(泊まっていたマンリービーチの朝)
昨日の夜、無事に上海に戻りました。
10時間ほどの飛行機が前以上にきつく感じるのは、歳をとったせいなのか、飛行機に乗ることにエキサイティングさを感じなくなってしまったからなのか、、、と考えてしまう帰りのフライトでした。で、着いたら、あまりの疲労に、空港からタクシーで帰ったのですが、遠回りをされ、降りるときには、いくら払うかで言い争いになり、おおもめ。いきなり、中国に戻ってきたな~って実感させられました(笑)。
オーストラリアの人のフレンドリーさに今回今まで以上に感激してしまったのは、中国とのギャップのせいだろうなって思います。やはり、人とすれ違うたびにお互い笑顔をかわし、店員がみな笑って応対してくれる世界はホントに気持ちがいいなって感じました。国の違いによって感覚や習慣がここまで違うのか、ということを改めて驚かされました。しかしその一方で、整然としたシドニーの町を歩きながら、混沌とした中国社会が懐かしく思えることもあって、自分は中国に対して、言葉では表せない感覚的な親近感を覚えていることも実感しました。
(街全体がこんなイメージでした)
以前オーストラリアに長く住む知り合いが
「外国で暮らしはじめると、まずその国がとてもすばらしく思え、日本の悪いところばかりが目に付くようになるけど、しばらくすると、今度はその国の悪いところが気になりだし、日本がとてもいいところのように思えてくる」
といっていましたが、それにはまさに同感です。その二つの段階を越えて初めて、日本と他国を対等に比べられるようになるのかな、とも思いますが、そこはまだ未知の領域です。。。。オーストラリアは今回行ってみて、本気で移住してもいいかな、と思うぐらいの快適さを感じましたが、たった一週間ほどの滞在で、オーストラリアのいいところばかりを思い出したためというのも否めないだろうなと思ってます。
ま、そんなことは別として、いずれにしても、今回はとにかく楽しい休暇という日々でした。
(海も空も極上の青)
(シドニーの中心部。ここに初めて来たのは97年3月(すでに9年半前、まだ20歳のとき)!それがちょうどキャンベラで素子と知り合ったとき。それから遠距離恋愛が始まったものの途中振られかけ、説得しに9月にキャンベラまでいって、しかし×で、追い返されるように日本に戻り、でもくじけず、なんとその10日後にまた全バイト代をはたいてキャンベラへ。。。という、半ばストーカー気味な東京--キャンベラ往復の日々の間、常に通ったのがこのシドニー。外国でもっとも思い出深い街の一つです)
(夕日に染まるオペラハウス。97年に初めて見たときに比べて随分と黄ばんだような印象をうけました。実際はどうなのだろう。。。)
ちえちゃん、なおきくん、どうもありがとう!お疲れ様!
オーストラリアも早いもので残りあと2日になってしまいました。
chieちゃん夫妻の結婚式も無事に終わり、久しぶりに会ったボランティア仲間とも楽しい時間を過ごしています。
(披露宴の会場のビーチハウスで。新婦のchieちゃんは元イルカトレーナーでバンバリーでのイルカボランティア仲間。新郎はジャパニーズオーストラリアン)
そして結婚式の次の日、日本から結婚式に参加していた人たちのために、新郎新婦が動物園とシドニー近郊へのツアーを準備していてくれました!動物園がこれが何気に楽しくて、みんなではしゃいでしまいました。
(へびを首に巻いて喜ぶ雄生)
(カンガルーをさわって喜ぶ素子)
(そしてお約束のコアラ)
このあと、シドニー近郊のブルーマウンテンを観光して、その近くにあるchieちゃん夫妻の新居にお邪魔しました。
今日は海でビーチバレーをして、まだ寒いにもかかわらずちょっと泳いでのんびりな一日。明日もビーチ周辺でのんびりする予定です。
オーストラリアに来てここの綺麗な環境とのんびりした雰囲気とフレンドリーな人びとに接して、やっぱりオーストラリアはいいなぁと実感しました。お店の店員がほんとーーーーーにみんなフレンドリーでびっくり&気持ちいい。習慣の全く異なる中国から来たせいかな?
