November 29, 2007

今日からロシア語授業開始<Bishkek No.2, Kyrgyzstan>

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(ビシュケクはこのようにカザフスタンのかなり近くに位置しています。途中で通ってきた南部のオシュとは結構違った雰囲気。かなりしっかりした都会です。地図、クリックで拡大します)

ビシュケクでの生活もやっと落ち着いてきました。町の雰囲気にも少しずつ慣れ、乗るべきバスも分かり、居心地のいいカフェも見つかり、ネットする場所もメドがつき……。そして何よりも、今日からロシア語の授業が始まり、超短期ながらもビシュケク在住気分になってきました。

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(これが学校の建物。図書館やカフェもあってかなり快適。大部分の学生は英語を勉強するキルギス人)

もう3年近く前、昆明に着いて中国語を開始したときを思い出します。はじめはやはり大変ですが、その一方、ゼロからのスタートなので、ちょっとやっただけで随分パワーアップした気分を味わえて楽しいものです。(ロシア語はまだ今日、挨拶や自己紹介をやっただけですが!)

ぼくらは1日2時間(会話&文法)で週4回。これを3週間半ほど。「普通は1日3,4時間で週4回を2ヶ月ぐらいやると、結構話せるようになる」ということなので、ぼくらの時間数はかなり少ないのですが、突然の申し込みだったため空いてる先生が少なく、しかも来月後半には学校がクリスマス休暇に入ってしまうため、こういうカリキュラムになってしまいました。

それでも、最初はちょっとやっただけでも随分伸びるし、しかも自分たちの意識としても、それなりに勉強すると相手と会話するときの気持ちが全然違います。聞き取れる可能性がある程度出てくるわけなので、がんばって聞いてみようと思えます。

やはり言葉が分かると、その国、地域への思いも入り込め度もぐっと深まることは間違いないということは、中国語をやってみて実感しました(ちなみに、キルギスタンでも中国人は多くて、店でも中国語で行ける場合もあり、中国語はこれからもかなり使い道が広そうなことを感じてます)。それに、たった一ヶ月でも、一つの町の中で一つのコミュニティに属して、毎日を送るというのは旅とはまた全く違った面白さがあり、そんな日々の始まりをいま楽しんでいます。キルギスタンについてはもちろん全然何も分かってない状態ですが、学校に通い、カフェで勉強し、知り合いもできてくると、なんとなく自分もこの町の一員になった気分になってきます。

キルギスタンの様子については、また改めて書きます。いまのところ、ビシュケクはほんとに普通の都市(ロシアっぽい)という印象ばかりです。全然写真も撮ってませんが、今度落ち着いて撮りたいなと思ってます。

Posted by ykon at November 29, 2007 7:46 PM | パーマリンク | コメント (7) | トラックバック (0)

November 27, 2007

キルギスタン!<Bishkek, Kyrgyzstan>

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(キルギスタンの初日を泊めてもらったアリの奥さんと娘さんたち。奥さんの民族衣装をプレゼントされた素子)

予定通り、23日に無事にキルギスタンに入国しました。
全くどんな国だったか予想していなかったキルギスタン、しょっぱなから展開が満載で、国境を越えてから密度の濃い数日を過ごしています。

話は23日から。

中国最後のカシュガルを朝8時に出て4時間ほどで国境に到着。そこまでは道もよくてとても順調。

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(中国・キルギスタンの国境イルケシュタン)

雪山が見える中にある寂しげな国境でしたが、キルギスタンへ国境越えを待つトラックがすごい列を成しています。荷物を背負ってその間をすり抜けて、中国側の出国審査場へ行くと、これが意外なぐらいのほほーんとした雰囲気。日本語を勉強中の国境職員が日本語のテキストを持って現れて、「発音が難しいんだよ、教えてくれよ」といい、一緒に「ぎゃ、ぎゅ、ぎょ」などを発声。「ぎゅ」がうまく言えず、「え?ぐ?ぎゅう?もう一回お願い」なんていいながら、不思議なぐらいさわやかに通過。

それから車でノーマンズランド(No Man's Land=国境のまさに両国の境目を成す地帯)を移動中に大きな展開。たまたま一緒になったキルギス人らしい男に英語で声を懸けられ、「オシュまで行くなら、おれが一緒に乗せていってやるよ。もちろん、タダで」と、うれしいお言葉。もともと国境から自分たちで車を探すしかないらしかったので面倒だなと思っていたので、とてもラッキー。しかも普通オシュまでは相場では一人25~30ドルぐらい。

その男は、ごつくて、ちょっと悪そう(でも優しげ)な感じのアリ。大丈夫かな、と少々不安はあったものの、話しているうちになかなか実直そうであると判断。アリは車のディーラーで、中国から車を輸入してウズベキスタンで売っているとのこと。彼はウズベキスタン系のキルギスタン人。で、中国からこの国境を越えてキルギスタンを通ってウズベキスタンへ車を運んでいる途中でした。その輸入中の中国製の新車5、6台にそれぞれドライバーをつけて、運転させてウズベキスタンまで移動させるので、その1台に乗ってっていいよということでした。(アリは英語がなかなか流暢で、基本的に何でも意思疎通可能)
キルギスタンの入国審査をすんなり終えて、2,3時間後に出発するから、と国境のそばでなにやらよく分からない商売をしているらしいキルギス人のコンテナの中でアリたちとともにひと休み。早速ローカルローカルした世界に入り込めて、いい感じ。

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(たくさん並ぶコンテナの一つにアリに連れられて入るところ)

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(コンテナの中。一番左がアリ。グレーのパーカーの若者を除く残り二人が飲んだくれオヤジ)

コンテナの中にはおっさんが何人かいて、ロシア語、キルギス語、ウズベキ語の世界。以前覚えたロシア語の単語などを思い出しながら、アリに通訳してもらって簡単な会話。

その中の一人のおじいちゃんは、ロシア・モンゴルでよく出会ったウォッカのアル中オヤジ。ぼくらが人民元をキルギスタンの通貨ソムに両替に行くと、もれなく一緒についてきて、まとまった現金を手にしたぼくらのソムで、ウォッカを一杯。もう、彼、たかるたかる。そしてコンテナに帰ってたらいにゲロ。その一方で、もう一人いたおっさんは、素子へ言葉のセクハラ攻撃。うーーん、ロシア影響下の国は、どこにいっても酔っ払いがかなりうざいです。

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(セクハラオヤジも、人柄はナイス、多分。。。)

……といいつつも、みんないい人たちで、パンやスープの食事を一緒に。食え食え、って感じで、ロシアもそうだったけれど、こうしてみんなで分け合うのがこちら流。食事も、お金も、ある人が出すっていうか。そう思うと、とても大らかでいい文化な気がします(中国もそういう感じでした)。

さて、2,3時間のはずが結局7時間ほどになり、真っ暗になってしかも雪が降り出してからオシュへのドライブがスタート。夜8時半出発。オシュまではすごい悪路でしかも10時間と聞いていたので、いくらタフそうなアリでも、これから10時間、つまり朝の6時までは無理じゃないかな……。ちなみにアリは、レスリング(パンクラス)の選手で、5年前はなんと旧ソ連圏でのチャンピオンだったとのこと。なので、スーパータフに違いないし、「これから10時間ぐらいなんともない」と笑うので、ま、ちょっとは安心したものの……

しかし走り出すと、真っ暗闇の中にものすごい吹雪で、全然前も見えない。その上道は"AKURO of AKURO"とも言えるほんとの悪路で、それにも関わらず無茶なスピードを出すので、ほとんどまともに座っていられない状態。30秒置きにお尻が数十センチは浮き上がり、疲労困憊。

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(4時間ほど走った先で。深夜12時半ごろ。ここから先は少し道がマシになるということでちょっと一息)

途中、素子は酔ってダウン、ぼくも疲労でぐったり。そしてタフ男を豪語していたアリも相当へばり、さすがに朝6時ごろには2時間ほどの睡眠休憩(しかも翌日、「実は二人が寝ている間、居眠り運転しちゃって危なかった」と告白……)。起きて朝8時すぎから走りだした後、風景は、田舎のロシアみたいに木造の家と木々がポツリポツリ、そこにヒツジの群れと羊飼いが道を横切って……。どこか懐かしいものでした。

