2002年11月28日

9月15日はプエルト・エスコンディード

さてさて、場所は変わって、夜行で太平洋岸の小さな町puerto escondido-プエルト・エスコンディードにきた。
メキシコシティー、グアナフアト、オアハカと2000m以上の高所にある都市をまわった後の訪問。

Ruta-ルート
oaxaca-(pochutla)-puerto escondido Autobus N$179 primera

夜行バスの中は異常に暑く、汗だらだら、混んででいた。
それは、一気に2000mを下り、海辺の町へ来たからだった。

サーフィンでとても有名な人口4万の小さな町。
くそ暑くてうれしくてうれしくて。
やっぱり、暑いほうが良いな。開放感抜群。
裸の人々に囲まれるぜぃ。
ENDLESS SUMMER


メインストリート。
何もかもここに集まる。ここから始まる。小さな町。

メキシコ独立記念日の前の日
この日の夜はどこの街でも盛り上がる。
特にメキシコシティーは半端ないと聞く。
わたくしはこのように残念ながら、小さな町に来てしまったため、実感できず。
飲み屋で、騒いでいる人たちを眺めながら、夜をすごしました。

Posted by momo at 11:46

2002年11月27日

9月14日はモンテ・アルバン

墨西哥にはたくさんの遺跡がある。(のは皆さんも知っているかと思われますが。)

遺跡は好き?
私はそれをイメージしたりやそれに関するお話で聞くのは好きなんだということに気づいてきた。
実際に遺跡を訪れても、深い知識もなく、昔ものであり、ほとんどの場合それはあんまり使われてないから、フーンで終わってしまうから。

でも、いくつかいままで行った遺跡の中で、よかった!と思えるものがあった。
それはどうしてそう思ったのだろうか?検証してみよう。

結論
検証を省略してしまったが、とにかく私はこう思う。
すばらしい遺跡は、その立地がすばらしい!、ということである。
やはり、それ自体にはなかなか感動できないのかもしれない。
そこにたどり着くまでの道のり、そこから見ることのできる風景、それらが大きくその遺跡の評価に懸かっている。

というわけで、今回も遺跡にはたいした興味なく、oaxaca-オアハカ近くのmonte alban-モンテ・アルバンへ。
だけど、すごかった!久しぶりに遺跡で感動。
グッドヴュー、ワイドヴュー、ファンタスティック。
この遺跡、オアハカの盆地の真ん中に少し高い山がある、その上にある遺跡で、まるで空中に浮いているような感覚。
いろんな町の見渡せる。
カラッとした感じの芝の緑と作り直された遺跡とその周りの景色が合わさって見事だった。
VIVA MONTE ALBAN!(略してビヴァモン!である。)

オアハカの街の様子
9月16日はメキシコの独立記念日だ。
それに向けて、街がどんどん盛り上がっていた。
ソカロ(町の中心部のブロックのこと)周辺には夜になるにつれ、いつの間にやら多くの屋台が並びだす。
コピーCD屋、ハンバーガー屋、みやげ物屋、石屋、旗屋、・・・。

独立記念日とはまったく関係ないだろうが、よく酒屋で試飲をしていた。
その前を通るたびに声をかけられ、飲まされた。

オアハカチーズ
ご存知だろうか?
チーズが有名なのだ。
裂くチーズが日本でもあるけど、それのものすごく長い版で、それを球状に巻いたもの。
まぁ、いわば、セパタクローのあの編み込み度が内部までぎっしりと詰まっている状態だ。
食べていると、とてもイトオシクナッテシマウのである。

Posted by momo at 08:23

2002年11月26日

9月13日はフアン

これもまた、ある人の名前だ。

ここは、昨日からの移動の連続でようやく辿り着いた、オアハカはAU社のバスターミナルである。
大きな街にはバスターミナルがあり、そこから発着するのが常であるが、地方へ行くと、各々の会社がバスターミナルと称した場所を保有しており、そこで発着が行われる場合が多い。
今回もそういうわけで、出発はターミナル、到着はカンパニーターミナルであった。

ここからterminal to centroへの悩みが始まる。
地図で自分の居場所が確認できない場合、これは非常に深い悩みへと変わる。
太陽を見て方角を確定し(出てないときはつらいよねマジで)、自分の勘をたより、現地人を頼る。
(彼らの知ったかぶりは、大きく私たちの後の行動を左右するので、とっても気を使いながら彼らを解釈する必要があると思う。)
けっして、タクシーなんか使ってはいけないという先入観付きで歩き出す。

