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- Drifting into Eurasia 99/09 Archives -

at パキスタン ワガー on 01/Sep/1999

Posted by snotch at November 30, 2003 6:53 AM

TV局のアルバイトに数日間携わった後、ビザがすぐにも切れてしまいそうだったので、急ぎ足でインドとの国境の町までやってきた。ギルギット ~ ラーワルピンディ ~ ラホール ~ と、6~700kmの道程をバスを乗り継ぎ、ワガーに到着したのは16:30。ところが、国境は15:30に閉じてしまっていて、今日はインド側に渡れないことが判った。宿が無いので(ホントウはあるのだけど、なかなかに高価)ラホールに引き返そうかと一瞬思ったが、国境のすぐ手前にある土産物屋の主人が屋外ベッドを貸してくれるというので、国境に一晩留まることにした。

国境を越えそびれたおかげで、日没時、印パ両国側で同時に行われる国旗の降納式を見ることができた。これは、見世物的要素が色濃い催しで、係官の制服、コミカルな動き、いちいちオーバーリアクションなところなど、見ていて理屈ぬきで楽しめる。パキスタンに呼応するようにして、インド側も同じ時刻に演じているのも面白い。両国ともに、大勢のギャラリーがやってきている。

夜になって、国境から人がいなくなってしまえば、どこにでもあるような静かな農村と変わらない。鍵のかかる洗濯屋の店内に荷物を置かせてもらい、店の親父さんと簡易ベッドを並べて屋外で眠る。寝る前に、親父さんのトロンとした目が、じっとこちらを見つめていてちょっとドキッとしたが、無事だった。

at インド アムリトサル (Amritsar) on 02/Sep/1999

Posted by snotch at December 4, 2003 1:29 PM

早朝、虫に刺されて腕足が痒いので目覚める。オーストラリア人とネパール人2人組みが朝から国境へやってきたので、彼らと一緒に国境を越える。国境越えを一人で行くのは、何かとリスク(賄賂をせびられるなど)があるようなので、こういうときには国籍に関係なく、皆大変協力的だ。インド側へ無事通過して、アムリトサルへ向かう。

アムリトサル駅の真向かいにある、Hotel-Palacet という名前がリッチな安宿に宿泊することにする。そして、道路に面した最もうるさい2階の部屋を選ぶ。部屋前の廊下の道路側先端には、ちょうど表通りと駅が見渡せる窓が空いていて、インド旅行モードに入るにはなかなか良い。
まず、鉄道。インド平野部での長距離移動は鉄道が一番。たまには半日遅れたり、指定席なのに殺人的に混み合った寝台車に乗り合わせたこともあったが、たいていは快適に移動することができる。
そして、市内交通はバスか、リクシャ。リクシャには2種類あって、人力のものと、エンジンで動くオートリクシャとがある。人力のものは、場所によっては余り見かけなくなったが、バラナシやコルカタ(旧カルカッタ)などでは、今でもよく見かける。人力のほうは、乗っていて人夫(リクシャワーラー)に対する様々な気持ちを処理するのが大変なので、元気が有り余るときにしか乗らないことにしている。
向こうから寄ってくるオートリクシャは、大抵曲者。そうでなくても、毎回の料金交渉はもちろん必須。オートリクシャのリクシャワーラーの個性はバラエティに富んでいるので、毎回楽しみにしているのだが、やっぱり本気の仕事なので、料金交渉の時には彼らは概して強気。なるべく安くという動機しかない自分は、いつも少し妥協気味の値段で乗ってしまう。客待ちをしながらビーリー(安いインドタバコ)を口に挟んでいるリクシャワーラーを、宿の窓から見下ろすように眺め、これから彼らに挑む日々が続くのだと思うと、リクシャ達が小戦隊のように見えてきた。

at インド アムリトサル (Amritsar) on 03/Sep/1999

Posted by snotch at December 8, 2003 10:11 PM

ここアムリトサルは、シク教の中心地であり、またプンジャブ州の主要都市でもある。日本において、典型的なインド人としてしばしば描かれる、立派な顎鬚を蓄えた、大きなターバンを頭に巻く人々が、シク教徒である。シク教徒は、インドにおいてはマイノリティ(全人口の2%)だが、ヒンドゥのカースト制度から解き放たれた結果、貿易商、専門技術職、軍事関連など、様々な新しい分野において国内外で活躍するようになった為、国際的に認知度は高い。男性は生涯、髪の毛と髭を切ってはいけないことになっているので、実は、ターバンの中身は髪の毛がとぐろを巻いている。そして、ヒンドゥ教徒と異なり、肉食も可能なので、体格が立派な人が多い。

シク教は、16世紀初頭に初代教祖ナーナク(Guru Nanak)が興した宗教であるが、アムリトサルが聖地となったのは第4代教祖ラムダス(Guru Ram Das)以降のこと。現在、街の中心部にある黄金寺院(Golden Temple)は、第5代教祖アルジャン(Guru Arjan)によって礼拝所グルドワーラー(Gurdwaras)として創建されたのが由来で、1802年にランジット・シン(Ranjit Singh)によって金箔で覆われて以来黄金寺院と呼ばれるが、本来は神の寺院(Hari Mandir)という。1984年、シク過激派とインディラガンジー(Indira Gandhi)率いるインド軍との衝突の結果、シク教側に493名(インド政府の公式発表)の犠牲者がでたとされる、悲惨な事件もあった。

シク教について、詳しく記述されたホームページが公開されている。The Sikhism Home Pageには、シク教の歴史から教義まで幅広いコンテントが揃っているが、特に1984年の出来事については多くの関連資料とともに詳しく述べられており、一つのトピックとして扱われている。

at インド アムリトサル (Amritsar) on 04/Sep/1999

Posted by snotch at December 11, 2003 12:05 AM

黄金寺院(Golden Temple)を訪れる。勿論、礼拝のマナーにおいては異教徒も例外でなく、靴を預け、髪の毛を隠すために布などで頭を覆わなくてはならない。とはいっても、敷地内は異教徒にも積極的に解放されていて、ハンカチを頭にのっけたインド人(ヒンドゥの)観光客もちらほら見られる。本堂、Hari Mandirは、東西に約150m、南北に120m程の長方形の池アムリト・サロヴァル(Amrit Sarovar)の真ん中にあって、池の周囲を幅15mほどの白大理石のテラスが周回している。池の名前が、そのままアムリトサルという都市の名前になっていることがわかる。それぞれの建築物は造形的に素晴らしいようには見えないが、本堂が四方に開放的である点や、水辺の回廊テラス、水面、本堂が一体となった境内のあり方は、シク教の万人皆平等という教義をよく反映しているようである。

