スイスでの日々もついに明日で終了です。ヨーロッパにはすでに5ヶ月弱滞在したことになり、そのうち1ヶ月半ほどをスイスで過ごしました。
(アルカンテ(Alicante)までは、飛行機で飛んでしまうことに。その後、ジブラルタル(Gibraltar)を経て、アフリカ一カ国目のモロッコに入る予定。でもモロッコから隣国アルジェリアへの国境は閉ざされているというし、そこからどうやって南下していくかはまだ未定です。この地図上ではスイスまでの行程は省略しました)
明日6日、スペインに飛びます。明日で今回ユーラシア横断をスタートしてからちょうど1年になりますが、明日が初フライト。できるだけ飛行機は避けたかったものの、列車やバスに比べて飛行機が断然安かったので、ここは一気に行ってしまうことにしました。まずはスペイン南部のAlicante(アルカンテ)へ。そこから多分海岸沿いに移動して、ジブラルタル海峡を越えて、モロッコからアフリカ入りの予定です。
ヨーロッパにいる間、旅って気分じゃなかったから久々に旅らしい日々に戻るのでやっぱり新鮮な気分です。アフリカはやっぱり刺激がありそうだし!でもその一方で正直、バス乗って、宿探して、交渉して……っていう全過程を考えると、少々腰が重くなるのも確かです。しかもかなり暑いらしいし……。やっぱり気持ち的にも肉体的にも疲労は否めません。
さて以下話は変わりますが、ヨーロッパの長期の旅に役立ちそうな情報をいくつか。
ヨーロッパはとにかく移動費も宿泊費も高いですが(多分、西ヨーロッパで行った国はすべて日本より高いイメージです。ぼくらが日本と同じくらいかな、と思ったのはチェコ)、とても有用なのは、何度か紹介しているカウチサーフィン。
www.couchsurfing.com
人のうちに泊めてもらって、交流しながら旅をするとぐっとその場所にも親しみが出るし、金銭的にもかなり助かります(とはいえ、ぼくらはヨーロッパでは、ギリシャ、イタリア以降は使う機会がありませんでしたが。でもメンバーの数はびっくりするほどで、ヨーロッパならかなり小さな街でも誰かやってます)。
あと移動について、これもぼくらは使えませんでしたが、ドイツ、スイスでは、車をシェアしてガソリン代をみんなで割って街から街へ移動する、という手段がよく使われているようです(たとえば、スイスのチューリッヒからフランスのマルセイユまで16時間ほどの道のりを、44ユーロで同乗者を探している人がいました。列車とかで行ったら3倍ぐらいはかかるはず)。ドイツ語必須っぽいサイトでしたが、ドイツ語ユーザーは必見です。
ヨーロッパを長期で旅する場合、ビザとかが気にかかるところですが、これも実際はほとんど気にしなくていいことが判明。
ヨーロッパにはシェンゲン協定って取り決めがあります。EUのほとんどの国が加盟していて、それによって相互に国境での検問などをなくしているのだけれど、その取り決めによれば、EU外の人はシェンゲン協定実施国には連続する6ヶ月の中で3ヶ月しかいられないことになっています。つまり"オフィシャル"には、たとえば旅行者として、1月10日から4月10日までドイツ、フランス、スペインなどで3ヶ月過ごした場合、7月10日まではシェンゲン協定加盟国すべてから出ないといけないことになっています。たとえばトルコやモロッコとかで3ヶ月時間つぶしてからじゃないとヨーロッパには戻ってこれないというわけです。
しかし実は、よく考えると……。スイスはシェンゲン協定に加盟しているものの、いまのところ実施はしてないということで、すなわち上記のパターンの場合、確か日本人はスイスには3ヶ月間ビザなしでいることができるから、7月10日までスイスで過ごせば、またシェンゲン協定内の国に戻ってこられることになります。つまり、たとえばドイツ、フランス、オランダ、ベルギー、イギリスで計3ヶ月過ごしてからスイスに3ヶ月いれば、またフランスなどに戻ることができるわけです。
しかもポイントは、スイスへの出入国ではパスポートにスタンプが押されないこと。すなわちいつ入国出国したかは全く不明なので、実際にはドイツに6ヶ月いたとしても、その間途中で3ヶ月間スイスにいっていたことにすれば……。
ぼくらは特に意図せずだったものの、スイスで1ヵ月半、シェンゲン国内で3ヶ月程度となりましたが、ヨーロッパの国々は本当に出入国に関しては驚くほど適当で(シェンゲン国内で国境を越えるときは普通パスポートを見せる必要すらない)、日本のパスポートをもっていれば、ほぼ誰も何も気にしないというが現実です。あまり長期でヨーロッパにいると厳密には不法行為になるだろうものの、何か問題を起こさない限り、そして特に日本のパスポートを持って常識的な活動に終始していれば、ビザ的にはヨーロッパ長期滞在はほとんどビザのことは気にする必要はなさそうです。実際スイスが入国スタンプを押さないことを考えれば、旅行者がどれだけの長さスイスにいるかは、スイス政府は多分気にしていないはずです(EU諸国も同じく)。
ちなみに、スイスは今年末ぐらいからシェンゲン協定を実施するらしい、という情報もあります。でも多分実態はあまり変わらないだろうと思われます。むしろ、より自由になりそうな予感も?!
(LonelyPlanetを買ったりしているうちに、だんだん旅モードになってきました!)
