この日はサンタエレナにある旅行会社サンフアンが主催するパレンケ行きの直行バスで、国境越え。
他のバックパッカー10人くらいとマイクロバスで出発!
Ruta-ルート
santa elena - el naranjo Microbus
あるところまで行くと未舗装の道に。
土の道は雨で柔らかいところだけへこむ
その凹みをうまく避けながら、できるだけ早く進む。
運転者はすばらしい。
それにしてもうつくっしいまっすぐな道だった。
migracion
イミグレーションではUS$5=Q40を要求された。
数人の両替屋の親父もいた。
が、Q7.9しかもってなかった(と言うかそういう風に仕込んでいった。)ので、弱気度を見せるために最後尾に並んだ。
そして「1ドルしか持っていない。これで勘弁してくれ!」というと、
「いいよ日本人はとらないんだ」と言ってただにしてくれた。
なんと。こんなにもうまくいくとは。
日本人であることがときどきいいものだと思う。
el naranjo - corozal Lancha
小さな船で国境の川を向こう岸へと渡る。
時々渦を巻いているのでここを避ける。
マッ茶色な川。空の真っ青。葉っぱの真緑。
corozal - parenque Microbus Q200
ここが一番長くて大変だった。
4時間は乗っていだだろうか。長すぎて、みんな野グソやション便をしていた。
パレンケはこれまでになく暑かった。異常な暑さにびっくり!!
昨日からの騒動はなんだったんだろうか?
何の問題もなくsanta elena(サンタエレーナ)に着いた。
すぐ、ティカル行きのチケットを予約。
コパンの異常なつまらなさに期待が薄れていたが、びっくり!来てよかった。ティカル。
ここはグアテマラの国立公園内にあって、チケットも遺跡からかなり離れたところで買うことに。
警備や保存を大切に思っているみたい。
ジャングルの海に浮かぶマヤの遺跡群。
遺跡から帰る。
ここはペテン地方というところ。
この町は二つの町で構成されている。
ひとつは陸のフローレス、もうひとつはペテンイッツア湖に浮かぶ島の町フローレス。
そしてこの町はひとつの端でつながっている。
夕方その橋を渡り、フローレス側へ。
町は中心部が高くなっていて、ほぼ丸い形をしている。
その中心部には公園がありバスケットコートがある。
親父も兄ちゃんも女の子もみんなでバスケット。
美しい夕焼け。
ワンダフルライフ。
長くこの景色が見られますように。
マヤ遺跡、ホンデュラスはコパンへ。
NOT SO GOOD!
Ruta-ルート
esquipulas - chiquimula Colectivo Q8
朝6時起床。6時半出発。通学通勤ラッシュのコレクティーボ。一時間なり。
chiquimula - el florido Autobus Q8
グアテマラ-ホンデュラス国境へ。
Q1=£2で両替。
だが、ここから先のコレクティーボも同じレートでケツアァール払い可。
el florido - copan ruinas colectivo Q5
copan ruinas US$10
that's too much!
copan ruinas - el florido colectivo Q5=£10
逆のレート
£100=Q46
el florido - chiquimula Autobus Q8
ほんとうはここから夜行で出発したかったが、バスがなく泊まる。
夕立で停電。
nice site
Ruta-ルート
antigua - ciudad de guatemala Autobus Q4.5
朝、宿のみんなに見送られ、大ちゃんとともに出発。
グアテマラシティーはクアテマラ一の大都会と実感する。
騒々しく、大きく、人も多い。
18Calle 5aAv.あたり。
ciudad de guatemala - esquipulas Autobus Q30 4.5h
街角のバス会社がターミナルになっている。
かなり勧誘競争が激しかった。
出発前、バスに、飯を売りに来たおばあさんからハンバーガーを買う。
がちょうどの小銭がなかったため、札で支払うが、釣りがないとか言って、ぼられた。
こういうことは自分が動かなければあとで持ってきてくれるが、こういう状態のときはよく起こる。
バスが出発すると、物売りの演説が始まる。バス会社の関係者のような感じで、乗っていたのにはびっくり。
わけのわからない美容商品がなぜか売れていく。
集団心理は恐ろしい。
この町はかなり暮らしやすい町で、一通りなんでもそろっている。
観光客もたくさんいるし、スペイン語会話学校もたくさん。
飯も、スーパーも、土産物屋も。
夜、ほとんど全員のペンション田代宿泊者で近くの中華レストラン(日本人経営)北京へ行く。
1人Q70は高かった!
ちなみにこの宿では、ギター部が結成されていた。
みんな勧誘ありがとう!アイ 入部ド!
課題曲 ① いとしのエリー
② チェリー
カズ部長 サニーディサービス&くるり 最高でした!
今日は、アンティグアの町でゆっくりとする。
昼から、宿のみんなで買出し。
クレープ大会。
イチゴ、野いちご、バナナ、クリームうまい!
