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- Drifting into Eurasia 99/07 Archives -

at 雲南省麗江 on 01/Jul/1999

Posted by snotch at November 20, 2002 1:12 PM

朝8時のバスで大理を発ち、麗江 ( 丽江 lijiang ) まで約5時間。

麗江バスは、新市街に到着したので、いわゆる古城と呼ばれる旧市街のなかにある宿へ。てっぺんにラジオの放送アンテナのある小高い丘を越えると、目の前に古城の景色が広がった。石畳の細い路地を通って丘から街へ下って行く。古城の中心、四方街のすぐそばにある、四方客栈という民家を改造した宿にチェックイン。丽江へ来たら、是非旧市街にいくつかある民家宿に宿泊することをお勧めする。宿の話はまた後日。

021120_10.gif丽江は、主に雲南や四川に住んでいる纳西 (naxi) 族という少数民族の拠点として有名である。現存唯一の象形文字とされ、TRON OSの「超漢字」で扱うことが出来るということで一時話題にもなった、トンパ (东巴) 文字は纳西族によって継承されてきたものだ。最近まで母系家族制度が受け継がれてきたので、今でも纳西族の社会生活にはその影響が見られる。言葉についても、例えば、ある名詞に「女性」という単語を付け加えると、その名詞のイメージがより強い印象に拡張されるらしい。「石」+「女性」は「巨石、岩」を、「石」+「男性」は「砂利や小石」などと解釈される。僕等は砂利なのだ。

古城の周辺を探索していると、それぞれの民家の軒先に奇妙な板がぶら下がっているのをみつけた。時計の針のようでもあるし、象徴的なもののようでもある。どういった由来なのか、ご存じの方いらっしゃいますか?

at 雲南省麗江 on 02/Jul/1999

Posted by snotch at November 21, 2002 10:29 PM

纳西族の伝統的民家は、漢族、ペー族、チベット族の民家の伝統的な様式の影響を強く受け、特徴的な形態をもつ。正面とわきの家屋、そして目隠しの壁によって囲まれた「三合院」が主な形で、「三坊一照壁」とも呼ばれるが、四合院もすくなくない。家屋に囲まれた中庭には、花卉が植わって、とても落ち着きのある空間をつくっている。今回宿泊した宿、四方客栈は、元々大きな民家であったところを宿に改造したもので、玄関や中庭などのつくりがそのまま活かされていて、この上なく素晴らしい宿だと思った。朱に塗られた柱梁が鮮やかで、観音開きの戸や窓にはきれいな図案が精緻に透かし彫りされている。部屋は中庭に面した1階であったのだが、部屋の向かいの「一照壁」にあたる部分に小さな戸がついていて、そこを開くと目の前を水路が流れているという贅沢さだ。


丽江は水の町としても有名だ。古城一帯に網目のように水路が張り巡らされていて、現在でも、野菜を洗ったり、洗濯をしたりと、生活の中で活かされている。丽江のすぐ北側にある玉龍雪山(5,596m)からの水が流れ込むので、常に綺麗な水が流れ続けている。また、下流において長江に合流する金沙江(jinshajiang)という川のほとりにあるということもあって、水には非常に恵まれた土地である。
でも、大雨には要注意。昨日の晩に突然大雨が降りだして、水路の水かさがあっという間に道のレベルにまで増加。呑気にビビンパを食べていた僕は、夜遅くまで宿に戻れなくなってしまったので。


古城の西側にある獅子山 (lion hill)という小高い丘に登ると、古城の風景を一望できる。僕は、朝夕と通った。瓦屋根が折り重なるようにして連続するのだけれど、屋根の向きが道の曲線にそってすこしずつ変化していったり、屋根の色が朝夕で変化したりと、見ていて飽きない。丘に近づくにつれて屋根が大きくなっているようで、日当たりのいい場所にはお金持ちが住むんだなあとか、煙の立っているところはきっとおいしい食堂なんだろうなあ、などといろいろ想像して楽しむことが出来る。きっと10回も見たら飽きるかもしれないが、5回はいけるハズ。


四方街の角にある家に住んでいた人が亡くなられたようだ。二人の男が、大きな木をくり貫いて棺を作っていた。昨日の晩、今日と、爆竹の音が鳴り響く。


at 雲南省麗江 on 03/Jul/1999

Posted by snotch at November 22, 2002 10:09 PM


Dr.Ho という名の漢方で有名な医者が住んでいるという、百沙 (baisha)村へ行く。丽江からは、バスで20分程度のところ。バスを降りて、村の奥のほうへしばらく歩いてゆくと、Dr.Hoらしい人物が声をかけてきたが、予想と大きく印象が異なっていて、とっても胡散臭いなあと直感で感じてしまったので、あしらってしまった。あとで判ったことだが、写真をみてやっぱりニセモノだったことが判明した。でも、ひょっとしたら弟子だったかもしれないな。

ひたすら山のほうへ歩いてゆくと、草っぱらが広がっていて、黄色や青の小さな花がたくさん咲いている。突然、土砂降りの雨に見舞われて、びしょ濡れになるし、寒いし、おなか空いたし、ずいぶんと無目的に歩いてしまったことを少し後悔しながら引き返した。

at 雲南->四川省 on 04/Jul/1999

Posted by snotch at November 23, 2002 3:55 PM

なぁーっ、財布掏られた!!
丽江を発って攀枝花 (panzhihua)へ向かうバスの中だ。バスターミナルでコーラを買ったから、そのときには財布は確かにあった。バスに乗って出発前に財布がないことに気づいたから、正確には、バスに乗るときのごたごたに紛れて掏られた可能性が高い。あああ、自分の迂闊さを後悔するが仕方ない。移動なので昨日両替したばっかりで、100ドル分ほどの中国元と、以前バンコクで作った偽国際学生証が入っていたのになぁ。バス休憩の昼ご飯は、中国元のキャッシュがないのでオーストラリア人のマークが貸してくれた。

今日は日曜日じゃないか?ということは、銀行も休み。ということは、両替できない。攀枝花なんていう田舎で、カードやドルが使えるわけない。明日の朝まで野宿かな?

