なぜかここ数日コメントが書き込めなくなり(何度やってもなぜか、エラーが出てしまって)、写真もアップできない状態になっています。そのため、コメントのお返事が書けず、また今回は写真なしの長文となって恐縮ですが……。またしばらくして元に戻ったら、写真とコメントアップします。
さて、いまは再びアテネにいます。前回のアモルゴス島から、サントリーニという火山の噴火によって出来た島を訪れ、1泊(+船内一泊)してから31日早朝にアテネに戻ってきました。
サントリーニもとてもきれいだったものの、こちらはアモルゴスとは違って完全にツーリストのための島という雰囲気で、ちょっと期待はずれ。全ての家が土産物屋かホテルかレストランになっていたような。でもどの島も基本的には観光業が最大の産業のようなので、この状況こそ、とてもストレートに現在の島の人々の生活を表しているのは間違いなく、それはそれでリアルではあるとも言えるのですが……。
アテネに戻ってからは、突然壊れてしまったパソコンのバッテリーの新品を入手して(IBMのパーツはなかなか手に入れづらく、今回もイスタンブールから探し回ってやっと、発見)、あとは、ロマ(いわゆるジプシー)について短い記事を書くための取材を日々やっています。「ジプシー」という言葉は場合によっては好ましくないようなので、より広く受け入れられている「ロマ」という言葉を主にここでも使いますが、ロマは、ルーマニアあたりを中心にヨーロッパ全土に広くいて、いまでは一般的に各国の底辺で生きています。彼らは、主に、1000年ほど前インドからやってきた移動生活者なのですが、移動を重ねるうちに、いまではヨーロッパ各地に点在するようになったとのこと。ジプシーというと、いまもキャラバンで移動しながら生活、というイメージがありますが、実際には必ずしもそういうわけでもなく、少なくともギリシャでは、定住している貧困層というのが現状です。ロマというのが民族としての名前で、ジプシーというのは「エジプトから来た人」を意味する「エジプシャン」という言葉の頭の音が取れたもの(ウィキペディア参照)とのこと。ギリシャには、トルコからきたムスリムのロマ、キリスト教徒のロマ、旧ユーゴ崩壊後に流れてきたアルバニア系のロマなどがいるようです。
キルギスタンからウズベキスタンに国境を越えるときに「私たちはジプシーだ」という人たちに出会い、彼らはまさにイメージするジプシーどおり、大家族での移動生活を続けていました。そのときから彼らの生活に興味が沸き、また東欧やギリシャではジプシーのいるイメージが強く、またアテネの路上では大勢のそれらしき人を見かけたので、調べてみることにしました。
一昨日は、アテネ郊外のロマたちの居住区に行き、昨日はまた別の居住区でロマの支援活動をするNGOのディレクターの女性にいろいろと話を聞きに行きました。いまもまた前に泊めてもらったエレクトラの家にいて(でもエレクトラはドイツへ旅行中!)、そのフラットメイトのグリケリアにお世話になっているのですが、彼女がNGOで働いているため、この女性のことを知っていて紹介してもらい、とてもラッキーでした。
詳しく書こうとすると、やたらと長くなってしまうので書きませんが、びっくりしたのは一昨日(31日)ロマの居住区に行ったときのこと。アテネの中心から、よく行き方もわからないまま、地下鉄とバス2台を乗り継いでなんとか目的のAno Liosiaという居住区らしい場所に着いたのですが、そこでバスを降りると、いきなり男が倒れていてその周囲にはポリスマン2人。近くに集まっているロマの若者に聞くと、「ジャンキーだ」とのこと。いきなりディープそうだな、と周囲を見回すと、手作りの小屋みたいなのが並んでいるので、ここがその居住区だとわかり、その中へ。いる人はすべてロマ。
歩いてみると、どうもまったく歓迎されてない様子。爆音で音楽をかけて、キキーッとドリフトしながら走るイカツイ車(後ろが荷台になってるちょっとヤンキー風なトヨタやらの車)が続々登場し、しかも「なんだお前」的な目線を感じまくり。
しかし小道に入ると、庭で酒盛り(?)していた家族が「ハロー!」と呼び寄せてくれて、中に入ると結構にこやかなのでほっとして、混ぜてもらいました。しかし一人、かなり怖そうな30代半ばぐらいの男が奥に。家族はみなでハシシを吸い、「あっちに警察いたけど大丈夫なの?」と聞くと、「ポリス?そんなのは銃で撃ってやる、ハハハー」と物騒なことを言います。
