家の前の通りに止めた自転車のかごには、しばしばゴミが放り込まれる。
今朝はピンク色の四角い物が入っていた。アダルトビデオの外箱だった。どっからどう見ても一瞬でそれと分かる、白衣を身に着けていたりいなかったりする看護婦さんの写真がいっぱいのデザインだった。捨てた人のことを考えた。「・・そりゃ、こんなん持って帰るの恥ずかしいよね、家にこんなんあったら一発でバレるしね」。
で、何でこんな外箱なのか考えた。お店に並んでいる時の差別化くらいしか、思いつかなかった。だってこれと決めた後は、こんなに分かりやすい物を持って歩くの恥ずかしいでしょう?違うかなあ・・。だから、例えば外箱は二重にして、パッと見は普通のビデオテープにするとか、選ぶ時はプラケースに入ったサンプルで、実際手にするものは写真無しにするとか、考えてあげた方がいいんじゃないかな、なんて思った。
と思ってから、今考えるべきはどうやってこの箱を始末するかだったと思い出した。郵便受けに入っていたマンションの広告で箱を包み、近くのコンビニのゴミ箱に捨てた。朝日の下の白衣や裸体は、とても白々しくて嘘っぽかった。
そして昼、湿布を買いに行った薬局で、レジに大正製薬の軟膏のサンプルが山積みしてあるのを見つけた。「痛み・出血・はれ・かゆみに」と書いてあった。マラソンで作った足裏の怪我に良さそうだと思い、「これ、頂けるんですか?」と聞いたら二個くれた。家に帰って出してみると、箱の左上隅に、「痔の」(「痛み・出血・・」)と書いてあった。気付かなかった。
普通っぽい外観のアダルトビデオを、そうと知らず手にしてしまう誰かがいるかもしれない。あのド派手さは、「それでも観たいあなた」にだけ渡す為の、注意書きなのかもしれないと思った。
today's lunch
きのこ鶏のリゾット・コーン肉詰めピーマン・そら豆と油揚げとニンジンの炒め物・金時豆・レタスサラダ・そばぼうろ
南へ、南へ、南へ。マレーシアへ。
(タ)Koh Tao(タオ島)→スローボート→
(タ)Surat Thani (スラタニー港)→乗り合いバス→ミニバス→
(タ)Hat Yai(ハジャイ)→バイク・タクシー→ワゴン→
(タ)Sungai Kolok(スンガイ・コーロク)→徒歩(国境の橋)→
(マ)Rantau Panjang(ランタウ・パンジャン)→タクシー(マレー人が乗せてくれた)→
(マ)Kota Bharu(コタバル)
コタバル。強烈なイスラム色のこの街では、Tシャツ姿がいたたまれなくなる。布に優しく包まれた女性達の体は、とてもふくよかだ。色とりどりの布が闊歩する街中は、人間が身に付けられる色はこんなにもたくさんあったのだと思い出させてくれる。
朝、プリントアウトされたネットニュースがばら撒かれた。でもニュースを見て騒いでいるのは旅行者だけである。タオには、アメリカが爆撃されたって、何の灰も降ってこないのだ。
そんなわけで、相変わらず平和なタオにて、日がな一日のんびり過ごした。
今夜はスローボートで、南のSurat Thani (スラタニー港)を目指す。船内泊。
出航間際に乗り込むと、上のザコ寝部屋は既に満杯。地元のおばさんが私に「下へ行け」と身振りで示し、船員に何やら指示する。すると船員が連れて行ってくれたのは・・・碇やロープの積まれた物置らしき場所。そこは押入れを一回り大きくして襖を取り払ったようなスペースが並び、ロープ類の間は結構広く空いている。そこで寝ろと言ってくれている。一瞬ためらったが、上の激せまよりいいかなーと、押入れの上段にあたる位置に上がってみて唖然。壁が、無い。押入れの奥の壁が全く無いものを想像して下さい。その向こうは、海である。
柱に足を絡ませて、荷物を枕に横になってみた。こえ〜っ。しかし、寝転がって斜め上に目をやると、満天の星空が見える。ある意味すごく贅沢かも、と思ってしまった自分にあきれた。
