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2003年01月15日

10月9日はアディオス/メヒコ

最後のメキシコ/中米の滞在。
次は友達のいるボストンが目的地。
デルタ航空、アトランタ経由で。
免税店はテキーラと葉巻きが充実。

飛び立った飛行機のまどから美しいカンクンホテルゾーンの砂州とイスラムヘーレスが見えた。

アディオス、メヒコ。 グラシアス。

2003年01月13日

10月8日はうみ

今日はついに海へ!

カンクンはダウンタウンとホテルゾーンの二つに大きく分かれている。
海は砂嘴のホテルゾーンにある。

やはり青い海と青い空、そして白い雲
海のグラデーションが美しい。


2003年01月12日

10月7日は病院

長い移動&遺跡ラッシュの旅も昨日で終わり。
今日からここカンクンを発つまでの数日はまた海にもまれたい。
からっと晴れて、とても気持ちがいい日。
空の青と海の青ってすばらしい。

が、移動の連続と夜行バスの空調の下手のせいで、のどが痛く、風邪っぽくなっていた。
病院へ。
宿主に近くの病院を教えてもらい、診てもらう。
診察はスペイン語だったが、医者が言ってることを理解できる俺はすごいと自分で思った。
痛み止めと解熱剤をもらう。
元気になって、明日は青い海にもまれたい。

海外旅行保険をかけている人はぜひちょっとでもつらくなったら、病院に行くべし。ネ。


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2003年01月10日

10月6日はウシュマル&チチェンイッツァ

朝5時半、メリダに着いた。
予想通り、クーラーの効きすぎで夜中寒く風邪を引く。
でも、帰りまであと少ししかないので動く動く!
今日も俺はマヤ遺跡めぐりに忙しいぜぃ。

ウシュマル遺跡
着いたのが開園前。早すぎた。誰もいなくって一番に入場する。
芝生がびっしり生えているんだけれど、ミツバチが大量発生していた。
どこもかしこも足元でブーンブーンという音が!
怖いです。

    

チチェン・イッツァ遺跡
ここはすごかった。
なにがすごいって遺跡じゃない。
人々のこの遺跡の捉え方がすごかった。
ここはメキシコ最大級の観光地カンクンから近いこともあって、そこからのツアー客が多い。
カンクンといえば、アメリカ人のためのリゾートって感じなのだ。
というわけで、本当に散歩に来たのよみたいな白人たちでいっぱい。
犬連れてるもんね。遺跡なのに。
いわば、代々木公園の中にピラミッドがある感じ。
何たるパワーである。
そんななかで汚いかっこでバックパック背負って、必死に旅してますなんて感じの自分。
少し恥ずかしかった。

    

ところでマヤ遺跡の発達の特徴をここで挙げよう。
世界の四大文明がそうであるように、みな文明は大きな川のほとりに発生している。
黄河、ナイル、チグリス・ユーフラテス、インダス。
が、驚いた事にここユカタン半島にはこのような大河がない。
では、どうして文明が生まれたのだろうか?
これはここの地名が示している。
チチェン・イッツァ。
イッツァとはマヤ語で泉と言う意味。スペイン語ではcenote(セノテ)という。
地下水があるところで地面を陥没させてできる泉。このような泉がユカタン半島にはいくつもある。
ここを拠点に生活が生まれ、ここを大事にしながら発達したのだ。
マヤの文明は泉とともに発生したのだ!

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2003年01月09日

10月5日はヤシュチラン&ボナンパック

昨日宿でツアーの予約をした。
前にあった人からここはよかった!といわれている遺跡へ行くためだ。

ツアーは朝早くから夜8時くらいまでの一日ツアー。
マヤ遺跡のヤシュチラン遺跡とボナンパック遺跡を回る。
N$400なり。

ツアー人員構成は以下のとおり。
メキシコ人 4人+1子供
?人 2人
オーストラリア人 2人
?人 2人

みんな年取ってる人だ。ワゴンで行く。

parenque - bonanpak
途中で朝食をあるホテルでとる。
フルーツやらなにやらかにやら食い放題!
腹いっぱい!しあわせ!
ほとんど遺跡に興味を示さなかった。

