February 16, 2008

「バレー部です!」<Goris, Armenia>

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(国境の町メグリ。古い石造りの教会がヨーロッパに来たっていう感じ。教会は17世紀のもの)

13日にイランから国境を越えてアルメニアに入りました。

川の向こうはすぐアルメニアという国境なのですが、国境を越えるといきなりキリスト教の西洋世界になっているので不思議なものです。アルメニアには独自の文字があり、言葉はアルメニア語なのですが、やはり旧ソ連、ロシア語も広く通じます。国境職員はロシア系なのか(実際そのようです)、お互いにロシア語で話していたし、少しでも意思疎通ができる世界に戻ったのは旅する上でうれしいものです(その一方、イランの印象がとてもよかったので、イランを離れるのがちょっと寂しかった!)。

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(イラン側から見たアルメニア。川の向こうはすぐアルメニア!)
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(国境のイラン側)

イランのタブリーズから国境までは、バスはほとんどなく、乗り合いタクシーを乗り継いでいくことになりましたが、とても順調。国境の川沿いを30分ぐらい走るのですが、川の向こうはアルメニアだったりアゼルバイジャンだったり。国境がとても複雑に入り組んでいることがわかりました。

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(国境の橋から。右がイラン、左がアルメニア。とてもきれいな国境でした)

国境越えもスムーズ。川を越えるだけの国境のため、二国間のノーマンズランドは橋しかなく、久々に歩いて渡れる国境でした。

写真を撮っているのがバレてしまい、アルメニア側で一枚削除させられましたが(10枚ほど撮っていて見つかった1枚以外は、再生ボタンを逆に回してイランの写真を見せることで辛うじてセーフ)、その対応もとても紳士的。「写真はだめだよ、ぼく。これは消しなさい」って諭される子どものようでした。

アルメニア側に入り、10分ほどまたタクシーに乗ったら、Meghri(メグリ)に到着。ホテルもレストランもほとんどないらしいので、ホームスティさせてくれるらしい家族を訪問。いきなりだったのですが、夫婦と娘さんが温かく迎えてくれました。奥さんはドイツ語の先生、旦那さんは栄養士(もしくは植物学者?)か何かで、奥さんは英語を話すし、旦那さん、娘さんもロシア語は流暢。

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(メグリのホームスティ先の家族。みな親切でした)

メグリは人口5000人のとても小さな町ですが、石造りの家が山にへばりつき(ちょっとイランのマースーレーみたい)、古い教会やお城があったりといい雰囲気。

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(教会の神父さん(でいいのかな?)アルメニアはキリスト教でもArmenian Apostolic Churchという派が最大。アルメニアは世界で最も早く公式にキリスト教を採用した国として知られます(AD 301年))

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(教会の絵はどことなくアジア風。教会で地獄が描かれている絵などあまり見たことない気がしますが、どうでしょうか)

到着した日、旦那さんのゲボルグに町を案内してもらい、携帯電話のシムカードを買って(これでアルメニアでも上海で買った携帯が使えるようになります)、ネット屋も見つけました。宿もないこんな僻地でもまたネット屋が2軒……。本当にインターネットの広がりというのは驚くべきものがあります。

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(アルメニアの文字。うーーん、なんとも言えません。。。が、最近、漢字こそ世界で最も不思議かつ特殊な文字のような気がしてきました。「数千文字あって、実際いくつあるか分からない!」っていうと、みな、なんでそんな文字をあなたたちは使いたがるんだ、といい、確かにそうだなあと納得してしまいます。それに比べると、アラビア文字もキリル文字も全然平易なような)

家では、おいしいアルメニア式コーヒーやらここの名産のザクロ、イチジク、カキなどを出してくれ、夕食は、すべて庭で作っている野菜で満たされた超オーガニックディナー。そして、手作りワインとウォッカ。イランの単調なケバブライフから、川を越えたらこういう食生活をしている人がいるというのはやはり国境の不思議さを感じます。