(真ん中二人が今回の主役のChieちゃん夫婦。海の青が本当にきれいなグラデーションをなしていて感激!こんな海を見るのはいつぶりだろう。。。それを背景に新鮮なFish&Chipsを。オーストラリア的幸せな構図)
昨日無事にシドニーに着きました!
シドニーの空港に降り立ってみて、実はここが3年半前、2003年6月23日(24日だったかな?)のこの旅のスタート地点であることに気づき、ちょっと感激しました。いやあ、ほんとにあれから3年半も経ってしまったんだな、と。。。
空港まで今回の主役の夫婦とその友人が迎えにきてくれてて、彼らの車で今回の結婚式をやるManly Beachまで連れて行ってもらいました。で、その付近の宿にボランティアの友人たちと一緒に泊まっています。
Manly Beachはシドニーの中でもきれいなビーチとして有名なところですが、久々にみる極上の青い海にはマジで感動!!そして、その海辺でFish&Chipsを食べたら、オーストラリアムード満点!いやあ、やっぱりオーストラリアは気持ちいいです。すべてが広いし。。。混雑極める上海から来たから、なおさらそう思うのかもしれません。
今日午後から結婚式です。
(Fish&Chips。オーストラリアでの一番の楽しみの一つでした。。。)
一昨日、やっとバンが売れました!
ダーウィンに来て二週間、7件目のオファーでやっと商談が成立。
もともと2800ドルで売り始めたものを最終的には1500ドルで売ることになりました。とはいえ、もともと900ドルで買ったものだったので、修理費などを入れてもはらったお金は戻ってきたという感じです。
このバンを売っていた日々はきつかったものの、思い出深い時間だったような気もします。
スプレーを使ったりして車をきれいに見せるところからはじめ、
このような広告を
町中に貼りまくり、
(こんな感じで)
町の中心部にバンを駐車して、
(後ろのところも白を塗りなおしました)
電話を待ちます。
(2ヶ月ぶりのベッド)
2300ドルまで落とした段階で4件オファがものの、すべてだめだったので、
いよいよこんなものをバンに貼って、とにかく人の目に留まるようにがんばりました。
その後電話が来ても、待ち合わせ場所に来なかった人もあり、運転した挙句「ほんとに気に入ったよ!」とメチャクチャ期待を持たせたにもかかわらず次の日「1000ドルしかだせないよ」といってきた人もあり、ほとほと疲労困憊してました。
しかし、ついに7件目のイギリス人カップル(下の人々)が、即決してくれました!
(とてもいいひとでした。買ってくれたからというわけではなく)
バンが売れたのは非常にうれしかったものの、やっぱり他の人とともに去っていくのは寂しいものがありました。これから彼らははるかメルボルンまで(おそらく5000キロ以上はあると思います)行くとのことでした。
(バンが札へ)
ところで今後の予定ですが、明後日(月曜)の早朝の便でに東ティモールに発つことになりました。東ティモールは独立2年目の国で、5月20日にその二周年を迎えるとのことで、危険かもしれないと思い、国連事務所などへいって情報を集めたところ、特に問題はないだろうとのことだったので、行くことを決めました。おそらく2、3週間いたあとに、インドネシアへと移動することになると思います。
それでは、次に更新できるのはいつになるかわかりませんが、また近いうちに!
雄生・素子
まだ、ダーウィンにいます。バンが売れなくて…。
とはいえ、まだ10日ほどなので、決して長いわけではないのですが。
昨日までに2つのオファーがあったものの、値段の折り合いがつかなかったり、タイミングが悪かったりで今日の午前中で双方とも破談。そしてその間にエンジンの調子が悪くなり修理もしたりと、かなりハードな展開に少々疲れ気味です。
しかし、まだまだ。
なんと今日の午後にあらたに2つのオファーがあり、30分後に彼らと会うことになっています。なんとかこのうちの一方に決まればいいのですが。電話があるたびに皮算用をしてぬか喜びをしています。
ちなみに、バンでの寝食生活にかなり疲労してしまい(とくにぼくが。蚊や他のわけのわからない虫さされのあとが片足に50箇所以上ずつぐらいでき、さすがに耐えられず……)、今日から思い切って、エアコン・テレビ・キッチンつきのロッジに移ることにしました!ここで次の国へ向けて気力体力ともに回復させたいものです。なんとか一週間以内にダーウィンを出られればと思っていますが。
でも、ダーウィンはいい町です。
ではまた。今回は文章のみで。
雄生
こんにちは!すでに二週間ほども更新していませんが、
一昨日やっとバンでの最終目的地であるダーウィンに無事に到着しました!
