スイスの友人のうちに来てから早くも1週間。
やっぱり現地の人の家に泊まって、毎日普通の日常みたいな生活を送ると、見えるものも全然違うし、のんびりもできるし、いろいろとじっくり話しが聞けるし、とても楽しいです。
家の主は、03年の秋にバンバリーで出会ったテリー&ルーシー。二人はぼくらよりひとまわりほど年上で、しかもバンバリーに3週間いただけなので、当時はそれほど親しくなったってわけではなかったのだけど、今回、実にいい人たちであることを再確認し、毎日4人で何時間も話をし、さらにその友だちとも会ったりして、穏やかで幸せな毎日を送っています。
ルーシーはマッサージ師&セラピストのような仕事を自分でしていて仕事時間がとてもフレキシブルなので、大体毎朝一緒に食事を食べて、その後、彼女は仕事をしたり、ぼくらも自分たちのことをいろいろやったり。テリーが夜、仕事から帰ってくると、いつも4人でお茶を飲みながらお互いに一日のことを話したり、一緒にゲームをしたり……。
彼女たちの人柄や、彼女たちから聞く話、そして街の様子を見る限りでは、スイスって日本にとても雰囲気が似ているような気がしてます。街はきれいで、静かで、すべてがかっちり、きちっとしてるっていうか、日本人がそっくりそのまま入れ替わって暮らしても、全然違和感ないんじゃないかなっていうような。。。
今回の旅で、道を渡るときに車がみな止まってくれる国なんてあったかな?トイレに紙を捨てるのが当然な国もあったかな?ってそんなことばかり考えてしまいます。イタリアやギリシャは、まだヨーロッパ的なワイルドさも感じたけど、スイスにきてそのあまりに整った環境に、いよいよ本当にぼくらの旅も終わったのかなっていう気分になってます。
イタリアからスイスへ列車で国境を越えると、急に緑がきれーーいになった気がして、はっきりとした国境がどこなんだかよく分からなくても、明らかに空気が変わったことを感じました。そして、いまいるThun(トゥン)が本当にきれいで、イメージするスイスそのもの。ハイジの世界っていうのか、いや、本当にスイスってこんな場所だったんだなっていきなり思わされました。ちなみに、テリーのお姉さんの名前は本当にハイジ!スイスじゃよくある名前らしいけど、やはり「外国人に『ハイジ』って自己紹介すると、みな『ハイジだって!マジで?!ガハハハー!』って大うけされる」とのこと(笑)。ぼくも、アニメのハイジの顔がどうしても浮かんじゃって、初めて会ったのに勝手に知りあい気分になってしまいました。
(素子の隣がハイジ。で、テリーとルーシー)
Thunはそこそこの街なのに(スイスの大都市トップ10に入ってるとのこと。しかし人口40000人!)、いまの家の門を出て、1分歩いて横を見るとすでに↓の風景。。
写真がいまいちですが、タンポポに包まれた広い草原に牛がいて、後ろには巨大な雪山。街なかでこれ以上贅沢なご近所の風景があるだろうか、とびっくりさせられます。
(駅のそばにすぐ大きな湖があり、その周囲には雪山が。それを目の前にしたきれいな芝生でみな週末の午後をのんびり楽しんでいる)
話は違いますが、ヨーロッパに入って驚きだったことの一つに、バスや地下鉄乗るときに、チケットのチェックがほぼ全くないこと。つまり、自分でチケットを買って、乗る前にそのチケットを駅や車内にある機械に自分で通して「有効化(validate)」し、それを持っていればいいというシステム。でも、誰がチェックしに来るわけでもないし、見せる場所もないし、なくても全く乗れてしまって、ほとんど完全に自主性にまかせているっていう感じなのです。しかも、年間パスとか1日パスとかそういうものもあって、そういうのを持ってる人は毎回毎回「有効化」する必要がないので、「有効化」の作業をするしないに関係なく、誰がチケットを持っているのか、誰がお金を払ってないのか、なんて全く分かりません。ギリシャではバス&地下鉄、イタリアはバス、スイスはバス(でもスイスはたまにチェックがあるみたい)が、そのシステム。
ぼくらも正直、イタリア、ギリシャともに何度かタダ乗りさせてもらってしまいましたが、あの状況で毎回きちっと1ユーロほどのチケットを買うのはすごい倫理観が必要なんじゃないかと感じてしまいました。どれだけの人がちゃんとお金を払っているのかなって気になります。。。
もしあれでほとんどの人がちゃんと払っているのであれば、ヨーロッパ人はかなり理性があるのかな、と思うし、もし払ってない人ばかりなのにあのシステムを続けているのであれば、太っ腹っていうか、テキトーっていうか、日本では考えられないやり方に思えました。
あとイタリアとギリシャのスーパーでは、自分たちが行った限り、野菜を買うとき、自分で測りに乗せて機械を操作して、値段のシールを貼って、それをレジに持っていくだけ。値段のシールを貼ったあとにジャガイモを一つ二つ多く入れたってまず分からないでしょう。
