「ちょっとお姉さん」
「?」
「当たり前だよ、当たり前。」
閉じたシャッターの前に敷いたダンボールの上から。
はむっっ
何故かこのエントリだけが忽然と姿を消していた@8/01夜
あのオジチャンにやられたかな
当たり前だと言われると、大体「あれのことかな」と思い当たることがあるもんだ
主語の無い文章って日本語の神秘。
アンコール遺跡への拠点シエムリアップから、カンボジアの水瓶トンレサップ湖を渡る船に乗って首都プノンペンへ。
船の中では地元の男たち(女性は殆どいない)が、見事なまでに首の角度を揃えてザ・ベストテンのような歌番組に釘付けになっている。歌は生活の中から生まれてきたから、お国柄がよく出る。今でこそ洋楽を必死で聞く日本人だって、ふとした折に出る鼻歌は、日本のリズムが多いのではないだろうか。だから声質とかメロディーとか、その国で一般受けする歌は国によってかなり違うと感じる。
・・・要は、「音痴だな〜」と突っ込みたかったのだ。でもきっとこれがカンボジアの「ナウい」歌なんだろう。かな。
プノンペンの夜は早い。20時以降、それまでの通行人は昼間のプノンペンを演出するエキストラだったかのようにいなくなった。そこら中で半熟有精卵(※)をスプーンで突付いていた人々が、出番の終わりを察知して足早に去って行った。
※地元食なのか、通りの屋台は殆どこれ。黒い羽の生えた固まりを、ジャリジャリ言わせて食べている。
泥んこまみれ。オンシーズンには数メートルの雪の下で静かにしている苗場スキー場の土が、梅雨と数万人の足の総攻撃を受けて、田んぼのようになっていた。しかし泥の中にズボズボ足を踏み入れる感触も久々で、楽しいと思えば思えないこともなく、長靴を履いてこればよかったと少し後悔した。
感心したことは
簡易トイレのペーパーが切れていないこと、きちんと水が流れ、入ってギョッとしないこと。屋台のカップやトレイが全て紙製であること。同じくスプーンも使い勝手のよい木製であること。会場に殆どゴミが落ちていないこと。「ごみゼロナビゲーター」が示されたごみ捨て場改めリサイクルステーションとボランティアスタッフが充実しているからだ。
涙がちょちょぎれたことは
Asian Dub Foundation は"Fuck'n Bush and Rain!!"なんて叫んじゃって、「うぉぉぉ〜」と湧き立つ会場は常に乱闘状態。背中や腕に青い余韻。
Bjorkは伝えることが最高にうまく、最高にかわいく、最高にパワフルで、とてつもなく大きくて真っ白なエネルギーの塊をぶつけてくれた。
では俵万智 第二弾:
ステージの上に寝そべる
コードたち
とろけて落ちた
五線のように
波左間からの帰り、127号線を走っていると、右方の山腹に、真っ朱なお堂がうねる崖から迫り出しているのを発見。
船形山の大福寺にある舞台造りの観音堂、通称"崖観音"。安房随一と言われるお堂からの眺望よりも目を引いたのが、鮮やかすぎる青色の天井絵と、「おんまかきゃろにきゃそわか」。
「おんまかきゃろにきゃそわか」:
ここの御本尊である十一面観音の御真言だ。"真言"を"観音様から授かった言葉"だと誤解していた私は、ありがたく頂戴して意味も分からないまま反芻してみる。夜になっても思い出せた(最近の私としてはひどく稀)ので不気味になった。
"真言"とは、その仏様をお祈りする時の呪文で、人の精神や人格までをも揺さぶりまた統一させて、より仏に近い状態へ持っていくような、魂の叫びに匹敵するような言葉だそうだ。梵語をそのまま音、しかもひらがなで表しているので、意味が分からないような、全ての意味があるような、不思議な感じ。
霧煙る鋸山へ。
俗人が知識無しに歴史芸術を堪能することは難しい。目が行くのは自然芸術や分かりやすい「数」の芸術(「お願い地蔵」が数万躰積み上げられているとか)ばかり。
「日本寺とはまたえらく図々しい名前つけたもんだな」と思っていたが、解説を読んで、それなりの図々しさは許される背景を持っていたのだと知った。
1300年前聖武天皇の勅命で行基によって建立されたお寺。良弁や空海も修行に訪れた「我が国でもまれにみる古道場」とある。大仏(薬師瑠璃光如来)の大きさは31m(東大寺の盧遮那仏は18m)で日本最大。大仏広場には、インドから贈られた、ブッダガヤの聖菩提樹の分木が植えられている。
結局歴史的財産って、それを価値とする人の心によってしか成り立たず、とすれば歴史なんて、どれを価値あるものとみなし、どれを後世に伝えるべきものとみなしたかという、人の心と行為の積み重ねに過ぎないんだなと思う。事実と真実は違うということだ。
・・・ブッダガヤの木、きちっと見とけばよかったな、と思ってしまう小さな自分がちと情けない。
千葉県館山市波左間でダイビング:
私のレンタルウェットスーツは迷彩柄・・・というかワカメ柄。
右耳の耳管が細くこちらだけ耳抜きが苦手な私は、二本目のダイブで鼻血。驚いた。人生で二回目の鼻血だ。