夕方、攀枝花に着いた。攀枝花は、雲南省と四川(sichuan)省のほぼ境にあって、ここに来るまでまったく知らなかったのだが、鉄鋼の生産で有名な場所。また、昆明(kunming)と成都(chengdu)をつなぐ鉄道路線上に位置する町でもある。駅前に銀行を見つけ、日曜なのに開業していたからラッキーと思って入っていくと、両替業務は取り扱っていないとのこと。「財布なくして、中国のお金が一銭もないのだよ」と、僕の中国語の知識を最大限に使ってアピールしたところ、彼らも人の子、両替してくれた。財布取られたのに、なんだかうれしくなってしまった自分をなぐさめるので精一杯。マークといっしょに硬座に揺られて、成都にむかう。

at 四川省成都 on 05/Jul/1999

Posted by snotch at November 24, 2002 2:12 AM

今回の硬座はホントに硬かった。午前10時過ぎ、四川省の省都、成都(chengdu)北火车站に到着。
宿に着くなり、洗濯を済ませ、気づいたときには夕方だった。今回の宿は、Chengdu college traditional medicine。その名の通り、大学の敷地内にある宿なのだが、とても清潔で広くておまけに安い。さらに、宿の小姐(小姉)は、きっと学生のアルバイトなのだろうが、とっても愛想が良くて生き生きと働いている。お勧め。
食において、成都といえば陳麻婆豆腐が有名であるが、火锅(火鍋 huoguo)のお店が軒を並べているのを良く目にする。火锅という料理は四川省に入って初めて知ったのだが、要は、ビビンパで使うような分厚い石鍋の中に、ご飯と具を入れて、店の前の強力なコンロで、バチバチジュージューいう頃合いまでそれを熱し、熱い熱いと言いながら食べる食べ物。おいしくて安い。旅が進むにつれ、中国の料理文化のすばらしさをますます身に感じるこの頃。

at 四川省成都 on 06/Jul/1999

Posted by snotch at November 25, 2002 11:57 PM

成都の中心部へ歩く。巨大な毛沢東像が右手を斜めに挙げて立っている。是非とも行きたい非解放地域があるので、成都の公安事務所まで旅行証をとりに行った。人が沢山なのと、公安職員のやる気が限りなくゼロに近い様子なので、こちらのやる気が吸い取られる前に、建物を出てきた。恐るべし中国公務員。
仕様がないので、陈麻婆豆腐(陳麻婆豆腐 chen mapo doufu)のお店へ行く。chen お婆さんが始めたことから麻婆豆腐という名前でよれるようになったという話は、あまりにも有名だ。しかし、この料理、お婆さんが作ったとはとても思えない。唐辛子と山椒が山のように入っているので、3分の1程食べたところで、もう口の中が完全に痺れてしまう。どう考えても、やりすぎです。この麻婆豆腐は。

at 四川省馬爾康 on 07/Jul/1999

Posted by snotch at November 26, 2002 5:52 AM

朝5時半起床。旅をしていると、基本的に早寝早起きになる。

西門バススタンドから、马尔康(馬爾康 ma er kang)行きのバスに乗り、成都を出発。道はぼこぼこだが、バスは頑張っている。途中、「リング」の海賊版VCDがバスのテレビに映し出され、スピーカーからは長渕剛の「とんぼ」が流れるという奇妙な体験をした。バスはぐんぐん高度を上げ、標高約4040メートルの峠を越えた。乗り物酔いに弱い人が多いのか、軽い高山病なのか知らないが、気の毒に何人かの漢人が苦しそうにしている。本来ならこの辺りは絶景のはずなのだけれど、乗客が車内に嘔吐している以外は、霧が濃くて何も見えない。

马尔康は、成都から北西に道なり300km強の所にあって、四川省アバ州の州都の町で、元来ここに住んでいる人々は、完全にチベット文化圏に属する人々である。夕方、19時前に何とか到着した。马尔康到着の少し手前で、一瞬、石造りのチベット民家が並んでいるが見えた。チベット・・・いい響きだ。

at 四川省馬爾康 on 08/Jul/1999

Posted by snotch at November 27, 2002 5:13 PM

町の北側には、马尔康(マルカン)の町が一望できる高台があって、マルカン・ゴンパがひっそりと建っている。もとは、ボン教の寺であったが、現在はチベット最大の宗派であるゲルク派の寺。途中でヤギに襲われそうになりながら、マルカン・ゴンパまで山道を登る。ゴンパを肉眼で目にしたのは、今回が初めてだ。時折、町に住むチベット人がお祈りに見えるほかには、行き交う人も人の気配もなく、とても静かな寺だ。マニ車もはじめて実物を目にした。まわしながら回ってみた。まだ、よくわからない。


at 四川省馬爾康 on 09/Jul/1999

Posted by snotch at November 28, 2002 2:50 PM

朝食に油条(youtiao)を食べる。豆漿(doujiang)という甘い豆乳に浸しながら食べる人が多い。でも、僕はいまいち好きになれない。たまに(今日も)おいしそうだなと思って食べてみるが、やっぱり食べた後に後悔する。朝から揚げ物を口にするということに、まず、抵抗がある。
モモ(蒸し餃子)を弁当にもって、此処から西に10kmほどのところにあるというチュポ(直波)村へ歩く。村の名前が、まず格好良い。

この辺りのチベット人の民家には、立派な建物が多い。しっかりと石を積み上げた立派な風格、窓の縁を鮮やかに色付けし、家の周りには花を植える。チベット文化圏においてここほど植生豊かな環境は、まれだろうと思われる。もともと、家を石で作ることからもわかるけれど、自然環境が厳しいために、家を建てられるだけの木が採れないという状況のもとで暮らす文化をもつ人々だ。だから、こんなにも深い緑の中に、石積みのチベット民家を見るなどとは思いもしなかった。
3時間ほど歩いたところで、ちらほらと塔状のものが見え始めた。直波碉群と呼ばれるこの塔は、かつて城砦の見張り台として用いられたとか。こんな場所で、見張るものなどあったのであろうか?それから、まったく人の気配がしないのが不気味だ。日中は働きに出かけているのかな?

at 四川省紅原 on 10/Jul/1999

Posted by snotch at November 29, 2002 6:18 AM

朝6:15一発のバスで红原(紅原 hongyuan)に向かう。1日一本しかバスがないなんて、どんな所に行くのかなと、楽しみだ。马尔康を出発してすぐ、崖崩れが道をふさいで通れない。20分ほどかけてみんなで土砂を取り除いて、やっと通れるようになったのだけれど、今にも落ちてきそうな巨大な岩が崖崩れの部分のバスよりもちょっと高いところに引っかかっていて、どうか崩れないでくださいと本気で祈った。バスは、どんどんと高度をあげながらゆっくりと走る。2,3時間もすると、遠くの山がだんだんとなだらかになり、視界には草原が広がるようになる。もう、红原にほど近いかなというあたりまでやってきて、極端に道が悪くなる。どろどろでぼこぼこ。結局30km移動するのに、バスで6時間かかった。時速5kmじゃん。