ダーウィンはオーストラリア中央の北端付近です。
こないだHPに書いたブルームの後はかなり小さな町や村、または国立公園などが
続き、なかなか落ち着いてネットにつなぐということはできませんでした。
(リッチフィールド国立公園。川に浸かりながらの昼ごはん)
ここまで、バンバリーから5000キロほどと思っていたら、なんとすでに7500キロ近く走っていました。
この辺は、町と町の間が200キロ、300キロというところばかりで、また、北部で最も有名なカカドゥ国立公園(世界遺産)は、公園のエントランスからビジターセンターまでなんと85キロもあったりと、距離の感覚がかなり変わりました。7500キロといえば、地球を5分の1周ちかくしたことになりますが、それでも大陸の西半分を北上しただけであり、大陸一周の3分の1だけだったことに驚かされます。
とにかく何もないところが多く、途中の風景が変化に富むわけではありませんが、その分、自然の力を肌で感じた気がします。水を40リットル、予備のガソリンを10リットルほどもっていましたが、それでも、行き交う車もかなり少ない道中でバンが壊れたらどうなるのか、とたまに心配になりました。
(300キロほど離れた町にたどり着いたものの、ガソリンスタンドの200mほど前でガス欠になったことも。予備タンクは必需品でした)
(サイクロンの影響で道路が水没しているところがあれば、)
(国道の真横で山火事が起きていることも)
道すがら、野生の動物が多く見られましたが、干からびて死んでいるウシ、ウマ、カンガルー、ブタ、イヌ、トリ、イグアナなどを次々に見かけると何気に他人事ではないな、という気分にもなります。
カカドゥ国立公園で、早朝のボートクルーズからみた朝焼け。一方そばには、)
(ワニが。この辺の川にはどこにでもワニがいるようで、全く泳げません)
でもいずれにしても、バンに特に故障もなく、無事にダーウィンまで来られたことにほっとしています。早速昨日からバンを売るべく広告を作り、町のあらゆる店や宿などに貼って回りました。バンを売りたい人は多く、しかし買いたい人は少ないためなかなか厳しそうなのですが、ぼくらはラッキーなことにさっき早速一つオファーがあり、ちょっと喜んでいるところです。もちろん買ってくれるかどうかはまだ分かりませんが。
また同時に、ここからの移動先も模索中です。インドネシアか東ティモールと思っていて、とりあえず航空券を探してみたところ、意外なことに東ティモールへはダーウィンから毎日フライトがあることが分かりました。でももちろん、政情・治安面などいろいろと情報を調べて様子を確認してから行き先を決めるつもりです。イラクでの日本人の誘拐事件のことはついこないだまで知らなかったのですが、そんなこともあり、ほんとに気をつけないといけないなと思っています。
それでは、そんなところで。
またここを出る前には更新したいと思っています。
みなさんお元気で!
