次々に国が変わっているのに、そんな実感もわかないのがいまのEU。でもチェコと、いまいるポーランドでは久々に通貨がユーロではなくなり、ちょっと異国の気分です。通貨が変わると、細かなコインとかが使い切れずに無駄になっちゃうな、なんていう感覚を久々に味わってます。
さて、今回ちょっとポーランドに寄った目的は、ほとんどひとつ。
アウシュビッツです。
学生時代に読んだ「夜と霧」や「我が闘争」(残念ながら途中で断念、しかも2度も!)、手塚治虫の「アドルフに告ぐ」、ロベルト・ベニーニの"Life is Beautiful"などから、ただならぬ強烈なイメージを持ち続けてきていて、大学時代からずっといつか行ってみたいと思っていた数少ない場所のひとつですが、ついに一昨日、行くことができました。
いま泊まっているクラクフ(Krakow)という町から60キロほど、バスで1時間半ぐらい。ここはさすがに二人ともちゃんとガイドの説明が聴きたいと思い、いつものような「たけえーよ、どうする?」的な議論は全くでないまま(っていってもたいした額ではありません。しかも入場料は無料)、現場でガイドツアーに参加して、3時間半ほどじっくり説明を聞きながら、見学しました。
(アウシュビッツ強制収容所の入り口ゲートに書かれている有名な言葉「"ARBEIT MACHT FREI"―働けば自由になれる―。もちろんここでは全くそんなはずもなく、「自由になる」とはアウシュビッツでは死ぬことでしかなかった)
強制収容所内は、ぼくらのような観光客が多いため、思っていたよりも明るく見え、自分が想像していた超暗く、重苦しく、モノトーンな雰囲気ではありませんでした。でも、聴くこと、見ることのすべてが、想像を絶するような内容ばかりで、これまで何度も聞いてはいたけれど、それらすべてがまさにいまいるこの場所で行なわれていたんだと考えると、時々、ふと意識が遠のきそうなというか、本当にそんなことがここであったのだろうかとか、何が現実か分からないような気さえしてくることがありました。
特に、山積みになった義足や靴、名前の書かれたスーツケースを見たときの衝撃は大きかったです。ガイドの女性が「山積みになったこれらの無数の遺品を、その数の凄まじさを見るよりも、たとえば、たった一つの靴に注目してみてください。その一つ一つに物語があって、その個々の物語を想像することこそがここで起きた悲劇を強烈に実感させるはずです」というようなことを言ってくれて、そう思いながら、靴や義足をじっと見たときに、初めてここで起きたことの何たるかが、ちょっとだけ感じられたような気がしました。
しかしその一方で、3時間半ほどこの収容所内を歩き回っても、なぜか全く、そのすべてがまさにここで起きたのだ、ということが実感できませんでした。それはあまりにも事実がむごすぎることと、それに対してあまりにもこの場所の現在の様子がのどかだったからかもしれません。
(これがトイレ。全くのプライベートなしで、しかも紙も何も与えられないとのこと。ほとんどの人が凄まじい衰弱の上に病気を抱え、腹を壊したなどというレベルではないのにもかかわらず、トイレは一日朝と夜のほんの短い時間しか許されなかったらしい。あとは狭くギュウギュウ詰めのベッドなどでそのまま垂れ流すしかありません。冬はマイナス15度ぐらいになるのに、みな裸足を強要され、着るものも1枚のみ。死へ一直線の毎日。ちなみに、アウシュビッツに運ばれてきたユダヤ人らの7、8割程がそんな日々を経験することもなく、いきなりガス室に送り込まれて殺されたとのこと。ガス室に行かずにすんだ人たちも、病気や衰弱でほとんどの人が数ヶ月から長くても1,2年のうちには死んでいきました)
最近読んだ本の中で、アウシュビッツを経験したある作家が「アウシュビッツの体験は決して誰にも伝えることはできない。体験した本人にしか決して分かりえない」というようなことを言ったというのを読みましたが、まさにその通りかもしれないと思ったのは、自分でいまここを訪れて見学しても、その本当の悲惨さは決して実感できないだろうな、と感じたからです。この場所を訪れて感じたその悲惨さを語ろうとしても、現実がおそらくあまりにも想像を絶する凄まじいものだったために、どうしても現実に比べて陳腐になってしまうように思います。そして、そうやって語り継がれることによって、その悲惨さはだんだんと薄まっていってしまうかもしれない、だから語ることはできない、というのがその作家の言いたいことだったのであり、その作家の気持ちが、アウシュビッツを訪れてみてちょっと分かるような気がしました。ここで実際人々が体験してきたことは、決して自分には実感できない、という実感というか。。。
(「死の壁」と呼ばれる銃殺場。ここで何千人というユダヤ人などが、理由もなく処刑されていった)
それでもやはり、アウシュビッツで起きたことは、完璧な形ではなかったとしてもずっと人間の記憶の中に生きつづけなければならないというのは間違いありません。
さて、話は一変。クラクフでは毎晩、EURO2008観戦。ヨーロッパ中どこの町に行っても、広場に巨大スクリーンがあって大勢で盛り上がって観戦できるので楽しいです。
(昨日のイタリア・スペイン戦。PKのとき)
そして昨日は教会でのクラシックコンサートへ。バイオリン、チェロ、コントラバスとトランペット。ぼくはこれまでほとんどまともにこういうのを聞いたことがなかったため、演奏の上手下手はよく分からないけれど、前回プラハで感激した時と比べると、今回は演奏がいまいちだったことは歴然としていました。
宿は安くてきれいで設備も良くて居心地いいけれど、若い西洋人が夜中までやたらとうるさくてストレスフル。スペイン人、イタリア人、トルコ人が2日続けて夜中の1,2時まで共同スペースで大音量で音楽をかけてまるでクラブかのように騒ぎまくっているので、さすがにむかついて彼らにきれてしまいました。でもその後、「あのアジアのヒゲオヤジうるせーな」とか言われてんじゃないかと思うと、だんだんこういうゲストハウスも年齢層が違ってきたのかな、、、と、ちょっと寂しく感じてしまったり。ウィーンのゲストハウスの多くには年齢制限があるようでびっくり。「30歳以下のみ」とか。なんだそれ、って感じです(笑)。
ところで、気付いたら昨日で日本を出て丸5年になっていました!5年という響きはさすがになかなかの重みがあり、自分のこの5年がなんだったのかと、真剣に考えざるを得ません。体力的にも、精神的にも、間違いなくこのふらふら生活に終盤が近づいていることを日々感じてます。しかし、こないだ5年前の写真を見たら、さすがにずいぶんと年取ったなーと実感してしまいました。ぼくも、素子も。
明日(24日)にクラクフを出ようと思っていたのですが、今日、本屋で現地在住のカナダ人と仲良くなって、急遽予定変更して、明日彼の家に遊びに行くことになりました。彼は村上春樹の大ファンのようで、話が盛り上がって。ポーランド人の奥さんと田舎に住んでいるので、思いがけずポーランドの田舎も見られそうで楽しみです(自分たちで田舎を開拓する気力はすでに全然なくなっているので……)。
明後日の夜行バスでミュンヘンに行って、一泊してからスイスの友人宅に向かいます。
(クラクフ(Krakow)から再びドイツに戻って一気にミュンヘン(Munich)へ。久々に十数時間の夜行バスでハードそう。本当はウィーン経由がよかったのですが、日程や交通費的にウィーンは断念。ヨーロッパは移動費用が高いので、最安の交通機関を探すのにいつも丸一日かかってしまいます)