暗いうちに家を後にする予定。いよいよ昆明ともお別れです。また来る機会あるかな・・・・・・?
(青空散髪屋。大理で)
昆明を出るまでもうあと5日となり、毎日バタバタしてます。っていうか、やっと昨日辺りから焦って出発の準備を始めたという感じですが。最後の最後で家のネット契約の金が切れてしまい、今は家でネットもできず。
もうあと数日と思うと、いつも見る風景もなんだか新鮮に見えたりして、ほんとに離れるんだなってことを実感します。
しかし、自分の持ち物の整理をして、上海に送るものと日本に送るものを分けてみたところ、昆明に来てからはほとんど何も物を買ってないことを実感(雄生)。整理は1時間ぐらいで終わってしまいました。ほとんどすべての持ち物がバックパック一つに入ってしまいそうなことを知って、なかなかシンプルな生活を送ってるなと感じました。
その他こっちで購入したDVDプレーヤーなどの家電はほぼ全て友人らに安くで譲ることに。大家さんが買い取ってくれるかな、と思って、こないだ一度大家(彼は警察官)を家に呼んで、見てもらったものの、「全ていらない」と一蹴。しかも、一つ一つ、「どれどれ、見せて、音聞かせて」とか言って期待を持たせておきながら、「でも、全部持ってるからいらない」だって……。二胡も売りたいんだけど、と言ってみたときも、「ちょっと聞かせてくれ」なんていうので、弾いたところ、
「これいくらなの?」
--500元ぐらいで売りたいと思ってる、というと、笑いながら
「20元ならいいよ」
と全く失礼極まりない。ほとんどからかわれてました。
ま、でもその後ほとんど引き取り手が見つかったのでよかったです。二胡はまだだけど。
ちなみに、昨日、まだオーストラリアにいたころに買った使い捨てカメラがまだ手元にあって、現像してみたところ、こんな写真が出てきました。キャサリンゴージという渓谷でカヌーに乗っていたとき。ヒゲが犯罪。でも懐かしい。
(2004年4月ごろ)
それじゃあ、次回はおそらく東京か京都から!
(マージャンするおじいさん。大理で)
(昆明の象徴、金馬坊<ジン・マー・ファン> 一緒に仕事をしている中国人カメラマン、アレックス撮影)
いよいよ昆明も残り二週間になり、マジで終わりムードが高まってきました。時期的に一年の大きな区切りではあるので(1月下旬の春節が中国の一番大きな休暇)、友人たちも次々にどこか別な場所に移動し始め、人との別れの連続。ちなみに、昆明にいる日本人の友人たちは、年齢層はけっこう高いのに(仲良い人たちはだいたい同世代で30前後)、ふらふら系が多いため、昆明からの行き先もまちまち。自分たちのように上海や広州にいって仕事を探そうかな派ってのも結構多いし、一度日本に戻ってちょっと金をためてまた旅に出ようという永久バックパッカー系、株で資金を調整しながらさらに別の国へとさすらっていくモノなど……。また、昆明はドラッグ(ハード系まであらゆる種類)がかなり自由に手に入るため、外国人全般では、そのままはまって(中毒?)完全に昆明にチンボツしている人、パスポートを売ってその資金で暮らしている人、外国人の起業がまだまれである昆明でビジネスを起こす人、他国で捕まって追放され中国に移住してきた人、など、かなりアウトローに生きている人たちも多い。 駐在員などというのは、いるのかもしれないけど、ほぼ全く見かけないに等しいです。ま、その辺が昆明の面白さなんだと思います。
その昆明とももうお別れ、今度は国際都市上海か、と思うと、楽しみ半分、緊張半分といったところ。雲南省はほんとに気楽に生きられるところなので、上海に行ったらプレッシャー多そうだなあ、と。。。。物価も高いし。
今日、昆明を出る前最後の雑誌の取材を一応終わらせ、ほっとしてるところです。来週、再来週で原稿を三つほど完成させる予定なのでちょっと忙しそうな気もするけど、合間をぬって昆明からの引き上げ準備に奔走します。
それから、先月来た電気代の請求額が突然3倍になり、びっくり。間違いだろうと、電気代を払わずに電気局に問い合わせたりとぐずぐずしているうちに、一昨日夕方6時ちょっと前に、突然いきなり電気を止められてしまう。焦って電気局に聞いてみると、6時までに金を払って、手続きをすれば、今日中に復活するかも、と言われるも、電話を切ったころにはすでに6時となりあきらめる。で、その夜は、ろうそくで過ごす羽目に。翌朝すぐに電気代を払い、手続きを済ませ、夜帰ってみると、まだ電気がつかない。マジで??と思ってブレーカーを見てみると、ブレーカーが落ちていたので、元に戻したら電気復活。
そのときにやっと、実はただブレーカーが落ちただけだったのかも、ということに気づきました。ブレーカーを調べなかったとは、まったくバカな二人です。もうすぐ電気を止められるかも、という先入観が強すぎました。
雄生
今ちょうど、従弟を空港まで送って帰ってきたところです。
遊びに来てくれた人を空港まで送るのはこれで3回目ですが、毎回、帰りのバスは寂しさあり。人を見送って空港からバスで帰ってくると、自分はこの町に住んでるんだなあということを改めて実感しますが、でも昆明での日々も、もうあと二週間ほど……。今週来週は、帰国準備と残りの仕事を片付けるので忙しそうです。
さて、年末年始(30日、大晦日、元旦)は従弟とともに大理(ダーリー)へ。昆明から300キロほどの雲南省の代表的な観光地なのですが、それまで行ったことがなかったので、この機会に行くことができてよかったです。
バスで片道5時間ほど。大理は白族(バイ族)という少数民族の自治区(?)のようなところで、城壁に囲まれた古城が町になってます。のんびりした小さな町で居心地がいいため、沈没するバックパッカーが多いことで知られてますが、確かに快適なところ。いい感じのカフェが多く、また「ガンジャ、ガンジャ?」といって寄ってくる少数民族姿のおばさんたちが多かったのも印象的。
町には、毛沢東語録や毛沢東バッジなど、毛グッヅがいっぱい。昆明ではほとんどみないので、新鮮。
着いた初日は、いきなり「大理らしい」一日を経験し、従弟も大満足の様子でぐっすりと就寝。かなりの爆睡。
次の日、大晦日は少数民族の村へ。大理は町自体はかなりツーリスティックなものの、ちょっと外れるといい感じの中国らしい風景となり、そこから三輪バイクに一時間ほど乗って、絞り染めで知られる周城という村へ。
町からちょっとはずれるとすぐにこんな風景。なんかちょっとチベットっぽい感じ。
三輪バイクの中で。
村はかなりローカルな雰囲気で、中国っぽさ満点。あまり町の風景を撮らなかったのが残念ですが、大体以下のような感じ。
路地。数百年ぐらい変わってなさそうな建物や人びと。
ある家の玄関から中を覗いたところ。
公民館的なとこの庭で麻雀などに興じるおじいさんたちの姿が圧巻。格好や雰囲気がまさに昔の中国っぽかった。
染物屋で。買いたかった(けど買わなかった)絞り染めと少年。
染料
手織りをするおばあ
左がおばあ。右の人の着ているのが典型的な白族の民族衣装。
さて、それから大理の町に戻って、従弟のお土産探し。その途中で見た風景がこれ。
中国では、すぐ点滴を打つんですが、その状態でなぜか道端で休んでいる人が。もちろん、周りに病院など全くなし。このまま歩いている人もたまに見かける。
で、大晦日の夜は外国人の集まるバーで。気づいたら2006年。
そして元旦。大理最後の日。帰る前に町外れのマーケットを見にいって、ご飯食べて、またバスで昆明へ。
従弟は中華料理全般に毎回感動してくれるので、こっちもうれしくなる。これは2006年初の朝食。大理の地元の店で。「うまい!辛い!」
昆明に戻ってからの一日は、従弟に友人たちを紹介し、飲みに行ったりと半ば日本のような生活になってしまったかも。長期の旅行者たちとオールしたあと、寝不足の従弟が名言を。
「いやあ、やっと分かったよ。こういうことを言うんだね、チンボツするっていうのは」
これはかなりウケました。
今ごろは広州かな……。こっちもまた日常に戻らないと。。。
今年もどうぞよろしく!
久々に町で見かけた中国っぽい風景をいくつか。
これは家の向かいのラーメン屋(?)。店の前になんか動物がいるぞ……
と近寄ってみると、これ、羊の死体。しかも首にナイフが突き刺さったまま。
そして夕方帰りがけに見てみると、きれいに骨だけに!
なんてあまりこんな写真ばかり載せてると、抗議がきそうだ。
で、今度は上のラーメン屋の通りを曲がってすぐのマンションの様子。
一見全くふつうの中国マンション。各部屋から洗濯物がかかっててのどか~
と思いながらも、よく見てみると、あれ??
この部屋、かかってるのは、洗濯物じゃなくて、肉!豚の破片。
一週間ほど前に通ったときもこの部屋にはやっぱり肉がかかってました。肉屋なのかな。
それから中国も最近はクリスマスを祝うようで、ってまあ日本と同じ感じように若者の祭りって感じですが、町もちょっとだけクリスマスムードになってました。
夜道端で中国バーベキュー食ってる人たちもこんな。
ちなみに、クリスマスは中国語では聖誕節(シェン・ダン・ジエ)。で、サンタクロースは、というと、聖誕老人(シェン・ダン・ラオ・レン)。
うーーん、渋い。
中国語はほとんどすべてがこのように意味的に(音ではなくて)訳されるから、結構面白い。たとえば、NBAのチーム名で、「76ers」は「76人隊」。マイアミ・ヒートは、「熱隊」。だから中国人とはNBAの話がなかなかしづらい。また、iPODの「アップル」も「苹果(ピングオ;りんごという意味の中国語)」となっている。なんかかわいいきもするけど。
こないだの料理ネタつながりで。
今日は久々に家に友人を呼んで、一緒にディナー。
午後数時間かけて二人で作った料理がこれら。
手巻き寿司、コロッケ、煮物、ほうれん草の胡麻和えなど。やっぱり日本人には日本食はとても喜ばれる。手巻き寿司っていっても、海鮮はなし。メインの具は牛肉の生姜焼きや玉子焼き(玉子焼きは友人作)。こっちでは安い湯葉も具の一つ。
もう帰国まで1ヵ月を切り、そろそろ日本から送ってもらったみりんなども底をつきそうで、日本食を作る回数も数えるほどかな~という感じ。
これは雄生作のコロッケ。
こないだの教訓を活かして、今回はいい出来。友人たちにも好評。でもコロッケって、なんか手間かけて作るのに、食べているのはイモ+α、味はソースって感じで、なんかむなしさあり。おいしいけど。(⇒それは工夫が足りないからかな?)
と、またお料理報告でした。
手術後から何気に一週間近くは、体調が悪いままでダラダラと過ごしてしまいました。
手術の翌日のこと。
朝起きたらいきなり寒気がして、退院するころには、すでに熱がありそうな雰囲気でした。
でも、とにかく帰りたかったので「もう退院していいですか?」と聞きにいくと、
「ちょっと待ってね」といわれ、しばらくしてから、
唯一多少英語を話す医者(といっても、腸(intestine)のことをinstituteと言っていた)が来て、軽く問診。風邪っぽいことを訴えると、しばらくして、
「君はもう一日入院しなければならない」
という。
「えっ?お腹は痛くないし、腸もなんともないので、家に帰りたいのですが」
というと、
「うん、帰ってもいいよ」
とひどく曖昧。「じゃあ、薬を持ってくるから待ってて」といわれて、
持ってきた薬は、4箱。しかしそのうち3箱が風邪薬で、腸の薬は1箱のみ……。
その予想が当たったのか、家に帰ってから風邪は悪化し、翌日、翌々日は39度前後の熱が下がらずにうなされてました。こう絶妙のタイミングで熱が出るとついつい手術と関連付けてしまいそうでしたが、症状が完全な風邪なので、寒さ対策を怠ったせいだろうと自分に言い聞かせました。
しかし術後4日後の土曜には、雑誌の取材で昆明のはずれの農村に行かなければならなかったので、その日だけはなんとか仕事をこなしましたが、あとはまあ、昨日ぐらいまで風邪気味が続いてました。
で、やっと、そこそこマシになった今日、ポリープの病理検査の結果を取りに行きました。悪性だったらどうしよう、とちょっと不安だったのですが、良性とのことで、ほっとしました。ま、前回も看護婦にポリープのことを「痔」だといわれたので、少しは疑ってかからなければならないのかもしれませんが。。。
雄生
(本文とは全く関係ありませんが、これが中国の標準的シャワー室!和式(中国式)便器の両側に足を置いてシャワーを浴びるんです。日本人的にはほとんどありえない空間ですが、安い宿などはどこもこのタイプ。ちなみにこれは日本人の友人宅。はじめはありえないと言っていた、その彼女も今ではすっかり慣れてしまったとか。ぼくらの家はきれいな西洋式ですが、確かにこういうのも意外と慣れてくるもんです)
前からブログに書こうかどうしようかと思っていたのですが、実はチベット方面に旅していた8月はじめころから突然血便が出始め、なんだこりゃ、と思っていたのですが、ずっと止まらなかったために焦りだし、9月の半ばに病院にいってみたのです。そしたら、大腸の内視鏡検査(ケツからカメラを入れる。胃カメラの腸バージョン)をやろうということになり、ビビりながらもやってみたら、なんと慢性結腸炎と診断されてしまいました。
薬を飲めば大丈夫、といわれたのですが、その検査結果の写真に腸の壁面から伸びている丸い物体があったので、これはなんだと医者に聞いてみたところ、「別に問題ない」といい、また、看護婦に聞いてみると「これは痔だ」とテキトーなことを言うので、気になって親戚の肛門科の医者に聞いてみると、「これはポリープでほっとくと癌化の可能性もあるので取った方がいいよ」といわれました。
大病をしたことがなかった自分は、「癌化」という言葉に正直ちょっとショックを受けてしまい、これは切らないとと思い、3ヶ月後の今月、ポリープ切除の手術を受けてきたわけです。
切除自体はそんなに難しいものではなく、検査と同様に腸にカメラを入れてその先についているワイヤーでポリープを焼き切るというだけなので、昆明でやってしまいました。腹を切らなければならないならもちろん日本に帰りましたが。
9月にやった初めての内視鏡検査のときには、そのいい加減な雰囲気にびっくり。普通内視鏡を入れるとなれば、素人にとっては一大決心で臨んでいるものなのに、なんと雰囲気はラーメン屋と一緒。というのは、順番待ちの人がそれぞれ金額やら自分の受けたい検査内容(胃か腸か、麻酔いるかいらないか)を示すレシートのような紙切れを手に持って、前の人が終わって検査室のドアが開くと、一斉に「次はおれ、次はおれね」といった感じで、そのレシートを医者に手渡すんです。それで、医者が「よし、じゃ、次はアンタね。ハイ、寝て」と指示を出し、その5分後ぐらいには検査開始。ちょっとはカルテとか見ないのか、っていう感じですが、そんなものはなさそうな様子。うーーん、すごい。
で、今回の手術もそんな感じで進むのかと思えば、「手術」という言うだけあって、さすがにもっと気合が入っていて、検査室に行くと、すでにぼくのポリープの画像がモニターに映し出されてて、医者が見つめていました。そしてさらに、手術は危険なこともあるので、ぼくの学校に連絡しておかないといけない、とわざわざ医者から学校に連絡を入れてくれたりするわけです。
でも手術開始直前に、失敗しても文句言わないっていう書類にサインするわけですが、「消化管出血、消化管に穴が開く、手術失敗、○○が起きても……」というところを指して、「ま、普通は大丈夫だよ」とあたかもたまには起こるよと言った雰囲気で言うところにちょっと、ほんとに大丈夫か?という気持ちになりました。
そして、一緒に病院に来ていた素子が、手術を見たい、というと、「あぁ、いいよ」とあっさりOK。白衣着用とかそういうのもなかったけど、普通こういうのって簡単に見せてもらえるものなんだろうか。ブログ用に写真、と思ったもののそれはさすがに断られました。
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さて、手術ですが、担当の主治医に加え、助手やら看護婦やら、なぜか外科医のお医者さんまでいて合計10人くらいで取り掛かったいたので、これだけ大掛かりだと安心だ、と思ったのですが、看護婦3,4人はそばに立ってモニターを見ながら、腕を組み合って何か耳打ちしたり、楽しそうに笑ったり、社会見学に来た小学生みたいな雰囲気にちょっと唖然。途中婦長みたいな人がその中の看護婦一人に麻酔の追加(だと思う)をさせていた。だいじょうぶか…!?とちょっと冷や汗。でもさすがに主治医はちゃんと雄生の腸に集中していて、少し手間取っていたものの、20分くらいでポリープをつかみ、焼ききってくれた。そのときその社会見学看護婦たちから「好(ハオ)!」などと掛け声がかかっていた。ポリープを吸引してお尻から取り出すときも、「もうちょっとででるよ~」「よし、きたきた!」などと思い思いに好きなことを口にする彼女たち。そしてちらちら私の方を見る。とりあえず愛想笑いしておきました。
手術は30分ぐらいで無事に終了。麻酔から目覚めた雄生はろれつの回らない口調で…
ゆ「とれた?」
も「とれたよ」
ゆ「腸やぶってなかった?」
も「やぶってなかったけど、何回かつついてたよ」
ゆ「ふふっ」
とりあえず本人も安心した様子でした。
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手術後は病室に行き、一晩入院。
手術後夕方に友人が見舞いに来てくれました。朝から何も食べられなかったため、病室についてまず、何か食べ物はないかと頼んでみると、病院なのになんと食事は普通のギトギトの中華料理しかないこと。しかしうれしいのは、ぼくらと友達あわせて4人いたので、「4人分いるか?」と料理を4人分持ってきてくれたこと。
さらに病室にベッドが二つあるので、「妻もここに泊まっていいか」と聞くと、全く問題なくOK。結構快適な入院生活でした。でも、次の朝起きたら風邪気味。それから三日ほど、高熱にうなされる日々が続きました。。。。
(外国人はすべて大きなバスルームとリビング付きの部屋に入れられる。快適でした)
突然何を書くのかという感じですが、昆明に来てからぼくも本格的に(?)料理をするようになり、この一年弱の間に和風の煮物からコロッケまで、一応いくつもの料理を作れるようになりました。オーストラリアでの安宿やバン生活の中でも、それなりにやってはいたのですが、どうしても自分は野菜を切るとかそういう作業っぽいことが多くなり味付けは素子という展開で、実際にどうやって味をつけるかとかそういうことはよく分からずでした。
「本格的に」と書いたのは、遅ればせながら、いくつものメニューをはじめから最後まで、自分ひとりでちゃかちゃかと作ってしまえるようになったということです。肉じゃがなどの煮物系、中華系の炒め物、コロッケ、(豆腐)ハンバーグといったところです。味はといえば、素子的には悪くないとのこと。何気に結構筋は悪くないんじゃないか、と自画自賛してます。
ところで、こないだコロッケを作っていた気づいたことを一つ。コロッケのころもを作るときの小麦粉⇒卵⇒パン粉、この卵はなんの役割を果たしているのか、ってことについてなんですが、もともとこれは、パン粉をくっつけるためのノリの役割だけとしてしか考えてませんでした。しかし、実はそうではないらしいことを発見(?)。
というのは、さあころもをつけよう、というところまで来て、卵を買い忘れたことに気づき、買いにいくのはかなり面倒だったので、なんかで代用できないかと話していたところ、「パン粉がくっつけばいいわけだから、水に溶かした片栗粉でもいいんじゃないか」という結論に達したわけです。
しかし、実際にそれでやってみると、確かにパン粉はちゃんとくっついて一見いい感じになったものの、揚げてみてからびっくり。なんと高温の油の中で、次々ところもがはがれてしまったのです。それで、卵は実は、揚げたときに固まってパン粉をしっかりと固定するのだなということをはじめて知りました。
……全くオチがないのですが、それが分かってうれしかったという話でした。料理はこれまで全く未知の分野だったので発見が多くて意外に面白いです。
ちなみに、中国的料理ネタで面白いのは、こっちには「野菜についている農薬を洗う洗剤」があること!中国は野菜によってはかなり農薬による汚染度が高いとのことでこのようなものがあるのですが、ケミカルをケミカルで洗うという発想で、果たして客がついてくるのかが不明です。
あと、こないだ家の前の餃子屋で餃子を頼んだところ、作ってる女の子が途中で手鼻をかみ、手についた鼻水を柱にこすりつけた後に、手を洗わずに餃子作りを再開したシーンに少なからぬショックを受けました。
雄生
(京都の愛犬"はる"。来月会うのがたのしみ。も)
最近なんかバタバタしていて、どうも更新が滞りがちになってしまってます。
気づいたらもう前回の更新から2週間!うーーーん、このごろ特に時間が経つのがなぜかホントに早い!
