トルファンは、ピチャンよりもさらに熱いと聞いていたのに、今日は曇り空で、時折小雨が降るようなお天気で拍子抜けだ。トルファンは、シルクロード西域北道の要衝として栄えてきた、沙漠のオアシス都市だ。今は、日本人を中心に、海外から多くの観光客が訪れる観光都市として栄えている。
概して有名観光地では、観光客ずれした現地の人が多いものだが、トルファンほど観光地として成熟したところでは、バックパッカーと旅行産業との関係、ルールが比較的うまく出来あがっていて、煩わしい思いをすることはほとんど無いようだ。
どんな観光地であっても、子供はかわいらしいものです。ウイグル人の子供って、日本人の子供に雰囲気がそっくりなのは、新しい発見でした。
Movabletype、Blogger、MacrobyteConversant等のweblog システムには、XML-RPCインタフェースが備えられている。海外では、専用のツールを用いて記事のエントリや更新を行うことが広く行われているようで、有名なツールとしては、BlogBuddyがある。また、日本においては、ネットに接続可能なモバイル機器が普及しているというということもあり、e-mail から記事のエントリを可能にするサービスも開発されている。(DaijiHirataさんのmoblog [http://moblog.uva.ne.jp/]).
トルファン中心部から西へ、三タクで20分程度のところに交河故城( jiao he gu cheng )はある。歩くには少し遠いが、行けないこともない。
遺跡は、2つの川に挟まれた細長い台地状の丘の上にあって、天然の要塞といわれている。南北が1600m、東西の最大幅が330mの敷地に、居住区、寺院地区、行政地区、墓地の区域に分かれて建物が残っていて、特に寺院地区と居住地区の建物は、驚くほどよい状態で建っている。居住区では、炊事施設、井戸などが、当時の様子をすぐに想像させるほどにリアルに残っている。こんなにも保存状態がよく、しかも、イメージを膨らませてくれる遺跡に、自由に接することができるなんて、日本ではあまり考えられないことだろう。
ここ数年内にバックパッカーとしてトルファンを訪れた人の中には、ウイグル人のアイちゃん(男性 推定35歳)を知る人は少なくないだろう。彼の流暢な日本語は、日本語使いのウイグル人の中にあって、右に出るものはいない。昨日の夕方の出来事であるが、「一日旅遊」から帰ってきた日本人の女の子が、トルファンの暑さに一日中さらされて少々参ってしまったらしく、乗り合いタクシーを降りるなり立眩んでしまった。「一日旅遊」とは、一日観光ツアーのことである。立眩んでうずくまってしまった女の子に真っ先に声をかけたのは、乗り合いタクシーに同乗していた他の日本人達ではなく、そばでアイちゃんと「一日旅遊」の交渉をしていた僕等でもなく、アイちゃんだった。「ねえ、ちょっと君、ホントに大丈夫ぅー」だって。
ということで、今日は「一日旅遊」だ。おんぼろタクシーに4人が詰め込まれて、トルファン周辺の見所を回るというもので、ツアーの成否は運転手兼ガイドの力量と人柄に頼るところが大きい。結果から言うと、とても好感の持てるいい人だったが、免停中だとは知らなかった。おまけに、トルファンに戻る途中でエンジンが故障して、みんなで車を押しながら帰ったので、とてもおなかがすいて晩御飯がおいしくなったので良かった。とりあえず、旅遊先で出会ったウイグル男児をどうぞ。
トルファンの東方には、西遊記でおなじみの火焔山(火焰山 huoyanshan)があって、「一日旅遊」に参加すると必ずそばを通る。褶曲してひだ状になった、赤紫がかった茶色の山肌と、昼間の強烈な太陽熱によって生じる陽炎とが、火焔山と呼ばれるようになった由来だ。ところが、今日はあいにくの曇り空なので陽炎がなく、残念ながら火焔山になっていない。ずっと同じ景色が続くので、途中で飽きる。火焔山に沿って東に進むと、「火焔山」と書かれた看板があるスペースが道脇に設けられていて、我先にと看板前の位置どりをする観光客は、今までの観光地と同様だ。
火焔山はいわゆる一つの頂上を頂く山ではなくて、東西100km、南北10kmにわたるミニ山脈状の山地である。火焔山山中の北西に、ベゼクリク千仏洞(柏孜克里克千佛洞 baizikelike qian fo dong)という石窟がある。しかし、ムスリムによる破壊と、主にドイツ人探検家による収奪により、現在は無残な状況だ。ベゼクリク千仏洞の少し手前に、西州天聖園と火焔山大漠土芸館という施設がある。自分はベゼクリク千仏洞の入場料だと思ってこれらの施設への入場券を買ってしまったが、都築響一さんの「珍日本紀行」の中国版を身をもって体験してみたい人以外は、チケットを買わないほうがよい。しかし、石窟の外の、ムルトウク河渓谷の景色だけはすばらしいもので、玄奘たちがここを越えていったと思うと、ロマンがある。
トルファンは盆地になっていて、高温で風が強く、雨がほとんど降らないので極度に乾燥している。バックパッカーにとっては、たまっている衣類や寝袋などをまとめて洗濯するのに、最も都合のよい場所の一つだろう。試しに、Tシャツを洗濯して日陰に干しておくだけで、30分後にはカラカラに乾いている。
トルファン盆地の最も底部にあるのがアイディン湖で、海抜はマイナス154m。世界でも、イスラエルの死海の次に低い土地だ。海岸から2000km以上も離れているこの場所が、海よりもずっと低い高度だということに全く実感がわかないが、ユーラシア大陸の一番くぼんでいる場所には何かが溜まっているかも知れないなどと空想をしはじめてしまったので、足を運ばないわけにはいかない。
夕食をとった後、北京留学生たちとアイディン湖(艾丁湖 aiding hu)へ。真っ暗な中、劣悪なオフロードを行く。運転手も迷ったと素直に認めていたが、右往左往しながら約2時間で目的の場所に到着。所々土色が見え隠れしているが、あたりの地表は塩の結晶で覆われていて、車のヘッドライトに照らされてキラキラと輝いている。涼しい風だけが感じられ、周囲に何の気配もしないのが不気味だ。懐中電灯を消すと、月がまだ昇っていないのと、360度明かりがないのとで、この場所が本当に真っ暗なことに気づいた。これ以上無い程暗く、屋外にいるのに星以外は何も見えない。
PHP における XML-RPC 利用の準備
XML-RPC の利点のひとつには、クライアント(サーバしかり)の記述言語が通信相手に左右されないということがある。Movabletype の XML-RPC インタフェースは Perl によって記述されているが、これを利用するクライアントはどの言語で記述されていようが問題ない。 今回は、PHPでXML-RPCクライアント・サーバを動かすための準備を行ってみたい。PHP における XML-RPC の実装について調べてみると、いくつもの実装が用意されていて、どれを選んでよいのかわかりにくい。代表的な実装と、それぞれの特徴は次の表のとおり。