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(何から何まで手作りなのには驚き!チーズ、赤ピーマン、キャベツ、トマト、豆、胡桃、パン(写真上)、カキ、ナシ、カボチャ(右)(写真下)、その他、桃のコンポート、ワイン、ウォッカもすべて自家製でした。久々に超豪華な気分)

とはいえ、アルメニアの田舎はいまもとても貧しいらしく、奥さんは、とてもこれだけの食べ物を買えないから作っているとも言っていました。首都イェレバンで大学に通う息子さんと娘さんの学費を払うために、奥さんは日中、学校でドイツ語を教えたあと、家で家庭教師をし、旦那さんもすでに退職したのか、いまは運転手をして少しお金を稼ぎながらやりくりしているとのこと。二人合わせて月収は300ドル程度で「旅行もしたいけど、私たちにそんなお金はないし、いいなあ」と奥さん。

こういうときに、自分たちの旅のことを聞かれ、「日本を離れて5年経って、いまは中国から半年かけて旅してます」なんてノンキなことを言うのはとってもはばかられるような気がしてしまいます。ただ自分たちが日本に生まれたというだけで、実際どうしてもお金持ちという立場になってしまうことに、いつもながら複雑な思いを抱かされるし、こんな生活をしているのがちょっと恥ずかしいような、なんだか申し訳ないような気持ちにさせられます……。

などと殊勝なことを書いてみましたが、さて、今回のタイトル。
友人からすでに聞いていたのですが、「バレー部です!」と元気よく言うと、アルメニア語の「こんにちは!」の意味になるのです!

実際に「バレー部です!」とこの家族に言ったら、「あら、知ってるのね、アルメニア語!バレー部です!バレー部です!」と言い返され、ほんとだ!と爆笑しました。

そんな感じで、温かい家族の中で楽しくメグリでの日々を過ごしました。部屋がとても寒いのがきつかったですが……。

ここに2泊して、昨日(15日)の早朝7時のバスで100キロほど北のゴリス(Golis)へ。
途中、久々に2000mオーバーの雪山を越え、一面の雪景色。気温もぐっと下がり、ちょっと中央アジアを思い出す寒さに……。

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(途中バスから見えた雲海!山の谷間が雲で満たされ、そこに朝日が昇りはじめ、とても幻想的でした)

ゴリスの町はとてもきれい。雪山に囲まれ、並木道と石造りの古い家。西洋らしい重厚な歴史を感じます。しかしここに来て、アルメニアの物価の高さを実感!食べ物はまだ安いのですが、宿が高い!町の人に聞いて、一番安い宿を探しても一人16ドルとか、そういうレベル……(実際もっと安いのが一つあったのですが、そこはさすがにひどいみたいで選択肢に入れず)。宿10ドル程度(これでもバックパッカーには結構きついのですが(笑))って聞いていたのにこの4年ほどでアルメニア通貨ドラムの価値がドル換算で2倍ほどになり、ドルで考えると物価が相当高騰していて、厳しいです。

アルメニアは、隣のアゼルバイジャンとは犬猿の仲で、アルメニアのビザがパスポートにあると、アゼルバイジャンには入れなくなります。両国の間には自称の独立共和国があり、アルメニアはそれを支持、アゼルバイジャンとその国は一触即発状態(…までではないかもですが)。アルメニアはキリスト教国で、アゼルバイジャンはイスラム教国。アルメニアはロシアと強く結びつき、アゼルバイジャンは、カスピ海の豊富な石油を餌にアメリカから大きな援助をもらっているとのこと。そして、アルメニアの北にあるグルジアとも、またいろいろとあるらしいです。コーカサス地方(この三国のこと)は小さいけれど、民族が多く、歴史も複雑でなかなか大変そうです。

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(ゴリスの街並み)

さて、昨日は普通の宿(B&B)に泊まったものの、宿の奥さんが、娘さんの誕生パーティに呼んでくれ、ぼくらも娘さんの家にお邪魔して一緒に豪華な夕食。その娘さんというのが34歳で、すでに5人の子どもがいて一番上は16歳!宿の奥さんはまだ51歳なので、なんと彼女は35歳でおばあさんになっていたということになります!それはさすがにびっくりですが、やはりいつもながら大家族は楽しそうでいいなあ~と羨ましくなります。

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(下列の左の女性が51歳の奥さん。で、子どもを挟んで右側の女性が34歳の娘さん。で、彼女の上にいるベージュのセーターを着た女性と一人挟んでその左隣にいる女性が、その娘さん(16歳と14歳)!最初は完全に姉妹かと思い、びっくり!)