夜はなべ。何なべかわからないけどうまかったね。
ここの町、ガラクタ市が開かれる。
市場の脇にあるだだっ広い場所で、T-シャツなど衣類から、靴、雑貨いろいろ売られている。
おそらく、どこからかの支援品を勝手に売っている。
ものすごく悩んだ末、T-シャツを一枚買う。
9月26日のハードな移動を越えて、アンティグアにやってきた。
その近くの正式名san andres itzapa(イトサパ)というところへおでかけ。
ここはグアテマラ3大マシモン(サンシモン)の場所のひとつ。
ほかにはsantiago atitolan(サンチャゴ・アティトラン/アティトラン湖周辺)、zunil(スニル/シェラ近く)がある。
サンシモンとはとってもすばらしい聖者で彼を崇拝する宗教とのこと。
深く宗教に興味はないが、宿のみんなとともに行ってみた。
中米は先住民族の文化とその後の侵略により入ってきたスペイン系のヨーロッパの文化が混ざっている。
おそらく、サンシモンもそれらが混ざり合って、伝えられてきた宗教だ。
サンシモンにタバコや酒を飲ませて、祈る。
雰囲気はなかなか、はじめはこんなところ入って行っていいのかと思うが、慣れればたいしたことない。
しっかり、カテドラルの入り口付近や外では、いろんなお土産屋があるし、それほど厳粛でもないと感じる。
まず、入ると、ろうそくを立てるためのテーブル(だいたい2×1m)が、2列4行で並んでいる。
壁には、祈りが叶った人々のネームプレートらしきものが、ずらりと張られている。
一番奥には真っ黒なスーツを着た、サンシモンの像があり、彼は椅子に座っている。
その像の脇の階段から、サンシモンの正面で祈りをささげる。
みんな順番待ちで並ぶ。
お祈りの内容でも書いておこう。
きっと順序正しくはないが、内容自体は合っている。
①外の店で、蝋燭と葉巻と聖水と葉っぱの束を買う。
蝋燭には色があり、その色によって願いが違う。希望の願いの蝋燭を買うべし。
②教会に入り、並ぶテーブルの上に、蝋燭を灯し、テーブルに付けて立たす。
どこから火をゲットしたらよいのかわからないが、自分は持ってたライターでつけた。
人のからもらうと気持ち悪いなと思ったからね。
③付けた火から、葉巻に火を付けて吸う。
ここの葉巻、ものふすくでっかくて太い。一度に2,3本吸っている人もいた。
もちろん女性もやっている。
かなりむせそうになるが、がんがん空気を送ってやって、ぼろぼろにする。
ここでぶつぶつ言ってた人もいたけど、何言ってたかはわからなかった。
④聖水と葉っぱの束を持って、サンシモンへの列に並ぶ。
⑤サンシモンの前では、祈祷師?がいるので、その人にまったくすべてを任そう。
いない場合は知りません。
私の場合は、女性でした。中年の。
彼女に聖水と葉っぱの束を渡したら、名前を聞かれる。
それを言うと、お祈りが始まって、聖水を彼女の口からおもいきいりブッカケれらる。
まず正面に、そして側面と背面に聖水を吹きつけ、サンシモンのひざにかかった布にも振りかける。
要は、吐かれた聖水を浴びる。
体中に吐かれて、葉っぱで叩かれて、濡れたサンシモンの布を頭の上で絞られて、それで顔を拭かれる。
聖水が目に入って、目が開けられなかった。
わけがわからなかった。
なんだかんだ言って、結局サンシモンを自分では拝んでいないし、顔すら見ていない。
目が痛すぎてつらかった。
⑥儀式終了で教会を出る。
といったところでしょうか。
祈ることはハードです。
費用
祈祷師代:Q10
蝋燭:各Q0.5
葉っぱ:Q2
聖水:Q3
葉巻:Q??(忘れてしまった。) なり。
みんなも行ってみよう。
たいていの町には、インディヘナの市がある曜日ごとに行われている。
チチとはchichicastenango-チチカステナンゴのこと。
この町は木曜日に大きな市がある。それに参戦。
町中に、露店が並び、布、マスク、日用雑貨、生鮮食品、壷、人形、あらゆるものが売られていた。
Ruta-ルート
san pedro la laguna - panajachel Lancha Q15 30min
朝、別れを惜しみ、出発。すごくいい景色。
3枚目の写真を見てほしい。こんなところにも超高層が!