ユウキ・モトコ
こんにちは
すでにブルームに一週間近く滞在してしまいました。
ここは、真珠で有名な町で、100年ほど前から日本人のダイバーたちがたくさん住んでいたことで知られています。大きな日本人墓地もあり、なんとなく親近感を感じています。
一応海辺の港町風なので、海もきれいなのですが、なんと海にはワニやら危険なクラゲやらがいるとかで、あまり入る気にはなれないのが残念です。
ここから先、まだダーウィンまでは残り2000キロほどあります。ダーウィンでは、バンを売らなくてはいけなかったり、インドネシアへの道を探さないといけなかったりと忙しそうですが、もうそれでこのバンでの旅も終わりかと思うとちょっと寂しいです。
それでは、また。
ダーウィンまでは町らしい町もなさそうで、今度はいつ更新できることやらと思っています。
雄生・素子
ブルームという町から久しぶりに更新します。1週間前に更新しようとしたのですが、なかなかチャンスがなく、文章だけ書いたものの、更新できませんでした。以下が1週間前の情報です。
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昨日、ポートヘッドランドという町に到着しました。車は順調で、バンバリーからすでに3000キロ以上を走り、ついにオーストラリア大陸西部の北岸までやってきました。
北に上るにつれて、カラっとした暑さに湿気が加わり、日本の夏に近くなってきたように感じます。さらに、ゴキブリ、バッタ、コガネムシ、アリ、蛾、ハエなど、虫の宝庫にもなりつつあります。
今の時期は台風(サイクロン)の時期で、今晩にもポートヘッドランドに上陸するかもしれません。すでに次の目的地であるブルームまでの道は閉鎖され、最悪の場合、避難場所に避難することになるかもしれません、、、。雨漏りのする車が無事にサイクロンを乗り越えてくれることを祈るばかりです。
それでは、また。
素子
(カリジニ国立公園。切り立った渓谷で知られています)
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サイクロンも無事に乗り越え、2日前にブルームに到着しました。この町についてはまた次回!
それではまた!
(北山家のみなさまへ:ちえちゃんは元気です!モンキーマイアで再会しました)
こんにちは。ローマ字でHPを更新したモンキーマイアからさらに数百キロ北のカノーバンという町でこれを書いています。ここでまた運良くノートパソコンを繋げられる場所を見つけました。
バンでの旅は順調に進んでいます。まだ1000キロほどしか北上していないものの、バンバリーを出てからの走行距離は2000キロほどになっています。ちょっと町中を走っているだけですぐに50キロぐらいになってしまうので、さすがに広いなと実感します。
こないだのモンキーマイアというところは、国道からちょっとわき道にそれた半島の先にあるのですが、わき道にそれてから何もない砂漠のようなところを150キロ。そのわき道を往復するだけで東京-名古屋間ぐらい(?)あるのかと思うとなんだか不思議な感じがします。
大きな変化といえば、ぼくの頭でしょうか。
こんな風になってしまいました。髪がいよいよ邪魔になって、パースで思い切って……。
(途中経過です)
10年ぶりにボウズ頭にしましたが、慣れると気持ちいいし、快適だし楽だしでとても気に入っています。
(アシカとともに)
ところで、北に移動するにつれて少しずつトロピカルな雰囲気になってきました。湿度が高くなり、木々が大きくなり、またアリなどの虫も巨大化してきたような気がします。また、アボリジニーの人が徐々に増えてきています。バンバリーではほとんど見かけなかったものの、北上するにつれ、白人の割合は減っていくように見えます。
それでは簡単ですが、そんなところで。
(島にいるのはアシカです)
Ima Monkey Mia toiu basho ni imasu. van deno seikatu wo hajimete kara sudeni 2 shuukan ga tachimasu. 1000km hodo hokujou shimashita.
Bunbury wo detekara PC wo tunageru koto ga muzukashiku nari, mail deno renraku ga torizuraku natte shimattemasu. demo genki de yattemasu node!
soredeha mata tugi no kikai ni shashin to tomoni koushin shimasu.
