June 23, 2008

アウシュビッツ、そして丸5年<Krakow, Poland>

次々に国が変わっているのに、そんな実感もわかないのがいまのEU。でもチェコと、いまいるポーランドでは久々に通貨がユーロではなくなり、ちょっと異国の気分です。通貨が変わると、細かなコインとかが使い切れずに無駄になっちゃうな、なんていう感覚を久々に味わってます。

さて、今回ちょっとポーランドに寄った目的は、ほとんどひとつ。
アウシュビッツです。

学生時代に読んだ「夜と霧」や「我が闘争」(残念ながら途中で断念、しかも2度も!)、手塚治虫の「アドルフに告ぐ」、ロベルト・ベニーニの"Life is Beautiful"などから、ただならぬ強烈なイメージを持ち続けてきていて、大学時代からずっといつか行ってみたいと思っていた数少ない場所のひとつですが、ついに一昨日、行くことができました。
いま泊まっているクラクフ(Krakow)という町から60キロほど、バスで1時間半ぐらい。ここはさすがに二人ともちゃんとガイドの説明が聴きたいと思い、いつものような「たけえーよ、どうする?」的な議論は全くでないまま(っていってもたいした額ではありません。しかも入場料は無料)、現場でガイドツアーに参加して、3時間半ほどじっくり説明を聞きながら、見学しました。

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(アウシュビッツ強制収容所の入り口ゲートに書かれている有名な言葉「"ARBEIT MACHT FREI"―働けば自由になれる―。もちろんここでは全くそんなはずもなく、「自由になる」とはアウシュビッツでは死ぬことでしかなかった)

強制収容所内は、ぼくらのような観光客が多いため、思っていたよりも明るく見え、自分が想像していた超暗く、重苦しく、モノトーンな雰囲気ではありませんでした。でも、聴くこと、見ることのすべてが、想像を絶するような内容ばかりで、これまで何度も聞いてはいたけれど、それらすべてがまさにいまいるこの場所で行なわれていたんだと考えると、時々、ふと意識が遠のきそうなというか、本当にそんなことがここであったのだろうかとか、何が現実か分からないような気さえしてくることがありました。

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特に、山積みになった義足や靴、名前の書かれたスーツケースを見たときの衝撃は大きかったです。ガイドの女性が「山積みになったこれらの無数の遺品を、その数の凄まじさを見るよりも、たとえば、たった一つの靴に注目してみてください。その一つ一つに物語があって、その個々の物語を想像することこそがここで起きた悲劇を強烈に実感させるはずです」というようなことを言ってくれて、そう思いながら、靴や義足をじっと見たときに、初めてここで起きたことの何たるかが、ちょっとだけ感じられたような気がしました。
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しかしその一方で、3時間半ほどこの収容所内を歩き回っても、なぜか全く、そのすべてがまさにここで起きたのだ、ということが実感できませんでした。それはあまりにも事実がむごすぎることと、それに対してあまりにもこの場所の現在の様子がのどかだったからかもしれません。

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(これがトイレ。全くのプライベートなしで、しかも紙も何も与えられないとのこと。ほとんどの人が凄まじい衰弱の上に病気を抱え、腹を壊したなどというレベルではないのにもかかわらず、トイレは一日朝と夜のほんの短い時間しか許されなかったらしい。あとは狭くギュウギュウ詰めのベッドなどでそのまま垂れ流すしかありません。冬はマイナス15度ぐらいになるのに、みな裸足を強要され、着るものも1枚のみ。死へ一直線の毎日。ちなみに、アウシュビッツに運ばれてきたユダヤ人らの7、8割程がそんな日々を経験することもなく、いきなりガス室に送り込まれて殺されたとのこと。ガス室に行かずにすんだ人たちも、病気や衰弱でほとんどの人が数ヶ月から長くても1,2年のうちには死んでいきました)