bonanpak - corozal
結局また昨日の国境の街コロザルまで戻るということが後になってわかった。
またすごく長い時間車に乗る。本当につらい。そしていつしかのどが痛くなってた。

corozal - yaxchilan Lancha
昨日よりもさらに上流へ進むこと1時間ほど。


yaxchilan ruinas
川岸の遺跡はなかなか。


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2002年12月03日

9月16日から19日にかけて

復活!
この空白の数日をどのように捉えていただけただろうか?
この海の町プエルト・エスコンディードでの暮らしはこんな感じだった。


素晴らしく素敵な時間。

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2002年11月28日

9月15日はプエルト・エスコンディード

さてさて、場所は変わって、夜行で太平洋岸の小さな町puerto escondido-プエルト・エスコンディードにきた。
メキシコシティー、グアナフアト、オアハカと2000m以上の高所にある都市をまわった後の訪問。

Ruta-ルート
oaxaca-(pochutla)-puerto escondido Autobus N$179 primera

夜行バスの中は異常に暑く、汗だらだら、混んででいた。
それは、一気に2000mを下り、海辺の町へ来たからだった。

サーフィンでとても有名な人口4万の小さな町。
くそ暑くてうれしくてうれしくて。
やっぱり、暑いほうが良いな。開放感抜群。
裸の人々に囲まれるぜぃ。
ENDLESS SUMMER


メインストリート。
何もかもここに集まる。ここから始まる。小さな町。

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2002年11月27日

9月14日はモンテ・アルバン

墨西哥にはたくさんの遺跡がある。(のは皆さんも知っているかと思われますが。)

遺跡は好き?
私はそれをイメージしたりやそれに関するお話で聞くのは好きなんだということに気づいてきた。
実際に遺跡を訪れても、深い知識もなく、昔ものであり、ほとんどの場合それはあんまり使われてないから、フーンで終わってしまうから。

でも、いくつかいままで行った遺跡の中で、よかった!と思えるものがあった。
それはどうしてそう思ったのだろうか?検証してみよう。

結論
検証を省略してしまったが、とにかく私はこう思う。
すばらしい遺跡は、その立地がすばらしい!、ということである。
やはり、それ自体にはなかなか感動できないのかもしれない。
そこにたどり着くまでの道のり、そこから見ることのできる風景、それらが大きくその遺跡の評価に懸かっている。

というわけで、今回も遺跡にはたいした興味なく、oaxaca-オアハカ近くのmonte alban-モンテ・アルバンへ。
だけど、すごかった!久しぶりに遺跡で感動。
グッドヴュー、ワイドヴュー、ファンタスティック。
この遺跡、オアハカの盆地の真ん中に少し高い山がある、その上にある遺跡で、まるで空中に浮いているような感覚。
いろんな町の見渡せる。
カラッとした感じの芝の緑と作り直された遺跡とその周りの景色が合わさって見事だった。
VIVA MONTE ALBAN!(略してビヴァモン!である。)

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2002年11月26日

9月13日はフアン

これもまた、ある人の名前だ。

ここは、昨日からの移動の連続でようやく辿り着いた、オアハカはAU社のバスターミナルである。
大きな街にはバスターミナルがあり、そこから発着するのが常であるが、地方へ行くと、各々の会社がバスターミナルと称した場所を保有しており、そこで発着が行われる場合が多い。
今回もそういうわけで、出発はターミナル、到着はカンパニーターミナルであった。

ここからterminal to centroへの悩みが始まる。
地図で自分の居場所が確認できない場合、これは非常に深い悩みへと変わる。
太陽を見て方角を確定し(出てないときはつらいよねマジで)、自分の勘をたより、現地人を頼る。
(彼らの知ったかぶりは、大きく私たちの後の行動を左右するので、とっても気を使いながら彼らを解釈する必要があると思う。)
けっして、タクシーなんか使ってはいけないという先入観付きで歩き出す。

彼のフル名前はJuan Angel Torres Ramires。
この街のUniv.I.C.E.U.A.B.J.O.に通う大学生。
そこで語学と・・・?を学ぶ。
痩せ型で、見た目は少々気が弱そうに見えるが、自分のやり太たいようにことを進めていくのが、彼の特徴である。
また、キャップをかぶり、飄々と歩くスタイルを美徳としている。に違いない。
そして、彼のメールアドレスにはlennonとあるのでジョンレノンのフアンだ。