しばらくして、強面な男が立ち上がりぼくの方に来て、横を通るとき、ひょいとバックパックに挿していた傘を持っていってしまったので、「おい、ちょっと」というと、戻ってきて傘を返してくれると同時に銃を取り出し、半ばをそれを突きつけられた状態で、「そのカバンを置いて、出てけ」と真顔で言われ、凍りつきました。周囲にいた家族も一瞬止まっていた感じ。ぼくは、まさか、と思いつつもかなりビビッて、Please, please...というと、家族のドン的なおじさんが「ガッハッハッハッー、こいつはジョークを言ってるんだよ、ハッハッハッ!」といってくれ、同時に他の家族も「Please, pleaseだってよ!ハッハッハッ」と。でも、銃を持った男だけはほぼ真顔のまま立ち去り、車に乗り込んだのですが、車の中から笑顔で「マイフレンド!」なんてこっちを向いて笑って行ってしまったので、やはりジョークだったのかな、それにしてもきついな、とヒヤヒヤしながらほっとしました。
そのあと、その家族としばらく話して(っていっても言葉はほとんど通じず、文字が読める人も一人だけという状況だったので、会話というレベルではありませんが)、バイバイ。それからその周囲を歩くと、子どもが棒を持って真剣な顔で「お前はだれだ!」って顔でよってきたり、井戸端会議中のおばさんに「金はあるのか?ないなら出てけ!」とシリアスな剣幕で言われ、その隣の家を覗くと、若者はフレンドリーだったのにその父親らしき人物がド迫力の視線で「デ・テ・ケ」と語り、また隣では、「金くれないのか?ならあっち行け」という状況。半端ないすさみ方に、外国人が「ハロー!」と現れて歓迎される場所ではないことを肌で感じ、びびりながらもうちょっと歩いたのちに帰ってきました。
家に帰ってグリケリアに「今日ロマたちと話しにAnoLiosiaに行ってきた」というと、彼女は「え?!どうしてそんなところに?!」と驚愕の顔。彼女によれば、そこはマフィア的に暮らすロマたちのゲットーのようなところだとのこと。警察も中には入っていかない無法地帯らしく、まさかその中を歩いてきたなんて信じられない!銃ももちろん本物に決まっている、と言われ、ぞっとしてしまいました。ちなみに、一見すると牧歌的な郊外の町という雰囲気で、いかにもやばそうな裏道、って風ではないので入っていったのですが、事前にこんなことを聞いていたらとても近寄れませんでした。いずれにしても、あそこで感じた印象はそういうことだったようです。
そしてグリケリアは、「ロマについて調べてるなら、私に言ってくれればいいのに!」と、そのあとNGOの女性と、もっと一般のロマたちが暮らす居住区を教えてくれたというわけです。このNGOでは、学校に行っていないロマの子どもたちをボランティアで支援したり、生活面の相談に乗ったりという場所でした。ギリシャでは、それほど差別は大きくないようで、「ロマの人たちもちゃんと教育を受けることさえしてくれれば、社会は受け入れてくれるはず」とその女性は言っていました。ロマの子も、学校に行きたければ行けるのですが、ほとんどの大人が文字が読めず、20歳で6人子どもがいる女の子がいたり、という状況のため、親が子どもに教育を受けさせる大切さをほとんど理解できず、子どもはみな路上で金を稼いでくるための存在になってしまっているとのことでした。
ロマの問題は国によってそれぞれ状況が違うようなので、ほかの国でも調べ続けられればなと思っています。
ところで、グリケリアとその彼氏ユールゴスとは、二人とも仕事がとても忙しいのに、夜ご飯を食べに行ったり、ドライブに連れてってくれたり、本当に親切。お世話になってばかりでは申し訳ないので、昨日はぼくらが手巻き寿司を作りました。
今日出ようと思っていたのですが、グリケリアが「もう出るの?!もっといなよ!」と言ってくれたこともあり、ぼくらももう一日だけ甘えることにしました。アテネは、観光も、人との出会いも、取材も、彼らのおかげで本当に満喫できました。
それから宣伝ですが、4月4日発売の「週刊金曜日」にこのブログでも紹介したウズベキスタンの「NORIKO学級」についての記事と写真が載る予定なので、よかったらご覧ください。