しかも驚いたのは、スイスのいまの家のそばにあるスーパー("Coop"っていって、日本の生協とほぼ同じマークなのですが、"Coop"ってもしかしてスイスの会社?)では、かごに入れたものを自分でチェックするリモコンのような機械があって、それで自分で、買ったものを"自己申告"してレジに持っていき、レジでお金を払うだけ。品物を持ってレジに行くものの、たくさん買い物したら全然何があるかなんて全然わかりません。ルーシーに、「あれはチェックないの?」と聞くと、「うーん、ないね。自主性にまかせてるんだろうと思う」という答え。すごいです。
ヨーロッパに住んでる人にとっては全く普通のことなんだろうけど、初ヨーロッパの自分としては、そんなところに、ヨーロッパと日本(アジア?)との「人間の捉え方」(って大げさかな?)の違いを感じてます。
ここも明日いよいよ出発。明日からは何日か、ドイツにいる素子の元同僚夫妻の家にお世話になります(FrankfurtのそばのWiesbaden)。そのあとオランダ、フランスで友人訪問を続け、またドイツ、スイスに戻ってきます。テリーとルーシーが「是非戻って来い!」っていってくれるので、完全に真に受けて、本当に戻ってきちゃう予定です。
(今日の午後は、テリーとルーシーの友達のうちでチーズフォンデュをごちそうになりました!超濃厚で沸騰している液体チーズの中にパンをつけて、白ワインとお茶で食べるというのが伝統的なチーズフォンデュとのこと。もっと肉とか野菜とか、なんでもチーズにつけまくるのかと思ったら、パンだけだというのは意外でした(ナシやパイナップルも少々あったけど)。ちょっと単調ではあるけど、かなり美味しかった!)
(これが2日目に作ってもらった"ラクレット"。チーズをマッシュルームやらと一緒に、鉄板の上で溶かして、それをポテトにかけて食べる。これもまたすごーーく美味しかった。結局チーズなわけだけど)
前回更新したナポリから、気付いたら2週間も経ってしまいました!その間に、ローマ、そのそばの小さな村・ロカ・カラショー、フィレンツェ、ベネチア、そしてスイスへと、旅はかなり展開してしまいました。というか、昨夜からスイスの友人家に泊めてもらっていて、もう気持ち的には、旅らしい旅はイタリアで終わり、これからは友人巡りの日々、という感じです。
しばらく更新できなかったのは、ここ2週間ほどやたらと仕事が重なってしまったのと、見なければならないビッグネイムな美術館やら観光スポットが多く、そして物価が高くて無駄にダラダラ滞在もできないために、移動が続き、時間的余裕が全然なかったためです。
仕事については、いつもの連載の仕事に加え、月刊誌のグラビアページの仕事、そして急遽依頼されてチベット問題の記事を週刊誌に寄稿することになり、そのすべてがほとんど完了したのが昨日の夜。
ローマにしろ、フィレンツェにしろ、見たい(見なければならない?(笑))場所が多くて、日中は午前中から長蛇の列に並んで美術館に入ったりして、くたくたになって宿に戻り、それから毎日、夜2時か3時ごろまでリサーチや原稿書き、という日々が続き、かなり疲れました。。。でも、一応ほぼすべて無事に終わり、いまかなりの開放感をスイスの友人の快適な家で感じながらのんびりすごしています。
ちなみに、記事は
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○今週金曜25日発売の「週刊金曜日」に、チベット問題について現地からの情報を交えた総論的な記事(2ページ)
○5月10日発売の「中央公論」6月号に、中国のイスラム教徒についての写真掲載(1ページのグラビア)
○連載「国境を往く」のアルメニア・グルジア編が、"Link Club Newsletter"6月号に
○連載「人びとの海」(前に書いたギリシャのロマ(ジプシー)について)が月刊「自然と人間」5月号に
といったところ。そのほか、イランについてのエッセイみたいなのも週刊誌に掲載予定なのですが、、、詳細はまだ未定です。
……と、少々宣伝っぽくなってしまいましたが、機会がある方はご覧いただければ幸いです。特にチベット問題については、できる限り情報をネットで追ってきましたが、今回の中国のやり方はあまりにもひどいと感じていて、その流れで記事を書くことになりました。中国にいてチベット人ととても近い友人から現地情報を得たりしながら、なんとか形にしました。
同じような問題を中国のウイグル人も抱えているし、周知の通り、その他中国には懸念すべき問題がたくさんあるのですが、中国の問題になるとなぜか人権や平和に熱い日本の団体は、声を小さくしてしまう傾向があり、そういう党派的なものが見え隠れするのがとても気持ち悪いし、いやだなと感じてます。自分も中国にはとても親近感があるからこそ、中国の問題点はちゃんと指摘したいし、厳しい視線を向けないといけないと思ってます。そういう気持ちで書きました。