アフリカへの準備は着々と進んでいます。っていっても、アフリカの"LonelyPlanet"を購入し、それを読んで大体の目的地を決め、必要な予防接種を済ませたってぐらいですが。
その予防接種。つい2週間ほど前までいったいなんの病気にびびらないといけなくて、何のワクチンを注射すればいいのかも知らなかったのですが、気付いたら昨日だけで黄熱病、破傷風、ポリオ、ジフテリアの予防接種を済ませ、なんだかぐっとアフリカに近づいた気分です。
こういう注射は、スイスならベルンやジュネーブやチューリッヒの大病院にいかないと打てないんだろうなと漠然と思っていたものの、アフリカやアジアの熱帯地域の病気の専門医が近くで開業していると知ってちょっと驚きでした(そんなに需要があるんだろうか?)。結局近くの熱帯専門の町医者は休暇中だったので、ベルンのそばまでいかないといけなかったものの(電車で20分ほど)、そこも自宅(たぶん)で開業する熱帯専門医。日本の開業医もよく考えたら普通の家っぽいことも多いけれど、こっちのはもっと本当に普通の家って感じで、中に入っても病院っぽさはほとんどないのが新鮮でした。白衣なんてもちろん着てないし。治療費も直接医者に手渡しでレシートもなし(ちょっと足りなかったけれど、まあ、いいや、なんていうノリでした)。さすがに保険とか絡んでくると違うのかな。。。
さて、とにかく、その女医さんに相談しながら打つべき注射を決定。とりあえず黄熱病(Yellow Fever)だけは、予防接種の証明書がないと入国できない国が複数あるというので絶対に必要だったのですが、それに加えて、一本で破傷風、ポリオ、ジフテリア(diphtheria, polio, tetanus)の3つをカバーできるというなんだかお得な気分になれる混合注射(combination)ってやつをやってもらいました。ちなみに昭和51年生まれ(ぼくたち)の人は、日本の行政の手違いか何かで小さいときにポリオの予防接種をしていないらしく、機会があればやった方がいいなんてことを読んだことがありました。
2つの注射であわせて110フラン(12000円ほど。黄熱病60フラン、混合50フラン)。スイスの金銭感覚にすっかり慣れてしまったいまとしては、思ったよりも安いなと感じたのですが、たまたま数日前にエジプトで黄熱病のワクチンを打ったという居候型バックパッカーの牛山さんによれば「黄熱病は13ドルだった」とのこと。そろそろ金銭感覚も旅モードに戻していかないといけなそうです。
一昨日は、おそらくスイスのチベット人取材で話を聞かせてもらう最後の人となった18歳の女の子タシとその妹の10歳のディキを、ぼくらの居候先に呼んで一緒に寿司などを作って食べました。
タシはお父さんとともにスイスのトゥン(いまぼくらがいる町)に暮らし、妹のディキはお母さんとともにベルギーのブリュッセルで暮らしています。タシはチベット語のほかにドイツ語と英語を話し、ディキはフランス語。二人とも日本が大好きで、日本人のぼくらと会ったことをとても喜んでくれているのがよく伝わってきました。
ぼくらの経験的にはヨーロッパの人は料理するのでもなんでもかなり大雑把な印象だけれど、久々にタシと一緒に料理をしたら、細かいところへの気遣いなどの感覚が自分たちに近く、やっぱりアジア人同士っていうのは何か通じるものがあるな、というのを感じました。
スイスに来て2年ほどのタシは「スイスはドリームランド!」といって、スイスの快適な生活をとても気に入っているという一方で、「正直スイス人は好きとは言えない」とのこと。「アジアの人がやはり好き」という彼女には、生活水準の高いスイスの快適さを楽しみながらも、なかなかこのスイスの世界に心からは溶け込めない、という複雑な気持ちを垣間見せていました。
(ぼくの隣が10歳のディキで、素子の隣が18歳のタシ。とても素敵な子たちでした。中央の二人が、いま泊めてもらっているルーシー(上)とテリー)
2日間しか会ってないけれど、本当の妹たちのような感覚にさえなり、別れ際にはぼくらに手紙まで用意してくれてて(読んだらじーんときました)、「来年またスイスに来てくれる?」と尋ねるタシの寂しげな顔に、母国に帰ることができないっていうのは、やはり半端ない厳しさを伴うことなのかもしれないないと感じました。二人ともとてもアジアが恋しいみたいで、見ていてなんだか切なくなり、いつでも母国に帰れる自分たちとの状況の違いをしみじみと感じてしまいました。亡命するということの意味の一端を二人が教えてくれたような気がします。数年後、二人ともそれぞれが暮らす国にもっともっとなじめるようになってくれていれば、って思います。
("Dog"。自分の4匹の"犬"を最初にいる家からゴールまですごろくの要領で運ぶというゲーム。"Uno"のような感じでトランプを使って犬をゴールに向かって進め、相手を邪魔して、仲間を助けながら、自分とチームメートの両方すべての犬がゴールしたら勝ち。かなりシリアスになってしまいます)
さて、今回ルーシーとテリーのうちに再び帰ってきたのは、実はある目的があったりして……。3ヶ月前に彼らのところで覚えた"Dog"というボードゲームがかなり面白くて、それをやりに戻ってきたというのも実は結構冗談でもなかったりします(笑)。4人で、2対2のチームでやるゲームで、ルールは単純ながらかなり頭も使い、スピード感もあるよくできたゲームです。昨日も夕食のあと、4人で疲労困憊するまで燃えてしまいました。日本にも輸入したらかなりブレイクしそうな予感がします……。
リッチな休暇の日々を終えて、また移動しました。
といってもいまいるのは、すでに4月に1週間ほどお世話になったトゥン(Thun)という街の女性二人の家。本当は、Wadenswilの純子・パトリック邸からRolle(Lausanneのそば)のマシュー・ニコル邸へ移る間にThunの近くを通るので(地図参照)、ちょっと寄っていこうっていうつもりだったのだけれど、日程的にそれが無理になったので、じゃ、マシュー・ニコルの後でということになり、今後の予定が決まってなかったということもあり、戻ってきてしまいました。
その「今後の予定」というのが最近のぼくら二人の第一のトピックでした。2003年に日本を出てすでに5年を越え、昨年の中国出発からも気付いたらすでにほぼ1年。もともとヨーロッパに着いたらどこか半年とかぐらい滞在して(真冬のキルギスタンにいたころはアラスカに滞在なんていう案も浮上しましたが、ヨーロッパの春を経験したらやはりマイナス20度なんていう世界には戻れなそうです)、それを最後に帰ろうと思い、ここ4ヶ月ほどヨーロッパで住める場所、というのを探していました。
もともと素子が、ヨーロッパで犬関係の勉強かボランティアをしたい(ドッグトレーニングなど)というのがあり、それが出来る場所をということで定住場所を探していたのですが(ぼくにとっては、あまり辺鄙な場所でなくそれなりに英語が通じる場所であれば、書くことは続けられるので場所選びは素子の条件優先)、友達の助けを借りつつ各国でリサーチを続け、関連施設に連絡を取ってみたものの、どうもボランティアなどという形で長期滞在できそうな場所は見つからずでした(やはりその国の言葉を話せないと厳しそう)。
という経過を経て、もうヨーロッパ滞在はあきらめるかという方向に進み始め(4ヶ月ほど友達のうちを転々としてなんとなく住んだ気になれたということもあって)、じゃあ、どうするか、という話がずっと続いていました。
正直、体力的にも気力的にも旅に相当疲れてしまったぼくは、どこかに定住して腰をすえて仕事をしたいという気が高まっていることもあり、ヨーロッパに定住しないならいますぐに帰国してもいいという気分になりかけていましたが、ヨーロッパで満たされなかった素子の動物熱がアフリカに向かい、帰国する前にアフリカで野生動物を満喫してから帰ろう、という案が浮上し、いろんな議論を経た結果、年内帰国を目標に、それまで4ヶ月ほどアフリカを見てこよう、という方向にいま固まりつつあります。そう心を決めて下調べなどを始めたのはまだ一週間前ぐらいのことです。
とりあえずおそらくスペインからモロッコに渡るものの、目指すのがアフリカ南部となるため、その後すべてを陸路で行く気力は多分なさそうで、適当に飛ばしながらケニアあたりを目指すことになりそうです。
というわけで、ここトゥンでは予防接種、保険の延長、ルートの検討などという事務作業が中心になりそうです。今週いっぱいでここを出てアフリカに向けて出発したいです。
この"From 2003"も本当に終盤に近づいてきた感じですが、もうちょっとがんばります!
