さて、だんだん時間が経ちすぎてだれてきたような気もするので、今回でこの北朝鮮話は完結させます。
前回は、昼休みが終わって喜んで橋まで行ってみるも、中国に戻るのに書類が必要なことが発覚し、それをもらうために、北朝鮮の出入国審査の場所へ戻るところまででした。
……で、その在日朝鮮人のおじさんがまだそこにいてくれることを願って、急いで出入国審査の建物の中に戻ると、ほっ!彼とその同行者の朝鮮族の中国人と思われる人物が書類を出したり、荷物を検査していたり、というところでした。ただ、おじさんは姿が見えるものの、すでに奥で荷物検査をしていたので、まだ近くに残っていた人の良さそうなその同行者(以下、おじさん2)に、助けを求めました。彼が中国語と朝鮮語の両方を話すのが救いでした。
「どうも、中国に戻るのに書類が必要らしいんです。でも、ぼくらが朝鮮語が話せないので、通訳してもらっていいですか?」
とお願いすると、さわやかにOK。で、とりあえず必要な書類をもらってペンを借りて、必要事項を記入。すると、荷物検査をしていたおじさんが、ぼくらを見てびっくりしてこっちにやってくきました。心配そうに、
「どうしたの?橋、渡れなかったの?」
「そうなんですよ。書類が必要だとかで。でも、彼に助けてもらって、この紙はもらったので、大丈夫だと思います」
記入し終わり、窓口にその紙を出す。その対応にあたる審査官がかなり感じが悪そうに見え、しかも、紙を出しても全く反応せずに、他の書類を見ながら隣の審査官と何か話している。言葉も分からず、状況も状況なため、このとき特に、ぼくはビビッてしまいました。そして、おじさんが横から一言。「物書いてるとか、ジャーナリストだとかはいいなさんなよ」。
審査官がなかなかぼくらの紙を見てくれないので、おじさん2に、ぼくらの書類を処理してくれるように再度頼んでもらうと、やっと、めんどくさそうに、紙を取り上げ、覗き込み、そして何かをおじさん2に聞いてていました。内容は全く分からないものの、いずれにしても、ハンコが押され、話が進んだ……。とりあえずほっとしました。
「これから2階に上がって、もう一つハンコをもらわないといけないので、この階段を上がって」
と言われ、ここで、ついにおじさんらともお別れ。
「気をつけて帰ってね」
「ほんとにお世話になりました。お仕事がんばってください」
などといった会話を終え、ぼくらは2階に向かいました。おじさんとはたった2時間話しただけだったのに、この状況のせいで妙に親近感を覚え、彼が奥に入っていくのを見送りました。
2階。出国審査をしている人物が仕事をしている個室に直接おもむき、ハンコをくれ、という。その人物は明らかにぼくらのこれまでの状況を何もしらなそうだし、ぼくらもイレギュラーな場所から話しかけているため、これはまた分かってもらうのに一苦労かな……と思いつつも、とりあえず中国語で
「1階の人が状況知ってるから、電話して聞いてみてくれ」
といってみると、通じた!そして彼が1階に電話をかけるのを見てほっとしました。彼は電話を切るとすぐに、もう一つハンコをくれたので、さらに安堵感が拡がりました。そして、もう一目散にそこを離れようとすると、また別な、横柄な感じの係官が寄ってきて、ぼくらの紙を見て、ここにサインがいるからちょっと待ってろ、といって奥に消えていったんです。その頃には、ほんとに早くそこを出たかったので、え、、、、まだ何か必要なのか、、、とがっくりドキドキという感じでした。
で、彼はそのまま奥に消えたきり帰ってこないので、「もしかしてここで1時間待たされる、とかそういう展開もありうるのかな」と、素子と話したり。。。そのとき、携帯の電源を切っていたものの、携帯がポケットに入ったままであることに気づき、もし荷物検査されたらまずいんじゃないか、ということを思いついて、ほとんど意味がないものの、すかさずバックパックの横ポケットに入れ替えました。
そんなことをしていると、さっきのサインの人物が奥をうろうろしているので、もう早くしてくれ、という気持ちが高まり、思わず
「早くしてくれませんか?まだですか?」
と声をかけた。すると、ぼくらの隣で、同じく係官が来るのを待っていた中国人の夫婦らしき二人(彼らは北朝鮮から中国に戻ってきたところ)が、
「あまり余計なことを言わないほうがいい」
