次々に国が変わっているのに、そんな実感もわかないのがいまのEU。でもチェコと、いまいるポーランドでは久々に通貨がユーロではなくなり、ちょっと異国の気分です。通貨が変わると、細かなコインとかが使い切れずに無駄になっちゃうな、なんていう感覚を久々に味わってます。
さて、今回ちょっとポーランドに寄った目的は、ほとんどひとつ。
アウシュビッツです。
学生時代に読んだ「夜と霧」や「我が闘争」(残念ながら途中で断念、しかも2度も!)、手塚治虫の「アドルフに告ぐ」、ロベルト・ベニーニの"Life is Beautiful"などから、ただならぬ強烈なイメージを持ち続けてきていて、大学時代からずっといつか行ってみたいと思っていた数少ない場所のひとつですが、ついに一昨日、行くことができました。
いま泊まっているクラクフ(Krakow)という町から60キロほど、バスで1時間半ぐらい。ここはさすがに二人ともちゃんとガイドの説明が聴きたいと思い、いつものような「たけえーよ、どうする?」的な議論は全くでないまま(っていってもたいした額ではありません。しかも入場料は無料)、現場でガイドツアーに参加して、3時間半ほどじっくり説明を聞きながら、見学しました。
(アウシュビッツ強制収容所の入り口ゲートに書かれている有名な言葉「"ARBEIT MACHT FREI"―働けば自由になれる―。もちろんここでは全くそんなはずもなく、「自由になる」とはアウシュビッツでは死ぬことでしかなかった)
強制収容所内は、ぼくらのような観光客が多いため、思っていたよりも明るく見え、自分が想像していた超暗く、重苦しく、モノトーンな雰囲気ではありませんでした。でも、聴くこと、見ることのすべてが、想像を絶するような内容ばかりで、これまで何度も聞いてはいたけれど、それらすべてがまさにいまいるこの場所で行なわれていたんだと考えると、時々、ふと意識が遠のきそうなというか、本当にそんなことがここであったのだろうかとか、何が現実か分からないような気さえしてくることがありました。
特に、山積みになった義足や靴、名前の書かれたスーツケースを見たときの衝撃は大きかったです。ガイドの女性が「山積みになったこれらの無数の遺品を、その数の凄まじさを見るよりも、たとえば、たった一つの靴に注目してみてください。その一つ一つに物語があって、その個々の物語を想像することこそがここで起きた悲劇を強烈に実感させるはずです」というようなことを言ってくれて、そう思いながら、靴や義足をじっと見たときに、初めてここで起きたことの何たるかが、ちょっとだけ感じられたような気がしました。
しかしその一方で、3時間半ほどこの収容所内を歩き回っても、なぜか全く、そのすべてがまさにここで起きたのだ、ということが実感できませんでした。それはあまりにも事実がむごすぎることと、それに対してあまりにもこの場所の現在の様子がのどかだったからかもしれません。
(これがトイレ。全くのプライベートなしで、しかも紙も何も与えられないとのこと。ほとんどの人が凄まじい衰弱の上に病気を抱え、腹を壊したなどというレベルではないのにもかかわらず、トイレは一日朝と夜のほんの短い時間しか許されなかったらしい。あとは狭くギュウギュウ詰めのベッドなどでそのまま垂れ流すしかありません。冬はマイナス15度ぐらいになるのに、みな裸足を強要され、着るものも1枚のみ。死へ一直線の毎日。ちなみに、アウシュビッツに運ばれてきたユダヤ人らの7、8割程がそんな日々を経験することもなく、いきなりガス室に送り込まれて殺されたとのこと。ガス室に行かずにすんだ人たちも、病気や衰弱でほとんどの人が数ヶ月から長くても1,2年のうちには死んでいきました)
最近読んだ本の中で、アウシュビッツを経験したある作家が「アウシュビッツの体験は決して誰にも伝えることはできない。体験した本人にしか決して分かりえない」というようなことを言ったというのを読みましたが、まさにその通りかもしれないと思ったのは、自分でいまここを訪れて見学しても、その本当の悲惨さは決して実感できないだろうな、と感じたからです。この場所を訪れて感じたその悲惨さを語ろうとしても、現実がおそらくあまりにも想像を絶する凄まじいものだったために、どうしても現実に比べて陳腐になってしまうように思います。そして、そうやって語り継がれることによって、その悲惨さはだんだんと薄まっていってしまうかもしれない、だから語ることはできない、というのがその作家の言いたいことだったのであり、その作家の気持ちが、アウシュビッツを訪れてみてちょっと分かるような気がしました。ここで実際人々が体験してきたことは、決して自分には実感できない、という実感というか。。。