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2002年11月25日

9月12日は移動

この日は移動。移動。

Rutaールート
guanajuato-autobuses del norte,ciudad de mexico,d.f Autobus N$195 economico
autobuses del norte-(la raza)-(hidalgo)-revolucion Metro N$2
revolucion-(pino suarez)-san lazaro Metro N$2
terminal del este-oaxaca Autobuses N$197 economico

ようは、グアナフアトからメキシコシティー経由でオアハカへ行った。
やっぱ時間がかかるね、二等はさ。
移動しているとき、とても気持ちがいい。わくわくする。
もっと、もっと移動について考えていこうと思う。

2002年11月24日

9月11日はクリストフ

thanks

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2002年11月23日

9月10日はグアナフアト

ついに!
一週間メキシコシティーに滞在してしまった。
いつもの自分のスタイルは”移動”。
でも、近頃自分が変わってきたのかもしれない。
滞在もできるようになった。メキシコシティーはそれでも足りなかった。
もっともっと居たかった。それだけいろいろある2000万人の大都市なのだ。

Ruta-ルート
revolucion-(hidalgo)-(la raza)-autobuses del norte Metro N$2
terminal central autobuses del norte-guanajuato Autobus N$196 efectivo 10:00s

GUANAJUATO-グアナフアト 標高2000m 人口14万人
2等のクラスはいろいろな町にいちいち止まりながら、目的地を目指す。
おかげで遅くなる。お金を気にしているうちは仕方がないことさ。
前にも書いたけど、termimal to terminal の移動はとても簡単なのだ。飛行機のように。
初めての町で terminal to cento これが難しい。
必死に方角、目印の建物、時間など気にしながら乗るバスはとってもつらい。
まして混んでいるときなんて、目的の場所に降りることは容易ではない。
例により、camion-ローカルバスでcentroを目指す。
やっぱり乗り過ごした。見事に失敗。ドンマイ。

ここは町が世界遺産になっている。
こじんまりとしていながら、飽きることのない、安全な町に見えた。
メキシコのコロニアル都市のなかで最も美しいとされる。もともと鉱山で発展した町である。
特徴は、古くからこの町にあった地下水路を道路代わりに利用していて、至る所に穴が開いていることだ。
地図には点線でかかれた道路がたくさんあるのはこのせいだ。

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2002年11月22日

9月9日はトラルパン

はい。今日はtlalpanというところに行きました。
ここはメキシコシティーの南側。
昨日のメキ大よりも南です。

前置き
今日の目標は、またまたluis barragan-ルイス・バラガン作の建築を訪ねることです。
そもそも、日本にいるときからこの建築を見たいと思っていましたが、情報がなく、いけないかもと思っていました。
ところが、先日旧バラガン邸、現バラガン財団事務所を訪れた際、尋ねてみるとなんと地図を手渡してくれました。
こういうつながりはまさにロールプレイングゲームのようでありまして、楽しいんです。
しかし、それは拡大されていて、建築の周辺部の情報しか記載されていませんでした。
きっと地図をもらったことにウカレテ、行き方なんて聞かなくても簡単に辿り着けるぜくらいにおもってしまったのでしょう。
行き方などまったく聞かずに、その場を離れてしまいました。
ところが、それがトラルパン地区にあるというのはわかるのですが、それがメキシコシティーのどこにあるかを知らなかったのです。
ペンションアミーゴの食堂にある、シティー全体図でひたすら、探しました。
なんせ、部屋が十分明るかったらいいのですが、明るさ不十分、地図でかすぎで、それはもう大変な作業でした。
しかし、ワーカホリック状態でひたすら探した結果、トラルパン地区を発見!
この感動は計り知れません。
そして、さらにそこからもらった地図に記載されているメイン道路の絞込みを始めました。
もらったほうの地図には方角すら載っていないので、それを確定できずウォーっていう感じでした。
もちろん縮尺もわからない。