(マシュー&ニコルの快適な家で、最後のみなでのディナーに日本食を作りました。寿司、つくねハンバーグ、カレーと作り、結構気に入ってもらえました。西洋人には、いつもてりやきソースは大好評。寿司は、おそらく西洋人の間では、おいしさよりも「文化的」な象徴みたいになってるんじゃないか、という気も……。寿司好きだとインテリっぽいみたいな(笑)。盆栽や日本庭園っていうのも似たようなにおいがします)
(ジュネーブ湖(ルマン湖)で、ボートを降りて泳ぐ素子。アルプスの山々、ワイン畑、フランス国境などが周囲に見渡せる贅沢なひととき)
いまいるのは、スイスのフランス語圏。フランスとの国境の目の前のジュネーブと、少しスイス内部に入ったローザンヌとの間のRolleという小さな町にいます。ここについたのは14日で、ここに住んでいるのは、バンバリーのボランティア友達のマシュー&ニコル。オランダでお世話になったクリステルも同日に合流してここ一週間は5人でリッチなスイスホリデーを満喫してます。
(いまいるRolleはジュネーブ(Geneva)とローザンヌ(Lausanne)の間。ジュネーブ、ローザンヌに沿って、その南側にジュネーブ湖(ルマン湖)があります。別荘はその南側に広がるアルプスの山中)
昨日、マシューとニコルの友達の"シャレー"(別荘)での5日間ほどの山生活から、再びRolleに戻ってきたところです。
マシューとニコルの二人は、まさに絵になる美男美女で優等生カップル。マシューはこないだ36になり、ニコルもまもなく35歳になるけれど、4年前と違いはなく、素敵です。ニコルは、まれに見る品のある整った顔立ちで、ハリウッド女優でもおかしくない気がします。
スイスでは大学に行く人は10~20%ほど(マシュー、ニコル談)と少なく、大学を出ているだけでかなりエリート階層に入るようなのですが、二人とも大学出の金融関係が本職だったので(いまは二人とも転職)、実にリッチ。決して"いかにも金持ち"っていう感じではなく、なんかスイスの上品な上流階級の人たち、というイメージがぴったりのような。
初日14日は、Rolleの二人のマンションに泊めてもらい、翌日は、マシューの家族が住むヴェヴェー(Vevey)へ。家族もこれまた全く嫌味のない"余裕あふるる"豊かな雰囲気というか、「こういう家族だとマシューのような人物が育つんだな」とクリステルと納得。
ジュネーブ湖が家から徒歩数分で、マシューパパのモーターボートで早速クルージング。湖の真ん中に行って、水に入って"ワインクーラー浮き輪"の中にワインを浮かべて、向こうには雪山とフランスが見えて……ってやってたら、ちょっとハリウッドスターになった気分(笑)。そのまま対岸のスイス・フランス国境まで行って、水の中に立つ城をみてという超豪華プライベートボートツアーを満喫しました。
(湖から見えるスイス・フランス国境。中央の小さな川が境界に。スイスはEUではないので、国境が一応それなりにあって、車も止まらないといけないとのこと)
ま、でも、1、2時間そういうのをやってみた結果、こういうのはたまーにやるからいいんであって、日常になったら面白くないのかもなと、正直思ったり。超庶民派の自分はこういうのより、もうちょっと生活感が溢れて泥臭い方が落ち着くなっていうの率直な感想。羨望半分(笑)。
とはいえ、マシューとニコルもワイルドなバックパッカーで、バンバリーで会ったときは会社をやめての長期旅行中で、そのときの旅は一度も帰らず2年半!インドやネパールで3週間のトレッキングをしたりというアウトドアかつタフなキャラ。全然ぼくらよりタフです。
(マシューの友達の家で。これはこの夫婦の自家製ワイン。この辺は、ワインが有名で、多くの家庭が自分のワイン畑を持っています。この夫婦のワイン畑は1000㎡で、1000本のワインを毎年作れるのに相当する広さとのこと)
その翌日16日からは、マシューの友達の別荘へ。これまたスイス・イタリアとの国境をなすアルプスのそばの谷にあり、言うまでもなくゴージャス。昼間はハイキングやドライブや泳ぎに行き、夜は、スイス料理、アジア料理、オランダ料理をかわりばんこに作って、毎晩夜遅くまで飲んで、何か話題を見つけては議論して、という日々です。ちなみに、マシューとニコルはスイス人っぽいのかどうなのか、感覚が日本人と似てるというか、それほどガツガツ議論するキャラではなく、あまり強いことは言わないようにする、という雰囲気の人たちだけれど、クリステルはオランダ人の中でも特に率直な方で、とにかくストレート。ぼくも5年前に比べてかなりストレートに何でも言うようになった自分に気付かされますが、こういう感覚の違いが一番議論の中心のネタになって、しかも面白いです。
マシューとニコルは、仕事をやめて2年半も旅をしていて、旅を終えてスイスに帰るに当たってはいろいろと葛藤があったようです。ニコルはまだ旅を続けたかったのに対して、マシューはスイスに帰って落ち着いた仕事ライフに戻りたかったとのこと。どうやって旅を締めくくるかについてぼくらもいまよく考えているため、二人とはそんな話もよくしてます。やはり旅生活がこれだけ長くなると、なかなか区切りがつかないのがやっかいなところです。が、とりあえずぼくらが今後どうするかについては、少しだけ具体化してきました。
ちなみに、マシューとニコルは会社を辞めて2年半もふらふらしていたのにもかかわらず、帰ったら前の会社(二人とも国際的な大手監査法人に勤めていた)がポストを用意してくれたというのが驚き。結局ニコルは会社を移ったけれど、マシューは、旅立つ前から一つ昇進したポストから再スタートを切ったとのこと。うーーん、これはスイスならではのことなのか、二人の実力のなせるわざなのか、すごいです。。。
(マシューとセントバーナード)
18日は、スイス・イタリアの山越えの国境にあるセント・バーナード発祥の地へ。あの犬のセント・バーナードです。セント・バーナードは、ここの山越えをする人たちの救助のために僧侶たちが育て、僧侶とともにこの雪山の中に暮らしながら、救助が必要であれば駆けつけていった、というのが500年以上前のここの発祥だったようです(うるおぼえなので詳細は不確かです)。とにかく、この国境はこれまで通った中でも最もきれいなものの一つでした。
(スイス・イタリアの国境。右の道をずっと正面に向かって歩き、屋根の光る二つ目の建物あたりからがイタリア。ナポレオンの軍もここを越えてスイスにやってきたようです)
19日はマシューの誕生日で、20日はぼくの誕生日だったこともあり、二人の合同誕生会をやり、20日は氷河を見に行って、豪華なシャレーライフは終了しました。
(シャレーで。中央のカップルがマシューとニコルで、その右がオランダ編で度々登場したクリステル)
21日は、マシューの実家のそばにあったチベット人の施設へ、取材の続き。これまでゆっくり話を聞けていなかった僧侶から3時間近く話を聞けました。チベットについての彼の見方やスタンスは、これまで聞いたものとはかなり違うもので、新鮮でした。
(チベット仏教の施設"Rabten Choeling"のディレクター、ゴンサール・リンポチェ(Gonsar Rinpoche))
さて、今日22日は、これからジュネーブでバンバリーのボランティア仲間が集まってのプチ同窓会。
なんだか日々の記録みたいになってしまいましたが。26日(金)にここを出ます。もう残り4日。早い!