そうこうしているうちに昆明もあと1カ月半。そろそろ総括に入らなければという感じです。その後はまだ未定ですが、とりあえず1月半ばに二週間ほど日本に帰国して、その後は上海辺りに移住することを考えています。最近正直、昆明も飽き気味ですが、新たな町で一から新生活を開始するのもまた億劫だなあ~という気も。旅してたときと違って、一ヶ所に落ち着いて生活を始めると、そこになじんできて楽になるので、なかなか腰が重くなってしまいますね……。このごろは、また旅の生活を始めたいな、という気も強くなってきてます。
ところで、ぼくは最近はライターの仕事がちょこちょこと入り、それをできる限りやって金を稼ぐことに精を出しています。夏ごろに会員になった海外のライターの集まりから結構いくつも仕事の話が来るので、とても助かってます。書く媒体のジャンルも、これまで書いてきた硬派系のものじゃなくて、軽いタッチのものが多いので、自分にとっても新たな雰囲気の文章に挑戦する上でいい勉強になります。また、中国人のカメラマンと一緒に仕事をするということも経験し、それがなかなか楽しくてうれしい。
9月からは2ヶ月ほどかけて、あるノンフィクション賞に応募するために、原稿用紙330枚に及ぶ長編を書きました。一冊の本に相当する分量で、もちろん初めてそんな長いのを書いたのですが、本を書くとはどういうことか、というのがなんとなく肌で感じられたような気がしました。ま、入賞するのは厳しいとは思いますが、今回はとにかく一つ形にできたってことだけでもよかったなと思ってます。
この賞は賞金も結構高額だし大きな賞なので期待も少ないのですが、実は以前、もう少し小さめな紀行文の賞に応募していて、その賞はレベル的にも、送った原稿の出来ばえ的にも、何気にいけるんじゃないかと思っていたのですが、まんまと落選。しかも、直接発表を見たわけではなく、ある人のブログで、受賞の連絡がきた!っていう記述があったのを見つけて分かってしまったため、がっくりきて、1時間ぐらいはショックを受けてました(すぐ立ち直りましたが)。ちょっとまだ納得いってなかったりするのですが、そんなこといってても情けなくなるだけですね。
でもその原稿を無駄にしないために、なんとか他誌でのリベンジ掲載を狙いますが、そううまくはいかないだろうな、っていうのもホンネです(笑)。
日本を出てから2年半近くが経ち、その間それなりに書くことで金を稼いできはしたものの、やはりかなり貯金が減ってきて、最近は金銭面でのプレッシャーが結構でてきてます。金を稼ぐことと自分のやりたいことを両立するのは大変だなってことを実感しますし、物事そんなに思うようにはいかないな、っていう当たり前のことを肌で感じる毎日です。
30までに自分の方向性を明確にしたい、と思って26で日本を出たところ、すでにもうあと半年ちょっとで30になってしまう。。。
そんな今、ふとよく行くカフェに置いてあった小林紀晴の「アジアン・ジャパニーズ」を手にして読んでみたのですが、同じようなことをあれこれと考えながら右往左往している人たちの話だったので、タイミングいいな、って気がしました。
でも、そうやって迫り来る現実を見つめながら、今できることはなんだろう、と思って必死になるってのは、結果はどうあれ、結構楽しかったりするんだなってことも感じてます。
ま、コツコツがんばります。
雄生
一昨日の金曜日、またもや計画停電+停水が…。その日はたまたま授業がなく、9時半ごろに起きたら、電気がつかない!朝から電気がとまるときはだいたい計画停電。乾季で雨がほとんど降らなかった時期は2週間に一度木曜日と金曜日に停電だったけど、最近は雨季も終わったばかりでしかもこの間大雨がふったところ。なんで…?最近はとても寒くなってきて、家でもヒーターの前から離れられないのに、ストーブも使えず、トイレも真っ暗で、かろうじてソーラーパワー用の貯め水が出るばかり。そういうときは洗面器に水を入れてトイレを流すのですが、その瞬間、東南アジアで旅行していたときを思い出します。懐かしいけど、やっぱり不便。せめて事前に知らせてくれるといいのだけど…。ちなみに夕方5時には電気が戻りました。
さて、最近は昆明もめっきり寒くなってきています。年中春のような気候で、"春城"なんていう名前で呼ばれたりしますが、全然"春城"じゃない。実は昆明は昔は本当に春城だったらしいのですが、最近は異常気象の一環なのか、昆明も寒くなってきているそうです。その"春城"の名残で、マンションなどに暖房器具がついているところはほとんどなく、冬は家にいても、外にいるのと同じくらいとても寒い。友達から譲ってもらった電気ストーブのほかに、思わずもう一つストーブを購入。これで家にいても少し快適になりました。
学校の中間テストも終わり、今学期も後半に突入です。
最近は、雄生はライターの仕事がいくつか重なって、中国語はほったらかしでライター業に精を出しています。今回初めて中国人のカメラマンと一緒に仕事をすることになり、中国人との仕事のリズムが違うことを少々心配していましたが、カメラマンの彼は英語も話せ、仕事もとてもきちんとしてくれそうで、さらに腕もなかなかよさそう。気持ちよく仕事ができています。
一方素子は12月に中国語の検定テスト(HSK)を受けるため、準備をそろそろ始めています。中国に来て早9ヶ月。その割りに自分の単語量の少なさに驚愕しながら新単語を覚える毎日です。さすがに学生時代ほど効率よく暗記できず、三十路真近の現実を噛みしめているところです。
ところで、"勉強"という言葉、中国語にもあるのだけど、意味が日本と全く違い、"いやいやながら"とか"無理に"などという意味。そのことを先生に言うと、日本人は勉強がいやで仕方なかったから"勉強"という字を学習するという意味にあてたのかな、と言われました。
昆明生活もあと2ヶ月ほど。まさに光陰矢のごとし。あっという間に1年が過ぎ去ろうとしています。
一週間ぐらい前だったかに虫下しをやっと飲んだのですが、その後は何も出てこず。
実は親玉みたいなのがまだ残ってたりして虫下しを飲んでそれらがウジャウジャと出てきたらやだな~と思ってなかなか飲めずにいたので、あの二匹だけだったようでほっとしてます。
回虫事件があってから回虫のことをネットで調べてたら、サナダムシの写真が見つかりました。こっちは戦車のキャタピラを伸ばしたような感じで、回虫よりもぐっと迫力があります。しかももっと腸への食いつきが気合入ってて、腸を破ることもあるとかないとか(?)。そんなことを知ると、いやあ自分は回虫でよかったな、と少し幸せな気分になれました。
最近、中国のキムチに寄生虫がなんていうニュースが出ていたようなので、もしかしてそれだったかな。。。
雄生
バ美村とベトナムの写真が追加でできたので、写真だけアップします。
バ美村
(鳥をさばく宿の人たち)
(川で野菜を洗う。向こう岸近くでは子供が水遊び)
ベトナム
(マーケットで出会ったおばあちゃん)
(イメージ通り、ベトナムは色彩豊かなところだった)
ついに、中国生活もディープになってきたってことでしょうか。先日大便をしたあと流そうとしたときに、自分の目を疑いました。
なんと便の中にまぎれて、二匹の回虫が!
一見うどんのような感じだったので、「あれ麺かな?」なんて思って(麺がそのまま出てくるわけはないのだけど)、顔を寄せてみると明らかに動いている!体長10センチほどと思われるもので、一匹は生きていてニョロニョロと動き、もう一匹は大腸で窒息でもしたのか、死んでました。
昆明の友人(日本人)が以前回虫が出てきた、という話をしていたのですが、まさか自分からも出てくるとは全く予想外。。まるで昭和初期の話のよう。でも、中国ではまだ普通にいるのかな~なんて思っていると、中国人の友人たちもみな驚いていたので、どうも中国でも都会ではすでに珍しいらしいです。
虫下しを飲まないとと思いながらもまだ飲んでなく、うかうかしてるともっと大きなのが口から出てくるんじゃないかと少しビビってます。ちなみに素子は出てませんが、ほとんど同じものを食べているので、虫下しを飲んだらでてくるかも。。。
写真はあまりに気持ち悪いので(写っているのが虫だけじゃないので)、省略。
雄生
最近少し更新が滞り気味になってしまってます。何気に少し忙しくしてたり。。。
前から昆明で仲良くしてた日本人の友達が、今日久々に日本からこっちに戻ってきて、うれしい再会。夏をさかいに仲よかった友達が結構いろんなところにちらばってしまったので今学期は少し寂しく過ごしてます。
こないだ昆明に来てくれた友人・中野さんの影響で、iPodをほしいなあ~と思うようになりました。昆明にも最新の機種もちゃんと売ってるので(値段は日本と同じくらいらしい)、余裕があれば(って、ないんだけど)一つ買ってもいいのですが、そうなると保証とかがどうなるのかな、というのが気になるところ。しかし、やっぱり日本はいろいろと進んでるようで、久々に日本からの情報を聞くと、久々に帰ってみたいなあという気持ちが高まります。
あと最近気になるのは円相場。7月の人民元切り上げに加え、このごろの円安傾向でちょっと困ってます。毎日ネットでレートをチェック。すでにこっちに来たときとは一割以上も変わってしまいました。うーーん、厳しい。。。
ベトナムについてはまた。
ちょっと宣伝になりますが、
チベット文化圏の旅<その3 四川省編①>に書いた、ヒマラヤを歩いて越えるチベット人について、月刊「自然と人間」10月号のぼくの連載の中で書いたので、興味のある方はご覧いただければ幸いです。
雄生
チベットの旅の報告が終わったばかりですが、また明日から小旅行に行ってきます。中国は10月1日から一週間、国慶節で休み。それにあわせて日本から友達が遊びに来てくれていて、彼女と三人で雲南省南部の秘境(?)に行きます。
バ美(バーメイ、「バ」は土へんに貝)村というのが目的地で、そこは洞窟を船で抜けた向こうにある小さな村とのこと。
国慶節は、どこも中国人観光客であふれかえるようなので、メジャーどこは避けて、この場所に。まだ来る人も少ないようで、なかなかいい雰囲気が期待されます。
詳細はまた帰ってきてから。。。
以下写真(↓)は、今日、昆明でのもの。
(浪人時代から10年来の雄生の友達、中野さん。漢方薬局で、気管支にいい薬はないかと聞いてみると、早速診察され、気管支が炎症を起こしていると言われ、大量の薬を調合される。脈を取って舌を見ただけで分かるのかと、知識のない私たちは非常に不思議がる。「今は、別に気管支悪くないのに……」と中野さん)
(街の中心街で按摩。ここにいた按摩師はみな目が見えない人たち。二人ともこの後、よい眠気に襲われ、確かにいい効果があったよう)
先週の土曜日、昆明でおそらく初めての、中国で就職を考えている日本人向けの就職セミナーがありました。主催者は、日本の大手就職斡旋会社の上海、広州支社。私たちは何気に来年上海あたりで仕事をしてお金を稼ごうなどとも目論んでいるので、参加してみました。
久々の日本的雰囲気。面接受ける場合「白の靴下ではダメだ」とか「スーツの中のシャツは半そではダメだ」などの話を聞き、非常に新鮮に聞こえてしまう。昆明ではネクタイをした人すらおそらく半年で一度見たか見ないかなので、ほんとにそんな細かいところが関係あるのか、とびっくりさせられました。そして、びっくりしている自分に気づきながら「中国に留学している人の弱みは、(日本的な)社会人としてのマナーや常識が欠けがちなこと」という指摘に非常に納得させられました。
その後二人とも個人面談に参加。素子は、これまでの仕事経験を生かせば、結構すぐに見つかりそうな雰囲気。また、できればルポライターだけでやっていきたいぼくは、日本人駐在員の子供を相手に(日本の)受験勉強を教えるような塾の講師のアルバイトなんかが上海などであればいいかも、と相談してみると、そんな仕事を探している人事態ほとんどいないらしく、需要があるのかは不明。ただ、上海なんかでは大学で日本語を教えると結構悪くない給料がもらえるようで、そういう口があれば受験産業の片棒を担ぐよりはいいかな、と思ってます。
今回のセミナーは昆明ではなかなかの高級ホテルが会場となりました。で、セミナーのために広州からやってきたこの斡旋会社の男性と立ち話をしているときに、「このホテルが昆明では一番高級なんですか」と聞かれたのですが、そのとき彼の意味するところが、<昆明もなかなかいいホテルがあるんですね>ということかと勘違いし、思わず「これは二番目なんですよ。もっといいのがもう一つあります。昆明もなかなかあなどれませんよ!」といってしまいました。
すると、実は彼は、そのホテルがあまりに大したことないため、「これで高級ホテルなんですか。。。」という意味で言っていることに気づき、すごいカルチャーショックを感じました。自分が完全に田舎モンになってしまったことを実感。果たして上海でやっていけるのか。。。
雄生
昨日は(っていってもまだ夜中なので今日ですが)、中秋節でした。いわゆる中秋の名月うんぬんってやつですが、中国ではこれが意外にもかなり大きな祭りの日で、夜は花火が上がったり、店が結構休みだったり、という感じです。
そして、月餅(げっぺい)を食べる。学校からも一人ずつ月餅が配られるという念の入りよう。あまり美味くないのが残念ですが(中村屋の月餅食べたいなあ~)。
さらに9月18日は、1931年の柳条湖事件の日であり、中国にとっては大きな記念日になっているようです。午前中には、それを記念する警報が町中に鳴り響きました。
昨日から学校が再開。友人が他の学校に移っていなくなっていたり、新しい人がいたりと、新学期ムードです。
今学期は、前学期の準初級から3レベルほど上げて、中級クラスに入る予定。でも今学期から各クラスのレベルが一段回ずつ下がっているらしいので、まあこんなもんでしょうか。。ちなみに昨日授業を見学してみた準中級クラスにいた日本人が、このブログを通して私たちのことを知っていたのにびっくり。会うなり、「もしかして……?」と言われ、驚く。
また数日以内には、旅の続きをアップします。
今日いよいよ昆明を出発。ということで、昨日いろいろとその準備をしていたのですが、なんと夜家に帰ってネットを見ると、人民元切り上げのニュースが!