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(最後の山で雪のためこの渋滞。いくつも車が雪の中にはまってしまっていた)

しかし道のりはまだ長く、その後さらに、山に激しく積もった雪に道を阻まれ、予定時間を大幅に過ぎた午後1時すぎにようやくオシュ着。ウランバートルを思い出す風景。でも、キルギスタンという未知の国にいることよりも、とにかく着いたという安堵感が大きく、あまり風景には思いを馳せられず。着いたころには、せっかくの新車も、雪、泥、石などで24時間前とは全く別の姿になっていて、新車という栄誉は返上せざるを得ない状態に。途中でワイパーもはずれたりしたものの、「これは中国製だからね」と笑うアリ。「大丈夫だ、これでも売れる」とアリは言っていたものの、さすがにどうかなと、日本スタンダードで考えてしまいました……。

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(「新車」の成れの果て。汚れだけならまだしも、石などによる傷がすごそう。あとで乗ってきたアリの友達も車の中でタバコの灰とか捨てまくってるし……)

そこから、泊めてもらうことになっていた、隣町カラスー(Kara-Suu)のアリの家へ。リッチそうな家に、奥さんと娘さんが2人。アリは26歳で、奥さんは23歳、そして子どもは5歳と1歳以下。きれいな家の素敵なキルギス人(でもウズベキ系)家族の家に初日から泊めてもらうことになりました。

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(アリの家から徒歩1分の国境の川。向こう岸はウズベキスタン)

ちなみに、カラスーはウズベキスタンとの国境にあり、アリの家から50mほど行くと川があり、その向こうはウズベキスタン。そんなわけで、カラスーもオシュもウズベキ人人口の方が多く、キルギス人、ウズベキ人の諍いも絶えないとか。アリに言わせれば、警察も、ウズベキ人には特に態度が悪く、狙って文句をつけられるとのこと。キルギスタンの警察はとても評判が悪く、何かというといちゃもんをつけて金をせびるまるでオフィシャルな強盗のような存在みたいです(アリの車は新車でナンバーがなかったため、警察がいるたびにとめられ、そのたびにちょっと小銭を渡して解決)。そんな話を聞いているうちに、だんだん、中央アジアが身近に感じられるようになってきます。

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(ウズベキ料理屋で食べたロシア料理。この料理なんと、ポテト、お米、粟(かな?)の3種の主食が一緒に盛られている。これをさらにパンと一緒に食べるという、主食三昧の食事。こういうのがこっちには多いです。日本の「ラーメン・餃子・半チャーハン」セットなんかを中国人が見たら、きっと同じことを思いそうですが)

カラスー到着後、アリと3人で遅い昼食を食べにウズベキ料理屋に行き、その後帰ったら奥さんが夕方のオヤツを用意してて待っててくれ、それを食べ終わると「さあ眠いでしょ、お休みなさい」とベッドルームに招かれ、ふかふかベッドで3時間ほど爆睡。9時ごろになって起きて、それから今度は夕食!すでに胃がもたれていたものの、さらにウズベキ料理のピラフを堪能。

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(夕食のピラフと、娘さんのグリラーノ。彼女がとってもおちゃめでかわいかった)

と、そんな感じで、ホスピタリティーが売りだと聞いていたキルギスタン、まさにその通りの大歓待を受けてスタートしました。翌日は奥さんに民族衣装やお土産をもらい、アリにはキルギスタンで使える携帯電話のカードまで買ってもらってから、首都ビシュケクに向けて送り出されました。

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(キルギスの民族衣装の次はムスリムの正装もやってみて、とノリノリの奥さんに衣装を出され、着てみる素子)

アリはスモークのかかったベンツに乗り、マーケットなどで降りると、いろんな人が丁寧に挨拶してきて、アリは「お、元気か」ってな感じで、町のドンみたいな印象。「おれの日本人の友達を助けてやってくれよ」と、次々に話をつけていきます。なんだかヤクザの子分になったような気分でした(笑)。

とても親切にしてもらい、25日の午後2時すぎに車にのって700キロほどある北の首都ビシュケクへ。この移動がまた11時間。夜中1時すぎに宿に到着。。。道は悪くなかったものの、やはり10時間クラスの移動は疲れます……。

ビシュケクでは、スタンプを押す場所がなくなったぼくのパスポートのページを増やしに日本大使館にいったり、ビザ取得計画を立てたり。いずれにしてもここの滞在はちょっと長くなりそうです。

最大でも1ヶ月ぐらいですが、その間にここでロシア語をある程度身につけるため学校に通おうと思っています。ちょうど昨日いい学校が見つかりました。きちっとした感じの学校で雰囲気もよし。しかも2人で授業を受けても、1人1時間3ドル程度と、かなり安そうでした(安いので先生の質は不明ですが)。

キルギスタンはとてもロシアっぽい雰囲気で、ほとんどの人がロシア語もわかるし、しかもこれから旧ソ連圏の国をいくつも行くことになるので、ロシア語がわかればかなり有効なはず。まさかロシア語をやるとは思っていませんでしたが、やはり言葉が分かると、旅の面白さ・深さはぐっと増すので、ちょっと頑張ろうと思います。

というわけで、短期間ですがキルギスタンに住むを気分を味わえそうです。

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(ビシュケクの町。首都らしいなかなかの都会。落ち着いた雰囲気。ベンツやアウディなどの外車がものすごく多いことに驚かされる。みな中古車っぽいけれど。キルギスタンも、ドル安の影響を受けてか、ここ数ヶ月で急激に物価が上がっている)

Posted by ykon at November 27, 2007 6:36 PM | パーマリンク | コメント (9) | トラックバック (0)

November 22, 2007

明日(23日)いよいよ脱中国!<Kashgar No.4, China>

カシュガルのダラダラライフ、やっと終わることになりました。

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(カシュガルでは、それなりにやるべきことをやっていたつもりですが、でも結局は、こんな感じの日々だったのかもしれません……。新たな雑誌に新たな企画を目指すも、なかなかはかどらずで……)

月・木しかないキルギスタンへの国際バスを今日逃し(というか見送り)、土日は国境が閉まっているらしいため、明日金曜日を逃すとまた月曜まで4泊!という沈没気味の展開が待っているので、なんとか明日国境を越えられるように、国境まで連れてってくれる車を先ほど見つけてきました。

キルギスタン、どんな国だかあまり想像がつかないこともあって(ガイドブックを見る限りでは、モンゴルと似てそうな感じですが)、はっきり言って二人ともまだそれほど興味のそそられるところが見つからず。とりあえず今のところ、主な目的はこの先の国々のビザ手配といった感じです(キルギスタンは、日本人は90日までビザがいらないため、中央アジアではもっとも行き易い)。ビザにかなり時間をとられそうなため、首都ビシュケクにはしばらくいることになりそうです。

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(いまいるカシュガル(Kashgar)から、明日国境を越えてオシュ(Osh)という町まで行く予定です(明日中に到着は厳しいかな?)。首都ビシュケクは、オシュのもっと北にあります。これから地図を中央アジア中心のものにしようととりあえずいま一時的なものを作りましたが、今度ゆっくりちゃんとしたものにします)

そう、首都が「ビシュケク」という名であることも最近やっと頭に染み付いたって程度で、ほんとにこの辺については全く知識がないことを思い知らされます。やはり自分にある程度の知識やら縁がないと旅してもなかなか興味がもてないもので、まずは勉強することが大切だなって思い、少しずつガイドブックを読んだりしているところです。しかしキルギスタン、日本人には行き易いため、ネットなどを調べた感じでは日本人旅行者も多そうで、妙な日本人社会が出来上がってそうな感じです。意外な不思議ワールドです。

キルギスタンについては、着いてからまた書くとして、なんといっても、明日いよいよ中国を離れる!と思うと、かなり感慨深いものが出てきました。実にこの3年ぐらいぼくらにとって中国は日本以上のホームグラウンドであったわけで、もうおそらく当分は戻ってくることはなさそうと思うと、急に寂しくなってきました……。