とすぐにぼくに言ったので、彼らも北朝鮮の係官にはビビッてるんだな、というのが分かりました……。しかし、結局サインをもらえたのはそれから数分後でした。係官が来て、ぼくらの紙をみると、サインをしながら何か聞いてきたものの、よくわからないので、とにかく、「北朝鮮には入国していない、いまから中国に戻るだけ」と言って、さっさとその場所に別れを告げ、急いで階段を下りて、建物を出ました。。今度こそ、本当に出国できるんだという確信を持って。
そのとき気分は本当に晴れ晴れ!そして直接橋に向かうと、建物の前に止まっていたバスの中の人に呼ばれ、
「橋はバスで渡るんだ。歩いちゃ渡れないよ」
と。それで、こっちに来るときに自分たちが橋を歩いて渡れたのはやっぱり何かがおかしかったようだということを確認し、とにかくそのバスに乗って、橋で書類を渡し、ぼくらは再び橋を渡って、中国側に戻ったのでした。
中国側の大地に下りると、なんだか故郷に戻ってきたような気分になりました。そして、再び中国の入国審査を済ませると、その外には、待たせっぱなしにしていた、タクシーの運転手が予想外の笑顔で迎えてくれました。きっと怒ってるだろうな、と思っていたのに、ほとんどそんな様子もなく……。
――このちょっとした北朝鮮訪問で、北朝鮮について分かったことなど、何一つありません。ただ一番体験として印象に残ったことは、北朝鮮という国について、自分はほとんど何も知らないのにもかかわらず、いかに自分が北朝鮮に対して恐怖感を抱いていたか、ということです。昼休みで国境が閉まっただけなのに、ただハンコを待っているだけなのに、理不尽なことは何一つなかったのに、しかし自分にとって、正直この三年間で1、2を争うほどのビビリ体験だったといわざるを得ません。メディアから流れてくる情報を、自分なりに一歩引いて見ているつもりでも、やはりそういう情報が、そのまま自分の恐怖感として染み付いてしまっていることを身をもって知った体験でした。
これで、北朝鮮ミニ訪問記は終わりです。
以下はこの吉林旅行での他の写真。
(北朝鮮の国境まで連れて行ってくれた車のメーカーはなんと「五菱」!四川省で一度見たことがあっただけの幻のメーカー(?)。これは車内のプレート。左上のマークの下「五菱汽車」)
(長距離列車の待合室の様子。これは北朝鮮から戻ってきた夜、トゥーメンという町から長春へ向かう時)
(吉林省長春(旧満州の首都だった都市)では、いたるところにこのようにネギが干してあった。北朝鮮の話とは無関係)
(中国の東北地方(吉林省の辺り)は、どの店に入っても白米が本当においしくて感激!上海、昆明では、どこでもご飯が基本的においしくないので……。)
(北朝鮮、ロシア、中国の三国の接点が見える展望台からみた北朝鮮。川の向こうが北朝鮮です。ちなみに、これは中国側から撮ったもので、最近の北朝鮮訪問記とは関係ありません。その前日の写真。)
(前回は、中国側に戻ろうとしたのに国境の橋が昼休みで閉まってしまい、北朝鮮側から出られなくなって途方にくれたところまで。そして、ガックリして北朝鮮の入国審査の建物ところまで戻ると、なんとネイティブの日本語で話しかけられたんです――。)
「あなたたち日本人? どうしてこんなところにいるの?」
その日本語を聞いて、その人物が日本人であろうことを確信して、ぼくらもまたびっくり。どうしてこんなところに日本人がいるのだろう、と。。。しかしまず、自分たちの状況を説明する。
――北朝鮮をちょっとだけ見てみたいって中国側で頼んだら、いいよ、って入れてくれたんです。で、ちょっとだけ見て帰ろうと思ったら、なんと国境が閉まってしまって……」
「え? 招聘状とか何か持ってるの? そういうのなしでどうやって中国側を出国できたの?」
――招聘状? やっぱりそういうのいるんですか……? もちろん何もそういうものは持ってないんですけど、いろいろと交渉したら、なんだかんだで通してくれて、橋渡ってここまで来ることができちゃったんです。
「えっ? そうなの? なしでここまで来れるのか……。それは知らなかったよ。びっくりしたなあ。いやあ、橋の前でうろうろしてるあなたたちを見て、なんか様子がおかしいから、なんだろうなって思ってたんですよ。そしたらこっちに戻ってくるし、日本人だっていうから、ほんとにびっくりしたよ。まさか旅行者がこんなところまで入ってくるなんて思わなかったから……それに、昨日北朝鮮が核実験をやるって宣言したんだよ、知ってた? もうそれで日本もどこも大騒ぎですよ」
え?そうなんですか!? そう、このとき初めて、核実験のことを知ったんです。まさかこのタイミングで、そんなことになっていたとは……。全く知らずにびっくりでした。
――でもところで、どうしてこちらにいらっしゃるのですか?