(「死の壁」と呼ばれる銃殺場。ここで何千人というユダヤ人などが、理由もなく処刑されていった)
それでもやはり、アウシュビッツで起きたことは、完璧な形ではなかったとしてもずっと人間の記憶の中に生きつづけなければならないというのは間違いありません。
さて、話は一変。クラクフでは毎晩、EURO2008観戦。ヨーロッパ中どこの町に行っても、広場に巨大スクリーンがあって大勢で盛り上がって観戦できるので楽しいです。
(昨日のイタリア・スペイン戦。PKのとき)
そして昨日は教会でのクラシックコンサートへ。バイオリン、チェロ、コントラバスとトランペット。ぼくはこれまでほとんどまともにこういうのを聞いたことがなかったため、演奏の上手下手はよく分からないけれど、前回プラハで感激した時と比べると、今回は演奏がいまいちだったことは歴然としていました。
宿は安くてきれいで設備も良くて居心地いいけれど、若い西洋人が夜中までやたらとうるさくてストレスフル。スペイン人、イタリア人、トルコ人が2日続けて夜中の1,2時まで共同スペースで大音量で音楽をかけてまるでクラブかのように騒ぎまくっているので、さすがにむかついて彼らにきれてしまいました。でもその後、「あのアジアのヒゲオヤジうるせーな」とか言われてんじゃないかと思うと、だんだんこういうゲストハウスも年齢層が違ってきたのかな、、、と、ちょっと寂しく感じてしまったり。ウィーンのゲストハウスの多くには年齢制限があるようでびっくり。「30歳以下のみ」とか。なんだそれ、って感じです(笑)。
ところで、気付いたら昨日で日本を出て丸5年になっていました!5年という響きはさすがになかなかの重みがあり、自分のこの5年がなんだったのかと、真剣に考えざるを得ません。体力的にも、精神的にも、間違いなくこのふらふら生活に終盤が近づいていることを日々感じてます。しかし、こないだ5年前の写真を見たら、さすがにずいぶんと年取ったなーと実感してしまいました。ぼくも、素子も。
明日(24日)にクラクフを出ようと思っていたのですが、今日、本屋で現地在住のカナダ人と仲良くなって、急遽予定変更して、明日彼の家に遊びに行くことになりました。彼は村上春樹の大ファンのようで、話が盛り上がって。ポーランド人の奥さんと田舎に住んでいるので、思いがけずポーランドの田舎も見られそうで楽しみです(自分たちで田舎を開拓する気力はすでに全然なくなっているので……)。
明後日の夜行バスでミュンヘンに行って、一泊してからスイスの友人宅に向かいます。
(クラクフ(Krakow)から再びドイツに戻って一気にミュンヘン(Munich)へ。久々に十数時間の夜行バスでハードそう。本当はウィーン経由がよかったのですが、日程や交通費的にウィーンは断念。ヨーロッパは移動費用が高いので、最安の交通機関を探すのにいつも丸一日かかってしまいます)
3日前にプラハに着いたばかりですが、プラハも今日で終わりです。
チェコに入って、俄然、旧共産圏的雰囲気アップ。商店の作りや店員の接客態度がロシアっぽくて、いよいよ東側、っていう感じです。英語が通じなそうな小さな商店などで久々にロシア語を使ってみると、普通にロシア語で返答されて、うれしくなりました。もともとしょぼかったぼくらのロシア語がここ数ヶ月でほとんどゼロになりかけていたけれど、使い出すとそれなりに思い出してくるので、なんとか旧東側諸国で練習しておきたいところです。
プラハ自身は、噂に聞いていたほど素晴らしい!という印象は残らなかったのが正直な感想ですが(それほど他のヨーロッパの国の都市と変わらないような印象。でも多分、ぼくらに知識がないのも大きな要因として見逃せません)、クラシックのコンサートに2度行けたのが、ハイライトとなりました。