彼のフル名前はJuan Angel Torres Ramires。
この街のUniv.I.C.E.U.A.B.J.O.に通う大学生。
そこで語学と・・・?を学ぶ。
痩せ型で、見た目は少々気が弱そうに見えるが、自分のやり太たいようにことを進めていくのが、彼の特徴である。
また、キャップをかぶり、飄々と歩くスタイルを美徳としている。に違いない。
そして、彼のメールアドレスにはlennonとあるのでジョンレノンのフアンだ。

歩き出したものの、やはり迷ったらしい。そこらを通るバスにセントロへ行くかと尋ねても、行かないという。
遠いか近いかさえ分からない。
バス停らしいところで、どうしようかと困っていた。
そこに彼が現れた。フアン君である。
彼は僕らが何処に行きたいかもうすでに分かっているようで、連れて行ってやるから、ついて来いと言う。
何か彼には秘策があるのだと信じて、着いていくことを決心してしまう。

軽いステップで、ずんずん歩く人の後に、バックパックを背負い必死でついていく風景が、どれだけ続いただろうか。
マイペースへ引きずり込む、コミュケーションは成立せず。
異常な運動量の後に、街に着いた。秘策はひたすら歩いてオレについてくることだった。
疲労感マックスの中、彼は自分が何をしているのか、大学、教授などなどを紹介してくれた。
あのときは、申し訳ないけど上の空だった。
そういえば、昨日は夜行バスで、寒さのため寝不足だったなというマイナスポイントのことは思い出した。

本当に申し訳ないけど、そろそろ私を自由にしてくれと伝え、宿まで送ってもらい、そこで別れたのであった。
3時間ほどの彼との時間、大変濃いものでありました。
フアン君本当にありがとう。

Posted by momo at 04:39 | Comments (2)

2002年11月25日

9月12日は移動

この日は移動。移動。

Rutaールート
guanajuato-autobuses del norte,ciudad de mexico,d.f Autobus N$195 economico
autobuses del norte-(la raza)-(hidalgo)-revolucion Metro N$2
revolucion-(pino suarez)-san lazaro Metro N$2
terminal del este-oaxaca Autobuses N$197 economico

ようは、グアナフアトからメキシコシティー経由でオアハカへ行った。
やっぱ時間がかかるね、二等はさ。
移動しているとき、とても気持ちがいい。わくわくする。
もっと、もっと移動について考えていこうと思う。

Posted by momo at 00:57

2002年11月24日

9月11日はクリストフ

thanks

補足
ミイラ博物館・・・museo de las momias とにかくミイラなどまったく見たくなかったが、なぜか行ってしまった。
           無数のミイラに囲まれて、気分は優れず。どうしてこんなにもミイラになっているのか?
           博物館の周りにはそれに関するグッヅが売られているが、まったく要らなかった。笑えず。
           エジプトの考古学博物館以来の気持ち悪さだった。学生料金N$14なり。

昼ご飯・・・・・・・博物館からの帰り道、トルタス屋で飯をいただく。トルタスとはスペイン語でtortasと書き、いわばサンドウィッチのようなもののこと。
          比較的固いパンを半分にして、その間に肉や野菜、マヨ、チリなどを挟んだもの。1つでもなかなか腹が満たされる.肉の内容によって値段が違うが、大凡N$10-20んなり。うまいよ。
          この料理を勧め、教えてくれたのは、メキシコシティーで両替をしたときの、受付のセクシーなお姉さんでした。ありがとう。

廃坑跡・・・・・・ここは、前にも書いたように、炭鉱で栄えた街。その名残で、跡が観光収入源となっている。
          私たちはそのひとつvalenciana地区のbocania san ramonという炭坑を訪れた。N$20なり。

教会・・・・・・・・炭坑と同じvalenciana地区の教会。修復中だった。クリストフはここで大便をする。紙がないのに・・・。

夕食・・・・・・・・教会から街へ帰り、クリストフと別れ、別行動。夕食を食べる約束をする。
          グアナフアトの中心部のあるレストラン、私はbistec de la mexicana(N$28)をいただく。うまい。
          そのほか、
          会計のとき、彼は金がないと言い出し、ATMへ去っていった後姿を見たとき、やられた!と思った。
          すごく時間がかかったが、しっかりと戻ってきた。
          彼もそれを想像して、戻ってこないと思ったでしょ、と言ってくる始末。なんとも!である。