そんな状況で爆睡してしまった自分にもっとあきれた。枕にしていた荷物と自分は、いつの間にか際どい所へ転がっている。慌てて起きて、固まった。脇にロープが積んであったのだが、そこに(比喩でなく)ギラギラと目を光らせた恐らくは船員が一人、頬杖をついてじっと私を見ているのである。大きく息を吸って、周りを見渡した。人がいっぱい寝ていた。きっと私が、その男のいつもの寝場所を奪ってしまっていたのだろう。ありがとう、と言って甲板へ上がった。ドキドキしていた。
雨の中、足を引き摺りながら、浅草酉の市(※)へ行きました。
とにかくすごい人だった。傘のせいで体感的には人数が倍増しているのだろうが、それにしてもこれだけの人が、大半は単なる冷やかしではなくこの神社を訪れていることに、少なからずショックを受けた。「商売」をやっている人が、これだけいるのだ。まだ。
行く道すがら、神社帰りの人が持つ熊手を見て、値段を予測した。「3万円」「いっやー、2万円くらいでしょ」・・・3万円程度ではすごく謙虚な、ミニ熊手しか買えない。(定価があるかどうか不明だが。実際「勉強しとくよ〜」の声がかかる。しかし、商売繁盛を祈願する熊手を値切っていては、その年は捨てたようなものか。)一般的なサイズは、こぼれ聞いた所では、25万円。ものすごい原価率!付加価値というか、熊手にお金をかける行為を買っている、というか。
ただ、去年購入した「用済み」熊手がゴミの山となり、特別出動のゴミ収集車にバキバキ〜ッと飲み込まれていく様子に、商売の現金さを感じずにはいられなかった。
そして、こんなお祭りでもお賽銭は10円投げただけの私。白銅貨にしないで、自信を示したつもりだけど。。
※先月購入したメトロカードの図柄が「酉の市」であり、日本武尊が11月の酉の日に勝ち戦を祝って武具である熊手を備えたことに由来するお祭りが、近所の鷲神社(「おおとり」神社。この読み方を堪能できる自分、日本人だなあ)で催されることを知った。築地でも同じく酉の市が行われていることからも想像できるように、ここでは主に商売繁盛を願って、おかめさんや金ピカ小判や七福神がギッシリ盛られた竹の熊手(「かっこめ」と書かれていた。お金や福を「掻き込め」?)が売られている。人を突いていた熊手が、福を呼び寄せるお守りとなる・・えらく平和になったものだ。
この日が、来た。もちろん、誰一人として、「この日」なんて意識していなかった。
2001年9月11日。
私にとっては少し特別な日だった。30mまで潜るディープダイビング、真っ暗な海に潜るナイトダイビング等を経てアドバンスのコース終了、晴れてアドバンスダイバーとなった日だった。それはKoh Tao 最後の夜を意味していた。
いつもは「裏屋台」の愛称を持つ近くの安食堂だが、今日は祝勝会も兼ねてちょっと高級なメキシコ料理店で夕食をとっていた。店にはテレビがあり、この旅で初めて電波に乗って飛んできた映像を見ていた。
と、突然画面が切り替わり、見慣れたツインタワーからもうもうと黒煙が上がるシーンに。皆、映画の1シーンだと思っている。2テンポ程遅れて、近くの席にいた恐らくはアメリカ人が、ダダダーッと一斉にテレビの前へ駆け寄った。「where in america!!」「 my gosh!!」
「whereってねー、どう見てもNYやんなあ」「ねえ、これってニュース??」ダメ日本人約2名。pentagon・ trade center ・hijack ・kamikaze といった単語が耳に入ってきて、いやがおうにもとんでもない事態を想像してしまう。「えらいことなんとちゃうん」「うーん」
しかし、周りはとんでもなく平和なのである。静かなのである。
足の裏は血の海。痛めていた右膝は曲がりません。体のあちこちが下着で擦れて、血が滲んでます。
河口湖マラソン。4時間半でした。
マラソンって何なんだろう。日本のスポーツで他に、これだけの数の人間(今回は1万人の老若男女が参加)を一つ所に集める力を持つものがあるだろうか。そんなに魅力があるだろうか。大抵の人は「ウゲッいやだ」と思う狂気の沙汰的行為であるにも拘わらず。。