(家の近くの城跡でBBQ)
純子&パトリック邸でのスイス湖畔ライフも2週間経ち、明日で終わり。先週は予定通り、スイスにいるチベタンの取材に大部分の時間を割き、あとは他の友だちに会ったり、夕方は湖で泳いだり、締め切りの近い原稿を書いたり、読書をしたり、と普通にここで暮らしているような気分で過ごせました。二人の家はとても居心地がよくて、すでに自分のうちのごとく激しく落ち着いてしまってます。居間を占領してしまって恐縮なのだけれど……。
居間には「ジュンコ文庫」とも呼べそうな日本語書籍群が。いろいろ読みたいなあと思いつつも、これまでああだこうだで読む機会を逸していた古典「竜馬がゆく」を読み始めるも、読み終えることはできずにウェーデンスヴィル出発の日を迎えてしまいます。「竜馬がゆく」、最初は全6巻かなと思っていたら、実は8巻まであることが発覚し、なかなかまとまった時間もとれずで4巻で終わりそう……。他のも一切手をつけられず、残念。
純子ちゃんとパトリックはとても仲良しでこちらも見ていて楽しくなるほどですが、特に純子ちゃんは苦労も少なくないようです。純子ちゃんはラテン系の陽気なノリでどんな世界にでも入っていけそうな人だけれど、ここはスイス独特の言葉の問題が。スイスで最も多く話されているのはスイスジャーマンといって、スイス系のドイツ語。ドイツ語とは言葉も異なるようで、ドイツ語が分かったとしてもスイスジャーマンが分かるというわけではないので、スイス人社会に溶け込んでいくためにはスイスジャーマンを理解することが必要なのですが、スイスジャーマンは書くとドイツ語と同じなため、外国人が習うとすればまずドイツ語ということになります。純子ちゃんも2年のスイス生活でドイツ語はすでにかなりのレベルに達しているのですが、パトリックがスイス人の友達や家族とスイスジャーマンで話し出すと全く理解できないとのことで、なかなか入っていくのが難しいのです。これはおそらくスイスにいる外国人がみな抱える問題のようです。言葉の壁というのは、越えられるようでなかなか本当の意味では越えられない、というのはぼくも常日頃感じてます。とりあえず5年すれば、というのが通説みたいなので、純子ちゃんには日々楽しみつつがんばってもらいたいところ!
最後だった今週末は、車で数時間の湖のところへキャンプに行く予定だったのだけど、天気が悪くて中止に。やはりスイスは国全体が山みたいだからか、天気も変わりやすいようでした。でもその代わりに今日は近くの山へ散策に。さわやかな日曜日。びっくりしたのは、ぽつぽつと草を食みのんびり過ごしているウシたちが散策路へと出てこないようにと通りの端に張ってあるワイヤーに、電気が通っていること。触ってみたら軽く感電し、マジで?って感じでしたが、スイス人にとっては当たり前だとのこと。
霧のかかった森と、散策路と、集められた木材。
そんな山の国だからこそ、チベット人も故郷に通じるものを感じるのか、スイスで心地よく過ごしている様子でした。チベタンの取材は、純子ちゃんらの協力もあって思ってた以上に充実。いきなりの取材だったにもかかわらず、とりあえず6,7人からゆっくりと話をきけました。たまたまそれぞれ事情の違う人で、政府で働いていたスイスチベタンコミュニティの重役から、レストラン経営者、そして亡命者を装ってなんとか入国して働いている若者まで。それぞれ異なるストーリーがあり、とりあえずこの一週間で、スイスの亡命チベット人について、自分なりのぼんやりした像が出来上がってきました。明日からはスイス南部の友達のうちへ移るものの、今月いっぱいスイスにはいるので、ジュネーブあたりでもさらに取材を続けられればと思っています。これをどのような形にするかはまだ未定。
(ダライ・ラマの73歳の誕生日を祝う集まり("Tibet-Institute" in Rikon))
パトリックはプロのシェフで、昨日は彼がスペイン料理を作ってくれました(実は二人はスペインで出会っていて、最初のころ二人の会話はスペイン語。スペインには縁が深い人たちです)豪快にタコを丸ごと茹で、エビの塩焼きとトルティージャ(スペイン風オムレツ)。さっぱりとした味付けで素材の味を活かすプロっぽい料理を堪能しました。タコは1.2キロもあったのですが、4人でさっと食べてしまいました(水分が多いってことかな?)。ちなみに今日はイワシ。
(中央がタコ、左がトルティージャ、右がエビ)
明日は昼の電車でローザンヌ(Lausanne)へ行き、また別のオーストラリアのボランティア仲間(夫婦)の家に転がり込みます。そこに5月を丸々お世話になった傷心のオランダ人クリステルも合流し、彼らの2週間(26日まで)の休暇を5人で過ごす予定。
(スイスは小さいから地図も込み入ってきてしまいました。ウェーデンスヴィル(Wadenswil)からローザンヌ(Lausanne))まで行くと、スイスの北東部から南西部へって感じだけれど、それでも電車で2時間。日帰りで国の端から端まで往復できちゃいそうな感じです)
水泳、バーベキューを頻繁に交えつつ、ぼくも素子もそれぞれやりたいことをやって充実した日々になっているウェーデンスヴィルの毎日。それも早くも一週間。
(家からちょっと歩くと、こんなナイスなBBQスポットが)
(こんな感じでソーセージを直火焼き。ビール、ワインを持って、家のそばでこんなことができるのは本当に贅沢な環境だなって思います)
素子は犬関連の施設を見学したりしていて、ぼくはスイスの亡命チベット人の取材をしています。
1959年にピークに達したチベット動乱のあと、ダライ・ラマを追って十数万人のチベット人がインドなどに亡命したと言われます。インド、アメリカについでスイスに亡命者が多く、その数3000人ほどとのこと。友人によると、スイスは住民の30%ほどが外国人とのことで、いろんな国からの亡命者も多く、チベット人もその一つ。4月のチベットでの騒乱以降、海外のチベット人がどのように暮らしているのかも気になってきて、今回せっかくスイスにいるのだからと、調べてみることにしました。
今、泊めてもらっている、純子ちゃんの職場の同僚にも二人チベット人がいて、先週はその一人にあって話を聞きました。
37歳の彼は、18歳のときに出身地である四川省の甘孜(チベット文化圏で、チベットの地理区分ではカム地方)から親戚とともに3人で出て、ラサへ。そのときは別に亡命するつもりではなく、当時彼は、ダライ・ラマがすべてというような時期。いろんなお寺や聖地的なところを巡礼して回ったのちに、甘孜に戻ろうと思っていました。でも、カイラス(ぼくらが昨年11月に行ったところ。詳細はここ)を巡礼したときに、感激が一つの頂点に達し、一緒にきた親戚の僧侶らとともに、「よし、ダライ・ラマに会いに行こう」とインドへ国境を越えることを決めました。