(ローマのコロセウム。アテネのパルテノン神殿と並んで、遺跡の横綱みたいな存在なので、さすがに行きました。人と戦う動物がここに入れられていた、とかいう場所がとてもリアルで、なかなかよかったです)
さて、イタリアの旅について。イタリアに来て本当に、観光らしい観光の目白押しとなり、さすがイタリアという気がしました。二人とも、そんなに絵とか彫刻に詳しい方ではありませんが、素人的にもやはり、ミケランジェロとか、超メジャーどこは、その歴史的価値などを含めて、やはり是非見ておきたいと思いました。ということで、長蛇の列と、すさまじい混み具合の中、ミケランジェロ、ダヴィンチ、カラバッジョなどの大作を見てきました(正直、カラバッジョはよく知りませんでしたが(でも超大御所?!)、美術館を見て回って、にわかにシッタカモードに入ってます(笑))。
(どこにあったか忘れましたが、両サイドがカラバッジョの作品。写実性と斬新な場面の描写がその時代に衝撃を与えたとか)
ぼく的には、ミケランジェロの「最後の審判」と「天地創造」にはかなり感激しました。絵のすごさももちろんですが、それ以上に、500年も前に、まさにこの場所で、何年もかけてミケランジェロ本人がこの壁に描いていたんだと思うと、その歴史のすごさにゾクッときました(両方とも、バチカンの礼拝堂の壁に描かれているフレスコ画のため)。
(正面が「最後の審判」で、天井のが「天地創造」。「天地創造」はずっと後ろまで広がっています。上からたれてくる絵の具でミケランジェロが視力を失いそうになりながらも仕上げたというこの大作はさすがに衝撃的でした。バチカンのシスティーナ礼拝堂の中で、すさまじい観光客の数。後半は狭い回廊をずっと並んで進んでいくという感じで、「最後の審判」にたどり着くまでは本当に距離が長く、まだかまだか、と思いつつ、1時間ぐらい歩いたかもしれません。そのタメがすごかったせいもあって、最後にこれが出てきたときには、やっと最後の大ボスにって感じでした。ミケランジェロはダヴィンチが大嫌いで、「チクショー、負けねーぞ!」と思いながら作品作りに励んでいたようですが、多分この状況を見たら、ミケランジェロ喜ぶだろうな~とか想像しました)
盛り上げるために、事前にウィキペディアや本屋などでにわか勉強して、知識を詰め込んで見ました。ま、そういうわけで、感覚よりも頭で絵を見てしまっているようなのは、いかがなものかとも思いますが、やはり背景とか分かってないとなかなか感動できないな、というのは、芸術をそのままでは理解できない一庶民としての実感かもしれません(笑)。
(これもローマで、かの有名な「ブルータス、お前もか!」と言いながら、シーザーが暗殺された場所。相当たくましく想像力を膨らませないと、そのシーンは思い浮かばない風景ですが、さすがにローマは、そういう場所が目白押し)
(これは有名なトレビの泉。自分も含めて、みなが「観光客すげーな!これじゃ雰囲気でねーよ」なんていいながらすごい人ごみを作るぼくたち)
しかし、イタリアの美術館は、こんなにすばらしい芸術品を持っていて、世界中から人が見に来るのに、入場料が高すぎるし(「最後の審判」があるバチカンの美術館は14ユーロ=2000円ぐらい)、説明も不親切なように感じました。全然英語の説明もないし、日本語や英語で説明が聞きたかったらオーディオガイドを借りなさいって感じで、それが5,6ユーロ(1000円弱)もします。しかも学生でも、26歳以下だと割引にはならないという感じで、なんだかな、って思ってしまいました。
そんなわけで(?)、残念ながらダビデ像はパス。すべて見てたら、バックパッカーにはお金が持たないというのが実感です。あと、ミラノの「最後の晩餐」も是非見たくて、これは盛り上げるために映画「ダヴィンチ・コード」も入手して、知識を総動員する予定だったのですが、事前予約が必要なために電話してみると、すでに6月頭まで予約がいっぱいで見れない!という驚くべき事態が発覚してあえなく断念。これはとても残念でした。というわけで、ミラノもパス。
こういう観光らしい観光以外には、ローマ近郊のとても小さな村ロカ・カラショー(Rocca Calascio)に行きました。ここは1400mの山の上にあって、完全に廃墟となった村に、いまでは2家族だけが住み始めて、イタリア人にとってのちょっとした休日の旅先となっているところ。旅行者のための場所みたいなので、村の生活がダイレクトに感じられるっていう世界ではありませんが、それでも山の中のほとんどひとけのない中世そのままの町並みですごした3日間はとても気持ちのいいものでした。ローマに行かれるかたは、ローマから2時間ぐらいなので、お薦めです。