と今度はおじさんに聞いてみました。
「私は在日なんですよ。日本で育ったけど、もともとはこっちの出身でね。今は仕事でよくこっちに来てて、もう北朝鮮には50回以上来てるんですよ。今回も仕事で中国から北朝鮮に入ってきたんだけど、橋渡ってから、いまは昼休みだから2時間待てって、ちょっとひどいですよねえ」
……と、そんな話をしている間に、ぼくの携帯の着信音が鳴りました。メールだな、と思ってぼくが携帯を取り出そうとすると、おじさんはびっくりした顔をして、
「今のは、携帯?? それはまずいよ!携帯は持ち込み禁止だからね。携帯持ってたらほんとは中国側で預かってもらってから入国しないといけないんだよ。見つかったらまずいから、すぐに電源切って!」
そう言われてぼくは初めて、ちょっと甘く考えていたかな、という気持ちがわきあがってきました。それまで隠れて写真も撮っていたけれど、見つかったら本当にまずかったかもしれないな……と思い、急いで携帯のメールをチェックしてから(メールは、北朝鮮に入らずに先に次の目的地である延吉に向かっていた友人から。ここでメールもらってなかったら電源切ってなかったはずで、もっとまずい場面で携帯が鳴ってたかも。。maikoちゃん、ありがとう!)、電源を切りました。じゃ、もちろん、写真もまずいですよね、と聞くと、
「カメラも隠しといた方がいいよ」
とおじさん。とはいえ大きな一眼レフのため、隠すのは無理なので、とりあえずCFカードを抜き取り、空のCFカードに入れ替えておきました。こういうのはやっぱり緊張が走ります。
そこまですると、もうあとは国境があくのを待つしかないと腰を据え、それに、このおじさんとの出会いは貴重なので、いろいろと話を聞き始めました。
特に印象的だった話は、北朝鮮の入国の際に必要なものについて(招聘状など)のこと、彼は北朝鮮のパスポートを持っているのにもかかわらず、これまで監視人なしでは北朝鮮に入れなかったということ、でも最近やっと、在留許可証(だったかな?)を手に入れて、それでやっと監視人なしである程度自由に動けることができるようになったとのこと、弟さんが北朝鮮に住んでいること、などなど。。。
「弟が北朝鮮に住んでるんですよ。もうかなり前に向こうに行ったんだけど、あのころは北朝鮮っていうのは、ある意味『理想の国』って思われててね。そして実際にそう言える側面もあったんです。弟には、私がこっちに来るときに少しお金を持っていったりしているので、それなりに不自由なくやっているようですよ」
それからぼくらの仕事のことなども含め、ま、いろいろと話したわけです。でも、実際2時間も話していた割には、いま素子とともに思い出そうとしても、それほど思い浮かばないのは、もしかしたら二人ともその状況に緊張してしまってたからかな、とも思ったり……。
でもいずれにしても、2時間ほど話すと、そろそろ国境が開くはずの1時半(北朝鮮側は2時半)に。これで北朝鮮側への本当の入国に向けても交渉ができるかもしれないのですが、そのときにはもう二人の頭の中は、とにかく中国に戻ることばっかり。さらに奥に入ろうなんていう考えはすでに全くなくなっていました。
「いやあ、やっと開くね。大丈夫だと思うけど、無事に中国側に戻れるといいね。じゃ、元気でね。また何か分からないことあったら連絡くださいよ」
といって、おじさんと別れ、ぼくらは国境の橋に再び向いました。確かに橋の小さな門は開いている。晴れ晴れした気持ち(まだ少々不安もあったけど……)で橋に向かって歩きながら、その周囲を見て、写真に撮れないこの景色をずっと記憶に焼き付けておかないとって思いました。
川沿いにはきれいに整った畑がある。数百万人が餓死しているというようなニュースの内容が全くイメージできないほど青々とした野菜がそこに育っているのが印象的でした。そして、国境だからあえてきれいにしてあるのかな、とかいろいろと思ったり。
「子どもたちが歩いてるよ!」
