先日、首都のディリからバイクで1時間弱のところにある、ダラービーチ(国連の人々が遊びにくると一ドル払わないといけなかったということから、こう命名されたそうです。現地語での名前は不明。)にいってきました。ディリ周辺は黒砂のビーチが多いですが、ここは白砂で、透明度も30メートルはあるかというくらい綺麗なところです。午前中の満潮時には、浅瀬の海草が生えているところまでジュゴンが餌を食べにやってくるとのこと。ディリでダイブショップを経営している人によれば、5回に1回くらいの確率で見られるそうです。ジュゴンは二人とも見たことがないので、期待していったのですが、今回は残念ながら見られませんでした。でも、遠くで鯨のようなものがブリーチングしていたり、イルカが通り過ぎたりするのが見えました。ジュゴンは見られなかったものの、シュノーケルは、オーストラリアのコーラルベイにも勝るとも劣らない程で、カラフルな珊瑚に色とりどりの魚が何千匹もいて、ここで世界クラスのダイビングが楽しめると言われるのも納得できます。
ジュゴンといえば、ここ東ティモールでは、年間400頭のジュゴン漁が認められているそうです。海にはジュゴン漁をしているのか、銛をもっている現地人を何人か見かけました。
ところで、3週間半滞在した東ティモールを今週金曜日に出ようと思っています。先日試合を見に行ったサッカーチームの監督(しかも東ティモール代表監督)であるジョンと一緒に、ティモール島の西半分でインドネシア領のクパンというところまで行く予定です。クパンからは、おそらく飛行機でバリまで飛ぶことになると思います。
昨日、ジョンにマッサージをしてもらいました。ジョンは、自分のチームの選手はもとより、大統領のサナナ・グスマオ氏にもマッサージをしているプロのマッサージ師で、腕は信用できるものの、ツボを押された痛さにうなり声を上げてしまいました。
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以下話は変わりますが…。
(アタウロ島へ行ったときの船の中で。後ろにいるのは、スウェーデンから政治の研究に来ていたヨハン。彼の奥さんは日本人ということもあり、彼は日本語を話します。しかし、奥さんとは中国に留学中に会ったため、二人は中国語で会話するという変わり者。ディリから遠くに出かけたときはほとんど彼と三人でした)
(アタウロ島の宿の部屋から。部屋から10秒ぐらいで海に入れるという場所で、ここではひどくのんびりと過ごしました。)
(バックパッカーで働くリタのうちで。東ティモールに来る際は是非、ディリ唯一のバックパッカーへ!みないい人ばかりで、家族のように過ごしています。客はとても少ないですが……。三週間いて、ディリで出会ったバックパッカーは10人はいません)
雄生・素子
こんにちは。
昨日、東ティモールは独立2周年を迎えました。
サッカーの試合があったのと同じスタジアムで、午前中は首相と大統領の演説、東ティモールの軍隊、警察官、消防隊員の行進を見てきました。また、午後には日本の自衛隊員が沖縄の踊りを披露。現在東ティモールにいるのは第4次隊で、隊員は九州から派兵されているとのことです。
(自衛隊による沖縄のエイサイ?)
何が起こるかもしれないと来ティモール当時はちょっと心配していたものの、全く平和な一日でした。多くの場所で人が踊り、歌い、戯れ、お祝いムード一色。山奥などからも多くの人がディリにこの日を祝いに来ていました。
(山奥から降りてきた人たちは、ディリの海岸沿いでキャンプをしながら踊り続けていました)
(その中にいた子供たち)
(が、海で水浴び)
ぼくらはバイクを借りて、一日町中を見て回っていました。
東ティモールもあと一週間ほど。すでに三週間近くいて、予想以上にこの国が自分たちにとってなじみ深い存在となっていることを感じています。とても気持ちのよい国です。
それではまた。
雄生・素子
こんにちは。
こないだひょんなことからサッカー東ティモール代表の監督と知り合いになり、彼のつてでプレジデントカップという東ティモール全国大会の決勝戦をディリで見てきました。
東ティモールではサッカーがとても人気で、町では子供から大人までがあらゆる空き地でサッカーをやっているのを見かけます。
(こんな感じで)
ところで、プレジデントカップには、その名の通り東ティモールの大統領も来ていました。
(中央がグスマオ大統領。とても近くにいたのでびっくり。大統領なんて見たの初めてでした)
このサナナ・グスマオ大統領は、インドネシアと長い間戦い続けた元武装ゲリラの一人で、独立の英雄とされています。今でも人気があるようなのですが、彼がスタジアムに来たときの人びとの反応はそれほど大したものでもなく、そんなところにも国民の、国の現状への不満が現れているのかもしれないと思いました。
ディリの街中にあるこのスタジアムのフィールドや、ボールの状態はかなり悪かったし、また現在サッカーへの国や企業からの援助はなく、チームは一切を自分たちでまかなわないといけないようです。ぼくらが仲良くなった代表監督のジョンは、この決勝戦に勝ち、自らのチームを全国一に導きましたが、そんなチームでさえ、練習のときに買う水のお金さえ探すのに四苦八苦しているということです。
(ジョンのチームが優勝を決めた瞬間)
監督のジョンが友達から5ドル、10ドルというお金をかき集めて、なんとかしのいでいるらしいのです。選手交代のときには、退出する選手が脛当てをはずして、交代する選手に渡しているという風景もありました。
しかし、12歳以下(?)だったかのアジアの大会では、東ティモールは日本も韓国も破って優勝したらしく、また、5月20日の独立記念日には、FIFAへ加盟することにもなっていて、今後サッカーはますます盛んになってい
