Taglang La は標高5328mの峠。道路のすぐ傍らに石碑が立てられていて、そこにはこう記されている。"Taglangla. Altitude 17582ft. You are passing through second highest pass of the world unbelievable is not it?"
加えて、石碑の後ろに見えるヒンドゥー寺院は世界で2番目に高いところにある寺院であり、ここのトイレは世界で最も高い位置にあるトイレなのだそうだ。
空気が薄いとはこういうことかと、今更になって自分の身をもって知る。少し動くだけで息が速くなり、なんとなく頭がボーっとして体がだるい。頭上のすぐそばを足早に過ぎ去っていく千切れ雲が、澄みきった薄い空気を通って突き刺す太陽光線を時折遮り、その瞬間、瞬間に世界が暗くなったり、明るくなったりする。
Manali - Leh ロードは、ヒマラヤ越えの475kmもの道程を、バスで僅か2日で通過してしまえる驚異的な道だ。インド平野部の田舎道などよりも、むしろよくメンテナンスされていて快適な道である。隣国パキスタンとのカシミール問題に絡んで、ここからさらに北方の国境付近で両国軍がにらみ合っているという状況が、なぜこの驚異的な道が作られたかという理由の一つであるようだ。道中、物資や軍人を運ぶ輸送トラックの車列を何度も目にした。
当然この道のメンテナンスのために、大量の人員が配備されている。崖と空気と太陽光しかないが周囲は絶景という作業現場で、日焼けとタールで真っ黒な肌をした労働者達が汗を流している。バスに乗っていると、突然人影があらわれて、無言の戦士とでも呼びたくなるような風貌の労働者が乗り込んできて、再び無名の土地で降りていくのだった。
王宮から数百メートル見上げた位置に、ツェモゴンパという小さなゴンパが建っている。この岩山自体をツェモと呼ぶらしい。王宮からさらに急な斜面を登るのがまた一仕事で、平地ならなんでもない坂の途中で、何度も息苦しくなって立ち止まりながら、二十分ほどで到着する。時間が悪かったのかもしれないが、ゴンパには鍵がかかっていて中には入れないようだ。
双子のような山頂が2つ並んでいて、そのうちの一つの頂にツェモゴンパがある。そして、もう一方の山頂からゴンパに向かって、三本のロープにつながれたタルチョが弧を描いて伸びている。海も空もそうであるように、真っ青という色は吸い込まれそうになる色を差すのだなと思う。昔の人は、空に吸い込まれてしまわないように、一生懸命タルチョを空一杯にはためかせたのかもしれないと、勝手な妄想。
レーから30km程インダス川をさかのぼり、左手の山間を入ってゆくと、シャクティ(Shakti)渓谷のゆるい上り坂が続く。シャクティの村は、畑の中にまばらに民家があるだけで、ひっそりと静まり返っている。渓谷の奥の、山のずっと向こうまで続いているかに見える道の脇で休んでいると、すぐ頭の上に雲が沸いてきて、渓谷に風が舞い始める。遠くで何人もが歌を謡っているのが確かに聞こえるのだけれど、人の姿が全く見えないので、空耳かもと自分の聴覚が疑わしくなる。
シャクティ村の奥には、小さなタクトク ゴンパ(Tak-Thok Padmalinggon
優しい顔をしたチャーミングなラマで、小さな茶飲み茶碗でお茶を飲むときには、ピンと小指が立つ。夕食を振舞ってくれるときには玉葱を刻みながら、こちらを振り向いて涙を流す。
壁を土で塗られた僧坊は、土が音のクッションの役目を果たすのか、しんとした平穏な雰囲気の空間。こんなところに住んでいたら、すぐにおじいちゃんになってしまいそうで、ちょっと怖い。
タクトクゴンパからインダス河の谷まで下り、そこから西南西へ干乾びたインダスの支流を登る。2時間程歩くと次第に谷が狭まり、数十の民家と畑のある小さな村を通り抜けると、地面に斜めに突き刺さったかに見える巨大な岩山を背にして、へミスゴンパ(Chanchubsamling
17世紀の建立当時よりしばらくはナムギャル王家より手厚い庇護を受け続けたことと、1974年以降、国外の旅行者が大勢ラダックにやってくるようになった後は、旅行者の大半が訪れる有名なゴンパとしてその名を知られるようになったことで、他のゴンパと比較してずいぶんと贅沢なメンテナンスが施されているようにみえる。いささかおカネの匂いがしないでもない。
この壮観なゴンパは、幾つもの堂が入り組み、岩山の裾に沿って細長く広がるコンプレクスで、内部を進む際、領域を跨ぐ毎に、次々に異なる場面が展開する。多様なレベルのフラットルーフの上を、昇ったり降りたりしながら自在に行き来できるようになっているのも、よく出来た造り。一番上部のフラットルーフには所々に植栽が施してあって、素敵な屋上緑化になっている。
ティクセの頂部にあるDukhang(本堂?)では毎日読経が行われている.昼の読経は11時からだというので,ゴンパのコンプレクスを徘徊する.Dukhangの屋上へ登ると,巨大なラッパ(名はなんと言うのだろうか)が2つ,行儀よく並んでいる.大空に向かって力一杯吹くと,いったいどんな音がするのだろうか・・・
読経の時間が近づいた頃,2人の若い僧が屋上へ姿をあらわし,読経の合図だろうか,心もとない息づかいでラッパを奏でる.Dukhangへ入ると,50人ばかりの僧たちが続々となだれ込んできて所定の位置に座ってゆく.トップライトが差し込む堂のなかで,やかんの先から甘ったるい匂いのする湯気をふりまきながら,せわしなく小僧さんがバタ茶を注いで回る.高僧とおぼしき人物が一番最後に入ってきて堂の奥に座し,何やらモゴモゴとマントラを唱えて読経が始まった.