と素子が言うのと同時ぐらいに、その畑のそばを集団で歩く子どもたちの姿が見えました。赤や青や白などきれいな服装をした彼らは、お互いになにかふざけあいながら元気に楽しそうに歩いていて、これまたイメージする北朝鮮とは異なる風景。北朝鮮に対してあまりに、色で言えばグレーっぽいイメージを持っていたからということや、自分たちがもう戻れると思って気持ちが楽になっていたから、そういう風に見えたということもあったかもしれません。
いずれにしても、結局、「実際に北朝鮮を見た」と思えたのは、この風景だけだね、って話ながら、ぼくらは橋へと向かったんです。そして、また例のさわやかくんが橋で待っててくれるんだろうと、期待して近づいたのですが、いた守衛さんは別の人物。言葉通じないし、状況を説明するが面倒だな、と思いながらも、彼に「北朝鮮に入国できなかったので、中国に戻ります」と中国語で言うと、その内容が分かったのかどうかは不明ですが、とにかく、手を横に振り、
「不行(ダメだ)」
という。え?中国に戻るんだよ、いいでしょう?
と言っても、やはりだめ。どうも出国にための書類がいるというんです……。え、マジ??? 予想もしていなかった展開にこれまたガックリ。。。でもそういえば、こっちに来るときに北朝鮮側から中国側へ橋を渡ったトラックが何か紙をここで渡していたような。。。自分たちも、それがいるみたいだ。。。ちょっと粘ってみたものの、もうこれは全く交渉の余地がなさそうで、本当にガックリしながらまた橋から離れ、出入国審査の場所へと戻っていきました。さて、この面倒な状況で、言葉もあまり通じなそうなのに、ちゃんとそんな書類がもらえるのだろうか……。
そうだ、頼めるのは、あのおじさんしかいない!おじさんが入国しちゃう前に捕まえて助けてもらわないと!
そう思って二人で走って再びあの建物の中へと駆け込んでいきました――。
では、今回はここまで。随分と長くなってしまってますが、次回で多分完結します!
(上の写真同様、展望台からみた北朝鮮。繰り返しになりますが、これも中国側から撮ったもので、最近の北朝鮮訪問記とは関係ありません)
なかなか先に進まずにすみません。最近仕事に追われ、ちょっと更新の余裕がなくて。。。
ところで、この何回かを読んでもらった方からいろいろとコメントをいただいていますが(ブログ上のみでなく私的なメールも含めて)、それを読んだ上で、念のために一つ確認しておきます。
入国したのは、北朝鮮が核実験実施宣言をした翌日の4日のこと。で、ぼくらはこの宣言のことは全く知らずに入国を試みています。なので、気持ち的には、いま世界中が持っているような北朝鮮に対する緊迫感はありませんでした(普通に、これまで北朝鮮に対して持っていたイメージだけで)。その上で、一応、大丈夫かどうかを確認した上での訪問ということで(ま、実際の入国の際にいろいろと強引な交渉をしてはいるのですが)、それほど無謀に何も考えずにただ突っ込んでいった、というわけではないんです(北朝鮮というだけで、行こうとするのはすでに無謀だ、という見方ももちろんあるとは思いますが)。核実験のことを知っていたら、まず入国など試みなかったと思います。
核実験のことがあっていまにわかに北朝鮮が一時期のイラク的な存在になりつつあるように思いますが、ぼくらが行ったときは、そういうイメージをもちつつ行ったわけではないということだけ、念のため再度書いておこうかと。というのは、今回のことで少々ご心配をかけてしまっている向きもあるので、どこにでもふらふらと行ってしまう「無謀夫婦」という名をほしいままにしてしまわないためにも、一応ここに記しておきます。
と、前置きだけで終わってしまうのでよくないので、先に進みます。
さて、前回は橋を渡りきったところまで。さわやかくんの一世一代の大決断のおかげでぼくらはようやく北朝鮮の大地を踏むことになったわけですが、そのときは、こんなに連続で、よく分からない説得が通じてしまってることに、「今日、ついてるな!」って思ったり、「実はこれがすごい悪運なんじゃないか」と思ったり。
まあ、いずれにしても、さっと見て30分で(中国側ゲートが閉まる12時までに)帰ろうと思っていたのは確かで、ずんずんと中央に向かって歩いていきました。