Yuki&Motoko
バンバリーを離れ、バンでの放浪生活を始めて4日ほどが経ちました。トイレ、シャワーをはじめ、今まで当たり前だったことの多くが容易にはできなくなったため、ちょっと慣れが必要ですが、これはこれで楽しく日々過ごしています。とりあえず二日ほどは、川のほとりや路上の駐車場にバンを泊めて寝ました。
(一日目に泊まったところ。ここはバンバリーで、イルカが最もよく見られる場所のひとつ。ここで最後にイルカとお別れ。)
(二日目の夜。バンバリーから150キロほど北にいったロッキンハムという町。道の駐車スペースで一夜を。)
そんなところでもトイレと水道さえ周囲にあれば結構快適に過ごせます。また、バーベキューのできる場所がどこでも容易に見つかるのもうれしいことです。
(ロッキンハムで車を止めたところのすぐ隣の公園。スイッチ一つで温まるので簡単)
昨日の晩は初めてキャンプサイトに泊まりましたが、そこで電源や冷蔵庫を使ったときに改めていかに自分たちが日々電気などのエネルギーに頼っているかを実感しました。このような生活をしていると、人はどんなことにどれだけのエネルギーを使っているのかが体感できる気がします。何をするにも、まずは電気、燃料を買わないと……ということになってしまいますね、残念ながら。
(キャンプサイトにて。芝生の上に車を止めて、電源、キッチン、トイレ、シャワーなどが使えます。オレンジ色のコードがぼくらのバンにつながり、これで車の中のコンセント口が使えるようになります。)
それと水って貴重だなあ……ということを身に染みて感じます。北の方はほんとに人が少なくなるので、途中で車が壊れたりしたときのために、常に水は欠かせません。今も40リットルぐらいは積んでいます。また、これからはガソリン代が出費の大きな部分をしめることになりますが、ぼくたちのバンは燃費がいまいちよくないのがつらいです。ここ数日で計算してみたところ、100キロ走るのに平均15リットル(ほぼ15ドル、日本円で1200円程度)ぐらいガソリンが必要なようです。まあそれでも、高速料金などはないですし、また、バスなどでいくよりも断然安いのですが。
昨日パースに着き、ここに数日滞在する予定です。それからさらに北を目指します。それではまた!
みなさま
パースももう6日目となり、明日には、ここをでて目的地であるバンバリーへと移動しようと思っています。バンバリーは野生のイルカで知られる町で、ここ西オーストラリア州で2、3番目の大きさの町だということです。しかし、ネット環境などはまだ不明なため、もしかしたらしばらくメールなどの返信が滞る可能性がありますので、ご了承下さい。
ではまた書きます。
雄生・素子
みなさんこんにちは。22日に無事パースに到着しました。
19日の夜メルボルンを出発して、翌朝にはアデレードに到着、アデレードで10時間程待ち時間があり、その後カルグーリという町で3時間停まった後、パースに到着しました。アデレードからカルグーリまでの数十時間は木と赤土しかない砂漠が延々と続いていました。途中、ブッシュからカンガルーが姿を見せるのを探しているうちに1時間が経過するという感じで、時間の感覚が狂ってしまうような感じを受けました。ただ、車内にはラウンジがあったり、カルグーリでは外に出て街を見ることができたので、あまりにも退屈するということはありませんでした。
パースに到着してからは、新聞やインターネットでアパートを探したり、携帯を探したり、相変わらずの毎日です。
こちらには日本人が多く、スーパーへ行くと、ここは日本かと間違うくらいそこらじゅうで日本語が飛び交っています。パースの日本人の密度は、シドニーよりも多いような気がします。
今週末にはバンバリーに向かう予定です。日本を出てから1ヶ月以上が過ぎて、ようやく目的地に到着できます。
日本は梅雨明けはまだなようですが、もうすぐやって来る夏を謳歌してください!
素子
3日間に渡る4000キロの旅を超えて、やっと西海岸に到着したものの、パースもまた、これまでとあまり変化の無いオーストラリアらしい街でした。当然といえば当然なのですが、もうちょっと変化があればな、と思ってしまいます。とはいえ、パースはやはり、評判どおりのこじんまりとしたきれいな街です。小さい分、いろんなものへのアプローチがよくて、便利です。
パースまでの電車は、ひたすら砂漠の中を走るというものでしたが、途中何箇所か停まった中の一つに、人口2人の町というのがありました。また、その他にも電車の窓から、だだっ広い中にぽつりと建っている学校が見えたりしました。そして砂漠といっても、写真で見るような全く砂だけのきれいな砂漠ではありません。どこにでも草や木が生えていますし、カンガルーもこっちを伺っています。
至る所に生き物はいたし、色は赤茶色だけではありませんでしたが、しかし2日も3日も360度地平線が続くという経験は実にオーストラリアらしいのではと思えました。
やっと来週には目的地に到着予定です。これからは腰をすえた生活の基盤作りをはじめないといけません。
ちなみに今日発売の週刊金曜日にやっとルポが掲載されたようです。よかったら見てみてください。
それではまた!
