on AUGUST 25, 2005
@ Centre Pompidou, Paris
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この旅行記がモデルとしたのは、ラヴェルの『ボレロ』と、その作品をとりあげて自分の神話構造分析のエッセンスを説明しようとした、レヴィ=ストロースの論文(『裸の人間』の「フィナーレ」)である。ラヴェルはこのきわめて現代的な作品のなかで、最初に提示される両立不可能な「二次元的なリズム」と「三次元的なリズム」の対立を、「平らにされたフーガ」として線的に反復させ、ミニマルな変化をともないながら拡大していくその反復のなかから、はじめは両立させることが不可能に思われたふたつのリズム原理の対立を、音調のレベルで最終的に和解させてみせるという、離れ技をやってのけている。『ボレロ』を聴くよろこびは、2の原理と3の原理、シンメトリーと非シンメトリーという、現実の世界ではめったに和解しあうことのないモデルどうしが、「この世ならぬレベル」で(じっさいそれは、スリー・ディメンショナルな現実のなかでは、観測することのできない「隠れた変数」なのである)、調和や対称性を実現しているのを知覚することによってもたらされる、幸福感に根ざしている。しかもラヴェルがこの作品でみせた音楽的思考がきわめて現代的であるのは、現代のような世界においては、調和や対称性は、もはや永遠や無限にふれているそのようなユートピア的な知覚のレベルにおいてしか実現できないのだということを、すでに人々が知りはじめているからである。レヴィ=ストロースは、神話もまた、思考のレベルにそのような音楽の状態をつくりだそうとする、幸福論的な思考の冒険にほかならないことを、あきらかにしてきた。バルセロナへの旅が、ぼくにあたえてくれたあの幸福感の本質を表現しようとして、ぼくはこうして必然的に音楽の形式にたどりつくことになった。 ■ 中沢新一『バルセロナ、秘数3』よりPosted by tdj at 2006年1月31日 21:00