最近、私たちの周りの日本人の間でも「いつ人民元が切り上げられるか」と「どこまで円安が続くのか」は、かなりよく出る話題。といっても全くのシロートしかいないので「どーなんのかな?」と騒いでるだけですが、お金のない中国在住の外国人旅行者にはかなり切実な問題。
たとえば、私たちは今基本的にほぼすべての貯金をシティバンクの口座に日本円で持っているため、中国の銀行でお金を引き出す時は、日本円⇒米ドル⇒中国人民元というコースをたどってその日のレートで換金されます。最近の円安・ドル高傾向は、「円⇒米ドル」のレートを悪くし、そして人民元が切り上げられれば「ドル⇒人民元」の比率が悪くなるので、日本円保持者にはとっては、両方ともつらい条件なわけです。
というわけで昨日(まだ人民元切り上げが起きる前)、旅行の資金として日本円の口座から引き出すのをやめ、手元に手付かずのままで残っていたタイで作った米ドルのトラベラーズチェックを人民元に換金することに。というのは、人民元の切り上げがいつ起こるか分からないため、今のうちに米ドルは人民元にしておくのが得策だし、また切り上げが行われればもちろん日本円から人民元のレートも悪くなるものの、日本円はもうちょっと円高になるのを待った方が得だと思ったため。
そして、昨日米ドルT/C1000ドルを人民元に換金したら、なんとその数時間後に切り上げが実施されたとのことで、びっくりするとともに、「いやあ、よかった~」となんだかちょっと得した気分に。その上、なんとその影響でいきなり3円も円高になったという話も聞き、昨日シティバンクから金をおろさなかったことにまた小さな喜びを感じるのでありました。
またさらなる切り上げが起こるかもしれないし、円高がいつ元に戻るのかも分からないし(もちろんさらに円高になるかもしれないのですが…)、とりあえず今日昆明を出ないといけないので、出発前にさらにもうちょっと日本円を人民元に変える予定。
とまあ、国際経済の動きにビクビクしながら日々暮らしています。
今日は、バスに13時間ほど乗ってシャングリラという標高3200mぐらいの町まで行きます。そしてそれからチベット自治区をかすめるようにして、雲南省から四川省のチベット文化圏を少しずつ北上していきます。標高4000とか5000mの、また全く違った中国の姿を見るのが楽しみです。
もう一つの楽しみは、東ティモールで出会い、また去年の終わりに中国の広州で再開したスェーデン人のヨハンとまた再開できることです。日本にしばらくいたのですが、たまたま雲南を旅行しに来るとのことで、シャングリラまで一緒に旅行することにしました。彼は今、広州から昆明の電車の中にいるはずで、昆明に着くやいなや13時間のバスの旅なのでちょっとかわいそうな気もしますが…。
しばらく更新できなくなるかもしれません(最大一ヶ月ぐらい)が、ネットにつなげる場所があればできるだけ更新する予定なので、たまに見てみてください。
学校が休みに入ったものの、今はビザの更新待ちで、昆明にいます。おそらく今週末ぐらいには、旅立てる予定。雲南省のシャングリラ、というところから、時間や交通の都合を見て、雲南省内を旅行、またはチベットのラサ、または四川省のどこかへと動く予定です。
さて、ビザの更新に当たって身体検査に行ってきました。身体検査などしばらくしてなく、また二人とも一時期結構頻繁に体調を崩していたため、いい機会だと思い、やってきました。
ところが、その検査が実にテキトー。日本的感覚で、病院で身体検査なんていったら一日仕事だな~、なんて思っていたのに、実際は非常に早いんです(ちなみに、血液検査、心電図、X線もある結構本格的なもの、のはず)。
混んでたら嫌だなと思い、朝早く行ったものの、ほとんど人もいなく、お金(233元、約3000円)を払って書類をもらったら、好きなところから検査を始められました。とりあえずまず、目の前にあった内科だったかに入ると、ガランとした部屋に白衣をきたおばちゃんが一人ぽつんと座ってヒマそうに新聞を読んでる。私たちに気づくと、ダルそうに視力検査を開始。まず、手前に座った雄生に対し、色盲検査の本のちょうど机に開いてあったページを指差して、「この数字は?」と質問。その見開きのページを終えると、いきなり後方に座っていた素子に、上、下、とかのいわゆる視力検査。その次、雄生への視力検査となりますが、片目はほとんど見えないため、かなり大きめのEすらも読めないと、「まだ見えないのか?」とびっくりされる。あまりどれも見えないというと、なんかいろいろ言われそうな気もしたので、最後の方は目を細めて、連続正答。「やっと分かったか」と言った感じで、検査終了。そして、鼻や喉(?)などの検査項目は、すべて自己申告制!「没問題(メイウォンティ)」と言うと、すべて「正常」となりました。しかも、色盲の検査は素子にはなかったのに、「正常」のはんこが…。
身長・体重は、また別の部屋で、服も靴もすべて着たままでおばちゃんが測る。一応それっぽかったのは、心電図と血液検査。それは両方ともちゃんとやってる風。でも血液検査は、白血球の数、とかそういう欄が沢山あるのにも関わらず、そこはすべて空白のままで、ポンと「正常」と書かれておしまいだったのは、気になりましたが……。
そして、一番怪しげだったのが、X線。これまでX線といえば、上半身裸になり、装置の中であごを引いて姿勢を整えて、息を止めて、……「ガッチャン」、といかにも写真を撮ったという感じだったのに、なんと、今回のX線は、服もそのままで大きな装置の前に立つと、目の前にあるセンサーのようなのが、「ウィーン、ウィーン」とチョロチョロと動き出す。そして、今、位置を合わせたりしてるのかな、と思ったら、なんとそこで医者の声が。
「完了(ワンラ)」と、一言。
それで終了でした。全然何をやっているのか分からず、もちろんそれも「正常」マークが付けられて終わり……。
全く検査をしたという実感が沸かないまま、一時間もかからないぐらいで終わってしまいました。
一つ喜ばしかったと思ったのは、いつもかなりの高血圧をマークしてしまう(いつも上は140を下らない。最高は160台だったことも……)雄生の血圧がなんと、上122下76という正常値をマーク!やっぱり昆明での生活はストレスレスで野菜も沢山とってるからかなあ、などとうれしい気分に浸っていたのですが、どうもこれは気圧が低い高地のせいじゃないか、という結論に。というのは、素子も通常よりかなり低い値が出てたからです。昆明で、あの値ということは、やっぱり、血圧も変わってないのかなあ、と少し残念に……。
久々の更新になってしまいました。
それはなんと今日まで「期末試験」(懐かしい響き!)だったから。。。というのは、あまり関係ないのですが、とりあえず今日、試験修了。
听力(ティンリー⇒ヒアリング)、口語(コウユー)、総合の三科目で、結果がどうでもいいため気合は入らないものの、それでも試験が終わるっていうのは、15年ほど前のあの喜びをまた思い出させてくれるものでもあります。ちなみに結果はどうでもいいとはいえ、成績優秀者(授業態度込みだとか…)にはなんと賞金が出ます。2500円ぐらいですが、これは昆明では結構な金額。
さて、というわけで明日最後の授業を終えると夏休み。私たちはチベットに行く予定だと、ここにも大々的に書いてしまいましたが、ビザの更新に予想以上に時間がかかってしまい、どうもチベットまでは行けそうもなくなってしまいました。残念ながら。で、少し近場にして雲南省内を見て回ることになりそうです。そしてもし時間的に可能であれば、途中からバスで(チベットの)ラサまで……ということもあり得る、といった感じです。
今住んでる部屋がそろそろ満期で、先日あと半年分の部屋代を払いました(中国は一括払い!)。部屋の持ち主は警察官でいい人なのですが、壊れたところを直す直すといいながら、忘れっぽいせいか、なかなかやってくれないので、更新時にちょっと駆け引きしよう、と考えて、「(壊れている)換気扇を直してくれたら、あと半年分の金を払う」と言ってみたら、逆に、「出て行く予定はないのか?」と言われてしまいました。「ぼくたちもこの部屋に住みたいんだ」と。非常に意外な展開で、あわてて姿勢を改めて、さっさとお金を払ってしまいました。ああいう作戦だったのかなあ……と思いながらも。
いろいろと出費の多い時期で辛いですが、しかし日本的に考えたらほんとにわずかな金額で暮らしているということも実感させられます。
最近何度か登場している、昆明が誇るナイスカフェ「サルバドール」の日本人オーナー尚子さんと旦那さん(アメリカ人)の二人の生活が、このあいだ雲南テレビで20分ぐらいのドキュメンタリー番組として放映されました。しかも、中国全土で放映されたとか(?)。そこでたまたまカフェでお茶をしていた私たちもテレビにうつりました。そして、中国医学の医者としての尚子さんと旦那さんの姿を紹介する場面で、患者役として雄生が登場。
もちろんこのときの尚子さんとの会話は中国語で、がんばっていろいろ話したのですが、実際オンエアに使われたのはほんの一部……。まぁこんなもんですよね。
(これは尚子さんとその旦那さんのジョシュ)
これが以前書いたバオジャン豆腐。豆腐なのに、焼くと餅のようにプクーッと膨れ上がり、中がドロドロと出てきたりする。食感はちょっとシュークリームみたい?これを写真の辛いタレにつけて食べる。なかなかイケます。
こっちは臭(チョウ)豆腐。台湾で食べたのは、名前の通りホントに臭いけど、昆明のは臭くない。でも特においしくもないです。
ちなみに食べているのは、こんな場所。
学校もあと少しで、早くチベット行きの詳細や来学期に行く学校などを決めないといけないのですが、なかなか決まらないうちに7月突入。日本語教師の件も、なぜかちょっと連絡が滞っていて、どうなることやら。
いろんなことがなかなか先に進みません。しかし時間ばかりが経っていく……。
(下記の文章とは全く関係ありませんが、今日見に行ってきた「抗日戦争勝利60周年記念展覧会」(昆明市博物館)で見つけた写真。下に1945年8月15日東京で無条件降伏の宣言を読み上げる日本天皇といったキャプションがあります。ということは、これは玉音放送を読む天皇か?という疑問が沸いたのですが(そんなわけない、とも思いながら…)、こんな写真は見たことがなく、なんだか分かりませんでした。どいう状況の写真なのか、誰かご存知の方がいたら教えてください!)
日本語を教えたいなあ(雄生)~と職を模索し始めて数日後に、友人から、語学学校を経営する中国系アメリカ人を紹介してもらい、すんなりと話が決まりました。
おそらく来週から始まる予定。中国人の若者7人ぐらいが相手で、久々の塾講気分(日本では6年の経験あり)。結局手っ取り早い仕事というと、これ系になってしまいますが、今回は中国語を使いながら教えるという新しい経験になるので、楽しみです。中国で働くのも初めてだし。ちなみに時給800円程度(60元)。日本感覚でいうと、高校生のアルバイトみたいですが、ここではなかなかの額。昆明で中国人学生が一日のバイトで稼ぐのは、30元程度だということなので(つまり時給は4元=50円ぐらい!?)。
とはいっても教える時間も短いので、大した額にはなりませんが。。。
また、上の仕事を見つける一方、日本語家庭教師をするために、ビラを作り、最近町のカフェに張りまくりました。中国人の友人にはちょっと高いんじゃないか、とか言われたものの、早速2件ほど連絡あり。
が、なんと一つは携帯メールへの連絡で、内容は以下:
「日本語習いたいやつなんているか!むかつくぜ、全く!おれたちを汚すな(直訳)!」
もしかしたら、こういうのもあるかなって思ってはいたものの、実際に来ると、ちょっとショックだったり…。そして、このメールが来たホントに直後に中国人から、日本語を習いたい、と電話あり。電話を受けたときは、もしかしたら同じやつか?と思ったものの、電話番号が違うし、真剣にいろいろと聞いてくるので、次の日に待ち合わせ。
次の日、いたずらかもなあ、と思って待ち合わせ場所に行ってみると、いない。30分待っても来ないのでもう帰ろうとしたところ(相手は携帯を持ってなく連絡できなかった)、その場所から数百メートルぐらい離れたところで電話がかかってきた。どこにいるんだ?と。このタイミングのよさに(どっかから笑って見てたんじゃないか)またまた疑う気持ちが強くなる。しかし、行ってみると、少し離れた場所に彼がいた。ちょっとヤンキー風なクールな感じの若者。全体的にボウズなのに前髪だけがかなり長い、いわゆるサイコカットだった。
いろいろな偶然が重なった上にその風貌も助けて、ちょっと警戒していると、会って3分もしないうちに、「ちょっとここで待っててくれ。ちょっと買い物してすぐに戻ってくるから」といって、いきなり人ごみに消えてしまった!
これはほんとに怪しいんじゃないかと、怖い連中が数人でやってくるんじゃないかと、マジで警戒し始めて、友達に連絡し場所を変えて様子を見ていると、5分ぐらいして、一人で戻ってきた。あれ?といった感じで、ぼくを探している彼のもとにいって、様子をさぐりながら近くのカフェまで歩き始めました。すると、なんと…………
実は普通の高校生で、日本の芸能人マニアであることが判明。初めは無口だったものの、途中から「滝沢秀明を生で見たことがあるか?」とか、「ぼくはW-indsの誰々が好きだ、山下智久(?)はどうだ?」とか「渋谷に行きたい、ジャニーズ事務所に行きたい」と、思いっきりミーハーネタで盛り上がってしまった。しかもぼくはあまりついていけず。
そして、最後にはほんとに真剣に日本語をやりたいという気持ちが伝わってきたのです。結局話はまとまらなかったものの、真剣に日本の芸能界入り(は言い過ぎ)を考えている様子のとてもいい少年でした。
たまに先のメールのような変なこともあるものの、基本的に昆明の人は穏やかでいい人が多いのです。
雄生
チベット行きの話が出てきてから、情報を集めていたのですが、どうもここから陸路で入るのはとても大変そうとのことで、一気に飛行機で飛んでしまうことにしました。その飛行機代もですが、チベットの旅行は何かとお金がかかりそうで、ちょっと心配しています。それに今後のこともあるし。ここ数日でアルバイトの口を捜しているのですが、語学学校で日本語を教える(雄生)、知り合いのつてで日英の翻訳をする(雄生・素子)というのが候補に挙がっています。これでちょっとでも生活費のたしになればな。。
さて、ちょっと前の話になりますが、週末にクラスメートのベトナム人のうちに行ってきました。ベトナム料理を振舞ってくれ、
(ベトナムの魚料理。こっちではあまり魚を食べていなかったので久々)
(作ったのは彼女。中国医学を学ぶフィアンセのベトナム人と一緒に暮らす)
その次の週末には、クラスメートの日本人のうちに彼ら+担任の先生を招いて日本食をご馳走しました。
(中央の年配の日本人のクラスメートがイカの握りなどを振舞ってくれた。お寿司もほんとに久しぶり。中国人はマメの煮物が好き、と聞いて私たちも作っていったのですが、あまり人気なかったです。どうもひじきが気持ち悪いらしい)
今度はベトナム人がベトナムコーヒーを作ってくれるそう。
また別の日には新疆ウイグル自治区のお料理を食べに行きました。羊肉中心のスパイスの利いたこってり系のお料理でした。本場で食べるともっとおいしいらしいです。
(新疆風ピザという感じ。闘犬の帰りにこの店に。もちろんこれは犬ではなく羊)
(前に紹介したヤンメイ。日本にもある(日本名:ヤマモモ)と指摘されましたが、見かける機会は少ないのでは?)
2003年に日本を出て、今日で丸二年。月並みのセリフながら、あっという間に過ぎてしまいました。去年の後半は旅に疲れて、何か新しいものを見たいという欲求がほとんどないような状況でしたが、昆明で落ち着いた生活をして5ヶ月弱、だんだん旅欲が戻ってきて、7月半ばからの夏休みにはチベットへ旅行に行ければと考えています。
2年間、オーストラリアから中国にかけて、様々な人に出会い、様々なものを見ることができました。時間の面での制約はほとんどありませんでしたが、やはりいつも悩まされるのはお金の問題。財布を気にしながらの旅は色々な部分で制約があり、食事、宿、交通手段などなど常に気を使っての旅でした。ただそれも悪い面ばかりではなく、安宿のおばさんや良く行く安食堂では"また来てね~"と言って送りだしてくれるし、ローカルなバスやトラックでの移動は現地の人たちとの交流もできる。よく考えたらそういう人びととの交流が旅の醍醐味だということを改めて感じさせれたりもします。7月からの久々の旅行を二人ともとても楽しみにしています。
学校は7月に入ると期末試験です。休み前にもう一踏ん張りです!
(日本を出て1日2日くらいのシドニーでの写真。2003年6月下旬)
更新しないまま一週間が経ってしまいました。が、元気にやってます。
昨日、初めて「闘犬」を見に行きました。二匹の犬が檻のようなリングの上で血だらけになって闘うというものです。
場所は昆明にいくつかある花鳥市場(動物や花などが売っている大きなマーケット)の一つ。そこにはかわいい犬がたくさん売られているのですが、なんとその中の一つの建物の二階に上がると、鉄格子の中のリングが……。そして中にはゴツイ一匹の犬が、半ば狂乱状態とも見えるような雰囲気で吠え、歩き、放尿しているのです。風邪を引いているのか、ひどい鼻水をたらしながら、リング上で所かまわず放尿している姿は、かなり哀れなものがありました。
(試合が始まる前、孤独に檻の中から外を見つめる犬)
数十分も待っていると試合開始。なぜか上記のヘビー級犬は今日は闘わなかったのですが、他の二頭の犬がリングへ。
(試合開始前、すでにかなりの緊張状態)
(そして開始!)
開始前から犬は相当の興奮状態で、ゴングと同時に相手に向かって突っ走って齧り付く……。同種のオスとメスの闘いのようで(上の写真とは違う試合。次の写真の二匹)、はじめ試合中どちらがどちらかが見分けがつかなかったものの、途中からそれぞれの傷によって相手が分かるようになってきました。鼻と目の間の部分をずっとかまれ続け、顔全体が血で真っ赤に染まっているのがメス。片足をずっとかみ続けられて、今にも足が折れるではないかという状態だったのがオス。
(死闘を繰り広げるオスとメス)
両犬ともの後ろに飼い主なのか主催者なのか人間が立って、犬をけしかけとにかく激しく戦わせる。ラウンドが終わるごとに、人間が犬同士を引き離してコーナーに戻し、体を水で拭くのですが、大量の血が滴り落ちるその光景はとても残酷で見ていられなかった。
3ラウンドぐらいまで行い、無念の敗退(だと思う)を喫したのはオス。両者血だらけになりながらも、興奮さめやらぬ状態で動き回る姿を見て、犬のタフさを実感するとともに、犬が非常に不憫に思えました……。
(試合が終わった後、外に連れて行かれたオスをいつまでもにらみつけるメス)
中国でこの闘犬が各地で行われているのかどうかは知りませんが、初めて見る目を覆いたくなるような光景にただ呆然としてしまいました。
(ギャラリーの人々。二試合ほど見るのに10元(約130円))
インドネシア・バリでは1度「闘鶏」を見ましたが、それも非常にインパクトが強かったです。そこでは、足にナイフをつけた2羽の軍鶏が片方を殺すまで行われていました。そしてそのすぐ横で、焼き鳥が売っている……(負けたニワトリがその場で食べられてしまっている様子)。私たち日本人にとって犬はペットという意識が強いため、犬同士の闘いをみて、最近見た「スパルタクス」という映画(最近の映画でいうとグラディエーター。人間同士を闘わせる)を思い出してしまった…。インドネシアなどでは犬は家畜以下の扱いを受けていたし、これも文化の違いなのか……。でも日本でも土佐犬の闘犬があると友達が言っていたのですが、ほんとなんでしょうか?