遊牧民の家族@紅原そら@紅原チョルテン@紅原

红原は標高3410m。でも辺り一面が湿原で、山にいるという感じがしないから、標高が高い所にいるんだなという実感は全くない。真夏だけれど、日陰にいると寒いくらい。周囲の湿原は、黄河の支流カルチュ( 白河 bai he )によって生じたもの。周恩来率いる中国共産党が、1934年に始まる紅軍の長征において、このあたりの底なし沼地に大いに苦労させられたことから、红原と呼ばれるようになったらしい。はるか遠くから、こんな所にまで歩いてきたなんて信じられん。ほんの70年前の出来事。

at 四川省紅原 on 10/Jul/1999

Posted by snotch at November 29, 2002 11:32 PM

at 四川省紅原 on 10/Jul/1999

Posted by snotch at November 29, 2002 11:56 PM

ルンタ(rlung rta)とは、「風の馬」
チベットの寺、家々、峠には、ルンタを刷った5色のタルチョ(dar lcog)が風にはためく

at 四川省若爾蓋 on 11/Jul/1999

Posted by snotch at December 4, 2002 6:59 AM

早朝の湿原@紅原早朝、湿原に潜入。今までに見たことの無い、スカーンと雲一つない青空を見てしまった。そして、一面花の絨毯。デパートの展示会場で高値をつけるペルシャ絨毯も、これにはかなわないだろう。花に朝露が降りて、きらきらと光っている。むこうの山の袂にパオが一棟あって、朝食の準備なのだろうか、煙が立ち昇っている。夏の間、こうして草原地帯に家畜と共にやってきて、花の絨毯に囲まれて暮らすのだ。

flower@紅原湿原&パオ@紅原バッファロー@紅原

午後のバスでゾルゲ [若尔盖(若爾蓋 ruoergai)]へ。そそる地名だ。ここ最近、移動を重ねるたびに、バスがおんぼろになってゆく。道が悪いのと、バスがおんぼろなのとで、車内には常に砂埃が充満していて、のどがぴりぴりする。時々、「オマエ何でこんなところを一人で歩いているんだよ」と尋ねたくなるようなところで、チベタンがバスに乗ってくる。ゾルゲの少し手前で道が崩れていて、乗客達はみなバスを降りて歩いて先回り。その後ろを、バスが左右に大きく傾きながらやってくる。
ゾルゲは極めて人工的で、埃っぽい月面基地のようだ。近年になって,交通の要所として中国政府が作った町なのだそうだ。

at 四川省郎木寺 on 12/Jul/1999

Posted by snotch at December 5, 2002 5:51 PM

早朝起床。6時すぎのバスで郎木寺(langmusi)へ。乗客はみなチベタン。地平線まで花畑の大草原を、おんぼろバスでぶっ飛ばすのがこんなにも気持ち良いなんて。

しばらくして、ちょっとした峠に差しかかったのだけれど、峠の手前で皆が小さな声で歌を唄いだした。お経のような、呪文のような。ちょうど峠を越えるとき、皆が一斉に窓を開き、小さな紙切れの束を空へ向かって手放す。ぱぁーっと色とりどりの紙片がバスの周りをひらひらと包んで、このままみんなでどこか知らない所へ行ってしまいそうな、不思議な一体感。自分が自分でないような、浮遊感。

四川省からの道@郎木寺僧坊群と大チョルテン@郎木寺郎木寺は、四川省と甘粛省の丁度境目にあって、村の真ん中を省境が走っている。村には、セーティ・ゴンパとキルティ・ゴンパの2つのゲルク派の大僧院があって、省境を挟んで向かい合うかたちになっている。どちらの僧院も、文化大革命によって壊滅的な被害を受けたが、80年代以降復興が進められている。この2つのゴンパは、案の定というか、とっても仲が悪いそうだ。

セーティゴンパ遠景@郎木寺ドミトリーの部屋に入ると、エルビーと名乗る、インドゴア出身という怪しい系中年白人がいて、既にガンジャでキマっている模様。そのあと、延々とこれはいらんか、あれはいらんかと、バックの中からおもちゃやら置物やらを引っぱり出してきて、セールストークを受けることになる。まことに迷惑な話だけれど、こういう人は結構好きだ。

at 四川省郎木寺 on 12/Jul/1999

Posted by snotch at December 6, 2002 2:53 PM

 



at 四川省郎木寺 on 13/Jul/1999

Posted by snotch at December 8, 2002 1:13 PM

郎木寺の家屋はいたって質素なつくりで、屋根は木板を石で押さえてあるだけ。村の真ん中に、宿と食堂が数件あるだけの静かで小さな村だ。
集落のある周囲の高台を歩いていると、2人のチベタンの若者がいて、西瓜をごちそうになる。彼らは10日後に遙々インドにむけて旅立つそうだ。つまり亡命するということでしょうな。それで、今日から英語の勉強を始めたのだそうだ。ずいぶんと、計画性の無い亡命だなと思ったが、この人達の亡命はそんなものなのかもしれない。きっと僕たちには想像のつかない旅をこの人達はするのだろうな。こうして毎年インドのダラムサラに向けて亡命するチベット人は多い。
英語を教えてくれと彼らに言われて、とっさに「面倒臭っ」と思ったが、彼らの熱心さは本物のようなので、拙い僕の英語を、彼らにすりこんでしまった。

at 四川省郎木寺 on 13/Jul/1999

Posted by snotch at December 10, 2002 2:27 PM

この村の坊主は、村人に対して威張っているふうがある。坊さんとはそのようなものだろうか?

セーティ・ゴンパの、とある坊さんが、僧坊に案内してくれるというのでついていった。彼の僧坊は、見た目新しく、おそらく築1,2 年といったところ。ちょっとした庭までついていて、一人で住むのには申し分の無い住環境だ。きっと、セーティ・ゴンパのなかでも、位の高い僧なのだろう。いろんなものを見せてくれたが、ダライラマの写真よりも、「彼がコーラ持参で仲間の僧と一緒に草原にピクニックへ行ったときの写真」のほうが面白かった。
そろそろ布施をして帰ろうと思いたって、20元ほど懐から取り出して手渡そうとしたが、怪訝な顔をしていらないと言う。そして、僕の親父の職業をしきりに問いただしてくるのだ。彼は10万元を要求してきた。ざっと150万円ほどでしょうか。何に必要なのかと尋ねると、本堂の改築費用が全く足りない状況なのだそうだ。きっと彼は、本堂改築プロジェクトの予算調達係などになってしまったばかりに、日々予算の調達に頭を悩めているのだなあと思い、気の毒に思ったが、無論10万元なんていう大金持っていないので、丁重にお断りした。



at 四川省郎木寺 on 13/Jul/1999

Posted by snotch at December 13, 2002 10:17 AM



at 四川省郎木寺 on 14/Jul/1999

Posted by snotch at January 2, 2003 1:02 AM

旅をしていて、しばらく日本語に接しないでいると、手紙なんてほとんど書いたこと無いくせに、無性に手紙を書いてみたくなったりする。ということで、両親宛を含めて、ポストカードを6枚書いた。村唯一の郵便局に行ったら、1元切手と5元切手の在庫しかなく、投函のためには最低でも葉書1枚あたり5枚の切手が必要で、葉書に切手を5枚も貼ったら宛名がほぼ隠れてしまう。いろいろと貼る位置を試行錯誤してみたけれど、天地がひっくり返っても物理的に不可能だということが判明したので、後日投函することにした。

近くの山へ行こうと宿をでたのは良いけれど、仁青道黒茶館の前で、例のインドに亡命計画中の彼に呼び止められてしまって、茶館の中でお茶とタバコをいただきながら、彼の英語のレッスンを夕方17:00まで続けることになる。彼がとってもうれしそうに英語を話す様をみて、無事にインドにたどり着きますようにと願う。