彼の宿・・・・・・夕食後、彼の宿に遊びに行った。そこは少し上ったところにあって、ものすごい夜景が見られた。感動。
          それにもまして、宿の子供たち(二人姉妹)がとってもキュート!ラブリー。正直、サラッテ行きたくなった。
          彼女達といろんなゲームをして、楽しむことができた。感謝感謝感謝。

私の宿・・・・・・それに比べて、寂しいものだ。日本人ばかり詰められたドミトリー。N$90。シティーの2倍以上もする。
          夜のみんなとの会話なんかは楽しいけどね。

Posted by momo at 15:59 | Comments (2)

2002年11月23日

9月10日はグアナフアト

ついに!
一週間メキシコシティーに滞在してしまった。
いつもの自分のスタイルは”移動”。
でも、近頃自分が変わってきたのかもしれない。
滞在もできるようになった。メキシコシティーはそれでも足りなかった。
もっともっと居たかった。それだけいろいろある2000万人の大都市なのだ。

Ruta-ルート
revolucion-(hidalgo)-(la raza)-autobuses del norte Metro N$2
terminal central autobuses del norte-guanajuato Autobus N$196 efectivo 10:00s

GUANAJUATO-グアナフアト 標高2000m 人口14万人
2等のクラスはいろいろな町にいちいち止まりながら、目的地を目指す。
おかげで遅くなる。お金を気にしているうちは仕方がないことさ。
前にも書いたけど、termimal to terminal の移動はとても簡単なのだ。飛行機のように。
初めての町で terminal to cento これが難しい。
必死に方角、目印の建物、時間など気にしながら乗るバスはとってもつらい。
まして混んでいるときなんて、目的の場所に降りることは容易ではない。
例により、camion-ローカルバスでcentroを目指す。
やっぱり乗り過ごした。見事に失敗。ドンマイ。

ここは町が世界遺産になっている。
こじんまりとしていながら、飽きることのない、安全な町に見えた。
メキシコのコロニアル都市のなかで最も美しいとされる。もともと鉱山で発展した町である。
特徴は、古くからこの町にあった地下水路を道路代わりに利用していて、至る所に穴が開いていることだ。
地図には点線でかかれた道路がたくさんあるのはこのせいだ。

Al pipila
この町を見渡せる丘。ロープーウェイもある。ここに登る一日だった。ごらんあられい。
DSCF0013.JPG DSCF0017.JPG DSCF0015.JPG DSCF0018.JPG DSCF0020.JPG DSCF0023.JPG 


Posted by momo at 10:37

2002年11月22日

9月9日はトラルパン

はい。今日はtlalpanというところに行きました。
ここはメキシコシティーの南側。
昨日のメキ大よりも南です。

前置き
今日の目標は、またまたluis barragan-ルイス・バラガン作の建築を訪ねることです。
そもそも、日本にいるときからこの建築を見たいと思っていましたが、情報がなく、いけないかもと思っていました。
ところが、先日旧バラガン邸、現バラガン財団事務所を訪れた際、尋ねてみるとなんと地図を手渡してくれました。
こういうつながりはまさにロールプレイングゲームのようでありまして、楽しいんです。
しかし、それは拡大されていて、建築の周辺部の情報しか記載されていませんでした。
きっと地図をもらったことにウカレテ、行き方なんて聞かなくても簡単に辿り着けるぜくらいにおもってしまったのでしょう。
行き方などまったく聞かずに、その場を離れてしまいました。
ところが、それがトラルパン地区にあるというのはわかるのですが、それがメキシコシティーのどこにあるかを知らなかったのです。
ペンションアミーゴの食堂にある、シティー全体図でひたすら、探しました。
なんせ、部屋が十分明るかったらいいのですが、明るさ不十分、地図でかすぎで、それはもう大変な作業でした。
しかし、ワーカホリック状態でひたすら探した結果、トラルパン地区を発見!
この感動は計り知れません。
そして、さらにそこからもらった地図に記載されているメイン道路の絞込みを始めました。
もらったほうの地図には方角すら載っていないので、それを確定できずウォーっていう感じでした。
もちろん縮尺もわからない。

人間はやはり思い込みが必要なのだと思います。
必ず自分の思いのあとにはその実現がやってくるという思い込みが。
見つかると思ってやらなければ、見つからなかったでしょう。
i did it! well done! good job! 自画自賛です。
なにかクリアした喜びです。

みなさんもやってみますか?
手順1 tlalpan(トラルパン地区)を探す。
   2 環状線periferico surを探す。
   3 それと交差する大きな道viaducto tlalpanを探す。
   4 その通りとほぼ平行して、少し小さいが、大き目の道calzada de tlalpanがあります。
   5 その通りを南に進nでsan fernandoという道と交差するところを探す。
   6 そこから2つ目の通りhidalgoの43番地です。

みんなわかったかな?大変だよね。
もしくはネットで簡単に調べられた?どう?どう?