(一方、リングから階段を下りたすぐの所では、こんなかわいい子犬が売っている……)
今から一時間ほど前、財布に銀行のキャッシュカードがないことに気づきました(雄生)!
あれ?と考えてみると、なんと今日の朝ベトナム人の友人宅に行く前に急いで銀行でお金を下ろしたとき、カードを取り忘れていたらしいことが判明!出てきたお金をパッと数えた後、明細もカードも取り出さすに、そのままATMを離れる自分の映像が鮮明に浮かんでしまい、久々にかなり真っ青になりました。あの状態だとおそらく「まだ取引しますか?」とかいう表示が出ていて、「はい」とすれば、暗証番号を入れなくても(中国の銀行はそうらしい)金が下ろせてしまう状態だったはずなので……。
それでさっき、もう半日もそのままだったのである程度下ろされていることは覚悟の上、とにかくカードを止めてもらうべく、すぐに外に行って日本に電話できる場所を探しました(持っている携帯からは国際電話はかけられない。また、昆明では、携帯は普及しているものの、いまだに電話屋さんで電話をかけるという世界)。
しかし国際電話は「IP電話」のある電話屋さんにいかないといけないという話で、しかも知ってる「IP」の店はすでに閉まってるとのこと。
他の友人にかけてみると、あるカードを買えば、大学の宿舎から国際電話がかけられるというので、そのカードを探しだしたところ、近くの店で「そのカードはないけど、ここから国際電話かけられるよ」と言われ、感激!
かけたらすぐにつながって、すぐにカードを止めてもらって、「今日どれぐらい引き落とされているか分かりますか?」と聞くと、数分後、
「今日下ろされたのは……、今から12時間ほど前に、現地通貨で1500……」
1500元(≒2万円)。それは朝自分が下ろした金額でした。いやあ、ほっとしました。。
日本を出てから2年間、こんな不注意なことはなかったので、最近は気が緩んでるのかな……。毎日学校に通いながらもなんとなく過ごしてしまっている日々なので、これを機に生活に喝を入れようかと思います。いい薬でした。
今日、いつもどおりリスニングの授業に出たときのできごと。
まず先生からベトナム人の学生に、最近まじめに勉強しない(授業に出ないなど)ベトナム人学生が多く、それゆえ学校でのベトナム人全体に対する評価が下がっているとの話が。同国人同士助け合ってみんなで授業にでるようにがんばってみなさい、と。
そして、今度はなぜか日本人である私たちにむかって、日本人にも問題がある、という話に。何かな、と思ったらいきなり「歴史に対する認識の問題だ」といわれ、ちょっとびっくり。日本人の歴史観が学校の授業とどう関係あるのかわからないまま(どちらかというと議論をふっかけられた感がある)、1時間まるまる日中関係の話になりました。
主な話は日本政府の態度、それと歴史をあまり知らない、または議論を避けようとする日本人学生の態度、それが納得いかないという感じでした。1時間、話はいろんな内容に渡り、また、私たちのつたない中国語がうまく伝わったのかどうかわかりませんが、一中国人との意見交換として有意義でした。実はかなり激論になり、お互い納得できないまま時間切れという感じでしたが、いろいろと考えさせられた1時間でした。本当は議論の詳細もここに書きたいのですが、今日はうまくまとめられそうにないので、またの機会にということにします。
ただ、他の生徒たちほったらかしで授業中に授業と関係ない話を一時間してしまったのにはちょっと気が引けましたが。。。みんな自習したり、カップル同士いちゃつき始めたり。その後、次の授業の先生が「なんかすごい議論してたねー」と笑顔で入ってきてくれたときには少しほっとしてしまいました。
雲南省は、気候や立地の関係で果物が豊富です。特に今の時期は、種類も増えて値段も安くなってきているので、最近は、冷蔵庫にはいつも何かしら果物が入っています。
マンゴ、桃、マンゴスチン、ライチ、スイカ、パイナップル、ドリアンも少々……。ここ最近はマンゴが安くなってきて、1キロ50円くらい。スイカは1キロ13円くらいから買えます。最近はさくらんぼも見かけますが、さくらんぼはとても高価で20粒ほどで150円もしてしまった。そして、中国に来て初めて見た果物、ヤンメイ。赤い大粒のマリモみたいな果物で、中に小ぶりの種が一つ入っている。あれはなんだろう、とずっと不思議に思っていたのですが、この前中国人のうちに行ったときに初めて食べてみると、すごくおいしかった。食感はちょっとスポンジみたい。味はさくらんぼとプラムの中間みたいな感じで、甘酸っぱくて割とあっさりしている。最近は路上の果物うりのおばさん達がこぞってヤンメイを売り歩いています。写真がないのが残念ですが、今度機会があったら載せます。
果物といえば、中国ではプチトマトを果物として食べるんです。日本人の感覚だとトマトは野菜なのに・・・。台湾でレストランに行ったとき、デザートにプチトマトが出てきたのにまずびっくり。あと、昆明でも不動産屋さんに用事があったときに出てきたおやつがプチトマト。不思議な感じです。
(マンゴスチン。インドネシアで食べて以来、一番好きな果物)
(ライチ)
(マンゴ。最近よく食べる)
(30日午後7時頃の空。部屋のベランダから。この写真はちょっと明るくなるように加工してますが、実際に最近は8時すぎまで日が落ちない。昨日、今日の午前と久々に雨が降り、ちょっと涼しくなって気持ちがいい)
今年の昆明は、30年来のとても乾燥した気候とのことで、いつもなら5月ごろからぼちぼち雨が降り出すらしいのに、今年はほんとに雨が少なくて困る、と現地の人は口々に言っています。私たちとしてはその方がうれしいと思っていたのですが、ところが先週末になって、水不足が深刻らしいとの掲示がマンションに張られ、いきなり二日連続で私たちの住む地域が計画停電(中国は水力発電に電力の多くを頼るため、水不足だと電気がなくなる、ということなはず)に。朝9時から夜7時まで電気が使えなくなり、しかもそのためマンション内の水の汲み上げもストップするため、水も使えない。太陽熱によって温められてマンションの屋上に貯めてある温水のみは出るものの、それはほぼ熱湯なため、熱すぎて使えない(普段はこれに水を混ぜて適温にして使ってる)。
とまあ、このまま水不足が続くのは明らかに問題。そして中国ではそういう場合になんと「人工降雨」というのが結構使われるらしいのです。空に何か薬品をまいて人工的に雨を降らせる。技術的にそういうことができる、というのはなんとなく聞いていた気がしますが、実際に中国でそれを使ってるとは知らなくて、びっくりしました。
中国では農薬の使い方も激しいので、人工降雨というのもなんか体に害があるのではないかと危惧してしまいます……。
ですが、昨日は久々に大雨(スコールのような大雨)、そして今日の午前中も結構雨が降ってくれてほっとしました。気温もちょっと下がって過ごしやすくなったし(とはいっても、暑さはそれほど大したことはないのですが、現地の人は日本人に比べて暑さには慣れていないようで、今の暑さは我慢ならないといった様子。友達と昼間に待ち合わせをすると、大抵いやがられる。ちなみに気温は30度前後で乾燥してる)。
そろそる雨季に入るじゃないかと思います。降ったり晴れたりの日が3ヶ月ほど続くようなのですが、それにあわせて松茸も一番美味しくなるので、楽しみです。
ところで、元日本兵の話はだんだん怪しくなってきてしまってますね……。今後の展開は気になりますが、突然マスコミなどが盛り上がってしまっただけという感も否めません。
フィリピンに元日本兵がいるかもしれない、という情報にすごく興味を覚えています。というのも、昨年タイ・メーソットで二人の残留日本兵と出会い、また、タイ・メーホーンソンでは元日本兵の家族(現地人。本人は故人)にも会ったからです(詳細は、以下:タイの二人の残留日本兵、タイの故残留日本兵の家族の写真・説明)。
フィリピンにはまだ数十人の元日本兵がいるかもしれない、という報道もされていますが、それもあり得る話だな、という気がします。以前はタイにも随分と残留日本兵がおり(30年前に今村昌平が彼らについてのドキュメンタリーを撮っています。最近DVDで発売)、現在は私たちが会った二人を含め三人が暮らしているとのことですし、ビルマ(ミャンマー)にもまだ生存者がいると聞いたような。またインドネシアでも、戦後インドネシアの独立戦争に参加するために多数の日本兵が残って戦ったというのもよく聞く話です。
私たちがタイ・メーホーンソンで会った元日本兵の家族(妻・息子・孫に会った)によれば、その元日本兵(ビルマのカレニ族の独立戦争に参加)も戦後日本政府とは連絡を取ってはいなく、6年ほど前に亡くなっていますが、状況としては今回のフィリピンの人たちと似ているようにも思います。そのタイの元日本兵がほとんど存在を知られぬまま亡くなっていったように、他にもそんな人は結構いたのではないかなという気がします。ただ、今村昌平ドキュメンタリーの中にもあるように、日本政府が以前からそういう未帰還者の存在を公式に認めたがらないため、なかなか話が進まないのでは。。。
今、突然メディアで盛り上がっているものの、これまではそのような存在に気づきながらも日本が彼らを見捨ててきたという側面があるのも見逃せないように思います。
(最近は晴れの日が続いている。例年はすでに雨季に入っているはずなのに今年はひどく乾燥してて雨が異常に少ないらしい。6月以降はもっと雨季っぽくなるらしく、だから昆明は5月が一番暑い時期だとのこと)
今日また中国人の友達二人に連れられて、新たな食べ物に挑戦。
豆腐の網焼き料理。バオジャン豆腐とかいう食べ物。網の上で生の豆腐を焼くと、皮がぱりぱり、中がとろとろに。噛むと、プチ、トロ~の食感でとてもおいしい。彼女たちは週一回は食べているそう。ただ、注文する量が半端ではなく、4人で100個も頼むから食べきるのが大変でした。はじめはとても美味しかったのに、途中で少しうんざり。みんなで80個ぐらい食べて少々気持ち悪くなってしまった……。今日は豆腐を食べにいこうといわれたけど、ほんとに豆腐だけでした。
でもその後、デザートということで別の店で食べたのが、米布(ミーブ)。中国版カスタードクリーム、といったところか(でも色は真っ白)。それを小さな土鍋にいっぱい入れてスプーンで食べる。なかなかイケました。
バオジャン豆腐、米布ともに、写真を撮らなかったのが残念!
あと、今日は友達にすべてごちそうになったのですが、何度か「謝謝」といっていたら、中国人はあまり友達に「謝謝」と言われるのを好まない、と言われてしまいました。友人同士ではあまり言いすぎない方がいいのかも。
確かにこれまで台湾でも昆明でも、ごちそうされても中国人はあまり「ありがとう」といわないという印象がありますが、その代わりちゃんと別の機会にごちそうをしてくれる。それがより中国式のお礼の示し方なのかな、となんか納得。
(仕事の合間にトランプに興じる町の人。中国人とトランプというのはちょっと意外な気がしましたが、街なか、カフェでも多くの人がやってます。食堂で鍋を囲みながら、という姿も見かけます。また、あるカフェには「トランプ禁止」の表示があったり。もちろん、麻雀をやってる人も多数)
最近の自分のライター活動は、チャンスが増えてきたようでなかなか話が進展せず、もどかしい日々を過ごしてます。
東南アジアにいた頃から今まで、概ね一ヶ月に一つぐらい何かしら書いてこられた感じですが(隔月の短編連載+隔月程度で他のルポなど)、もっと執筆量を増やすべく、そしてもっと分量の多い原稿が掲載してもらえるようにと、日々悪戦苦闘してます。
これまでは、旅をしながら情報を集め、興味の向くままに移動を続け面白い人や事柄に行き当たっては企画を出して原稿を書く、という形でしたが、一ヶ所に滞在すると、なかなかそういうわけにも行かなくなるので、ここ昆明では、もっと生活に密着した文章と、これまでの旅の紀行文、というのを軸にしようと考えてきました。しかしそれがともになかなか進んでいない……。
今月は、10日ほど前に隔月連載の短編人物ルポの原稿を仕上げた他には、東南アジアの旅の紀行文を二つ(海関係のものと、結婚をテーマにしたもの)を、テーマにあわせていくつかの出版社に送り、その返事待ち。とりあえず話が進む可能性があるのが二ヶ所。一つは、すでに送った海関係の原稿に興味を示してくれて写真もみたいと言ってくれた海系の旅雑誌。そしてもう一つは、これまでいろいろとお世話になってきた知り合いのベテランジャーナリストの方に紹介してもらった月刊誌。ともにまだどうなるかは全く不明ですが、ついつい勝手な期待を膨らませてしまったり……。
紀行文の掲載先を探してみて、やはり紀行文はジャンル的にもなかなか難しい気がしてきます。載せてくれそうな雑誌がまず少ないし、また自分自身、他の人の書いた紀行文を読んで、すごく面白いと思う機会は結構少ないということもあって…(一番印象に残ってる紀行文は、小田実「なんでも見てやろう」。あとは村上龍のエッセイ集に載っていたインドの紀行文。また、大の沢木ファンとしては、もちろん「深夜特急」も印象深いものの、彼の場合、他の作品の方が断然面白い)。ま、そんなのは言い訳に過ぎず、結局は自分の力不足を感じているということなのですが。
また、上記のとは別に、タイの話題で以前書いたそこそこ長さのあるルポが一本、ある月刊誌への掲載が決まり、細かな修正作業などもすべて済み、あとは掲載を待つのみとなっているのですが、掲載号はまだ未定。多分近々、と思われるのですが、ちゃんと決まるまでは少々不安……。
と、最近の自分の仕事事情について書いてみましたが、やはり結局はもっと書かなければいけない、ということを再確認。もっと自らテーマを探しにいかないと。
雄生
写真を撮れなかったのが残念ですが、今日街で「豚の脳みそ」を食べました。前回写真ともに紹介したゲテモノたちよりも名前的なインパクトはかなり大きい気がしますが、唐辛子いっぱいの真っ赤なスープの煮込み料理で、見た目的には穏やか。スープの底からスプーンで掬い上げて出てきたのものは、確かに脳みその一部とすぐ分かる。味は、とても濃厚な豆腐といった感じでなかなかイケました。ただコレステロールが高そうなイメージで、少量で十分。
中国人に連れていってもらった街のフードコートの単なる1メニューで、名前は「脳花(ナウフア)なんとか」。なかなか綺麗な名前を冠した中国らしい食べ物でした。最近日本では重慶の火鍋がはやっていると聞きましたが、これは火鍋に入れて食べるものでもあるとか。
市場やスーパーで、豚の体のほぼ全部分がバラバラになった状態でドサッと机に置いてある場面を見かけますが、中国では豚はほんとに隅々まで利用するのだなあ、ということを実感。頭も足もそのままの形のままで売買。
ビルマで豚肉の炒めものを食べたとき、料理の中に入ってる豚肉に皮膚の毛までそのままついていてびっくりし、それは最初はちょっと抵抗がありましたが、そういうのも食べているうちにだんだん何を食べても気にならなくなってきたように思います。