カイラスのそばの村で、国境を越えるルートを知っている年長者を訪ね、彼に地図を描いてもらって、ヒマラヤの山中を3人で抜けたとのこと。途中、密輸業者の一味のふりをしながら、国境の警備をくぐりぬけネパールへ。そしてインドへ。インドで10年近くさまざまな職業を転々としたのち、スイスへ移住する方法を見つけて、スイスへやってきました。スイスに来て7,8年。数年前に"Refugee Passport"なるものを取得して、いまチューリヒ在住。
「インドからスイスへはブローカーなどを使ってきたけれど、その方法は言えないな。まだ自分はスイスのパスポートをもらってないから、いろいろと問題があるんだよ。中国とチベットの政治的なことについても話したくはない。いまも中国にぼくの家族がいるんだから」
家族とはもちろん、20年近く前中国を出てから会ってません。
「インドに逃げてきてから、両親に初めて電話したのは5年後。その間に手紙は1,2度出しただけだったから、両親はぼくが死んだと思って、祈ってたって」
中国で暮らすその両親にいまはスイスから送金して生活を助ける。でもスイスのパスポートがないから中国に会いに行くことはできず。仕事はチューリヒの寿司屋での寿司作り。給料ももちろんスイス水準で、日本的に考えるとかなりいい感じ。
「いまの生活には何も不満はないよ。賃金もいいし、すみやすいよ。スイスでの生活を知って、いろんなものを見てから、ぼくは正直、前より宗教のことは考えなくなった。多分スイスにいる多くのチベタンが同じだと思うよ」
ざっと書くとそんなところ。彼のようなチベタンをはじめ、さまざまな背景のもとに集まってきた人たちが暮らすスイス社会に興味が強くなってきてます。
明日はリコン(Rikon)というチベット仏教の修道院がある小さな街で、ダライ・ラマの誕生日を祝う式典があるとのことで、それに参加してきます。
(彼女は、ウェーデンスヴィルの近くに住む友達ヤエル。3年前チベットを旅したときに知り合って、今回それ以来の再会。相変わらず、ワイルドかつのほほんとしたキャラでうれしい再会でした)
それから。友人からメールをもらって、掲載日未定だった記事が週刊誌に掲載されていることが分かりました(浅井くん、ありがとう!)。イランについての紀行文ともエッセイともレポートともつかぬものですが、よかったら。7月4日に発売した[「週刊金曜日」に載っています。
(チューリッヒ駅にあったEURO2008の巨大オブジェ(下の人のサイズに注目)。つくりは大味だったけれど、この大きさは迫力ありました。今回EURO2008は可能な限り試合を見られたので大満喫)
アウシュビッツのあとでポーランドもすぐに抜けてしまい、その次に泊まったドイツ・ミュンヘンもまさに中継地点としてしか機能せず、早速スイスに戻ってきました。
ポーランド(クラクフ)からミュンヘンまでのバスは16時間で、朝8時にミュンヘンに着いたのだけれど、夜行バスに疲れてぐったりした状態で一泊しただけでミュンヘンはおしまい。しかも宿がまた大型ビジネス系ゲストハウス。荷物も預けられず、その代わりにあるロッカーはカギがついてなくて、カギは5ユーロ……。その上、ドミトリーはなんと一部屋40ベッド!!旅行者のことは全く考えず、とにかくいかに金のないバックパッカーを詰め込んで、あらゆるところで搾り取るかが勝負、という感じ。それでもヨーロッパは高いから、どうしてもそういう安い宿に人が流れ、ぼくらも流れてしまう、というのは実に悲しいところです。。。
(17時間かかっただけあって、クラクフからミュンヘンは地図で見てもかなり距離ありそう)
それはさておき、ミュンヘンから7時間ほど(乗り換え込み)の列車に乗って、素子の元同僚が暮らすスイス北部のウェーデンスヴィル(Wadenswil)へ。チューリッヒ(Zurich)のそばで、しかも目の前にきれいで静かな湖が広がる別荘地みたいな環境の街。元同僚の純子ちゃんとスイス人の旦那さんパトリックの家も、湖、駅ともに徒歩3~5分ぐらいの抜群の立地。ちなみに家は、築400年ほどで内装はシモキタのカフェをイメージさせるようなかわいい雰囲気(純子ちゃんはシモキタ出身)。
(パトリックと純子ちゃん。泳いで、飲んでの休日……。ぼくもこの11ヶ月で一番健康的かつさわやかな日々を送れてるような気がします)
ぼくらが着いたらすぐに荷物を置いて、湖に泳ぎに行くところからスタートしました。湖はほぼどこでも泳いでよくて、しかも、湖水浴のために軽く整備された芝生地帯は、ちゃんとエントランスがあって係員もいるのに、無料、というのがヨーロッパっぽいなあって思いました。船も近くを通ったり、すべるところも多いのに、注意書きなどが全くないのも、やはりヨーロッパっぽい気がします。
前も書いたかもしれないけれど、自分の知る限り、ヨーロッパは電車の駅にも駅員などほとんどいなくて、勝手に乗って勝手に降りるって感じだし、基本的に「ここは危ないから気をつけよう」的な注意書きのようなものがとても少ないイメージ。それに対して、日本はとにかくなんでも注意書きがついていて、それがないところで事故が起きたら、「なんでここに注意書きがないんだ?!」っていう風に行政が非難されることが多いけれど、最近思うのは、日本では注意書きがたくさんありすぎて自分で注意するくせがなくなり、子どもも何が危険なのかっていうことを自分で学ぶ機会を失ってしまってるんじゃないかな、って気がします。その点、ヨーロッパは各自、何が危険なのかを自分で考えて行動しているはずで、それは大切なことだなって思います。アメリカは逆に日本に近いのかな、っていうイメージですが。珍妙な裁判の話を聞く限り……。
(湖はどこでもこのように自由に泳いでOK。すばらしい環境です)
それはさておき、そのようにちょっとシャワー浴びようか、っていう気楽な気分で湖に飛び込める環境なので、ここに来てから毎日泳いでいます。やはり泳いだら毎日体調もよく気力も充実って感じで、やはりスポーツは必要だな、と自らの生活を省みてます。天候もよく、毎日暑くて、まさに水泳日和なので、かなりうれしいです。そして、その後は純子ちゃんたちの家の裏庭で魚を焼いたり、肉を焼いたりして外で夕食という、かなり優雅な生活を送っています。
