中目黒のSPACE FORCEで『ザクロ』を見た。
三画面デジタルスクリーンの右端一つだけが紫のモノカラーで惹かれた。
テーマは究極の恐怖と緊張と苦痛の中での大爆笑。だと思った。(キーワードは・・・ザクロとass hole。単純に連想すると単純な筋が浮かぶと思う。恐らくそれはそう外れていない。)声を発したら殺される状況で、笑ってしまい殺される。
こういう状況で、人は笑えるものだろうか?笑いには、肉体と精神にかかるストレスを一瞬にして解放する力があるのかもしれない。と思えば、笑えない状況にあるほど、防衛本能により人は笑うのかもしれない。
TVサスペンスで、追い詰められた犯人が「あーはっは」と笑いながら罪を告白するのを怪訝な思いで見る。仕事や人間関係で何かやらかした時、「エヘエヘ」と意味の無い笑いを浮かべて頭を掻く種の人をあまり好きではない。弾けたように泣く様は笑っているように見えることがある。
自分はどんな時に笑うか?防衛手段としての笑いは殆どしたことが無いように思う。
でも最近は、腹筋が痙攣起こすんじゃないかと思うほど笑い転げることも、あまり無いなとふと気付く。
「そこら食」とでも言おうか、ここサイゴン(ホーチミン)ではそこらで誰かが何かを食べている。簡易調理セットで器用にこしらえられたものを、アジア独特の小さくてカラフルなプラスチック椅子に座った面々が熱心にいただいている。傍から見ると、子沢山のお母ちゃんが、ぐるり囲んだ子供たちにご飯を食べさせているみたいで、とても微笑ましい。
包丁ではなく大きなハサミで何でもチョンチョン切る。小さなお皿は、お玉にも、フライ返しにも、タレ入れにもなる。ベコベコの食器は、タライの水でサッと一洗い。
少し歩くとすぐ新しいネタに出会うので、その度にちょっと様子を見て、やっぱり座って、皆と同じものをもらって、食して、立ち上がってまた見つけて、の繰り返し。一回の量は少ないが、常時お腹が満たされている。
変だ。絶対変だこんな道。オモチャか遊びで造ったとしか思えない。
切り開かれた姿が痛々しい薄茶の土地に、車幅ギリギリの絶壁道だけがくねくね模様を描いてせり出している。その高さ5mくらい。ガードレールなんて望めもしないし、角の鋭いこれまた薄茶の石ころが転がっている。そこを、何故か落ちない技術と何故かパンクしないタイヤが、乗客と恐怖と感動を運んで行く。きっと皆が各国語で突っ込みを入れていたに違いない。
弾む車内で背もたれに頭がぶつかり痛いので、空気枕を当ててみた。途端、ポンと弾んで前の座席で額を打った。
今日はこんな変てこ道を越えて、タイからベトナムへ。
地続きでも国境は怖いくらいハッキリと存在している。
ベトナムへ入ると、突っ込みの入れようも無い平らなアスファルト道を、A/Cバンバンの大型バスが滑るように進む。こげ茶色の川に、菅笠姿を一つ乗せた小舟が浮かぶ絵葉書のような光景が、曇ったガラス窓を通して幻想的ににじむ。そして、超大量のチャリとバイク。
ドンヨリ空にシトシト雨の日が一番カラフルになる素敵な国だ。
二輪車全体を覆う大きな大きな雨合羽が連なる様子は、絵の具のパレットそのもの。しかもメーカーも複数あると見え、同じ色でも微妙に形や色味が違っていて、覆われた個性を新たに作り出している。そこから覗くのはドライバーの顔だけだが、その前や後ろはポコポコと、同乗者の頭の形にふくらんでいる。
自分の子供の名前を、姓名判断をして決めようとは思わない。でも、名前がその持ち主の人生や人格に少なからず影響を与えることは、確かにあると思う。小さな所では、ちょっと自分と名前が似ているだけで、そのヒトやモノが何だか妙に気になったり。そういえば旅先では大抵、その国の言葉で自分の名前と発音や綴りが似ているものを聞いてしまう。