ただ、聞くところによると、中国の田舎のトイレでは、トイレが豚小屋もかねていて、ヒトの大便が落ちてくるのを下で待っているブタが食べている、という場面がよくあるようですが、その様子を見るとさすがにその後ブタを食べる気がしなくなる、というのはよく聞きます。
一度そういうトイレにも行ってみたいなと思ってます。。。
(今日の訪問先。広いリビングのある4LDKぐらいのうちに家族三人で住んでいる。とてもブルジョア風なご両親が出てくるかと思ったら、庶民的で気さくなお母さんで好感度大)
昨日書いたとおり、今日は、デンマーク留学予定の高校生女の子のうちへ。育ちのよさそうな彼女自身の雰囲気の通り、リッチそうな家庭で、とても便利な場所にあるかなり広くきれいな家だった。夕食を一緒に作るのかなと思っていたところ、家にはお手伝いさんもいて、結局私たちは食べるだけに。
(お父さんもやり手のビジネスマンのはず。「さあ今日は飲んでくれ」風な雰囲気にぼくが答えられず申し訳なかった。料理はお手伝いさんが日本人向けにさっぱり味にしてくれた)
お父さんは建築会社の社長さんで、お母さんは数学の先生。とても気さくな人たちで話しやすい。中国では来客をとてもよくもてなすと聞いていますが、家族みなで暖かく迎えてくれ感激。食事もかなり大量に作ってもらい、また、お父さんには高級なお酒を開けてもらい(アルコール度53度と聞いて、お猪口のようなものに1杯飲むだけにしましたが、ちょっとお父さん的には残念そうだったような。「とてもおいしいのですが、酒に弱くあまり飲めないので、ほんの少しで結構です」というような言い回しがうまくできないため、失礼なことを言ってしまってないかと少々不安だったり…)、最後には、箱詰めになったお茶の手土産までもらってしまい、大変恐縮してしまいました。
昨日「小皇帝」という言葉を書きましたが、友人の彼女は、とてもしっかりしていて、独立心も強く、全くそんな風ではなく、きちっと育てられたという雰囲気に満ちていました。
(彼女は今18歳。中国では18歳で成人になるとのことで、その記念に写真撮影に行った結果が左のポスター。一連の写真は、このポスターの他にとてもきれいな一冊のアルバムになっていた)
いい家族と知り合えてよかったととても満足な気持ちで帰宅。地元の人の新たな世界を垣間見れた感じでうれしいです。
また、今日も含めて最近何度か中国人と話したところ、日本人でかっこいい男性といえば高倉健、女性では吉永小百合、山口百恵というのが相場のよう。年齢を問わず彼らは人気のようで、なんか懐かしい気分にさせられます。
去年は昆明にも高倉健が映画の撮影にきてます。今年の秋ごろ高倉健主演で雲南省が舞台の映画が公開されるようで、そうなったら雲南の人気は日本でも急激に高まりそうな予感。
(以前、「抵制日貨」「FUCKJAPAN」などと書かれた街の壁の写真を載せましたが、そこの今の様子。それらの言葉は白ペンキで覆われ、街にもあのころの雰囲気はすっかり消えました)
今週は、中国人との約束がたくさんでなかなか忙しい。
昨日は昼飯を街で二人の中国人大学生と食べました。一人は私たちのビラを見て電話をくれ、頻繁に会うようになった女の子、もう一人は友人の紹介で知り合った男の子。最初は一人ずつ会っていたのですが、言葉の問題、また年齢などの違いもあり、頻繁に会っても話題がなかなかもたないため、最近は彼ら二人と一度に四人で会う機会が増えてきてます。そして、初心(うぶ)な雰囲気の二人をちょっとからかってけしかけると、だんだんと二人がいい仲になってきているような……?男学生が女の子のことを気になってそうで、今後の展開が楽しみな二人。
そして、今日は、前回書いたように、以前京都に住んでいて日本語が上手い中国人女性と夕食。旦那さんが京都大学に留学していたときに、一緒に3年ほど京都に住んでいたとのこと。年齢は私たちと同じぐらいかちょっと上、という感じで、陽気で話しやすく、今後もたまに会うようになりそうな感じ。日本語が分かる人だと、中国語についても細かいことが聞けていいのだけれど、話が日本語ばかりになってしまわないように注意が必要。中国では「カメ」はイメージの悪い動物で、相手を罵るときに使われる言葉だとか、一人っ子政策で(子供が親にとても大切にされ、過保護に育てられるケースが多いため)わがままな子が増えて、今、そういう子供のことを「小皇帝」と呼ぶ、などということを教えてくれて面白い。
明日は、前の土曜日に会った高校生の女の子のうちで夕食を一緒に作る(食べる?)ことに。彼女は、秋ごろにデンマークに留学する予定だとのこと。なぜデンマークに?と聞くと、「前からの夢だった」と言っていたものの、話が深まってくるにつれ、実は彼氏(と呼べるぐらいの存在の人)がイギリスに留学するため、それを追ってということが判明。じゃあイギリスに行った方がいいのでは?というと、金銭的な理由などもあるとのことで、とりあえずデンマークにしたとか。デンマークに行く、と聞いたとき、彼女はキャリア志向のバリバリ系かなと思っていたものの、意外にとても普通の女の子風で、しかも赤裸々に話ができるので楽しい。
そして、ちょっと間をおいて、金曜日にまた別の子、土曜日にもおそらくまた上の初心な男の子(ちなみに明日も大学の食堂で彼と昼飯。彼は押しが強く、誘いも激しい)。。。といった感じで、最近突然中国人と交流が増えてます。
中国語実践の機会が増えるとともに、やっと中国人の生の声が聞けるようになってきました。
昆明生活3ヵ月半にもなると、だんだん中国人の友達も増えてきています。1ヶ月目くらいに、日本語と中国語の語学練習を募集したのですが、そのときの張り紙をみて連絡をくれる人が今でもちょこちょこいます。今日も新しい女の子に会いました。
今まで合計7件電話があり、そのうち2件が当日ドタキャンでそれ以来連絡なし(一人には、雨が降ってるから会うのやめよう、といわれた)。今日の女の子を含めて4組と会いましたが、すでに一組とは1回あっただけで会うのをやめました。というのは、二人組みの一人の態度がかなり高圧的であわなそうだなと思ったからです。あとはとてもいい子たちでまあまあ満足してます。でも、日本語と中国語の語学交換という形で募集したにもかかわらず、全ての人が日本語には興味がなく、英語を勉強したい人たちばかり。私たちの中国語があまりにもだめだったので、"日本語か英語を話せる人希望"と書いたためか。。。英語を勉強したいなら西洋人の方がいいのでは?と言ってみるのですが、ただ使える機会があるだけでも良いみたいです。こんな感じで、それぞれ週1回くらい会っては英語と中国語のちゃんぽんで会話をしてます。
そして、来週の月曜日にまた新たな人たちと会うことに。彼ら(夫婦)は、京都に3年間住んだことがあるというれっきとした"日本語勉強したい"人たち。年も近そうな感じで、彼らと仲良くなれればいいなと思ってます。
(前回の写真の中国人友達の家で飼ってる犬)
(先週中国人の友達のうちにディナーに呼ばれたとき。こっちで家庭料理を食べたのは初めてで、うまかった)
昨日からまた風邪気味に(ゆうき)。日本、オーストラリア、東南アジアと、これまでほとんど風邪など引かなかったのに、昆明に来てからは毎週のように風邪気味、そしてたまに熱も出たりして、実に不可解です。
食べ物かな、とか思っていたけど、体調を崩すのがぼくだけなので、そういうわけでもなさそうで、最近はもしかしたら、標高1900mという高さのせいかななんて思ったり。
これぐらいの高さでも体調に影響が出るものなのかどうかは不明ですが…?
明日から来週にかけては中国語の中間試験。試験なんて何年も受けてないので懐かしい感覚。
前に書いた通り、ベトナム人のクラスメートはやる気ない人が多く、試験だから来ない、という輩が今週から増えている感じですが、今日久々に来たやる気ない番長のようなベトナム人に対して、先生が2時間丸まる無視し続けたのはさすがに胸が痛みました。でも、ほんとまるで中学校のような感じで、新鮮だったりします。
友人が帰って二日。こちらの休みももう終わりで、明日からはまた学校です。こっちの休みは、「五・一節」といって5月1日のレイバーデーを祝ってのものなのですが、実はこっちでも黄金周(GW)と呼ぶとか。
友人と一週間ともに過ごし、久々に日本での日々を思い出していい刺激を受けました。勉強してるとはいえ昆明でフラフラと自由に過ごしていると、いつの間にか日本での生活感覚を忘れがちなので、自分の生活を見直す上でも日本で働く同世代の人に会うのはいいことだなあと実感しました。とりあえずもっと書いて金を稼がなくてはと気合が入り、早速昨日から執筆活動に励んでいます(といっても、今は毎度の連載の締め切りに追われているだけですが…)。
また、グルメな彼がいた間にこれまで行ってないところでいろいろと食べることが出来たのもいい収穫。前回のキノコ鍋(今回初めて、松茸が雲南省の特産物だということを知る)に続き、家の近くに、ドレスコードまであるなかなかナイスなレストランを発見。いわゆるフツーの中華とは違う中華料理を堪能。グルメな友人もそれなりに満足。
(左は牛肉料理、右は豚の脂の料理。ともに高級感のある味)
そしてその夜にいった町角の屋台食堂では、ゲテモノばかりを注文してみる。爪まで付いた鶏の足、鴨の舌・内臓、カエル、ザリガニ、コオロギ風の虫、とそのほとんどがそのままの姿で出てきた。カエルは尻の周りに一番肉が付いているため、そこをかじるのだけど、カエルの形がほんとにそのままなため、妙な気分に。結局かなり残してしまう。盛り上がったのは注文中と、出てきた直後の数分のみだった。ゲテモノは、ちょっとでいいことを学ぶ。
(左上隅から時計回りに:カエル、爪付きの鶏の足、鴨の舌・内臓、ゴーヤの肉詰め、コオロギ風の虫、牛肉、ナス。ザリガニはこの後に来た)
(カエル。大往生といった姿のまま。下半身に比べて上半身が貧弱で意外だった)
ゲテモノの後は、友人のたっての希望もあり「暗闇ディスコ」と呼ばれる空間を目指すも、不発に。場末のスナックという感じで、非常にしょぼかった。昆明にも風俗街があることを発見しましたが、活気のない雰囲気に友人は意気消沈。
明日からは試験期間。結果は関係ないのですが、今日はこれから勉強しないと……。
(散打の練習に励む友人。左は昆明在住自衛隊OBの友人。ぼくは情けないことに、この二日前の練習の筋肉痛で動けず、カメラマンに徹することに)
昨日は昆明から1時間ほどのアンニンというところにある温泉に行ってきました。そこはちょっとした温泉街になっていて、錆びれ具合が熱海を思い出させる感じ。私たちは、友人の案内のもと“日式温泉”へ。日式と名乗るだけあり、森林に囲まれた綺麗な温泉で久々に湯船に浸かることができ満足でした。雰囲気は屋外健康ランドという感じで、水着着用、子連れでわいわいやっている家族やカップルが大半で、久しぶりにレジャーの雰囲気を味わいました。ただお湯はただの沸かし湯だった。中国ではバスタブに入る習慣がないため、お湯に浸かる=温泉、ということなのかもしれません。
本来はその施設で一泊する予定だったのですが、予約の電話を入れていなかったため、満員で宿泊できず、昆明に戻ってここの名物であるキノコのお店へ。昆明ではちょっと高めのお店だけあり、味、雰囲気ともに大満足。恵比寿在住の友達にも満足してもらえました。
(キノコづくし鍋。雲南はキノコが有名。日本でも売られている中国松茸は雲南から輸出されているとのこと。今は時期ではなく乾燥ものしかありませんが。そのほかは網状の伸びるキノコなど、変わったキノコが豊富)
(イモムシみたいなののから揚げ。ピーナツっぽい味がしたけど、ほとんど油の塊であまりおいしくなかった)
その後は、日本人オーナーがいるカフェへ。せっかく友達が来てくれているのに、毎日日本人とつるんでいるのはどうかな、、、という気持ちもありますが、楽しいからまあいいか。普段一緒に勉強したりしている中国人友達はほとんどみな実家に里帰り。今週一杯は中国もホリデームード満点です。
(右端がオーナーの一人。彼女は中国で中国医学を勉強したれっきとしたお医者さんでもある。体の調子が悪いときは彼女に相談すると親身に診断してくれる)
今来ている友人が毎晩熱心にブログを更新しているので、こっちもつられてしまってます。
今日は、彼の昆明での一番の目的の一つだった中国の打撃系格闘技「散打」を挑戦に道場へ。練習はまずかなりハードなフットワークのようなものから始まりびっくり。そしてそれが終いにはバク中やら回転蹴りなど、雑技団のような動きになり、全くついていけず。久々に高校時代のバスケ部の練習が思い浮かび懐かしい。
そのあとのスパーリングでは、大学時代体育会ボクシング部だったその友人がそこの一番弟子と一戦交え、なかなかの好試合を展開。とんでもないキャラの男であるがその姿に見直してしまう。そして今回この道場を見つけてくれた元自衛隊の友人もさすがにいい。まだ十代の未来のある若い練習生の足に怪我を負わせるすごいキック。もちろんぼくは、スパーリングには不参加。
先生はなんと、94年~97年まで少林寺の中国全土チャンピオンというすごい人だったものの、とてもきさくな優しい人。練習生たちはみな十代で素直な少年たち。日本人のぼくらに興味を持ってくれ、こっちは片言の中国語ながらも交流が進みうれしい。
ただ、もっとうれしかったのは、散打の練習前に中国人とともにバスケが出来たこと。高校生ぐらいの中国人に、「ちょっと胸を貸してください」的に2対2への練習に誘われ、そしてそれなりに面目を保つプレーができ、最後に「きみもなかなかうまかったよ」などと調子に乗って言っている自分が笑え、でも正直かなり満足。
今全身筋苦痛で、しかも膝の古傷をまた少し痛め、明日は朝からキツソウ。その体で温泉に行きます。
ところで、友人が来てからの数日、町でぼくが中国語を使う機会が増え、いろいろな人と話してますが、改めて昆明はいい人が多いなと実感。反日ムードがさめ、今は逆にそういうことを感じられてうれしいです。
友人が来たら一週間昆明で何をしようか、と思っていたのですが、彼自身のキャラもあり、予想以上に予定が詰まり毎日意外と充実。といっても、観光しようというわけでもないため、こっちの友人たちとつるんで、昼夜の昆明を舞台にダラダラと過ごしているだけですが。
前から行こうと思っていた「花鳥市場」にも昨日初めて行くことに。生き物が中国っぽい雰囲気で売られていてなかなか面白い。ヒヨコとアヒルの子に色が塗られて売られていたのはかなりびっくりかつ笑えました。一匹30円ほど。ハトやクジャクも売っていて、ハトが2000円ほどと意外に高価だった。
(色付きのヒヨコとアヒルの子)
(金魚が大人気)
(何に使うのか分からない虫。飼うって感じでもないし、鳥のエサには大きい気がするし…)
また漢方薬局では、トカゲ、タツノオトシゴ、鹿の足の干物を発見。精力剤を探していた友人は、嬉々として購入。
(右から、トカゲ、鹿の足、タツノオトシゴ。これらを中国の白酒など高アルコール度の酒に一ヶ月つけた後に飲む)
今夜は、彼の目的の一つである格闘技を習いに行く予定。散打(サンダー)という名で中国の実戦打撃系の格闘技。大学時代体育会ボクシング部の彼と、自衛隊出身の柔道家とともにぼくも練習に参加しようかと思ってますが、少々不安。。。
(花鳥市場で。結構昆明を楽しんでくれているのでは?)