そして昨日はパトリックの紹介で、隣町での肉体労働を手伝いに。湖沿いのビーチで行なわれた大きなパーティの後片付けで、日本でも学生バイト定番のガテン系の仕事で、豪華な昼飯もついて、謝礼を2万円ももらってしまいました(時給2500円(25スイスフラン)換算)。学生時代に日本で何度かやった肉体労働は、安くでこき使われるって印象があったから(一日やって交通費とか引くと5000円とか6000円になっちゃうイメージだったけれど、いまはどうなんだろう?)、スイスの物価・賃金の高さを肌で感じました(しかも、これは特にいい金額というわけではないらしいです)。そんなわけなので、外国からスイスに働きに来る人も多く、今日現場にいたごつい男たちの中にも4,5人東欧や旧ソ連圏の人たちがいました。たまたま彼らはぼくと一緒に作業してたのですが、そしたらそこでの共通語がやはりロシア語だったので、お!と思い、懐かしい単語を拾って話しかけてみたりしました(って、もちろん、全然たいしたことはいえないんですが)。ウクライナ人、ウズベキ人、スロベニア人、ともう1、2名出身不明なロシア語ユーザーがいて、このように旧共産圏からの労働者が西側諸国に多いとすれば、実はロシア語はそういう世界の共通語になってるのかな、と想像が膨らみました。当たり前なようで意外な発見でした。
現場では、彼らとぼく以外は多分みなスイス人だったので、すべてドイツ語(スイスジャーマン)。でもスイス人はかなりの率で英語を話すから(といっても、オランダ人やスウェーデン人ほどではなさそうだけれど)ぼくもほとんど困ることなく一日作業ができました。
ちなみに、仕事中でもちょっと時間があいたら適当に湖に飛び込んで汗を流してクールダウンし(ぼくも3回泳ぎました)、後ろではジャックジョンソンとかが軽快に流れ、大きな構造物の解体作業でそれなりに危険はありそうなのに、みな服装は裸か短パン、もちろんヘルメットなんてなし、休憩になれば途中の作業をすぐに放り出して休憩に(ぼくは、一つのネジを抜くまでやってしまおうと思って、2,3分長くやっていたら「まだやってるのか、休憩しろよ」と、リーダーに)、という軽い雰囲気で、これも実にヨーロッパらしいのかな、と思ったり。日本の肉体労働の現場って体育会系な厳しく理不尽なイメージがあるので……。
純子・パトリック邸滞在中は、ぼくはスイスのチベタンの取材をすすめ、素子は興味のある犬関係の施設の見学などをしたりと、現地生活っぽくて充実してます。そしてその合間に毎日水泳……。今日はやはりハードな筋肉痛。。。
スイスの友人のうちに来てから早くも1週間。
やっぱり現地の人の家に泊まって、毎日普通の日常みたいな生活を送ると、見えるものも全然違うし、のんびりもできるし、いろいろとじっくり話しが聞けるし、とても楽しいです。
家の主は、03年の秋にバンバリーで出会ったテリー&ルーシー。二人はぼくらよりひとまわりほど年上で、しかもバンバリーに3週間いただけなので、当時はそれほど親しくなったってわけではなかったのだけど、今回、実にいい人たちであることを再確認し、毎日4人で何時間も話をし、さらにその友だちとも会ったりして、穏やかで幸せな毎日を送っています。
ルーシーはマッサージ師&セラピストのような仕事を自分でしていて仕事時間がとてもフレキシブルなので、大体毎朝一緒に食事を食べて、その後、彼女は仕事をしたり、ぼくらも自分たちのことをいろいろやったり。テリーが夜、仕事から帰ってくると、いつも4人でお茶を飲みながらお互いに一日のことを話したり、一緒にゲームをしたり……。
彼女たちの人柄や、彼女たちから聞く話、そして街の様子を見る限りでは、スイスって日本にとても雰囲気が似ているような気がしてます。街はきれいで、静かで、すべてがかっちり、きちっとしてるっていうか、日本人がそっくりそのまま入れ替わって暮らしても、全然違和感ないんじゃないかなっていうような。。。
今回の旅で、道を渡るときに車がみな止まってくれる国なんてあったかな?トイレに紙を捨てるのが当然な国もあったかな?ってそんなことばかり考えてしまいます。イタリアやギリシャは、まだヨーロッパ的なワイルドさも感じたけど、スイスにきてそのあまりに整った環境に、いよいよ本当にぼくらの旅も終わったのかなっていう気分になってます。
イタリアからスイスへ列車で国境を越えると、急に緑がきれーーいになった気がして、はっきりとした国境がどこなんだかよく分からなくても、明らかに空気が変わったことを感じました。そして、いまいるThun(トゥン)が本当にきれいで、イメージするスイスそのもの。ハイジの世界っていうのか、いや、本当にスイスってこんな場所だったんだなっていきなり思わされました。ちなみに、テリーのお姉さんの名前は本当にハイジ!スイスじゃよくある名前らしいけど、やはり「外国人に『ハイジ』って自己紹介すると、みな『ハイジだって!マジで?!ガハハハー!』って大うけされる」とのこと(笑)。ぼくも、アニメのハイジの顔がどうしても浮かんじゃって、初めて会ったのに勝手に知りあい気分になってしまいました。
(素子の隣がハイジ。で、テリーとルーシー)
Thunはそこそこの街なのに(スイスの大都市トップ10に入ってるとのこと。しかし人口40000人!)、いまの家の門を出て、1分歩いて横を見るとすでに↓の風景。。
写真がいまいちですが、タンポポに包まれた広い草原に牛がいて、後ろには巨大な雪山。街なかでこれ以上贅沢なご近所の風景があるだろうか、とびっくりさせられます。
(駅のそばにすぐ大きな湖があり、その周囲には雪山が。それを目の前にしたきれいな芝生でみな週末の午後をのんびり楽しんでいる)
話は違いますが、ヨーロッパに入って驚きだったことの一つに、バスや地下鉄乗るときに、チケットのチェックがほぼ全くないこと。つまり、自分でチケットを買って、乗る前にそのチケットを駅や車内にある機械に自分で通して「有効化(validate)」し、それを持っていればいいというシステム。でも、誰がチェックしに来るわけでもないし、見せる場所もないし、なくても全く乗れてしまって、ほとんど完全に自主性にまかせているっていう感じなのです。しかも、年間パスとか1日パスとかそういうものもあって、そういうのを持ってる人は毎回毎回「有効化」する必要がないので、「有効化」の作業をするしないに関係なく、誰がチケットを持っているのか、誰がお金を払ってないのか、なんて全く分かりません。ギリシャではバス&地下鉄、イタリアはバス、スイスはバス(でもスイスはたまにチェックがあるみたい)が、そのシステム。
ぼくらも正直、イタリア、ギリシャともに何度かタダ乗りさせてもらってしまいましたが、あの状況で毎回きちっと1ユーロほどのチケットを買うのはすごい倫理観が必要なんじゃないかと感じてしまいました。どれだけの人がちゃんとお金を払っているのかなって気になります。。。
もしあれでほとんどの人がちゃんと払っているのであれば、ヨーロッパ人はかなり理性があるのかな、と思うし、もし払ってない人ばかりなのにあのシステムを続けているのであれば、太っ腹っていうか、テキトーっていうか、日本では考えられないやり方に思えました。