雄生
みなさんこんにちは。明日にはメルボルンを発ちます。こちらでは、街をぶらぶらしたり、友人に会ったりしているうちに、あっという間に時が過ぎてしまいました。
(メルボルンを通るヤラ河沿いに毎夜上がる炎のエキジビション)
先日、一人でトラム(路面電車)に乗りました。6年前に来たときは、ほとんどの人がトラムの料金を支払っていなかったので、今回も大丈夫かと思い、チケットを買わずに椅子に座っていました。実際、次々乗り込んでくる人達も、チケットを買っているようすはなかったんです。そうしたら、モーガン・フリーマンのような係員が突然トラムに乗ってきて、チケットの見回りを始めたんです。やばい、と思ったのも時すでに遅しで、
"パスポート見せろ""メルボルンで何してるんだ""いつオーストラリアに来たんだ"と質問攻めにあってしまいました・・・。"今回初めてトラムに乗って、どうすればいいかわからなかったんです、、、。"と言ったら、かなり怪しんではいたものの、しぶしぶ許してもらえました。後で友人に聞いたところ、通常だと$100の罰金をとられてもおかしくないそうです。ちゃんと払っておけばよかった、と今は反省しています。
こちらのトラムには係員が常にいるわけではないので、現地の人たちも、係員の目を盗んでただ乗りを横行しているようです。トラム側はトラム側で、私服の係員を配置したりと、かなり気をもんでいるとのことですが。
とにかく、そんなこんなで、明日からは三日間列車の中で過ごします。3日間の赤土の旅はかなりきつそうなので、トランプでも買って持っていこうと思います。では!
素子
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メルボルンもすでに五日目、明日が最後の一日となってしまいました。予想外の滞在でしたが、楽しめました。
この街では、オーストラリアがまさに移民たちによって成り立っている国なんだなあ、ということを実感しています。一見すると、髪も目も黒いアジア人が移民の代表のように見られがちですが、白人も、もともとはイギリスを始めヨーロッパ各国から新たな生活を求めてオーストラリアに渡ってきたわけなんですよね。ただ移住してきた時期が違うだけで。
それは当然のことですが、この街で、たとえばイタリア人、ユダヤ人、ギリシア人、中国人の文化を継承した人たちがそれぞれ根を張り、自分たちのコミュニティーを形成しているのを見て、なんだかそんなことを改めて認識させられました。祖先がイギリスからやって来た、いわゆるイメージ通りのオージーだけではなく、どこから来た人も全て等しくオーストラリア人なわけですよね。
かなり最近まで、特にイギリスに対して「さあ、人の少ないオーストラリアへ移民しましょう」というような呼びかけをしていたらしいことを聞くと、それはある意味、オーストラリア独特の成り立ちなのかな、という気がします。「移民」ということにぼくはなじみがないため、なんだか新鮮な感じがしているだけかもしれませんが......。あ、そう考えると、アメリカも似たようなもんなんですかね...。この辺に詳しい方がいらしたら、是非何か書き込んでいただければ幸いです。
さて、いよいよ目的地の西海岸へ移動します。メルボルンからパースまでは約4000キロ、東京-シドニー間の半分ぐらいあるようです。疲れそうですが、楽しみです。
ではまた!
雄生
今日早朝メルボルンについて、早速明日にはパースへ向かおうと列車のチケットを予約しに行ったら、なんと、メルボルンからパース行きの電車は週に一度、土曜だけでした!で、仕方なく、ここに5泊ほどすることになりました。つめが甘かったというかなんというか。
メルボルンはオーストラリアのほぼ最南端の大都市。ここでは早速ノートパソコンもつなぐことができました。さすがに都会という感じです。
あと、週刊金曜日、何度もお伝えしてますが、またまた遅れてしまって、7月25日号になったとのことです。とはいえ、いつまた変更になるのか分からないので、ご了承下さい。いや、実際に載るまで全く安心できないものです......。
取り急ぎ、こんなところで。
ではまた!