失敗
実は昨日メキ大に行く前に、ここを訪れたのですが、日曜日は見学不可ということで門前払いを食らわされていたのです。
だから、メキ大へは南側からアクセスしたというわけです。
見学時間を教えてもらい、また明日行くと告げて、メキ大へ向かったのでした。

capilla de las capuchinas sacramentarias en tlalpan 1960年
午前中の訪問。
ブザーを鳴らす。
ここのファサードもまったくこのあたりの他の住宅と差異があまりないので、住所を番地までわかっていないと区別がつかなかったと思います。
シスターが出てきました。
おばあちゃんです。
が、予約はしてあるかと聞いてくるのです。
予約が必要なら昨日来たときに予約していけと教えてくれればいいのに!
強引に見せてくれ!と熱く、しつこくしてたら、見せてくれました。
おばあちゃまはちゃんと、donationの要求をしてきました。そういうことは忘れていませんでした。

まあなにはともあれ、無事に辿り着け、見学できることに感謝をしました。
いろんなつながりで、ここまで着ました。connection makes connection.
それを思うと、壮大です。
こういうことがたくさんあると、本当に素敵。相当スゴイ。
そして、自分の現在位置を頭の中の世界地図に示してみると、感心して、わくわくして、フォーッとなってしまいます。

建築語ることなかれ。
ここも撮影禁止で、ひたすらスケッチをしていました。

papa john'sピザ屋であります。
ここのを食ったら、ほかのピザなんて食えないなんていうから、宿のみんなと食いに行った。
たいしたことねー。フトゥー!

Posted by momo at 09:05

2002年11月21日

9月8日はメキシコ自治大学

はーい!こんにてぃゃ。みなさん。

今日は日曜日。店も人もなにもかにも休息をとる日なのであります。
いろんなところが休みを取っていても、私は今日も出かけます。
いってみりゃ、ワークホリックってやつです。

行き先はどこだと思いますか?
なんと、かの有名なメキシコ自治大学です★
スペイン語表記で、Universidad Nacional Autonoma de Mexico
メキ大と言えば、メキシコシティーのAv.Insurgentes Surをずっと南側のほうにいったとこです。
中心部から来ると、あなたの右手にはあの釜本邦茂が得点王に輝いたメキシコオリンピックのメインスタジアムEstadio Olimpico Mexico 68-オリンピック競技場(今はメキシコプロサッカーリーグPUMASの本拠地)があるんですっ!
だいたいメキシコリーグの試合はJリーグ同様土日に試合があるんです。
今日は偶然にも、このスタジアムで試合がありました。
試合終了直後の様子をみてください。結果は1-1の引き分けでした。
スタジアムの周りにグッヅ売りがたくさん出ていて、ユニフォーム買いたかっのですが、ものすごくたかいので無理はしませんでした。
旅のはじめですし。
56.JPG DSCF0005.JPG DSCF0006.JPG
スタジアムの最前列はもうサッカーフィールドよりも低い位置にあるんじゃなかというくらい、低かったです。
そしてそれらの間には溝があって、なんだか動物園のそれを思い出しました。

そして、あなたのその左手にはそう今回の私の目的ティ、メキ大であります。
私の場合は諸事情により、メキ大の南側からアクセスしてしまったものですから、右手にあったんです。
で、ほとんど公園のような感覚で、日曜日のひと時をこの辺の人か、大学関係の方かわからなかったですけれど、たくさんいました。
犬を散歩に連れてきていたから、ある程度生活に余裕がある人ですね。
または、よく海外から来ていらっしゃる方が日本でされているように、ヘルメットを着用で、サイクリングを夫婦または恋人たちで楽しく、すがすがしく、いとおしく、していました。
そんなわけでちょっとした優雅さ感じてしまい、大学かよっと思い、大学に通う私は少々ジェラってしまいました。
わが大学のなんと陰気くさいこと。ちちちっ。△

そもそもなんでここに来たかというのを説明します。
ここにもまた、あのかのfelix candela-フェリックス・カンデラの作品とあのかのjuan o'gorman-フアン・オゴルマンの作品があるのですぃ。
それを楽しみに来ました。
それでは写真で紹介します。
51.JPG 52.JPG 53.JPG 55.JPG
これがメキ大の感じです。
かなりのリベラルを感じませんか?