人間はやはり思い込みが必要なのだと思います。
必ず自分の思いのあとにはその実現がやってくるという思い込みが。
見つかると思ってやらなければ、見つからなかったでしょう。
i did it! well done! good job! 自画自賛です。
なにかクリアした喜びです。

みなさんもやってみますか?
手順1 tlalpan(トラルパン地区)を探す。
   2 環状線periferico surを探す。
   3 それと交差する大きな道viaducto tlalpanを探す。
   4 その通りとほぼ平行して、少し小さいが、大き目の道calzada de tlalpanがあります。
   5 その通りを南に進nでsan fernandoという道と交差するところを探す。
   6 そこから2つ目の通りhidalgoの43番地です。

みんなわかったかな?大変だよね。
もしくはネットで簡単に調べられた?どう?どう?

失敗
実は昨日メキ大に行く前に、ここを訪れたのですが、日曜日は見学不可ということで門前払いを食らわされていたのです。
だから、メキ大へは南側からアクセスしたというわけです。
見学時間を教えてもらい、また明日行くと告げて、メキ大へ向かったのでした。

capilla de las capuchinas sacramentarias en tlalpan 1960年
午前中の訪問。
ブザーを鳴らす。
ここのファサードもまったくこのあたりの他の住宅と差異があまりないので、住所を番地までわかっていないと区別がつかなかったと思います。
シスターが出てきました。
おばあちゃんです。
が、予約はしてあるかと聞いてくるのです。
予約が必要なら昨日来たときに予約していけと教えてくれればいいのに!
強引に見せてくれ!と熱く、しつこくしてたら、見せてくれました。
おばあちゃまはちゃんと、donationの要求をしてきました。そういうことは忘れていませんでした。

まあなにはともあれ、無事に辿り着け、見学できることに感謝をしました。
いろんなつながりで、ここまで着ました。connection makes connection.
それを思うと、壮大です。
こういうことがたくさんあると、本当に素敵。相当スゴイ。
そして、自分の現在位置を頭の中の世界地図に示してみると、感心して、わくわくして、フォーッとなってしまいます。

建築語ることなかれ。
ここも撮影禁止で、ひたすらスケッチをしていました。

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2002年11月21日

9月8日はメキシコ自治大学

はーい!こんにてぃゃ。みなさん。

今日は日曜日。店も人もなにもかにも休息をとる日なのであります。
いろんなところが休みを取っていても、私は今日も出かけます。
いってみりゃ、ワークホリックってやつです。

行き先はどこだと思いますか?
なんと、かの有名なメキシコ自治大学です★
スペイン語表記で、Universidad Nacional Autonoma de Mexico
メキ大と言えば、メキシコシティーのAv.Insurgentes Surをずっと南側のほうにいったとこです。
中心部から来ると、あなたの右手にはあの釜本邦茂が得点王に輝いたメキシコオリンピックのメインスタジアムEstadio Olimpico Mexico 68-オリンピック競技場(今はメキシコプロサッカーリーグPUMASの本拠地)があるんですっ!
だいたいメキシコリーグの試合はJリーグ同様土日に試合があるんです。
今日は偶然にも、このスタジアムで試合がありました。
試合終了直後の様子をみてください。結果は1-1の引き分けでした。
スタジアムの周りにグッヅ売りがたくさん出ていて、ユニフォーム買いたかっのですが、ものすごくたかいので無理はしませんでした。
旅のはじめですし。
56.JPG DSCF0005.JPG DSCF0006.JPG
スタジアムの最前列はもうサッカーフィールドよりも低い位置にあるんじゃなかというくらい、低かったです。
そしてそれらの間には溝があって、なんだか動物園のそれを思い出しました。

そして、あなたのその左手にはそう今回の私の目的ティ、メキ大であります。
私の場合は諸事情により、メキ大の南側からアクセスしてしまったものですから、右手にあったんです。
で、ほとんど公園のような感覚で、日曜日のひと時をこの辺の人か、大学関係の方かわからなかったですけれど、たくさんいました。
犬を散歩に連れてきていたから、ある程度生活に余裕がある人ですね。
または、よく海外から来ていらっしゃる方が日本でされているように、ヘルメットを着用で、サイクリングを夫婦または恋人たちで楽しく、すがすがしく、いとおしく、していました。
そんなわけでちょっとした優雅さ感じてしまい、大学かよっと思い、大学に通う私は少々ジェラってしまいました。
わが大学のなんと陰気くさいこと。ちちちっ。△

そもそもなんでここに来たかというのを説明します。
ここにもまた、あのかのfelix candela-フェリックス・カンデラの作品とあのかのjuan o'gorman-フアン・オゴルマンの作品があるのですぃ。
それを楽しみに来ました。
それでは写真で紹介します。
51.JPG 52.JPG 53.JPG 55.JPG
これがメキ大の感じです。
かなりのリベラルを感じませんか?