(この山頂にわずかに見えるのが、ぼくらが泊まっていたロカ・カラショー。この手前の町ですら、50人ぐらいしか住んでいないという、まさに捨てられた町)
(ここでは、何気にある建物がこのようにみな14世紀とかのものなのがすごい。やっぱり石造建築は長持ちしていいなあと感じます)
(ロカ・カラショーのそばの村で。見かけた数少ない村人と思われるおばあさんと。)
(ロカ・カラショーのそばの村で参加したワイン・テイステイング)
あと、イタリアに来て気付いたのは、本当に中国人が多いこと!どこに行っても、中国人だらけ、といってはいいすぎですが、ぼくらも中国語を使う機会がやたらと多くてびっくりしてます。ローマでは韓国人経営の安宿に泊まっていて、そこが朝夕食付きというとこだったのですが、そこで料理を作ってくれるおばちゃんも、遼寧省出身の中国人で、彼女もぼくらが中国語を話すことを知ってうれしそうに、いろいろと話してくれました。どうやってイタリアに来たのかと聞くと、「ツアーで来て、そのままドロン」ということでした。一人75000元(110万円ほど)払うと、そういう外国ドロンツアーがあるとのこと!パスポートは「ツアーガイド」がもって帰ってくれて、帰国の判子も押され、オフィシャルには中国に戻ったことになるとのこと。「イタリアの警察に見つかったらやばいのでは?」と聞くと、「イタリアの警察は全く気にしてないよ。没問題!」とさすが太っ腹な中国人。で、この状況について、イタリアの中国大使館ももちろん知ってると彼女はいっていて、むしろ手伝ってくれるとのこと!「大使館は、中国人の味方だから当然でしょ(笑)」と。。。パスポートに判子を押すのも、入国審査官の協力がないとできなそうなので、まさに政府側職員と一帯になってこういうことが行われているのがすごいです。。。「日本も同じ方法で入れるけど、75000元払って入国しても、警察が厳しくて見つかったらすぐに送還されてしまうから、ちょっとリスクが大きくてね」と。。。こういう話をダイレクトに聞くと、さすがに驚かされます。
(ベネチア(ベニス)。このサンマルコ広場で、クラシックの生演奏を聞いたら俄然「おお、ヨーロッパ!」って感じで盛り上がりました。しかしここもすべてが観光客のためにあるような雰囲気)
(ベネチアの町並みは想像通り)
……ざっくりとしてますが、そんな感じでイタリアは終えました。残念なのは、現地の人との触れ合いがほとんどもてなかったこと。観光地を見て回る日々の連続で、イタリア人の生活についてはほとんど身近に感じられませんでした。カウチサーフィンも試みたものの、結局ナポリでポーランド人留学生のうちに泊めてもらった以外は、どこもみな先約があったりで、イタリア人の家庭には一度も入ることはできず。旅の醍醐味は、人との出会いだと思っているので、そういった意味では、イタリアはギリシャやトルコ、イランなどに比べて、あまり親近感をもてるようになる前に終わってしまいました。
スイスからは、もはやぼくらの中では旅というより、友達に会うのがメインの目的になりますが、逆にいまはそれがとても楽しみです。いま泊めてもらっているスイス人女性2人も、03年にオーストラリアのバンバリーで出会った人たち。直接のボランティア仲間ではないものの、イルカがらみで、久々にあのころの日々が思い出されてなつかしいです。
(いま泊めてもらっている家のルーシー(左)とテリー。彼女たちは03年にバンバリー3週間ほど滞在してドルフィンセラピーにかかわっていた人たち。しばらく連絡とってなかったけど、とても歓迎してくれて、楽しく過ごしています。二人とも落ち着いたとてもいい人たち)
おそらくここに4,5泊させてもらいます……。何も気にせずゆっくりできてうれしいです。
(ピザ発祥の地ナポリで一番と名高い”Di Matteo”のピザ。ピザといえば、マルゲリータということですが、これはマルゲリータのバジルの代わりにオレガノを使ったマリナラというピザ。すごーくおいしかったです)
やはりピザの故郷ナポリのピザは、極上でした……。
イタリアに来て、高い高い言って、なかなか大したものが食べられていなかったのですが、ナポリに来て、やっとぼくらの予算内で、しかも最高レベルのイタリアの味を堪能することが出来たという感じです。
イタリア南部のナポリは、ピザの発祥地とのことで、ピザ屋が本当にいっぱい。しかも、おそらくファーストフード的な扱いようで、とてもおいしい大きなマルゲリータ1枚で3ユーロ(500円)程度。一人一枚、昼でも夜でもみな食べているような様子です。
ガイドブックも、宿の人も薦める店で、クリントンも行ったという、ナポリで一番と名高い”Di Matteo”に行くと、それは簡単に見逃してしまうほど小さな構えの店でびっくりだったのですが、ピザはやはり本当に絶品でした。生地、トマトソースの味、どれをとっても何度でも食べに行きたくなるような店で、ぼくらは昨日の昼と、今日の夜とれんちゃんでそこに。