あとイタリアとギリシャのスーパーでは、自分たちが行った限り、野菜を買うとき、自分で測りに乗せて機械を操作して、値段のシールを貼って、それをレジに持っていくだけ。値段のシールを貼ったあとにジャガイモを一つ二つ多く入れたってまず分からないでしょう。
しかも驚いたのは、スイスのいまの家のそばにあるスーパー("Coop"っていって、日本の生協とほぼ同じマークなのですが、"Coop"ってもしかしてスイスの会社?)では、かごに入れたものを自分でチェックするリモコンのような機械があって、それで自分で、買ったものを"自己申告"してレジに持っていき、レジでお金を払うだけ。品物を持ってレジに行くものの、たくさん買い物したら全然何があるかなんて全然わかりません。ルーシーに、「あれはチェックないの?」と聞くと、「うーん、ないね。自主性にまかせてるんだろうと思う」という答え。すごいです。
ヨーロッパに住んでる人にとっては全く普通のことなんだろうけど、初ヨーロッパの自分としては、そんなところに、ヨーロッパと日本(アジア?)との「人間の捉え方」(って大げさかな?)の違いを感じてます。
ここも明日いよいよ出発。明日からは何日か、ドイツにいる素子の元同僚夫妻の家にお世話になります(FrankfurtのそばのWiesbaden)。そのあとオランダ、フランスで友人訪問を続け、またドイツ、スイスに戻ってきます。テリーとルーシーが「是非戻って来い!」っていってくれるので、完全に真に受けて、本当に戻ってきちゃう予定です。
(今日の午後は、テリーとルーシーの友達のうちでチーズフォンデュをごちそうになりました!超濃厚で沸騰している液体チーズの中にパンをつけて、白ワインとお茶で食べるというのが伝統的なチーズフォンデュとのこと。もっと肉とか野菜とか、なんでもチーズにつけまくるのかと思ったら、パンだけだというのは意外でした(ナシやパイナップルも少々あったけど)。ちょっと単調ではあるけど、かなり美味しかった!)
(これが2日目に作ってもらった"ラクレット"。チーズをマッシュルームやらと一緒に、鉄板の上で溶かして、それをポテトにかけて食べる。これもまたすごーーく美味しかった。結局チーズなわけだけど)
前回更新したナポリから、気付いたら2週間も経ってしまいました!その間に、ローマ、そのそばの小さな村・ロカ・カラショー、フィレンツェ、ベネチア、そしてスイスへと、旅はかなり展開してしまいました。というか、昨夜からスイスの友人家に泊めてもらっていて、もう気持ち的には、旅らしい旅はイタリアで終わり、これからは友人巡りの日々、という感じです。
しばらく更新できなかったのは、ここ2週間ほどやたらと仕事が重なってしまったのと、見なければならないビッグネイムな美術館やら観光スポットが多く、そして物価が高くて無駄にダラダラ滞在もできないために、移動が続き、時間的余裕が全然なかったためです。
仕事については、いつもの連載の仕事に加え、月刊誌のグラビアページの仕事、そして急遽依頼されてチベット問題の記事を週刊誌に寄稿することになり、そのすべてがほとんど完了したのが昨日の夜。
ローマにしろ、フィレンツェにしろ、見たい(見なければならない?(笑))場所が多くて、日中は午前中から長蛇の列に並んで美術館に入ったりして、くたくたになって宿に戻り、それから毎日、夜2時か3時ごろまでリサーチや原稿書き、という日々が続き、かなり疲れました。。。でも、一応ほぼすべて無事に終わり、いまかなりの開放感をスイスの友人の快適な家で感じながらのんびりすごしています。
ちなみに、記事は
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○今週金曜25日発売の「週刊金曜日」に、チベット問題について現地からの情報を交えた総論的な記事(2ページ)
○5月10日発売の「中央公論」6月号に、中国のイスラム教徒についての写真掲載(1ページのグラビア)
○連載「国境を往く」のアルメニア・グルジア編が、"Link Club Newsletter"6月号に
○連載「人びとの海」(前に書いたギリシャのロマ(ジプシー)について)が月刊「自然と人間」5月号に
といったところ。そのほか、イランについてのエッセイみたいなのも週刊誌に掲載予定なのですが、、、詳細はまだ未定です。
……と、少々宣伝っぽくなってしまいましたが、機会がある方はご覧いただければ幸いです。特にチベット問題については、できる限り情報をネットで追ってきましたが、今回の中国のやり方はあまりにもひどいと感じていて、その流れで記事を書くことになりました。中国にいてチベット人ととても近い友人から現地情報を得たりしながら、なんとか形にしました。
同じような問題を中国のウイグル人も抱えているし、周知の通り、その他中国には懸念すべき問題がたくさんあるのですが、中国の問題になるとなぜか人権や平和に熱い日本の団体は、声を小さくしてしまう傾向があり、そういう党派的なものが見え隠れするのがとても気持ち悪いし、いやだなと感じてます。自分も中国にはとても親近感があるからこそ、中国の問題点はちゃんと指摘したいし、厳しい視線を向けないといけないと思ってます。そういう気持ちで書きました。
(ローマのコロセウム。アテネのパルテノン神殿と並んで、遺跡の横綱みたいな存在なので、さすがに行きました。人と戦う動物がここに入れられていた、とかいう場所がとてもリアルで、なかなかよかったです)
さて、イタリアの旅について。イタリアに来て本当に、観光らしい観光の目白押しとなり、さすがイタリアという気がしました。二人とも、そんなに絵とか彫刻に詳しい方ではありませんが、素人的にもやはり、ミケランジェロとか、超メジャーどこは、その歴史的価値などを含めて、やはり是非見ておきたいと思いました。ということで、長蛇の列と、すさまじい混み具合の中、ミケランジェロ、ダヴィンチ、カラバッジョなどの大作を見てきました(正直、カラバッジョはよく知りませんでしたが(でも超大御所?!)、美術館を見て回って、にわかにシッタカモードに入ってます(笑))。
(どこにあったか忘れましたが、両サイドがカラバッジョの作品。写実性と斬新な場面の描写がその時代に衝撃を与えたとか)
ぼく的には、ミケランジェロの「最後の審判」と「天地創造」にはかなり感激しました。絵のすごさももちろんですが、それ以上に、500年も前に、まさにこの場所で、何年もかけてミケランジェロ本人がこの壁に描いていたんだと思うと、その歴史のすごさにゾクッときました(両方とも、バチカンの礼拝堂の壁に描かれているフレスコ画のため)。