気を取り直して、山に登る。高山植物が生い茂り、色とりどりの花が咲いている。今が、一年の中で、短い夏の一番華やかな時期なのかも知れない。道に沿ってどんどんと登ってゆくと、最初は急だった坂が次第に緩やかになる。頂上は、ちょっとした広場のように開けていて、郎木寺がずっと下に見える。旗のついた、身の丈ほどの棒が一本だけ刺さっていて、強い風にたなびいている。日が暮れそうなのと、曇りの天気のせいなのか、一人ぼっちでなんだか薄気味悪いので、すぐに降りてきた。

余談だけれど、この辺りでは、死者を鳥葬にする風習がいまだに残っているのだそうだ。

at 四川省郎木寺 on 14/Jul/1999

Posted by snotch at January 2, 2003 1:03 AM

at 甘粛省合作 on 15/Jul/1999

Posted by snotch at January 2, 2003 3:39 PM

6:00起床。ツォエ[合作(hezuo)]行きのミニバス。途中ルチュに寄って11:45合作着。

例によって、新市街は、中国政府によってとりあえず無理やり作りました的町。端から端まで数キロほどしかない小さな町だけれど、郵便局、市場、食堂、映画館(電影院)などは一通りそろっている。このあたりのチベット人民家は、家屋から庭に向けて手作りのサンルームが張り出していて、精一杯の工夫を感じる。

お化け屋敷のようなゴンパ、ミラレパ・ラカン(安多合作米拉日巴仏閣)。平屋ばかりの町中に、ひときわ大きく聳えていて、階数こそ及ばないが、東京都庁並みのロボット感を振りまいている。

at 甘粛省夏河 on 16/Jul/1999

Posted by snotch at January 6, 2003 11:41 AM

at 甘粛省夏河 on 16/Jul/1999

Posted by snotch at January 8, 2003 1:40 PM

外国人が甘粛省内を移動するときには、保険をかけなければならない決まりになっている。出発時に自分で旅行保険に入っているから、掛け金の少ない保険をさらにかける必要はないと思うし、第一、契約内容のよく解らない保険なので、とても理不尽に感じる。今日は、夏河へ移動する日なので、バス停に行ってみたところ、案の定、保険証の提示を求められる。この保険証が、中国の物価から考えると結構高価で、ますます理不尽だ。外国人だけ、しかも、甘粛省だけという条件からして、きっと、保険会社のボスと甘粛省の官僚が「グェッヘッヘ」とばかりにつるんでいるのだなと思う。バス停から少しはなれたところで、傘をさしてじっとバスを待つこと30分。夏河行きのバスが通りかかり、運良く席が一つ空いていて、ごり押しで乗せてもらった。フフっ、保険会社め。

11:15 サンチュ(夏河 Xiahe)着。海抜2,920m、大夏河に沿って広がる町。寒くもなく暑くもなく、ちょうど良い気候。公安や漢人の住居のある門前町を通り抜けると、チベット仏教ゲルク派6大寺の一つであるラブラン寺(拉卜楞寺)が見えてくる。ラブランとは、活仏の「寮」を意味する。6つの学堂(密教、仏教、医学、天文学、法学)、数多くの仏堂、活仏の住居、僧のための僧坊群からなるコンプレックスであって、ラブラン寺が夏河の町の中核をなしている。本堂と僧坊群の一番外周には1174個のマニ車が並び、一周約3kmのこの外周を、巡礼者がマニ車を回しながらコルラしている。とにかく巨大なコンプレックスだ。

大僧坊群の入り口近くにある、チベット人が経営する卓玛旅社に宿をとる。静か&キレイなので、おすすめ。

at 甘粛省夏河 on 17/Jul/1999

Posted by snotch at January 10, 2003 10:11 PM

今までに訪れてきた四川省、甘肃(Gansu)[甘粛]省内の他の場所と異なり、お坊さん達が我が物顔で町にあふれていても、旅行者達にはほとんど目をくれない。ここ夏河は、甘肃省の省都である兰州(Lanzhou)[蘭州]から1日で訪れることが可能なので、中国の田舎ではあまり見かけない西洋人旅行者を多く見かける。日本人はもちろん、西洋人すら全く珍しくないほどに訪れる旅行者が多いのだろう。寺院の領域を一歩出ると、メイン通りに沿って雑貨屋、土産物屋、食堂などが軒を連ね、旅行者にとっては何の不便もない。土産物屋には、絵はがき、カード、チベット風のアクセサリ、ヤクの毛などを編んだ布、マニ車などが所狭しと置いてあって、チベット好きの西洋人がばかばか買っているところをはたで眺めるのもなかなか面白い。

夏河にはチベット人巡礼者が多くやってくるので、チベットの食事を提供する食堂が数多くある。チベット語で何というかは知らないけれど、「太肉面」と中国語表記された品をよく食べた。大抵どこの食堂でも、1杯4元と手頃な値段であるというのが一番の理由だけれど、僕にとってはなかなか魅力の品だった。あっさりスープに普通の麺が入って、上にヤクの肉塊がのっかっているだけのシンプルなもので、当然ヤク独特の臭いが強い。おまけに、すすけた黄色をした油がスープに溶け出していて、見た目は少々危険な雰囲気。食した直後には、「もうしばらく結構です」な感想を持つのだけれど、半日経過すると、また食べてみようかなと思ってしまう。僕は結構食べたけど、体に良さそうではないので全然おすすめはしないし、よく考えたら、チベット仏教寺院の近くでバクバク肉を食べるのは気が引ける。ラブラン寺の坊さんはバクバク食べてたけれど(全員じゃない)。

at 甘粛省夏河 on 17/Jul/1999

Posted by snotch at January 13, 2003 1:37 PM

ticket Ticket

ラブラン寺(拉卜楞寺)では、観光客に対する案内サービスを組織だって行っており、時間を決めてツアー形式で本堂内を見学させてくれる。午前9時に本堂の近くの集合場所に集まり23元支払うと、若い坊さんの後につらつらと続いて見学場所をまわる。案内をしてくれる若い坊さんはかなり退屈そうな態度ではあるが、主要なお堂のいくつかを、かなり丁寧な解説付きで見学させてくれる。

もともと、チベット仏教に詳しいわけではなく、ほぼ素人同然な自分ではあるけれど、お堂の空間的演出や、大勢のラマ僧が誦経する様子など、思わず立ち止まってしまう場面に幾度か出くわした。ひときわ大きな本堂の中に一歩立ち入ると、ランプに使われているヤクバターの香りがモワッとくる。堂内は薄暗く、横方向に14本、奥行き方向に10本の柱が林立している。柱と柱の間には、誦経の際にラマ僧が腰を下ろすためのマット状のものが、奥行き方向に向かって伸びている。お堂の中央付近の天井は、周囲よりひときわ高くなっていて、天井の段差の部分にある天窓を通して、太陽の光がピンポイントで射し込んでいる。壁面には、一面にお経の収納棚があったり、仏像が並んでいたり。そして、低い声の誦経が響く。あまりにも、チベット寺院のプロトタイプなイメージに近く、新しい発見のようなものが無かったので少々残念であったが、本物を目の前に見られたことは良い経験だったし、チケットが格好良いのでよしとする。