信者達は、体を清めた後、大理石のひんやりとした感触を足の裏に感じながら時計回りに回廊を周り、Guru's Bridge を渡って本堂へと向かう。本堂の中は、堂内全体が明るい光で満たされていて、多くの信者が祈りをささげる中、中央部で3人の聖職者が音楽を奏でている。一人はタブラ、一人はシタール、そしてもう一人がハルモニウムと歌を担当し、聖歌キルタン・ソヒラ(Kirtan Sohila)を奏でている。

一大宗教の聖地でありながら、異教徒にこれほど開放的な宗教も珍しいかと思う。訪問者の宗教を問わず、境内に隣接する共同食堂(Guru Ka Langar)では毎日3万人分の食事がボランティアによって無料で振舞われ、巡礼宿泊所(Gurdwaras)では巡礼者の為の寝床が格安で提供されている。その規模と、人々を受け入れる懐の深さには驚かされる。

at インド アムリトサル (Amritsar) on 05/Sep/1999

Posted by snotch at December 18, 2003 5:26 AM
 日本からの小包を受け取るために、ここのところ毎日郵便局へ通っていたが、どうも今回は小包にありつけない予感がする。毎日同じ窓口で相手をしてくれるサリーを着たおねえさんは、とりあえず周囲の荷物類を一通り調べてくれるのだが、もうあきらめたらどうかい?といわんばかりである。  アムリトサルの駅前には、夜中になっても蝉のようなクラクションを響かせるリクシャがたむろし、その他の騒々しい有象無象が辺りを埋め尽くしている。宿の部屋からの眺めは写真のようにな状況で、昼夜を問わず落ち着かないので、そろそろ脱出したいと思う。もし、今後小包が届いたら、数ヵ月内に何度か通過するであろうマナリという町に転送してもらうようにおねえさんに依頼して、明日には次の場所へ発とうと思う。

at インド ダラムサラ(Dharamsala) on 06/Sep/1999

Posted by snotch at December 22, 2003 11:49 PM

ダラムサラへ発つ。アムリトサルのバススタンドからパタンコット行きのバスにのり、乾燥した畑の続く平野を走ること約4時間。夕方になってようやくパタンコットに到着し、ダラムサラ方面へのバスを待つ。パタンコットを出発すると、すぐにヒマーチャル・プラデシュ州に入り、それと同時に平地から山地へと周囲の景色が変化する。まさにこの辺りが、インド平原とヒマラヤ山脈の境目ということになる。

山地に入ると途端に道が悪くなり、おまけに乗り心地の悪いバス後部にいたので、立っているのが大変な程。景色を楽しむ余裕を失いかけていたところに、インド版女子高生が大勢乗り込んできて、あっという間に車内は大賑わいの超満員。若い熱気がムンムンだわ、バスは大揺れだわで、ちょっとした修羅場である。

ラッシュの乗客が次々に降りていき、車内がすいてくると、辺りの気温がずいぶんと下がっていることに気づく。平地の熱気が嘘のようで、真夏なのにひんやりと涼しい。Ghurkurでバスを乗り換え、19時過ぎにダラムサラに到着。21時にマクロードガンジ行きの最終バスがあるというので、夕食を摂ったのち、バススタンドで待つ。

時刻を過ぎてもバスはなかなか来なかったが、インド人タクシードライバが今日のバスはキャンセルされたとハッタリをかました瞬間、最終バスがやってきた。果たしてここに、ダライラマ猊下はいるだろうか?

at インド ダラムサラ(Dharamsala) on 07/Sep/1999

Posted by snotch at December 30, 2003 8:23 PM

朝は、ずいぶんと冷える。そして水シャワーしかない。午後になるとどこからともなく雲が沸いてきて、それほど温度が上がらないまま夕方になってしまうので、午前11時頃を見計らって冷たいシャワーを浴びるのがよい。
マクロードガンジには、小さな道に沿って旅行者向けの宿とレストランが並び、山の斜面に張り付くようにして建っているので、どの建物からも深い緑に覆われた山々を眺めることができる。見晴らしのよい場所からなら、遠く山裾がインド平原へと続くのが霞んで見える。チベット亡命政府があることもあって、世界的にも知名度のある土地で、ヨーロピアンの旅行者の割合が多い。また、ボランティアに従事している人も多く滞在している。

ダライラマ猊下の住まいであるダライラマパレスは、マクロードガンジから数百メートル離れた小高い丘の上にあって、丘の周囲にはコルラすることの出来る周回道が巡っている。飛行機で渡航してきたであろう裕福そうな人々も見られるが、遠くチベットから幾多の危険を冒して、陸路で亡命してきたであろう信者にも出会う。
周回道には、五大(地水火風空)を表すカラフルな色で、六字咒真言(オム・マニ・ペ・メ・フム)が刻まれたマニ石があちこちにみられる。チベットの過酷な自然環境を背景にしたマニ石と異なり、濃い緑の中にあるマニ石はよりいっそう艶やかに見える。

at インド ダラムサラ(Dharamsala) on 07/Sep/1999

Posted by snotch at December 31, 2003 9:31 AM

ダライラマパレスの周回道沿いには、小さなの寺院、数々のマニ車とストゥーパがある。ストゥーパといえば、もとは仏舎利や遺物などを安置した建造物を意味し、インド・サーンチーにある直径30m程度のドーム状のものなどが原型に近いとされている。ブッダ亡き後、しばらくの間は仏像を拝むという行為そのものが存在しなかったが、その代わりに信者たちは仏舎利が納められたストゥーパを大切にしたといわれている。

