February 22, 2008

明日はもうグルジア<Yerevan No.2, Armenia>

イェレバンライフも今日で最後、というかアルメニア自体、今日が最後となりました。

アルメニア北部の田舎も周ろうかどうしようかと、いろいろと考えていたのですが、結局、ま、いいか、ということになり、今日の夜行列車で一気にグルジアの首都トビリシまで行ってしまうことにしました。

イェレバンでは特になんにもしてないような気がするのにすでに5日目、という首都っぽい日々でした。でも、例のウシ人脈もあって出会いは豊富でした。

牛山さんは、イェレバンであるイラン人のお宅になんと3週間も(厚かましい!)居候していました。そのイラン人アミールさんは、90年代に日本で働いていた人で、あらゆるシチュエーションで「ダイジョーブ!」を連発する面白い日本語を操るとても親切な人物。彼も、牛山さんを道で見かけて、「ぼくの家、ダイジョーブ、何日でも泊まって、ダイジョーブ!」と誘ってみたものの、まさか3週間もいられることになるとは予想していなかったはず。アミールさんは、食事までいつも作ってくれていたようで、ぼくらも遊びに行くと、すぐに食事を作ってくれました。手伝おうとすると、「ダイジョーブ、ダイジョーブ。座ってて、ダイジョーブ!」と何から何までやってもらってしまい、ぼくらも厚かましくも言われるままに、食って飲んでダベるのみ。

彼もやはりイスラム教徒なので「アミールさん、祈りますか?」と聞くと、「え、うん……、祈らないよ、ダイジョーブ!祈らない、ダイジョーブ!」と予想通りの答。豚肉も酒も「ダイジョーブ、豚肉も酒も、日本でやったよ。ダイジョーブ!」でもパチンコの話になると「パチンコは、ちょっとやったけど、30分で1万円うばわれた。ちょっとだけ、ダイジョーブ、でもたくさんは、ダイジョーブない!」とのこと。

ちなみに、彼も日本にいたときは観光ビザで思わず2年も滞在してしまい、見つかって強制送還されたとのこと。さすがのアミールさんも、1ヶ月ほどのビザで年単位の滞在はダイジョーブじゃないようでした。

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(アルメニア式コーヒー。左の小さな鍋で直接煮立てて、エスプレッソのような小さなカップで飲む。イェレバンには本当にカフェが多くて、コーヒーもケーキも店の雰囲気もかなりレベルが高くてうれしかったです(この写真はタテフの家庭のもの))

ぼくらが今日まで泊めてもらっていた会計士ステファンのところでは、一昨日、十数人のヨーロッパ人が集まってパーティに。19日にちょうど大統領選挙があったために、その監視人(キルギスでの挑戦が懐かしい!)としてアルメニアに来ていたノルウェー人、デンマーク人がステファン邸に集結。その他、アルメニア在住のドイツ人、スロバキア人、インド人など、そしてもちろん地元アルメニア人とぼくらも。

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(ステファンちでのパーティ。ぼくらはこの部屋の奥にタダで寝泊りさせてもらいました)

アルメニアは、90年代に独立して以来、アゼルバイジャンとも戦争をしたし、経済的にも決して最高の状態ではないために、NGOやボランティアとして働く西洋人が結構いる様子。一応は民主化されているものの選挙もあまり公正に行われているようではないようです。選挙翌日から、街なかでも不正を訴える大規模なデモや集会が開かれていました。

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(大統領選挙の無効を(たぶん)訴える集会)

07年末に大統領選挙があったグルジアでもそのあと大荒れになっていたけれど、この辺はどこもソ連崩壊後から現在まで問題は山積なままなようです。

メグリやゴリスで年配の3人の人に「ソ連時代とくらべていまはどうか?」と訊いてみましたが、そのうち2人は「ソ連時代がよかった」という答えでした。

「ソ連のときは、仕事の心配をする必要がなかった。明日も明後日も必ず仕事があって、何も心配せずに、ただ毎日、職場と家を往復すれば、それで生きていけた。病院もタダだったし。でもいまは、子どもの学費も、病院も、すべてお金がいるし、今月いくら稼げるかも分からないし……」と、宿を経営する女性が言っていました。

「ソ連よりそりゃいまの方がいいよ。何してもいいんだから。ソ連が崩壊して生活は全く別なものになったよ」と言ったタテフ村の男性も「でも仕事はやはりソ連のときがよかった。この村にも、コンデンサーを作る工場があって、そこで120人も働くことができた。いまは、バスの運転、学校、病院、郵便局ぐらいしか仕事がなくて、そんなの大した人数にならないしね」と。

ソ連時代は暗黒社会のようなイメージがあるけれど、実際にその時代と現在の両方を経験した人にとっては、そう単純なものではないんだろうなと感じます。

アルメニアはアゼルバイジャンのみならず、トルコとの関係も非常にまずく国境は閉鎖中。というのも、第一次大戦時、民族浄化の名のもとにトルコが150万人ものアルメニア人を虐殺・追放したという歴史があるからとのこと。一部には「史上最も残虐な出来事」とも言われるようですが、ここに来る前は全く知らなかったし、そもそもアルメニアがどこにあるのかも全然分かっていなかったってな具合なわけで……。虐殺博物館はとても見ごたえがありました。

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(虐殺博物館のモニュメント)

また、アルメニアは英語を話す人の割合が実に高くてびっくりでした。さあロシア語だ!と思ってやってきたものの、ぼくらのロシア語よりもアルメニア人の英語の方がうまい場合が多く、結局英語になってしまうことが多いです。

あ、そういえば、美人大国と聞いていたアルメニアでしたが、それほどでもなかったような……。自分の印象としてはロシアのハバロフスクの方が、またイランの方が圧倒的に綺麗な人が多かった気がします(イランはそんなとこでも、期待値を大きく上回り、びっくり)。でも明日から行くグルジアは、本当に美人大国らしいです。今日の夜行列車で国境を越えます。


(今夜の夜行列車でグルジアの首都トビリシ(Tbilisi)に向かいます。ほんとはもっとゆっくりと北上したかったものの、時間的な問題などがあり、一気に進むことに。久々の列車です)


Posted by ykon at February 22, 2008 8:47 PM | トラックバック
コメント

hello i hope you countinue your travel
successfully very good
googbye

Posted by: hamid at February 22, 2008 11:14 PM

コーヒーうまそうだね。それにしても雪が寒そう。平均的に何度ぐらいなの?マイナス10度を下回るとかなり寒くない?それにしてもワイルドライフを送ってるなあ。牛山さんはすごいね。おいくつなんだろうか?アメリカごときで苦情を言ってる自分を見つめ直そうと思いました。。。

Posted by: naoki at February 22, 2008 11:15 PM

>hamid

hi, how are you?
thank you for your comment!
we are now in georgia, and
will cross the border to Turkey tomorrow!
hope you too are having wonderful days!

>naokiさん

黒海沿岸に来て、やっと冬が終わったよ。今日は日中シャツとはだしで、ビーチに座ってたよ。ほんと、感激。アラスカっていってたけど、やっぱりあったかいところくると、あったかいっていいなあって思ってしまうよ。ちなみに、アルメニアでは日中0~5度とかぐらいだったかなあ。。。でも、写真の雪のすごい山の村は、着いた夜はマイナス15度で、またかよ!って思ってしまった(笑)。ちなみに牛山さんはnaokiさんの2つ上。
すごいよね、タフだよね。

Posted by: yuki & motoko at February 28, 2008 12:02 AM
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