しかし鼻血ダイバーはさほど珍しくないらしい。というわけで調べてみた。
ダイビング中の鼻血の出所は主に3つ(多分):
1 中耳腔から(耳抜き不十分→陰圧の中耳腔内に滲出液)
2 副鼻腔から(鼻炎など→陰圧の副鼻腔内に滲出液)
3 鼻粘膜からの出血(耳抜き時、鼻を強くつまみすぎの鼻血)
1と2は、外側の水圧に比べ陰圧になってしまった腔内の容積を少しでも小さくし(=内圧を上げ)ようと、表面粘膜から滲出液が出てきてるのだ。自分の体ながら、迷惑をかけて申し訳無い。2は鼻のつまっている人が、副鼻腔が抜けなくてなるもの。私は鼻炎とは縁が無いし、鮮血でなかったから3でもない。やっぱり単に耳抜きが出来ていなかったらしい。
特大コブダイに触った。ヌメヌメ。マンボウに触った。ゴリゴリ。
ここのウリは、マンボウ。千葉の大敷き網には、多い時には40匹ものマンボウがかかるそうだ。網の目的は他の魚なのに。だからそいつらに、大きな生簀で暫く人間の遊び相手をしてもらった後、また自由な海へ帰している。ちなみにこの網にはマンタ(※)もかかるが、マンタは暴れて他の魚を全部傷つけてしまうので、即殺されるらしい。。
私の想像していたマンボウは、柔らかくてプクプクだった。実際は、横からの見た目だけを気にして作った鉄のオモチャみたいに、すごく平べったくて、固くてゴリゴリしていて大根がよくおろせそう。目は手芸屋さんで売っているぬいぐるみ用の大きな目みたいだった。大人しくて人懐こいけれど、口は結構鋭い。正面で向かい合うとかなり印象が違った。
※オニイトマキエイ:ダイバーの憧れ、世界最大のエイ。昔、海遊館で見た。「大風呂敷を広げて」という言葉が浮かんで仕方が無かった大きな大きなエイ。
有名すぎるこの歌人が、
偶然にも自分の家の最寄り駅と同じ名前であることにふと気付き、
今更ながら作品を味わってみる。
幅広い年齢の読者に愛され、『サラダ記念日』が空前の大ベストセラーとなった頃は、
作品を愛するにも人を愛するにも「幅広い年齢」に漏れる幼さだった。
自分も多少は大人になったんだなと思いながら読む。
付箋を貼りつつ読むのは白けるから、
読み終わった後にも覚えている歌だけ残ればいいと思って読み進める。
で一番残ったのは?
ゆく河の流れを
何にたとえても
たとえきれない
水底の石
心理テストだったら何と出るんだろうか。
同じ宿に、とてもハンサムな日本人男性が泊まっていた。Tシャツから覗く両腕には立派な龍が舞っており、職業は大工だと言った。日本建築の美しさと自分の職業に対する誇りを語る口調はとても熱かった。
彼は夜な夜な近くのディスコへ出掛けて行って、朝まで帰ってこなかった。私が一度見かけた時は、端の方のテーブルできれいな日本人女性二人に囲まれていた。後で、彼は一度もアンコール遺跡へ足を向けること無く、バンコクへ戻って行ったと聞いた。何やら女性をその気にさせる薬を常備していたとも聞いた。聞いただけだが。
アンコールワットの階段はとても急でしかも角が磨り減っていて、でも手摺無しで上がってやろうとへっぴり腰で足場を探しながら、旅はほんと人それぞれだなと思った。遺跡の石はいつもヒンヤリとしていて、必ず人の気配のしない静かな場所があって、そういう所に座って遠くを眺めていると、別にどの旅がよくてどの旅は褒められたもんじゃないなんて無くて、誰がどんな旅をしようと、訪問を受けるモノはこうしてどっしりと待ってるだけなんだなと思った。ヒトは変わるかもしれないけれど。
アンコール遺跡には多くの子供達がいる。
達者な英語で説明しながらついてきて、最後には必ず"Cold Drink?"とか"Pen for School"とか"$1"。
アンコール遺跡の周りにも多くの子供達がいる。
田んぼでひっくり返ったり、木の枝の先にカニの足をつけて釣りしたり。
一旅行者として、前者には苦笑いし、後者を微笑ましいと思う。けれど、微笑ましい子供達は遊んでいればいい、より恵まれた子供達なのかもしれないと思う。結局、どちらも同じ子供達の両側面であって欲しいと願う。
屋上で側転をする。
子供の頃はもっと、頭が腰より下に来る経験が日常的だった。一瞬にして体内の血が大きく動く感覚が日常的だった。腕も足と同じくらい強かった。
手を振らずに早足で進む東京の人に脅威を覚えた○年前。私もいつの間にか足ばかり強くなった。
地面を手で触れる感触も、久しく忘れていた気がする。
遺跡には::: 雨 :::と思う。
積石の間を縫って落ち来る歴史を含んだ水が、非常に冷たくて、ほほに重い。
微笑みの上に水が流れる石像は、角度によって何ともいえない表情をたたえる。きっと見る人によっても表情を変える。
@Angkor Tom
旅先で一人過ごす、雨。
とっても観光地なアンコール遺跡で、こんなに静かな昼間を過ごせるとは。
そして遺跡には:::木:::とも思う。
鷹の爪のような巨木の根が、とうに朽ちて無くなっていた過去を抱え込んで、今へ伝えようと踏ん張っているようだ。
@Ta Prohm