July 5, 2008

スイスの亡命チベット人<Wadenswil No.2, Switzerland>

水泳、バーベキューを頻繁に交えつつ、ぼくも素子もそれぞれやりたいことをやって充実した日々になっているウェーデンスヴィルの毎日。それも早くも一週間。

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(家からちょっと歩くと、こんなナイスなBBQスポットが)

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(こんな感じでソーセージを直火焼き。ビール、ワインを持って、家のそばでこんなことができるのは本当に贅沢な環境だなって思います)

素子は犬関連の施設を見学したりしていて、ぼくはスイスの亡命チベット人の取材をしています。

1959年にピークに達したチベット動乱のあと、ダライ・ラマを追って十数万人のチベット人がインドなどに亡命したと言われます。インド、アメリカについでスイスに亡命者が多く、その数3000人ほどとのこと。友人によると、スイスは住民の30%ほどが外国人とのことで、いろんな国からの亡命者も多く、チベット人もその一つ。4月のチベットでの騒乱以降、海外のチベット人がどのように暮らしているのかも気になってきて、今回せっかくスイスにいるのだからと、調べてみることにしました。

今、泊めてもらっている、純子ちゃんの職場の同僚にも二人チベット人がいて、先週はその一人にあって話を聞きました。

37歳の彼は、18歳のときに出身地である四川省の甘孜(チベット文化圏で、チベットの地理区分ではカム地方)から親戚とともに3人で出て、ラサへ。そのときは別に亡命するつもりではなく、当時彼は、ダライ・ラマがすべてというような時期。いろんなお寺や聖地的なところを巡礼して回ったのちに、甘孜に戻ろうと思っていました。でも、カイラス(ぼくらが昨年11月に行ったところ。詳細はここ)を巡礼したときに、感激が一つの頂点に達し、一緒にきた親戚の僧侶らとともに、「よし、ダライ・ラマに会いに行こう」とインドへ国境を越えることを決めました。

カイラスのそばの村で、国境を越えるルートを知っている年長者を訪ね、彼に地図を描いてもらって、ヒマラヤの山中を3人で抜けたとのこと。途中、密輸業者の一味のふりをしながら、国境の警備をくぐりぬけネパールへ。そしてインドへ。インドで10年近くさまざまな職業を転々としたのち、スイスへ移住する方法を見つけて、スイスへやってきました。スイスに来て7,8年。数年前に"Refugee Passport"なるものを取得して、いまチューリヒ在住。

「インドからスイスへはブローカーなどを使ってきたけれど、その方法は言えないな。まだ自分はスイスのパスポートをもらってないから、いろいろと問題があるんだよ。中国とチベットの政治的なことについても話したくはない。いまも中国にぼくの家族がいるんだから」

家族とはもちろん、20年近く前中国を出てから会ってません。

「インドに逃げてきてから、両親に初めて電話したのは5年後。その間に手紙は1,2度出しただけだったから、両親はぼくが死んだと思って、祈ってたって」

中国で暮らすその両親にいまはスイスから送金して生活を助ける。でもスイスのパスポートがないから中国に会いに行くことはできず。仕事はチューリヒの寿司屋での寿司作り。給料ももちろんスイス水準で、日本的に考えるとかなりいい感じ。

「いまの生活には何も不満はないよ。賃金もいいし、すみやすいよ。スイスでの生活を知って、いろんなものを見てから、ぼくは正直、前より宗教のことは考えなくなった。多分スイスにいる多くのチベタンが同じだと思うよ」

ざっと書くとそんなところ。彼のようなチベタンをはじめ、さまざまな背景のもとに集まってきた人たちが暮らすスイス社会に興味が強くなってきてます。

明日はリコン(Rikon)というチベット仏教の修道院がある小さな街で、ダライ・ラマの誕生日を祝う式典があるとのことで、それに参加してきます。

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(彼女は、ウェーデンスヴィルの近くに住む友達ヤエル。3年前チベットを旅したときに知り合って、今回それ以来の再会。相変わらず、ワイルドかつのほほんとしたキャラでうれしい再会でした)

それから。友人からメールをもらって、掲載日未定だった記事が週刊誌に掲載されていることが分かりました(浅井くん、ありがとう!)。イランについての紀行文ともエッセイともレポートともつかぬものですが、よかったら。7月4日に発売した[「週刊金曜日」に載っています。


Posted by ykon at July 5, 2008 11:53 PM | トラックバック
コメント

スイスにも亡命チベット人がいたとは知りませんでした。しかも本人もさほど「亡命」ということを意識していたわけではなく、結果として亡命になってしまったというのはおもしろいですね。「ダライラマに会いに行こう」というその時代のちょっとした判断が、その後の人生を大きく変えたよう。

Posted by: よっしー at July 6, 2008 9:30 AM

お久ぶりです。一つ前にコメントしてしまいました!!ドジ!!
このユーロ高に欧州とは!!私は円高のときに通ったので行くびにレートが下がって経済的には楽でした。当時は日本は高いだけでしたが・・・今は欧州から見ると安いといいますね。
いつ誰がどんな角度で見るかで、ぜんぜんちがって見えますね。
以下も例にもれず。北九州に戻って2年目を経過・・(故郷でもあるのに)不思議ですが未だに気分は長期滞在の旅でいます。洞海湾、若戸大橋の下の昭和47年時の写真と現在の写真を並べて見たとき、死の海と呼ばれていた当時とははまるで別物。昔は愛せなかった街だったことが良く分かりました。
 最近は山、海、川、島、市中の緑が多く、面積もひろくゆったりしているのが何にもまして落ち着きます。地産地消も早くから進んでいますし・・。少なくとも今は暮らし易い都市です。←関係ない話ですみません。

Posted by: omoko at July 9, 2008 11:55 AM

>よっしーさん

スイスはチベタン以外にも移民や亡命の人がいっぱいいるようで、なかなか興味深いです。とりあえずチベタンだけでも、スイスにやってきた経緯はいろいろなんだなということが分かりました。でも、ほんと、スイスでチベタンと話すとは思ってなかったから、なんだか懐かしくてうれしいです。広州行くんですよね!広州版の立ち上げですか?がんばってください!

>omokoさん

ご無沙汰してます!本当にヨーロッパは高いです。。。まともに旅行していたらすぐに破産しそうです(笑)。いまの感覚で日本帰ったら、結構気楽にお金が使えそうな気がします。北九州は本当にきれいですよね!そういえば、なんとなく小倉の公園なんてこぎれいさがスイスに近いようなイメージのような。。。また是非遊びにいきたいです。

Posted by: ゆうき at July 14, 2008 6:20 AM
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