この壁画たち。すごいと思います。
1枚目:立体壁画 david alfaro siqueiros-ダビッド・アルファロ・シケイロス作「民衆から大学へ、大学から民衆へ」
2枚目:メキ大中央図書館壁画(南面と東面の写真です) フアン・オゴルマン
     北面:アステカ文明
     南面:スペイン時代の圧制
     東側:太陽と月、宇宙、科学、政治
     西側:UNAM(メキ大の頭文字からとったメキ大の略称)の校章
     ここのある一面に!viva la revolucion!とあった。so-good!
3枚目:よくわからないが芝生の広場にたくさん転がっていた。何でアメフト風なのか?
その後ろの建物にも壁画がありますが、これもシケイロスの作品です。
4枚目:しっかりととうもろこしが描かれている。アメリカ文化の象徴のようなものですからね。強さの象徴の蛇とともに。ほぅ、クール!     

続いて、カンデラの作品
pabellon de rayos cosmicos 1951年
これが実質彼の世界デビュー作品。
そう、この旅のきっかけを与えてくれた、あのコンクリートの厚みが1.5cmというやつです。
しかし、どこの部分がそんなに薄いのかわからずじまいでso sad。
みんなも写真でチェックしてみてね。

54.JPG DSCF0052.JPG DSCF0053.JPG

どう?拡大した?わかった?

あとは自然がいっぱいってのを味わいました。
日曜で学食が開いてなかったのが残念。腹が減って仕方なかったので、外にある売店で牛乳とパン買って、それで済ませました。

DSCF0003.JPG

candelaria
そう、そして、今日最後に訪れたのは、カンデラ作の地下鉄の駅です。
なんとこの駅の名前がcandelaria!まさにカンデラのカンデラによるカンデラのための駅!ふぉっ!
でもうひとつキャンデラが作ったと思われる駅がありました。それは地下鉄1号線でその次のsan lazaro駅。

とにかく見てください。写真はcandelariaだけです。
楽しく写真を撮っていたら、見事に警察官の方々に文句を言われすぐ撮影禁止になりました。
治安維持関係できっと問題があるのでしょう。
ごめん。

57.JPG 58.JPG 59.JPG DSCF009.JPG

Posted by momo at 20:16 | Comments (4)

2002年11月20日

9月7日はソチミルコ

うわさのXochimilco
何か名前からでさえ、惹かれる。
昔、メキシコシティーの大半は湖だったが、その面影を残す大きな水路が残っているのが、ここ。
ユネスコ世界遺産にも登録されている。
水路を貸切の手漕ぎの船が遊覧する。
メキシカンヴィヴィッドカラーが印象的。

Ruta-ルート
revolucion-tasquena Metro N$2
tasquena-xochimilco Tren Ligero N$2

地下鉄のあとは、路面電車に乗ってゆく。
道路の真ん中が路面電車区域になっている。
途中にはメキシカンサッカーリーグAmerica-アメリカがホームグランドにしているEstadio Azteca-アステカスタジアムがある。

実際のソチミルコ
テーマパークのようである。
水路をゆっくりと遊覧している船がたくさんあるはずが、ただ客がそれほどいないためそのほとんどが停泊中。
ビシィーッと水面を埋め尽くす
メキシコビビッドカラー大爆発。
44.JPG

脇にはグッヅ売り屋がたあくさん。
観光客のための場所。絵葉書、民族服、民族布、民族用品、Tシャツ、キーホルダー、エトセトラ。

restaurante de lanantrales 1957年
このソチミルコの水路の脇にたつ、フェリックス・カンデラ作のレストラン建築。
昼飯時の訪問にして、このレストランでひとやすみ。
個人の勝手な妄想予定はなかなかうまく現実とつながらない。
今はライブ会場とバーになっていた。数人がステージの準備をしていた。
テーブルと椅子はたくさんあるので、夜には使われるのかもしれない。
中に入り、ため息ひとつ。
46.JPG DSCF0027.JPG DSCF0029.JPG


姿は水路と船にものすごくあっているとおもう。

Ruta-ルート
xochimilco-tasquena Tren Ligero N$2
tasquena-normal Metro N$2

capilla de san antonio de las huertas 1957年
これもまたカンデラ作。
外観はまず教会だとは思えない。
市場のようにも、かまぼこのようにも見え、けっして美しいものではなかった。
48.JPG DSCF0040.JPG DSCF0038.JPG