この壁画たち。すごいと思います。
1枚目:立体壁画 david alfaro siqueiros-ダビッド・アルファロ・シケイロス作「民衆から大学へ、大学から民衆へ」
2枚目:メキ大中央図書館壁画(南面と東面の写真です) フアン・オゴルマン
     北面:アステカ文明
     南面:スペイン時代の圧制
     東側:太陽と月、宇宙、科学、政治
     西側:UNAM(メキ大の頭文字からとったメキ大の略称)の校章
     ここのある一面に!viva la revolucion!とあった。so-good!
3枚目:よくわからないが芝生の広場にたくさん転がっていた。何でアメフト風なのか?
その後ろの建物にも壁画がありますが、これもシケイロスの作品です。
4枚目:しっかりととうもろこしが描かれている。アメリカ文化の象徴のようなものですからね。強さの象徴の蛇とともに。ほぅ、クール!     

続いて、カンデラの作品
pabellon de rayos cosmicos 1951年
これが実質彼の世界デビュー作品。
そう、この旅のきっかけを与えてくれた、あのコンクリートの厚みが1.5cmというやつです。
しかし、どこの部分がそんなに薄いのかわからずじまいでso sad。
みんなも写真でチェックしてみてね。

54.JPG DSCF0052.JPG DSCF0053.JPG

どう?拡大した?わかった?

あとは自然がいっぱいってのを味わいました。
日曜で学食が開いてなかったのが残念。腹が減って仕方なかったので、外にある売店で牛乳とパン買って、それで済ませました。

DSCF0003.JPG

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2002年11月20日

9月7日はソチミルコ

うわさのXochimilco
何か名前からでさえ、惹かれる。
昔、メキシコシティーの大半は湖だったが、その面影を残す大きな水路が残っているのが、ここ。
ユネスコ世界遺産にも登録されている。
水路を貸切の手漕ぎの船が遊覧する。
メキシカンヴィヴィッドカラーが印象的。

Ruta-ルート
revolucion-tasquena Metro N$2
tasquena-xochimilco Tren Ligero N$2

地下鉄のあとは、路面電車に乗ってゆく。
道路の真ん中が路面電車区域になっている。
途中にはメキシカンサッカーリーグAmerica-アメリカがホームグランドにしているEstadio Azteca-アステカスタジアムがある。

実際のソチミルコ
テーマパークのようである。
水路をゆっくりと遊覧している船がたくさんあるはずが、ただ客がそれほどいないためそのほとんどが停泊中。
ビシィーッと水面を埋め尽くす
メキシコビビッドカラー大爆発。
44.JPG

脇にはグッヅ売り屋がたあくさん。
観光客のための場所。絵葉書、民族服、民族布、民族用品、Tシャツ、キーホルダー、エトセトラ。

restaurante de lanantrales 1957年
このソチミルコの水路の脇にたつ、フェリックス・カンデラ作のレストラン建築。
昼飯時の訪問にして、このレストランでひとやすみ。
個人の勝手な妄想予定はなかなかうまく現実とつながらない。
今はライブ会場とバーになっていた。数人がステージの準備をしていた。
テーブルと椅子はたくさんあるので、夜には使われるのかもしれない。
中に入り、ため息ひとつ。
46.JPG DSCF0027.JPG DSCF0029.JPG


姿は水路と船にものすごくあっているとおもう。

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2002年11月19日

9月6日はフェリックス・キャンデラとルチャ・リブレ

教会-公共建築?-
felix candela-フェリックス・キャンデラはたくさんの教会建築に携わった。
ここメキシコシティーにいくつかのそれがある。
luis barragan-ルイス・バラガンとは違って公共建築を手がけているから,見学可能。
宗教はこういう面ではオープンであり,ありがたい。