マンションらしい。
panajachel - chichicastenango Collectivo Q10
寝てしまったから時間はわからないがソウトウ早くついた。
やっぱり、公共バスより、コレクティーボのほうが速い。
市のある日は、たくさんの臨時もんが出ると思われる。
白人ばかりだった。
chichicastenango - chimaltenango - antigua Autobus Q15+Q2.5
チキンバスの満員はかなりつらい。
どう見ても3人席に、必ず4人は乗ってくる。
もしくは、通路が異様に狭くなっている。20cmほど。おかしい。
今回はこの日の日記そのままで終了してしまおう。
9/25日(水)
朝 ホットケーキ
昼 ネギご飯
夜 ワカモレ&パスタ
朝メルカドへ。アボガド2つQ3 タマネギ2つQ3
レインボー 首巻を買う Q15。
なーんもしていない。
ここにいる二人はスペイン語の勉強している。
この村唯一日本語のしゃべれるグアテマラ人が教師とのこと。
ものすごくおもしろいらしい。あってみたかった。
二人が勉強している間、俺は幸せずぎるほど時間をモテアマス。
何にもしなかった。この日。
小さな村では生活がすべて。
それがいいときも、退屈なときもある。
飯作って、散歩して、スケッチして、しゃべって寝る。
左から
①タマーレス
練り粉をラードでよく練り、豚肉や鶏肉のトマトソース煮をつめ、バナナの皮でくるみ蒸したもの。まぁ、いける。
②泊まった宿のbuenas nuevas(ブエナス・ヌエバス)
2,3,4階建設中。この村ではにわかに観光開発が活発化してきている。
その中で、ほかに遅れまいとバックパッカーをゲットするために経営を拡大したいと宿の親父さん。
ちょうど、2階から3階の階段を作り中。
宿の親父さんにアドバイスをくれと言われたので、めったにないチャンスと階段を設計しました。
言うだけ言って、出てきてしまったので、どうなっているか楽しみです。
しかし、あのゆったりとした時間の流れが観光客によって変えられないことを祈ります。
③3人で停電の中夕食を作り、食す。
村中停電、久しぶりに蝋燭の有難さがわかった。
そろそろシェラを出ると決めて、san pedro la laguna(サンペドロ)へ。
この町は、聖なる湖 lago de Atitlan(アティトラン湖)の周辺のいくつかの町のうちのひとつ。
ここにはシェラであった、2人の日本人の旅行者がいるってことで、ぜひ行ってみようと思った。
何にもなくっていいところらしい。
相変わらずカオスのバスターミナルで、サンペドロ行きのバスがすぐ見つかるか不安だったが、意外にあっさりと見つかった。
シェラからサンペドロの直のバスの道がすごかった。
山を超えていくものだから、雲なのか、霧なのか、よくわからないがとにかく一寸先は白だった。
そんななかをガンガン走らす。いろは坂もびっくりのくねくね道。
運転手のおじちゃんだけが暑いようで、Tシャツ1枚で、ぐるぐるハンドル回す。
とにかく見た目がグアテマラ人じゃなかった。
その真っ白の中で、とうもろこしを栽培している。村がある。
バスを降りた人はすぐ、白の中に消えて、どこへ行くのか、わからない。
2時間半の山道の旅。
Ruta-ルート
quetzaltenango - san pedro la laguna Autobus Q15
昨日からmomostenango(モモステナンゴ)の市に行って、モモステンゴ・ブランケットを目指すという固い意思が、
同じ宿の4人によって、曲げられ、シェラ近くのlos banosへ。
スペイン語で温泉という意味。
ここからはかなり近くてシェラから5KMほど。
los banos にはたくさんの温泉屋があり、選ぶのに困る。
個室の風呂貸切。1時間Q30なり。
ちょうどいい熱さ。
地元の人たちの家族や友達や知り合いやらとともに個室を貸しきる。
温泉があると長い旅もしやすくなると思う。
グアテマラには素晴らしい文化がある。
カフェ。もともとの発祥はどこからか知らないが、とにかくカフェがたくさんある。
シェラでのはやりカフェはとてもアンティーク調。
これがあると長い旅がしやすくなる。バナナパイ最高。
シェラとはグアテマラ第2の都市ケツァアールテナンゴの呼称。
標高2333m、人口20万人。
ここの今の天候は小雨が夕方にはぱらつく。とても寒い。
銀行について・・・メキシコとは対照的にT/Cがレートがいい。
国境ではUS$1=Q7.55だったが、ここではQ7.68くらいだった。
いよいよグアテマラへ向けて移動の旅を始めた。
実を言うと19日からすでに動いていて、ずいぶん長くかかった。
久しぶりの国境越え。
国境ですることと言えば、両替と出入国審査。
タリスマンから乗ってきたコレクティーボをのほほんと降りた瞬間から、すさまじい戦い。
両替屋のおじちゃんおにいちゃんたちに囲まれる。
本当に久しぶりの国境の出の両替に戸惑ってしまい、とりあえず、少しのメキシコヌエボペソの硬貨を両替。
