大好きな写真家のHPでずっと
under constructionなんですが
かわいいんですよね。
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Qu'elle soit ou qu'elle en ait disparu n'y change rien. Toute cette férquentation passée et actuelle crée un climat bien particulier et l'hôtel des Roches Noires deviendra un personnage à part entière de son œuvre. Il ne semble inanimé que du dehors, conserve une telle âme en dedans. Cela donnera à Dominique Issermann l'occasion de réaliser de sublimes photos sophistiquées de femmes drapées par leurs vêtements et la lumière unique du hall. Elle se préserva là de l'excès social et du temps et y vécut en compagnie d'une solitude voulue -- encore une création d'elle -- choisie et nécessaire à son travail, affirmait-elle encore tardivement (dans Ecrire par exemple), à sa recherche sur l'épure de l'être et de l'écriture.
Rob Mallet-Stevens fut l'architecte à l'origine de son coup de foudre de 1963 pour l'endroit et le halle intemporel. Il a restructuré ce lieu dès 1925 et y résida lui-même. Cet homme concevait aussi les décors des filmes de Marcel Lherbier (L'Inhumaine) et il confrère à ce hall un esprit luxueux, moderne et dépouillé qui fait désormais référence, créant dans le décor une multiplicité spatiale permettant plusieurs perspectives, plusieurs points de vue géométriques simultanés par la disposition des pans de mur, des piliers et des fresques peintes par Gir, ainsi que par des volumes et des éclairages travaillés. ... ■ Michel David ■ Le ravissement de Marguerite Duras
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Les gratte-ciel
@ Paris 13e
on September 3, 2006
vus du dôme du Panthéon français, Paris 5e
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Café Le Métro
@ Place Maubert, Paris 5e
at 19:09
on September 6, 2006
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La tour Montparnasse (1969-72)
@ 33, avenue du Maine, Paris 15e
on Auguste 30, 2006
vue du Cimetière du Montparnasse, Paris 14e
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Architecte: Jean Saubot, Beaudouin, Cassan, de Marien
210 m
58 étages
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Montparnasse 56 ■ モンパルナス・タワー・パノラマビュー公式HP
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Tombeau de Charles Garnier (1825-1898)
@ Cimetière du Montparnasse, Paris 14e
on Auguste 30, 2006
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Tombeau de Tristan Tzara (1896-1963)
@ Cimetière du Montparnasse, Paris 14e
on Auguste 30, 2006
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Tombeau de Beaudelaire
@ Cimetière du Montparnasse, Paris 14e
on Auguste 30, 2006
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Tombeau de Jean-Paul Sartre (1905-80)
et Simone de Beauvoir (1908-1986)
@ Cimetière du Montparnasse, Paris 14e
at 16:36
on Auguste 30, 2006
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@ Rue Baptiste Renard, Paris 13e
at 18:20
on Auguste 27, 2006
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Tulip
@ Passy
on April 11, 2006
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I am the rose of Sharon, and the lily of the valleys.
