久々に町で見かけた中国っぽい風景をいくつか。
これは家の向かいのラーメン屋(?)。店の前になんか動物がいるぞ……
と近寄ってみると、これ、羊の死体。しかも首にナイフが突き刺さったまま。
そして夕方帰りがけに見てみると、きれいに骨だけに!
なんてあまりこんな写真ばかり載せてると、抗議がきそうだ。
で、今度は上のラーメン屋の通りを曲がってすぐのマンションの様子。
一見全くふつうの中国マンション。各部屋から洗濯物がかかっててのどか~
と思いながらも、よく見てみると、あれ??
この部屋、かかってるのは、洗濯物じゃなくて、肉!豚の破片。
一週間ほど前に通ったときもこの部屋にはやっぱり肉がかかってました。肉屋なのかな。
それから中国も最近はクリスマスを祝うようで、ってまあ日本と同じ感じように若者の祭りって感じですが、町もちょっとだけクリスマスムードになってました。
夜道端で中国バーベキュー食ってる人たちもこんな。
ちなみに、クリスマスは中国語では聖誕節(シェン・ダン・ジエ)。で、サンタクロースは、というと、聖誕老人(シェン・ダン・ラオ・レン)。
うーーん、渋い。
中国語はほとんどすべてがこのように意味的に(音ではなくて)訳されるから、結構面白い。たとえば、NBAのチーム名で、「76ers」は「76人隊」。マイアミ・ヒートは、「熱隊」。だから中国人とはNBAの話がなかなかしづらい。また、iPODの「アップル」も「苹果(ピングオ;りんごという意味の中国語)」となっている。なんかかわいいきもするけど。
こないだの料理ネタつながりで。
今日は久々に家に友人を呼んで、一緒にディナー。
午後数時間かけて二人で作った料理がこれら。
手巻き寿司、コロッケ、煮物、ほうれん草の胡麻和えなど。やっぱり日本人には日本食はとても喜ばれる。手巻き寿司っていっても、海鮮はなし。メインの具は牛肉の生姜焼きや玉子焼き(玉子焼きは友人作)。こっちでは安い湯葉も具の一つ。
もう帰国まで1ヵ月を切り、そろそろ日本から送ってもらったみりんなども底をつきそうで、日本食を作る回数も数えるほどかな~という感じ。
これは雄生作のコロッケ。
こないだの教訓を活かして、今回はいい出来。友人たちにも好評。でもコロッケって、なんか手間かけて作るのに、食べているのはイモ+α、味はソースって感じで、なんかむなしさあり。おいしいけど。(⇒それは工夫が足りないからかな?)
と、またお料理報告でした。
手術後から何気に一週間近くは、体調が悪いままでダラダラと過ごしてしまいました。
手術の翌日のこと。
朝起きたらいきなり寒気がして、退院するころには、すでに熱がありそうな雰囲気でした。
でも、とにかく帰りたかったので「もう退院していいですか?」と聞きにいくと、
「ちょっと待ってね」といわれ、しばらくしてから、
唯一多少英語を話す医者(といっても、腸(intestine)のことをinstituteと言っていた)が来て、軽く問診。風邪っぽいことを訴えると、しばらくして、
「君はもう一日入院しなければならない」
という。
「えっ?お腹は痛くないし、腸もなんともないので、家に帰りたいのですが」
というと、
「うん、帰ってもいいよ」
とひどく曖昧。「じゃあ、薬を持ってくるから待ってて」といわれて、
持ってきた薬は、4箱。しかしそのうち3箱が風邪薬で、腸の薬は1箱のみ……。
その予想が当たったのか、家に帰ってから風邪は悪化し、翌日、翌々日は39度前後の熱が下がらずにうなされてました。こう絶妙のタイミングで熱が出るとついつい手術と関連付けてしまいそうでしたが、症状が完全な風邪なので、寒さ対策を怠ったせいだろうと自分に言い聞かせました。
しかし術後4日後の土曜には、雑誌の取材で昆明のはずれの農村に行かなければならなかったので、その日だけはなんとか仕事をこなしましたが、あとはまあ、昨日ぐらいまで風邪気味が続いてました。
で、やっと、そこそこマシになった今日、ポリープの病理検査の結果を取りに行きました。悪性だったらどうしよう、とちょっと不安だったのですが、良性とのことで、ほっとしました。ま、前回も看護婦にポリープのことを「痔」だといわれたので、少しは疑ってかからなければならないのかもしれませんが。。。
雄生