中央アジアから中国に入ってきた人がみな「ちゅうか、ウッメーーーー!!」と激しく感動しているところからして、中華料理が恋しくなることは間違いないし(上海時代はうんざりしていましたが……。しかし、中央アジアのディナー事情はどうなってるのだろう?!)、言葉も通じなくなれば、旅の深さも激減することも確かだろうし。

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(カシュガルでは、中国将棋や麻雀の代わりにみなチェス!新鮮な光景でした)

ネットで日本の中国関連ニュースを読むと、オドロオドロしい記事ばかりが目につく気がしますが、実際住み慣れるとテキトーさが居心地のいい国で、いろいろ自由は制限されているとはいえ、それはそれでみなテキトーにやりくりしながら結構なんとかやってるな、というのが率直な感想だったりします。

というか、日本人から見たらオドロオドロしいようなことも、中国にいると非常に普通で取るに足らないことだったりして、逆に中国人から言わせれば、「日本人って切符買うとき並ぶらしいよ!」「えっ、マジで~?なんで?スゲーな」なんて思っていたとしても全然不思議じゃないような気もしてきます。

それだけ、文化って各国の主観的なものなんだなってことを実感させてくれる国であるし、この国に住んでみてよかったなってとても思います。

って、強引に中国をまとめてみました。

明日は国境までは車なのですが(3時間)、自分で国境を越えてからはまた適当に車を探して……という展開に。問題なく行けるはずとのことですが、キルギス側の道は悪く、国境を越えてからまたまた10時間とかぐらいはかかりそうな予感です。モンゴル・中国の国境でのことを思い出すと、いやな予感がしますが、ま、順調にいけることを願って、重い腰を持ち上げます。

では次回はキルギスタンから!

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(ちょっと前の写真ですが、これがアリで出会ったドイツ人カップルのチャリ!これで二人でドイツからチベットまで来ているというのは驚きです。でも、カップルだったら体力の差があってもこれの方がペースあうからいいのかも……。ちなみにカシュガルでは、日本人のチャリダーに4人も遭遇。一人はイギリス留学の帰りをチャリでイギリスから!女性もいました。すごい気合です)

Posted by ykon at November 22, 2007 11:14 PM | パーマリンク | コメント (2) | トラックバック (0)

November 20, 2007

グゲ詳細<Kashgar No.3, China>

カシュガルも今日で早6日目、かな。正直ちょっと腰が重くなってしまってます。チベットを終えて疲れたということもあるし、また、まもなく勝手知って言葉も通じる中国も終わりで、これから次々と国が変化していくことを考えると、ワクワクする反面、新たなエネルギーがいるようで……。それとあとは宿。実はいま泊まってるところ、一人35元でこのクオリティは、他の追随を許さぬコストパフォーマンスの高さで、何気に"BPY(Best Perfomance Yado) 2007"を早々に受賞しかねない勢いです。ま、この価格になるまで宿の店員の「買収工作」もかすかに必要でしたが(笑)。でも、もうあと2日ぐらいでは出発するつもりです。

一昨日の関口さんの番組では、結局ほとんど映ることはありませんでしたが(って、そういうことを狙ってしまうぼくのようなミーハー野次馬連中が、制作者側にとっては本当にうざい存在なんだろうな、ということを撮影現場で実感しました(笑))、関口さんやスタッフの方とは中継の合間合間に結構お話でき、楽しく過ごせました。みなさん、ぼくらのことを覚えてくださっていて、関口さんも「あれ~?!なんでここにいるの~!?」ってびっくりしてました。まるで熱心な追っかけのように思われていたかもしれません。

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(番組終了後、裏道でスタッフみなが記念撮影。カシュガルのこんな場所に日本人がこんなに大勢いるのが不思議な光景。番組自体を考えても、先ほどまで、この場所を日本で数百万人の人が見ていたと思うと、なんだか不思議な世の中な気がしてきます)

気になるのは、通訳の陳さんに「上海でお二人のお友達に会いましたよー」と言われたこと!でも結局詳細は聞けずじまいで、全然誰のことだか分かりませんでした……。どういう展開でぼくらの友達って分かったんだろう??上海在住の方で、心当たりのある方がいらっしゃればお知らせください~。

さて、更新せぬまましばらく経ってしまいましたが、西チベットもう一つの大きな見どころ、グゲ遺跡。結局カイラスの方がインパクトが強かったため、いまとなっては少々印象が薄れ気味ですが、それでも人間の歴史のロマンと自然の不可思議さを堪能できる場所であったことは間違いありません。

以下、その詳細です。

6日、高山病がそこそこ治ったというちょっと不安の残る状態でアリを出発。このときは、もうカイラスはいかなくてもいいかなー、とりあえずグゲだけでも、なんてあまちゃんなことを言っていたのですが、そのときの気持ちとしてはグゲ行くだけでも精一杯なんじゃないかと、弱気なぼくら。昼ごろ発のグゲ行きバスに乗るためにバス停に行くと、なんとそこにはイスラエル人のぽっちゃりくんが!あれ、一昨日のバスですでにグゲに向ったのでは?と聞くと、彼はヒッチハイクで行くことを狙った挙句、一台も車が通らず撃沈したとのこと。うーーん、やっぱりイメージどおり運が悪そう。前回書いたように、その後、彼がコンバット部隊のタフガイということが判明するのですが、とりあえずこの場は、心強い旅の道連れを得てちょっと気楽に。車内にはもう一人フランス人の年配の女性(前回登場の人物)もいて、12時半にバス発車。

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(崖沿いにわずかに見える細い道を通っていく)

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(頂上らしきところにはチベタンたちが積んだ石が並ぶ。遠く後ろにはヒマラヤとおぼしき山も見える)

途中5000mを越えるらしいというので(まだ5000mという言葉に拒絶反応を示していたぼくらは)どうなることかと思っていたものの、体調的には変化なく、最高地点も無事クリア。でも、道はかなり険しい。途中、バスを降りて歩いてくれと言われたので、その通りにして遠めにバスを眺めていると、過激な坂の途中のヘアピンカーブで何度か切り返して、砂煙を上げている。えっ、谷に落ちちゃうのでは?とヒヤリとしながら見ていると、なんとかクリア。そして再乗車。聞くとここで去年、やはり一台バスが落ちたとのこと(3人乗っていて、2人死亡、1人脊髄損傷(だったかな?))。それでここだけみな降りるようになったとか。。。うーーん、道の整備を急いでもらいたいところ。でもこんな僻地にアスファルト運んでっていうのは本当に大変なんだろうな……。

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(バスを降り、最難関のカーブを一人がんばって越える運転手を見守る。下の崖の途中には、落ちたのかどうしたのか車が一台……)

最後はグランドキャニオンの中を走るような状況になり、そして夜8時ごろ、なんとか安全にグゲの近くの村、ツァンダ着。グゲまで20キロほどの小さな村。この辺はチベット自治区とは行っても、商売のためにやってきている漢族が多く、雰囲気はあまりチベチベしてない。でもしかし、なぜこんな人が住んでいることすら不思議な場所に商売をしに来るのかかなりびっくりだったけれど、夏は観光客でそれなりに賑わうらしいことを食堂のお姉さんが言っていた。いまはもう時期が遅かったため、多くの商売人たちは店をたたんで帰ってしまっていました。

翌朝、4人で車を借りてグゲ遺跡に。とはいえ運転手が道を知らず「この道であってる?」とぼくらに聞きはじめる始末。遺跡までの間も、グランドキャニオンの中の悪路をぐんぐん進む感じで、また周囲に見える土山、そしてその後ろの雪山(これはすでにインドで、山はヒマラヤとのこと)とのコントラストが見事でした。正直、遺跡自体よりも、その周囲の方がすごかったような。

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(遺跡のメインの部分)

グゲ遺跡は、10世紀から16世紀まで存在していたグゲ王国の跡地。こんな僻地に国の中心があったことがまず驚きです。もっとも1000年も前は、インド・中国の国境もなかったはずで、地理的条件もまた異なったのだろうと思われますが。