目の前にある建物が明らかに出入国審査の場所。あまりひと気のしない、その中を入り口から覗いてみると、薄汚れた窓の向こうにうっすらと見える金正日、金日成二人の笑顔の肖像画。「おお、いよいよ来たな」と、気分も高揚しようというものです。
横の扉から中に入る。すると、入国審査の窓口があり、その後ろにも金正日が笑っているものの、職員はゼロ。いるのは、入国を待つ中国人が数人。彼らに、どうなってるの?聞いてみると、「昼休みだから、あと2時間待てって」ってことでした。
審査の場所には誰もいない。しかも、向こう側まで開けっ放し。。。勝手に行っても誰も気にしないんじゃないかという雰囲気に思わずちょっと先まで覗いてしまう。すると、中国人が確か「いっちゃえいっちゃえ」的な手振りをしたような。。。ぼくは、「へへ、さすがにそれはまずいよ」というような顔を返したものの、ほんとにいけてしまいそうな様子に、内心ちょっと惹かれていたり。
スタスタスタ――。
と、そこで、中年の職員さんが一人登場。彼も、自分が持っていた北朝鮮へのハードコア&融通の利かないイメージを裏切る穏やかそうな人物。中国語は通じてないものの、とにかく中国語+ジェスチャーで、「ちょっと観光に来たんだけど、向こう側に通してもらえませんか」といったニュアンスを伝える。すると、
「不行(ブ・シン)。だめだ」
と、さわやかくんと同様の反応。しかし、親切にも「隣の部屋で待ちなさい」とソファのある部屋で待ってるようにぼくらを他の部屋に案内してくれました。で、たどり着いたのが、さっき外から覗いた、大きな肖像画の部屋。そこのソファにぼくらを座らせて、中年職員は出て行きました。
(その、金親子の肖像画。鮮やかな赤が印象的)
誰もいないようなので、
「写真撮っても大丈夫かな?」
とさっと、カメラを出して、肖像画や部屋の様子を撮影。しかし、すぐカバンにカメラを戻せる態勢で何枚か撮ってると、足音がしたので、それにかなりビビッてちゃっちゃっとカメラをしまいました。かなりドキドキ。しかし、誰も現れず……。ビビリすぎ(ぐらいがよかったのかもしれません)。
(同じくその部屋で撮影したもの。上、何が書いてあるのか、分かる方がいらしたら教えてください!)
「もう無理だね、帰ろう。さすがに二時間も待てないし。ゲートもそろそろ閉まっちゃうしね」
そのとき11時45分ごろ。まだ閉まるまで15分あるから余裕だと思い、来られるところまで来たのでとりあえず諦めがつき(2時間待てば新たな展開があるかもしれなかったものの、町からこの国境まで連れてきてくれた運転手を、1時間で戻るっていって中国側に待たせてあったので、2時間待つという選択肢はもともとありませんでした)、建物を出て、周囲に拡がる牧歌的な風景を眺めたり、地面に落ちている石を拾ってみたりしながら、また、再びさわやかくんのいる橋のはしっこに戻っていきました。
しかし。。。
橋に近づいて、茶と緑の風景から目を離し、正面の橋を見ると、なんと北朝鮮側のゲートが閉まってるじゃないか!!「ありえねー!」と思ってしまったものの、冷静に考えると非常にありうる展開だったわけです。中国側が閉まるのだから、北朝鮮側も閉まる、それに中国側の橋の前の守衛の少年君が、確か「北朝鮮側はいつ閉まるか分からない」って言っていた。だから、ぼくらは自分で見てくるっていって、こっちにやってきたんでした、もとをただせば。。。
しかし、そんなことはすっかり頭から消えていて、これはやばいかも、ととにかく焦り始めました。でもよく事情を知っていて、しかも融通の利くさわやかくんがまた笑顔で通してくれるだろうと、不安を押し消し小さな期待を膨らませて彼に近づいていくと、まだ距離があるうちから、
「不行(ブ・シン) だめだ」
といった感じで手をふるのが見える!!急いで近づいて、彼に、「やはり入国できなかった、中国に戻るから橋渡らせてくれ」と伝えると、彼はあの融通の利かせっぷりを完全に忘れたかのように、
「不行」
を連発。だめだ、だめだ、だめだ―――と。そして、ぼくが彼に近づき、彼の立っている、ちょっとだけ周囲より高くなってコンクリートに舗装されている部分に気づかずに立っていると、彼が
「そこから降りろ」