1つ感じたことは、例えば輪にした紐を持ち合って、一緒に走っている老夫婦がいるわけです。週に何度か、二人で走る。単調な毎日に、目的と行為が生まれる。それはいいものかも、と。
しかしその他は皆、単なるマゾだろーって、思ってしまった。
引き続きアドバンス(ワンランク上)のコースに申し込む。ダイビングショップに常備の「体験者ノート」に頻出のコメント、「オープンウォーターだけのつもりだったのに、はまりました!アドバンスまで取っちゃった〜」。まさにそれである。
特に興味のあった水中デジカメ写真。カメラの反応の遅さを考慮して、魚の動きを予測して構える。たまに、真正面から見た何とも滑稽でカワイイ魚の顔や、岩からちょこんと除いた尻尾が撮れる。しかし、これはというものが撮れたのはウニの肛門くらいだった。何でまたウニは、こうも肛門を美しくする気になったのか。そして、それと同じくらい美しかったのが、気泡。上を向いて、自分の吐き出す空気を撮る、撮る、撮る・・・ふと気付けば、水中にあった泡が水上の空気に重なる瞬間が見えた。急浮上はスキューバで最大のご法度。体内に溶け出していた窒素が、急激な減圧で過飽和になって気泡となり(炭酸飲料の蓋を開けた瞬間のように)、血管を詰まらせたりする。同じ気泡でもえらい違いである。水中滞在時間が短かったからか私は何とか無事だったが、ウニの肛門に見とれていた生徒が突然浮上して見えなくなったわけで、インストラクターさんには多大な心配をかけた。
ロングボートが、沈んだ。
3,4本目を潜ってオープンウォーターコース終了、即席ダイバーとなって浜に戻る時のことだった。
そもそも初日から、船からロングボート(沖合担当の船と、浜辺付近担当のロングボート)に乗り移る瞬間、大きく傾くボートにヒヤヒヤし通しだった。走り出してからも左右にグワングワン揺れ、しかし紙一重の所で水面がボートの縁を越えない様子に、「奇跡のロングボート」と密かに感動していたくらいだった。
しかし、大きく太ったアメリカ人が勢いをつけて乗り込んできた瞬間、それは奇跡ではなくなった。大きく傾いて大量の海水を掬ったロングボートは、定員の半分も乗せずにエンジンをかけられ、猛スピードで発進。私たちは手で、足首まで迫る海水を外へかき出した。全くコメディーだ。
けれどそんな努力空しく・・・まさにタイタニック。まず重いエンジン側、船尾から傾いて沈んでいく。船頭は徐々に持ち上がり、直立に近い姿勢で、ぶくぶくぶく・・・。
しかし全く私はと言えば!右手に握り締めた袋の中のコンパクトカメラ。旅の最初に無くしたくないものベスト5のカメラ。その右手から意識を逸らさずに、皆のダイビング器材が積まれた船頭へ移動し、ゆっくり沈みながら浮きになりそうなBCD(ジャケット型の浮き袋)をつかみ、脱げたビーサンを拾い、右手を高く上げながら立ち泳ぎで岸を目指して・・・駆けつけた救助ボートに沖に戻れと言われ振り返ると、まあ一隻のボートでよくもここまで散らかしたもんだ、の大騒ぎになっていた。
運が悪かった。最終日ということで、私たちをビデオ撮影する部隊が一緒だった。「Fucking my camera...! and why my cigarettes are all alive!!」高価なビデオカメラがパーになったアメリカ人の怒る様子は大迫力。最後まで防水ケースに入れて注意しておくべきでしたねえ。私のカメラは、aliveでしたの。
BARRACUDA
strange half-raw fish
today's lunch
親子丼・里芋とピーマン&ウィンナーと豆腐のグラタン・コンニャクとニンジンの煮物・金時豆・野沢菜漬け
昨日学科の1〜3章、今日4、5章を詰め込み、すぐさまテスト。50問中46問正解で合格。海中深くに潜る危険行為に関する知識が、こんなにも早く身についていく。・・・のか?