(正面が「最後の審判」で、天井のが「天地創造」。「天地創造」はずっと後ろまで広がっています。上からたれてくる絵の具でミケランジェロが視力を失いそうになりながらも仕上げたというこの大作はさすがに衝撃的でした。バチカンのシスティーナ礼拝堂の中で、すさまじい観光客の数。後半は狭い回廊をずっと並んで進んでいくという感じで、「最後の審判」にたどり着くまでは本当に距離が長く、まだかまだか、と思いつつ、1時間ぐらい歩いたかもしれません。そのタメがすごかったせいもあって、最後にこれが出てきたときには、やっと最後の大ボスにって感じでした。ミケランジェロはダヴィンチが大嫌いで、「チクショー、負けねーぞ!」と思いながら作品作りに励んでいたようですが、多分この状況を見たら、ミケランジェロ喜ぶだろうな~とか想像しました)
盛り上げるために、事前にウィキペディアや本屋などでにわか勉強して、知識を詰め込んで見ました。ま、そういうわけで、感覚よりも頭で絵を見てしまっているようなのは、いかがなものかとも思いますが、やはり背景とか分かってないとなかなか感動できないな、というのは、芸術をそのままでは理解できない一庶民としての実感かもしれません(笑)。
(これもローマで、かの有名な「ブルータス、お前もか!」と言いながら、シーザーが暗殺された場所。相当たくましく想像力を膨らませないと、そのシーンは思い浮かばない風景ですが、さすがにローマは、そういう場所が目白押し)
(これは有名なトレビの泉。自分も含めて、みなが「観光客すげーな!これじゃ雰囲気でねーよ」なんていいながらすごい人ごみを作るぼくたち)
しかし、イタリアの美術館は、こんなにすばらしい芸術品を持っていて、世界中から人が見に来るのに、入場料が高すぎるし(「最後の審判」があるバチカンの美術館は14ユーロ=2000円ぐらい)、説明も不親切なように感じました。全然英語の説明もないし、日本語や英語で説明が聞きたかったらオーディオガイドを借りなさいって感じで、それが5,6ユーロ(1000円弱)もします。しかも学生でも、26歳以下だと割引にはならないという感じで、なんだかな、って思ってしまいました。
そんなわけで(?)、残念ながらダビデ像はパス。すべて見てたら、バックパッカーにはお金が持たないというのが実感です。あと、ミラノの「最後の晩餐」も是非見たくて、これは盛り上げるために映画「ダヴィンチ・コード」も入手して、知識を総動員する予定だったのですが、事前予約が必要なために電話してみると、すでに6月頭まで予約がいっぱいで見れない!という驚くべき事態が発覚してあえなく断念。これはとても残念でした。というわけで、ミラノもパス。
こういう観光らしい観光以外には、ローマ近郊のとても小さな村ロカ・カラショー(Rocca Calascio)に行きました。ここは1400mの山の上にあって、完全に廃墟となった村に、いまでは2家族だけが住み始めて、イタリア人にとってのちょっとした休日の旅先となっているところ。旅行者のための場所みたいなので、村の生活がダイレクトに感じられるっていう世界ではありませんが、それでも山の中のほとんどひとけのない中世そのままの町並みですごした3日間はとても気持ちのいいものでした。ローマに行かれるかたは、ローマから2時間ぐらいなので、お薦めです。
(この山頂にわずかに見えるのが、ぼくらが泊まっていたロカ・カラショー。この手前の町ですら、50人ぐらいしか住んでいないという、まさに捨てられた町)
(ここでは、何気にある建物がこのようにみな14世紀とかのものなのがすごい。やっぱり石造建築は長持ちしていいなあと感じます)
(ロカ・カラショーのそばの村で。見かけた数少ない村人と思われるおばあさんと。)
(ロカ・カラショーのそばの村で参加したワイン・テイステイング)
あと、イタリアに来て気付いたのは、本当に中国人が多いこと!どこに行っても、中国人だらけ、といってはいいすぎですが、ぼくらも中国語を使う機会がやたらと多くてびっくりしてます。ローマでは韓国人経営の安宿に泊まっていて、そこが朝夕食付きというとこだったのですが、そこで料理を作ってくれるおばちゃんも、遼寧省出身の中国人で、彼女もぼくらが中国語を話すことを知ってうれしそうに、いろいろと話してくれました。どうやってイタリアに来たのかと聞くと、「ツアーで来て、そのままドロン」ということでした。一人75000元(110万円ほど)払うと、そういう外国ドロンツアーがあるとのこと!パスポートは「ツアーガイド」がもって帰ってくれて、帰国の判子も押され、オフィシャルには中国に戻ったことになるとのこと。「イタリアの警察に見つかったらやばいのでは?」と聞くと、「イタリアの警察は全く気にしてないよ。没問題!」とさすが太っ腹な中国人。で、この状況について、イタリアの中国大使館ももちろん知ってると彼女はいっていて、むしろ手伝ってくれるとのこと!「大使館は、中国人の味方だから当然でしょ(笑)」と。。。パスポートに判子を押すのも、入国審査官の協力がないとできなそうなので、まさに政府側職員と一帯になってこういうことが行われているのがすごいです。。。「日本も同じ方法で入れるけど、75000元払って入国しても、警察が厳しくて見つかったらすぐに送還されてしまうから、ちょっとリスクが大きくてね」と。。。こういう話をダイレクトに聞くと、さすがに驚かされます。
(ベネチア(ベニス)。このサンマルコ広場で、クラシックの生演奏を聞いたら俄然「おお、ヨーロッパ!」って感じで盛り上がりました。しかしここもすべてが観光客のためにあるような雰囲気)
(ベネチアの町並みは想像通り)
……ざっくりとしてますが、そんな感じでイタリアは終えました。残念なのは、現地の人との触れ合いがほとんどもてなかったこと。観光地を見て回る日々の連続で、イタリア人の生活についてはほとんど身近に感じられませんでした。カウチサーフィンも試みたものの、結局ナポリでポーランド人留学生のうちに泊めてもらった以外は、どこもみな先約があったりで、イタリア人の家庭には一度も入ることはできず。旅の醍醐味は、人との出会いだと思っているので、そういった意味では、イタリアはギリシャやトルコ、イランなどに比べて、あまり親近感をもてるようになる前に終わってしまいました。
スイスからは、もはやぼくらの中では旅というより、友達に会うのがメインの目的になりますが、逆にいまはそれがとても楽しみです。いま泊めてもらっているスイス人女性2人も、03年にオーストラリアのバンバリーで出会った人たち。直接のボランティア仲間ではないものの、イルカがらみで、久々にあのころの日々が思い出されてなつかしいです。
(いま泊めてもらっている家のルーシー(左)とテリー。彼女たちは03年にバンバリー3週間ほど滞在してドルフィンセラピーにかかわっていた人たち。しばらく連絡とってなかったけど、とても歓迎してくれて、楽しく過ごしています。二人とも落ち着いたとてもいい人たち)
おそらくここに4,5泊させてもらいます……。何も気にせずゆっくりできてうれしいです。