緑度母菩薩像帕当巴佛佛祖释迦牟尼像弥勒佛像

at 甘粛省夏河 on 18/Jul/1999

Posted by snotch at January 15, 2003 9:20 PM

last night@Xiahe

at 甘粛省夏河 on 18/Jul/1999

Posted by snotch at January 16, 2003 12:44 PM

「上海」という名の自転車をレンタルして、夏河から小1時間ほどのところにある桑科草原へ。名前は軽快だけれど、この自転車のペダルの重さは特上級。一人だとさびしいので宿で知り合った人を誘って、ゆっくりゆっくりゆるい坂をのぼって行く。知り合った人というのは男性ですけど。
時折、坊さんをきゅうきゅうに積載したトラックが、砂埃を巻き上げながら僕らの自転車の脇を通り過ぎて行く。荷台にいっぱいの坊さん達はきまって、「 (^-^*))。。。きゃぁきゃぁ!。。。((*^-^)きゃぁきゃぁ 」という歓喜の声を発しながら、細かい色とりどりの紙片を空中にばら撒いている。トラックの荷台はさぞ気持ち良いのだろうけれど、いろんなところが少々過剰気味。

at 甘粛省夏河 on 18/Jul/1999

Posted by snotch at February 6, 2003 7:58 PM

桑科草原に行ったのは良いものの、ものすごい積乱雲がどんどんと迫ってくる。悪い予感がしたので、急いで「上海」のペダルをこいで夏河までおりて帰ってきた。案の定、1時間ほどスコールに見舞われる。僕は、寒いところで水シャワーを浴びるのが大嫌いなので、2週間ほど風呂と無縁な生活を送っていたところで、ありがたいスコールになった。雨が止むと、すぐにまた陽がさしてきた。

夏河の上流側には、山のすそにへばりつくようにして小さな村があって、おそらく油を採るための菜の花が満開の時期を迎えている。こういうところでは、大抵、遠慮というものを知らない子供がどこからともなく複数やってきて、しばらく相手をさせられることになる。ほっぺが赤くて、かわいらしい。

高台に上ると、夏河と村の様子が一望できる。上から見ると、どの家にも四角い中庭が設けられているのがよくわかる。斜面に沿って、壁を共有しながら寄り添うようにして家が整列している。もちろん、お決まりの牛の臭いなどもきちんとするし、適度に生活感が漂っているのはよい。田舎だからといってしまえばそれまでだが、何もすることが無い感がたまらない。

at 甘粛省夏河 on 18/Jul/1999

Posted by snotch at February 7, 2003 1:14 AM

コルラ・コルラ
みなもくもくとコルラしている。僕は一周で十分だけれど、良く見ていると、朝からずっと周っている信者もいる。

寺院のコンプレックスの裏山にあたる斜面に、修行をするための小さな箱群がある。山の斜面の小さな箱に入って、瞑想を行うのだそうだ。小さな窓が開いていて、何となく外の雰囲気がわかるようになっているようだ。スケール感が判りにくいかもしれないが、一つ一つの箱の広さは1畳もないくらいの小さなもの。人が入る小さな箱が並ぶ様は、なんだか不気味でさえある。
近くに穴があったので入ってみたが、穴に入ってじっとしているなんて、僕にはしばらく無理そうだ。

at 甘粛省蘭州 on 19/Jul/1999

Posted by snotch at February 10, 2003 11:18 PM

甘粛省の省都、兰州(蘭州 lanzhou)へ向けて朝一のバスに乗り込む。標高が下がるにつれて、チベット色が徐々に薄れていき、昼には完全にチベット文化圏を抜けたことを実感する。2週間ぶりの漢人の町。
蘭州飯店に宿をとったのだが、そこでマヌエルというスペイン人と同室になった。彼は、英語の先生をしながらジャーナリストとして各地を転々と旅していて、僕がこれから向かうウルムチ方面からやってきたそうな。恥ずかしながら、日本語をしゃべらない外国のおかたと、さしで夕飯を食べたのは今日が初めてで、僕の人生で記念すべき日だったかもしれない。そんなことは知らないマヌエルは、酔っぱらって上機嫌のご様子だ。

蘭州の人々は、僕が今までに通ってきたどの大都市の人々よりも、概して人当たりがよいように思う。なにか、向こう側からも、僕のことを一生懸命理解してくれようとする意思を感じる。シルクロードだからかな?関係ないか。

蘭州にきたら、蘭州牛肉麺(lan zhou niu rou mian)を食べるといい。蘭州ラーメンともいい、町中いたるところにこれを出す屋台やお店が出ている。蘭州にきたら、これを食べないてはない。注文してから、ビヨーンビヨーンと麺を伸ばしてくれて、さっと茹でたら出来上がり。香菜(シャンツァイ・パクチー)のってます。一杯1.7元と激安、うまい。

at 甘粛省蘭州 on 20/Jul/1999

Posted by snotch at February 13, 2003 5:27 AM

蘭州の街の中央には、黄河が走っている。蘭州の見所といえば、甘粛省博物館と白塔山公園が有名で、宿から歩いて行ってみようと出発した。が、ちょっと回り道をして迷っているうちに黄河にたどり着き、博物館や公園よりも、初めて出会った黄河になんとなく惹かれて、ずっと黄河沿いを散歩してみた。

黄河は、黄色というよりも濃い赤茶色をしていて、河岸には同じ色の泥が積もっている。蘭州の空気もなんとなく同じ色をしていて埃っぽい。流れがかなりスピーディーで、川面をじっと見ていると、突然渦が発生したり、何か海坊主がでてくるときのように水面がもわっと膨らんだりと変化が激しい。全く水が流れているという感じではなくて、粘土の生き物のように見えてくる。
ずっと水の表面をみて過ごしてしまうなんて、少々旅行ボケしてきたかもしれないという危機感をもつ。

at 甘粛省蘭州>張掖 on 21/Jul/1999

Posted by snotch at February 15, 2003 1:57 AM

中国の宿には開水というものがある。熱い湯の入った魔法瓶ポットが必ずといって良いほど宿の各部屋に用意されている。魔法瓶の中の湯を指して「開水」というのか、はたまた、熱い湯の入った魔法瓶があるという事実を指して「開水」というのか疑問に思ったので調べてみると、狭義には沸騰したお湯を指して「開水」というらしい。狭義にはというのは、沸騰しているお湯だけではなくて、一度沸騰させて冷やした水のことも涼開水などと言ったりするそうで、つまり、一旦沸騰させて飲料水として適するようにした水をとにかく「開水」というらしい。
どんなにサービスの無い宿であっても開水だけは備えられていることが多い。中国国内を旅行中、僕はマイカップと数種のお茶葉を常に持ち歩き、宿にたどりつく度においしいお茶を飲むことができた。中国の旅に、マイカップと茶葉は必携だ。
今日は張掖(zhang ye)へ向けて出発する日。18:00発。久々の中国寝台バスだ。