ぼくはもともとクラシックには全然興味なかったけれど、「のだめ」に予想以上にのめりこんでしまったあとから、ちゃんと聞いてみたいなっていう気持ちが沸きだし、そしてベネチアのオープンカフェでやっていたバイオリンの生演奏の雰囲気にやたら引き込まれてしまってから、ヨーロッパで一度は、と思っていました。それがプラハで実現。
(最初にコンサートを聴きに行った建物。Municipal Hallだったかな。これはコンサートが終わった夜9時半ごろ)
プラハには街のいたるところのいかめしい建築物の中で夜な夜なコンサートが開かれていました。素子的にピアノを聴きたいってのがあったのだけれど、日程と値段によってピアノ系はすべて振り落とされ、まずは手ごろな普通のオーケストラのコンサートへ(いろんな割引で二人で10ユーロほど)。チケットは安いものの、ちゃんとした由緒ある大きなホールでのコンサート。みなドレスアップしてホールの前でワインなどで優雅にやってる"エスタブリッシュ"な雰囲気だけでもそれっぽくて盛り上がれました。当然ぼくらはフォーマルな服などないので、ジーンズ、スニーカーのままでしたが。
(上の建物内のホール。やっぱりヨーロッパで音楽を聴くと、建築物の雰囲気だけでも結構盛り上がれました~)
素人のぼく的には、モーツァルトとか、ベートーベンとか、バッハとか超大御所系の知ってる曲が出てくるのが分かりやすくていいなと思っていたのですが、やった曲目はハイドンだけは名前を知っていたものの、あとはよく分からず。玄人向けなのか、安いからなのかは分かりませんが、メジャーな曲は出てこずで、しかも眠りを誘う旋律と勝手に格闘、という時間も決して短くありませんでした。
翌19日も、まだ夕方といった明るさの19時半ごろ大きなコンサートホールの前を通ると、すでに始まって30分ぐらい経っているコンサートのチケットをかなりの格安価格で買うことができ、ダッシュで入って残りの30分ほど演奏を聴くことができました。こちらはバイオリンの5,6人とチェロだけでしたが、これは多分チェコフィルハーモニックオーケストラのメンバーの演奏で、かなりレベルの高いものなんじゃないかと思わせてくれる素晴らしい音色に感激。バイオリンの音に初めて聞きほれました。曲も多分素人フレンドリーにモーツァルトやバッハのぼくでもほとんど聴いた事あるのばかり。"the greatest hits of 1700's"とか名前のつきそうなベストアルバムみたいな曲選びだったような。
ちなみに、モーツァルト、バッハ、ベートーベンとかって当時はどういう位置づけだったのかをいまと比較して考えてみると、彼らがメジャーな人気音楽家だったとするとたとえばモーツァルトはいまでいえば小室哲也みたいな感じだったのかな?とか思ったり。当時は「今度モーツァルトのコンサート行くんだ」って言ったら、「おー、ずいぶんミーハーだなー」みたいな反応されてたり。。。当時もマイナーな音楽家を好むコアなファンがいたのか、モーツァルトとか大御所は、小室哲也というよりやはりもっと小沢征爾的大御所の位置づけだったのか、とか全く何も知らないだけにいろいろと想像が膨らんでしまいました。
いずれにしても、プラハとかだと、モーツァルトとかが闊歩していた姿を想像できる町並みなので、クラシックを聴くには最高の環境だなあと実感。こんなところで毎晩のようにハイソな音楽を聴いていたら、演奏家にあこがれていたかもしれないなと思いました。
(プラハの町を貫くヴルタヴァ川(モルダウ川)と、有名なカレル橋。この橋は1400年ごろの建築物で中欧最古の石橋だとか。カレル橋は、ツーリストと土産物屋などでごった返していたので、となりのマイナーっぽい橋からこうして眺める方が雰囲気が味わえました)
あとプラハでは夜は毎晩パブなどでEURO2008を観戦。ドレスデンで、ドイツの応援に参加しているうちにドイツにかなり肩入れできるようになり、昨夜もドイツ・ポルトガル戦を街中に設置してある大画面で観戦し、興奮。EURO2008を毎晩楽しみにするようになるとは、始まる前は思ってもみませんでしたが。ビールが安いのものかなりうれしい。ドイツの半額ぐらいの感覚で飲めているような。ちなみに宿代も半額で、久々に安い!という感覚で旅できています。物価的にはプラハで日本と同じぐらい、かな?