(本文とは全く関係ありませんが、これが中国の標準的シャワー室!和式(中国式)便器の両側に足を置いてシャワーを浴びるんです。日本人的にはほとんどありえない空間ですが、安い宿などはどこもこのタイプ。ちなみにこれは日本人の友人宅。はじめはありえないと言っていた、その彼女も今ではすっかり慣れてしまったとか。ぼくらの家はきれいな西洋式ですが、確かにこういうのも意外と慣れてくるもんです)
前からブログに書こうかどうしようかと思っていたのですが、実はチベット方面に旅していた8月はじめころから突然血便が出始め、なんだこりゃ、と思っていたのですが、ずっと止まらなかったために焦りだし、9月の半ばに病院にいってみたのです。そしたら、大腸の内視鏡検査(ケツからカメラを入れる。胃カメラの腸バージョン)をやろうということになり、ビビりながらもやってみたら、なんと慢性結腸炎と診断されてしまいました。
薬を飲めば大丈夫、といわれたのですが、その検査結果の写真に腸の壁面から伸びている丸い物体があったので、これはなんだと医者に聞いてみたところ、「別に問題ない」といい、また、看護婦に聞いてみると「これは痔だ」とテキトーなことを言うので、気になって親戚の肛門科の医者に聞いてみると、「これはポリープでほっとくと癌化の可能性もあるので取った方がいいよ」といわれました。
大病をしたことがなかった自分は、「癌化」という言葉に正直ちょっとショックを受けてしまい、これは切らないとと思い、3ヶ月後の今月、ポリープ切除の手術を受けてきたわけです。
切除自体はそんなに難しいものではなく、検査と同様に腸にカメラを入れてその先についているワイヤーでポリープを焼き切るというだけなので、昆明でやってしまいました。腹を切らなければならないならもちろん日本に帰りましたが。
9月にやった初めての内視鏡検査のときには、そのいい加減な雰囲気にびっくり。普通内視鏡を入れるとなれば、素人にとっては一大決心で臨んでいるものなのに、なんと雰囲気はラーメン屋と一緒。というのは、順番待ちの人がそれぞれ金額やら自分の受けたい検査内容(胃か腸か、麻酔いるかいらないか)を示すレシートのような紙切れを手に持って、前の人が終わって検査室のドアが開くと、一斉に「次はおれ、次はおれね」といった感じで、そのレシートを医者に手渡すんです。それで、医者が「よし、じゃ、次はアンタね。ハイ、寝て」と指示を出し、その5分後ぐらいには検査開始。ちょっとはカルテとか見ないのか、っていう感じですが、そんなものはなさそうな様子。うーーん、すごい。
で、今回の手術もそんな感じで進むのかと思えば、「手術」という言うだけあって、さすがにもっと気合が入っていて、検査室に行くと、すでにぼくのポリープの画像がモニターに映し出されてて、医者が見つめていました。そしてさらに、手術は危険なこともあるので、ぼくの学校に連絡しておかないといけない、とわざわざ医者から学校に連絡を入れてくれたりするわけです。
でも手術開始直前に、失敗しても文句言わないっていう書類にサインするわけですが、「消化管出血、消化管に穴が開く、手術失敗、○○が起きても……」というところを指して、「ま、普通は大丈夫だよ」とあたかもたまには起こるよと言った雰囲気で言うところにちょっと、ほんとに大丈夫か?という気持ちになりました。
そして、一緒に病院に来ていた素子が、手術を見たい、というと、「あぁ、いいよ」とあっさりOK。白衣着用とかそういうのもなかったけど、普通こういうのって簡単に見せてもらえるものなんだろうか。ブログ用に写真、と思ったもののそれはさすがに断られました。
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さて、手術ですが、担当の主治医に加え、助手やら看護婦やら、なぜか外科医のお医者さんまでいて合計10人くらいで取り掛かったいたので、これだけ大掛かりだと安心だ、と思ったのですが、看護婦3,4人はそばに立ってモニターを見ながら、腕を組み合って何か耳打ちしたり、楽しそうに笑ったり、社会見学に来た小学生みたいな雰囲気にちょっと唖然。途中婦長みたいな人がその中の看護婦一人に麻酔の追加(だと思う)をさせていた。だいじょうぶか…!?とちょっと冷や汗。でもさすがに主治医はちゃんと雄生の腸に集中していて、少し手間取っていたものの、20分くらいでポリープをつかみ、焼ききってくれた。そのときその社会見学看護婦たちから「好(ハオ)!」などと掛け声がかかっていた。ポリープを吸引してお尻から取り出すときも、「もうちょっとででるよ~」「よし、きたきた!」などと思い思いに好きなことを口にする彼女たち。そしてちらちら私の方を見る。とりあえず愛想笑いしておきました。