at 甘粛省張掖 on 22/Jul/1999

Posted by snotch at February 15, 2003 10:29 PM

昨晩の18時に出発した中国寝台バスは順調に走り出した。夜中に車道脇の食堂で夕食をとったあとは、すかさず熟睡してしまった。まだ明るくなる前の未明の頃、走っているはずのバスが静かなので目が覚めた。エンジンはかかっているのだが、バスはずっと止まったままだ。窓を開けて首を出して前後を見てみると、前にも後ろにも車がびっしりでいっこうに動く気配が無い。
そのうちに陽が昇り、車中ではいつものように、ピーナッツのカス&ひまわりの種のカス+タバコの吸殻が床を埋め尽くそうかというときになっても、たまに少しだけ動くばかり。太陽が南中するころ、道の脇で工事をしていて片側通行になっている箇所を通過。なんのことはなく、ただの工事で大渋滞が起こっていただけという、この上なくつまらないオチ。
それでも渋滞を抜けると、だだっ広い荒地を、遠くに山脈が見を見ながらずいぶんなスピードで飛ばすのは、とても気持ちがいい。张掖(Zhang ye 張掖)に到着したのは、夕方18時。暖かいのに空気が乾燥していて、ずいぶんと内陸部までやってきたのだなと思う。

at 甘粛省張掖 on 23/Jul/1999

Posted by snotch at February 26, 2003 8:52 AM

早朝6:30に起きて、木塔寺(mu ta si)へ行ってみる。街のつくりは、典型的な中国の街と、さして変わり映えないけれど、明らかに空気がカラッとしていて空がきれいなので、広々として心地よい印象を受ける。マルコポーロは、道中ここで一年を過ごしたそうだ。当時より張掖が、旅人にとって滞在するのに居心地がよかった証かもしれない。

今までに中国で見てきた「塔」は、どれも最近になって下手に再建、修復されたものらしく、プロポーションが不細工で、概してペンキで派手に着色されており、お世辞にも美しいとはいえないものばかり。ここ木塔寺は1507年に建造され靖遠楼とも呼ばれてきた8角9層の塔。張掖のシンボルとして今もきちんとメンテナンスされているようで、敷地内は緑が多く、塔は堂々としていて格好よい。
塔の上空を大きな黒い鳥がたくさん舞っていて、まさに砂漠の中のシンボルだなと思った。ハシブトカラスでないことを祈る。

at 甘粛省張掖 on 23/Jul/1999

Posted by snotch at February 28, 2003 2:39 AM

せっかくなので木塔に登ってみた。自分は高いところが大好きなようで、特に旅行などをしていると、とにかく、近くの丘や建物の天辺まで行ってみたくなる。ここの木塔は、だれでも一番上の層まで階段を登ってゆくことができる(5元)。朝一の張掖の眺めは、建物よりも背の高いポプラ並木を朝陽が照らしていて、いかにもシルクロードしている。

at 甘粛省張掖 on 23/Jul/1999

Posted by snotch at March 5, 2003 12:06 AM

木塔寺の近くにある、大佛寺へ行ってみた。大仏殿にはその名のとおり大きな涅槃が横たわっている。顔の表情がとても豊かで色気があるとは思いません?仏像というと、人間のかたちをしていながら何処か人間ぽくないという印象を持っていましたが、ここの仏像はとてもリアルな人間味を感じました。


at 甘粛省張掖 on 23/Jul/1999

Posted by snotch at March 9, 2003 7:29 AM

黒水国漢墓(黑水国汉墓 hei shui guo han mu)という遺跡を訪ねてみた。情報がほとんどなく、見所が整備されているということもないので、訪れる人も少ないらしい。

張掖からバスに乗って15~20分で遺跡への下車地点に到着。バスを途中下車して、西瓜、とうもろこし、ヒマワリなどが植わっている畑のあぜ道を通って十分ほど歩くと、高さ5,6メートルほどはある櫓台が見えてきた。城壁のすぐそばにまで砂が迫っていて、今にも埋もれてしまいそう。一見ただの荒野にしか見えない一帯だけれど、ここからは想像力の世界。家屋らしきものは見当たらないものの、城壁、門、櫓などは比較的よく原型をとどめた状態で残っており、城壁の内側には、家々の壁であったと思われるレンガ片、土器の破片などが散乱している。


「遺跡マニア、及び、よっぽど暇な人 対象限定」な遺跡の可能性が高し!
が、たどり着くまでの道のりがややこしいので書き留めておいた

張掖バスターミナルより、高台(gao tai)、平原堡(ping yuan bao)、临泽(lin ze)行きのバスに乗り、道に沿って約14.5km(15-20分)。進行方向に向かって右側の道程が「2743」と書かれている場所で降ろしてもらう。幹線道路より左に折れる道に入り、一つ目の角を右へ曲がったら、黒い砂利道にあたるまで直進する。黒い砂利道に達したら、左に折れてまっすぐつきあたり。
バス運賃は、2元、帰りはなぜか4元

at 甘粛省嘉峪関 on 24/Jul/1999

Posted by snotch at March 10, 2003 12:37 AM

嘉峪関(嘉峪关 jia yu guan)へバス移動。バス運賃は、黙っていると2倍採られそうになるが、ゴネるとすぐに普通料金になる。バスの具合は快調で、午後2時半には到着した。

嘉峪関はちょっとした町で、スーパーなどもあったりする。6月はじめに旅に出てからというもの、耳の穴を一度も掃除していないことに気がついたので、スーパーに買いに行った。店員さんに尋ねて耳掻きを見せてもらったところ、なんと金属製。耳掻きにはめっぽう弱い自分なので、耳の中が耐えられるかどうかが心配だったけれど、素材を選ぶ贅沢はないらしい。