対照的に内部は古びてはいるものの、美しい。
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Posted by momo at 10:24

2002年11月19日

9月6日はフェリックス・キャンデラとルチャ・リブレ

教会-公共建築?-
felix candela-フェリックス・キャンデラはたくさんの教会建築に携わった。
ここメキシコシティーにいくつかのそれがある。
luis barragan-ルイス・バラガンとは違って公共建築を手がけているから,見学可能。
宗教はこういう面ではオープンであり,ありがたい。

Ruta-ルート
revolucion-(hidalgo)-division del norte Metro N$2

Iglesia de la Virgen Milagrosa 1953年
形態:HPアンブレラの組み合わせ
ここは地下鉄の駅から超近い。
昨日は駅から遠いところばかりで、10キロは歩いた。
おかげでいまだに脚がだるい。
26.JPG 28.JPG 30.JPG

Tacos
タコス、タコスと日本いるときから聞いたことがあるし、メキシコといえばタコスと自分でも思っていたが、
実際のところどんなものか想像の域を出ていなかった。
なんとなくドンタコス。!Viva imagen!

タコスの構成要素

肉の違いによって、そのタコスの名前も違ってくる。
肉の名前がそのタコスの名前。

タコス屋の居場所。
駅周辺にタコス屋台が出ている。
地下鉄の駅、バスターミナル、そういうところにタコス屋台がある。
$5×2、$10×5とかタコス屋に書いてある。
これは2ツで5ペソ、5コで10ペソって意味。

Ruta-ルート
division del norte-m.a.de quevedo Metro N$2

Capilla San Vincente de Paul 1959年
形態:3枚のHPシェルの組み合わせ
これすげー時間かかった。
32.JPG 33.JPG 38.JPG 04.JPG

Capilla de Nuesra Senorade la Soledad〈El Altillo〉1955年
形態:単一HPシェル
教会もsiestaシエスタのような休みをとる。
だいたい午後2時から4時、5時までは閉まっている。
見事に、その時間に行ってしまった。ううぅっ。
DSCF0010.JPG 40.JPG 41.JPG 42.JPG

lucha libreルチャ・リブレ
メキシコでは格闘技がさかんだ。
ボクシング、プロレス・・・。
滞在中の宿にはプロレスラーもボクサーもいる。
宿のみんなで、プロレス観戦ツアーを企画。
アリーナが比較的夜は危ない地域にあるので、宿の人たちと7,8人でゆく。
会場入り口付近には、あのモノウリの人たちがいる。
でもここでは特別な売り物がアアル。
それは、マスク屋とレスラーミニチュア人形屋。
観光客にとってはたまらない。らしい。
一番の席のチケットを買う。
リングサイドから10列目。期待大!
開始時間がちづくにつれ、会場はうまってくる。
観客の間を飲み物やマスクを売り歩いている。ザワザワ感が期待を膨らます。

なんと、退屈なことか。
レスラーはアクロバットに動き回っているが、臨場感がない。
体は鍛えていて、確かにレスラーだが、背は低く、迫力もなし。
がっかり。

試合はタッグマッチが4,5本。徐々に強い有名なレスラーが出てくるとのこと。

ただただ、お土産のマスクとミニチュアだけが素敵だった。

暗闇をそそくさとみんなで帰る。無事に。

DSCF0021 のコピー.jpg


Posted by momo at 17:45

2002年11月18日

9月5日はルイスバラガン

両替
メキシコは思った以上に物価が高いと感じてきた。
昨日空港で替えたUS$20がもうなくなろうとしている。
というわけで、また両替のため朝から出歩く。
銀行を数件みて、レートのいいところで両替。
宿の周辺にはいい両替がなかった。不便である。
US$1=N$9.87
昨日はN$9.96だからちょっと低い。
後で聞いてみると、なんとメキシコシティーの両替レートは空港が一番いいとのこと。
一般に空港での両替は損なので控えめに両替したのが裏目に出た。こんなことまずない!