全体的に土の要塞みたいで、遺跡としての雰囲気は抜群。シーズンオフで全然人がいなかったのもまたよかったです。いまはひっそりとしている土の建物それぞれの中で、むかし人が暮らし、賑やかな王国の生活をしていたと思うと、とても不思議な気がしました。この穴で、人が食事をし、寝て、働いた……。そういう時代を超えたロマンが遺跡にはありますね。小さな洞窟に入ってそんなことを考えながらシャッターを押していると、ふと当時の人々の息遣いが聞こえてきそうな気がすることもありました。

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(手前が土の建物群を上から見たところ。それにしてもその奥に見える土山の風景がすごいです)

いくつかあるお寺の建物はそれなりに保存されていて中に入ることができますが、中の仏像や壁画は、文化大革命のときの破壊の跡がナマナマしく残り、無残な形になっているものも多かったです。ものを破壊するのは、造るほどにエネルギーは必要ではないはずですが、30数年前、おそらく道も何もなかっただろうこの僻地まで仏像や寺院を破壊するためにやってきた中国人のエネルギーは、ただごとではないような気がしました。寺院内は撮影禁止。

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(壁の感じなどとても雰囲気がある)

ちなみに、グゲ遺跡、入り口から上まで登るのは1時間以上は歩かなければなりませんが、もっともスタスタいくのは、フランス人のおば(あ)ちゃん。ぼくら二人とぽっちゃりコンバットは、途中で休憩。ユダヤ教についていろいろと学習。ぼくらがユダヤ教についてあまり知らないのをおそらくぽっちゃりくんは驚いていたかもしれませんが、その一方で彼も、「日本は民主化しているのか?自由はあるのか?」という感じで、お互い他国に対しては知らないことがいっぱいだなあと感じさせられます。

さて、グゲでもっとも印象に残ったのは、やはり前に書いた骨とミイラの洞窟でした。遺跡の寺の中とかは案内人にカギをあけてもらって一つひとつ入るのですが、ミイラの穴だけは「あの辺にあるから自分たちで行ってくれ」と。

というわけで大体の場所を教えてもらって自分たちで探すことに。途中で、朝この遺跡まで連れてきてくれた運転手も参加。ここまでの道を知らなかっただけあり「おれもグゲ遺跡見たことないんだよ、一緒にいくよー」と。彼は岸部一徳に似てるだけかと思ったら、「プリズンブレイク」のマホーンにもそっくり(っていっても、ぼくらの中でホットなだけでマイナーな人物ですが(笑))。油断のならない好人物でした。そんなわけで5人でミイラ探し。途中全くあさってな方向を目指してしまい、1、2時間は余計に歩き、ぼくらは激しく疲労するも、フランス人のおば(あ)ちゃんだけが元気。

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(ミイラの穴を探し出して1時間ぐらいしたころ。手前がおば(あ)ちゃん。右がマホーン。左奥でなんだかポーズとってるのがぽっちゃりコンバット)

あらゆる場所を探しつくし、あとはもとの場所に戻るしかない、となったところで、マホーンが「これじゃないか?」と一言。そこには、地上から3メートルほどの高さにある穴が。マホーンのお尻をぼくが押し、彼が中を覗くと、「お、やっぱりここだよ……」と、少しヒヤリとした様子で、こちらを向きました。

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(これ!ちょっと高いところにあるため、この横を歩くと普通は気づかない。でかしたマホーン!しかしなぜこんなところに人の死体を放り込んだのか……。隠すためだったのかな……などといろいろ想像してしまいます)

そしてその次にぼくも入ってみました……。かがまないと進めないほどの大きさで、奥行きは奥の部屋をあわせて7,8メートルといったところか。かなり狭く感じました。少し奥に足を踏み入れるや否や、「バリッ」と骨の砕ける音。見るとそこらじゅうに足の骨、腰骨、肋骨、髪の毛、衣服などがちらばっていました。

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(四つんばいになって入っていた奥の部屋。まるでインディ・ジョーンズの世界)

詳しくはわかりませんが、どうもグゲ王国が滅ぼされたときに殺された人たちの死体の残りだとか。でも頭蓋骨だけはどこかに持ち去られたのか、一つもありません。こないだ1000年前とか書きましたが、王国滅亡時の死体となると300年ほど前ということになるのでしょうか。そしてよく見ると、ミイラ状になった足が……。思わず手で持ち上げてしまいましたが、感触としては、カプチーノを注文するとたまに付いてくるシナモンでできたかき混ぜ棒を少しやわらかくしたような感じでした……。何百年も前に殺された人の足だということを思うと、気が遠くなりそうな、意識が遠のきそうな、得たいの知れない感覚に襲われました。

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(これが、手前の部屋にあった足のミイラ。非常に生々しい)

人骨と分かっているのに全く供養もされずに放置され、しかも、普通に人が入っていけてそのたびに骨が砕け散るような環境はおそらくここ以外にはないかもしれません……。死臭もかなり強く、その後服や体からその臭いがとれず、宿に帰って服は全て洗いました。おば(あ)ちゃんは穴には入らず、ぽっちゃりコンバットは、入ったものの「今日は悪夢を見そうだ~!」と興奮していました。

グゲはそんなところです。このあと宿に戻って、気を取り直してカイラスへ行く方法を練ると、カイラスまで行きたがっている運転手が見つかり、交渉の末、そこそこの値段で翌日行けることに。そしていよいよカイラス……。その後の話は、こないだ書いた通りです。

Posted by ykon at November 20, 2007 9:05 PM | パーマリンク | コメント (7) | トラックバック (0)

November 17, 2007

今回はほんと、偶然です!<Kashgar No.2, China>

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(カシュガルの中心的なモスク。金曜の礼拝に集まってくる人々。右手前に見えるように、カシュガルでは完全に顔を布で覆っている女性も多く見かける)

カシュガルに着いて3日目。思っていた以上に大きな町で、雰囲気も普通っぽくて少々期待はずれな感がありますが、久々に移動もなく、のんびり体を休めています。

よかったのは、宿!

カシュガルには定番の安宿がいくつかあるので、そこに行くつもりだったのですが、バスの中から素子が見つけた「70元」という表示の書かれた比較的きれいそうなホテルがあり、あまり期待せずにとりあえず行ってみたら、なんとそこが大当たり!中国では安宿は、地方だとドミトリーで一人20元~30元程度が相場なので、二人部屋でそこそこのクオリティがあれば、70元だとお得感があります。ホテルに入って、いつもどおり、ぼくがロビーで荷物をみながら待って、素子が一人で"モトコジャッジ"をくだしに階段を上って行きました……。戻ってくると、おっ、顔が明るい!「ここ、結構いい!」

部屋は広くて、シーツもちゃんと換えてあって、清潔感あり。しかも、部屋にLANケーブルまであるという!このクオリティで一人35元というのは、少なくともこの3ヶ月では初めてのことです。しかも、一週間ぐらいはいることになりそうなカシュガルで、こんな宿が見つかったのは、カイラスを経てゆっくり休みたかったぼくらにとってはほんとにうれしい贈り物のような感じでした~。

というわけで、町よりも宿に惹かれ、カシュガルでは快適に過ごしています。

さて、そのカシュガルで、前に北京のそばの承徳で起きたのと同じ展開が!ま、承徳では「起きた」というより、無理やり「起こした」のですが、今回は、ほんとに偶然。そう、また関口知宏さんのNHKの番組と日程が重なったのです!関口さんの中国鉄道の旅は、ここカシュガルがゴールってことは知っていたのですが、ぼくらがカイラスを終えたあたりでネットで調べてみると、なんとぼくらが到着するのと同じころに関口さんもカシュガルにゴールインということを知りました。

で、明日18日、日曜の放送が最終回で、昼から3時間弱の生中継。そして昨日、町を歩いていると、NHKのプロデューサーの方にばったり!承徳でのことを覚えていらして声をかけてくださいました(よく気づいたなあとぼくらもびっくり)。それで明日の中継場所も大体分かったし……。今回もまたミーハー根性丸出しで、明日現場に行ってきます。なので、今回こそは、もしかすると……?!いつも見ている方はちょっと注意してご覧ください(笑)。

