夕方、カリマバード(フンザ)の周辺を歩いてみる。メイン通りには帽子や織物を並べる土産物店が軒を連ねるが、自分は何か欲しい訳でもないので、店先の品を眺めながら素通りして、村の外れへ。フンザ背後のウルタル峰が、圧倒的な存在感。
帰り際に再びメイン通りに差し掛かったとき、フンザ織物センターという薄暗いお店がなんとなく気になってしまった。店に足を踏み入れて帽子を物色していると、ふと何かの気配がした。自分が入ってきた入り口のほうを振り向くと、ドアの脇に凛々しい男性が気配を殺して座っているので驚いた。フンザ帽に鳥の羽を挿し、顔には所々に凍傷のような傷跡があって、堂々としている。
この店にある織物や帽子は、彼の親父さんの手によるもの。彼の親父さんは、首相からメダルをもらうほどの織物織りの名人である。商品の値段は全てFixで、一切値引きはしないとのことだが、軒を連ねる土産物屋と比較すると、大分安い値段がつけられている。彼曰く、Original price 。帽子や織物を見る目が自分にあるとは思えないが、この目で見る限り、本当にOriginal Price のようだ。旅行者が集う場所にこのような店があるのは、海外では極まれ。よくわからない商売をしているこの人物に興味を覚え、彼について話を聞いた。
かつて彼は登山家だった。長谷川恒男という有名な日本人登山家がいて、91年にフンザの背後に聳えるウルタルⅡ峰に挑む際、サポート役として共にアタックしたときのこと。長谷川さんは、雪崩に巻き込まれて帰らぬ人となった。そのとき彼はベースキャンプにいたので命を落とすことはなかったが、それ以来、ぱったりと登山をやめてしまった。その後、長谷川さんの「土地の人の為になることをしてほしい」という旨の遺書が発端となり、登山仲間やパキスタン政府の協力のもと、「ハセガワ メモリアルスクール」という学校がフンザに建てられた。このような経緯があって、フンザには日本と深いつながりを持った人々が多く住んでいる。廉価でつつましく彼が商売をするのは、ことの経緯と関係があるのだろうと思う。
最後にお茶のお礼を言って、握手をして別れるときのこと。凍傷で硬く小さくなってしまった彼の右手に、またドキッとした。