現在、ネパールやチベットでは、方形の基壇の上にドーム状の構造物がのり、頂上に塔が立っているものがあちこちに見られ、ネパール・ボダナートにある巨大ストゥーパは特に有名である。基壇部分には、花模様などの装飾が施されることが多く、ここダラムサラの寺院近くに建造中のストゥーパで、僧が装飾を施している最中の作業を間近に見学することが出来た。

ちなみに、日本のお墓の背後に立てられている卒塔婆(そとうば:供養・追善のため、墓などに立てる細長い板)の語源は、ストゥーパであるという説は有力で、遠くインドでドーム型であったストゥーパが、数千年のときを経て、こうして日本にも伝えられている。なるほど、塔婆に切り込まれている輪郭の形状は、ストゥーパの頂部にある塔の形状にそっくりである。

at インド ダラムサラ(Dharamsala) on 08/Sep/1999

Posted by snotch at January 6, 2004 9:58 AM

マクロードガンジから徒歩約5分、ダライラマパレスのある丘を斜めに見上げる位置に Tsuglagkhang コンプレクスがある。大きな寺を中心として、亡命政府の政府機関が集まる場所でもある。寺とはいってもRC造の簡素な造りの建物であるが、数百人の信者達が座って読経したり、食事を摂ることが出来る程度の広さはある。細部にこだわらない簡素な造りが、かえって一時的な亡命政府らしさを感じさせているようでもある。
寺の前には、小学校の校庭ほどの広場があって、ダライラマ猊下との謁見式はこの広場で行われるらしい。今回の訪問では、当分の間、ダライラマ猊下を目にすることは出来ないということだった。

at インド ダラムサラ(Dharamsala) on 09/Sep/1999

Posted by snotch at January 11, 2004 3:20 AM

マクロードガンジから山の手に向かって数キロ程度歩くと、Bhagsunathという村にたどり着く。ヒンドゥ寺院を中心とした静かな村である。住んでいる住民はチベット人でないから、もともとこの地にあった村なのだろう。村の集落のはずれに、庭に大木が生い茂る民家が一軒だけ離れて建っていて、周囲の景色に溶け込みながらも堂々とした外観が印象的である。この村の家々に共通しているのは、素材にスレートが使われていることであるが、その民家では、庭の敷石から、壁、屋根に至るまで、総スレート仕上げになっていて、特にぎっしりと隙間なくスレートを積み上げて形作られた外壁は、ひときわ重厚感を発している。

さらに渓谷の奥へと進んで行くと、徐々に緑が途切れ途切れになり、急斜面が目前にせり出すようになる。空を見上げると、すぐ間近にあるように見える雲が、怖いくらいのスピードで流れている。時折、雲が途切れた瞬間に薄日が差して、あちこちの山肌がきらきらと眩しく輝くのに見とれていたが、しばらくたって、そのきらきらと輝くものの正体は、どうやら無数の小さな石片であることがわかる。目を凝らすと、その石片が露出する斜面の遥か上方に、複数の人影がうごめいているので、どうにもその正体を確認したくなって、その斜面を登っていった。

恐る恐る近づいてみたものの、何のことはなく、そこは 5,6人の男たちがスレートを加工する現場であった。彼らの生業は、毎日ここまで登ってきて、数人ずつの共同作業で採掘・加工をこなし、出来上がったスレートを村まで持ち帰るということである。見ていて実に地道な作業である。ちなみに、標準的大きさのスレートを、一片2Rs程度で売るのだそうだ。
30分も眺めていると、スレートを長方形に切り出す担当者の脇には、こんもりと石の削りかすの山が出来る。それを、採掘の担当者がすくって運び、斜面下方へ押し流すのだ。あの、きらきらと光る山の斜面の正体が、彼らが毎日繰り返すスレート加工の削りかすの堆積であること思うと、恐れ入りますとしか言いようがない。

at インド マナリ(Manali) on 10/Sep/1999

Posted by snotch at January 22, 2004 11:24 AM

ラダックへの陸路入り口となる、マナリへ向かう。60年代に初めて旅行者に発見されたときには、桃源郷と呼ばれたほどに静かで落ち着いた村だったらしいが、今ではインド人の避暑地として多くの観光客で賑わい、通りにはレストランと土産物屋が並ぶ町になっている。日本でいうなら軽井沢といったところか。

町の中心部近くはどうにも騒々しい感じがしたので、マナリを少し奥に入ったところにある、オールドマナリという地区で宿を探した。マナリでは宿が過剰に建設されたおかげで、オールドマナリまできても完全に価格破壊が起こっているようだ。真っ白なシーツが敷かれた大きなベッドに、ホットシャワー・トイレ付きで 100 Rsであるから、インドの物価感覚からしても非常に廉価だ。

部屋に落ち着いてしばらくすると、宿の客を相手にハシシを売り歩く男がやってきてドアをたたく。売り手と買い手が常に競り合うインドにあって、しきりにモノを買ってくれとせがみながら情けない表情をするので、町も人も不如意な状態なんだなと痛ましく思ったが、ムゲに断ることにした。

at インド マナリ(Manali) on 11/Sep/1999

Posted by snotch at January 31, 2004 11:59 PM


at インド マナリ(Manali) on 11/Sep/1999

Posted by snotch at February 5, 2004 12:27 AM

マナリの北東側と町の南寄りは、チベタンの居住エリアとなっている。3食カレー漬けの日本人の胃にはとても有難いトゥクパ(チベット風ラーメン)などが食べられる。こういう旅行者が集う場所に住むチベット人の中には、必ずといってよいほど商売の上手い人達がいて、特に西洋人バックパッカー向けのレストラン・カフェなどは、内装、メニュー共にインド人にはなかなか真似の出来ないクオリティを提供している所がある。
そのような地域の外れに、60年代にこの地にやってきたチベット難民達が建てたとされる Gadhan Thekchokling Gompa (ガダン・テクチョーリン・ゴンパ) がひっそりとある。入り口の脇のスペースで、冴えないおやじさんがひたすらタルチョを刷っていて、いかにも場末な感じが漂っているが、内部はきれいに手入れがしてあって気持ちが良い。タルチョの張替え時期が迫っているにも関わらず、インクのにおいをプンプンさせたおやじさんは、堂内をくまなく案内してくれた。