そんな感じで、カシュガルは、旅とは別の意味で楽しく過ごしています。あといま、新たな雑誌に新たな短期連載を開始するために企画を練り、原稿を少し書き始めています。これが形になれば、うれしいなあ~と思っているのですが……さてどうなることか。

グゲの話も途中まで書いたのですが、それはまた次回アップします。

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(カシュガルのオールドタウン付近で見かけた、紙芝居屋ならぬビデオ屋。子どもたちにアメリカのアニメのビデオを見せて、豆と春雨とポテトを混ぜた軽食みたいなのを売ってました。でも、紙芝居に比べてビデオは楽そう。主人も一緒になってビデオ鑑賞。さすがに彼は見入ってはいませんでしたが……)

Posted by ykon at November 17, 2007 6:36 PM | パーマリンク | コメント (6) | トラックバック (0)

November 16, 2007

カシュガル到着!&カイラス詳細<Kashgar, China>

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(カイラス・アリ・グゲというチベット世界から一気に新疆ウイグル自治区へ戻り、中国最西部に位置するカシュガル到着。シルクロードの重要な拠点となる町。地図、拡大できます)

アリから33時間のバス移動を経て14日深夜1時に零公里(叶城)へ着き、翌15日に4時間半の移動をへてついにカシュガルに来ました!ほぼ中国最西部で、これでいよいよ中国ともお別れです。うーーん、なかなか感慨深い。

さて、前回の続き、カイラス&グゲの詳細です。
6日にアリを出てから、順番的にはグゲ、カイラスの順に行きましたが、ネタの大きさ的にまずカイラスから。

グゲを終えてカイラスに向かったのは8日。イスラエル人のぽっちゃりくんと、見ため的におばあちゃんともいえそうなフランス人女性と4人で車をシェアしてカイラスへ。この二人とはアリからグゲまでのバスから一緒で、4人でグゲも見に行き、宿も同じところに泊まり結構仲良くなってました。

しかし、前回書いたように軟弱仲間認定したはずのぽっちゃりくんは、実はイスラエルのコンバット部隊の兵士だったという思わぬ展開。戦争が起これば前線でバリバリ戦う超本格派のつわものでした。イスラエルは正規の軍はなく、すべて徴兵でまかなわれるとのことで、男は3年、女は2年の兵役が義務。しかも、兵役終了後も毎年1ヶ月間のトレーニングが42歳まで(!)続くとのこと。その中でほんとにやる気のある1割のみがコンバット部隊となり、前線で実際に戦うそうです。ぽっちゃりくんは、自らコンバットを希望。まだ記憶に新しい昨年のレバノンとの戦いでも、彼はたまたまその時旅行中だったから戦地はへいかなかったものの、いつも戦争はすぐ隣にあるとのことでした。まだ23歳にして、ぼくらとは全く異なる人生観の中で生きているらしいことに驚かされました。ま、いずれにしても、軟弱仲間というのは大いなる勘違いで、相当なタフガイってわけでした。

フランス人女性も、一見還暦過ぎてかねない雰囲気を漂わせつつ、チベット&ネパールを一人で9ヶ月ほど旅するという人物。「動けなくなる前に旅しようと思って少し早めに退職したの。家を買ってその家賃収入で暮らしているわ」ぼくらが途中で断念したカイラスのコルラ(巡礼)を2回もやったり、コンバットぽっちゃりくんよりもグゲでのロングウォークは安定していたりと、これまた全くぼくらを寄せ付けないタフキャラで参りました。

結局"軟弱王"の座は、ぼくら二人のほしいまま。そしてカイラスに着いても、ぼくらの王座は全く揺るぎそうにありませんでした。

8日の夕方、カイラスの麓にあるタルチョンという小さな村に着くと、寒さは半端なくびびりました。フル装備で固め、その夜からタルチョンを去った12日まではほとんど着替えず(もちろんシャワーなどない)。ちなみにぼくは、内側から、Tシャツ、長袖カットソー、フリース、新疆で買った分厚く中がフリースになってるババシャツ、ユニクロの薄手ダウン(これ、上海から大活躍!)、その上にノースフェイスのインナー付のジャケット。下は、股引2枚の上にジーンズ、靴下二枚、といったところ。もちろん、ニット帽&手袋も。それでも、外は相当寒いです。タルチョンですでに標高4700m弱。さすがに侮れません。

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(タルチョンの地元チベタンたちが暮らすエリア。場所によって後ろに小さくカイラスが見える)

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(タルチョンには野生の犬がいっぱい。チベットでは犬がすぐ追いかけてくる印象があるものの、ここでは日中はみな穏やか。でも、カイラス付近で鳥葬(人間の遺体を鳥に食べさせる)が行われるとそのときは犬もみなそこの場に集まって人肉を食べるらしい)

そのタルチョンでなんと、もともとぼくらがカイラスにいくきっかけを作ってくれた日本人、大沢さんとびっくりの再会。もうずっと前にここは終えていると思っていたのに、宿でばったり、感激でした。カイラスは大沢さんに始まり大沢さんに終わった、などと言い訳をつけて、ハードそうなコルラ(巡礼)をせずに帰ろうかと思ってしまうぐらい達成感のある再会でした。

でも、やはりそうはいかない、と天候のよさげだった二日後(10日)の朝コルラに出発。コルラとは、カイラスの周り52キロをぐるりと回る巡礼のことで、チベタンは1日(13時間ほど)で一周できるものの、旅行者の標準は2泊3日。最大5600mほどまでのぼり、その辺りはちょーハードな山越えがあり、冬には死者もちらほら出るとのこと(最近も、その山越え中に吹雪に吹かれたインド人が凍死したそうです)。ちなみにこの時期は寒さと雪が厳しくて、チベタンすらもコルラする人はかなり少なかったです。

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(手書きでかなり適当(線の微妙なズレとかに意味はありません)ですが、コルラ(巡礼)は、大体こんな感じ。ぼくらはオレンジ色の線のように約半周22キロの道を往復。ドルマラは冬には死人が出るほどハード(らしい)。ここを越えないと巡礼の醍醐味は分からないのかもしれませんが、ぼくらは行けず)

ぼくらが着いた日から雪が降り出し、寒さもぐっと増し、丸一周はぼくらのスニーカーでは無理だ、危険だ、と現地の人に強く止められたため、一周する気は完全にうせ、最大半周して、そこのお寺で一泊して同じ道を戻って帰ろうと決めていました。「半周なら雪降ってても、スニーカーでも大丈夫」と太鼓判を押されたのですが、そのハードさは想像以上でした……。

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(出発して30分ぐらい。南側遠くに雪山、地面はほぼ真っ白)
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(右旋回を始めたあたり。このようなチベタンアイテムもいたるところにある)
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(出発して2-3時間後。チベタンのタルチョ(旗)などが雪の中に広がる。このあたりはまだ二人とも全然元気)

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(昼飯を食べたあと歩き出すとすぐ、逆走するチベタンに遭遇。荷物的に彼らは巡礼者っぽくはない。今日の宿泊予定ゴンパ(寺)までここからあと2時間ぐらいといわれ、元気が出るが……)

5,6時間で半周(カイラスの北面まで)できるときいていたので、ま、大したことないかなと思っていたものの、朝11時前に出発し、着いたのはなんと夜8時前。8時間半ほどかかってしまいました。ほかの人に笑われるぐらい時間がかかってしまったものの、ぼくらにはほんとに死に物狂いの1日でした。