予約
今日はLuis Barragan-ルイスバラガン設計の住宅を訪ねる。
いまは、彼の自邸がバラガン財団になっていて、見学などの窓口になっている。
念のため、事前にバラガン財団とメールでコンタクトをとり、11時に来いということだった。
そのメールに行き方を教えてくれと書いていたのに、完全に無視された。
というわけで、友達からもらった手書きの地図と住所を頼りに
これもまた地下鉄を乗り継いで行く。

Ruta-ルート
revolucion-(tacuba)-constituyentes Metro N$2

見た目には、まったく街並みに溶け込んでいてどれが彼の家だったのか区別がつかない。
彼は色のマジシャンなどといわれているが、ドハデな色の家はここにはたくさんある。
地下鉄を使うと地上に出たときにどっちの方向に出たのか?東西南北がわからなくなるのが不便だ。
そこら辺の人に教えてもらいながら、徐々に近づいて行くことができ、最終的には番地と表札で確認できた。
ストレートに行ったら、駅から5分くらいのところにあるが、たどり着くのに30分はかかった。
12.JPG


casa luis barragan-ルイスバラガン邸
ピンポーン!(こんな音ではないけれど)
財団の人が出迎えてくれた。
13.JPG

見学できた住宅は
casa-museo luis barragan
casa gilardi-ヒラルディー邸
casa ortega-オルテガ邸
以上3つ。

ヒラルディ邸へは財団の人が車で連れて行ってくれた。グラシアス。
オルテガ邸はもとバラガン邸。それは現バラガン邸のとなりにある。
どの住宅も内部での撮影不可。
スケッチと外観写真のみ。
バラガンは一生涯妻を持たず、子供ももちろんいなかった。
これを聞いて、子孫がほしくなってきた。


juan o’garman-フアン・オゴルマン
彼もメキシコに生きた建築家の一人である。
以前に日本でも展覧会が催された。
彼が設計した住宅を見に行く。

Ruta-ルート
constituyentes-barranca del muerto Metro N$2

museo casas estudio diego rivera y frida kahlo-リベラカーロの家
これこそ、地図もなく住所だけを手がかりに探した。
ここ、駅からも遠かった。
18.JPG 19.JPG 20.JPG 22.JPG


felix candela-フェリックス・カンデラ
この日の最後に彼作の教会を訪れる。
作といっても彼は構造設計家で、建築家は別にいる。
でもシェル構造のハシリの人なので、この人の作品として世の中に知られている場合が多い。

Ruta-ルート
barranca del muerto-mixcoac Metro N$2

最悪なことに、雨が降ってきた。
この時期メキシコは雨季で、必ず一日一回夕方ころから雨が降る。
天気は常に曇りがち。
あまり雨季に旅したことがないし、雨は気分を萎えさせる傾向にあるので、好きではない。
だけど、ここは問題の大気汚染を雨が緩和してくれているので、それは素敵。

templo de santa monica-サンタ・モニカ教会
23.JPG 24.JPG 25.JPG

Posted by momo at 10:02 | Comments (10)

2002年11月17日

9月4日はピラミッド

Posted by momo at 22:17

2002年11月16日

9月3日は長かった。

[]

9月3日は長かった。
文字通り、一日の時間が長い。
日本とメキシコは14,5時間の時差があるから1日が40時間弱ってことになる。
その分、本当に長かったし、退屈な時間も長かったからかもしれない。

出発日の朝
久しぶりのバックパックの旅行。
いろいろ詰めて、美しく見事に収まるとうれしくなってしまう。
飛行機の出発時間は午後3時くらい。

いつもおもうこと。
成田までが遠い。
成田エクスプレスになんて乗ったことがない。
いつもの京成特急でいく。
これがけつが痛くなるほど遠く、長い。
はじめの何回かの旅行はそれは旅行にウカレスギテそんなことなんてまったく気にしていなかったし、
俺は海外行くんだぜなんていう意気込みもあった。
コイはモウモクっていう感じがわかる?

メキシコまでのルート。
成田―Atlanta(United States of America)―Ciudad de Mexico(Estados Unidos Mexicanos)

航空会社はDelta Airline(デルタ航空)。
アメリカ経由の便は必ず一度アメリカに入国しなくてはならないという決まりになっている。
ただのトランジットでも入国審査をとおり、入国の理由は?ホテルは?などとのそのときに聞かれる。
日本人のビザなし観光での入国は90日以内が認められているが、これは一度アメリカ大陸に入ってからの通算の日数になる。
だから、たとえばアメリカに30日滞在した後に、カナダやメキシコ、ブラジルなどを訪れるとする。
そして再びアメリカに入国しようとすると、残り90から30を引いた60日がアメリカでの滞在可能期間となるわけ。
もう一度90日以内の滞在をゲットしようとしたら、ヨーロッパかアジア、オセアニアからの便で入国する必要がある。なかなかおもしろい。
そういうわけでただのトランジットも普通に入国するくらいに時間がかかる。
次の便までに時間がないと異様に込んでいて遅い、手続きに腹立たしくなる。
アトランタはもちろん空港も初めてだった。オリンピックで名前をしているくらいだ。ターミナルもA-Eまであって、かなり大きい。が、ここにまったく興味がない。

ひとつアメリカの空港の最後まで分からなかったこと。
チェックインした後、飛行機の出る各々のゲートの前にまたカウンターがある。そこでみんな何かを出しているのだ。
みんななにをしているのか、わからないし、それをしなくても飛行機には乗れるし、一体なんだったんだろう?

