(タテフの村で日曜ミサに向かう子どもたち)
アルメニアも一週間。一昨日(18日)、首都イェレバンに着きました。昨日は大統領選挙があり、その影響で今日あたりからちょっと不穏になるかも、、、なんていう地元の人の話も聞きましたが、平穏な都会ライフを送っています。
イェレバンでは、地元アルメニア人の会計士の仕事場にある空き部屋に泊めてもらっています。アルメニアの他の民家同様、部屋がかなり寒いのが難点ですが……などと、タダで泊めてもらっているぶんざいなのに大きなことをいえる立場ではなく、宿を提供してもらっているだけでとてもありがたく過ごしています(ホントに)。
前回書いたように、ゴリスで、半年振りに牛山さんという独特なキャラの旅行者に再会したのですが(中国・モンゴル間の国境で足止めくらったときに一緒だった人)、アルメニア入ってからは、彼のおかげで、ぼくらも次々に民家に泊めてもらう生活が実現できています。
この牛山さんの旅の仕方がなかなかすごいんです。移動はほぼ全てヒッチ、宿泊も民家をノックして「泊めてください」とあわせた両手を頬の横に持っていくジェスチャーで頼むか、ヒッチで乗せてもらった車の人の家にそのまま転がり込むという、目に余る厚かましさ(笑)。とても好感のもてる人物であるせいか、または荷物がビニール袋と小さなリュック一つだけという現地人からも同情を買ってしまう貧乏風なスタイルのせいか、やれ「うちに泊まりなさい」とか、やれ「乗ってけよ」とか言われて、物価の高い国はほとんどそれで渡り歩き、中国からここまで7ヶ月ほどの旅で使ったのはたった2000ドル(ぼくらはその2,3倍使ってます)というので驚きです。
いまぼくらが泊まっているところも牛山さんが前にイェレバンで知り合った人を紹介してもらった、というわけです。
アルメニアやグルジア、そしてこれから先のヨーロッパは、この「ウシテク」を少し取り入れないと金銭的にちょっと厳しそうなので、ぼくらもノックして民家に泊めてもらうという方法を少し実践してみようかと思っていますが、これがなかなか、体力と精神力が要りそうです。
こないだ、牛山さんと3人で、ゴリスの街なかで手当たり次第にこの方法を試したときのこと。声をかけてきた車の人に試しに、「今日、泊まるところがないんだけど、泊めてくれないか。ホテルは高くて、お金がなくて……」などと言ってみると、「金がないのか?金がないやつは道路で寝なさい」と厳しくしかもある意味まっとうなことをピシャリといわれ、世間は甘くないことを早速実感……。そういうこと何度か言われたらぼくらはすぐくじけてしまいそうなので、やはりイランのように向こうから誘われないとなかなか泊めてもらうっていうのはしづらいですが、でも、この方法でガンガン推し進める牛山さんはとても素敵な出会いをいくつもしているので、こういう方法もカードとしてもっていたら旅の幅はさらに広くなるだろうな~と感じました。
さて、話は5日前に戻って、その牛山さんと再会したゴリスから。
(タテフはこんな感じののどかな村。周囲を雪山に囲まれ、こんなところで育ったら、すごい自然派キャラになりそうだなあと、エセ自然派として想像)
再会した数時間後に、ゴリスから30キロほど離れたタテフ(Tatev)という村へ行きました。30キロなのにバスで2時間かかるという厳しい山道の先にあるタテフには、9世紀(か5世紀?)にできた教会がいまも建っていました。崖の端に建つこの教会の中で子どもたちとともに日曜ミサに参加し、10世紀のフレスコ画の跡を見ると、いやあ、いよいよヨーロッパだなあと感じました。
(9世紀(か、5世紀)に建てられたという教会。向こうの山から見ると崖っぷちに建っていることが分かりすごいらしいです。シンプルな石造りは、アルメニアの教会に共通らしいです)
(その中。光の入り方がとても神秘的な雰囲気を演出)
(教会の中の小さな部屋での日曜ミサ。ロシア正教とかに共通する煙に満たされ、これまた神秘的な空間に)
(これはタテフのまた別な教会。1646年の建築物で、アルメニア的には新しい部類に入りそうなものの、いまは使われていない。)