まずかったのはまず、出発から4時間ほどしてからのこと。持っていたガイドブック(旅行人)のコピーの地図に「巡礼路沿いに川があるけど、川の左側を行け、この先に橋はない、右側を行くとゴンパ(寺)に行くためには最後に川を横切らないといけないかも」ってな言葉が書かれていたのに、ドジなぼくらは気づいたらやっぱり川の右側にいました。そして、「これはやばい!」と思って、極寒の中、無謀にも川に石を投げて自前の橋造りにいそしんでしまいました。もちろん、ちゃんと川の細いところを選んだものの、そんなのうまくいくはずがなし。大きな石を雪の中から掘り起こし、川の中へジャボンジャボンと投げ入れましたが、3,40分格闘した挙句、インスタント石橋はまるでできずに、ぼくは表面の凍った川の中に両足とも落ち、足は半ば凍りつき、もう完全にバカ丸出し状態。もう無理だからと、とにかく右側のまま先に行くことに決めたものの、ここでの体力消耗と「たどり着いても、最後に標高5200mの極寒の中で川をジャボジャボいかないといけないかもしれない」という精神的ショック&プレッシャーは甚だしく、一気に疲労が充満。そして、追い討ちをかけるように、その後から軽い吹雪に襲われ、もうほとんど限界。それでもとにかく先に進むしかないので、その後、二人で100歩ずつ歩いてちょっと休憩、を繰り返しました。100歩ごとに膝の上に上体の全体重をかけてうつむいてなきそうな顔で「はぁーはぁー、ぜぇーぜぇー」と言っていると、まるで高校時代のバスケ部合宿を思い出し、我らが坂上コーチの声が……。「顔を上げろ!」「休むな!」「じゃ、最後、スリーメン。」……もう苦しいのなんのって。

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(空模様が怪しくなり、いつしか吹雪が……やばい!!)
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(たまに太陽が見えるとすごくうれしいし、暖まる)
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(遠くの青空を目指し、足跡をたどって突き進む素子)
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(カイラスが真東に見え出すぐらいから晴れ間の領域に入りだし、天候的には少しマシに。でも疲労はすごい。中央に見えるのがカイラスの西面)

でも周囲はどこまでも雪の絶景。吹雪の中、途中から右手(東側)にカイラスが姿を現し、カイラスが右手後方に少しずつ移動していくことをわずかな希望に、100歩ずつ。そしてついに、カイラスの北面が見えてきだし、いよいよあと30分ぐらいなんじゃないか!?と思ったあたりで、チベタンとすれ違い、「ゴンパ(寺)まではあとどのくらい?」と聞くと、あと1時間かな、という答え。まだそんなにあんの?!とがっくりするも、橋はある?と聞くと、「あるよ」と言われ、ほっとすると同時に、あの徒労の橋造りが忌々しく思えてきました。

ゴンパは見えているのに、ほんとにそこから1時間近くかかってしまいました。でもゲキ疲労の中、後ろを振り向くと、夕日に染まる雪山の美しさがまたひとしおでした。素子も、口を利くのも億劫な状態なのに、それを見てぼくに「シャッターを切れ」とジェスチャーで指示。

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(ゴンパまでもうすぐのはずなのになかなか近づかない。でも後ろを振り向くと……)
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(左端に薄っすらと見えているのがカイラス)

初体験の寒さと疲労に、完全に死に体になりつつ、なんとかゴンパ着。しかしひと気がなく、「ニーハオ!ニーハオ!」にも反応なし。さらに上にあるメインの建物に叫び続けると、天の上にいるような赤いローブの僧侶が招き猫風の手招き。ほんとに神様みたいでした。でもそこからが本当にハードで、もはや二人とも自力で階段を上がることもできない状態で、なんとか僧侶に引き上げてもらって、最終コーナーを曲がってキッチンにゴールイン。その温かな空間に感動し、崩れ落ちるように座り込み、素子は感極まって思わず落涙。それを「おお、やってるね素人くんたち」って感じで温かく見守るチベタン僧侶たち……。その後トゥクパ(チベット麺)をもらい体を温めつつ(こういうとき食べるとめちゃくちゃおいしくて感動!)、そこは部屋ではないのに、頼むからここで寝せてくれと、その場で倒れこむように眠りに落ちました(部屋には暖房器具がないとのことだったので!)。

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(ゴンパのキッチン兼リビング(?)。右奥のベッドに寝かせてもらった。布団にはヤクミルクの匂いが充満していてチベットっぽい)

さて、朝。昨夜トイレに行きたかったものの、疲労のあまり、行かずに眠りこけることに成功し、だから早朝トイレに。ちょっと頭が痛かったものの、とりあえずなんとか動けそうだな、と思いながら外に出ると、日の出前の薄明かりの中に巨大なカイラスが……。その姿を見て、この苦しさはこのためにあったんだなと、じーーんと来ました。

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(朝8時ごろ、ゴンパにはすでに早朝4時ごろにタルチョンを出発してここまでたどり着いたチベタンたちが休んでいる。この後続々チベタン集結)

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(天国のように思えたゴンパの外観。ありがとう!! 朝出発時)

その後素子もおきて、二人とも、心配していた頭痛も寒気もおさまり体調はそれほど悪くなかったので、その日のうちに出発して、タルチョンまで戻ることに。帰りは、さすがに昨日よりは楽だろう、と思っていたものの、帰りも何気に馬鹿にできず、思わず7時間ぐらいかかってしまいました。

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(朝ゴンパ出発時のカイラス。天気もよく、帰りは気持ちよく楽に行けるはず!と思ったものの……)

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(思わずシャッターを押さずにはいられない風景が何時間も続く)

そしてなんとか無事にタルチョンへ……。もっともハードな部分をやらずとも「もう二度とやりたくない」と思ったものの、しかし、のどもと過ぎてみると、ここでは、疲労も絶景も全て初体験で、完全に別世界でした。ぼくにとってはこの4年間の中で最も思い出深い場所の一つになりました。確かにこれだけの苦労をして来た甲斐はありました。

コルラは達成できなかったものの、相当の達成感を経て翌日アリへ帰還。久々の都会な世界もまたうれしかったです。

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(5000m越えると、全くの山オンチにとってはなんちゃってアルピニストになった気分でした(笑)。っていいつつ体力なさすぎな自分を痛感)

また長文になってしまいました。グゲは次回。あとそれからここカシュガルで、また承徳と同じ展開になりそうです……!でも今回は狙ったわけではなく、全くの偶然!詳細はまた!

Posted by ykon at November 16, 2007 3:06 AM | パーマリンク | コメント (6) | トラックバック (0)

November 12, 2007

カイラス&グゲ、何とか行ってきました!<Ali(阿里)No.3, China>

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(寒さに震え、階段すら人に手伝ってもらわないと登れない状態でたどり着いた標高5200mの寺に泊まり、翌朝、日の出前トイレに出たときに目の前に現れたカイラス。中央に白く見える山です。この風景をみたとき、前日の本当に死にそうな苦労が報われた気がしました。右上に星が一つ)

高山病をなんとか乗り越えて、予定通りカイラスとグゲに行ってきました!二人ともアリを出てからはほとんど順応できたようで、それからはとにかく凄まじい絶景続きの世界を堪能しました。

カイラスもグゲも、苦労しただけありました!
特にカイラス、軟弱なぼくらはあまりの寒さと疲労に、精神的にも体力的にも相当にキてしまい、巡礼コースを一周することができずに途中で一泊して半周で帰ってきましたが、それでも、どこまでも続く6000m級の絶景は本当に本当に忘れがたい世界でした。寒さが凄まじく、途中は軽く吹雪っぽくなったときは、正直かなりまずいなと思いました。やはり時期が悪かったですが、ここの雪景色は半端ありませんでした……。

グゲでは、遺跡自体も壮大ですごかったものの、1000年ほど前にグゲ王国が滅ぼされたときに殺された人の遺体や骨がそのまま放置してある洞窟があり、そこに入って驚愕しました。その小さな洞窟に入るとともに、「バリッ」と音がしたかと思うと人骨が砕け、下を見ると、そこには、足、肋骨、髪の毛、服、そしてミイラ状になった足が……。1000年前の人の死体がそのまま置いてあって、そこに入れる場所なんて、世界でおそらくここだけのような気が……。

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(1000年前の死体が散らばるグゲ王国の洞窟。手前中央にあるのが人の足のミイラ。頭蓋骨だけはすべてどこかに持ち運ばれたらしい。暗くて狭い中、この人骨の上に腹ばいになりながら奥へ進み戻ってくると、体中に死臭がこびりつきました……。言葉に詰る別世界)

というわけで、とりあえず無事に戻った報告でした。カイラスもグゲも内容豊富で長くなるので、詳細はまた次回アップします。明日のバスでまた30時間かけて、新疆ウイグルの叶城へ戻ります。やっと高地から脱出。うれしいーーー。