今日(昨日か)、大学時代の友人が東京からはるばる昆明まで訪ねに来てくれた。今日から一週間、彼とともに過ごすことになり、楽しそう。彼のパーソナルな理由により、名前と顔は公にできないのですが、こんな人。
写真の通りに謎の人物。中国には格闘技をやりに来たとか。明日から道場通い。彼が昆明で一波乱起こしてくれることを期待(そういうキャラ)。
今回は写真で見る昆明(特に書くことが思い浮かばない、というせいもあるのですが)。写真のキャプション中の小話から今の昆明が少し見えてくるかと思います。5月1日からはこっちも一週間休みになります。大学時代の友人(雄生の)が来訪予定。楽しみです。
(花屋さんはかなり多い。多くの花屋がとりあえずふっかけてくるけど(大体半額ぐらいにはなる)、ここは初めからほんとっぽい値段で好感度大)
(昆明の中心街。自転車はやはりかなり幅をきかしている。交通事故は多い。すでにバンと自転車の激しい衝突の瞬間も目撃しているし、イメージ的には、交通ルールのなかった東ティモールよりも危険な感じ。クラクションの鳴らしっぷりはインドぐらいか。とにかくみんな運転が荒い)
(野菜売りの移動姿。たまにロバが引いている場合もある)
(路上の野菜売り。至るところにいる。こないだ、ある野菜売りの人と誰かが喧嘩をはじめ、なんと野菜売りの人が相手を刺してしまい、殺人事件へ。ちなみに殺人事件は結構頻繁。去年は、雲南大学の学生が自分をいじめ続けた4人の学生を殺害をして死刑となった。中国では死刑はポンポン執行されているようで、アムネスティ・インターナショナルの調査によれば、去年世界で執行された死刑は少なくとも3797人、中国が1位で3400人だとのこと。1日10人近い計算。。。)
(市場で売られるニワトリ。鶏肉はめったに見かけないので、どこに売ってるのかなと思っていたら、生きたものをその場でしめているのをたまに目撃。もちろんそのままで持って帰る人もいる。値段は量り売り。)
(この建物、よく行く学生街の角にあった。一階には古着屋が二軒入っていて、たまにのぞいていた。それがなんと↓<次の写真へ続く>)
(ある日突然取り壊された。近くでカフェを開く日本人によれば、下の古着屋さんたちが必死に止めていたものの、有無を言わさず取り壊され、その数日後には、なんと彼らは青空古着屋に。そして聞けば実は二階には人が住んでいたとのこと。最近昆明では、古い建物が次々に壊されていて、風景が日々変わっていく。古いレンガ造りでいい感じに中国っぽい風情があるのに勿体無い気がしてしまう)
(反日の落書き。久々に通ったわき道で今日発見。反日系の記述はこれだけではなく、さらに横に広がっている。でも、最近は反日ムードも少し落ち着いてきた様子)
(DVD屋。こんな感じで売られているDVDは、どこの店もすべて一枚80円(6元)。この店、こないだ行ったら、なんと突然日本映画がすべてなくなっていた。どうして、と聞いてみると分からない、といわれた。おそらく不買運動の一環じゃないかと予測。さらにもう1件のDVD屋でも日本の映画がそっくりなくなっていた。
久々に反日以外の話を。学校のことです。
早いもので、すでに学校は二ヶ月目が終ろうとしています。日本のGWの時期にはこっちもちょうど一週間休みになので、来週が終れば、中国語の勉強も前半戦終了、という感じです。
私たちの大学の語学学校にはいろんな国からの留学生がいますが、東南アジアに近い昆明に多いのはやはりアジア系の人で、ベトナム人を筆頭に、タイ人、日本人、韓国人が多数。西洋系では、アメリカ人がもっとも多いようです。
私たちのクラスは、日本人3人(自分たちを含めて)とベトナム人5人程度で、他国はなし。私たち以外のもう一人の日本人は、ご年配の方で、定年後の年金暮らしを物価の安い昆明で謳歌しているとのこと(このタイプの人は昆明には実に多い)。そしてベトナム人たちはといえば、一人26歳の医者がいる以外、あとはみな十代だとか(その26歳の彼も、こないだ突然ベトナムに帰ってしまったので、今はみな十代)。
(先々週から移動した新校舎。休み時間中に先生と話す二人のベトナム人クラスメート。左が、よく勉強していて、自分が指されていなくとも答える子。右は、やる気のない子。確かこのとき、やる気出せ!と先生に諭されていたような…)
彼らと授業を受けるのが、とても新鮮です。これは私たちの先生の一人から聞いたことなのですが、昆明に来ているベトナム人留学生の多くは、お金持ちの子。ベトナムであまり勉強しないため親に中国にでもいって勉強して来い!といった感じで、こっちに送られてきたとか。だから、基本的にやる気がない。
私たちのクラスを見る限りその傾向は顕著で、確かに頷ける。最近一人の先生はかなりキレ気味で、特にやる気のない人たちにはあたりが厳しくなっています。そして授業で習った文法を使って、「あなたたちは親に強制的に勉強させられてるので、やる気がない」
といった例文を作ってみたり。
しかし、学生たちもそんなことじゃうろたえず、結構挑戦的で、「教科書なんか開くもんか」といった態度に出ることもしばしば。そして授業が終るや否や、3秒後には部屋を出ている。
そんな授業風景がかなり笑えます。そしてまるで中学校か小学校に戻ったような気分で懐かしいです。この久々の雰囲気を体感することも結構今の学校の日々の醍醐味かもしれません。
ちなみにベトナム人についてよく聞くのが、「指されてなくとも答える」「他の人が間違った答えを言うとすぐ訂正する」傾向が強いこと。そう聞いたときは半信半疑だったものの、今では確かにそうかも、と思ってます。全く勉強してなさそうな人たちはそんなことありませんが、一人とてもまじめに勉強している女の子は、かなりのスピードで、他人の答えを訂正。これには少々いらだたせられるときも……。
いろんな国を見てきて、どこの国の人もやはり基本的に同じだという気持ちが強まってきた一方、逆にそういうディテールや習慣はかなり違うものだ、ということも実感してます。
(大学の食堂。最近はよくここで食べてます。混みこみなのがつらいのですが、安く、種類が多く、美味しい。外で食べるよりさっぱりしているので、結構日本人には好評。おかず5種(肉系2種類、野菜系3種類)に大盛ご飯のセットで50円。ちなみに、多くの中国人学生は容器持参(手前左テーブル参照)。そうすると、6円ほど安くなるとか)
先週末は、昆明でもデモか?との噂が流れたものの、何もありませんでした。私たちは町の中心でやっていた二胡の演奏会に行きましたが、町の様子は穏やかでほっとしました。今昆明は国際観光節だとかで、毎週末町ではいろいろなイベントがやっていて、反日ムード少し収まっているのではないかと、勝手に考えています。
(17日、日曜日。様々なイベントがあちこちで。町はとてもにぎやかに)
昆明の反日事情についてはこのブログに書いてきましたが、今週金曜(22日)発売の「週刊金曜日」にも、短いですがコラムを書きましたので、機会があればご覧下さい。
昆明は最近やっと本格的に暖かくなってきて、過ごしやすい日々が続いています。今度は反日事情以外のことを書きたいなと思ってます。
(全然関係ありませんが、田宮のパクリメーカーAULDEYは東南アジアでもよく見ました。田宮のミニ四駆とほぼ同様の製品も出していた気がします。また、こっちでかなりメジャーなスポーツ用品ブランドもナイキのパクリですが、しっかりしていて、かなり市民権を得ている。自分も買ってしまった。中国では、パクリブランドがそのままちゃんとしたブランドとして根付くようです。そういえば、タイ辺りから、プレステのパクリ商品(ソフトではなく本体!)が町で売られているのを良くみましたが、あれはどこまで中身が伴っているのか気になります。パクリメーカーのエネルギーっていうのは、実はかなりすごい……)
(中国人の友達の通う大学で。中国でバスケットボールが盛んなのは結構意外でした。NBA選手も出しているし、プロバスケもあり、大学でみかけるスポーツはほとんどがバスケ。)
今週末(今日と明日)、中国国内の22以上の都市でデモがあるらしいとのニュースを読みましたが、昆明はその中にも入っていないようでした。やはり昆明は他の町に比べて反日の度合いは小さなのかもしれません(昆明市自体は人口300~400万ぐらいの規模なので、町が小さいからというわけではなさそうです)。
こないだその理由の一つと思われる話をこちらの日本人の商工クラブ事務局の方から聞きました。その方によれば:
中国の各都市に、中国で働く日本人たちの商工会という組織がある。他の都市では、日本企業から出向して中国で仕事をしている日本人がほとんどだが、昆明商工クラブというのはちょっと様相が異なる。まず何らかのきっかけで昆明に来て、町が好きになり住み着いた人や、中国人と結婚して昆明に住み着き仕事をはじめたような人が会員の半分程を占めている。そのため、その個人個人が親戚や友人いった形でいろんな中国人と関係を持っていて、その中で昆明公安局との関係もできている。
そういったわけで、昆明の公安局は日本人と比較的親密。今回昆明でデモの情報が流れた際の対応はとても迅速で、公安の人たちが日本人宅を訪問し、日本人の現状や日中関係などを説明し、注意を促したとのことです。
前回書いた、雲南大学のデモに対する厳しい処置というのも、そういう背景の中で起こったことだったのかもしれません。
昆明にいる日本人は、確かになんとなく流れ着いたといった感じの人が多く(私たちも含めて)、他の都市の日本人に比べて比較的土地に根付き、溶け込んだ存在であるのかもしれません(他の都市のことはよく分からないで言ってますが)。
そんなことがデモの抑止につながっているのかと思うと、昆明らしいなという気がします。
週末何かあれば、またお知らせします。
とりあえず明日は町のど真ん中で二胡の演奏会があるので、それをみがてら町の様子を見てきます。今日は中国人の友達を家に招いて日本食を食べてもらう予定。
(大学の教室で。他の人がいると写真を撮りづらいのでこんな風景ですが、ここに7人ほどで授業を受けてます。なかなか味のある部屋なのですが、来週からは新校舎へ。その建物はトイレが三ツ星ホテル級と聞くので期待。外国人用の建物らしくその辺も考慮されたのか。ちなみに、今の建物のトイレは扉はあるけど、立ったらお腹から上が見えるぐらいまでしかない。ま、全然問題ありませんが。)
(町のキオスクのような雑誌・新聞屋さんの広告。右端は反日の様子を特集で伝える雑誌。デモの前に発売されたもので、常任理事国入りを反対する署名運動についてが主。その一方、左端はよく見えないと思いますが、松嶋奈々子やキムタクの名前が表紙に。)
先日、中国の反日デモの様子を報道した日本のニュース番組を見る機会がありました(こっちの在留邦人が録画してくれた「NEWS23」と「報道ステーション」)。こちらではデモのニュースはテレビでも全く報じられていないので、実際どんな感じだったのかを動画で始めて確認することが出来ました。あれだけを見ると大変な事が起こっているような感じを受けましたが、実際現地にいてデモを見た人によると、デモの中核にいる人たちはほんの一握り(数百人)で、大半は笑って見ていたりする野次馬だったということも聞きます。
ここ昆明でも雲南大学(私たちの通っているのとは別の大学)の学生がデモの申請をしたらしいのですが、学校側が事態を重く見て、デモに参加した先生を解雇、学生を退学処分にすると警告したため、その大学のデモはとりあえずは行なわれないだろうとのことです。私たちの通っている雲南師範大学は、一見そのような不穏な動きは全く感じられないのですが、実際はどうなんでしょう…。
ところで、ここ数日テレビを見ていて気づいたことですが、なんでもない日本関係のニュース(蜂の研究をする日本人とか、日本のアニメについてなど)が増えたような気がします。今までニュースを見ていても時事性のない日本関係のニュースはほとんど目にしませんでしたが、ここ2日続けてそんなニュースが報道されたのでびっくりしました。中国政府が反日ムードを抑えようとしている雰囲気を強く感じますが、意図がどうあれ、日本の別な(反日的なもの以外の)情報が流れることは、ほっとすることでもあります。今の反日ムードがおさまってほしいという気持ちは強いので。
また、今テレビを見ていたら、愛知万博の様子が映し出されました。万博のニュースは前もちょこちょこやっていたのですが、今回は日本人の旅行者のインタビュー付きでした。
このまま沈静化していってくれればいいのですが。
(バス停に張ってあった反日のビラ。常任理事国入り反対、教科書問題、靖国問題が主なテーマ)
最近、報道されているように今中国では反日感情がすごいです。北京、広州、上海などの話はメディアでも大きく取り上げられていますが、昆明でも、反日感情が強まっていることは変わりません。
雲南大学の構内には反日の垂れ幕が下がっていたし、また、びっくりしたのは、街かどで「反日」Tシャツが売られていることです。白地に大きく「抗日ナントカ」とか「反日ナントカ」と書いてあり、隣には、その韓国語版も売ってました。写真を撮りたかったのですが、ちょっとビビってしまいまだ叶わず。一応いくらか聞いてみると爽やかに教えてくれはしましたが(20元=260円)。
それから、中国人の友達には「街なかで日本語を話すのはやめた方がいい。危険だ」とよく忠告されるし、他の友人からは、ぼくらに会うに当たって友達に「なんで日本人なんかと会うんだ」といわれたということも一人ならず聞きました。
また、本格的にビビってしまうのが暴行事件。これは二ヶ月ほど前のことですが(今のように反日の空気が高まる前)、昆明で日本人が日本語を話してたために中国人に殴られています。彼に聞いたところによれば、外国人がよく集まるカフェで日本語を勉強する中国人たちと日本語で話していたところ、その一緒にいた中国人が、他の席に座っていた中国人たちに、「お前なんで日本人なんかといるんだ?」と聞かれ、「今度日本人といたら承知ししねえぞ」的なことをいわれた。その後みんなで店を出て、その日本人が一人になったところ、店にいた中国人たちに囲まれ、何箇所か殴られたとのこと。すぐに、目の前のゲストハウスの警備員が駆けつけてきたため彼らは逃げていったとのことですが。
とまあ、なかなか理不尽で物騒な事件や話をよく耳にします。
だから、ぼくらもバスの中などではできるだけ話さないようにしたりせざるを得ないし、他の日本人の友達は「自分は韓国人だ」というようにしているとか、そういうことを真剣に考えたくなる状況ではあります。
とはいえもちろん、過激な行動に出る人はほんの一部でしかありません。多くの中国人はそんな態度は見せないし、日常生活の中で直接的に嫌な思いをしたことはまだありません。ただ、多くの中国人がほんとに日本を嫌いなんだなあとつくづく感じさせられることはあります。普通にぼくらとご飯を食べたりしている人でも、そういう雰囲気をたまに感じます。
ほんとに問題は根深いなと思います。ぼくはこれまでの取材の経験などを通して、中国の反日感情にはやはり根拠があると考えているし、最近の日本政府の姿勢には全く賛同しかねていますが、その一方で、中国は中国でまた同じような問題があるということは中国に住んでみて感じています。中国のメディアでは確かに反日のニュースが多く、言論の自由が規制されているこの国ではおそらく多くの中国人にとってそれ以外の見方を知る機会は少ないだろうし、大学生などと話してみてもその大多数が、議論の余地のある問題についても「日本=悪」という構図だけを信じきっているように見えます。彼らに対して「この問題についてはこういう見方もある……」と言ってみても、簡単には理解してもらえなそうなのが現実で、そういうことを見ると、中国の日本に対する歴史問題の抗議などは、そのまま中国にも当てはまるようにも思います。
でもよく思うのは、反日を理由とした暴力などは許せなくとも「中国=過激な反日感情」ではないということです。日本では過激な反日活動ばかりが報道されるものの、実際にはもちろん、日本人に対して友好的な中国人がたくさんいるし、ぼくらはそういう中国人たちの温かさを日々感じてます。中国をそのまま反日の人々の国と理解して、それを反中で返しても事態は悪化するだけで全く解決には向かわないだろうな、と。
(中国人の友達。中国語と英語(日本語の予定だったのですが…)の語学交換のようなきっかけで知り合う。彼女は冷静かつ客観的な意見を持つ人。だけど、やっぱり友達には反日派が…)
結局、理屈だけで議論しても解決は見えないし、ほんとにお互いが相手の立場にたって考えていかないと全く進展はないだろうな、と思います。中国でこの反日感情の発現を目の前にして、そんな人としてのごく基本的な気持ちがいかに大切かをつくづくと感じさせられます。
でも逆に、このような時期の中国にいられたことは貴重な経験であるとも思っています。初めて、差別を受ける民族的マイノリティーの立場というものを、多少なりとも自分の問題として身に染みて感じることができているように思うので……。
しばらくは気をつけて生活します。この状況がずっと続かないことを願って。
(たまに行く市場で。ここの野菜は値段が書いていないため、ぼられても分からない。しかもスーパーの方が安いことも多いので、よく利点が分からないのですが…。
(同じ市場で肉を買う。肉はどこでも基本的にこのように机にドカッとおいてあります。こないだ一度、ひどく古そうな肉を買ってしまい、それを食べてぼくは極度の下痢に…。だけどこれでも、ほとんどの場合問題ありません。肉はピースごとに値段が違って、ほとんど向こうの言うがまま。値切っては見るものの、それでもボラれている可能性大。)
(買った肉を、ここでミンチに。ミンチ料金:4円。とても感じのいいおばさん)
(子供を抱えながら客を待つ靴磨きのお姉さん。靴磨き屋さんはとても多い。子供と一緒の姿をよく見かける)
1ヶ月半ほど前に、二胡を習いはじめようと思って楽器を見に行ったりしたのですが、先生の言っていることがあまりにもわからないことと、マンツーマンで習うと結構高いため(1時間650円くらい。かてきょう2時間の倍の値段!二人だと1時間400円程)、しばらくどうしようか考えていました。ところが最近、今週から二胡を習い始める日本人がいるということを聞き、一緒に始められないかと第一回目の授業を見学に行くことにしました。運が良いことに、その日本人の彼女も一緒に出来る人を探していたらしく、その場で一緒に習うことが決定。無事1回目の授業を終えました。相変わらず先生の言うことはあまり分からなかったですが…。
ところで、最近は日本で二胡がはやっているそうで、海外から持ち込もうとして空港で差し止められるケースが増えているとか。というのは、二胡にワシントン条約で保護されているニシキヘビの皮が使われているからだそう。ここ、昆明でも二胡を習う日本人は多いですが、みな北京まで行って輸入許可証を取得してから帰国しているそうです。私も近い将来、二胡を抱えて北京まで行くことになります。
もとこ
次は最近話題の反日感情について書きます
(昨日の昼食。最近ぼくがハードにお腹を壊していたため、外食を減らしていましたが、やっと復活。たまに外で食べるとなかなかおいしい。手前のはキュウリの甘酢和え。程よい辛さで美味い。右のは麻辣豆腐。辛い!)
数日前、久々にビシッと働いてる日本の人々に会いました。
今、旅行代理店HISの航空会社スカイマークの若手パイロットたちがトレーニングのために昆明に来ていて、友人に誘われ彼らと夕食を共にしました。
聞くところによれば、スカイマークは会社の規模が小さいため、他の大きな航空会社と違って飛行機操縦の訓練に使われるフライトシミュレーターを持っていない。そのため、それをどこかで借りないといけないのだけれど、日本で借りると一時間20万円ほどかかるところ、昆明で借りると一時間5万円でできるってことで、昆明で訓練を受けているというわけです。
昆明で訓練と聞いて、てっきりこの付近のだだっ広い土地を使って離着陸の練習か?などと思っていたので、ここまで来て室内訓練をしているということが意外でした。やはり昆明の最大のよさは安いということなのか。
訓練生3人と教官2人に会ったのですが、久々にビッとした社会人に会ったというか、そんな感じでいい刺激になりました。この訓練生たちは、昆明で試験があり、その試験を落ちるともちろんパイロットにはなれず、しかもそのまま会社もクビになるとか。受かっても、その後はニュージーランド編が待っていて、その後は日本で、訓練は続きます。どこで落ちてもクビ。結構シビアです。こっちもしっかりしなければと。。。
ちなみにぼくは大学時代、航空宇宙工学というのを専攻していて、航空関係の知識を多少は持ち合わせているつもりでしたが、実際何か話そうとすると、ほぼ全てが抜け落ちていることに気づき衝撃を受けました。もうエンジニアリングの世界には確実に戻れません。
ところで、最近中国語を使う機会を増やそうと「互相学習(フーシャン・シュエシー)」を始めました(前回書いたカテキョウとは別もの)。日本語を習いたい中国人を見つけて、お互いに語学を教え合うというやつです。昨日は一人の女の子(同じ大学の学生)にうちに来てもらって、3人で適当に会話。
(エミリー。中国人でそこそこ英語を話す人は、なぜかみんな英語名を持っている。台湾でもそうだったし、こないだ会ったバリバリの中国人もジャックだったし。)
ただ彼女は英語が結構話せて、しかも日本語にはあまり興味ないような匂いもし(互相学習の相手探しでよく聞くのが、実際には日本語を習いたいわけではなく、外国人の友達を作りたいと思っているだけの人が多いということ。彼女もそうかな?って気も…)、またぼくらの中国語がまだかなりしょぼいため、会話は英語混じりの怪しい中国語となり、なんだかな、という感じ。でも、とてもいい人で、しかも現地の大学生の日常生活を知ること自体ぼくはかなり面白いので、話は弾みました。とはいえ、やっぱりもっと中国語ばかりを使える相手の方がいいかと、今後の対応を検討中です。
(上の食事の店。適当にただシャッターを押したら右端の少年がすばやく反応!)