イランに続き、アルメニアもまたとても人が親切。最近、結局どこの国の人も大抵の人はとても親切なのかもなあと感じ始めています。

今日、モンゴルでしばらく一緒だった日本人の牛山さんと半年ぶりに再会。これから一緒に、5世紀ごろの教会が絶壁に残る山奥の小さな村タテフ(Tatev)に行ってきます。さすがにすごい年季の入った代物のようで楽しみです。1、2泊して、またゴリスに戻って、そのあと首都イェレバンに向かいます。


(アルメニアは本当に小さくて、町から町の移動もほとんど数時間でおしまい。いま、牛山さんが、隣の自称独立国(この地図じゃ表記不可)に数日行こうとぼくらを説得中。ぼくらはまだ全然気持ち的に盛り上がってないのですが、どうなることか……)


Posted by ykon at February 16, 2008 5:24 PM | トラックバック
コメント

タイトルだけ見ると「あれっ?バスケ部じゃなかったっけ?]と勘違いしてしもた(笑)
とりあえず祝アルメニア入り!
やっと暖かい所に来たと思ったらまた寒い国に戻って(笑)アラスカ生活への準備みたいやね。
確かに 一般家庭へお邪魔してみると大抵のところがそんなに裕福じゃない生活をしていると思う。
でも、お金がなくても家族と一緒に幸せそうに(困難はあるんだろうけど)暮らしているのを見ると何故か羨ましく思うのは僕だけでしょうか?

Posted by: イッチー at February 16, 2008 10:55 PM

>イッチー

いまはどこ?!無事に旅続いている?
イェレバンについて、少しまた寒さがやわらいだけど、やっぱりイランよりは寒いね。

物価が高くてやばい!でも、ヒッチと民泊の鬼の牛山さんに出会って、いまは牛山さんが友達になった人の家に泊めてもらってます。というわけで、アルメニアでも出会いが満載で楽しく過ごしているよ。

アルメニア人はなかなか経済的に大変そうな人多いけど、でも確かにみんな幸せそうだなあって感じはおれも感じてるよ。とにかく食べ物もなにもすべて自家製で、食事が本当に充実していておいしい!

元気で!

Posted by: ゆうき・もとこ at February 19, 2008 6:34 PM

どの国でもよく一般の家庭にホームステイしてるけれど、どうやってみつけてるんですか?

Posted by: よっしー at February 19, 2008 11:57 PM

>よっしーさん

どうも!イランでは、向こうから声をかけられることが多かったです。あとは、車に乗せてもらった人にそのまま泊めてもらったりとか。。。で、アルメニアではさっきブログに書きましたが、他の旅行者のおかげだったり。東南アジアとか中国じゃ全然そんな機会なかったんですが、この辺はそういうフレンドリーな国なのかもなと感じてます。
旅行者が少ないせいもあるかも?

Posted by: ゆうき・もとこ at February 20, 2008 5:33 PM

「バレー部ですっ!!」

実は僕はほんとにバレー部でした。中学と高校。
なので言ってみたかっただけです。。。

引き続き良い旅を!!

Posted by: konegi at February 20, 2008 11:31 PM

>konegiさん

どうも!バレー部でしたか!
しかしこの挨拶は、何度聞いても、何度言っても、
笑えましたよ、日本人的には。
東京での新生活エンジョイしてください!

Posted by: ゆうき at February 28, 2008 12:01 AM
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