<7月30日~8月5日> 理塘
(地図は前回アップ分を参照。黄色い部分の右端が理塘です)
理塘到着の次の日、ここで待ち合わせをしていた昆明の友達(日本人)に連絡をとろうとネットカフェに行くと、友達発見。小さな町なのでばったり会えるかもね、なんて話してたけどホントに会えるとは。理塘では彼らと共に過ごした。
(2泊目に休めの宿を探してうろうろしていたら、チベタンが手招きする。聞いてみると、彼の家に1泊40元で泊まらせてくれるとのこと。お祭りで宿の値段が高騰していたので、40元はまあ悪くないかも。早速行ってみると、お金持ちそうな感じの家でとても快適そう。30元まで値切ってスイス人のヤエルと共に3人でここに滞在することに。でもこんな綺麗な家にもシャワーはなかった。理塘には温泉が沸いていたので、滞在中何度か通いました。かすかに硫黄のにおいがした)
(この家のおばあちゃん。マニ車 ‐ これを1回転させるとお経を1回読んだことになるという、チベット仏教の御気楽ツール ‐ を回すおばあちゃん。彼女の座っているイスが、夜にはベッドになる。これがチベット式)
お祭りは8月1日にあるという情報しかなかったものの、実は1日から1週間続くとのこと。2,3泊してすぐに出ようと思ってたけれど、予定を変更して5日までお祭りを見て6日に出ることに。というのも、5日に一番大きなホースレースがあると聞いていたからです。
(お祭りの舞台になる草原。チベタンは期間中こうやってテントを張ってここで寝泊りする)
(生まれたての赤ちゃんも家族と一緒にお祭りを見にやってくる)
(これはレースではなく、ショー。民族衣装を来て馬で駆ける)
(それを見学するチベタン&観光客)
(お昼に芝生でくつろぐ)
(時間が空くとこの家族のテントに入れてもらい、バター茶をご馳走になった。お礼に写真を撮ってあげるととても喜んでくれた)
(ある日、みな黄色い花を持って何かを待っている。何があるのか、とたずねたら今日は活仏がやって来るとのこと)
(これが活仏。普通に車で登場。祈るようにして彼を見る人もあり、偉大な人なんだと実感)
5日は朝からお祭りを見に行くも、その日は小雨が降っていてすごく寒い。耐え切れずにチベタンのテントでお茶を飲んでいた。そしたら外で"わぁー!"という歓声が……。急いで外に出たら、遠くの方に馬が…。5日まで待ったのにこれで終わり?ちょっと悲しくなった。もちろん写真も撮れず。でも理塘は楽しかったので良しとしよう。
(空いた時間に理塘にあるゴンパを訪れると、小さな僧侶が案内してくれた)
(歩いていると手をつないでくる。かわいい。)
(泊まっていた家の人が、ある日、今日は神山に登りに行く日だ、と言って、町から車で15分くらい走ったところにあるこの山に私たちも一緒に連れて行ってくれた。旧正月と8月のこの日、年に2回だけ登って頂上でお祈りをするらしい。頂上までは30分くらいで行けたけど、結構急でしかも標高4000メートル弱。息が切れた。僧侶がたくさん登っていたけど、彼らもはーはー言ってた)
理塘では、インドに住むダライ・ラマに会うべく、歩いて中国・ネパール間の国境を越えてインドのダラムサラへ行ったという若者に出会った。それは、パスポートがなく(今、チベタンはパスポートを得るのが難しいらしい)違法での越境のため、5000mとか6000m級のヒマラヤ山脈を通っていくことになる。当然かなり危険で、20人中10人が途中で死んだこともあるという。ただ、彼はダライ・ラマに会いに行くのなら死ぬのも怖くないと普通に語る。彼は10代のころ、ダライ・ラマの元で3年修行して戻ってきて、このお祭りが終わったら再度行きたい、と言ってたので、今頃はどこかを歩いているのかもしれません。
彼が言うには、チベタンは中国にいてもなかなか職がなく、ここにいても仕方がない。確かに漢族は仕事の口はあるけれど、その一方チベタンが追いやられているという構図を感じられないこともなかった。
また、チベタンは親日派が多い。"私たちは日本人だ"というと、殆どのチベタンがちょっとうれしそうな顔をしてくれる。時には"私たちは特に日本人が大好きなんです"とも言ってもらえる。漢族が多いところにいたときには、反応が全く正反対なので、このチベタンワールドに来てからなんだか居心地もよく感じてしまいました。