今は、タイ-ビルマ国境付近のメーホーンソンという町にいます。ここは、タイの中でも最果ての地域で、いろいろな山岳民族が住んでいるところです。タイとビルマが国境で区切られているものの、民族は国境をまたがって存在していて、実際にはタイ人、ビルマ人、などというより、○○族の人、という分け方の方がしっくりくるようです。
民主化運動のアウン・サン・スー・チーでよく知られるビルマは、軍事政権によって国が握られていて、強制労働や強制移住などさまざまな人権侵害によって国民は苦しめられています。そして中でも特にひどい仕打ちを受けている少数民族の人々が国境を越えてタイに逃げてきていて、彼らの難民キャンプが国境付近のタイ側、つまりこのメーホーンソンの付近など、広い範囲に存在しているようです。ぼくらはできれば、その難民キャンプでなんらかのボランティアなどができないかと考えています。英語を教えたりしている西洋人が結構いるようで、彼らからそんな話を聞き、ぼくらもそんなことを考え始めました。それがメーホーンソンまでやってきた主な目的でもあります。
さて、瞑想修行を終えてからのことを写真とともに簡単に書いておきます。
まず、チェンマイですでにタイに来て一ヶ月近くになっていたので、メーサイというタイ-ビルマ国境の町にビザの更新に行きました。
(タイ側の国境。この先にビルマへつながる橋があります)
(UNION OF MYANMARの文字。ここからビルマ(ミャンマー))
(上がビルマ語、下がタイ語。ビルマの文字は丸くてかわいい)
タイ側のメーサイとビルマ側のタチレクの間には川があるだけで、メーサイの安宿街からはビルマがすぐ目の前に見えます。川の向こうのたった100メートルぐらい向こうにいる人がビルマ人で、使っている言葉も違うのかと思うと、国境というものの不思議さをつくづく感じさせられます。他の国は遠く海の向こうである日本人と、川の向こうは他の国というような大陸で生まれ育った人たちで、国に対する考え方が違うのはまた当然のことのようにも思えてきます。
(タイ側から撮った写真。中央の川の向こうがビルマ。泳いでも渡れそうですが、さすがに見張ってるらしき警察の姿がチラホラ)
ビルマには、来月には本格的に入国する予定ですが、今回数時間だけ入国して来ました。国境の町タチレクでは通貨もタイバーツなので、あまり大きな変化は感じませんでしたが、タイに比べて道路の舗装具合が突然悪くなったのが印象的です。なんだか東ティモールを思い出させる道路でした。
(ここはビルマ。この後大雨に降られ、道はかなりぐちゃぐちゃに)
(これは、タイ側の写真ですが、滞在中に降った雨で、川が増水し、町は半洪水状態に。川のそばの多くの家は浸水してこんな様子に)
ビザを更新した2日後には、バイクを借りて、世界一のアヘン産地として名高かった「ゴールデン・トライアングル」にいってきました。そこは、メコン河ともう一つの川を境に、タイ、ラオス、ビルマの3ヵ国がぶつかっているところで、3ヵ国が一度に視界に入るところでもあります。
(ゴールデン・トライアングル。ぼくらのいる手前側がタイ。写真左手奥に見えるのが、ビルマ。そして中央のメコン河の右側の対岸がラオス)
アヘンの生産は今ではタイ側ではされておらず(ラオスはまだやっているとか)ただの観光地となっているのですが、でも、ここのアヘンを求めて民族間や国の間などで多くの戦いが繰り広げられ、今の歴史にも大きく足跡を残しています。
タイ北部をバイクやバスで走っていると、ひどく頻繁に警察によるチェックポイントがあり、身分証明書の提示を求められます(バスも停められ、全員チェック)。とはいえ、外国人に対するチェックはさほど厳しくありません。というのも、これは以前から活発である民族間の争いなどのためで、その争いの背景にはアヘンの密売などが深く絡んでいるようです。
(バイクで走っていたら突然現れた巨大な金の像。なんか新興宗教っぽい雰囲気のする建物のある大きな敷地内に入ってみると、子ども仏僧たちが。金の像は、「フューチャーブッダ(未来仏)」いうらしく、その実体がなんなのかは結局不明でしたが、中国の宗教だとかで、子どもたちは中国語を話していました)
(バイクで上った山の上にあった典型的なタイのプラタート(仏舎利が入っている)。)
アヘンの売買で生き延びてきた人たちは、実はタイ、ビルマ、ラオスの人たちだけではありません。その一つの例として挙げられるのが、ぼくらがメーサイの次に行った、メーサロンという山中の村に住む中国人たちです。ここはもちろんタイなのですが、かなりの数の中国人がいて、中国語の方がよく話されているんです。
(山の上に広がるメーサロンの町)
というのもここは、第二次大戦後、中国国内で起こった共産党と国民党との間の内戦に負けた、国民党軍が逃げて作った村なのです。中国南部の雲南省へ攻めてきた共産党軍から逃れるため、まずビルマへ、そしてついにタイまで逃げてきて、メーサロンに落ち着きました。台湾にいる国民党軍からの指令を待って、いつか中国へ攻めようと考えながら暮らしているうちに、ついつい50年が経ってしまったとか。今でもその当時の軍人で生き残っている人もいました。
(国民党軍の退役軍人クラブ(?)「栄民之家」。蒋介石、孫文の写真やその他旗などが方々に)
(彼らと感じで筆談。結局対した会話はできず、ここが何なのかは後から調べてわかりました。中にいたのは、負傷した兵士やらその家族だとか)
その間に彼らが生活の糧としていたのが、アヘン生産でした。もちろん今ではそれは終わり、その代わりがお茶の栽培となりました。ここは、ほんとにタイとは思えないし、なんだか日本の田舎町といった感じもあり、不思議な場所でした。
(これもメーサロンですが、この人は中国人ではなく、ここに昔から住んでいる少数民族の一つであるアカ族の人。観光客へアクセサリーを売りにきます)
(メーサロンの町からちょっと離れると、アカ族など少数民族の人たちの住む集落があり、こんな感じの家に住んでいますが、村にはちゃんと電気も通っていて、中からはテレビらしき音も聞こえました)
またまた長くなってしまいましたが、こんなところで。
雄生・素子