そしていよいよ実際のダイビング。耳抜きが出来ないと、耳の中に誰かが別世界の為の空間を作ろうとして空気のドリルで攻めてきているような圧迫感を感じる。もんのすごく痛い。また、陸上では意識しなくても息しているが、逆に水中では、意識しなくても息を止めてしまうものらしい。耳抜きに気をとられていると、息をするのを忘れてしまう(私だけかも)。そして、自分の行きたい方へ自分の体が動かない初めての経験。ずっと昔にスーパーマリオで初めて海に潜った時、操作が下手でマリオが激しく上下に移動してしまった、あの時のマリオみたいだった。
SEAFOOD PIZZA, INDIAN TOFU(why?) CURRY, SAMOSA (@seaside restaurant)
today's lunch
あさりごはん・タンドリーチキン・はんぺんのチーズはさみ焼き・ピーマンとウィンナーとコーンの炒め物・ニンジンのグラッセ
早速オープンウォーター(ダイバーへの最初の一歩)コース開始。ビーチの浅い所へ潜って練習する。「水中で息をする」経験は、シュノーケリングのそれとは全く違った。「限りあるものを吸っている」感が強く、実際にそうなのか心から来るものなのか、すごく息苦しい。ダイバーの卵たちの水中での動きは、お笑いビデオをスローモーションで見ているかのようだ。ゆ〜っくりとバランスを崩し、ゆ〜っくりと海底で尻もちをつき、ゆ〜っくりと砂が巻き上がり、ゆ〜っくりと起き上がろうとして失敗、またゆ〜っくりと後ろに倒れていく。それが可笑しくて酸素を無駄に消費して笑ってしまう。すると相手も自分を見て笑っている。いつの間にか一人浮き上がってしまっているのに気付く。
水着を持っていなかった私は、ウエットスーツの下に普通のブラとショーツをつけていたのだが、やはり船上での着替えに苦労した。カオサンで買っておくべきだったと後悔しながら、島の小さな商店街に行ってみる。と、古着屋らしきお店を見つけた。入って物色していると、店の人が何やら顔をしかめて怒ってくる。この島では、殆どのお店の入り口で靴を脱いで上がらないといけなかったのだ。これはタイの文化なんだろうか。他の町ではあまり気がつかなかったが。で、ビーサンを脱いでまた物色していると、まだ顔をしかめている。・・・クリーニング屋さんだった。
ONIGIRI (Thai&Japonica)
NOODELE SOUP WITH CHICKEN (plain taste)
河口湖マラソンが、次の日曜に迫っている。私は何故か・・・フルの部に出場する。
殆ど練習も無しに42kmに挑戦する無謀さを憂えて、先日、浅草から埼玉県草加市まで走ってみた。走ってみた、なんて簡単なものじゃなかったけど。たまたま4号線に「草加」の標識を見つけ、行ってみようと思ってしまって、失敗した。意地で辿り着いた時には足が取れそうだった。深夜に4号線を、トボトボ歩いて戻った。そして案の定、膝を痛めた。
会社の変則スケジュールで、マラソンの24日は出勤日にあたる。それを休んで、痛めた膝を引き摺って。。
でも、このおバカ行為で一つ分かったこと。神社って有難い。お金も持っていなくて喉がカラカラだった時、神社のお清め水の美味しかったこと!!(しかしこれ、もしかして循環してるのかしら。最初水が出ていなくてガッカリして、うがいだけでもと溜まった水を掬うと、チョロチョロと出てすぐ止まった。もっと掬ってかき出すと、チョロチョロチョロと出た。掬った水を、貯水石の下に捨てると、もっと効率よく出た。あの時はセンサーだと思って(笑)バシャバシャ捨てては出てくる水を飲んだけど。。)