■ Solomon 2:1
砂漠に咲く花
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Magnolia
@ Passy
on April 11, 2006
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The scent of magnolia, the face of a girl
And every detail embodies the world
What kind of goals define this impossible dream
None of the history books describe where I've been
■ David Sylvian « The Scent of Magnolia »
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on FEBRUARY 4, 2006
@ Centre Pompidou, Paris
William Klein
Best from 東京
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William Kleinのサイン会にのこのこと行ってきました。いまポンピドゥでは彼の回顧展が開催中です。サイン会というのは微妙なもので、 こちらにとっては憧れの人なのだけれど、あっちにとっては営業だし。こっちはただの一ファンにすぎないくせに、もっとできた話もあったんじゃないだろうかとか。こっちのページにサインしてもらえばよかったとか。いろいろ切ない思いを抱えながら帰ってきました。デートの後の感じに少し似ています。
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ぼくの少し前の女の子は、どうやら彼の写真に子供の頃(相当に小さい頃)写っていたらしく、その写真集『PARIS』を持参して、ちょうど自分の写っている脇にサインをしてもらっていました。どうやって自分だと同定できたんだろうか。ご両親でしょうか。彼女のところでサインを待つ列が少し止まり、写真家と被写体とのあいだにしばしある種の懐かしさの雰囲気が漂いました。すべき話とは、このようなことをいうんでしょう。
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ぼくはといえば、名前は?と訊かれ、ジョー、ジェイ・オー、と答えたら、怪訝な顔をされて(アメリカではジョーは普通ジェイ・オー・イー)、アメリカ人?との質問に、日本人、と答えると、どこ住んでんの? —パリ。いやじゃなくて日本で。あ、東京です。あ、そうかいそうかい。みたいな感じで、最後にBest from 東京を加えてくれたのでした。どうだい、と言った感じで写真集を渡してくれた彼の笑顔が得意気でした。そう、ぼくがこっちにサインしてもらったほうがいいかなあ、と思っていたのは、カタログの中の彼の昔の写真集『東京』の扉ページだったのです。狭苦しいごちゃごちゃした目次のページよりも、やっぱりこっちにしてもらうべきだった!と後悔したことは言うまでもありません。でも、とても、うれしいです。
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これでぼくがサインをもらった人物は7人目です。サイン会に行く前は、どうせサインもらたってなあ、とかひねたことを思っていましたが、素直にもらいにいってよかったです。やはり、うれしい。有名人だからといってはしたなくはしゃぐのは好むところではありませんが、もしそれが憧れならばやっぱりアプローチするべきですね。いろいろ理由をつけはじめると、理由はいくらでもみつかってしまいます。それくらいには自分の気持ちに自信をもってもいいのでは、と思いました。
on AUGUST 25, 2005
@ Centre Pompidou, Paris
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この旅行記がモデルとしたのは、ラヴェルの『ボレロ』と、その作品をとりあげて自分の神話構造分析のエッセンスを説明しようとした、レヴィ=ストロースの論文(『裸の人間』の「フィナーレ」)である。ラヴェルはこのきわめて現代的な作品のなかで、最初に提示される両立不可能な「二次元的なリズム」と「三次元的なリズム」の対立を、「平らにされたフーガ」として線的に反復させ、ミニマルな変化をともないながら拡大していくその反復のなかから、はじめは両立させることが不可能に思われたふたつのリズム原理の対立を、音調のレベルで最終的に和解させてみせるという、離れ技をやってのけている。『ボレロ』を聴くよろこびは、2の原理と3の原理、シンメトリーと非シンメトリーという、現実の世界ではめったに和解しあうことのないモデルどうしが、「この世ならぬレベル」で(じっさいそれは、スリー・ディメンショナルな現実のなかでは、観測することのできない「隠れた変数」なのである)、調和や対称性を実現しているのを知覚することによってもたらされる、幸福感に根ざしている。しかもラヴェルがこの作品でみせた音楽的思考がきわめて現代的であるのは、現代のような世界においては、調和や対称性は、もはや永遠や無限にふれているそのようなユートピア的な知覚のレベルにおいてしか実現できないのだということを、すでに人々が知りはじめているからである。レヴィ=ストロースは、神話もまた、思考のレベルにそのような音楽の状態をつくりだそうとする、幸福論的な思考の冒険にほかならないことを、あきらかにしてきた。バルセロナへの旅が、ぼくにあたえてくれたあの幸福感の本質を表現しようとして、ぼくはこうして必然的に音楽の形式にたどりつくことになった。 ■ 中沢新一『バルセロナ、秘数3』より
