January 29, 2005

無事、昆明到着

数時間前に、台湾・高雄から次なる目的地の中国・昆明に着きました。今回は飛行機で一気に移動だったため、さすがに早かった。あっという間でした。香港で4時間トランジットで待ちましたが、香港の空港はほんとによかったです。4年連続で "Airport of the year" に選ばれているのにも文句なしで頷けました。

昆明について早速、少なくとも一ヶ月は滞在する宿に部屋を得て、また、近くのカフェではノートPCが無線でネットにつながることが分かり、インフラ整備が順調に進み、ほっと一息してます。来月後半からは本格的に中国語の勉強を開始します。

ところで、書く機会を逸していましたが、右の「MAP」中の地図は、これまでの(2003年7月~2004年12月の一時帰国まで)ぼくらの旅の移動経路です。白線が陸路で移動したところ、色線はその他の移動手段(主に飛行機)のところです。これまでここに書いたこととあわせて見ていただけるとうれしいです。詳細をいずれその地図の下に書きます。

今日は早速、前回ぼくらの中で好評だった中華料理屋にいって、激安激ウマぶりに感激してます。本格中華、二人とも腹いっぱいで300円程度でした。これが昆明の一番いいところかもしれません。

ではまた!
とりあえず到着報告まで。

Posted by ykon at January 29, 2005 11:38 PM | パーマリンク | コメント (1) | トラックバック (1)

January 27, 2005

沖縄・宮古島から台湾

タイミングを逸してしばらく更新できずにいました。
台北でやっと無線LANカードを買い、台北の街中の至るところでパソコンをネットにつなげるようになったのですが……。

今は、台湾南部の高雄(ガオシュン)という都市にいます。沖縄から日本を出てから一週間ちょっと。やっと気持ちも体も旅モードに戻ってきたような気もしてます。

さて、那覇のあとは、二日ほど宮古島に滞在していました。オーストラリアで一緒にボランティアをやっていた友人に会い、「東洋一のビーチ」といわれる場所にも行くことができ、季節は悪かったもののそれなりに沖縄を体感することができました。

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(季節が良いともっときれいに見えるとか。寒いのに水着で泳いでいる人もいた。友人と。)

「東洋一」と聞いたものの、どんなものかと思っていましたが、これがかなりのきれいさ。オーストラリア、インドネシア、東ティモールあたりの高レベルな海と比べても全く引けをとらず、しかも、これで「今の時期は全然きれいじゃない」といわれていたので、沖縄はやっぱりすごいなと改めて感じました。

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(宮古島名物?宮古そば。てんぷらと一緒に食べる。「小」という名の大盛りが250円。店の雰囲気もとても東南アジア風でびっくり)

18日早朝6時、船で出国。有村産業の飛龍というのに乗りましたが、これが予想以上に豪華でびっくり。昔、一世を風靡した時代があったのではないかと思われる内装。12時間ほどで台湾、基隆(ジーロン)着。

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(船の全景。この大きな船に石垣からジーロンまで乗っていた乗客は20人もいなかった。これでやっていけてるのか??)

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(船内ロビー)

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(一番安い6人部屋。宮古島からジーロンまで13,000円くらい)

一ヶ月ぶりの海外でしたが、着いてもしばらくは日本を出た気がせず。それは台湾の雰囲気のせいか、船で出国したせいか……。

基隆には一泊しただけで、台北に移動。台北に3泊して、南部の高雄(ガオシュン)にきたというわけです。高雄には友達がいて、今はその人のうちに泊めてもらっています。友達の一人が南アフリカ人で、彼女は台湾人と結婚、台湾で旦那さんの家族と暮らしています。ぼくらもその家にお世話になっているのですが、大家族で、とても中国人の一家っぽい雰囲気。明るく活気あって楽しいところです。

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(友達夫婦のほかに兄夫婦とその子供たち、姉が一緒に暮らしている。奥に立っているのがこの家族を切り盛りするお母さん)

そして毎日、その友人たちにいろんなところに連れて行ってもらったりして過ごしています。ここにきて、ちょっと殿様旅行になってます。

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(南アフリカ出身のCharleneには東京で英語を習っていました。ここは夜景がきれいな高雄一のデートスポットとか)