タテフまでぼくらはバスに乗り、B&B民家に泊まったものの、牛山さんはここでもバスには乗らず、ヒッチ&ノック戦法。しかし、途中吹雪になり、何台も車が引き返すような悪天候で「さすがにこれは無理だろう」と思っていたのですが、そのしぶとさには脱帽でした。彼は途中までの車を見つけ、あとは15キロの山道を歩き、最後は暗闇の中、狼を恐れながらなんとか村に到着。しかも、泊めてもらった家は極寒でほとんど眠れず、まともな食事もなく、というハードな展開に。やはり相当タフじゃないとウシテクは実践できないなと実感しました。
(タテフの学校で見た「バレー部」。まさに「バレー部です!」)
一方ぼくらはB&Bで手作りの豪華な食事とウォッカなどで快適な民家ライフを送り、そこに2泊するつもりだったものの、1泊した翌日、昼飯を食べながら宿のおばさんに宿・メシ代の確認をすると、約束以上のかなり法外な額を請求され、全然折り合いがつかなかったため、急遽ぼくらもそこを出て、その日のうちにゴリスまで戻ることに。その日は日曜でバスがなかったため、期せずして、いきなり牛山さんとともにヒッチすることになりました。
すでに夕方で、暗くなったら道も見えないしおしまいだな、とちょっと焦り気味でしたが、ウシテクのおかげもあって運よくすぐ車が見つかり、ぼくと素子は二人で助手席に乗るというギュウギュウ詰め状態で1時間走って無事ゴリス着。で、宿探し。教会で泊めてくれ、といって断られ、結局牛山さんが二日前にヒッチした挙句泊めてもらったリッチなお医者さんの家に、3人で押しかけることに……。
さすがに断られるかなと思っていたものの、「バレー部です!」と入っていくと、3人で行ったのになんとびっくり大歓迎!「おお、バレー部です!バレー部です!」と。
笑い上戸の絵描きの奥さんとアルメニアで一番手術数が多いというベテラン外科医とその息子たちとともに、豪勢な食事でとても楽しい夕食に。「アクタガワはすごい、バショウが好きだ」というかなり日本通の家族と、日本ネタでいい盛り上がりをみせ、あとはゴリス名産のフルーツウォッカをしこたま飲まされて……という夜でした。
(ゴリスのお医者さん宅で。右端が牛山さん。インパクトの高い怪しい風貌と穏やかかつ人当たりのいい魅力的な人柄を武器に、厚かましくてディープで素敵な旅を果てしなく続けられそうな好人物)
翌18日にぼくらはバスで首都イェレバンへ。牛山さん紹介の爽やかな若き会計士に連絡を取り、彼の仕事場の空き部屋に落ち着いた、というわけです。イェレバンは英語を話せる人の率がかなり高く、またNGOやボランティアとして働いている西洋人も結構います。これもまたほとんどウシ人脈ですが、彼らと会ったりしながらこれから数日過ごす予定で、出会いが多くて楽しそうです。
牛山さんに始まり牛山さんに終わるかもしれないアルメニア。おかげで、人との出会いがかなり多く、旅の新たな方法が開拓されそうな予感です。
イェレバンの写真はまた次回。
写真の方がうわさの牛山さんですか!
それにしてもウシテクかなり強引やね。
よっぽどの厚かましさと精神力がないと
でけへんわ!アルメニア抜けるときは2人
ともかなりパワーアップしてそうやなぁ。
すごいなぁー牛山さん!
ステキな出会いは人柄ゆえなんやろうけど
その戦法、冬はきつそうですね・・・。
ヒッチの待ち時間とか
大変そうだぁー。
バレー部です!には笑いました。
言葉っておもしろいなぁ。
>イッチー
牛山さん、やっぱりすごかったよ~。200日のうち、70~80日ぐらい民家に泊まってるらしい。。。普通できないよね。もう多分明日でグルジアも終わり。
トルコで会えるかも!?
>ちえちゃん
牛山さんの真似を二人でしてみたけど、
なかなかうまくいかないよーー(笑)。
その上、おれたちは荷物が大きすぎるのもあって、
なかなか郊外に出てヒッチって気持ちにもなれず。。。
やっぱり荷物が小さいっていうのは旅の自由度をぐっとあげるということを実感してます。バレー部です!は、これまで一番笑える挨拶だったよー。