(プラハ(Prague)からクラクフ(Krakow)までは列車で7時間ほど。久々にシベリア鉄道みたいなやつになるのかな?クラクフからアウシュビッツ(Auschwitz)までは60キロ。)
さて、今日はこれからポーランドに入り、アウシュビッツのそばのクラクフ(Krakow)に向かいます。アウシュビッツはいつか行ってみたいと大学時代ぐらいから思っていて、地図を見たら、いま明らかにこれまでで最も接近していることに気付き、急遽行ってみることに。その後ウィーンを経てからまたスイスの友人のところへ行きます。友人の家以外はほとんど大御所のみの旅となってしまってます。。
前回ドイツに再入国したばかりだったのに、もうドイツも終盤。オスナブルックからブレーメン、そのあとドレスデン。ドレスデンは旧東ドイツで、もうチェコもすぐそば。一週間前からドレスデン出身の女性とそのイギリス人の彼氏の家に泊めてもらっています。彼らもまたバンバリー時代のボランティア仲間。またまたすっかり自分の家のような気分でいたら、あっという間に一週間。
(ブレーメンの中心部。これは確か夜9時ごろ。この時期、10時ごろでも結構明るい)
その前のブレーメンでは大学時代の友人に再会。友人はいまヨーロッパの大手航空機メーカーに勤めていて、ある分野の専門家としてアドバーザー的な仕事をしているようでした。ぼくも学部時代は「航空宇宙工学」なんていうイカツイ分野を専攻していたので、そういう話は懐かしいのですが、いまや全くの門外漢。大学院では環境海洋工学ってことで北極の気候の研究をしていましたが、もはや恥ずかしくそんなことをいえないほど自然科学の知識が後退しているのは残念きわまりないです。友人が大学時代の研究を深めて専門家としてドイツに来て働いている様子を見て、自分も書くにしてもそろそろ専門分野がないと厳しいな、と実感してきてます。「旅行学部バックパッカー学科夫婦長期旅行研究室」とかあれば非常勤講師ぐらいできそうですが。あるわけないけど。
(ブレーメンで会った友人の水谷。現在ドイツ生活10ヶ月ほどで、近々結婚!おめでとう!)
それはさておき、ドイツ人の中に日本人ひとりで、ドイツ語を学びながらの仕事の日々はやはり容易ではないようでしたが、それだからこその貴重な経験が無限にありそうで、住むのはいいなって改めて思いました。やっぱりちょっとでもヨーロッパに住んでみたいなっていう気持ちは高まります。
彼は以前上海にも来てくれていて、日本、上海、ブレーメンという各地で会っているので、次はどこで会えるかな?と楽しみです。
ブレーメンに一泊してからすぐドレスデンへ。電車で6時間ほどで到着すると、出たところにすぐ懐かしい顔が!かなりの巨体のイギリス人の友人アーロン(Aaron)がぼくらを迎えてくれました。アーロンは、ぼくらとちょうど同じころにバンバリーに来てまだイルカもあまりこない冬から一緒にボランティアを始めた男で、強烈にバンバリーの日々を思い出させてくれる顔。かなりの巨漢がさらに二回りぐらい巨大になった感ありでしたが、「男は見た目じゃない!」を地で行っているというか(失礼!)、本当に彼は陽気でいいヤツで面白いので、今回一週間一緒にいたら、彼はモテるだろうな~と納得。って普通に失礼ですね(笑)。
(アナとアーロンの家で。ぼくらがお好み焼きとコロッケを作りました)
(十分に材料がなかったものの、お好み焼きもそれなりのものに。広島風)
アーロンの彼女のアナ(Anne)、アパートの1つ下の階に住むアナの親友のカトリン(Katrin)もバンバリー時代から知ってる友人。ここ数ヶ月バンバリー時代の友達と次々に会ってきたけど、4年経ってもみな、何も当時と変わらずに話せるのがいつもうれしいです。
(アーロン、カトリンと。4人で軽いトレッキング&川クルーズへ。このエルベ川が、チェコからずっとハンブルクまで続いています)
(アナ&アーロン。アーロンはずーっとこういうハイなキャラ。饒舌、早口、スラングだらけで、ぼくらの友人ではもっとも"高度な"英語を話す人で、彼と数日話してると自分も英語が上達したような気分に……)
ドレスデンは、旧東ドイツということもあってか、物価も少し下がったような気がします。ヨーロッパ入って久々に、カフェとか入って「お、なんか安いな」って感じることができました。明日からチェコに行きますが、プラハの宿はオランダやイタリアの半分で泊まれるので(ドミ10ユーロ前後)なんかすごーく安い気がします。