最近読んだ本の中で、アウシュビッツを経験したある作家が「アウシュビッツの体験は決して誰にも伝えることはできない。体験した本人にしか決して分かりえない」というようなことを言ったというのを読みましたが、まさにその通りかもしれないと思ったのは、自分でいまここを訪れて見学しても、その本当の悲惨さは決して実感できないだろうな、と感じたからです。この場所を訪れて感じたその悲惨さを語ろうとしても、現実がおそらくあまりにも想像を絶する凄まじいものだったために、どうしても現実に比べて陳腐になってしまうように思います。そして、そうやって語り継がれることによって、その悲惨さはだんだんと薄まっていってしまうかもしれない、だから語ることはできない、というのがその作家の言いたいことだったのであり、その作家の気持ちが、アウシュビッツを訪れてみてちょっと分かるような気がしました。ここで実際人々が体験してきたことは、決して自分には実感できない、という実感というか。。。

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(「死の壁」と呼ばれる銃殺場。ここで何千人というユダヤ人などが、理由もなく処刑されていった)

それでもやはり、アウシュビッツで起きたことは、完璧な形ではなかったとしてもずっと人間の記憶の中に生きつづけなければならないというのは間違いありません。

さて、話は一変。クラクフでは毎晩、EURO2008観戦。ヨーロッパ中どこの町に行っても、広場に巨大スクリーンがあって大勢で盛り上がって観戦できるので楽しいです。

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(昨日のイタリア・スペイン戦。PKのとき)

そして昨日は教会でのクラシックコンサートへ。バイオリン、チェロ、コントラバスとトランペット。ぼくはこれまでほとんどまともにこういうのを聞いたことがなかったため、演奏の上手下手はよく分からないけれど、前回プラハで感激した時と比べると、今回は演奏がいまいちだったことは歴然としていました。

宿は安くてきれいで設備も良くて居心地いいけれど、若い西洋人が夜中までやたらとうるさくてストレスフル。スペイン人、イタリア人、トルコ人が2日続けて夜中の1,2時まで共同スペースで大音量で音楽をかけてまるでクラブかのように騒ぎまくっているので、さすがにむかついて彼らにきれてしまいました。でもその後、「あのアジアのヒゲオヤジうるせーな」とか言われてんじゃないかと思うと、だんだんこういうゲストハウスも年齢層が違ってきたのかな、、、と、ちょっと寂しく感じてしまったり。ウィーンのゲストハウスの多くには年齢制限があるようでびっくり。「30歳以下のみ」とか。なんだそれ、って感じです(笑)。

ところで、気付いたら昨日で日本を出て丸5年になっていました!5年という響きはさすがになかなかの重みがあり、自分のこの5年がなんだったのかと、真剣に考えざるを得ません。体力的にも、精神的にも、間違いなくこのふらふら生活に終盤が近づいていることを日々感じてます。しかし、こないだ5年前の写真を見たら、さすがにずいぶんと年取ったなーと実感してしまいました。ぼくも、素子も。

明日(24日)にクラクフを出ようと思っていたのですが、今日、本屋で現地在住のカナダ人と仲良くなって、急遽予定変更して、明日彼の家に遊びに行くことになりました。彼は村上春樹の大ファンのようで、話が盛り上がって。ポーランド人の奥さんと田舎に住んでいるので、思いがけずポーランドの田舎も見られそうで楽しみです(自分たちで田舎を開拓する気力はすでに全然なくなっているので……)。

明後日の夜行バスでミュンヘンに行って、一泊してからスイスの友人宅に向かいます。


(クラクフ(Krakow)から再びドイツに戻って一気にミュンヘン(Munich)へ。久々に十数時間の夜行バスでハードそう。本当はウィーン経由がよかったのですが、日程や交通費的にウィーンは断念。ヨーロッパは移動費用が高いので、最安の交通機関を探すのにいつも丸一日かかってしまいます)