Koh Tao行きのスピードボートの出発時刻7:30まで、1時間半ほど待つ。ここはちょっとした戦場だ。Taoにあるダイビングショップの勧誘のオバサンたちが、パッカーたち一人一人に声をかけて回る。かわいそうに私たちの殆どは既にバンコクで予約してきているため、彼女らの頑張りは殆ど空振りだそうだ。ということを、一人のオバサンが大勢の西洋人に一生懸命説明しているのを聞き、知った。どうやら彼女は、ボスに怒られてこの役回りになり、こんなに早起きして頑張ってるのに、全然お客を捉まえられないから島に戻らせてもらえない、と言っている。決して流暢な英語ではないのに、あの迫力。あの度胸。・・・タイ人の特徴としてこれから強く実感していくことになるのだが。
港を出るとしばらくは、洗濯物がいっぱいの、生活感を満載した大きな船が停泊する光景が続く。Taoに着くと、初の乗り合いトラック(荷台)で振り落とされそうになりながら、ダイビングショップ、Big Blueへ。ココナッツの殻を笠にした電球や、潰れたカエルみたいな格好でコンクリートの床に寝そべる犬、椰子の木越しの海に沈む完璧なまでの夕日。皆が「裏屋台」と呼ぶ安食堂のオジサンがバナナ2本とミカン1個をくれた。このリゾート島を堪能する心積もりが出来た。
PAD SEE-EW (flat-wide noddele with squid & veg.)
RICE SOUP CHICKEN (zousui with chicken & raw egg)
逃げ腰な自分にあきれながらも、今日の晩にここを発って Koh Tao (タオ島)へ向かうことに。しかし去ると思うと愛しくなるもので、バンコクを楽しむ気分になった。
初々しい顔で歩き出すと、早速トゥクトゥク(=オート三輪)のおじさんに「今日はBuddhist-Dayだよ」(※)と声をかけられる。気合を入れようと、ブリッジで締めるアクロバティックなタイ・マッサージを受けた。「ねえちょっとexcuse meなんだけど、ここでexchangeできるぅ?」とタイ人に話しかける女の子を見かけて、真似してみた。いわゆるアジアを旅するのは今回が初めてなのだが、アメリカやヨーロッパに比べ、どこかトンチンカンな面白さを感じる。
夜になり、ミニバスとVIPバスを乗り継いで、Chumphon(港)を目指す。休憩地点で乗客の3分の1ほどを残したままバスが出ようとしたり、VIPバスのレシートを1枚しか持っていなかった2人連れの日本人が、1人しか乗せないと言い張る運転手と流血の乱闘になったりと、周りではいろいろなドラマが起こっていた。しかし私には、セブンイレブンで買った、モッチリとしたタロイモパンの美味しさに心を奪われたままでいる余裕が生まれていた。
※「Buddhist-Dayだから、無料開放される"Lucky Buddha"等へ無料同然の額で連れてってやる」と言って乗せ、宝石店などに連れて行くお決まりパターン。ガイドブックには、そこで高額の宝石を買わされる被害がたくさん書かれているが、実際は、ほんとにいくつか名所を回ってくれるし、宝石店でも「いらない」の一言で解放されるしで、無料タクシーとして使えて便利。・・と、後にわざと乗ってみた私の、たまたまラッキーだっただけかもしれない、無責任な印象だけど。
何故なのか自分でも分かりかねるが、私は毎回 'travel blue' に陥る。
2ヶ月前には毎晩ドキドキしながらe-travelを楽しむのに、出発の日が近づくにつれ、旅を決意した自分自身を信じられなくなるほどに気が沈む。
しかし、日常から非日常への移行儀式のような成田へ向かう長い時間に、徐々に億劫さは払拭され、純粋な興奮と共に成田に着く。
というのがパターンだ。