Posted by ykon at November 12, 2007 7:48 PM | パーマリンク | コメント (5) | トラックバック (0)

November 4, 2007

カイラス、断念かも。。。&アリの驚き旅行者たち<Ali(阿里)No.2, China>

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(アリで。チベタンの子どもたち)

アリ、今日で4日目。でもまだどうも高度順応が十分にできていなく、カイラスやグゲ遺跡へと向かえずにいます。カイラスもグゲもここから300キロほどなのに、バスで7~8時間。しかも途中でまた5000mを越えることを考えると、ちょっとまだキツイかなと。その一方で、いまは一日一日寒さが増していき、カイラスはすでに極寒。しかも一度大雪が降れば道は閉ざされ、もうアウト。条件は刻々と悪くなっていきます……。そして、カイラスに行けばさらに高度が上がって巡礼(コルラ)すると最大5600mまで徒歩で歩くことになり、それがまたちょーハードらしいので、正直、ちょっと無理かなと弱気になってます。なんとかなるかなと思っていたけれど、強靭な自然の力を前にして、今回初めてギブアップモードに入りつつあります。

といっても、高山病がひどいわけではなく、まだちょっと頭痛が残っていたりしてさらに高度を上げるには不安が残るという程度なので、もうちょっとアリで粘って体調を整えてから、とりあえず凄まじい絶景らしいグゲ遺跡だけは行ってみようと思ってます。

これまで4000mの場所には行ったことあったし、そのときは特に何も問題なかったので、アリはOKかなと思っていたのですが、やはり今回は高度を急に上げすぎた感アリです。まあ、もうちょっと様子をみてみます。

アリでは、昨日4人の旅行者と会って少々交流。フランス人、イスラエル人とドイツ人カップルの4人。みな20代後半~30代前半らしき同年代。

フランス人とは、公安局で罰金を払って外国人許可証をもらいに行ったときに遭遇(アリは本当は許可証なしでは外国人は入れない。でも、新疆から行くと許可証など取る場所はないので、アリで自ら公安に出頭して罰金を払って許可証をもらうというのが定番の方法。上海で働いてたとかなんとか理由にならない理由をつけて罰金を免除してもらおうと画策したものの、非常にまっとうなことを言われ、反論する余地もなく、罰金を支払いました。一人300元)。彼は、ラサ方面からヒッチハイクでやってきたとのこと。この寒い中、検問を逃れるためにかなり遠回りまでして、しかも途中バイクにもヒッチ(寒すぎ!)してきたというつわもの系。アウトドア経験値高そうな風貌。

イスラエル人は、他の安宿の部屋を見に行ったときに遭遇。彼もぼくらと同じルートでやってきて、非常に体調悪そうな、弱りきった顔で登場。でも優しげな笑顔。聞くと彼もアリについてすで4日ほどが経ったのに、まだ高山病が治りきらずダウンしているとのこと。「アリまでのバスでは2回吐いたよ」との彼の告白に、「おーー、おれも吐いたよ、吐いた!」と非常に親近感が沸きました。見ため的にも、ぽっちゃり&ロン毛なインドア系の、非常に油断してそうな風貌で、素子曰く「彼もカイラス行くと思うと、自分も行ける気がしてきた!」。

そしてドイツ人カップル。彼らとは昨日ネット屋で遭遇。男の方・ベンジャミンは、うかうかしてるとモンベルやパタゴニアのCMに登場しかねない本格アウトドアルックで、しかも、ちょっと持ち運びには不便そうな見慣れぬ四角いカバンを持っていたため、もしかして?と思うと、やはり!なんとここまでチャリ!彼女と二人でドイツから1年半かけて、トルコ、イラン、パキスタンを経て、アリまで……。目的地は日本で、着いたら日本で働きたいとのこと。衝撃はぼくらが苦しんだあの30時間の道のりを数週間かけてテントを張りながらチャリチャリやってきたこと……想像できません。。もちろん高山病的には、徐々に来たほうが楽なのでそういう苦しみはないのでしょうが、さすがにあの荒涼とした場所を一日50キロとか100キロずつこぎながら進むのは、半端ない気合が必要に違いありません。しかも、途中で引き返すこともできないし、一日休憩ってわけにもいかなし。彼らは、もちろんカイラス、グゲもチャリ。「アリで一週間ぐらい休んでから出発するよ」と余裕しゃきしゃきな感じで話してましたが、雪などが降っても極寒の中テントで過ごせるのかどうか……全く未知の世界です。特に普通の女の子風だった彼女のタフさには脱帽です。

勝手に仲間と認定したイスラエルのぽっちゃりくんとは、今日一緒のバスでグゲまで行くことになりそうだったのですが、ぼくらは延期。さて、彼は今日出たのかな?

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(アリの町は四方を山に囲まれている。手前にたなびく旗「タルチョ」がチベタンの町である目印。あるタクシー運転手によれば、アリは漢族6割、チベタン4割とのこと。政府は税制などを優遇して漢族をどんどん呼び込んでいるようす。3年後にはアリにも空港ができるらしく、そうなると全く雰囲気も変わってしまいそう)

……さらにいまネット屋で新たにあったフランス人の2人もチャリでした。しかも結構中年のおばちゃん。驚異的だ……。今日は彼らとメシでも食って、タフさの秘訣を学びます。。。

Posted by ykon at November 4, 2007 4:43 PM | パーマリンク | コメント (7) | トラックバック (3)

November 2, 2007

アリ到着、ちょーハードな行程にゲンナリ……(長文です)<Ali(阿里), China>

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(アリへ向う途中、後半はずっとこんな)

昨日の夜9時半に無事アリに到着しました。ランクルで行った方がバスより早いはずだったのですが、途中長時間の休憩が入ったりした結果、計31時間。かなりハードな移動でした。モンゴルでの24時間の移動に比べれば、ランクルだし今回の方がマシなはず、と思っていたのですが、大間違いでした。

さてその行程。以下、時間はすべて新疆時間(オフィシャルには中国全土北京時間を使うのですが、さすがに新疆まで来ると事実上の時差がかなり大きいため、現地の人は北京時間から2時間引いた新疆時間を使ってます)。

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(出発地点の零公里。この奥に見える建物の中に無線ランが!)

31日昼12時にチェックアウトしてすぐ出発、のはずが、同乗する運転手の親戚やら友人を拾い、さらにメシを食ったり、その他わけの分からないロスタイムがいっぱいで、零公里を出たのは2時。さあ出発。でも、1時間ほど行った先の村で3人の親子を乗せるためにまた停車。さらに何を思ったか運転手がここで、車にVCDを入れるからちょっと待ってくれといって、なんやら複雑そうな分解開始!そしてやっとできたと思ったら、映った画面は反転していて音がでない。なんでだなんでだと、みなでゴソゴソやって、出発できたのは1時間半後!すでに4時半。車内は8人(+赤ちゃん)になり、結構ギュウギュウ。みなウイグル人なので、会話は全く分からず。そのうち何人かは片言の中国語可。運転手はその後もVCDのことが気になってしょうがないらしく、運転に集中できず。

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(このランクル。いまVCD交換中)

途中すぐに3000~4000mほどになっていたはずで、多少頭痛がしたり、眠気に襲われたりするものの、大したことなし。しかし、後ろに座っていた親子3人の母親(Aさん)が、途中で激しく嘔吐。しかも、その10分後ぐらいにはその隣の旦那がもらいゲロ。すごい音に思わず後ろを振り返ると、黒いビニール袋に並々と液体が……。その後も、もらいゲロ、連鎖ゲロ大会は盛況で、先のAさんと話していた女性Bさんが二人でゲロ。で、さすがに二人とも意気消沈したものの、その後回復し、饒舌なBさんがAさんになにやら熱弁を振るっていると、聞き上手っぽかったAさんもさすがに耐え切れず三度目の小ゲロ。それなのに話をやめないBさんがすごい。

と、変な話になりましたが、4000mぐらいになると車内はそんな感じ。しかしぼくら二人は、眠気や寒さ以外は特に問題なし。高山病対策に、水をいっぱいのみ、たくさんトイレに行き、そして深呼吸を続けました。効果あったのかな?