Posted by ykon at June 23, 2008 11:10 PM | トラックバック
コメント

イスラエル特派員の牛山です!  二人がアウシュビッツを訪れた三日前に、エルサレムのYad Vashem ( biggest museum of Nazi Holocaust)を訪れました、やはり無料です。 が、ぼくが7年前に回ったヨーロッパの各国、の悲劇がいちいち細かく展示されていて自分の旅の思い出までも塗り替えられるようでしんどかったです。 そして二人がアウシュビッツを訪れた同じ日にたまたまホロコースト映画上映会に行きました。(去年オスカーとった、オーストリア映画)タイトル忘れたけど、重厚で良かったです。 そんで今、おばあさんが当時アウシュビッツで亡くなったという(日本びいきの)カウチサーファーんちから、日本語で打てましたよ。   7年前ぼくは国際夜行列車で盗難に逢ってしかもどしゃ降りの雨、という状況でアウシュビッツを見学しました。いまだに印象は強烈に残ってます。線路が引き込まれたビルケナウ収容所の方に、各先進国の国旗が並んでいるのに日本のはなかったのが不思議でした。   あとクラクフの中央広場?の見張り台の上から毎時吹かれるラッパは聴きましたか?戦時中に鼓笛兵隊が吹いてる途中で敵に撃たれたことから今でもわざと中途半端にメロディーが途切れるという…。いまだに耳に残ってます。 それとクラクフの住宅街を散策してた時、見た目も違うはずなのになぜかぼくの故郷・盛岡を強く思い出したのは何だったのでしょうか…。   おっと長くなりましたが、ヨーロッパ編いつも楽しく読んでますよー!自分も以前行ったことのある町は特に胸キュンですわ。ミュンヘンの街並みは特に素晴らしかったので乞御期待!?   …あと噂通りイスラエルは面白いので強くオススメ(特に濃い~い人々を)。信仰心うすい人ばっかだけど。 ではまた。

Posted by: 牛山すすむ at June 25, 2008 3:43 PM

小さいときに広島の原爆ドームと資料館を訪れたときに受けた強烈な印象が忘れられず、こういう場所は一度は機会があれば訪れておきたいと思って、こちらに来て早い時期にアウシュビッツを訪れました。1人で行ったこともあり、受けた感覚を自分の中で消化しきれず、打ちひしがれるような思いをしながらアウシュビッツ、ビルケナウの両収容所を見てまわった記憶です。敷地内にいる間、何故かずっと鳥肌が立っていました。世界中の全ての人がここを訪れることができたら、戦争はなくなるのではないかな、などと真面目に思ってしまう、そんな場所でした。

それはそうと、ヨーロッパに来ても芸術をかじったり満喫中のようで何よりです。この前Veronaで1世紀に建てられたアリーナで野外オペラを観ました。素晴らしい雰囲気でした。この時期はヨーロッパ各地で色んなイベントが行われているので楽しんでください。こちら、留学・研修も終わりに近づき、最後の旅行はお薦めしてもらったアモルゴスに行ってきます。

Posted by: Nori-zo in LDN at June 26, 2008 7:04 PM

>牛山さん

アウシュビッツのこととあわせてイスラエルの話を聞くと、さらに興味沸くよ~。やっぱりそっちにもホロコースト系ミュージアムあるんだね。おばあさんがアウシュビッツで亡くなったカウチサーファーとは。。。そういう人、多いんだろうなって想像してます。クラクフのラッパ、聴いたよ。そんな歴史があったとは!なんか、確かにメロディーが一貫してなかったような気も……。ミュンヘンはまるで見ず、チャイニーズビュッフェ6.8ユーロを満喫して終わり(笑)。

>Nori-zoさん

アウシュビッツは、自分としてはいまいち現実感がなかったんだけど、あそこにだーれもいなくてさらに冬だったりしたら、すごい迫力で当時の世界が迫ってきそうな気がしたよ。ちょっと前までは、あそこの館長がアウシュビッツを生き延びた人だったらしくて、その人に会えたりしたらまた違っただろうなって思った。
もうロンドンも終わりか。いる間にロンドンいけなくて残念でした。。。おれたちも帰国はそう遠くないから、次会うのは日本かな。アモルゴス、楽しんできてね!!天気がいいことを願ってます。

Posted by: ゆうき・もとこ at July 1, 2008 6:08 PM
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