at インド マナリ(Manali) on 12/Sep/1999

Posted by snotch at February 8, 2004 12:00 AM

マナリの西のドゥングリ(Dhungru)村周辺に広がる森に、この地方の女神ハディンパを祀るハディンパ寺院(Hadimba temple)がある。杉板葺きの印象的な四方屋根をもつこの寺院は、杉の木が茂る森にそこだけ、ぽっかりとあいた空間にある。正面のファサードは見事な木彫で覆われており、残り三方の側面は水牛の角で飾られている。ハディンバを鎮めるための生贄の角だろうか。
どこからともなく、水牛にまたがった、とても女神には見えないお茶目なスィク教徒がやってきて、一緒に森を散策する。

at インド サルチュ(Sarchu) on 15/Sep/1999

Posted by snotch at February 10, 2004 1:23 AM

早朝6時にレー(Leh)行きのバスが出発。レーまでは475kmの道程で、順調に行けば、明日の夕方には到着する予定。4000m級を2峰、5000m級を2峰越える、世界でも稀な、高所を通るルートだ。当然、バスの運転手の力量が、快適な移動にとってものをいう場面であるが、これがなんとも頼り難い風貌で、どう見ても18,19の少年なのだ。運転する目がマジなのが、ますますスリリングな雰囲気を生んでいる。時々、彼の隣についている先輩ドライバーらしき人物に、何かしらのアドバイスを求めるのもやめてほしい。
マナリを出発して最初に越える峠、ロータン峠(3978m)を登る途中、谷側に転倒したトラックを引き起こす作業現場を通りかかった。遥か下まで転げて行ったトラックは数知れずだろう。運転手君ホント頼むよ。

ロータン峠にはトラックの休憩場があって、軽食を摂ることの出来る小屋がいくつかならんでいる。周囲の山々に阻まれて遠くまで視界が利かないのと、天気が穏やかなせいで、既に富士山よりも高いところにいるという実感があまり湧かない。ただ、太陽の光線が幾分鋭いように感じるのと、生き物の気配が少ないこと、売店にある売り物の値段が少々高価なことが、高所であることを感じさせてくれる。

at インド サルチュ(Sarchu) on 15/Sep/1999

Posted by snotch at February 16, 2004 2:01 PM

今日の宿泊地に到着したのは、21時をまわった頃。サルチュの少し先にあるキャンプ地には、百頭程の羊が放牧されているのと、20畳程度の広さのテントが4~5棟あるのみで、周囲の大地は、ほんの僅かの草と岩石に覆われている。ダル(豆のカレー)をいただいた後、テントの外へ散歩に出ると、上弦の月が眩しいほどに輝いていて、すぐ近くの山肌に積もった雪が、くっきりと目に映る。
寝袋に包まって布団に入ったが、テントの隙間から冷たい風が入ってくるのと、なぜか布団が濡れていて冷たいのとで、なかなか寝付けない。目をつぶっていると、風と羊の気配のみがテントの布越しに伝わってくる。


at インド レー (Leh) on 16/Sep/1999

Posted by snotch at February 19, 2004 3:02 AM

Sarchu - Leh road

at インド レー (Leh) on 16/Sep/1999

Posted by snotch at February 23, 2004 6:05 AM

Taglang La は標高5328mの峠。道路のすぐ傍らに石碑が立てられていて、そこにはこう記されている。"Taglangla. Altitude 17582ft. You are passing through second highest pass of the world unbelievable is not it?"

加えて、石碑の後ろに見えるヒンドゥー寺院は世界で2番目に高いところにある寺院であり、ここのトイレは世界で最も高い位置にあるトイレなのだそうだ。
空気が薄いとはこういうことかと、今更になって自分の身をもって知る。少し動くだけで息が速くなり、なんとなく頭がボーっとして体がだるい。頭上のすぐそばを足早に過ぎ去っていく千切れ雲が、澄みきった薄い空気を通って突き刺す太陽光線を時折遮り、その瞬間、瞬間に世界が暗くなったり、明るくなったりする。

Manali - Leh ロードは、ヒマラヤ越えの475kmもの道程を、バスで僅か2日で通過してしまえる驚異的な道だ。インド平野部の田舎道などよりも、むしろよくメンテナンスされていて快適な道である。隣国パキスタンとのカシミール問題に絡んで、ここからさらに北方の国境付近で両国軍がにらみ合っているという状況が、なぜこの驚異的な道が作られたかという理由の一つであるようだ。道中、物資や軍人を運ぶ輸送トラックの車列を何度も目にした。
当然この道のメンテナンスのために、大量の人員が配備されている。崖と空気と太陽光しかないが周囲は絶景という作業現場で、日焼けとタールで真っ黒な肌をした労働者達が汗を流している。バスに乗っていると、突然人影があらわれて、無言の戦士とでも呼びたくなるような風貌の労働者が乗り込んできて、再び無名の土地で降りていくのだった。

at インド レー (Leh) on 16/Sep/1999

Posted by snotch at February 26, 2004 2:47 AM

Taglang La 峠を越えるとバスはどんどんと高度を下げ、あたりの景色に僅かな緑の気配が戻ってくる。山間のちょっとした平地にある村を通り過ぎるところで、突然にバスのタイヤがパンクして、2時間ほど立ち往生する。
麦の収穫はすっかり終わっていて、もう今年の役目は終えたといわんばかりの静かな畑が、僅かな山間の平地いっぱいに広がっている。すぐそばから切り立つ崖は、まるで十二単の襲(かさね)の色目のように、緑や蘇芳の、幾色もの地層がほぼ垂直斜めに露出していて、グラデーションをなしている。まだ9月だというのに、冬はすぐにもやってきそうだ。