(これが”Di Matteo”の店内。1階はこれだけで、2階があるらしいものの、おそらく2階もこんなもん。店を広げる気とか全くなさそうな軽い雰囲気。ここにどうクリントンが来て食べたのか、という構図が気になってしまいます)
でも、そんなにいい味で歴史もあり名高いのに、全然商売っ気がないっていうか、ほとんど安食堂的雰囲気なのがまたすごいなと思いました。観光客が多いってわけでもなさそうだし、メニューもイタリア語にちょっと英語で具の名前が書いてあるぐらいのもんだし(特に外国人を意識してなさそう)、店員の態度もその辺の小さな露店と変わらないし。ちょっとビジネス的な成功を考えれば、すぐに”Di Matteo 2号店”みたいなのが出来てもおかしくないのに、そういうことに全く触手を伸ばしてなさそうなのが、なんか職人っぽくていい感じです。
ピザはどこでも食べられる一方、「パスタがうまい店」のような話をほとんど聞かないのが意外でした。いわゆる「ナポリタン」があるはずなのでは?と思ったものの、どうもあれは和製のネイミングだったのかな、と思わせるぐらい、ナポリでナポリタンはみかけません。ナポリタンといえばナポリ人のことなのですが、僕ら的にはパスタのイメージの方が強いので、"Are you Napolitan?"という使い方にはどうも笑っちゃうな、なんて素子も言っていました。
それはさておき、びっくりしたのは昨日の夜。なんとかパスタが食べられる店を見つけて、素子がペペロンチーノを頼んだのですが、出てきたものを食べてみると、それは紛れも無く、これまで30年以上の人生で一番まずいパスタでした……。スパゲティがまだ全然茹で上がってなく、まだ「ベビースター」のようなパリパリ感まで残っているあまりの硬さにさすがにあきれ素子が店員に文句をいうと、「アルデンテだ!」と主張されましたが(笑)、全くそんな代物ではなく、最終的には作り直してくれてちょっとはマシになったものの、イタリアでこれまで最もまずいパスタを食べることになるとはまさか思っていませんでした……。パスタはいったいどうなってるんだろう。全く読めないイタリアの奥深さを感じてます。
ところで、ナポリといえば、「ヨーロッパで一番危険な都市」といううれしくない称号を獲得しているようで、そのためか観光客も少ないようです。確かに夜駅に着くと、道の汚さと怪しげな雰囲気が、「おお~、これは噂どおりなのかな」って思わせるだけのものがありましたが、日中歩いてみれば全く普通の都市という印象。マフィアがいるのは間違いないのですが、でも彼らは旅行者なんて相手にしてないから、年間に3ケタの殺人事件がおきているっていっても、シロウトには関係ないことのような。ただ、引ったくりやスリは多いみたいで、数多く走ってる"べスパ"が後ろでスピード出したら注意……みたいな話は聞きました。ま、それは注意するとしても、あのピザを食べるだけでも、ナポリに来る価値はあるな、と思いました。
(路駐してある車のいくつかにこのようなハンドルのロックが付いていたのにはびっくり。はじめてみましたが、これは結構いろんな国にあるのでしょうか。つまり、ドアに鍵をかけても効果はないってことなんだろうなと思われ、ナポリが危ないっていうのはこれを見ると、ちょっとは現実味が沸いてきました)
昨日の夜は、イタリア初のカウチサーフィンで、ポーランド人留学生の家に宿泊。彼女のところに1日だけ泊めてもらっていまはゲストハウス。すべてが高くて無駄な動きができないため、超大御所遺跡ポンペイがちょっと気になるものの、それは行くのをやめて明日にはローマに移動します。ローマでもカウチサーフィンの網をかけているもの、なかなか都合が合う人いなく、さて、どうしようか、というところです……。
(MateraからNapoliまでは移動がちょっと面倒そうだったので久々に、思い切って路上で親指を上げていると……なんとか50キロぐらい先の駅まで乗せてもらえて、無事にナポリ行きの列車を捕まえることができました。地図に書き忘れましたが、ローマはナポリから北150キロぐらい(?)とか。一番遅い列車でも3時間で着く距離です)
コメント書き込みやブログ更新についてのエラーを、管理人の友人が早速直してくれました(スノウチ、ありがとう!)。というわけで、またコメントなど、よろしくお願いします。
(トルコぐらいから移動が速くて、もうこの地図も終わり。アテネからはパトラというペロポネソス半島の港町まで3時間ほどバスに乗って行き、そこからフェリーでイタリアへ。17時半パトラ発のフェリーに乗るのに、アテネのグリケリア邸を出たのが12時すぎだったのでかなりギリギリでした)