学校がスタートして1ヶ月が経ちました。
私たちが取っている授業(準初級)はスピーキング、リスニング、文法(総合)の3種類ですが、それぞれ週4時間、合計12時間というわけです。授業は全て午前中に集中しているため、朝は8時もしくは10時からのスタートです。午後は丸々時間があるわけですが、大体そのままお昼を食べて帰り、家で勉強したりして過ごしています。
学校が始まって最初の方は、先生の言っていることがあまりわからなかったり、同じクラスの人たちとの差を少しでも縮めようと頑張って勉強していましたが、最近は授業もそこそこわかるようになってきたり、クラスに慣れてきたりで勉強する時間も少なくなりつつあります。
勉強の時間が少なくなる理由の一つに、DVDの安さがあります(ただの言い訳ですが)。前にも書きましたが、DVD1枚が大体80円くらいで、場所によっては日本語のDVDが豊富にあったりで、DVDを購入のが最近の楽しみの一つでもあります。ただ、安いだけあって物によっては字幕がバケていたり、始まりと終わりの部分が少し欠けていたりと、完全でない部分はあるのですが、映画を楽しむのには十分なクオリティーです。
今はDVDと勉強とどちらをとるか、毎日悩ましい日々をすごしています。
(安くてついつい買ってしまいます)
(「バトルロワイヤル」の裏表紙が、なぜかトムハンクスとランゼル・ワッントン<デンゼルワシントン>主演の映画)
(日本語は基本的にめちゃくちゃ。”ヒトラーに魅人ちれた…クロ一ソ人間の…杰作サスペソス!”字幕は大丈夫ですが。)
最終的な詰めが甘いのが安さの所以でしょうか。それなら大歓迎。
しかし、さすがにこんなだらけた生活ではまずいということで、先週から、友達の紹介で週1回2時間の家庭教師も始めました。その先生は私たちの通っているのと同じ雲南師範大学のジャーナリズムを専攻する2年生です。受領料は1時間で170円くらい。安さに惹かれて始めましたが、やはり安いだけあります。学校で教えているれっきとした先生を雇うと1時間で約250円から320円程度だそうで、色々試して最終的にどの先生にしようか決めようと思っています。ちなみに日本語を中国人に個人的に教えると、1時間500円くらいもらえるそうです。英語はネイティブで1300円、ネイティブ以外で1050円ほどということで、中国では彼らは超高給取りです。
いやほんとに、バーレーンに勝ててよかった。中国では中継はしてませんでしたが、ネット中継で文字を追いながら、そして、15分ぐらいにまとめられた録画放送を見ながら、勝利の気分に浸っていました。
ところで、W杯最終予選の前半が終りましたが、こっちでは、どんな感じで中継がされているのかについて。
中国は一次予選で負けてしまいましたが、でも、ワールドカップ予選の試合は中央電視台(CCTV、こっちのNHKみたいなものか)のスポーツチャンネルで、どこの国の試合もできる限り放映してます(番組名:「我愛世界杯」)。
でも、日本戦については、今のところ生中継したのは前のイラン戦のみで、あとの二試合はともにA組の韓国の試合と重なってしまい、韓国の試合が中継で日本の試合は録画。日本―北朝鮮戦は、録画とはいえほとんど全部やりましたが、今日のバーレーン戦は要旨のみ(15分程度)。ただ、北朝鮮戦は録画放送開始前にいきなり試合結果が出てきてしまい(これにはほんとに参った!中国人はせっかちなのかな、とかいろいろと想像。しかも試合結果は、試合放送中にも再度表示されるという念入りさ。。。)がっくりさせられた一方、今日のバーレーン戦は時間が短いながらも結果は最後まで出ず(といっても今回は文字のネット中継を追っていたので、結果は知ってましたが)。
この調子でいくと、ホームでの試合は韓国の試合と時間的に重なる可能性が高く、中継は望めないのかもしれず(韓国優先なのかな……?)、アウェーの試合の方がちゃんと見られる可能性が高いのかも。
次回はアウェーなので、中継を期待!
ではまた。
今週いっぱい昆明で、ドキュメンタリー映画祭がやっていました。その中で、特別招待作品みたいな感じで日本のドキュメンタリーもいくつか上映されました。70年代(?)を代表するドキュメンタリー作家の土本典昭さんの水俣病関連の作品や、オウム真理教の荒木広報副部長の人としての姿を描いた「A」など。「A」はこれまで見たいみたいと思いつつ、機会を逃していたため、ラッキーでした。オウムの事件からちょうど10年の今、オウムに対して、というか報道のされ方や信者それぞれの姿について新たな視点を得られたのは貴重でした。しかしこんなところで見られるとは…。
土本監督は本人が来昆明。土本さんと話した友人によれば、彼は「昆明にはゴミがなくて驚いた」と言っていたそうですが、実際にはそんなにきれいなところではありません。
こっちに来てよく見られるのは、子供たちがかなり普通に道端で、しかも歩道で、通りの方を向いて派手に立ちションしてる姿。また、小さな女の子も同様に、人が大勢通っている道端で、座って用を足している姿(ちょっとわき道に入ると大便も可)。
そして聞いてはいたものの本物を見てびっくりしたのは、小さな子供が用を足すのに便利なように、股の間に大きく穴の開いたズボンをはいている姿!はじめは破れているのかな?と思ってたものの、次々にそういう子供が現れたので、やはりもともと穴の開いたズボンなのだと判明。だから、彼らはしゃがめばそのまま、どこでも小も大も可能なわけです。実に合理的。バスで母親が窓の外に向けて子供を抱え、その子供が窓の外に用を足している光景を見たという友人もいます。
話が全く関係ないところに飛んでしまいましたが、「A」はよかったです。
ここ数日また風邪を引き(または食べ物にあたり⇒市場の机の上にのっかってたひどく古そうな肉を食べたせい?)、下痢、嘔吐、熱にうなされていましたが、今日回復しました。ちなみに、素子はお腹は壊さず、咽喉をやられています。友人に紹介してもらった漢方薬を試していますが、さてどうなることやら。
では。
話とは全然関係ありませんがバスの運転手と集金箱。女運転手が非常に多い。
(運転手の頭上の言葉:「どうか運転手には気軽に話しかけないで下さい」)
(集金箱にはコインでも札でもなんでもよいので、1元入れる(約13円))
(昆明の飯屋はこんな雰囲気。「鍋子楼(グオ・ズ・ロウ)」という言葉はいろんな店の前に書いてありますが、これは鍋料理(「火鍋(フオ・グオ)」の店だという意味、多分…)
最近は中華料理にも少々飽き気味。
始め来たころは、外のご飯が美味しいし安いため食事が一番の楽しみで、「こんななら、毎日中華でも半年は飽きないだろう」などと考えていましたが、そんなことはありませんでした。
まず外の店の脂っこさにやられてしまいました。少し高い値段を払ったり、また店を選んだりすればそうでもないのがあるのですが、やはり全般にかなり脂っこい。何を頼んでもほとんどが、油の中に浸かっている肉や野菜を食べるという感じであり、またその油が多分あまり質がいいとは思えないため、本当に胃にこたえるようになってしまいました。
また中国では、なんと呼ぶのか分かりませんが、いわゆる味の素的な人工調味料が多用されているため、だんだんその味に気づきだすと、なんだかいまいち味に違和感を感じるようになってしまうわけです。
そしてとにかく味が濃い。
そんなわけで、最近はめっきり外食も減り、できるだけ自炊してます。
外食ばかりだった頃は一時慢性的にお腹を壊していたときもありましたが、自炊を始めてからは回復。
また、外食の頻度が下がると、たま外で食べるときに喜びが戻り、そういう意味でも自炊が必要なような気がします。たまに食べるとやっぱり中華はうまいな、という印象をもてます。
ところで、こっちの食堂というのはどういう雰囲気かを簡単に。
(家の目の前にここを含めて5件ほど食堂が並ぶが、ここがもっとも気に入ってる。一人っ子政策のこの国で、江戸っ子的雰囲気の双子の女の子店員が高感度大)
上の写真の店が、近くの店の中では最も気に入ってるところですが、他の店も概ねこんな感じ。円卓を大人数で囲んで食べている人が多いです。
この店を含め、多くの店にはメニュー(「菜単」:ツァイダン)がなく、陳列されている野菜や肉を見ながら、「これとこれをこうやって炒めてくれ」というように注文します。うまく言えない場合は、好きな野菜を指差して適当に頷くと、それっぽい炒め物が出てきます。
(こんな感じで並んでるのをみながら、店員に調理法を含めて注文。魚だけは、イケスになっているのが多いけど、ほとんど淡水魚のみ)
この店の元気な双子店員とは最近親しくなったため、私たちの注文に対し「その組み合わせはおかしいよ!」などと意見を挟んでくるようになり、だから彼女らの指示に従って食べることがしばしば。
どうもこっちの人は、炒め物はあまり複数の野菜を混ぜず、一つの野菜で一つの炒め物にする傾向が高いようです。素材の味を楽しむというか、ま、結局味はどれも似たようなものになることが多いのですが、そういうことなのでしょう。一つの素材に少々の唐辛子を混ぜ、油で炒める。確かにそのほうが美味しいような気もして最近は私たちもだんだんそうなってきました。
ところで、昆明は野菜が豊富。ニガウリ、メキャベツ、ズッキーニなどをよく見かけ、また日本ではあまりみない名前も分からないような菜っ葉系のものも何種類もあります。また、湯葉もかなり定番。
野菜の炒め物は、どれを食べても一皿40円ぐらい。湯葉は店で買うと一キロ200円ぐらいか?
最近写真をあまり撮ってなく、どうでもいいような写真ばかりなのではと、少々気になってます。
ではまた。
(今日町でまた花を購入。手前の花束が10本ほどで約30円)
(気温も暖かくなってきて、そろそろ花の季節になるのか?最近は気温は最低12度、最高23度のような具合)
最近聞いた話を一つ。
昆明は、ラオス、ビルマ、タイに近いこともあり、ドラッグ、ハッパ類などがとても容易に手に入りることで知られています。それ目的でここに来ている外国人も多いような。最近は多少厳しくなったものの、一年ほど前までは、町中、バーなどで多くの人が堂々とマリファナを吸っていたとのこと。一応違法なのですが、警察もほとんど気にしないらしかったです。地元の人、特に雲南省のもっと田舎から来た人にとって見れば、マリファナなどもともと身近にあるもので、誰もそれが違法だとか、そういう意識がないようです。
それはたとえば、こっちにはベテルナッツというマリファナなどより麻薬効果の高い植物があり、それを口の中で噛むという癖があるけど、それは別に違法でもなんでもないということとも関係があるようです。ベテルナッツの方が強いのによくて、なぜマリファナはだめなんだ?ということでしょう。
ベテルナッツは、インドネシアで特によく消費されていて、インドネシアの田舎に行くと、道端でフルーツのように売っていました。緑色の植物と、ライムの粉と、なんだかよく分からないもう一つの植物(これら三つを合わせてベテルナッツと聞いていました)を一緒に口に入れしばらく噛むと苦味が広がり口の中が真っ赤になる。その赤い液体をペッペッと吐きながら噛み続けるのです。苦味とともに多少舌が痺れるような感じがし、その良さはほとんど分かりませんでしたが、インドネシアでは道端や家の床が赤いシミだらけで、いかにみなよくベテルナッツを噛んでいるかがわかります。特に田舎のお祭りなどで男たちが気分を高揚させるときに、よく消費されていました。
昆明ではその赤いシミをまだ見たことはないのですが、市場などではこれが売っているとのこと。だから、それがよくてなぜマリファナはだめなのかと。それは確かにそういう気がします。だから理由といえば、多くの外国が禁止しているからだめなんだ、という感じなのではないかと予想されます。
昆明も今では少し厳しくなったようで、さすがに町やバーで堂々とは吸えないようになりました。でも、夜中のバーの外では、若者がずらりと道端に座り吸っている。だから、実際には全く厳しくなさそうなのですが。
さて、その聞いた話というのは、この間一緒に飲んでいた香港系イギリス人に、「そのマリファナはどこで手に入れるの?」と聞いてみたときのこと。
彼は、
「どこにでもあるよ」と一言。
「でもどこにでもって、具体的にどこで買うのか」と聞くと、
「だからどこにでもあるんだって。道端とかにどこにでも生えてるんだよ」
というのです。なんと、町中でもちょっと裏にいけば道に大麻の葉が生えているとのこと……。まだ見たことはありませんが、なかなかびっくりな話でした。
(学生街の昼時の風景。外で食べるのが気持ちいいです)
(上の写真のすぐ隣のアメリカ人と日本人が経営するカフェ。この辺りには、このようないい感じのカフェがいくつもあり、西洋人も多い。ただコーヒーはやはり高級品で、こういうカフェのコーヒー一杯は、地元食堂でしっかりご飯を食べるのと同じくらいかそれ以上の値段)
(本文とは全く関係ありませんが、近くの踏み切り。電車が通るのはとてもまれで、通っていないときは、線路も道になっている。踏み切りは、鳴り出した数秒後に閉まり、そのときにはすでに電車がかなり近くに迫っている)
一昨日から風邪で寝込んでしまい、やっと今朝、ほどほどに回復しました。インドネシア・ラマレラ以来の風邪っぽい風邪でした。
さて、中国語学校も二週間を終えて、やっと全くのど素人ではなくなったかな、という感じですが、早くも二人の間では差が……。
素子は毎日かなりの時間を割いて予習復習に余念がない一方、ぼくは読んだり書いたりすることがあるからと、最小限の復習ぐらいしかしていないために、すでに目に見えて力に差が出ているような気がしてます。授業中、先生の言っていることがクラスでぼく一人だけ分かってないような雰囲気も頻発し、もうちょっと時間を割かないとまずいかなと感じています。
ところで、中国語を始めてみて、その簡単さと難しさという両面が少し見えてきています(まだほとんど分かってないので間違っているところもあるかと思いますが)。
まず簡単さは、日本語のように助詞がなく、また複雑な敬語もなく、単語も変形しないところ。たとえば、
「もう少しゆっくり話していただけませんか?」は
「請※説漫一点」 ※は<にんべん+「尓」>、「あなた」の意
で、
「ちん・にー・しょう・まん・いー・でぃえん」と読み(無理やりひらがなで書くと、ということです。ほんとはこれにさらに四声が加わります)、これは
「どうか・あなた・話す・ゆっくり・ちょっと」
と言葉を並べただけになるわけです。
また、
「テイクアウトはできますか?」は
「帯走可以※」 ※は<くちへん+馬>、疑問文の最後につく
で、
「だい・ぞう・くぅー・いー・ま?」と読み、これは
「テイクアウト・できる・疑問詞」というわけなのです。
こういった雰囲気で、かつ単語が日本人にはかなり覚えやすいために、語彙は簡単に増えていきます(似ているものはたとえば、「全部」は「ちぇん・ぶー」、「図書館」は「とぅー・しゅー・ぐあん」など)。
ただよく言われるように、中国語で難しいのは発音です。まず正確に発音するのが難しい。これは特に日本人にとって当てはまることのようです。
で、さらにその難しさに拍車をかけるのは、中国語の言葉が実に似た音ばかりで出来ているためだと思います。当たり前のことですが、中国語が、日本語でいう音読みだけで出来ている、ということを考えれば、なんとなく想像が付くかと思います。ちなみに、中国語には、四声といって、一つの音に対して音の高低によって四つの違う音が使われるので、ここでカタカナ表記が同じでも、読んだ場合に同じとは限りません。
まず、動詞がほとんど一音でできているような気がします。
たとえば、「洗う」は「洗(シー)」、「書く」は「写(シエー)」、「学ぶ」は「シュエ」、「読む」は「読(ドゥ)」、「食べる」は、「吃(チー)」
また、「チャン」や「チュアン」という音を含む言葉がやたらと多い。そしてそれを聞き分けるのが難しい。
たとえば、「市場」は「シーチャン」、「室長」も「シーチャン」、空港は「ジーチャン」(ちなみに、おじいさんは「イエイエ」、「ワイゴン」など)、「よく、頻繁には」は「常常、チャンチャン」、「長い」も「チャン」、「味わう」は「チャン」、ぼくの地元「成城」も中国語読みでは「チャンチャン」、「(服を)着る」は「チュアン」、ベッドも「床、チュアン」、「壁」は「チエン」、「千」も「チエン」、「お金」も「銭、チエン」、「前」も「チエン」……
という感じなわけです。もちろんカタカナで書くと同じになるだけで、それぞれ微妙にみな発音が違ったりするのですが(日本語で言えば「雲」と「蜘蛛」というような…ちょっと違いますが)、聞き分けるのはいまのところかなり難です。
というわけで、頑張ります。
雄生
(いわずと知れた自転車社会。写真左側に見えるバイク状の乗り物は、なんと電気バイク。見た目は原チャリ風なのにほとんど音がしない。結構普及してる。はじめはびっくり)
学校ももう二週目。はじめは入門クラスに所属していたものの、前回も書いたとおり、にーはお、などが中心でさすがに物足りなくなったので、今週からは准初クラス(初級の一つ前)に参加してます。こっちは先生の言うことが半分ぐらい分かる、という感じで、結構一生懸命勉強する必要もあり、レベル的にはちょうどいいかなと、このクラスに決めるつもりです。クラスはやっぱりベトナム人が中心。私たちは彼らよりは全然話せないものの、漢字の読み書きに強いため、それでも授業にはついていけます。
さて、今回は昆明の物価を一通り書いてみました。最近は自炊が中心のため、部屋代を入れても生活費は一人一日500円程度(部屋代がこのうちの半分を占める)。飲みに行ったりするともちろんもう少しかかりますが、しかしほんとにお金が減りません。新聞に載ってる中国人の求人(フルタイム)の相場が月給10000円程度だというのも納得です。またボシュロムのコンタクトレンズ半年分が900円(日本だと多分1万5000円ぐらいはしますよね?)という話も聞いたり。
以下、思いついた範囲で、物の値段を書いておきます。ただし、これはあくまでも大まかな値なので、ものによっては値段の幅はかなりあります。こうしてみて感じることは、乳製品と西洋文化の香りがするものは高いということです。とはいって、日本から見れば安いとは思いますが。
※物によってはボられている可能性もあります。1元=約13円
<安いと感じるもの>
イチゴ 1キロ 200円
ミカン 1キロ(12,3個か?)50円
枇杷 10個くらい 60円
米 1キロ 50円
ビール中瓶1本 30円
(ビールは味も悪くない。安い!米は量り売り。※暇そうな顔してますが、
そんなことはありません)
花一束 30円
(買った後に咲いた。DVDは借り物)
ミネラルウオーター 18リットル 80円
豚肉100g 17円
大根1本 10円
冷凍水餃子 25個 50円
マツタケっぽかった茸 1キロ 300円(これでも他の茸よりひときわ高かった)
外食 中華メイン3品、スープ一つ、ご飯 200円(二人でかなりお腹いっぱいになる量)
(路上の野菜売り。ボラれてても私たちにはよく分からない。ちなみに上記は地元スーパーの値段)
携帯電話 同機種へ 1分1.3円
バス 市内13円
タクシー 初乗り100円(日本と同じぐらいの距離行ける感じ)
日本語中国語辞書 500円
コピー一枚 2.5円
マンションの駐輪所 一ヶ月40円
中国語家庭教師 1時間300円
(休日のバスの中。携帯電話もかなり普及)
新品炊飯器 800円(私たちのはすぐ壊れた)
新品DVDプレーヤー 3000円から
(私たちが買ったのは4000円。好調です)
DVDレンタル 15円
新品DVD 300円(海賊版だと一枚13円から)
新品CD 200円(安売りで一枚13円から。工藤静香、相川七瀬などはこっちだった。海賊版ではない)
(家のそばのDVDレンタル屋。会員制などというものはなく、その代わり、借りるときに10元(130円)を人質に取られる)
電球一個 13円
新品マウンテンバイク 4000円
新聞 7円
<高いと感じるもの>
油 2リットル 250円
インスタントコーヒー 400円
マーガリン 150円
牛乳1リットル 90円
(コーヒーはこれが400円。高い!)