at インド レー (Leh) on 16/Sep/1999

Posted by snotch at April 8, 2004 12:41 AM

ラダック唯一の街、レー(Leh)に到着。バス停から急な坂を上って街の中心へ向かうが、空気が薄くて体が一杯イッパイ。バックパックを背負ってフラフラしていると、道の脇で思わずこけてしまいそうになる。しばらく前に、太陽は西の岩山の向こうに沈んでしまったが、後光が差すようにして空がとんでもない光を発している。自分の想像が遠く及ばない所に来てしまったようで、うつろでボヤけた頭ながらワクワクする。

at インド レー (Leh) on 17/Sep/1999

Posted by snotch at April 14, 2004 1:33 AM

インダス河渓谷の北側に広がる、ごくなだらかな斜面に張り付くようにして、レーの街はある。標高約3,500m程度であるから、富士山の山頂より少し低い。かつては、中央アジアやカシミールと中国との交通の要衝として栄えた。街の北に見えるのは、ラサのポタラ宮のモデルになったといわれるレー王宮。早朝、禿山の合間から陽が射しはじめると、まず、ポプラの緑が鮮やかにうかびあがり、次いで王宮が輝きはじめる。

at インド レー (Leh) on 17/Sep/1999

Posted by snotch at April 19, 2004 11:47 PM

王宮の足元に広がる迷路のような旧市街を通り抜け、岩山を登って王宮の入り口へ。入り口には一応鍵がこしらえてあるが、内部は廃墟になっていて、時折鼻を衝くにおいがする。しばらく薄暗い内部の階段を登ってゆくと、視界の開けたテラス階に到達し、この世のものとは思えない眩しい世界が目の前に広がる。王宮から周囲を眺めると、レーの街が荒涼とした岩山に囲まれた小さな平野に広がっているのが良くわかる。灰汁色の岩山に、紺色の空、ポプラの緑、収穫の終わった麦畑が眩しく映える。

at インド レー (Leh) on 18/Sep/1999

Posted by snotch at April 24, 2004 10:36 AM

王宮から数百メートル見上げた位置に、ツェモゴンパという小さなゴンパが建っている。この岩山自体をツェモと呼ぶらしい。王宮からさらに急な斜面を登るのがまた一仕事で、平地ならなんでもない坂の途中で、何度も息苦しくなって立ち止まりながら、二十分ほどで到着する。時間が悪かったのかもしれないが、ゴンパには鍵がかかっていて中には入れないようだ。
双子のような山頂が2つ並んでいて、そのうちの一つの頂にツェモゴンパがある。そして、もう一方の山頂からゴンパに向かって、三本のロープにつながれたタルチョが弧を描いて伸びている。海も空もそうであるように、真っ青という色は吸い込まれそうになる色を差すのだなと思う。昔の人は、空に吸い込まれてしまわないように、一生懸命タルチョを空一杯にはためかせたのかもしれないと、勝手な妄想。

at インド レー (Leh) on 18/Sep/1999

Posted by snotch at April 28, 2004 11:17 PM

レーで世話になっているのは、Ti Sei Guest Houseというラダック人家族が経営する宿。キャベツや大根が育つ中庭を挟んで、家族の住む棟と宿棟が建っている。チベット民家をそのまま宿として転用しているので、暖房やホットシャワーはないけれど、ここでしか体験できない気持ちの良い空間だ。折角だから,窓の外が南西向きに大きくひらけた,景色の良い2階の部屋をあてがってもらう.
チベットの民家には花が良く似合う。近くに寄るとざらざらとしたテクスチャをもつ真っ白な外壁が、眩しく輝いて存在感を放っている。茫漠たる大地と群青の空を背景に、チベット民家と花だけが目に眩しく映る。

at インド レー (Leh) on 18/Sep/1999

Posted by snotch at May 15, 2004 4:59 PM

迷路のような細い道を通って旧市街を抜け、街の北側に向かって、水路脇の細い道をポプラの茂みをくぐるように15分ほど歩くと、突然視界が広がってレーの郊外に出る。そこから、くねくねと畑の合間を歩いて行くと、こぢんまりとしたサンカルゴンパ(Sankar Gompa)に到着。老僧が一人いるだけで、境内はひっそり。

at インド レー (Leh) on 18/Sep/1999

Posted by snotch at May 24, 2004 7:11 AM

at インド レー (Leh) on 18/Sep/1999

Posted by snotch at June 2, 2004 9:07 PM

at インド タクトク (Tak Thok) on 19/Sep/1999

Posted by snotch at June 6, 2004 11:56 PM

レーから30km程インダス川をさかのぼり、左手の山間を入ってゆくと、シャクティ(Shakti)渓谷のゆるい上り坂が続く。シャクティの村は、畑の中にまばらに民家があるだけで、ひっそりと静まり返っている。渓谷の奥の、山のずっと向こうまで続いているかに見える道の脇で休んでいると、すぐ頭の上に雲が沸いてきて、渓谷に風が舞い始める。遠くで何人もが歌を謡っているのが確かに聞こえるのだけれど、人の姿が全く見えないので、空耳かもと自分の聴覚が疑わしくなる。

シャクティ村の奥には、小さなタクトク ゴンパ(Tak-Thok Padmalinggon)が岩壁にはりついている。タクトクとは岩の天井という意味で、堂の内部は洞窟と一体となっている。タクトクまで来たはいいものの、はて、これからどうしようかと階段に腰掛けていると、堂の3つ下の僧坊の屋上からラマがこっちを呼んでいる。ついさっきまで、人の気を全く感じなかったのでギョッとしたけど、満面の笑みでこちらを向いている。僧坊まで降りていったら、うちの中へ招いてくれた。
優しい顔をしたチャーミングなラマで、小さな茶飲み茶碗でお茶を飲むときには、ピンと小指が立つ。夕食を振舞ってくれるときには玉葱を刻みながら、こちらを振り向いて涙を流す。
壁を土で塗られた僧坊は、土が音のクッションの役目を果たすのか、しんとした平穏な雰囲気の空間。こんなところに住んでいたら、すぐにおじいちゃんになってしまいそうで、ちょっと怖い。

at インド へミス (Hemis) on 20/Sep/1999

Posted by snotch at June 30, 2004 1:58 AM

at インド へミス (Hemis) on 20/Sep/1999

Posted by snotch at July 10, 2004 1:59 AM

タクトクゴンパからインダス河の谷まで下り、そこから西南西へ干乾びたインダスの支流を登る。2時間程歩くと次第に谷が狭まり、数十の民家と畑のある小さな村を通り抜けると、地面に斜めに突き刺さったかに見える巨大な岩山を背にして、へミスゴンパ(Chanchubsamling )が見えてくる。