宿のドミトリーで、たまたま日本人4名と同部屋になった。皆で、近くの屋台市場に夕食を食べに出た。もちろん中華も健在だが、このあたりまで西へ来ると、ウイグルの食文化も入ってくる。羊肉(yang rou)中心のメニュー。オーソドックスなのは、串に刺して焼いたものに唐辛子の粉末をたっぷりかけて頂くケバブ。羊なので癖はあるけれど、慣れてしまえば、その癖がおいしく感じる。陽気な中国人のおじちゃん達と席をともにしているうちに、ドリンキングゲームが始まった。つまるところ、ビールの一気飲み。ただ飲むのでは申し訳ないので、ゲームをして負けたら飲むという、飲酒の習慣のある国ならおそらくどこにでもあるルール。あとは覚えてません。ところで、羊の脳みその丸焼きは、少々ビジュアルに訴えるものがあった。

at 甘粛省嘉峪関 on 25/Jul/1999

Posted by snotch at March 13, 2003 11:39 PM

朝7時起床。宿のレンタル自転車を借りて、万里長城第一墩(万里长城第一墩 wan li chang cheng di yi dun)に向かう。自転車で万里の長城の端っこに行くなんて、なんて素敵なサイクリングなんだろうと、胸を躍らせペダルをこいだ。毎度のことですが、重厚な骨組みに、肉厚で幅広のタイヤからなる中国製自転車は、ペダルがとっても重い。嘉峪関の町を抜けると、強烈な向かい風と、砂利にタイヤをとられるのとで、歩いたほうが楽なんじゃないかと、何度もこのポンコツ自転車のことを責めたくなった。ずーと遠くの山脈のところまで、何も視界をさえぎるものがないので、果たして自分が前に進んでいるのか不安になるくらいだ。

万里長城第一墩がどこにあるのか、大体の見当で来てしまったので、目的地らしきものが見当たらず、だんだんと不安になってきた。が、宿を出発して、自転車をこぐこと約1時間半、それらしきものが見えてきた。近くまで来て悟ったのだが、北大河(bei da he)をはさんで、万里長城第一墩とは反対岸に来てしまった。しまった、と一瞬思ったが、きっと反対側から見る機会のほうが貴重だ。とくに、長城が河岸の絶壁でさっくりと切れているところなど、こっち側からしか見れないだろうし。
きっと、長城作った人達は、「ここまで壁作っとけば大丈夫だね」と互いに語っただろう。「そうだね」といってあげたい。

at 甘粛省嘉峪関 on 25/Jul/1999

Posted by snotch at March 16, 2003 11:32 PM


この河からそそり立つ崖っぷちには柵も何も無いのだが、つい端っこまで行ってみたくなるのが人情というもの。こわー!!

at 甘粛省嘉峪関 on 25/Jul/1999

Posted by snotch at March 18, 2003 8:53 PM

万里の長城の西の果ては万里長城第一墩であって、北大河の絶壁で途絶えていた(ホントは、これより西方にも、細かな断片が残っているらしい・・・)。長城西端の関所が嘉峪関(嘉峪关 jia yu guan)と呼ばれ、それが現在でもなお、町の名前となっているわけだ。秦の時代に着工された長城は、明代になって嘉峪関にまで達した。嘉峪関は1372年着工とある。
宿から自転車にのって、嘉峪関に向かう。市中からは、西のほうへ、ゆっくりとペダルをこいで30分程度のところにある。巨大な建造物を目の当たりにし、まさに、沙漠の中の城という印象を持った。西端の、国防の要だっただけのことはある。
ここから、地平線の霞にまで延びてゆく城壁を見て、中国の広さを改めて実感するとともに、このような建造物を作ってしまうエネルギーにただ感服するばかりだ。


at 甘粛省嘉峪関 on 25/Jul/1999

Posted by snotch at March 20, 2003 12:26 AM

嘉峪関の関内には緑の多い中庭が設けられていて、ここだけが沙漠のオアシスのようになっている。門の上部には楼が建っているが、これは、不恰好。
城壁の上部は幅数メートルの通路になっていて、誰でもが、周囲を見渡しながら、一周することができる。その通路を歩いて城壁の角を通り過ぎようとしたとき、建造物の中から声がするので覗いてみると、中年のおやじさんとシャツのはだけた青年が、たむろっている。僕のオリジナルな中国語で会話をしているうちに、ビールがやってきて、ドリンキングゲームが始まった。このおやじさん、役所のお偉いさんなのだと。平日の昼間から一体何してるんだろうと思ったけれど、休学して旅している自分に人のことは言えぬ。写真は日中友好の図。

at 甘粛省敦煌 on 26/Jul/1999

Posted by snotch at March 24, 2003 2:52 PM

嘉峪関から敦煌(dun huang)へ、丸一日の移動。嘉峪関の町を出発すると、周囲は人っ子一人いない荒野が果てしなく続く。ずいぶんと旧式のバスで、窓がいくつも壊れており、心地よい風が車内を通り抜ける。

心地よいなどと、思っていたのが甘かった。午前10時をまわったころから、ぐんぐんと気温が上昇していくのが体感できるほどに、急激に車内環境が悪化していった。羽織っていたものを全て脱ぎ捨て、埃色のT-Shirts一枚になっても暑い。、熱風が車内を渦巻き、まるでドライヤーの風を全身に浴びているよう。汗が出ても、出た瞬間に蒸発してしまうのだろうか?まったく体がべとつかないのに、体内の水分がどんどんと搾り出されていくようだ。おまけに、夕方陽が傾くと、バスの正面から僕の正面めがけて、光線が差し込んでくる。

午後5時に敦煌に到着。髪の毛、顔、首、腕・・・露出している部分全てが、かぴかぴに乾燥し、塩の結晶と沙漠の埃によって表面がコーティングされているのがわかる。瓜の水分と、屋台のスープがとってもありがたい。

今日の教訓 : 水は大事

at 甘粛省敦煌 on 27/Jul/1999

Posted by snotch at March 25, 2003 3:36 AM

敦煌は甘粛省の西端に位置し、古来東西の人々が行き交うシルクロードの交差点であり続けた場所。ここから先へは、天山北路、天山南路に分岐しはるか西へと続く。80年代にNHKで放映された「シルクロード」の影響もあって、知名度も高く、中国において日本人に最も人気のある観光地の一つになっている。

030326_01.gif莫高窟( mo gao ku )は、月の沙漠として知られる鳴沙山( 鸣沙山 ming sha shan )東端にある石の断崖に開鑿された、巨大な石窟群だ。敦煌市内からひっきりなしにマイクロバスが発着し、現地は中国人、日本人、西欧人でごったがえしている。

International Dunhuang Projectは、敦煌及び、周辺のシルクロードにおいて発見された、総数10万点を超える書物、壁画、遺物を、クオリティの高いイメージとともにアーカイブ、一般公開していこうというプロジェクト。

at 甘粛省敦煌 on 27/Jul/1999

Posted by snotch at March 28, 2003 4:25 AM

ヒマワリの種はおいしい。中身がふっくらと詰まったヒマワリの種を軽く炒っていただく。その小さな容積からは想像できない、奥深い香りと甘みがたまらない。中国では、移動中の旅の友としてだけではなく、日常的にもよくつまんでいる人を見かける。僕などは、外の殻と中身をうまく分離させてやるために指先の補助が必要だが、中国の人は、殻ごと口の中に放り込み、しばらくすると、割れた殻だけがピュッと口から飛び出てくる。ちなみに、漢字にすると、日本では向日葵とあらわすが、中国では朝陽花(朝阳花 chao yang hua)とあらわす。感性の微妙な違いが面白い。