と、マジ顔でいうではないですか!さっきまでのさわやかな雰囲気は激減して、ぼくらは「え?どうしちゃったんだよ、お前、めー覚ませ!」って気持ちでした。しかし、現実に目をむけ、今戻れるという妄想を捨てて、目を覚まさないといけないのは、完全にぼくらの方でした。元さわやかくんがまた促す、
「向こうに戻って待ってなさい」
と。もう交渉は全く通じそうになく、確かにそれ以外どうしようもない……。これはまさか、かなりまずい展開なんじゃないか、と二人とも血の気が引き、そうして、また金正日の待つ、入国審査の建物に向かって戻っていきました(冷静に考えると、昼休みで扉が閉まってるだけなんですが)。そのとき確かに、全ての風景がグレーがかって見えたような、そんな気がします。そして、中国側で待っている運転手の顔や、先に別の町に向かった友人の顔が頭に浮かんで……どうしよう!?しかし、ここでまた意外な展開が。二人してがっくりと肩を落とし、とぼとぼと建物に近づいたところで、すぐにぼくらに声がかかったんです。
「あなたたち、日本人? なんでこんなところにいるの?!」
それもネイティブの日本語で。声の主は、中年の、いや、初老のといった感じのおじさん。そしてもちろんぼくもすぐに思いました。あなたは誰なのか、と――。
では、今回はここまでで。なんか、あえてもったいぶってるような終わらせ方になってしまいましたが、とりあえずまた次回!
ではまた!
北朝鮮無謀入国の旅、いよいよ北朝鮮編へ。
さて前回は、中国側の国境職員たちを説き伏せて、あれよあれよと国境の橋を渡りはじめることができちゃった、というところまででした。
(前回の素子の後ろ姿の写真と同じ場所。向こう岸が北朝鮮。背後にいる少年番人くんにばれないように背中でカメラを隠して撮影)
(しばらく歩いてもう何度か撮影。小心なので、結構びびって、撮ってはすぐにカメラをしまいました。素子「やめーや!」)
正直、数百メートルぐらいな感じのこの橋を歩きながら、いきなり撃たれるんじゃないか、とかもう偏見に満ちた変な妄想が浮かびまくりました。その一方で、後ろを振り向くと、数人の中国人が、橋を渡るぼくらを見ながら少年番人くんに何か文句を言っている様子。彼らは、ぼくらとともに、出国審査の建物を出た後、「昼休みで国境閉まっちゃったから、1時半まで待ちなさい」と言われ、がっかりしていた中国人旅行者(なのかなんなのかは不明ですが)たち。
「あいつらなんで橋渡ってんだ?」って言ってるのが聞こえてきそうな雰囲気で、それでなんとなくこっちは得した気分に(笑)。彼らも必死に交渉しているに違いないことを考えると、なんでぼくらだけを渡らせてくれたのかは、おそらく言葉があまり通じなかったからかもしれません。だって少年くん的にも、「こいつらは話しても分からないからめんどくせー」って思ってたかもしれないので。
いずれにしても、橋の上ではほとんど物音も耳に入らず、ただ二人だけでドキドキしながら歩きました。北朝鮮側の陸地の緑と、空の青と、川の流れが、なかなかきれい。そして、向こうはどうなってるのかな、なんて思っていると、橋の中間を示す赤いラインが。
「止歩」
と大きく書かれていて、この先からは橋も北朝鮮側なんだなということが分かりました。写真を撮りたかったものの、さすがに北朝鮮側に入ったとなると、緊張感も増し、しかも橋のはしっこには、小さく北朝鮮側の少年番人くんの姿が見え出していたような……。さすがにカメラを撮りだす気にはなりませんでした。
そしてさらに歩いていくと、いよいよ橋も終わりに近づき、北朝鮮側の小さなゲートと、ポールの上に掲げられた国旗が見えてきました。で、その横の詰め所にはやはり少年番人くんが待っていた。あなたたちは何者ですか??というちょっと不思議そうな顔をして。。。
しかし、彼がなかなかのさわやか青年風。おそらく多くの日本人が共通に持っている北朝鮮の兵隊さんのイメージとは全然違った、人のよさそうなさわやかくん。
「ちょっとだけ観光しに来ました」
と中国語で当然のように言ってみると、まず何よりも言葉が通じない。久々に言葉がほとんど通じないことの不便さを実感するも、ゆっくりと何度も繰り返すと、とりあえず分かってくれた様子。ま、観光目的とかそういうことを分かってくれたかどうかは別として、状況として、「橋を渡らせてくれ」って言ってるに決まってるわけですが。