さて、アテネから西側の島をもうひとつぐらい経由してからイタリアへと思っていたのですが、金銭的、体力的、気力的な問題、またアテネ&エーゲ海を十分に満喫したっていう気持ちがあったので、西は割愛し、3日夜ギリシャ発のフェリーで一気にイタリアに入ってしまいました。ガラガラのフェリーで、快適に映画などを見て、17時間ほどすごして、4日の朝、イタリア南部のバーリ(Bari)到着。イタリアに来て、いよいよヨーロッパなんだなあ、という実感が強まってきました。EU圏内は陸路や海路で国境を越えればパスポートチェックがないらしい、というのは聞いていましたが、確かに全くパスポートを出すことをなく、ギリシャからイタリアに入りました。フェリーに乗る前に「日本人か?」と聞かれ、「はい」といったら「じゃ、OK。乗って」という感じ。
(海の向こうに離れていくギリシャ)
これはすごいことだなあ、といまさらながら実感しました。これだけ多くの国の集合体でそれぞれ抱える問題も異なるのに、境界をなくすということは想像以上に大変なことなんじゃないかなって。パスポートを見せる必要がなければ、民族的な問題はすべてヨーロッパ中に拡散するように思ってしまうのですが、それをどの国も「よし」としているとすれば、ヨーロッパってすごい太っ腹なとこなんじゃないかって感じました。どこの国も、他国の抱えている問題はできるだけ自国には持ち込みたくないというのが本音だと思うし、細かい規定はいろいろとあるとしても、どうやってその壁を乗り越えたのか、というのがとても興味あります(いや、乗り越えてないのか?)。前回書いたロマの問題などは、まさにその典型なような。また、国境がなく人の移動が自由になれば物の行き来も相当自由になっているに違いないし、そしたら、近い国同士では物価も似てくるだろうし、小さな国の弱い産業などはバタバタつぶされてしまうんじゃないかという気もしたり……。ぼくが無知なだけかもしれませんが、すごい思い切ったなあと感じました。
(フェリーの中。イオニアンキングというフェリーで、これで商売大丈夫ですか、と余計な心配をしたくなるぐらい客が少なく快適。このラウンジともうひとつ映画館みたいな暗く寝やすい部屋を二人でほぼ占領状態。でも降りるときに、実はキャビンの方には結構人がいたこと発覚。アジアでは、一番安い席がギュウギュウで、上のクラスに乗ってる人がちょっとすごい人たち、というイメージだったのですが、ヨーロッパでは、ちゃんとベッドとかある方に乗るのが普通で、イスで寝てたりするのがちょっとすごいと思われる世界だったり……なんて想像してしまいました)
それはさておき、イタリア。上陸地バーリに従姉お勧めの魚介類のレストランがあるというので、楽しみにしていたのですが、安いホテルが全く見つからず、また例のカウチサーフィンの人とも連絡がつかずで、どうしても予算的に厳しかったため、さらに1時間半ほど移動して、バーリの次に行く予定だったマテーラ(Matera)まで一気に来てしまいました。
(バーリ(Bari)から逃げるように列車でマテーラ(Matera)へ。降りる駅を間違えてしまったけれど、困っていたら、近くの人が宿まで車で送ってくれた。イタリアに来て、一日ですでにそういうの2回目。親切です)
マテーラで、やっとナイスな安宿にたどり着くことができ、ほっと一息。街も中世そのままみたいで非常に魅力的で、ヨーロッパすごいなあ~と感激しながら、街を歩いていました。壮麗な彫刻が、建築のそこかしこにあって、やれ13世紀とか15世紀とかのものだっていうので、20世紀の歴史がまるで現在のことのように思えてきちゃいますね。アルメニアやグルジアの建築は、ほとんど装飾のない簡素さがとても魅力だったのですが、けばけばしい装飾も、それはそれでやっぱり見事だなって感じてます。
(マテーラの町並み。500年とか800年とか前の建築物、ゴロゴロ。南部のせいか、季節のせいか、観光地っぽさもそれほど感じずなかなかいい感じです)
早速夕食にピザを食べに行ったのですが、もともとピザはファーストフード的なものだと思っていたけれど、あまりにファーストフード的な店に入りすぎて(一応ピザ専門店なのですが)、味はいまいち。次に期待。
多分、ここに2泊ほどしてから、次はナポリかな。ぼく個人的にはイタリアでは、学生時代とても興味のあったガリレオなど中世の科学者たちの足跡をたどることができればなと思い始めています。
しかし、本当に疲労が溜まってきました……。どっかに落ち着きたい。。。
※前回アップできなかったサントリーニ島&ロマ取材などの写真を以下に少々。前回書いた文章を参照してください。
まずサントリーニ。
(サントリーニ。ここもさすがにきれいだったけれど、視界に入る建物の7,8割がホテルかレストランかみやげ物屋なんじゃないかと思うぐらいのツーリスティさ。)
(あまりにこのベッドが気持ちよさそうなので、撮ってみました。多分、ひとのうち。うーん、こんな別荘があったら・・・)