自転車で敦煌の郊外を巡っていると、太陽光線を浴びすぎて巨大化したヒマワリたちや、太陽光線を浴びすぎて労働意欲ゼロのロバ君などに会うことができる。

at 甘粛省敦煌 on 27/Jul/1999

Posted by snotch at April 1, 2003 11:05 PM

涼しくなる頃を見計らい、北京に留学中の克さん、剛くんの2人と共に、自転車に乗って鳴沙山(ming sha shan)へ。近くの草むらに自転車を止め、目指す方角に歩いてゆくと、ポプラ並木の隙間にドカーンと砂山が現れてくる。
ビーチサンダル履きの足を砂にとられながらも、巨大な鳴沙山を上ってゆく。砂漠というものを全く知らない僕にとっては、目に見えないほどに細かい砂が山になっているだけで、全く新しい体験。興奮気味に息を切らしながらも、一直線に天辺めがけて駆けていった。

鳴沙山の谷あいには、月牙泉(yue ya quan)という三日月形の泉があって、山頂からはその形がよくわかる。谷底のほうには、観光客やら、観光客を乗せるための駱駝やらが、わんさか見える。剛君にカメラを手渡して、谷底めがけてダッシュで駆け下りた。

at 甘粛省敦煌 on 28/Jul/1999

Posted by snotch at April 3, 2003 3:37 PM

敦煌では、沙州市場という夜市が開かれていて、中国国内、海外からやってくる観光客相手に、多数の屋台が出ている。
「玉(たま)」を買った。手の中でころころと回転させると、玉同士がぶつかる際にきれいな音がでる。以前、ある旅行者が、読書をしながら片手でころころさせているのを見てから、自分もころころやってみたいと思っていたのだ。1セット10元。
30分くらいころころやっていると、頭がすっきりとしてくる。音楽を聴きながらというのも良い。

at 新疆哈密 on 29/Jul/1999

Posted by snotch at April 9, 2003 8:19 AM

嘘のようなホントの話とは、こういうことを指すのかもしれません。

敦煌から新疆ウイグル自治区の哈密(ha mi)へ移動。
もうすぐ正午をまわろうかというとき、自分のバスの前を、荷台に積載物を満載した大型トラックが走っていた。どれぐらい満載かというと、幅はトラックの幅プラス約1.5メートル、高さ5メートルほどの容積を占める荷物を、ロープでぐるぐる巻きにして背負っている感じだ。ずいぶん頑張るなあと、トラックの様子を眺めていたが、そのうちにゆっくりな振動数で左右に荷物がぶれ始めたかと思うと、トラックごと路肩の砂地に転がった。

一瞬、目を疑ったが、バスは何事も無く通り過ぎた。

at 新疆哈密 on 30/Jul/1999

Posted by snotch at April 12, 2003 10:59 PM

ここ哈密は、かつては、西方諸国への道中の宿場町として機能し、伊吾とも呼ばれていた。なので、特に見るべき観光ポイントなどは無いのだが、町の南方には昔ながらのウイグル人の居住区があって、宿場町であった頃の様子を想像させてくれる。新疆ウイグル自治区にある町は、基本的に、新市街と旧市街がはっきりと分かれていて、もともとこの地に住んでいたウイグル人と呼ばれる人々は、旧市街に居住している。
中国国内において、哈密といえば、哈密瓜(ha mi gua)が有名だ。要は、瓜のようにちょっと細長い形をしたメロンのことだ。
おいしい。
本当は、もっと西方にあるピチャンという場所の特産品なのだが、誰かが勘違いして哈密瓜と名前をつけてしまったそうだ。

at 新疆哈密 on 30/Jul/1999

Posted by snotch at April 18, 2003 11:39 AM

ハミの中心部は数キロ四方の範囲に集まっていて、歩いて簡単に町を見てまわることができる。中心部から南方に向かって歩き、町の南半分のウイグル人居住区を抜けると、ハミ王墓にたどり着く。
かつて、この地一帯はハミ王が治めていた。ハミ王国は、清朝時代のウイグル族の地方政権で、康煕36年(1697年)から1930年まで9代223年にわたり、ハミを統治したのだそうだ。
写真は、エイティガール寺院(新疆地区のイスラム寺院の通称 カシュガルにもある)(左側)とハミ9世の王墓(右側)。今では、周辺には畑があるばかりで、ひっそりと静まり返っていたが、町の人々がしっかりと手入れをして大切にしている様子がよく分かる。

at 新疆哈密 on 30/Jul/1999

Posted by snotch at April 21, 2003 6:36 PM

いよいよ、イスラム文化圏内にはいったなと思わせられるのは、色鮮やかな釉薬タイルだ。図柄や施工の精度などをみると、一流とは言えないように思う。が、直に触れられる距離で実物に接することができるので、手作り感が十分に伝わってくる。とりどりのブルーが素敵だ。

世界のタイル博物館 -INAX TILE MUSEUM-

at 新疆哈密 on 30/Jul/1999

Posted by snotch at April 24, 2003 1:29 AM

ハミ王墓から、北に向かって人気のない道をしばらく歩くと、ケイス墓に到着する。UFOのような緑色のドーム屋根をもつこの建物は、ケイスというイスラムの伝道師を葬った廟である。
周囲はに潅木が生い茂り、ところどころにポプラが立ち並んでいる。近所に住んでいる普通の人々が協力してここをメンテナンスしているようで、ごみ一つ落ちていない。
沙漠の青い空と強烈な太陽光線を反射して、緑色のドームが威光を発している。これはもう間違いなく、宇宙と交信している。

at 新疆鄯善 on 31/Jul/1999

Posted by snotch at April 28, 2003 11:06 PM

ハミを午前8時に出発。道がよく整備されていて、ノンストップ5時間半で鄯善(ピチャン)に到着。バス停に付随する食堂で判麺(バンメン)を食べた。冷やしうどんに、トマト、青野菜、卵の暖かい炒め物がのっていて、お酢とニンニクがちょうどよい味付けになっている。これから新疆ウイグル自治区を旅する間、ずっとお世話になる料理だ。
バス停から宿までは 3km 程あるのだけれど、メイン通りが工事中なので、走っているはずのミニバスが運休している。仕方がないのでバックパックを担いで歩いていくが、半端でなく熱い。40度は軽く超えている。真昼間だけれど、表を出歩いている人は全くいない。最初の10分間はまだ余裕もあったが、その後の30分間はもう頭がボーっとして何も考えずに歩いた。たったの40分程度T-shirtsで出歩くだけで、沙漠の日差しと気温がこんなにも強烈に体にコタえるということを知った.町なかではなく、果てしない砂漠を旅しようとした昔の人々の気が知れない。

この町が鄯善と呼ばれるようになったのは17世紀以後で、16世紀までは楼蘭王国があった場所を鄯善といったそうだ。これといった見所はない小さな町だが、すぐそこまで沙漠の砂が迫っていて、防砂林が町の南側に並んでいる。ウイグル人居住区では、どの家も日陰を作るための庭木が小道にまで迫り出し、中庭には葡萄の棚がこしらえてあって涼しげだ。