すると、
「不行(ブ・シン)、だめだ」
と、彼も辛うじてしゃべれる中国語で返してくる。「悪いけどだめだよ」といった感じの、ちょっと申し訳なさそうな笑顔を浮かべながら。
しかし、ここまで来たら、もちろん粘ります。ジェスチャーと笑顔の嵐で攻め、パスポートにちゃんと中国出国のハンコをもらってることを見せる。すると途中で彼も折れ始め、「上司に聞いてみるからちょっと待ってて」って感じのジェスチャーで、詰め所の中へ電話をかけに行ってくれました。おお、これは行ったか!?と思い、気をよくして待っていると、しばらくしてさわやかくんが出てきて、また例のさびしげな笑顔で手を横に振りながら「不行」と何度か繰り返す。「だめ?だめなの?」と聞きなおすと、「うん、だめだって」とさわやかくん。
しかし、数メートル先に北朝鮮の土地を見てこのまま戻る気は全くせず、あとはとにかく、笑顔&お願い!で攻める。そして、その場を動かない。……するとしばらくして、突然さわやかくん。
「わかった、いきなよ」
と、いきなり許可してくれた!あれは完全に彼の決断。こっちが、え、勝手に決めていいの?と思ってしまうぐらい、突然彼が自分の意志で通してくれたという感じでした。その彼に感謝し、そしてなぜ通してくれたんだろうという不信感も抱きつつ、いよいよ橋を渡り切る。そして、時計を見ると、11時30分ぐらい。12時に中国側の国境が閉まるので、まだまだ時間はある。それまでに見て、さっと戻ってこよう――。そう思って、北朝鮮の大地へ第一歩を踏み入れました……。
と、ここまで書いて、またまた長くなってしまったので、とりあえずまた次回へ。(もったいぶってるわけじゃないのですが、書いてるといつも予想以上に長くなってしまって……)
……なんてことしてると、あきられちゃうかもしれないので(笑)、次もできるだけ早くアップします!
北朝鮮が核実験を行なったというニュースによってやたらと北朝鮮がクローズアップされているここ最近ですが、前回書いたように、ぼくらはそんな予兆も何も知らずに、北朝鮮―中国の国境へ行き、「外国人も北朝鮮に渡れるよ」という中国側の意外な返答にびっくりしつつ、しかも、「国境を超える外国人も結構いるよ」なんていうので、それならば、ちょっとだけ見てみたいな、と北朝鮮インを試みました。
(前回と同じ地図)
前回写真を載せた3国の合流地点を見た翌日。一緒にいた友人は、立場上の問題もあって国境は越えられないとのことだったので、申し訳ないながら彼女は一人先に次の目的地である延吉に行ってもらい、素子と二人、宿のおじさんに車を走らせてもらって再度その国境に(上の地図中の琿春(フンチュン)とその右下の尖ったところの間ぐらいのところにある)。大丈夫といわれながらも、やはり気持ちは落ち着かない。北朝鮮に関する情報なんて本当に限られたものしかないため、メディアから与えられたイメージから考えると、あまりに謎でビビッてしまう。しかし、実際に国境を越えて北朝鮮という国の土地を踏んでみることで、そういう情報以外の自分自身の体験によるイメージがもてるのではないかという期待を持って国境に向いました。
街から40分ぐらい走って、10時半ごろ車を降りて、「圏河口岸(ジュエン・ハー・コウ・アン)」という文字の書かれた国境の入り口で門番にもう一度聞いてみる。
「日本人なんだけど、北朝鮮にいけますか?」すると、「不可以(いけないよ)」と昨日とは違う答え。でもその方が当然な気もしてしまう。
(国境の中国側入り口。「圏河口岸」という文字が見える。この横にいた門番とこの前後のやりとりをしている)
とはいえ、ここまで来てそうですかとは諦められない。昨日の門番はいけると言っていた、たった30分か1時間ぐらいだけ、向こう側に行ってちょっとだけ様子を見てすぐに帰ってきたいだけだ、と説明すると、門番はトランシーバーで中の人に問い合わせる。そしてしばらくすると、「観光ってことだね」と確認され、そうです、と答えると、「じゃあ、建物の中へ」と許可が下りた!