雄生・素子
みなさん
こんにちは。今日やっとキャンベラを発つことになりました。こちらでは、昔の友達や留学中お世話になった池田先生にお会いすることができ、充実した滞在になりました。
さて、私たちが宿泊していた"City Walk Hotel" というところは、街の中心に位置し、どこに行くにも便利なところでした。部屋には二段ベッドと洗面台、洋服ダンスだけしかない質素な部屋でしたが、キッチンなどの共同スペースがわりと広く、居心地は悪くありませんでした。
今夜キャンベラを発ち、明日の早朝にメルボルンに到着する予定です。パースまで一気にいければよかったのですが、車中三泊はさすがにきつそうだということで、メルボルンで一息いれることにしました。
では、また。
素子
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こんにちは。日本を発って今日で三週間です。特に、ここ一週間ぐらいは非常に日の経つのが早かった気がします。キャンベラに8泊もしていたとはおもえません。
ところで、今日はちょっとぼくらの生活状況についてお伝えします。元来の予定では、オーストラリアでは、一日一人2000円程度を目標にしていました。しかし、それはこっちに着いてすぐ、不可能だとわかり、こないだ概算してみたところ、3500円ぐらい(1豪ドル=80円で計算)になっています。内訳は宿が1500円~2000円、食費が1000円、交通費300円、その他200円ぐらいといったところでしょうか。キャンベラの宿では、かなり自炊をし、食費はおそらく1000円よりは安かったのですが、シドニーでの出費が効いています。
宿は、長期滞在でない限り、今のところ1500円ぐらいが限界です。昔はもっと安かったような気がしたのですけどね。オリンピックなどもあったせいか、数年前から妙に物価があがっているみたいです。
今のペースでいくと、日本で豪ドルに換金した一人50万円は半年もたなそうです。まあ、もう少ししたら収入が得られることを期待していますが。
メルボルンはおそらく通過するという程度で、数日後にはパースへ向かいます。パースまでの3日ほどの旅を経ればやっと定住先が見えてきそうです。
ではまた!
みなさん、お元気で!
雄生
みなさん
しばらくカウラという小さな町にいたので、ネットに接続することができませんでした。数日前にキャンベラに到着して、ようやくこれを書いています。
カウラでは、妻&ライターアシスタントと偽って彼の取材に同行し、メモをとったりしていました。結構使えるアシスタントだったのでは?と自負。何についての取材かは、したの説明を参照してください。カウラで取材に同行したおかげで、たくさんの町の人たちと交流でき、そのほとんど皆親切な人ばかりで、カウラをすっかり気に入ってしまいました。
さて、キャンベラについた翌日、さっそく留学していた大学に行ってみました。今はちょうど試験休みのため、学生がほとんどいなくて、ひっそりしていました。6年前を思い出し、心踊る思いでキャンパスを歩き回りましたが、やはり当時の友達がいてこその留学生活だったのだなとも思い知られました。
ところで、HPに書き込んでいただいた加藤さんのご要望にお応えして、コアラの写真を載せたかったのですが、とりあえずカウラで撮ったカンガルーの写真を載せておきますね。野生のコアラに出会える日はくるのでしょうか?!