17世紀の建立当時よりしばらくはナムギャル王家より手厚い庇護を受け続けたことと、1974年以降、国外の旅行者が大勢ラダックにやってくるようになった後は、旅行者の大半が訪れる有名なゴンパとしてその名を知られるようになったことで、他のゴンパと比較してずいぶんと贅沢なメンテナンスが施されているようにみえる。いささかおカネの匂いがしないでもない。
この壮観なゴンパは、幾つもの堂が入り組み、岩山の裾に沿って細長く広がるコンプレクスで、内部を進む際、領域を跨ぐ毎に、次々に異なる場面が展開する。多様なレベルのフラットルーフの上を、昇ったり降りたりしながら自在に行き来できるようになっているのも、よく出来た造り。一番上部のフラットルーフには所々に植栽が施してあって、素敵な屋上緑化になっている。

at インド へミス (Hemis) on 21/Sep/1999

Posted by snotch at July 21, 2004 8:38 PM

昨晩、南京虫に襲撃されたようだ。この虫、どういうつもりか知らないが、刺した後すぐには痒くならず、一日から一日半後より2週間ほど、猛烈な痒みに襲われるという厄介な存在。まだ、それほど痒くはないけれど、以前にやられたときと同じ感じだから、襲撃されたことには間違いない。
朝6時頃、ゴンパの背後に屏風のように聳える岩山の頂上に陽があたると、それから30分かそこらで、ゴンパの位置まで陽の線が降りてくる。まず最初にゴンパ全体が陽に照らされ、ゴンパの下の村のほうまで次第に陽が入ってくる。日の出からまだ一時間足らずというのに、既に影のコントラストが強烈。

at インド ティクセ (Tikse) on 21/Sep/1999

Posted by snotch at July 26, 2004 3:32 AM

Tikse, ladakh India

Tikse, ladakh India

at インド ティクセ (Tikse) on 22/Sep/1999

Posted by snotch at August 9, 2004 3:54 AM

Tikse, Ladakh, India

Tikse, Ladakh, India

へミス(Hemis)からレー(Leh)へ北上する道中、岩山に聳えるティクセ ゴンパ(Tshulthim Namdakling)に立ち寄る。岩山の麓に快適な宿があるので、ここに滞在する旅行者は多い。早朝、沙漠を散策していると、余りにも大気が澄み渡っているので、空気中の塵と一緒に上空に吸い込まれてしまいそうになる。遠くの山の稜線から陽の光がパーッと伸びて、ゴンパの最頂部にある本堂がオレンジ色に染まる。

at インド ティクセ (Tikse) on 22/Sep/1999

Posted by snotch at August 17, 2004 2:26 AM

Tikse (Thikse) gompa, India

Tikse (Thikse) gompa, India

at インド ティクセ (Tikse) on 22/Sep/1999

Posted by snotch at September 1, 2004 12:08 AM

at インド ティクセ (Tikse) on 22/Sep/1999

Posted by snotch at September 13, 2004 1:02 AM


ティクセの頂部にあるDukhang(本堂?)では毎日読経が行われている.昼の読経は11時からだというので,ゴンパのコンプレクスを徘徊する.Dukhangの屋上へ登ると,巨大なラッパ(名はなんと言うのだろうか)が2つ,行儀よく並んでいる.大空に向かって力一杯吹くと,いったいどんな音がするのだろうか・・・

読経の時間が近づいた頃,2人の若い僧が屋上へ姿をあらわし,読経の合図だろうか,心もとない息づかいでラッパを奏でる.Dukhangへ入ると,50人ばかりの僧たちが続々となだれ込んできて所定の位置に座ってゆく.トップライトが差し込む堂のなかで,やかんの先から甘ったるい匂いのする湯気をふりまきながら,せわしなく小僧さんがバタ茶を注いで回る.高僧とおぼしき人物が一番最後に入ってきて堂の奥に座し,何やらモゴモゴとマントラを唱えて読経が始まった.

どこの世でもちびっ子はちびっ子で,入り口付近の若い僧はどうにも落ち着かない様子.隣や向かいの仲間とおしゃべりが弾み,きょろきょろしたり,あくびをしたり,オレンジ色のキク科とおぼしき花輪を鼻の穴に差し込んで悦に入っているのもいる.そんなところへ,フワフワと白い綿毛が堂の入り口から漂ってきて,どんどんと堂の中央に向かって進んでゆく.トップライトを受けて銀色に輝きだした綿毛を僧たちが見逃す訳は無く,「綿毛,あっちいけフーフー大会」が開始された.小僧だけでなく,もっと奥に座っているいい年をしたおじさんも綿毛に夢中で,必死で食らいつこうとする.が,あまりに盛り上がってしまったので,さらに奥に座っている長老級の僧に見つかって,綿毛を取り上げられてしまった.つかの間の大会の間,もちろん読経は続いている.
始まって30分を過ぎた頃から,だんだんと皆の頭から煩悩が消え,堂の空気の一体感を感じる.時折,僧の頭がキラリと鋭く光ってハッとする.それからしばらくの間,それはそれは贅沢な時間でした,

at インド ティクセ (Tikse) on 22/Sep/1999

Posted by snotch at September 29, 2004 1:26 AM

ティクセゴンパを見上げる沙漠のただ中に,小学校らしい建物がぽつり建っている.ゴンパから宿に戻る途中,下校途中の子供たちがどこからか集まってきた.たとえ1km離れていても,子供たちにとって見慣れない輪郭をした日本人など,ここではすぐに見つかってしまう.遠くの空に続く山々の裾まで何一つ遮るものが無く,ゴツゴツした岩だらけの沙漠の通学路では,かくれんぼも石蹴りもできない.