今回もそのパターン通り、travel blue の私がいた。地図帳の東南アジアと南アジアと東ヨーロッパのページをカラーコピーしただけ。出発直前に徹夜で荷物を詰め込む。実家の岐阜から、住之江のおばちゃんの家に一晩お世話になり、帰り時期を言い出せないまま、関空へ。
・・・あれ。移行儀式が短すぎたか。はたまた今回は6か月だという気負いのせいだろうか。まだtravel blueだった。
最後まで日常にしがみつくかのようにドクターマリオに没頭していると、あっという間に、ねっとりとしたバンコクはDonMuang空港に着く。
現地人利用のバスで十分すぎる洗礼を受けて、カオサンへ。国籍関係なく、からまった毛糸玉みたいな頭をして、洗ったらよく色落ちしそうなタルタルの服を着て、穴だらけの体にピアスをひっかけたパッカーたちが、国籍ごとに屯している。
お寺の近くで、野良犬が二匹、結ばれたまま離れなくなってキャンキャン鳴いていた。三匹目がその結合部分に鼻をくんくん寄せていた。無感動にそれを眺めて宿に帰り、無感動に水シャワーを浴び、水道水を一滴たりとも飲み込まないように気をつけて歯を磨いた。
・・・あまりに使い古されたスタートをとったことで、一連の旅作業をこなしている、という感覚に襲われていた。。
sunouchiさんだけかと思いきや、saigaさんまで 「旅してた僕」を思い出している。
でも、毎日日記をつけるという、日本の日常ではとても考えられない偉業を、いとも簡単に達成させてしまう非日常、旅。心のいろんな部分を酷使しながら感じたことや考えたことは、今振り返るとまた別の解釈が出来たりする。だから、今の自分がここに書き直すことは、単純な昔懐かしみ作業とは違う気もする。
というわけで、asummer よ、お前もか・・・
まあ女の一人旅だから、ちょびっと感じも違うでしょう。
34レーンに散らばった217名を相手に、手作りの花をいっぱい体に付けて
会社の新人企画ボウリング大会の司会をした。
うーんあれだけ大変だったのに。
苦労して喧嘩して心配して・・・全部消えちゃうんだなあ。
女性が出産に複数回挑戦できるのも同じ?
もし終わり方が悲惨だったら、つらい思い出はそのまま残って、
もう二度と手出ししなくなるんだろうか。
today's lunch
野沢菜チャーハン・野菜炒めオムレツ・しゃぶしゃぶ肉のキャベツロール・ピーマンとシイタケの煮物・スィートコーン・ニンジンのグラッセ・金時豆
「お花紙」で花を作っている。
藤色の紙を10枚蛇腹に折り、中心を輪ゴムで止め、両端をハサミで斜めにカットする。
そして、一枚一枚開いていく。
二箇所カットしただけ。
これで、全体に花びらの形のギザギザが生まれる。びっくりするくらいゴージャスな花になる。
ある行為がどれだけ大きく他に影響するかを知っていると、
ずいぶん有利になるもんだ。know how の上へ。
ところで、この「お花紙」を求めて行った、浅草橋の「シモジマ」。
頭からつま先まで、紙や袋やリボンや・・・卸用の包装材や事務用品や装飾品などなど。
鼻息荒くして長時間滞在。会社員らしき人や熟年女性で溢れ返っていた。
today's lunch
あさりごはん・ピーマンと唐辛子卵焼き・コーン肉詰めピーマン・空芯菜ともやしのナンプラー炒め・ウィンナー・ニンジンのグラッセ・黒豆
today's lunch
枝豆とコーンの混ぜごはん・野沢菜卵焼き・きのこ鶏・バジルグラタンチーズのせ・手綱コンニャクとニンジン・カイワレサラダ
today's lunch = 今日のお弁当の中身:
作る限り書ける。書くために作る。
私が何かを続けるには、こうした相互依存の関係が必要だ。