ということで、アメリカを抜け、Aero Mexico(アエロメヒコ)との共同運航便、機体はアエロメヒコでメキシコシティーへ飛び立つ。

distrito federal-メキシコシティー
午後9時、Benito Juarez Internacional Aeropuerto 着。真っ暗。
メキシコは熱いというイメージで、Tシャツ一枚で大丈夫と思っていたが、予想は外れた。
夜着いたせいもあるが、長袖一枚ハオル必要有りとみた。
標高は2240mもあるから、当然か。
シティーには移動にとっても便利な地下鉄がある。
空港の近くにも駅があり、とっても安くCentro(セントロ:スペイン植民地となった中南米の都市は基本的にグリッドであり、このように呼ばれるところを中心に町が形成されている。)までいける。
地下鉄でそう迷わされることはないから、弱気だが、本当にありがたい。

どこの国へ行くにもどこの町に行くにも始めて降り立つ場所では洗礼のようなものがあると思っている。
特に違う国へ飛行機ではじめて降り立つときはそれを強く感じる。
しっかりとした公共の交通機関のない空港ではまさにそうで、もちろん定価というやつないので、飛行機から降りて、荷物を受け取ると戦いが始まる。
出口には窮屈に群がっている人々がいらっしゃる。
名前の紙を持ってツアー観光客を待ち構えている人々、家族の帰りを待っている人々、企業の接待役の人、そしてタクシーのおじさんたちである。問題はこのタクシーの運転手さんたち。
現地通貨を扱ったことのない我らがすぐさま街までのタクシー代を彼らと交渉しなくてはならなくなるからだ。
これははっきり言って分が悪い。強引極まりないし。
だいたいのその国の物価を知らないと交渉になりようがない。
明らかに外国人の容姿の私は簡単にタクシーの運転手たちに判別され、彼らが近づいてくるのである。
というわけで、たいてい大幅にぼられた後、その国へのお邪魔を許されることになる。

しかし、ここメキシコシティーは地下鉄もあるという条件ながら、まったく客引きがいなかった。
誰も声をかけてこない。ノレンニウデオシ。
ひとりとぼとぼと地下鉄の駅へ10分ほど歩いた。

Ruta-ルート
terminal aerea-(la raza)-(hidalgo)-revolucion Metro N$2

Pension Amigo-ペンションアミーゴ
メキシコシティーでの宿の名前。友達にこの名前を言ったらなんとチープな!と言われた。
確かにそんな感じかしてきた。
ついたのは11時くらい。真っ暗の中、地下鉄から出て、方角を確かめ、地図を見ながら何とかたどり着いた。

長かった。文章までも。

1.JPG
ペンションアミーゴの中庭

Posted by momo at 15:14

2002年11月15日

9月3日以前

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今年の夏はなにをしていたか。
金沢へ行き、論文の発表をし、その帰り道、合掌造りのいくつかの村に寄った。
その後、静岡でアユを銛で刺して採った。小さいけどうまい。
そういえば、その前には海へ行った。確か長浜海岸、迷ったアゲク、とおりがかりの人に尋ねたら、
そこまで車で連れていってくれたんだった。忘れかけていた。

で、近年旅にも飽きてきたという感情が芽生えてきた。
年をかさねるごとに、長期の不在はなんとなく不安になっている。
やることはあるけど、旅は今のうちにしたいという感情もやっぱりある。
達成感がないとむなしいからね。

なんで墨西哥あたりに行こうと思ったのか。
たくさんの(インディオ時代から現代にかけて)建築があるということを知っていたから、
おいしいメキシコ料理の存在も知っていたから、
でも、おそらく一番の興味はキャンデラのRCシェルの厚みが1.5cmということだとおもう。

そういういろんなことを確かめにいざ出発と心に決めた。

Posted by momo at 04:25

2002年11月13日

travel in central america

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さて、ただいま季節はすっかり冬ですが、過去を振り返っていく、これからこの夏の私の話のはじまりです。
この夏は終わらないなと感じながら日々を送ることができました。ピース!

Posted by momo at 18:40 | Comments (1)