日本は高い高いって言われてきたけれど、いまのヨーロッパを見るともはやその時代は終わったような気がしてしまいます。缶ジュース300~350円、ガソリン250~300円ほど、っていう感じです。こないだアムステルダムで会ったスイス人旅行者も「日本は高いって聞いてたのに行ったら安くてびっくりした!」と言っていて、自分もこの感覚で日本に帰ったらそう思えそうで楽しみです。
しかし10日ほど前、ポケットに入れていた100ユーロをどこかで紛失。すられたってことはないと思うので、多分コインを出したときに一緒に落としてしまったような……。キルギスタンで財布をすられてから、これからは現金を直接ポケットにいれとこうってことにして、これならすられない!と安心しきっていたのに、まさか自分でひらりと落としてしまうとは。あまりの間抜けさに、ショックから立ち直るのに3時間ぐらいかかりました。
ちなみに、友達から聞いたドレスデンの旧東ドイツっぽい話。家に電話が入ったのは1990年ごろ、テレビもそれまで白黒のみ、みな軽くロシア語を知ってます。友達のお父さんは、当時、政府から近所の人の監視を命じられ、「ちゃんと報告しなければ家族の安全は保障しない」的に政府から脅され、そのことを家族に言うこともできずに苦悩の内に10年間を過ごしたとのこと。そして自分がその役に命じられた彼は、周囲にもまた誰が自分を監視しているかも分からないと感じ、かなり疑心暗鬼になりながらソ連崩壊までの10年程度をすごしたようでした。ドイツ統一後には、彼についての東ドイツ政府が集めた資料がたくさん(でも一部)彼のもとに戻されてきて、どれだけ自分が監視されていたかの一端を知ってびっくりしたとのこと。友達自身もそのことを3年前に初めてお父さんから聞いたようです。友人も「こんな話は、昔は噂だけなんじゃないかって思っていたけれど、本当にあったことを父親から聞いて分かってとても驚いた」といっていました。
(先週末は、ドレスデンの巨大な祭りでした)
(祭りだけでなく、いまはEURO2008でヨーロッパ中がサッカーに熱狂。ドレスデンでは、Public Viewingがタダなので一緒に盛り上がれてうれしい)
それから全く話がかわりますが、アーロンが持っていた"Long Way Round"というイギリスのTV番組のDVDにはまってしまいました。ユアン・マクレガーともう一人チャーリーなんちゃらっていう俳優が、バイクでロンドンからニューヨークまで3ヵ月半の旅をする連続ドキュメンタリー。ロシアやモンゴルあたりでぼくらも行ったところが出てくるなんて話から見始めたのですが、番組自体がとても面白くて、しかもユアン・マクレガーの底抜けな明るさと笑顔とワイルドさがとても魅力的で、ちょっとファンになっちゃたような。日本のテレビ番組では絶対OKがでないだろうなっていうような危険なルートも場当たり的にやっちまえって感じで、さすがイギリス人はワイルドだなって感じさせられました。その豪快さが日本の旅番組とは全然違って、しかもトークも超赤裸々な気がして、新鮮でした。ユアン・マクレガーファン、旅番組ファンには是非お勧めです。
("Long Way Round"がロンドンからニューヨークまでユーラシア、アメリカ大陸横断編。それが人気でできたらしい続編"Long Way Down"はスコットランドから南アフリカまでのアフリカ縦断編。画面に映ってるのがユアン)
明日の昼、電車でプラハへ。アナ&アーロンのところには一週間泊めてもらいましたが、このくらいで出発すると、ちょっと後ろ髪引かれ、しかもダラダラしすぎずで旅気分が続いていいような……。
今日は最後の夜、これからアナたちとEURO2008のドイツ戦をPublic Viewingに見にいってきます~。
アムステルダムを出て、再びドイツに戻ってきました。いまはオスナブルック(Osnabruck)という、全く縁もゆかりもない街にいます。大学時代の友達が暮らすブレーメン(Bremen)が次なる目的地なのですが、アムステルダムからブレーメンへダイレクトに行くと列車代がかなり高かったため、ベターな方法を模索した結果、オスナブルック経由ということになり、ついで安宿もこっちの方がぐっと安かったためにここに宿泊まですることに。
ヨーロッパの電車は、買い方によって値段がずいぶん違ってきます。特別ディスカウントプライスとか、1日乗り放題チケットとか、早めに予約すると安いやつとか、ナントカ格安チケットみたいなのが、実はかなり充実してます。それらを有効に使うと、たいていは正規の半額ぐらいではいける場合が多いようなので、工夫にも精が出ます。ちなみに、いままで行った欧州諸国ではドイツが一番オプションが多い印象。
www.bahn.de
がとても使えます。1ヶ月ほど前、ドイツで泊めてもらった近藤さんに教えてもらったのですが、ここで3日前に購入すれば大抵かなり得!