どこの世でもちびっ子はちびっ子で,入り口付近の若い僧はどうにも落ち着かない様子.隣や向かいの仲間とおしゃべりが弾み,きょろきょろしたり,あくびをしたり,オレンジ色のキク科とおぼしき花輪を鼻の穴に差し込んで悦に入っているのもいる.そんなところへ,フワフワと白い綿毛が堂の入り口から漂ってきて,どんどんと堂の中央に向かって進んでゆく.トップライトを受けて銀色に輝きだした綿毛を僧たちが見逃す訳は無く,「綿毛,あっちいけフーフー大会」が開始された.小僧だけでなく,もっと奥に座っているいい年をしたおじさんも綿毛に夢中で,必死で食らいつこうとする.が,あまりに盛り上がってしまったので,さらに奥に座っている長老級の僧に見つかって,綿毛を取り上げられてしまった.つかの間の大会の間,もちろん読経は続いている.
始まって30分を過ぎた頃から,だんだんと皆の頭から煩悩が消え,堂の空気の一体感を感じる.時折,僧の頭がキラリと鋭く光ってハッとする.それからしばらくの間,それはそれは贅沢な時間でした,
若い僧の案内つきで,アルチ・チョスコル ゴンパ(Alchi Choskhor Gompa)を拝観する.仏教美術の研究者や予備知識が豊富な訪問者であれば,ラダックの最大の見所の一つといって良いと思われる場所だが,もともと目をつけていたわけでもなく,訪問時にはさして期待もしていなかった.平らな土地に広がる境内に配置された堂は木々によって所々覆われており,どこにいても境内の動線が見渡せないので,敷地内に入っても全体が把握できず,寺の敷地内にいるという実感が湧かない.ところが,しばらく僧の案内について詳細を見ていくと,素人目にも今まで見たことないとはっきりとわかる堂,仏像,壁画が次々に現れる.一見地味ではあるが,ディテールに凝ったものばかりである.最も目をひかれたのは,三層堂という意味のSumtsek(左写真).内部には,入り口の面を除く三方の壁面を背にして,高さ4,5mはあろうかと思われる彩色された大仏像が立っており,また,壁という壁が足下から頭上まで千仏画で覆い尽くされているのは圧巻.
早朝にアルチ村を発ち,さらに下ラダックへむかってインダス川沿いの渓谷をくだる.行けども行けども,明るい茶色の景色が続く.時折,軍の仰々しいトラックがかなりのスピードで自分の脇を追い越して,あたり一帯に砂埃を舞いあげるが,走り去ってしまうと,またすぐに音の無い世界がやってくる.4時間程歩いたところで.ウレトクポ (Ulle Tokpo)という小さな集落に行き着く.そこで,チャイとビスケットをお腹に蓄えて小休止した後,行く先にリゾンゴンパのある山道に入る.両側に岩の崖が切り立ち,底には小さな清流が流れる谷間をずんずんと登ってゆく.岩と水だけの同じような景色が交互に現れるので,本当に道が合っているだろうかと,途中で不安になってしまう.
しばらくぶりに,LehのTi Seiゲストハウスに戻ってきた.窓の外では,一家総出で,といっても4人だけれど,麦の脱穀作業が行われている.計八頭のロバ君と牛君を横一列になるよう棒に当てがい,麦の実と穂とがよく離れるように足踏みをさせながら,垂直に立った杭の周りを,ぐるぐるぐるぐる廻らせている.ロバ君達は文句一つ言わず,ひたすら足踏みをしながら,杭のまわりを周回する.
ロバ君達の役目が終わると,こんどは人間たちの番.麦藁と麦の実の混じり合ったかたまりを,口笛のリズムに合わせて勢い良く空中に放り上げる.柔らかな夕方の風に吹かれて,麦藁や小さなゴミはフワフワと周囲に散っていき,麦の実だけが後に残るしかけだ.
- Serchu -