みなさん
しばらくカウラという小さな町にいたので、ネットに接続することができませんでした。数日前にキャンベラに到着して、ようやくこれを書いています。
カウラでは、妻&ライターアシスタントと偽って彼の取材に同行し、メモをとったりしていました。結構使えるアシスタントだったのでは?と自負。何についての取材かは、したの説明を参照してください。カウラで取材に同行したおかげで、たくさんの町の人たちと交流でき、そのほとんど皆親切な人ばかりで、カウラをすっかり気に入ってしまいました。
さて、キャンベラについた翌日、さっそく留学していた大学に行ってみました。今はちょうど試験休みのため、学生がほとんどいなくて、ひっそりしていました。6年前を思い出し、心踊る思いでキャンパスを歩き回りましたが、やはり当時の友達がいてこその留学生活だったのだなとも思い知られました。
ところで、HPに書き込んでいただいた加藤さんのご要望にお応えして、コアラの写真を載せたかったのですが、とりあえずカウラで撮ったカンガルーの写真を載せておきますね。野生のコアラに出会える日はくるのでしょうか?!
あと、オペラハウスの写真は雄生作です。私もとったのですが、ピントが甘く、却下されてしまいました。。。
日本はもうすぐ梅雨明けですね!こちらはさっむいですよぉーー。
素子
首都のキャンベラについて、久々にメールを見ることができました。HPへもメッセージをどうもありがとうございました。しかし、この町でもなかなかPCをネットにつなげることができません。メールがなかなか送れなくてすみません。
数日前まで、カウラという人口9000人ほどの小さな町に滞在していました。数百メートルのメインストリートを一本はずれると、もう静かな住宅街となってしまうというほどなのですが、ある事件によってオーストラリアではよく知られています。第二次世界大戦中に、その町には捕虜の収容所があったのですが、1944年8月5日にそこで歴史に残る大脱走事件があったのです。
深夜2時、1100人の捕虜がラッパの合図とともに、バット、ナイフ、のこぎり、グローブ、毛布などの自家製の武器を持ち、いっせいに収容所を飛び出しました。みなが声をあげながら、あるものは銃を奪いに、あるものはフェンスを破りに、四方八方へとちらばり、逃げ出したんです。しかし、それは実は逃げるため、というよりも死ぬためだったようです。実際、幾人もが自ら首をつり、また銃で撃たれにいった。結果、230人ほどが数時間のうちに死亡するという大惨事となりました。彼らが収容所を出るときに叫んでいた言葉は「ばんざい!」だったといいます。そのすべてが日本人だったのです。
戦争史上に残る大脱走だったことに加え、日本人にとって捕虜になるということがどういうことだったのかを示す事件として、今もオーストラリアやイギリスではとても有名だそうですが、日本ではほとんど知られていません。そのことを調べにこの町に滞在していました。
当時この事件と関わった人を探して回り、町にいた関係者にはほとんどあうことができたものの、核心に触れる人物はもはや町には残っていないことがわかりました。
ま、そんなことをやっていたわけです。田舎だったためか、人がみなよく助けてくれて、とても気持ちのいい日々をすごすことができました。キャンベラではカウラでの取材をまとめて、なんとか一つの形にしようと思っています。
日本は大分暑くなっていることと思いますが、みなさん、お元気で!
雄生
こんにちは、お久しぶりです。お二人とも元気そうで何よりです。オペラハウスの写真を見ましたが、空がきれいですね。僕もいつか行ってみたくなりました。
色々慣れないこともあるかもしれないけど、がんばってな!せっしゃもがんばりますよってに。