さて、アムステルダム。
(運河と自転車がアムステルダムのシンボル)
いままで来た首都の中で、ここが最も首都っぽくないのどかな雰囲気を持っているように感じました。超メジャーな都市の割りに規模が小さいというか、中心となる中央駅から10分も歩くとすでに閑静な住宅街のようになっているのは新鮮でした。
(アムステルダム中心部。古くてかわいらしい家屋の前で、人々がのんびりと時を過ごす)
市の最も中心部から同心円状に運河がいくつものの円を描くように流れていて、その川沿いに昔ながらのオランダ建築の住宅が立ち並び、人が自転車でチャリチャリ往来、っていう風景は、古くから変わらぬアムステルダムを代表する光景。しかも使われているチャリがほとんど、昭和の自転車みたいなレトロなやつ。そして、アンティーク雑貨を売る雰囲気のいい雑貨屋がいくつも並び、素子は大喜び。代官山か、こぎれいに整頓したシモキタってところでしょうか。「アンネの日記」のアンネ・フランクの隠れ家となった家も、そんな界隈に建っています(とてもいいミュージアムになっています)。
その一方で、観光の中心となる地域は、噂にたがわぬインパクトの強いものでした。乱立する「コーヒーショップ」は、田舎に比べると、その数と、通りに充満するマリファナのにおいこそ、思っていた以上の盛況ぶりでしたが、やはりびっくりだったのは、Red Light District、いわゆる合法の売春街です。日本でも風俗街はもちろん珍しくはないけれど、アムステルダムのすごいのは、人がいっぱいの通り沿いにガラス扉の小さな部屋がいくつもあり、そこに過激な格好の娼婦たちが一部屋に一人ずつ立って客を誘っていること。その露骨さと開けっぴろげさは、はじめて見たときは唖然としてしまいました。観光客も多いため、ほとんどの人はその様子を見て素通りするだけで、女性がただガラス扉の向こうで微笑みかけてくる様子は、言い方が悪いかもしれないけれど、ちょっと「人間動物園」と言える雰囲気だった気も。しかしあまりにもオープンなため、怪しげな雰囲気すらしないともいえます。
(明記されてないけど、このBULLDOGもコーヒーショップのはず。そしてその横の小道に見える赤い蛍光灯のガラス扉の中で娼婦が客を誘う)
(Red Light Districtは決して危ない雰囲気ではなく、ぞろぞろと観光グループも歩いているような場所。そのアンバランスさが面白い。娼婦の写真撮影は厳禁)
ソフトドラッグにしても売春にしても、オランダの考え方は「規制してもどうせやる人がいるんだから、それだったらいっそのこと合法にして表に出して、ちゃんと管理しよう」ということのよう。だから娼婦にも労働組合があって、売春も堂々とした一つの職業でありビジネスであり、地下組織が入る隙も小さいのだとか。その実に現実的な発想はうまく機能しているようでもあるし、なかなか見事だなと思います。でも、いまキリスト教系の保守政権となっているオランダでは、このRed Light Districtもコーヒーショップもちょっとした危機にあるとか。いろいろと理由をつけられて閉鎖に追い込まれている店が多いらしく、このままいくと近いうちにこういうオランダらしい文化も影を潜めてしまうかもしれません。ま、確かにあのRed Light Districtは、敬虔なキリスト教徒にとっては忌々しい以外の何物でもないというのも分からないでもありません(笑)。
(「コーヒーショップ」はカフェよりもレストランよりも多いんじゃないかというぐらい、乱立している。そして各種セックスショップもすごい数。レインボーの旗が目印となるゲイ関係のショップやバーも大充実)
ソフトドラッグに関してはEUからの圧力も強いのかもしれません。オランダが合法にすると、みな隣国にも簡単に持ち込めるようになってしまうので。