Ruta-ルート
revolucion-(hidalgo)-division del norte Metro N$2

Iglesia de la Virgen Milagrosa 1953年
形態:HPアンブレラの組み合わせ
ここは地下鉄の駅から超近い。
昨日は駅から遠いところばかりで、10キロは歩いた。
おかげでいまだに脚がだるい。
26.JPG 28.JPG 30.JPG

Tacos
タコス、タコスと日本いるときから聞いたことがあるし、メキシコといえばタコスと自分でも思っていたが、
実際のところどんなものか想像の域を出ていなかった。
なんとなくドンタコス。!Viva imagen!

タコスの構成要素

肉の違いによって、そのタコスの名前も違ってくる。
肉の名前がそのタコスの名前。

タコス屋の居場所。
駅周辺にタコス屋台が出ている。
地下鉄の駅、バスターミナル、そういうところにタコス屋台がある。
$5×2、$10×5とかタコス屋に書いてある。
これは2ツで5ペソ、5コで10ペソって意味。

Ruta-ルート
division del norte-m.a.de quevedo Metro N$2

Capilla San Vincente de Paul 1959年
形態:3枚のHPシェルの組み合わせ
これすげー時間かかった。
32.JPG 33.JPG 38.JPG 04.JPG

Capilla de Nuesra Senorade la Soledad〈El Altillo〉1955年
形態:単一HPシェル
教会もsiestaシエスタのような休みをとる。
だいたい午後2時から4時、5時までは閉まっている。
見事に、その時間に行ってしまった。ううぅっ。
DSCF0010.JPG 40.JPG 41.JPG 42.JPG

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2002年11月18日

9月5日はルイスバラガン

両替
メキシコは思った以上に物価が高いと感じてきた。
昨日空港で替えたUS$20がもうなくなろうとしている。
というわけで、また両替のため朝から出歩く。
銀行を数件みて、レートのいいところで両替。
宿の周辺にはいい両替がなかった。不便である。
US$1=N$9.87
昨日はN$9.96だからちょっと低い。
後で聞いてみると、なんとメキシコシティーの両替レートは空港が一番いいとのこと。
一般に空港での両替は損なので控えめに両替したのが裏目に出た。こんなことまずない!

予約
今日はLuis Barragan-ルイスバラガン設計の住宅を訪ねる。
いまは、彼の自邸がバラガン財団になっていて、見学などの窓口になっている。
念のため、事前にバラガン財団とメールでコンタクトをとり、11時に来いということだった。
そのメールに行き方を教えてくれと書いていたのに、完全に無視された。
というわけで、友達からもらった手書きの地図と住所を頼りに
これもまた地下鉄を乗り継いで行く。

Ruta-ルート
revolucion-(tacuba)-constituyentes Metro N$2

見た目には、まったく街並みに溶け込んでいてどれが彼の家だったのか区別がつかない。
彼は色のマジシャンなどといわれているが、ドハデな色の家はここにはたくさんある。
地下鉄を使うと地上に出たときにどっちの方向に出たのか?東西南北がわからなくなるのが不便だ。
そこら辺の人に教えてもらいながら、徐々に近づいて行くことができ、最終的には番地と表札で確認できた。
ストレートに行ったら、駅から5分くらいのところにあるが、たどり着くのに30分はかかった。
12.JPG


casa luis barragan-ルイスバラガン邸
ピンポーン!(こんな音ではないけれど)
財団の人が出迎えてくれた。
13.JPG

見学できた住宅は
casa-museo luis barragan
casa gilardi-ヒラルディー邸
casa ortega-オルテガ邸
以上3つ。

ヒラルディ邸へは財団の人が車で連れて行ってくれた。グラシアス。
オルテガ邸はもとバラガン邸。それは現バラガン邸のとなりにある。
どの住宅も内部での撮影不可。
スケッチと外観写真のみ。
バラガンは一生涯妻を持たず、子供ももちろんいなかった。
これを聞いて、子孫がほしくなってきた。


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2002年11月17日

9月4日はピラミッド