(3,4時間、島をトレッキングしましたが、島中が巨大な花畑みたいできれいでした)
以下はアテネ。ロマの写真。
(これはアテネ。ロマの子どもたち。まるで東南アジアにいるような、子どもたちのカメラへの食いつき方が懐かしかったです)
(ディープなロマ居住区Ano Liosiaで、銃を突きつけられた直後。いま思えば、多分あの男は完全に冗談ではなかったような。でも家族が笑いでシャレの現場に変えてくれました。これがその家族。このときぼくはまだドキドキしたまま……)
(Ano Liosiaのロマ居住区。ここがハードなところへの入り口。逃げるように出てきたあと、この標識が目に入ったのですが、そのとき一瞬、「人、立ち入り禁止!」のように読めて、「あれ、こんな標識があったのか!」という錯覚を起こしました(笑)。)
(アテネ滞在中にずっとお世話になったグリケリア(左)と彼氏のユールゴス。とても親切で愉快な、素敵なカップルでした。グリケリアが、もともとぼくらを家に泊めてくれたエレクトラのフラットメイト。エレクトラはドイツ旅行中)
なぜかここ数日コメントが書き込めなくなり(何度やってもなぜか、エラーが出てしまって)、写真もアップできない状態になっています。そのため、コメントのお返事が書けず、また今回は写真なしの長文となって恐縮ですが……。またしばらくして元に戻ったら、写真とコメントアップします。
さて、いまは再びアテネにいます。前回のアモルゴス島から、サントリーニという火山の噴火によって出来た島を訪れ、1泊(+船内一泊)してから31日早朝にアテネに戻ってきました。
サントリーニもとてもきれいだったものの、こちらはアモルゴスとは違って完全にツーリストのための島という雰囲気で、ちょっと期待はずれ。全ての家が土産物屋かホテルかレストランになっていたような。でもどの島も基本的には観光業が最大の産業のようなので、この状況こそ、とてもストレートに現在の島の人々の生活を表しているのは間違いなく、それはそれでリアルではあるとも言えるのですが……。
アテネに戻ってからは、突然壊れてしまったパソコンのバッテリーの新品を入手して(IBMのパーツはなかなか手に入れづらく、今回もイスタンブールから探し回ってやっと、発見)、あとは、ロマ(いわゆるジプシー)について短い記事を書くための取材を日々やっています。「ジプシー」という言葉は場合によっては好ましくないようなので、より広く受け入れられている「ロマ」という言葉を主にここでも使いますが、ロマは、ルーマニアあたりを中心にヨーロッパ全土に広くいて、いまでは一般的に各国の底辺で生きています。彼らは、主に、1000年ほど前インドからやってきた移動生活者なのですが、移動を重ねるうちに、いまではヨーロッパ各地に点在するようになったとのこと。ジプシーというと、いまもキャラバンで移動しながら生活、というイメージがありますが、実際には必ずしもそういうわけでもなく、少なくともギリシャでは、定住している貧困層というのが現状です。ロマというのが民族としての名前で、ジプシーというのは「エジプトから来た人」を意味する「エジプシャン」という言葉の頭の音が取れたもの(ウィキペディア参照)とのこと。ギリシャには、トルコからきたムスリムのロマ、キリスト教徒のロマ、旧ユーゴ崩壊後に流れてきたアルバニア系のロマなどがいるようです。
キルギスタンからウズベキスタンに国境を越えるときに「私たちはジプシーだ」という人たちに出会い、彼らはまさにイメージするジプシーどおり、大家族での移動生活を続けていました。そのときから彼らの生活に興味が沸き、また東欧やギリシャではジプシーのいるイメージが強く、またアテネの路上では大勢のそれらしき人を見かけたので、調べてみることにしました。
一昨日は、アテネ郊外のロマたちの居住区に行き、昨日はまた別の居住区でロマの支援活動をするNGOのディレクターの女性にいろいろと話を聞きに行きました。いまもまた前に泊めてもらったエレクトラの家にいて(でもエレクトラはドイツへ旅行中!)、そのフラットメイトのグリケリアにお世話になっているのですが、彼女がNGOで働いているため、この女性のことを知っていて紹介してもらい、とてもラッキーでした。
詳しく書こうとすると、やたらと長くなってしまうので書きませんが、びっくりしたのは一昨日(31日)ロマの居住区に行ったときのこと。アテネの中心から、よく行き方もわからないまま、地下鉄とバス2台を乗り継いでなんとか目的のAno Liosiaという居住区らしい場所に着いたのですが、そこでバスを降りると、いきなり男が倒れていてその周囲にはポリスマン2人。近くに集まっているロマの若者に聞くと、「ジャンキーだ」とのこと。いきなりディープそうだな、と周囲を見回すと、手作りの小屋みたいなのが並んでいるので、ここがその居住区だとわかり、その中へ。いる人はすべてロマ。