前にも書いたけれど、EUになって、このようにヨーロッパ全体の均一化が進んでしまうのはやはりどこか残念です。やはりそれぞれ歴史や文化を持っているのでその個性が死んでしまわない範囲での統合化が望ましいように思います。フランス、スイス、ドイツ、オランダ、イタリア、ギリシャ、どの二カ国をとっても、人の考え方や文化、ライフスタイルなど、、大きく違っているように感じます。やっぱりその方が面白いな、って思います。
(夕暮れ時、ワインを飲みながら商談のような雰囲気。オランダ人はたいてい、こっちが英語で声をかけると、頭の切り替え時間ほとんどゼロでネイティブばりの英語に切り替わるのがすごいです)
ちなみに、最近よく思うのは、IKEAやH&M(H&Mは日本上陸まだだったり?スウェーデン発のユニクロのような服ブランドです)などによって、本当に世界中の家具や服装までが均一化されているということ。どこの国の誰の家にいってもいつも、自分たちが上海で使っていたのと同じ洗濯カゴやコップ、皿があったり、どこの国にいっても、同じTシャツや下着を見つけたりして、この状況ってどうなのかな、って思ってしまいます。あと数十年もしたら、みな同じ服を着て、同じ家具のある同じ家に住んで、みたいになってしまうんじゃないかな、、ってことはないにしても、旅をしたらそれぞれの国の違いを十分感じられるぐらいの差異があることはやはり大切なことなんじゃないかなって思います。とはいえ、自分こそがまさにIKEAやH&Mのヘビーユーザーなので、全く持ってそんなことを言えた立場にはないのですが。。。
それから最近もう一つ感じているのは、ゲストハウスもかなり大手化が進んでビジネスビジネスしてしまっているところが多い、ということ。もちろんこれだけ旅行者が増えればビジネスとなるのは当然だし悪いことではないんだけれど、自分にとっては、ゲストハウスはそれぞれのオーナーの個性や人柄、旅行者への理解や共感がにじみ出てこそ魅力的になるのだけれど、最近ヨーロッパで泊まっているゲストハウスは、超大規模のものが多く、全く持ってゲストハウスらしいよさがなくなっているように思います。確かに、きれいで快適なことが多いのだけど、あまりにシステマティックで融通がきかず、スタッフは旅行者が何を欲していて、どういうサービスがうれしいのか、ということが分かっていないバイトの人ばかり。しかも基本的には、たとえばキッチンをつくることによって旅行者がお金を無駄に使わなくてもいいようにする、みたいなのが旅行者にとっては重宝されるゲストハウスの姿勢なのに、大手のところはむしろレストランで食事をさせるためにキッチンは一切なしだったり、ドミトリーではとても助かるロッカーも有料にしたり、とにかく、ビジネス優先の戦法に出ているような気が。。。ま、細かなところを有料化することでコストダウンして宿代を安くしているのかも、と解釈できるけれど、でも、かなり本質的なところを削っているから、これじゃ本末転倒だよな、って思います。
彼ら的には、「そんな文句言うやつは泊まらなくても結構だよ!」というところだろうけれど、情けないのは、それでもそういうところがネットでも見つけやすいために、ぶつぶつ文句を言いながらもそこに流れ着いてしまうことです。不甲斐ないです。でも、オスナブルックで泊まってる宿は久々に、個人経営のゲストハウスらしい宿で、うれしいです。バンバリーでぼくらが働いていた宿に雰囲気が似ていて懐かしい……。
明日(8日)はブレーメン。友達と一緒に一日過ごして、翌日ドレスデンの友達のうちへと向かいます。これまたバンバリーのボランティア仲間で、ドイツ人・イギリス人のカップル。
パリでの一週間を含めるとほぼ丸々1ヶ月家となっていたオランダ・アクセルのクリステル邸もいよいよ最後。これだけ長くいたせいか、ちょっと自分の家を離れるような気分になり、今日の朝この家をあとにしたときは2年半ほど前昆明を離れた暗い早朝の風景を思い出しました。
(見慣れたアクセルの風景とももうお別れ)