at インド シェイ (Shey) on 22/Sep/1999

Posted by snotch at October 9, 2004 11:46 AM

レー(Leh)へ戻る途上に,半ば廃墟と化したシェイ・ゴンパ(Lachen Tsuglagkhang)がある.ゴンパのすぐ下に,直径100m程はある池があって,目を凝らして覗き込んでいると,体長20cmくらいの真っ黒な魚が群れをなして泳いでいるのに気づく.いったいどこに食べるものがあるのか?冬の間も生き延びることができるのだろうかと無用な心配をしつつ,動物の気配がほとんどしないこの過酷な自然環境のなか,こんな小さな池の中でお魚君たちが頑張っているのに驚く.

at インド フィヤン (Phyang) on 24/Sep/1999

Posted by snotch at November 5, 2004 3:04 AM

レー(Leh)より西側へ続くインダス川の下流域を下ラダックといい,徐々にインダス川の渓谷は深く険しくなる.レーから西に向かって,最初に出会う大規模なゴンパが,フィヤン ゴンパ(Gangong Tashichodzong).1550年代後半に建立された歴史のあるディグンパ総本山.

at インド アルチ (Alchi) on 25/Sep/1999

Posted by snotch at November 15, 2004 1:35 AM

レー(Leh)からバスに乗り,インダス渓谷を西へ約60km進むと,川幅が幾分広くなり,人為による緑が数キロ四方にわたって広がる地域にでる.サスポルという村でバスを下車して,川の対岸の丘の上に見えるアルチ(Alchi)村までは,徒歩で小一時間ほど.バスの振動でしびれ気味の体を休め,耳鳴りがやんだところで,ビスケットをポジポジかじりながらアルチに向かう.途中,ガキどもに弄ばれて,うつろな瞳をしたロバ君と目が合った.

at インド アルチ (Alchi) on 25/Sep/1999

Posted by snotch at December 13, 2004 11:52 PM

at インド アルチ (Alchi) on 25/Sep/1999

Posted by snotch at January 31, 2005 11:46 PM

世界的な仏教美術の宝庫として有名なアルチ・チョスコル・ゴンパ (Alchi Choskhor Gompa)のあるここアルチは,かつては重要な軍事拠点であったらしいが,今は小さくて静かな田舎村にすぎない.もうすぐ夏も終わりという時期であることもあり,旅行者の数も数える程.夕暮れ時の村はしんと静まり返っている.
細くて曲がりくねった道を散策中に出会った,元気な3兄弟とその母親を自宅の前にて撮影.3兄弟は口に締まりがないが,さすが母親は凛としている.

at インド アルチ (Alchi) on 25/Sep/1999

Posted by snotch at February 10, 2005 1:05 AM

若い僧の案内つきで,アルチ・チョスコル ゴンパ(Alchi Choskhor Gompa)を拝観する.仏教美術の研究者や予備知識が豊富な訪問者であれば,ラダックの最大の見所の一つといって良いと思われる場所だが,もともと目をつけていたわけでもなく,訪問時にはさして期待もしていなかった.平らな土地に広がる境内に配置された堂は木々によって所々覆われており,どこにいても境内の動線が見渡せないので,敷地内に入っても全体が把握できず,寺の敷地内にいるという実感が湧かない.ところが,しばらく僧の案内について詳細を見ていくと,素人目にも今まで見たことないとはっきりとわかる堂,仏像,壁画が次々に現れる.一見地味ではあるが,ディテールに凝ったものばかりである.最も目をひかれたのは,三層堂という意味のSumtsek(左写真).内部には,入り口の面を除く三方の壁面を背にして,高さ4,5mはあろうかと思われる彩色された大仏像が立っており,また,壁という壁が足下から頭上まで千仏画で覆い尽くされているのは圧巻.

at インド リゾン (Rizong) on 26/Sep/1999

Posted by snotch at February 24, 2005 11:56 PM

早朝にアルチ村を発ち,さらに下ラダックへむかってインダス川沿いの渓谷をくだる.行けども行けども,明るい茶色の景色が続く.時折,軍の仰々しいトラックがかなりのスピードで自分の脇を追い越して,あたり一帯に砂埃を舞いあげるが,走り去ってしまうと,またすぐに音の無い世界がやってくる.4時間程歩いたところで.ウレトクポ (Ulle Tokpo)という小さな集落に行き着く.そこで,チャイとビスケットをお腹に蓄えて小休止した後,行く先にリゾンゴンパのある山道に入る.両側に岩の崖が切り立ち,底には小さな清流が流れる谷間をずんずんと登ってゆく.岩と水だけの同じような景色が交互に現れるので,本当に道が合っているだろうかと,途中で不安になってしまう.

at インド リゾン (Rizong, India) on 26/Sep/1999

Posted by snotch at March 15, 2005 1:43 AM

India, Rizong Gompa

 岩石だらけの谷道を一時間程歩くと,谷が幾分広がって明るくなり,川のわきの平地にはポツポツと木が植林されてある.畑として手入れを施した小さな土地もちらほらと見え,人が近くに住まっている気配を感じる.さらに10分程歩を進めると,左手にジュリチェン尼僧院 (Julichen Chomo Gompa)が現れる.チョモ(Chomo)とは尼僧のこと.
 尼僧院を通り過ぎてしばらく後,谷は二手にわかれ,さらに細い谷道に入る.岩だらけの道をしばらく無心に歩いていると,右手の斜面にだけ落石が頻繁に発生しているのに気づく.右手の崖を見上げると,遥か頭上の道なき斜面を,山羊のような動物の家族が歩いているのが見える.おいおいやめてくれと思ったが,そんなことを思っていてもしょうがない.まさか興味本位で落石を楽しんでいるわけではないだろうと信じて,横目でちらちらと彼らの動向を注意深く警戒しながら歩を進める.行く手には何度も何度も同じ景色が折り重なるように続く.しばらくしてだんだんと登り坂がキツくなってきた頃,谷の奥にリゾン ゴンパ (Rizong Gompa) が姿を見せた.