パスタ500g 100円
ADSL 使い放題 2000円/月
アイスクリーム一本 40円
マクドナルド バリューセット300円
いい感じのカフェのコーヒー 70円(食事一人分と同じぐらい)
10枚入り薄切り食パン 50円
中古ママチャリ 800円
(マクドナルド。なんて読むのかいまだに不明)
ではまた。
(4、5日前、雪が降りました。昆明ではとても珍しいとのこと。気温も4度まで下がり、暖房器具のない部屋は厳しい事態に陥りました。)
今日から雲南師範大学での授業が始まりました。
授業は全部取ると週16時間なのですが、ぼくらは中国語の書き方の授業を取らないため週12時間だけにします。それ以外は、個人的に誰かに習うか、日本語を習いたい人と教えあいをしようかと考えています。
とはいえ、今日出た授業は書き方(始めの二週間はコース選びのために、いろんな授業に出てよい)。一、二、人、などの文字の書き方からやっているため、さすがにまともにそれを書く気はしないのですが、授業自体がすべて中国語なのでそれを聞くのが勉強になります。全く知らない語学を学び始めると、生活しているだけで勉強になるし、初めは伸びも速いので楽しいもんですね。
クラスは6人から10人ほど。ベトナム人、タイ人が多く、さすが雲南省という感じがします。
ところで、もう今の部屋に移ってきてから一ヶ月近くなりますが、どういう基準で部屋を選んだかを書いてみようと思います。日本とは見るポイントが違うので。
不動産屋では、まず次のように書いた紙を見せて回りました。
1.西式的厠所
2.有家具
3.2ガ(中国語の文字)房間
4.有熱水器
5.排水好
この中国語があってるのかどうかは不明ですが、とりあえずこんな感じで通じます。
1は「西洋式トイレ」という意味ですが、これは多分多くの外国人にとっては重要なのではないかと。というのは、中国の標準的なトイレは、和式(に近いアジア式)。で、もちろん和式自体は特に問題ないのですが、つらいのは、普通その和式トイレがある狭い空間の上にシャワーがついている点。つまり、日本の和式便所の個室ぐらいの空間が同時にシャワー室になっていて、トイレをまたぎながらシャワーを浴びないといけないんです。これは結構ショッキングな風景だったため、それは避けたく、「西式的厠所(無理やりカタカナ表記すると:シーシー・ダ・ツーソー)」を求めたわけです。
2.は家具付、ということ。
3.は二部屋ほしい、ということ
4.は、湯沸かし器付、ということ。これはもしかしたら雲南省特有なのかもしれませんが、昆明は晴天率が高いため、マンションなどはほとんど太陽熱で温水を得ています。そのため、たまに曇りや雨が続いたりすると温水が出なくなってしまうのです。そういうときのために、湯沸かし器があったほうが良いのです。
(熱水器。曇りの日などにたまに活躍。でも安いのなら自分で買っても三千円ぐらいですが)
5.は排水がいいところ、ということ。この辺りは結構排水が悪いマンションが多いようで、トイレから汚物が逆流してあふれてくる、という話をよく聞きました。紙は流さずにゴミ箱に捨てるというのはこの辺では基本なのですが(ぼくらもそうしています)、それを守っていても、特に一階などでは、排水問題が少なくないようです。
ちなみに、街なかのカフェなどはどこも「大便禁止」になっています。下水道が大便に対応してないとかで。だから大は中国的な公衆トイレに行かざるを得ない。もちろんドアなし。
(ほとんどのマンションに付いている給水器。これで熱湯と常温の水が出てきます。このミネラルウォーターは18リットルぐらいで80円。電話一本で新しいのをすぐに持ってきてくれる)
(キッチン。真ん中の炊飯器は、新品で800円で買ったのですが、3回ぐらい使ったら、音を立てて壊れました。キッチンの窓は常に空けている。ガス漏れがまれではないらしいため)
(雲南省は空気がとても乾燥しているため、加湿器は必須。でも結構高い。最も安いのを買ったのですが2000円ほど)
(左は中国系南アフリカ人で、台湾の友達に紹介してもらった人。中央は彼に英語を習う中国人。なぜかジャックという名)
ではまた。
さて、何を書こうか、という感じです。
数日前から部屋にADSLが入り、いつでもネットできる状態となりました。だから、もうちょっと頻繁に更新したいなと思ってはいるのですが、その一方で、毎日の生活に変化がなく、何かを書いたらいいのか、と考え込んでしまう日々だったりします。
唐突ですが、2年近く旅をしてみた今、そして昆明で腰をすえた生活を始めた今、二人とも自分たちは本当に旅することが好きなわけではないのかもしれない、ということを感じはじめています。もちろん普通の意味では旅は好きなのですが、他の長期旅行者と比べると、自分たちはこれほどにも長い旅に向いているかというとそうでもないと思えてくるということです。
旅中のこのHPからだと、毎日精力的に何かを見て回って充実しているように見えるかもしれませんが、実はHPに書いていることの合間合間にはひどく長くダラダラした時間があるんです。ほとんど何もしてないに等しい時間が。そして常に移動後には、同じ場所にしばらくいたい、という気持ちが出てきていました。
今、定住生活を始めてみて思うのは、上のような気持ちは、旅がひどく長くなっていて疲れていた、ということも確かにあるのですが、それ以上に、ぼくら自身がいろいろなところを見て回るより、一箇所でいいからゆっくりと異文化に浸かることに興味があるせいだろうということです。
そういった意味で、今はほんとに日本にいるのとあまり変わらないような生活になってしまっているものの、日々ちょっとしたことで中国という国を感じることを二人とも楽しんでいます。
さて、次回からはそんな些細な中国的日常生活のことを書いていこうと思います。
とりあえず次回は、今の部屋を選んだ基準について、にする予定です。
更新頻度、がんばって上げたいです。
ではまた。
こんにちは。
淡々とした毎日が過ぎています。
昨日ぐらいまでずっと春節休みが続いていたため、多くの店が閉まっていたりして、なんとなくぼくらも休み気分になってしまっていました。
(2月9日元旦。町は多くの人で賑わう中、路上に文字を書く物乞いが。こちらでよく見かけるスタイルで、なんだかとても中国っぽい気が。)
(昆明名物?町の中心にある池。鳥がたくさん)
でもちょこちょこと出来ることを始めています。
まず雄生は最近は、広い部屋を存分に使って、書きかけの原稿を日々書き進めています。快適な空間があるため、なかなかはかどっていい感じです。一方素子は、楽器を弾いてもご近所さんにあまり迷惑がかからなそうな感じなので、中国の楽器をはじめることになりそうです。二胡や月琴、琵琶、また、葫芦糸(フルース)という雲南少数民族楽器などなど、色々あるのですが、前から気になっていた二胡から始めてみようかと思案中です。
(楽器店で試し弾きをさせてもらいました。見かけによらず結構難しかった)
また、東京在住の中国人の友達からパソコンとメールでできる仕事を回してもらえることになり、それを始めました。原稿料だけでは今のところ貯金は増えそうにはないので、こちらで日本語を教えるなどして働こうと思っていたのですが、収入も中国価格になってしまうので、ちょっと迷っていたところ、そんな話を得ました。バイト的なものとはいえ、日本のレベルの収入となると、こっちでは結構大金なので助かります。それだけで、生活費のかなりの部分が補えそうです。
前にも書きましたが、学生ビザでこのように副収入を得ることもどうも違法ではなくなったようだし、また、これまで学生ビザでは中国からの出入りが自由にできないらしかったのが、それもつい最近変わったとのこと。ビザの有効な範囲内で何度でも出入国ができるようになり、これもまた朗報でした。
このようにほんとに最近、中国は自由になっているらしいです。ここに来るまでは中国では色々と不自由を感じるのではないかと思っていたのですが、全くそんなことはなく、本当に快適に過ごしています。ただ、居場所を警察に届けないとだめなことや、電話線を引くのに外国人は保証金が高い、などということはありますが。ちなみに私たちの大家さんは警察官で(しかもとてもいい人)、困ったときは何かと助けてもらえそうです。
(マンションを出てすぐの道。このあたりは自動車修理所が多い)
(マンションに一番近い公衆トイレ。私たちが良く行く地元の食堂にはトイレがあるところが少ないため、食事中にもよおすとこういう公衆トイレを使うはめに。もちろんドアなし)
2月末からは学校も始まり、中国語の家庭教師も探そうかと思っています。家庭教師は1時間400円くらいで、学校でマンツーマンで習う額の半額くらい。そのかわり質はピンキリなのですが…。
それではまた!
雄生&素子
中国は今日が正月、いわゆる旧正月、春節です。昆明では、6日あたりから多くの店が春節休みに入り、15日ぐらいまで休むのが平均的なようです。かなりの大型休暇。
それだけ重要な行事というのがよく分かったのが、昨日の年明け前の町の様子でした。夕方ごろからどの道にも爆竹の音や打ち上げ花火がみられるようになりました。
(近くの裏道で花火、爆竹を鳴らす子供たち。写真からはそんな様子はよく分かりませんが…。以下同)
ぼくらは、夜10時ごろまでは外にいたのですが、夕方ごろから町中が花火・爆竹の音と光で満たされてきたので、これは眺望のいい部屋をいかして、部屋から町を見たほうがいいだろうと、部屋に戻りました。
12時になって新年を迎えると、かなりすごい景色が広がりました。まさに町中で大きな花火が上がり、爆竹が鳴り、町全体が揺れて、割れているかのような大きな音がしばらく続いたのです。一箇所で上がる花火は、もっと大きなものがあるにしても、町全体が花火で埋め尽くされるというのは初めて見る光景でした。
北京や上海はもっとすごいのだろうと想像されるのですが、テレビは全く他の町の様子を映さなかったため、よく分からず。紅白のような番組が年明けの何時間か前からやっていたのですが、紅白と違って、年が明けてもそのまま番組が続きっぱなし。他のチャンネルも年越しをまたいで番組をやっているのが意外でした。
(昆明・町の様子)
こんにちは。昆明について一週間。これまで毎日、部屋探し、学校選び、知り合い作りなどに費やしていました。特に部屋探しが中心で、ここ5日ほど毎日不動産屋通いをしていました。そしてやっと一昨日正式に部屋を決め、昨日引越しをすませました。
前回書いたように、もともとはゲストハウスに少なくとも一ヶ月ぐらいはいることになるかな、と思っていたのですが、人に話を聞くと、もっと全然安くでとても快適なところはいくらでもある、と聞いて、部屋探しを真剣に始めたというわけです。
すべて中国語での不動産屋回りは、かなり骨が折れる作業でした。10軒ぐらいはなんとか自分たちで回って物件を見ていったのですが、細かい話になると全く分からない。で、あまりに話が通じなくて困ったある不動産屋が、突然知り合いの日本人を呼んでくれ、結局その彼に細かなところを通訳してもらいながら、最終的に部屋を決めることができました。
(昆明はいつも空がきれい)
(電車はたまにしか通らないので線路も道)
(これがぼくらの平均的な晩飯。野菜の炒め物とスープが一皿50円ほど。肉が入ると100円ぐらい。ご飯はボウルに入って10円ちょっと。だからこれで二人で200円。量はかなり多い。すべてが油っぽいのがつらいですが、でもたくさん野菜が取れるのがうれしい)
昆明は、食べ物が安いばかりでなく、部屋もとても安い!その上とても広い。結局ぼくらは、中国生活としては想像していなかったようなきれいな3LDK(100㎡以上!)の高級(?中国では、かも)マンションになりました。
(リビングルーム。左奥に見えるのがダイニングキッチン。雰囲気がちょっとダサいのが残念なのですが(これまでには考えられなかった贅沢な発想!)、家具や装飾品などもすべてそろっていて、とても快適)
(部屋のベランダからの眺め。ちょっとした高台になっていて、しかも5階なので眺めがいい。でも、エレベーターがなく、さらに坂ばかりなので、部屋に戻るのがちょっと大変……。手前に見える建物がぼくらのマンション郡です)
これが一ヶ月15000円程度(家具付)。二人で割ると、タイの安宿よりちょっと高いというぐらいです。多分ぼくらは、日本ではこんなところに住むことはできないだろうと思うので、昆明にいる間だけでも豪華な部屋の生活を楽しもうと思ってます。この部屋に住んでいても、生活費は予定よりも安く済む計算。バックパッカーライフとはしばらくお別れです。果たしてこれからまたバックパッカーに戻れるのか、という不安は少々ありますが……。
学校も大体絞れて、友人も出来てきて、昆明生活は楽しくなってきています。
ちなみに、中国は最近いろいろな面で外国人が住みやすくなっているようです。以前は外国人は中国人が住むのと同じところに住むことはできなかったそうです。それに昨日聞いたところによると、つい最近、学生ビザでアルバイトすることも可能になったようだし、また、学生ビザを持っていれば、その期間内で何度でも中国の国外への出入りも自由になったとか。自由化がどんどん進んでるという印象を受けます。
ではまた。
(ゲストハウスに泊まっていたときに朝飯を食べていたところ)
(その店の小龍包。10個で30円!)
数時間前に、台湾・高雄から次なる目的地の中国・昆明に着きました。今回は飛行機で一気に移動だったため、さすがに早かった。あっという間でした。香港で4時間トランジットで待ちましたが、香港の空港はほんとによかったです。4年連続で "Airport of the year" に選ばれているのにも文句なしで頷けました。
昆明について早速、少なくとも一ヶ月は滞在する宿に部屋を得て、また、近くのカフェではノートPCが無線でネットにつながることが分かり、インフラ整備が順調に進み、ほっと一息してます。来月後半からは本格的に中国語の勉強を開始します。
ところで、書く機会を逸していましたが、右の「MAP」中の地図は、これまでの(2003年7月~2004年12月の一時帰国まで)ぼくらの旅の移動経路です。白線が陸路で移動したところ、色線はその他の移動手段(主に飛行機)のところです。これまでここに書いたこととあわせて見ていただけるとうれしいです。詳細をいずれその地図の下に書きます。
今日は早速、前回ぼくらの中で好評だった中華料理屋にいって、激安激ウマぶりに感激してます。本格中華、二人とも腹いっぱいで300円程度でした。これが昆明の一番いいところかもしれません。
ではまた!
とりあえず到着報告まで。
(昆明の中心部。ほんとに東京みたいです。上海などはほんとにすごそう。)
昨日ようやく第二目的地の中国の昆明(クンミン)に到着しました。
昆明は、来年住もうかと考えている町だっただけに到着したときには、他の場所とは違う感動がありました。昆明に着いたすぐは、イメージ通りの中国という感じで少し気後れしましたが、しばらく町を歩き、今いる学生街にたどり着くと、外国人も多く、とても住み心地のよさそうな場所でちょっと驚いています。
昆明は、中国でも雲南省という西南部の地域にあるため、それほど都会ではないだろうと思っていたのに、まるで渋谷や新宿のような大都会です。東南アジアのあとだからというせいもあるのかもしれませんが、なんだか東京にいるような気分でもあります。
来年はここで、中国語を学びながら、他に仕事もできればいいなと思っています。
ところで、ラオスからここまでは、合計30時間くらいのバスの旅でした。中国の国境のから1時間のところにあるメンラーという町からは寝台バスに乗ったのですが、バスの中に所狭しと2段ベッドが並んでいて、20時間くらいずっと寝転んだ状態だったので病人になったような気分でした……。でも、バスの内部はとても綺麗で快適な旅ではありました。
(ラオス側の国境。写真の奥側がラオス)
(中国側での入国審査前。日本人は2週間ビザなしで入国できます)
(中国側)
(昆明行きのバスを待つためにメンラーで1泊。バス停近くの果物を売るおじいさん。カメラを向けると突然気をつけ!)
(バスの前方から後ろに向かって撮ったもの。この列が縦に3列ならんでいます)
明日、昆明を出て、また24時間かけて電車で広州へと向かいます。そこで東ティモールであった友人に会ってから、香港へ行く予定です。12日には成田に着き、一ヶ月ほど日本に滞在するつもりです。
雄生&素子
(ラオスのルアンプラバンでは東ティモールで出会ったオランダ人のエドメと再会。私たちが東南アジアを北上している間、彼はインドネシア、日本、韓国、中国、ベトナム、カンボジアを抜けてラオスに来ました。彼もすでに19ヶ月旅を続けています。今回はたまたまラオスで再会できてラッキーでした)
(ルアンプラバンの地元の小学校。ランチ中です)
(ルアンプラバンのナイトマーケットで。ご飯の上に好きなおかずをお皿に乗せられるだけ乗せて一杯50円くらい)
(ラオコーヒー。コンデンスミルクがおいしい)
(ラオスの中国国境付近の町で。メインストリートを一本入るとこんな田舎な風景ばかりです)