まず第一の関門を越えて、出国審査と税関の建物の中へ。ここでも、何人かの職員に「北朝鮮に何しにいくんだ?」と聞かれたものの、門番に言ったのと同じことを言うと、「じゃあ、一時間で帰ってくるってこと?」と、なぜか笑ってハンコを押してくれました(あとで分かったところでは、ほんとはここで北朝鮮側からの招聘状のようなものを持ってないと出国できないはずなのに、なぜここを越えられたのかは不思議)。
建物を出ると、いよいよ、北朝鮮へ続く大きな橋が見えてくる。さらに緊張と興奮が高まり、さっとカメラを出して隠し撮り。
(その写真。中央に見える小さな建物の横にいる職員が次に出てくる人物)
そして歩いて橋に向かっていくと、今度はまた別の職員にとめられる。「北朝鮮に行きたいんだけど」というと、「11時で国境は閉まったよ。午後1時半まで待たないと渡れないよ」
「え??」時計を見ると、11時5分すぎ。いいじゃないですか、と頼みこむが、午後まで待ての一点張り。午後、他の街まで移動しなければならなかったので1時半までは待てない。なので、「じゃあ、とりあえず橋の前までいっていいか?景色を見たいだけ」とさらに粘ると、「それならいいよ」とその男。
「国境が閉められちゃったらさすがに無理かな……」と半ば諦めつつ橋の目の前までいくと、橋の根元にもう一人のやたらと若い少年のような番人が。
(少年番人がいた建物の裏で撮影。向こう岸が北朝鮮。左に見えるのが、北朝鮮へつながる国境の橋)
「何しにきた?」と聞かれたので、事情を説明。そして、ダメ元で彼に再び橋を渡らせてくれないか、と頼んでみる。もちろん「だめ」。そして午後まで国境は開かないと先の職員と同じ返答。でも、目の前の橋はまだ開いてるし、しかもトラックが一台向こうから通ってきた。おい、まだあいてるんじゃないのか?と思ってさらに粘る。そして付け入る隙は、中国と北朝鮮とでは1時間の時差があるせいもあって、それぞれの側で国境を閉める時間が異なるらしいこと。
「まだいま中国側が開いてるようなので、ちょっと自分で北朝鮮側までいって、向こうの国境が閉まっているか聞いてくるよ。それで開いてたら向こうに行くし、閉まってたら戻ってくる。いい?」
と、自分でもさすがにそんな理屈は通らないだろうと思いつつも言ってみると、少年は少し考えてから、「その場合、中国に戻れるのは午後になってからだよ」。
それを聞いて、(おお、通してくれるかも!)と思ったので、まあ、それでもいいかと、「分かった。じゃあ、向こう側に行けたら戻ってくるのは午後でいいから、とりあえず橋を渡って聞いてくるね」と。しかも、もう一度、中国側は何時に閉まるんだっけ?と聞くと、なぜか「12時」といわれた。それならあと45分あったので、向こうまで行って12時まで戻ってこれるだろう、と踏みました。
いずれにしても、こうして次々と番人たちが説得に応じてくれて、ぼくらはついに橋を渡って北朝鮮側に行くことになりました。あとから聞いたところでは、この橋を歩いて渡ることはできないらしいのに、歩いていくぼくらに何も言ってこなかったのもなぜだか不明。不明なことだらけだったものの、それでもとにかく北朝鮮側に入れることに……。全くどうして、あんなに何度も、あんな適当な交渉が通じてしまったのかがほんとにわからない。。。
(めちゃくちゃな交渉でなんとか中国側の番人をみな説き伏せ、ついに橋へ!この橋の向こうが北朝鮮。)
ま、こんなわけで、とりあえず中国側は突破できたものの、北朝鮮側にはさらなる難関が……。もちろん、12時までにすんなりと戻ってこれるほど甘くはありませんでした。。。
と、ここまで書いてすでにやたらと長くなってしまったので、北朝鮮側はまた次回。