あと、オペラハウスの写真は雄生作です。私もとったのですが、ピントが甘く、却下されてしまいました。。。
日本はもうすぐ梅雨明けですね!こちらはさっむいですよぉーー。
素子
首都のキャンベラについて、久々にメールを見ることができました。HPへもメッセージをどうもありがとうございました。しかし、この町でもなかなかPCをネットにつなげることができません。メールがなかなか送れなくてすみません。
数日前まで、カウラという人口9000人ほどの小さな町に滞在していました。数百メートルのメインストリートを一本はずれると、もう静かな住宅街となってしまうというほどなのですが、ある事件によってオーストラリアではよく知られています。第二次世界大戦中に、その町には捕虜の収容所があったのですが、1944年8月5日にそこで歴史に残る大脱走事件があったのです。
深夜2時、1100人の捕虜がラッパの合図とともに、バット、ナイフ、のこぎり、グローブ、毛布などの自家製の武器を持ち、いっせいに収容所を飛び出しました。みなが声をあげながら、あるものは銃を奪いに、あるものはフェンスを破りに、四方八方へとちらばり、逃げ出したんです。しかし、それは実は逃げるため、というよりも死ぬためだったようです。実際、幾人もが自ら首をつり、また銃で撃たれにいった。結果、230人ほどが数時間のうちに死亡するという大惨事となりました。彼らが収容所を出るときに叫んでいた言葉は「ばんざい!」だったといいます。そのすべてが日本人だったのです。
戦争史上に残る大脱走だったことに加え、日本人にとって捕虜になるということがどういうことだったのかを示す事件として、今もオーストラリアやイギリスではとても有名だそうですが、日本ではほとんど知られていません。そのことを調べにこの町に滞在していました。
当時この事件と関わった人を探して回り、町にいた関係者にはほとんどあうことができたものの、核心に触れる人物はもはや町には残っていないことがわかりました。
ま、そんなことをやっていたわけです。田舎だったためか、人がみなよく助けてくれて、とても気持ちのいい日々をすごすことができました。キャンベラではカウラでの取材をまとめて、なんとか一つの形にしようと思っています。
日本は大分暑くなっていることと思いますが、みなさん、お元気で!
雄生
みなさん
長らくお待たせいたしました。
ようやくHPがお見せできる形になりました。
ぼくの大学の友人須之内君が、海外出発前に間に合わせて作ってくれたのですが、私たちが直前にバタバタしていたため、結局公開が遅れてしまいました。申し訳ありません。
今、シドニーのネットカフェにてこれを書いています。
こっちは冬の足音が聞こえるといった感じで、日々寒さが厳しくなろうかという気候ですが、とりあえず今のところは天候にも恵まれ、元気にやっております。
初日は友人のうちに泊めてもらったものの、その後はなかなか快適かつ安い一つの宿に滞在しています。シドニーには10日ほどいる予定です。その後、首都のキャンベラによってから目的地であるパースへと移動するつもりです。
ぼくは少々ながら取材活動らしきものもはじめました。シドニーにある寿司屋の多くが実は日本人ではなく韓国人によって経営されているらしい、という話を聞き、早速その背景にあるものを探っているところです。その他にも一つ、戦争ネタに興味を持って情報収集を始めています。
ところで、7月11日発売の「週刊金曜日」に、ぼくのルポが掲載される予定ですので、思い出した方は目を通していただければ幸いです。この日程もすでに遅れているものなので、また遅れることがあるかもしれませんが、ご了承下さい。
では、取り急ぎ、近況報告まで。
みなさん、どんどん、このHPに書き込みお願いします!
お元気で!
近藤雄生
みなさん、こんにちは!
日本は今頃梅雨のど真ん中で蒸し暑いのでしょうか。
こちらは冬間近。日本の暑さが懐かしいくらいです。
こちらに来て、まだ1週間しか経っていませんが、2日前くらいから偏頭痛に悩まされています。環境の変化によるものなのでしょうか、、、。
私の方は、取材に走っている雄生君を横目に、カフェでのんびり読書したり、新聞を読んだり、悠々自適な生活を送っています。
会社生活に慣れていたため、こんなにのんびりしていていいのか、とふと考えてしまいますが、しばらくはこういう生活もいいか、と割り切って過ごしています。
来週からは、大学時代に留学していたキャンベラに移動し、その後、パースに向かいます。
随時ここで近況報告する予定ですので、みなさんもどんどん書き込みお願いします。
では!
青合素子
※結婚式の写真の中の一部に皆さんの名前を入れさせていただこうと思っていますが、もし名前を出したくない方がいらっしゃいましたら、メールでお知らせ下さい。
近藤雄生 ykon@
青合素子 motokoa@
@以下はともにwc4.so-net.ne.jpです。(変なメール防止のためこう書きました)