at インド リゾン (Rizong, India) on 26/Sep/1999

Posted by snotch at March 31, 2005 9:56 PM

Rizong Gompa, India
Rizong Gompa, India
Rizong Gompa, India

at インド リゾン (Rizong, India) on 26/Sep/1999

Posted by snotch at May 12, 2005 1:15 AM

Rizong Gompa, India

 岩肌に密集して張り付くようにして,寺全体が複雑な集合住宅のようだ.縦横無尽に通路が張り巡らされ,ある僧坊の天井は,公共の通路になっていたりする.崖の急斜面の限られたスペースに,限られた資源を用いて,これだけの床面積をもった迫力のあるコンプレクスを作り上げてしまう建築の技術は相当のものだと思う.
 一人の僧に案内をしてもらい,Dukhangの内部を拝見させてもらった.高い天井のDukhangの一番奥,中央部には,床に設置された八角形の台の上に,見事な砂曼荼羅が描かれている.一見した印象にすぎないけれど,このお寺の僧達は,皆黙々と自身の修行に励んでいるような印象を受けた.ここまでやってくると,浮き世との遠い距離を忘れてしまいそうなくらい,浮き世と隔絶されているように錯覚してしまう.修行をするしかないのもわかる気がする.きっと修行が無理な人はすぐに山を降りるんだなぁと思い,僧達にお礼を言って,再び元来た道を歩いてウレトクポに向かう.

at インド ウレトクポ (Ulle Tokpo) on 26/Sep/1999

Posted by snotch at June 3, 2005 2:23 AM




山の谷に沿って緩やかにくだり,もと来た,レー(Leh)~カルギル(Kargil)の街道沿いの村,ウレトクポ(Ulle Tokpo)に戻ってきた.既に山の端に陽がさしかかり,夕闇がどんどんと迫っていたので,今日はどこに寝ようかと思ってあたりを徘徊していると,暇そうな笑顔満面のおじさんがどこからか現れる.あれこれと話をしていると,おじさんの親戚がこれまたどこからか一杯集まってきて,畑のなかで撮影大会が始まった.
夕食には,おじさんの暮らす小屋で,トマトとジャガイモのカレーライス,コーヒー,チャン(お酒)をご馳走になった.チャンを飲んでおじさんは酔っ払う.

at インド ラマユル (Lamayuru, India) on 27/Sep/1999

Posted by snotch at June 21, 2005 8:02 AM

Lamayuru Gompa, India

 早朝に目を覚ますと,昨晩の酔払いオヤジはどこかへ行っている.辺りを探して歩いてみたけれど影も見えない.そうこうしているうちに,日に一本のバスが目の前にやってきたので,置手紙と心付けを残してバスに飛び乗った.1,2時間走ると,急峻な崖山をぐるぐると登りだし,緑の全く無い月面世界のような光景が続くようになる.昼前にラマユル付近に到着したのでバスを降りる.
 カシミールへと続く幹線道路から5分ほど崖を下って,勾配が少し緩やかになる谷の部分にラマユル (Lamayuru)の村がある.今晩のために当たりをつけた宿は,村の谷側にあるDragon Hotel.来客シーズンはほぼ終わりに差し掛かっていて,他のお客の気配はなくひっそりとしており,少々寂しいと思ったが,紹介してくれた2階の角部屋がこの上なく素晴らしくて感激.空と緑と土が,煤けた窓から飛び込んでくる.

at インド ラマユル (Lamayuru) on 27/Sep/1999

Posted by snotch at July 3, 2005 4:20 AM



at インド ラマユル (Lamayuru) on 27/Sep/1999

Posted by snotch at July 28, 2005 12:11 AM




ラマユル ゴンパ(Lamayuru Gompa, Yungdung Tharpaling).創建は11世紀とされているが,現在の本堂建物は19世紀にジャンムー軍(ドグラ軍)に破壊された後に再建されたものであり,さして古いものは残っていない.しかし,とにかく印象的なのは,ゴンパの建造物群のある立地とその聳える姿である.ラマユル周辺は,湖が干上がることで数万年前に形成されたといわれている特異な地質形状で,乳黄色がかった岩山の肌が,鍾乳洞をさかさまにしたような形状を成していたりと,日本ではまず目にしないであろう独特の奇観を見せている.

at インド レー (Leh) on 28/Sep/1999

Posted by snotch at August 20, 2005 4:26 PM




しばらくぶりに,LehのTi Seiゲストハウスに戻ってきた.窓の外では,一家総出で,といっても4人だけれど,麦の脱穀作業が行われている.計八頭のロバ君と牛君を横一列になるよう棒に当てがい,麦の実と穂とがよく離れるように足踏みをさせながら,垂直に立った杭の周りを,ぐるぐるぐるぐる廻らせている.ロバ君達は文句一つ言わず,ひたすら足踏みをしながら,杭のまわりを周回する.
ロバ君達の役目が終わると,こんどは人間たちの番.麦藁と麦の実の混じり合ったかたまりを,口笛のリズムに合わせて勢い良く空中に放り上げる.柔らかな夕方の風に吹かれて,麦藁や小さなゴミはフワフワと周囲に散っていき,麦の実だけが後に残るしかけだ.

インド マナリ へ (from Leh to Manali, India) on 30/Sep/1999

Posted by snotch at October 2, 2005 11:22 PM
 しばらくの間お世話なったお礼を言って,Ti-Seiゲストハウスの皆とお別れする.ゲストハウスの居間のテレビの前で,おばあちゃんが「ジャパニー,バーイ.ジュレー」と何度も繰り返し挨拶してくれる.
 マナリ(manali)への今シーズン最終バスはAM5:30発.来たときのマイクロバスと違って,後輪2*2タイヤの大型バスなので,おんぼろだけど乗り心地が格段に良い.それから,運転手のオヤジも一級のプロフェッショナル.来たときの頼りない少年と違って,5000m級の山々の合間をぬって,平地を行くかの如く猛スピードで走る.

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インド マナリ へ (from Leh to Manali, India) on 30/Sep/1999

Posted by snotch at October 3, 2005 2:13 AM

- Serchu -
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