というわけで、実は今日6月1日の朝、すべての荷物を持って家を出たのですが、家から5分ほどのバス停で1時間近くバスを待った挙句、おかしいなと思って通りがかった人に聞いてみると、「バスはストライキで今後数日はバスは走らないよ」とのことでびっくり。今日アムステルダムまで行くつもりで、ベルギー・アントワープから(クリステルのうちからはここが移動の拠点として便利)のバスチケットを買ってあったのに、アントワープまで行く手段がなくなり、もう一泊することに。
というのも、昨日31日からクリステルは他の街で結婚前の弟のパーティや仕事があってすでにいなく、家はいまもぼくら二人。実は一ヶ月前にここに着いたときもちょうどクリステルがいないときで、家までの行き方とカギの隠し場所を教えてもらって、クリステルなしで2日も過ごしていました。そして、この家を出るときも、昨日家を出発するクリステルを二人で家で見送って、さらに二人きりで一泊してから今日の朝、主のいない家を自分たちで戸締りして出発するという展開でした。
家のドアはオートロックでカギは中に置いたままだったので、そのまま家には戻れず、ロッテルダムにいるクリステルに公衆電話から電話して、合鍵を持っている近所に友達に連絡してきてもらって……再び、家の中に戻ってきました。明日はクリステルが帰ってきてアントワープまで送ってくれるというので、バスのチケットを買いなおして、もう一日だけここにお世話になることにしました。といってもまた二人だけなわけですが。
でも明日こそは出発します。アムステルダムへ。クリステルとはまた7月に、スイスの共通の友達カップルの家で合流します。
(30日の夜、最後のクリステルと一緒の夕食には、近所の友達カップルも呼んでささやかな寿司パーティ。オランダ人は海鮮なんてからっきし食べないと思っていたけど、ムール貝はこの辺(といってももちろん海沿い)が世界で有数の産地のようで、しかも魚屋のサーモンもニシン(これはスモーク)も、もちろん寿司用ではないけれど、それなりに寿司っぽくておいしかったです。巻きものはテリヤキチキンとサーモンアボカド、奥の軍艦巻きはナマ肉のペースト(オランダ風)とかにサラダ。このあと、クリステルの大好きな「ジャパニーズカレー」も堪能。食べ放題日本食店みたいな組み合わせだけど)
というわけで今日も一日、本を読んだり、いろいろと調べごとをしたり、映像みたり、なんてことで終わりました。特に今日は久々にネットで、TBSの「情熱大陸」を4,5本も見てしまいました。「情熱大陸」は二人ともとても好きで、いつも日本に帰ったときにだけ楽しみに見ていたのですが、いまは海外からも見られる手段があるので、久々にそれを満喫してしまいました。
最近ぼくは、この5年間をどうやって今後に活かしていこうか、今後どうやって生きていこうかっていうことを気付くといつも考えているような気がします。ここ数ヶ月でいよいよ日本での日々が見え出しているというか、腰をすえて働き、拠点を持って生きる日々へと気持ちがかなり向かっているのですが、実際にどうやったらこの海外での日々が一番活きるのか、自分にはまだよく分かりません。
そんな直接的に活かす必要なんてなくて、この5年はこの5年でいいんじゃないかとも思ったりもするけれど、やはり、20代後半から30代へと人生の中で最も貴重な時間のひとつとも言える日々をこうやって生きてきたからには、この経験を今後にうまく活かした生き方ができたらもっともいいなって思います。同年代の友達を見ると、みなそれぞれ自分の世界、専門の領域を持って生きているなって思うことが多いし、日本に帰ったら特にそういうのを求められる年齢であることを考えると、さて自分はどうするべきか、っていうことを考えてしまいます。
特に「情熱大陸」を見ると、何かに熱く打ち込んでる生き方はいいなあ、って感じ、自分もこの旅があったからこそっていう生き方を今後できれば、ってすごく思います。「情熱大陸」見るといつもそんなやる気が沸いてきて、さあ、今夜の残り数時間も有意義に使いたい!って思いながら、まずはブログを書いています(笑)。
アムステルダムには2,3泊して、その後、ドイツ・ブレーメンで働くぼくの大学時代の友達に会いに行きます。