歩いてみると、どうもまったく歓迎されてない様子。爆音で音楽をかけて、キキーッとドリフトしながら走るイカツイ車(後ろが荷台になってるちょっとヤンキー風なトヨタやらの車)が続々登場し、しかも「なんだお前」的な目線を感じまくり。
しかし小道に入ると、庭で酒盛り(?)していた家族が「ハロー!」と呼び寄せてくれて、中に入ると結構にこやかなのでほっとして、混ぜてもらいました。しかし一人、かなり怖そうな30代半ばぐらいの男が奥に。家族はみなでハシシを吸い、「あっちに警察いたけど大丈夫なの?」と聞くと、「ポリス?そんなのは銃で撃ってやる、ハハハー」と物騒なことを言います。
しばらくして、強面な男が立ち上がりぼくの方に来て、横を通るとき、ひょいとバックパックに挿していた傘を持っていってしまったので、「おい、ちょっと」というと、戻ってきて傘を返してくれると同時に銃を取り出し、半ばをそれを突きつけられた状態で、「そのカバンを置いて、出てけ」と真顔で言われ、凍りつきました。周囲にいた家族も一瞬止まっていた感じ。ぼくは、まさか、と思いつつもかなりビビッて、Please, please...というと、家族のドン的なおじさんが「ガッハッハッハッー、こいつはジョークを言ってるんだよ、ハッハッハッ!」といってくれ、同時に他の家族も「Please, pleaseだってよ!ハッハッハッ」と。でも、銃を持った男だけはほぼ真顔のまま立ち去り、車に乗り込んだのですが、車の中から笑顔で「マイフレンド!」なんてこっちを向いて笑って行ってしまったので、やはりジョークだったのかな、それにしてもきついな、とヒヤヒヤしながらほっとしました。
そのあと、その家族としばらく話して(っていっても言葉はほとんど通じず、文字が読める人も一人だけという状況だったので、会話というレベルではありませんが)、バイバイ。それからその周囲を歩くと、子どもが棒を持って真剣な顔で「お前はだれだ!」って顔でよってきたり、井戸端会議中のおばさんに「金はあるのか?ないなら出てけ!」とシリアスな剣幕で言われ、その隣の家を覗くと、若者はフレンドリーだったのにその父親らしき人物がド迫力の視線で「デ・テ・ケ」と語り、また隣では、「金くれないのか?ならあっち行け」という状況。半端ないすさみ方に、外国人が「ハロー!」と現れて歓迎される場所ではないことを肌で感じ、びびりながらもうちょっと歩いたのちに帰ってきました。
家に帰ってグリケリアに「今日ロマたちと話しにAnoLiosiaに行ってきた」というと、彼女は「え?!どうしてそんなところに?!」と驚愕の顔。彼女によれば、そこはマフィア的に暮らすロマたちのゲットーのようなところだとのこと。警察も中には入っていかない無法地帯らしく、まさかその中を歩いてきたなんて信じられない!銃ももちろん本物に決まっている、と言われ、ぞっとしてしまいました。ちなみに、一見すると牧歌的な郊外の町という雰囲気で、いかにもやばそうな裏道、って風ではないので入っていったのですが、事前にこんなことを聞いていたらとても近寄れませんでした。いずれにしても、あそこで感じた印象はそういうことだったようです。
そしてグリケリアは、「ロマについて調べてるなら、私に言ってくれればいいのに!」と、そのあとNGOの女性と、もっと一般のロマたちが暮らす居住区を教えてくれたというわけです。このNGOでは、学校に行っていないロマの子どもたちをボランティアで支援したり、生活面の相談に乗ったりという場所でした。ギリシャでは、それほど差別は大きくないようで、「ロマの人たちもちゃんと教育を受けることさえしてくれれば、社会は受け入れてくれるはず」とその女性は言っていました。ロマの子も、学校に行きたければ行けるのですが、ほとんどの大人が文字が読めず、20歳で6人子どもがいる女の子がいたり、という状況のため、親が子どもに教育を受けさせる大切さをほとんど理解できず、子どもはみな路上で金を稼いでくるための存在になってしまっているとのことでした。
ロマの問題は国によってそれぞれ状況が違うようなので、ほかの国でも調べ続けられればなと思っています。
ところで、グリケリアとその彼氏ユールゴスとは、二人とも仕事がとても忙しいのに、夜ご飯を食べに行ったり、ドライブに連れてってくれたり、本当に親切。お世話になってばかりでは申し訳ないので、昨日はぼくらが手巻き寿司を作りました。
今日出ようと思っていたのですが、グリケリアが「もう出るの?!もっといなよ!」と言ってくれたこともあり、ぼくらももう一日だけ甘えることにしました。アテネは、観光も、人との出会いも、取材も、彼らのおかげで本当に満喫できました。
それから宣伝ですが、4月4日発売の「週刊金曜日」にこのブログでも紹介したウズベキスタンの「NORIKO学級」についての記事と写真が載る予定なので、よかったらご覧ください。