メーホーンソンに来てから、特に毎日を充実して過ごせている気がします。
タイ北部はホントにいろんな顔があって、全然飽きません。
タイが好き、という人は多いと思いますが、東ティモールから北上してみて、タイが人気がある理由がなんとなくわかってきた気がします。
まず、ホントに旅行がしやすいんです。それはある意味でツーリスティックになってしまっているということでもありますが、その度合いはマレーシアほどではなく(マレーシアは観光地化されすぎという印象)、また一方で、インドネシアほどエネルギーがいらなく(でもインドネシアは、だからこそとても魅力的なのはもちろんですが)、しばらく旅をするには程よいように感じるのです。
北部に来てから、物価はインドネシアぐらいなのに、食べ物はなかなか多様でとてもおいしいし(インドネシアは種類がほとんどない)、安宿もとても快適なところがどこでも見つかるし(今は大体二人でバス・トイレ付きで一泊350円~500円くらい)。
しかもその上、この辺はちょっと自分で足を伸ばすと、いろんな文化や人が見られるのです。
おとといは、いわゆる「首長族」(カレン族)の村にいってきました。メーホーンソンの付近では、おそらく最もよく知られる観光スポットとなっていますが、そのこと自体、賛否両論あるようです。そのことについては後述しますが、とりあえずぼくらはバイクを借りて、町から一時間ぐらいかけて村まで行ってきました。
(村への道は結構ひどく、舗装されていない石と泥の坂道や、川の上も経なければなりませんでした。まだ雨季だからかもしれませんが…)
村は、予想以上のツーリスティックな雰囲気でした。村人が普通に生活しているところを観光客が写真を撮る、という風景を想像していたのですが、なんと、ほとんどの家がみやげ物屋なのです。そして店の店員がみな写真どおりの姿で座っています。
(村の通り。ほとんどの家がみやげ屋さん)
(親子で土産を売っている)
あるガイドブックに、ここは「human zoo(人間動物園)」だと、批判的に書かれていましたが、まさにその通りで、あまりいい気分のするものではありませんでした。あまりジロジロ見るのも悪い気がするし、でも、彼らを見に来ているのは明らかなのだし……。
(と書きつつも、誘われるままに衣装を着けてみました)
(一方、雄生は首輪に頭が入らず断念…)
彼らの多くは、ビルマから逃げてきた政治難民なのだそうです。ビルマは前にも書いたかと思いますが、戦後、独立に向けて動いてきたものの、今は軍事政権の圧政の下にあり、100以上とも言われる少数民族の中で、いくつもの民族が分離独立に向けてビルマ政府軍と戦いを続けています。中でもカレン族は、すでに50年以上も戦い続けていて今もビルマから国境を越えてタイへと逃げてくる難民が絶えないといいます。「首長族」の人びともその背景の中で、タイ-ビルマの国境付近に住んでいるらしく、そして彼らは、観光客を呼び寄せることで生計を立てているようなのです。この村への「入場料」が250バーツ(700円ほど)、その他、みやげ物の収入もあります(この収入はその一部が、カレンの軍隊へ回っているという話も聞きます)。
ところで、「首長族」を見に行くことに賛否両論があるのは、ある一部の人々が見世物となるためにビルマから強制的に連れて来られたという事件があったりしたためのようです。
そのような背景を考えると複雑な気持ちになりますが、彼らの生活には、観光客からの収入が欠かせないということ、また、「首長族」の人の多くは自分からタイに来ていて、こうして観光スポットとして生活をするのが一番いいと考えているらしいという情報を信じて、ぼくらは行くことにしました。
とにかく、そんな背景があります……。
ところで、村の奥には学校があり、そこでは子どもたちが、英語、ビルマ語を習っているらしい風景が見られました。半屋外の簡素な教室で子ども達は熱心に学んでいました。
(黒板に書かれているのはビルマ語)
(ビルマ語の文字と英語の勉強)
(彼女たちは算数の問題集に取り組んでいました)