on April 29, 2005
@ Bibliothèque nationale de France- site François Mitterrand
滞仏3ヶ月強にして迎えた七人目のお客さんを連れてカルティエ財団へ。川内倫子の展覧会がやってます。6月5日まで。これまで折々写真を見る機会はあったんだけれど、はっきりいって侮ってました。猛烈に反省しました。今回Cui Cuiなる作品をみて深く感動しました。展示ではAILAとthe eyes, the earsがまず一室目に展示してあり、ふむふむといった感じで、これまで気になっていた被写体と背景との関係、その被写体との距離感、いわゆる背景のパステルっぽい感じ、そのぼけ味に、ふーんと思っていたんだけれど、まずこちらの印象をさらに深く刻み付けられました。なんというか動物/子供の写真を見て、その対象との距離感(写真初心者が嬉々として興じがちなマクロ接写撮影とは明らかにことなる、プロだから当たり前だが)、その距離感に曰く言い難いものを感じました。無理に説明しようと思うと、人って対象との距離感て色々グラデーションがあると思うんです。他人/知人/友達/恋人にそれぞれ応じて。あれ/それ/これの距離感でもいいけれど。で、川内倫子の距離感てそれぞれの敷居/閾の上から撮ってるような感じがするんです。たとえばフランスでbisouしますよね?ほっぺにちゅって。あのとき女の子の顔が近づいて来て、あるところでその閾を越えて顔が近づいてくる。その、あ、来た、と思う瞬間の距離感にとても似ている気がします。日本だとそれは明らかに恋人の距離感なんで、時々勘違いしてしまいそうになるんですが、恋人でなくとも、そういった(多分人間工学的/心理学的に検証されているような)色々な自分のまわりに巡らしているグラデーション、その「こそあど」的な(これそれあれ、ね)境界線上から対象を見つめているような感覚があるんです。対象は無関心なのかもしれないけれど、こっちに向かってくるような、あるいはこちらがひとつ内側に踏み込んだ/踏み込もうとしているような地点からとらえている。川内倫子の写真て単純に綺麗ですよね。彼女の色がある。でも写真てそういった個人の様式/マニエラを越えて、実際ある人がある距離である構えで撮影した、その世界に対する距離感と構え方をむしろ直接写しだすものだと思うんです。そんな彼女の距離感/構え方がきちんと伝わって来てとてもよかったです。
その意を強くしたのは、二室目、こちらはスライドなのですが近作Cui Cuiの232枚の写真がPierre TAKAHASHIていう人の音楽がループしながらプロジェクトされていくのですが、内容はネタばれ恐れて言いませんが、川内家を13年間に亘って撮り続けたこの組写真です。しかし私小説みたいな私写真ではない。川内倫子は家族を撮っていながらそういったところがない。「家族の物語」的なこととはちがう、川内倫子と川内家の人々との距離感、その固有性なんだと思うんです。写真のなかに定着される写真家の固有性って。人を捉えたショット、その距離感が、ああ、この人に声かけるなら、ここからだよな、っていう距離感なんです。家の門前とかに人がいて、こっちは手前から歩いてきて、ああ、おばあちゃん、て声かけるのこの距離感だよな。作業中の人の背中見て、ねえねえ、って声かけるのここまで近づいて、この距離からだよなっていう感じ。写真て機械ですよね。その機械を通じて一枚のイメージのなかに〈対象世界-撮影者〉の距離と空間的な関係性、撮影者のカメラの構えとが文字通り機械的に反映される。その人の空間的時間的なポジショニングなんだと思うんです。その撮影者と世界を含む空間の固有性。初期ルネサンスの透視図法のような。世界との取り結びかたなんだんと思うんです。そして写真の距離って絶対んなんですよね。絶対越えられない。絶対届かない距離なんですよね。時間的にも空間的にも。失われた時間・もう届かない場所。センチメンタルに聞こえるけれども、でもこれはひどく乾いた事実だと思うんです。改めて写真て残酷な機械だよなあと思いました。カメラっていう機械のからくりも一枚の写真のなかに込めてしまえる川内倫子ってすごいなあ。
とてもいい。ほんとにすばらしいです。スライド上映なので多分途中から見ることになると思いますが、絶対二回は見て下さい。二回目は感動がさらに新たになります。写真集で見るよりも、ひょっとしたらこうやって見せてくれる方が家族の物語/時間の流れも相俟って感動的かもしれません。ちなみにぼくは友人が隣にいるのもはばからず泣いてしまいました。パリにいる人ぜひ行って下さい。 日本にいる人ぜひ写真集を手に取って。
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川内倫子HP ■ りんこ日記
Fondation Cartier pour l'art contemporain