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(真ん中が旦那さんのClive)

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(客家<はっか>民族の伝統的なお茶屋さん。いわゆる華僑の多くはこの民族だとか。広東人の大半が客家)

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(抹茶の粉をすりつぶしたようなものを溶かして食べる。味はおしるこみたい)

台湾では、結構日本語が通じるとは聞いていましたが、ほんとにかなり通じてびっくり!下手に英語を話そうとするより日本語の方が、と思った場面は多々ありました。また一度、台湾の原住民(中国人たちが来る前に住んでいた人たち)の村にいったのですが、そこでも老人たちはみな上手に日本語を話すのです。東南アジアではいろんな国の植民地を尋ねてきましたが、台湾で初めて日本の植民地を目の当たりにし、植民地というのはこういうことか、というのを改めて実感した気がしました。

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(5年ほど前にできた村の石碑には日本語が書かれていた。書き言葉のない原住民族は、日本語かローマ字を使っているそう。アブルガンはこの地域の名前、タカナオはこの村の王の名前、ラバナソはその奥さん)

台湾は親日だ、ということをこれまで何度も聞いていて、実際にはどうなんだろうと思っていましたが、これまでいろんな人から話を聞いたところでは、確かに親日なんだなって感じています。日本語表記や日本の音楽などはどこにでもあり、若者には日本文化が浸透してるし、年配の人々は、ぼくらが聞いた限りではみな日本のことを好意的に語っていました。
これまで、日本文化が浸透し、人々が日本語を話す外国というのは想像していなかったので、とても新鮮な感じを受けています。

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(村で出会った日本語堪能な夫婦。おじいさんは戦争中、日本兵としてフィリピンで戦ったそう。今でもそのときの軍帽をかぶっている。とても親日な感じで、「日本のみんなにまだこの帽子をかぶっているぞ、と伝えてくれ」と言われました)

ちなみに、高雄(ガオシュン)という地名、もともとは「タカオ」だったとか。タカオという音に日本人が「高雄」という漢字をあてて、それが中国読みでガオシュンになったらしいです。

29日に香港経由で一気に昆明まで飛ぶことにしました。時間的にも体力的にも金銭的にも、陸路移動という雰囲気ではなくなったためです。2月の前半に生活の基盤作りを進め、2月末から語学学校開始です。

雄生&素子

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(黒チキンの鍋。肉が黒色の鶏はこっちではよく食べるらしい。でも毛は真っ白だとか。味は、普通のチキンと似た感じ。)

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(中国式にお茶をいれる台湾人の友人)

Posted by ykon at January 27, 2005 3:18 PM | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (16)

January 14, 2005

沖縄・那覇から

こんにちは。

昨日ついに京都を出発し、今は予定通り沖縄・那覇にいます。那覇までは飛行機で来たのですが、ホテル・レンタカー付のとても安いチケットが見つかったので、とりあえず二日間は、快適ホテルと車ありの豪華な日々を過ごしています。

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(日本では友達の結婚式に参加したり、楽しくすごしました)

今、再び旅を始めて二人ともが思っているのは、ちょっと一時帰国が長すぎたかなってことです。というのは、やっぱり日本での日々が快適で楽しかったため、再び日々転々とするバックパッカー生活に戻るのが少々大変なのです。ま、一週間もすればまた慣れると思うのですが。中国はもちろん楽しみにしてます。

沖縄は二人とも初めてです。昨日は早速、ぼくが5年前にインドで知り合った沖縄の友人たちと再会。今日は車でいろいろなところを巡りました。

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(築280年という沖縄の伝統的な家屋を見たり)

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(海を見たり)

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(パイナップル?がころがっていた)

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(くらげにさされたら酢を塗るといいみたいです)

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(沖縄料理、タコライス。実際は何料理なんだろう?)