(試合後観客がみんなフィールドに下りてきての表彰式)
12月に行なわれる東南アジアのタイガーカップにていよいよ東ティモールも本格的に国際大会への参加を始めます。その頃には少しは国から援助が出るようになって、よりサッカーが活発化する地盤ができることを願うばかりです。
雄生・素子
以下はちょっと話が変わりますが……
エルメラからの帰り道、何もない岡の上にぽつりと教会が一つありました。ポルトガル時代からの数百年前のものと思われます。
ディリ市内で最近起きた学生のデモ。東ティモールで虐殺を指揮したとされるウィラント氏がインドネシアの大統領候補になっていることに反対して。独立記念日に向けていろいろと動きがあるのかと思っていますが、いまのところ、これ以外は特に何も見ていません。
しかし、デモをやっている人たちに話を聞くと、全く暴力的な雰囲気は感じられないし、こうやって自由にデモが出来るということ自体に喜びを覚えているといった様子です。インドネシア時代にはありえなかったことらしいので。
東ティモールについてから今日で一週間になりました。
生活には大分慣れてきて、とても快適に過ごしています。
昨日ディリから離れてエルメラという小さな町にいってきたので、その写真を載せておきます。日曜日だったためかマーケットがやっていて人でごった返しており、また写真の通りの逆の端にあった教会では盛大な結婚式が開かれていました。
(エルメラのメインロード)
(屋外の結婚式。左側の建物が教会です)
そして驚いたことになんとクロネコヤマトの「クール宅急便」の車が教会の横に泊めてありました!何に使われているのかは分かりませんが、状態はよさそうで誰かが普通にこれで走っているのではないかと……。
東ティモールは郊外に出るとどこもほんとに綺麗です。海にはイルカやクジラはもちろん、ジンベイザメ、オルカ(シャチ)やジュゴンまでいるようです。こないだちょっとある海でシュノーケリングをしたら大きなウミガメも見ました。
けれどもその途中の道はかなりひどいところが多く、ぼくらはバイクを借りて移動しているのですが(免許もなにもここにはないようです。ヘルメットも交通ルールも何もなし……)、エルメラへの途中、橋が突然切れているところがあり、知らずに橋をバイクで突っ走りそうになりました。
(中央の見えるのが半分だけの橋。バイクに乗っているがぼくで、これは帰りの写真ですが、行きに逆から来たとき、知らずに橋のギリギリまで……。ここは川の中を濡れながら通り抜けないといけませんでした。)
とにかく景色のきれいな国です。
それではまた。
こんにちは!
一昨日無事に東ティモールの首都ディリに着きました。ダーウィンからはたったの1時間半ほどで、植生などはダーウィンとさほど変わりませんが、町に出てみてやはり別世界に来たという実感が沸いてきました。
いかにもアジア、という風景なのですが、なんといっても独特なのは、やたらとたくさん"UN"(国連)と書いてある車や建物、または迷彩服姿の人を見かけることです。
(空港で。30人乗りの小さな飛行機の中にもこんな人たちがいました)
(町の様子)
(地元の子供たち)
(今日宿で働くティモール人のうちに連れて行ってもらいました)
まだ独立二年目を迎えるばかりで、混乱や無秩序を抱えたできたての国というのがすぐに伝わってきます。道にはいたるところに穴が開いていたり、または廃墟となった建物も多く、1999年の戦争の跡が色濃く残っています。もともとはポルトガル領だったのですが、1975年から1999年にはインドネシアに統治され、その時代に国民の3分の1か4分の1だかが戦乱や飢餓などで亡くなったらしいとのことも聞きました。
とはいえ、現在ぼくたちが見たところ、町に危険な様子はなく、町の中心部はほぼどこでも歩いて大丈夫なようです(もちろん夜は危険だそうですが)。旅行者はおそらくほとんどいないため、さすがに注目はされますが、でも「ハロ!」といって声をかけると、みんな笑顔で答えてくれます。
(ココナツが50セント)
(町の小さな野菜売り場)
ディリにある宿泊施設のほとんどは、国連の職員やNGOの外国人用のちゃんとしたホテルなのですが、一つだけいわゆるバックパッカーがあり、ぼくらはそこにとまっています。二人で一日10ドル(米ドル)と比較的安くて助かっています。今はそこにすら客はぼくらをいれて4人。オーストラリア人、スウェーデン人が残りの二人ですが、彼らとも仲良くなり、今週末ぐらいに一緒に地方の山へと出かける予定です。
(私たちの部屋。ダーウィンで買った蚊帳を早速活用。部屋はきれいとはいえませんが問題はありません。)
5月20日がここの独立二周年記念日でその日は町中が盛り上がるようなのですが、同時にその日を境に国連が仕事を終え撤退を開始するとのことで、その後何が起こるのか、誰も分からないともいいます。いろいろな噂もあり、十分に注意しないといけないので、もう少しこっちで様子を見て、今後の日程を決めようと思っています。とりあえず国連はなんともいってないようですが。
また、食事をするところは、大抵国連の人たち用に作られた西洋風のレストランやカフェばかりで、どこも値段がそれなりにします。地元のところを探そうと思ってもなかなか見つからないので、ついついそういうところに入ってしまいますが、店の中と外の雰囲気のギャップを見ると、なんだか占領下の国にいるようで気持ちのいいものではありません。実に複雑な気持ちになります……。
(西洋風なカフェの前には国連の車がズラリ)
それでは、そんなところで。
とにかく元気にやっていますので。
ではまた!
雄生・素子