グアテマラの硬貨の単位はOuetzal(ケツァアール)という。
有名な鳥の名前だ。
おじちゃんたちは降り立つ瞬間から、いくらだ!いくらだ!替えろ替えろ!といっていた気がする。
その勢いに負けて、しっかりといいレートか悪いレートか考える隙を与えられず、なされるがままに、両替してしまった。
飲まれて見事にやられた。こんなときのレートがいいわけない。とにかくN$17=Q10だった。
本当に小銭にしといてよかった。
ペソはもう持ってないとうそつきまくり。おじちゃんたち振り払って進む。
が、今度はドルを持ってないかと聞いてくる。
ちょっと自分も冷静になってUS$1=いくらだ?と聞くた。
はじめのやつなんてUS$1¥=Q4とか言っていた。むかつく話だ。
Q8だと言ったが、最終的にUS$1¥=Q7.55で決着。国境にしてはいいかなと思ったのだ。
しかし、これまた気を許したため、US$15=Q113.25にもかかわらず、もらったのはQ105。
おいおい!ボラレ屋日本人になってしまい、悲しくも、本当に腹立たしい国境であった。
さらにグアテマラの入国管理でうわさどおり、無理やり賄賂を取られた。Q10。
微々たる額だがむかつく。
子供も寄って来て、小銭をせがんでくるしねぇ。どうしてあげたらよいか。
ただただ、振り払うことなく、遊んであげるしかできなかった。
ひさしぶりの大変な国境だった。
Ruta-ルート
puerto escondido - pochutla Autobus N$15 Local 1.5hrs
本当に気持ちのいいルートだった。
左手に山、右手に海。ローカルバスだったから、クーラーもなく、窓開けっぱなしで、気分は最高。うたうたいまくり。どんなに聞こえても気にせず!恥ずかしながら、るんるんである。
pochutla - tapachula Autobus N$279 primera 夜行 12hrs
タパチュラはメキシコとグアテマラの国境に近い町で一気に夜行で行った。こちらはすごくいいバスで、寒さも抜群。クーラー効きすぎ。
tapachula - talisman collective N$7 30-40min
タパチュラのバスターミナルを出てコレクティーボ(乗り合いワゴンタクシーといったらいいか、ルート上ならどこでも乗れて降りられる)を捕まえる。さらに国境近くへ向けてタリスマンというところへ向かう。ジャングルのような風景を抜け、到着。
talisman - el carmen 徒歩
イミグレーションにてスタンプをもらい、賄賂を払う。ちっ。
el carmen - malacatan collectivo Q3
グアテマラ側の国境近くの町まで。そこのバスターミナルで、最初の目的地のシェラ行きバスを教えてもらう。
ここのバスターミナルにくると、相当メキシコとの違いがわかってくる。
バスターミナルなのか、市場なのかぐちゃぐちゃに混ざってわからない。
行き先の書いてないバスもあるし。
メキシコの交通システムの進歩度と比べると天と地の差。もうメキシコはほぼ先進国だと実感。
バスの中では、物売りたちのすごい勢いで入ってきて、売りさばく。
民族衣装の女の人たちもたくさん見られるようになってきた。
彼女たちの押しは本当にひどいくらい強い。
malacatan - ?? - xela(quetzaltenango)
シェラに行くバスに乗ったはずが、どこかわからない町によりまくり、じぶんがドニコイルのかまったく把握できなくなった。
グアテマラ恐るべし。
言われるがままに、乗ってると出発から6時間後(異常に長い。しかもバスを一度乗り換えさせられた。)、シェラことケツァールテナンゴになんとか到着。
ここはグアテマラ第2の都市。
だが、なんというバスターミナルだろうか。ごみ場かと思った。ここも市場と合体している。
小雨が降っていて、地面の土はぐちゃぐちゃ。ごみは捨てられまくり。オォー!まじすげぃ!
xela(quetzaltenango) - centro local Q0.65
これまた大変。どこで降りるかわからないから、セントロ(町の中心部)で降ろしてくれと運転手さんに言ったのに、終点まで連れて行かれた。
終点とは町の中を通り過ぎたあとの郊外のどこか。
セントロはもう過ぎた?と聞くが、うんと言って、あれに乗れと別のバスを指したのにはびっくり。
まったくである。
そんなこんなでものすごく長い移動トータル36時間ほどがようやく終了。
宿に着いたときはうれしかったです。
復活!
この空白の数日をどのように捉えていただけただろうか?
この海の町プエルト・エスコンディードでの暮らしはこんな感じだった。
素晴らしく素敵な時間。
しかし、食事はなかなか、観光地ということで、海の町は高い。
だから、山の町へ買い出しに行っていた。
地元の人はここら辺に住んでいるから、物価も安く、市場もある。
鳥の丸焼きを好物として、食っていた。
それとワカモレをよく作っていたな。