(村には、耳長な人たちが住む一帯も。彼らはカレン族ではなく、カヨウ(Kayor, Kayow)族というらしいのですが、彼らがカレンの人と一緒に住んでいるのは、観光で生計を立てるためでしょうか)
そして昨日は、今度はまた町からバイクで一時間ぐらいのところにあるメーオウ(Mae Aw)という村に行ってきました。これまた中国で共産党との戦いに敗れて逃げてきた国民党の人たちなどがいる中国人の村です(前回のメーサロン参照のこと)。
(途中の山道の風景。ウシたちがのんびりくつろぐ)
ここは本当にきれいなところでした!アジアに来てからもっとも風景のきれいな場所の一つかもしれません。急な山道をずっと登った上にあるのですが、途中の山の斜面には、お茶の葉がずっと並んでいて、またウシやバッファローがその周辺をのんびりと歩いています。村の入り口を過ぎると急に漢字と中国語の世界となり、きれいな湖(貯水池)の周りではポニーが歩き、その向こうには古い木造の家が、ポツリポツリと並んでいます。
(メーオウの全景。標高は分かりませんが、かなり高地なはず)
(廃校になっていそうだった小学校。その壁には中国語が)
おそらく、今目指している中国南部の山地はこんな雰囲気なのだろうなという気がする一方、日本の田舎を思わせるようでもあり、なんとも懐かしい気分になりました。
そのきれいな町並みに感激しながら、村の学校を訪ねると、三人の子どもたちが村を案内してくれるということになりました。三人のうち二人は中国系、一人はタイ人。そして彼らに「国民党の人は?」と聞くと、この町で唯一らしい、もと国民党軍人のおじいさんのうちに連れて行ってくれました。この劉さんというおじいさんと、筆談による会話を試みましたが、やはりそう簡単にはいくはずもなく……。聞いてみたいことは山ほどあったのに、とても残念でした。
(学校にいた子どもの一人。彼は中国系)
(国民党の軍人だった劉さん。デジカメの写真をその場で見せると、初めて楽しそうに笑ってくれた)
これから中国にいって、しばらく定住する場所もこんなだったらいいのにな、と二人で話していました。
ところで、第二次大戦後ビルマに残留し、現地の人と結婚した日本兵がメーホーンソンにいたという話を聞き、たいへん興味を持ち、ここ数日調べていました。その日本兵本人は六年ほど前に亡くなっているのですが、その家族がまだこの辺りに住んでいるということを聞き探していたところ、一昨日、彼の息子とその孫である女の子とに会うことができました。写真だけはあったものの、息子も彼の実名や日本での過去は知りません。彼がタイで戦後どんな半生を送ったのか、わずかでも知りたく、明日はその孫娘の案内で、その日本兵の奥さんの住む村まで(バイクで二時間ほどだとか)行ってきます。実はこのことが今もっとも、ぼくのメーホーンソン滞在の中心的話題となっています。
(メーホーンソンのある寺にあった日本兵の慰霊碑)
(と、その寺の仏像。明るくかわいい)
それではまた!
雄生・素子
雄生さん、素子さん、こないだはメールありがとうございます。久々にHPを拝見させていただきました!内容の濃さに、アジア行きたい度がUPです!!その前に早く仕事せないかんのやけど・・・。チェンマイには帰りますか?チャンネル11というテレビ局で、ナルモンという友達(女の子で、アナウンサーしてます)が働いてるので、近くにお寄りの際は是非!かつさんのコメント見つけて、懐かしさ爆発です。元気かなあ。またみんなで餃子食べたいですね。タイもあとちょっとかな?身体に気をつけて、残りのタイ生活、満喫してくださーい。
Posted by: ちえ at October 2, 2004 7:20 PMおひさしぶりです!お二人とも元気ですか?
先日お母様から記事の載った雑誌などを送っていただき
興味深く読ませてもらいました。生体解剖した元軍医の
話などは特に興味深かったな〜。日本兵についての記事も楽しみです。
夏にはアメリカにいったのですが、日本人は世界的に視野をもつ必要が
もっとあると実感しました!うらやましいかぎりです!
がんばって!きをつけて!
こちらで応援してます!