手術は30分ぐらいで無事に終了。麻酔から目覚めた雄生はろれつの回らない口調で…
ゆ「とれた?」
も「とれたよ」
ゆ「腸やぶってなかった?」
も「やぶってなかったけど、何回かつついてたよ」
ゆ「ふふっ」
とりあえず本人も安心した様子でした。
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手術後は病室に行き、一晩入院。
手術後夕方に友人が見舞いに来てくれました。朝から何も食べられなかったため、病室についてまず、何か食べ物はないかと頼んでみると、病院なのになんと食事は普通のギトギトの中華料理しかないこと。しかしうれしいのは、ぼくらと友達あわせて4人いたので、「4人分いるか?」と料理を4人分持ってきてくれたこと。
さらに病室にベッドが二つあるので、「妻もここに泊まっていいか」と聞くと、全く問題なくOK。結構快適な入院生活でした。でも、次の朝起きたら風邪気味。それから三日ほど、高熱にうなされる日々が続きました。。。。
(外国人はすべて大きなバスルームとリビング付きの部屋に入れられる。快適でした)
突然何を書くのかという感じですが、昆明に来てからぼくも本格的に(?)料理をするようになり、この一年弱の間に和風の煮物からコロッケまで、一応いくつもの料理を作れるようになりました。オーストラリアでの安宿やバン生活の中でも、それなりにやってはいたのですが、どうしても自分は野菜を切るとかそういう作業っぽいことが多くなり味付けは素子という展開で、実際にどうやって味をつけるかとかそういうことはよく分からずでした。
「本格的に」と書いたのは、遅ればせながら、いくつものメニューをはじめから最後まで、自分ひとりでちゃかちゃかと作ってしまえるようになったということです。肉じゃがなどの煮物系、中華系の炒め物、コロッケ、(豆腐)ハンバーグといったところです。味はといえば、素子的には悪くないとのこと。何気に結構筋は悪くないんじゃないか、と自画自賛してます。
ところで、こないだコロッケを作っていた気づいたことを一つ。コロッケのころもを作るときの小麦粉⇒卵⇒パン粉、この卵はなんの役割を果たしているのか、ってことについてなんですが、もともとこれは、パン粉をくっつけるためのノリの役割だけとしてしか考えてませんでした。しかし、実はそうではないらしいことを発見(?)。
というのは、さあころもをつけよう、というところまで来て、卵を買い忘れたことに気づき、買いにいくのはかなり面倒だったので、なんかで代用できないかと話していたところ、「パン粉がくっつけばいいわけだから、水に溶かした片栗粉でもいいんじゃないか」という結論に達したわけです。
しかし、実際にそれでやってみると、確かにパン粉はちゃんとくっついて一見いい感じになったものの、揚げてみてからびっくり。なんと高温の油の中で、次々ところもがはがれてしまったのです。それで、卵は実は、揚げたときに固まってパン粉をしっかりと固定するのだなということをはじめて知りました。
……全くオチがないのですが、それが分かってうれしかったという話でした。料理はこれまで全く未知の分野だったので発見が多くて意外に面白いです。
ちなみに、中国的料理ネタで面白いのは、こっちには「野菜についている農薬を洗う洗剤」があること!中国は野菜によってはかなり農薬による汚染度が高いとのことでこのようなものがあるのですが、ケミカルをケミカルで洗うという発想で、果たして客がついてくるのかが不明です。
あと、こないだ家の前の餃子屋で餃子を頼んだところ、作ってる女の子が途中で手鼻をかみ、手についた鼻水を柱にこすりつけた後に、手を洗わずに餃子作りを再開したシーンに少なからぬショックを受けました。
雄生
(京都の愛犬"はる"。来月会うのがたのしみ。も)
最近なんかバタバタしていて、どうも更新が滞りがちになってしまってます。
気づいたらもう前回の更新から2週間!うーーーん、このごろ特に時間が経つのがなぜかホントに早い!