昼間はとても平和なプノンペンの、これまたとても平和な雰囲気のアートショップ通りを歩く。"Asasax"というAngkol Artistの作品にふと。人と生物と遺跡と自然と色とが一緒になって飛び跳ねているような絵だ。
"Asa"が一緒なだけだが・・名前含めて、ポイント高し。
◆ZDNet :国内でも蔓延し始めたMBlast、注意すべきは「休暇明けのPC」
◆Microsft TechNet :Blaster に関する情報
アホだサルだと言われても仕方が無いけれど、私はWinXPを02年5月のままの状態でのうのうと使用していた。
で、感染12万台分の1台になった。(母数が小さすぎる気がするが)
8/12夜、いつものようにPCを起動しネットに接続すると、「RPCサービス異常終了」警告と共に「シャットダウンまで1分」のカウントダウン。ポカンとしているとパシャンと切れて、再起動された。やっと起ち上がったらまた1分カウントダウン。パシャンと切れて、また起きる。・・・・
戦争と一緒。結局一番被害を被るのは、無知な一般庶民だ。「対策してないからあかんのやんけ」と言われても、
一般庶民は、自分の所持する文明の利器ほどに文明を理解していない。
狙い所が違うっつーの。
***
修正パッチと、ファイアウォールの設定、ファイルとレジストリの削除完了@8/13夜。
会社では、家から持ってきた感染ノートPCをつないでファイアウォールで検出された「アホ三名」がいたらしい。
やっぱアホなのか・・・でも一般庶民はアホなもんだ。
大流行のウィルスにやられて、ちょっとだけ喜んでいるアホでもある。私。
一人暮らしの食事にありがちな「○○尽くし」メニュー。本日は鯵尽くし。
・黒豆ごはん:軽く炒った黒豆と一緒に炊く。驚くほどキレイな紫色は、黒豆の神秘。
・鯵のたたき:大葉マジックを痛感。大葉を敷かないとひどく貧相だ。
・鯵のトマト煮込み:ニンニク・唐辛子・玉ねぎetc+ホールトマト・赤ワイン(かっこつけて入れてみたが、
甘くなって×)・ローリエ+たっぷりのチーズ+ソテーしておいた鯵(三枚開き)
・鯵せんべい:残った真中部分+小麦粉→多めの油でカリッカリに+塩。私は背骨までボリボリと行く。
ちなみにこれは前菜で、チヂミがメインだったりする。
チヂミのタレは作るべし:
醤油・酢(2:1)
ごま油(少々)
ニンニク・ネギ(みじん)
一味やすりゴマ(好み)
わさび(マニア)
上京し、まずやらなきゃと思ったのが、魚をさばくことだ。
一人暮らしを成功させるには、魚をさばくしかない、と思い込んでいた。
毎日曜のように、駅の傍のスーパー丸正で鯵やら鰯やら秋刀魚やらを買ってきて、さばいた。
ちょっと上達すると、イカに挑戦し、水を張ったボウルに浮いた8個の目玉に勝利を覚えたりした。
魚をさばけることが、美味しい料理を作れることとイコールでないことは、すぐ分かった。
けれど、メリットは確かにあった。
自分の腕に打たれる注射針を、直視できるようになった。
鋭利なものが、柔らかい表面に飲み込まれて行く様子を直視する度胸。
そこからプシュッと出てくる赤黒い内臓を見慣れたら、注射どころか、血を抜かれたって平気になった。
(私の幼少を知る人から見たら、かーなーりの成長)
半年も経つと、魚をさばくより他にすることが出来て、日曜の朝スーパーに行くことも無くなった。
でもたまに、ほんとにたまに、きっと自分が最近いい生活をしていないと思う時、思い立って鮮魚を買って来る。
最近の生活の埋め合わせをしたような満足感を、簡単に得られる。
これもまあ、メリットだ。