夜9時、零公里から235キロ先の道班マザルで夕食(「道班」は通り沿いのちょっとした休憩場所。大抵、食堂、商店、宿あり)。そこで食べた麺類はあったかくてなかなかおいしかったです。
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(晩飯風景)

ここで2時間ほど停まって(その間にぼくはなぜか小便3回!水を飲みまくって新陳代謝を上げる作戦に成功していたようなのですが、ちょっと頻繁すぎ)、11時に再度出発。ここまで9時間で235キロというペースはいかがなものかという気が……。ほんとに30時間で着くのかも怪しくなってきました。

外は真っ暗闇。光は車のライトのみ。が、途中でまたトイレに降りて見た光景にびっくり!降りて顔を上げると、巨大な雪山の頂上が目の前にありました。有名はK2など7000、8000m級の山がその辺にはいくつもあるようだったので、その中の一つだったのかもしれません。満天の星の中に見えた白と黒のその鋭い頂上は、玄関を開けたらあらそこに、というぐらいの距離感で迫り、ほんとに神秘的で恐ろしい風で、唖然としてしまいました。正直、震え上がるほどの景色で、それを見ただけでもここまで来た甲斐があったという気がしました。

さて、車内はみな疲労感たっぷりで、運転手もさすがに疲労を隠せず。と思ったところ、ドライバー交代。ぼくの隣に座っていた運転手の親戚の男が運転席へ。ドライバーは休憩。そうか、交代で運転するのか、とちょっと安心した矢先、10分ぐらいですぐに新ドライバーが居眠り運転を始め、真っ暗闇の中、目の前に小さな橋が見えたところで危うく横転!車内は悲鳴、しかし、なんとか無事停車。さすがにヒヤリとしました。そして新ドライバーは、一発レッドカード。またもとのドライバーへ。

この疲労感のまま運転を続けるのはありえないだろう、と心配しながら思っていると、深夜1時に後ろの親子3人の家に到着。約360キロ地点。そこでぼくらも休ませてもらうことになり、「2時間だけ寝よう」という話になり、みなでベッドへ。布団は、毛沢東時代から洗ってないのではないかというほどの代物で、触っただけで手がしっとりべっとりするようなものだったけれど(モトコジャッジの段階ではない)、あまりの疲労に、寝てしまえば結構快適で、みなぐっすり。2時間で起きられるわけもなく、起きたのは6時間後!7時に出発。もう完全に朝。ここまで17時間で360キロ。あと750キロ近くあるのに、このペースはまずいと思いました。でも、みなすっきりして溌剌とした出発。

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(泊まった場所からの朝出発前。後ろに雪山)

朝になると、東に向うぼくらにとって早朝の日差しが凄まじく強烈で、印象的でした。太陽が沈めば凍えるし、あればあったでまた厳しい。自然の力の果てしなさを実感(って、車内にいるんですけどね)。

この辺からは雪山に囲まれただだっ広い荒野が増えてきて、ぐっとペースアップ。そして絶景が始まります。

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(途中で停車するとこんな感じ。こんなとこにも住んでいる人がいて、しかもなぜかぼくらがここで降りると、住民の車のエンジンをスタートさせるためか牽引の手伝い。ここの人がそんな助けを必要としていることをどこで知るのか非常に不思議。携帯?もしくはたまたまだったのかな)

朝10時前に480キロ地点大紅柳灘(ダーホンルータン)着。ここで朝飯。建物の裏でぼくはまた凶暴な犬に追いかけられました(実は塔河でも二人で犬に追われてたり)。チベットもウイグルも、犬がとにかく凶暴で、激しい剣幕で追いかけてくるので本当に恐ろしくていやなのですが、最近は恥も外聞も捨てて、悲鳴を上げながらダッシュで逃げると大丈夫な気がしてきてます。

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(朝飯を食べた大紅柳灘)

ここでもう二人が降りて、車内は4人になってぐっと快適に。二人とも体調も悪くなかったので、もうあとは快適かなと思っていたら大間違い。ここからが二人にとって地獄となりました。

このあたりから、いよいよ中国とインドの国境未画定地域。事実上中国が支配しているだけで、人はほとんどいなく、ただただ土と雪山の荒涼とした絶景が続きます。ここの辺は昨日の夜の景色に続き、まさに圧巻。

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(日差しの強さと寒さは半端ない。写真もほとんど投げやりにパシャパシャ)

そして、途中高度は5200mまで上昇。二人とも頭痛と吐き気に苦しみだしたのはまさにこのあたり。高山病の基本的な症状が次々に現れ、とにかく苦しくなりました。水を飲み、深呼吸を続けるものの、そんな古典的手法は通用しないのか、高山病の薬も飲むものの一向に回復せず。たまに停めてもらって外で新鮮な空気を吸うも、寒さが半端なく外にはそんなに長くいられず。そしてそのまま夕方までドライバーは時速70~80キロで突っ走り、午後4時半ごろにドマルで夕食(公安のチェックもあり)。あと残り280キロ。

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(ドマルのチェックポイント。本当は、外国人は許可証なしには入っていけない地域なのに、聞いていたとおり、警察はそんなこと何も気にせず、どこでも「旅行か?いまは寒いぞ」みたいな感じ。写真を撮りつつも絶不調)

しかし、ここでは二人とも完全に死に体。夕食などもちろん食べる気になれず。ぼくはもう吐気に我慢しきれず、口に指を突っ込んですべて出し切りしました。その一方で、耐え忍ぶ素子。

「あと4時間」という運転手の言葉に、励まされるような、泣きそうになるような気分で、出発。素子はここから爆睡態勢に入ることに成功し、徐々に回復。その一方、ぼくはせっかく吐いたにもかかわらず吐気はおさまらず、頭痛も順調に激化。そしてどこから沸いてでたのか、伏兵的な腰痛に襲われ、不快度はこの旅中の最高記録を更新。モンゴルの24時間など全然アマちゃんな気がしてきちゃったり。

残り120キロで舗装路が始まり、それだけでもぐっと楽になり、うれしくなるも、なぜか途中で、真っ暗闇の中でまたドライバーが停まり「タイヤの空気を入れるよ」。おい、スムーズに走ってるのに、いまそんなことしなくてもいいだろう!といいたくなるぐらいのわけわかんないタイミング。その後また、公安のチェック(ここではなんと公安が運転手にこの酒いいぞ、飲んでけ飲んでけ、と勧め、運転手が必死に断ってました(笑)。めちゃくちゃです)があって降ろされたりして、時間を食うも、なんとか耐え切り、9時半にアリ到着。

宿探しを運転手にも手伝ってもらって、なんとかそこそこの宿を見つけ、倒れこむように休みました……。今日朝起きたら、まだ頭痛はおさまっていなかったものの、昼ごろになってやっと回復してきました。高山病、侮れず。ちなみにアリは標高4200m。

あと数日ゆっくりしてなんとか高地適応ができれば、グゲ遺跡(これまたすごいらしい!)とカイラスへ向います。栄えあるチベットの聖地だけになかなか簡単にはたどり着かせてくれません。また帰りにこの30時間をやらないといけないと思うと本当に憂鬱になりますが、帰りは高地適応後だから多分もっと楽なはず、と期待。ランクルが安くで見つかってラッキー、と思ったものの、実は寝台バスで横になっていった方が楽だったかも。時間も全然短くなかったし……。帰りはバスにします。。。

しかしすごいのは運転手。一人で全行程を走りきり、しかも、昨日の夜降りる前に、いつ零公里へ帰るのか、と聞くと、客がいれば明日かえるよ、と。常人のわざとは思えません。でも前回書いたように、おじいさんの年金が月に148元のところ、ランクルであの運転さえこなせば一回で数百~千元とかになるわけだから(ガソリン代が満タン入れて500元ぐらいだったけれど、1100キロでどれだけ使ったかは不明)、熱も入るというもの。

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(「寒い!辛い!でもすごい!!」)

Posted by ykon at November 2, 2007 4:06 PM | パーマリンク | コメント (4) | トラックバック (0)