そうこうしているうちに昆明もあと1カ月半。そろそろ総括に入らなければという感じです。その後はまだ未定ですが、とりあえず1月半ばに二週間ほど日本に帰国して、その後は上海辺りに移住することを考えています。最近正直、昆明も飽き気味ですが、新たな町で一から新生活を開始するのもまた億劫だなあ~という気も。旅してたときと違って、一ヶ所に落ち着いて生活を始めると、そこになじんできて楽になるので、なかなか腰が重くなってしまいますね……。このごろは、また旅の生活を始めたいな、という気も強くなってきてます。
ところで、ぼくは最近はライターの仕事がちょこちょこと入り、それをできる限りやって金を稼ぐことに精を出しています。夏ごろに会員になった海外のライターの集まりから結構いくつも仕事の話が来るので、とても助かってます。書く媒体のジャンルも、これまで書いてきた硬派系のものじゃなくて、軽いタッチのものが多いので、自分にとっても新たな雰囲気の文章に挑戦する上でいい勉強になります。また、中国人のカメラマンと一緒に仕事をするということも経験し、それがなかなか楽しくてうれしい。
9月からは2ヶ月ほどかけて、あるノンフィクション賞に応募するために、原稿用紙330枚に及ぶ長編を書きました。一冊の本に相当する分量で、もちろん初めてそんな長いのを書いたのですが、本を書くとはどういうことか、というのがなんとなく肌で感じられたような気がしました。ま、入賞するのは厳しいとは思いますが、今回はとにかく一つ形にできたってことだけでもよかったなと思ってます。
この賞は賞金も結構高額だし大きな賞なので期待も少ないのですが、実は以前、もう少し小さめな紀行文の賞に応募していて、その賞はレベル的にも、送った原稿の出来ばえ的にも、何気にいけるんじゃないかと思っていたのですが、まんまと落選。しかも、直接発表を見たわけではなく、ある人のブログで、受賞の連絡がきた!っていう記述があったのを見つけて分かってしまったため、がっくりきて、1時間ぐらいはショックを受けてました(すぐ立ち直りましたが)。ちょっとまだ納得いってなかったりするのですが、そんなこといってても情けなくなるだけですね。
でもその原稿を無駄にしないために、なんとか他誌でのリベンジ掲載を狙いますが、そううまくはいかないだろうな、っていうのもホンネです(笑)。
日本を出てから2年半近くが経ち、その間それなりに書くことで金を稼いできはしたものの、やはりかなり貯金が減ってきて、最近は金銭面でのプレッシャーが結構でてきてます。金を稼ぐことと自分のやりたいことを両立するのは大変だなってことを実感しますし、物事そんなに思うようにはいかないな、っていう当たり前のことを肌で感じる毎日です。
30までに自分の方向性を明確にしたい、と思って26で日本を出たところ、すでにもうあと半年ちょっとで30になってしまう。。。
そんな今、ふとよく行くカフェに置いてあった小林紀晴の「アジアン・ジャパニーズ」を手にして読んでみたのですが、同じようなことをあれこれと考えながら右往左往している人たちの話だったので、タイミングいいな、って気がしました。
でも、そうやって迫り来る現実を見つめながら、今できることはなんだろう、と思って必死になるってのは、結果はどうあれ、結構楽しかったりするんだなってことも感じてます。
ま、コツコツがんばります。
雄生