冬のせいか、それに車に乗っているせいか、しかも那覇が普通の都会なせいかあんまり沖縄にいるという気がしないのですが、でも今日、旧海軍司令部壕に行ってみて、月並みですが、日本唯一の地上戦を経ている場所という重さを感じさせられました。ここは沖縄戦での海軍司令部があった洞窟ですが、いよいよ日本の敗戦が色濃くなってからこの中で多くの軍人たちが自決しました。

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(いたるところに菊の花が備えてありました)

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(壕の中の通路)

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(壕の中で手榴弾で自決したときにできた跡)

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(司令官などが自決した司令室もそのまま残っている)

こういう場所が身近にあると戦争に対する考え方も必然的に変わってくるだろうし、そう考えると日本の中で沖縄の持つ重要性というのは、特別なものがあるようにも思ったりします。普天間の米軍基地の周りにも行きましたが、その存在を見ると、今も沖縄が戦争当時の歴史をそのまま背負っているのだろうなということを感じさせられます。

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(普天間基地のそばにある沖縄国際大学の校舎。ここには去年、米軍のヘリが墜落したことで話題になりました。校舎の黒い跡とその手前の焼けた木が生々しい。)

とりあえず那覇にはあと二日います。

ではまた。

雄生&素子

Posted by ykon at January 14, 2005 11:50 PM | パーマリンク | コメント (3) | トラックバック (0)

January 11, 2005

これまでの移動経路(2003年7月後半から2004年12月半ばまで)

こんにちは。

京都からです。明後日でいよいよ京都も最終日、那覇へと移動します。
沖縄では宮古島にいる友達に会おうと考えていて、那覇3泊、宮古島2泊の後に台湾へと向かうことになりそうです。

ところで、前々から早く載せようと思っていたこれまでの移動経路(2003年7月後半のバンバリー到着から2004年12月半ばの一時帰国まで)をとりあえず今載せておきます。今後は、いつでも移動経路をトップページからすぐにみられるようにする予定です。

白線が陸路で移動したところ、色付の線が飛行機などで移動したところです。
オーストラリアでイルカのボランティアをしていたのが大陸南西部のバンバリー(Bunbury)、そこからバンで移動した先が北端のダーウィン(Darwin)、これから中国で滞在するのが、雲南省の昆明(Kunming)です。

2003年6、7月の日本からバンバリーまでの経路は入れ忘れてしまいましたが、旅自体はオーストラリア大陸東側のシドニーから始まっています。

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これによってぼくらの旅が少しでも想像しやすくなればと思います。また、この地図を見ながら過去のブログを見返してもらえればうれしいです。この移動経路情報は今後さらに充実させていきたいです。
では、また!

雄生&素子

Posted by ykon at January 11, 2005 11:42 PM | パーマリンク | コメント (1) | トラックバック (0)

January 6, 2005

明日東京を発ちます(雄生)

こんにちは。

日本に一時帰国してからすでに4週間ほど発ち、いよいよ明日東京を発つことになりました。といっても素子はすでに京都の実家にいるので、ぼくだけのことですが。
明日ぼくも京都に行き、一週間ほど滞在してから13日に那覇へ。4日ほど沖縄に滞在後、宮古島、石垣島経由の船で台湾へと向かう予定です。そして二月半ばから中国雲南省の昆明での生活が始まります。詳しくはまた、日本滞在の日々のこととともに改めて書きます。

しばらく日本にいたら、やはり家族・友人がそばにいる環境のよさを実感しました。この一ヶ月の間に多くの人に会えて、とても幸せでした。でも、会いたいと思いながら連絡できずじまいだった人も結構いたことは残念に思ってます。

いずれにしてもこの一ヶ月が自分たちの今の生活を改めて見直すいい機会になったことだけは間違いありません。そして今また中国での生活へのモチベーションがかなりあがってきてます!

今は一人で荷物を詰めていますが、例によってなかなか進みません……。2003年に東京を出たときも、前日の夜中まで中学の友人たちと地元で飲んでいて、それから荷物を詰めてました。あれから一年半も経ってしまったとは。

当初の予定は3,4年って考えていたので、それから考えるともう半分近くきてしまったのですが、でもぼくはまだ気分は序盤です。

ではまた。

雄生

☆日本に帰っている間は更新せずでしたが、これからはまた更新頻度をもとにもどすので是非、たまに見てみてください!今年もよろしくお願いします!

Posted by ykon at January 6, 2005 1:02 AM | パーマリンク | コメント (1) | トラックバック (0)